劔樹人の「男のうさちゃんピース」
*最近の生活*

● 男の墓場プロダクション/パーフェクトミュージック所属

● 「あらかじめ決められた恋人たちへ」でベースを弾いています

● 「あの頃。~男子かしまし物語~」(イースト・プレス)、「高校生のブルース」(太田出版)が発売中

「小説推理」、「MONOQLO」「MEETIA」「みんなのごはん」などでマンガ連載をしています

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#こどもギフト~虐待問題に取り組む妻について

 

今更改めて言うのもあれですが、私の妻は、テレビ番組でコメンテーターなどの仕事もやっている、イラストエッセイストの犬山紙子というものです。

 

 

昨日、犬山たちが立ち上げた「こどもギフト」という、子どもを支援する団体や施設へのクラウドファンディング型の寄付プロジェクトが発表されました。

 

https://readyfor.jp/lp/kodomogift/index.html

 

 

 

 

元はといえば今年3月に目黒区で女の子が亡くなったいたましい虐待事件が起こって、その時スッキリに出ていた犬山が、テレビの中で泣いていまして。その時たまたま私も見ていたのですが、そういうのは初めてのことだったのでびっくりして鮮明に覚えています。

 

 

スッキリから帰ってきてすぐ、朝が早いのでいつもなら一度寝るのですが、長いこと色々な人と連絡をしていたようでした。

 

「子どもたちを虐待から守るために、自分のできることをしたい」と言っていました。

 

それに光の速さで賛同してくれたのが眞鍋さん、坂本さん、福田さん、さくらだで、そのチームは「こどものいのちはこどものもの」として会見を行い、行政に嘆願書を提出したり、支援施設を訪ねてレポートしたりなどの活動を経て昨日の発表に至ります。

 

 

 

 

私は家庭では夫として、というか家のことをだいたい請け負う主夫として、その姿をずっと見てきました。

 

犬山は、世間一般にはどうなんでしょう、元々結構風刺的な恋愛ネタなどをコラムに書いていたので、きつい性格というか、男の敵というか、そういうイメージを未だ持っている人も多いかもしれません。

 

でも、結婚して子供が産まれてからはすっかり、働く女性や母親が抱える問題や、やりきれない社会の現状などをテーマにするようになりました。

むしろ偏見を嫌い、多様性の視点で考えるようになり、若い頃の自分の考え方をあれは間違っていたと否定したり、反省するようにすらなっていたように思います。

 

また、TVもバラエティではなく報道番組でのコメンテーターの仕事が増えてきたせいか、政治や世界情勢、思想を日頃からよく勉強し、なるべく冷静に、フラットな視点を持とうと努めるようになりました。

 

私が日々彼女の姿を傍で見たり会話したりして感じることです。

 

 

それが、この子どもの虐待問題に対しては、すごく直感的で感情的だった印象を受けました。

生き甲斐というか、自分の存在意義みたいな、言い方はどうしてもアレですが、溢れ出るようなそういう感覚を持ったんじゃないかなと思います。

 

 

 

虐待問題に取り組み始めてから、犬山は極端に忙しくなりました。

 

その分、私の家事育児の負担もぐっと増えたのですが、帰ってきたらいつも、「つるちゃんのおかげで、子どもたちのためになることができてる」と言ってくれます。

私は日頃から自分の世のためになっていなさを不甲斐なく感じることが多いので、すごく助かる言葉です。

娘と過ごす時間が以前のように取れないことはよく嘆いていますが、この子が産まれたからこそ、今の活動をやろうと思ったわけだし。

 

 

 

こういうの、親になったからって急にいい人みたいになって、と思う人もいるかもしれません。

 

でも、自分もいつも実感するのですが、世の中親にならないとわからないことだらけですね。

もちろん、親になることに限ったことじゃない。

人間、そんなに想像力はないんだなと思いました。

 

それに親になって変わったっていうのは、それは人間としての成長でもあるので。

他でもない、子どもが成長させてくれたということなのでしょう。

 

 

犬山はこんな時代なので、すぐ発言等が炎上しそうなポジションにいると夫の私ですら思っているのですが、それが驚くことに全く無いんです。

それだけ多くに気を使っているし考えていることには、私も感心します(私はぼちぼち炎上経験もあるので)。

 

それでもコメンテーターなんて、何を言っても誰かにはああだこうだ言われるし、発言をいいように切り取られてすぐニュースにされるような仕事です。

 

児童虐待のような社会問題には、当然色んな立場や考え方の人がいます。

どれだけ善いことをしていようとも、批判されることもあるかもしれない。

 

それは苦しいだろうし、苦しいのを一番嫌う人なんですが、よくここまでやっていると思います。

 

 

実際に犬山たちが行動したことはここまでも一つの力になっているのではないかと思っています。

行政がLINEでの相談窓口を導入したり、政府の制度が見直されたり、その度に家で嬉しそうに話してくれました。

もちろん、全ては目黒区の事件がきっかけであり、声をあげた全ての人の力ですが。

 

今回の発表で仕組みが周知され、継続できるようになって、少しでも世の中が、子どもたちが過ごしやすい方へ変わって行けば嬉しいです。

 

 

 

 

というわけで、結局なんだかというと、虐待問題に取り組む妻を主夫の夫がどう見ていたか、という話であり、それは一人でも多くの方の力を必要としているということでした。

 

私はそんな彼女をサポートし、あとは自分で微力ながら寄付するくらいしかできないですが、それができることに喜びを感じて、これからも過ごして行こうと思います。

 

https://note.mu/inuningen/n/nd8350e561fe1

 

 

 

 

 

 

人それぞれ、人生は色々。

最近よく「幸せ太りですか?」と言われることがあるが、あまりピンとこない。

自分が太った理由は加齢による代謝の悪化という年相応の身体の変化と、ただの怠慢である。

 

結婚したり子どもが生まれたりしたら幸せに違いないと思ってしまうのは、ちょっと思考停止気味な決めつけのように感じてしまう。

 

 

人それぞれ、色々なのである。

 

 

 

今日発売された拙著(コミックエッセイ)では、幸せなんて人それぞれじゃないかなあという気持ちをちょっとだけ込めている。

 

 

 

表現したかった微妙な感覚がうまく伝わってほしいけど、読んで下さった方が感じることも、人それぞれになればいいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学の時、曲を作ってライブハウスで活動して行くために初めて組んだバンドは、2個上の先輩たちに誘われたものだった。

 

みんな先輩だったというのもあるが、自分以外は凄いプレイヤーばかりだった。

 

 

ドラムのT先輩はサウスポーで、自分が知る中で一番カッコいいドラムだった。

 

ギターのN先輩は天才としか言いようがないというか。

ハロプロで言うとまーちゃん(佐藤優樹さん)みたいな感じだろうか。

 

 

クラブの夏合宿で海の側の宿舎に行った時。

一応目的は音楽をしに行くためのものだが、部長だったNさんは到着するや否や「わーい!」と真っ先に海に駆け出した。Nさんの持ってきた大きなボストンバッグには、海に浮かべるビニールのボートしか入っていなかった。音楽をする用意はおろか、着替えや生活用品すら持ってきていなかった。

 

そんなデタラメなNさんは遅刻癖も酷くて、別で参加していたフリージャズ/エクスペリメンタル系のバンドのライブに来なかった時があった。

もう最後の曲、となったとき、袖からNさんが現れた。楽器も持たず、なぜかTシャツにパンイチだった。そして張り付いたような笑顔でステージの中央にやってくると、客に向けてピックをひとつピッと投げた。それを合図にしたかのように、バンドが最後の曲の演奏をはじめたのだった。

何しに来たのか意味がわからないが、その瞬間、カッコよくて鳥肌が立つくらいゾクゾクした。

 

 

そんなNさんであるが、いざギターを弾くと、キラキラと誰よりも美しい音がしたのだった。

 

 

 

我々のバンドが結成されて、はじめての練習にもかかわらずNさんはスタジオに現れなかった。

 

「あいつほんまに…(怒)つる、ちょっと家まで行って呼んできてや」

 

絶対寝ているからということで、後輩である私が近所に住むNさんの部屋まで呼びに行くことになった。

 

夏の日だった。ドアは完全に解放されていた。

 

「Nさーん!」

 

玄関から呼んだが返事がない。陽当たりの悪いマンションで、家の中は暗い。ちらちらと窓からの光が漏れて見える。

 

「Nさーん!」

 

しばらく呼び続けていたら、完全に寝起きの雰囲気で、Nさんの彼女がヌッと出てきた。

 

「Nくんなら寝てるで」

 

彼女はそう言って別の部屋でのんびりしはじめた。

 

 

起こしてくれよと思ったが、この人も大学の先輩だし仕方がない。

 

「Nさーん!」

 

またしばらく呼んでいると、ついに奥からNさんの声がした。

 

「つるちゃん!つるちゃんごめん!!」

 

はっきり大きな声である。

やっと起きてくれたと思った。

 

「みんな待ってますよ!!」

 

「つるちゃん!ごめん!!」

 

「怒られますよー!」

 

「ごめん!!つるちゃん!!」

 

 

何かおかしいなと思った。

 

はっきり快活な声ではあるが、「つるちゃん」と「ごめん」しか言っていない。

 

 

恐ろしいことにそんなやりとりが20分くらい続いたのである。

 

なんだか私は不安になってきた。

これはもしかして、悪いものでもやっているんじゃないだろうか。

ずっと心無い返事が暗闇から聞こえてくるだけで、本人は全く起きて来ない。

とはいえNさんを連れてスタジオに戻らないと怒られそうだし…

 

そんなことを思っていたら、ついにNさんが奥から現れた。

髪の毛はすごい寝癖だった。

 

「やっと目、覚めたわ」

 

結局Nさんは30分近く寝ぼけ続けていただけだった。

 

 

そして洗面所で、歯ブラシに蛇口から流れる水をちょっとつけては歯をひと磨きし、また水をつけてはひと磨き、というのをすごい速さで繰り返しながら歯を磨いていた。

 

歯磨き粉を使わないあんな歯の磨き方を見たのは初めてだったし、あんな快活に寝ぼけている人を見るのもはじめてだった。

 

世の中には色々な人がいるな、とつくづく思った。

 

 

人それぞれ、色々なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

少しづつ大人になって、寂しさを知る。

気付けば6月も終盤に差し掛かっている。

 

時間の流れはなんと速いのだろう。

1月に誕生した娘はもうすぐ半年になる。

 

 

 

彼女が産まれたのは1月6日、寒い冬の日だった。

予定日は1月20日だったので、私も妻も完全に油断していた。2週間早く出てきた赤ちゃんは2100gで、とても小さかった。小さかったが、とても大きな声で泣くことに驚いた。

 

 

顔は自分に似ていると思った。

妊娠中、女の子と判った時点から心のどこかで恐れていたことだった。それから顔はだいぶ変化して、今はかなり母親に近づいたような気がするものの、まだ予断を許さない状況だ。

ベビーカーを押していたら道行く知らないお婆さんに、突然「まあ~パパそっくり!」と言われたことすらある。

 

しかし、全くかわいくない自分に似ていることは承知ながらも、そのビジュアルを客観的に見ることが全く出来ない。どう見てもとてつもなくかわいく見えて仕方ないのだ。

私が幼い頃から、お前の顔は変だと客観的に言い続けていたうちの父は凄いと思った。

 

そして、そんな娘をお腹の中で大切に育て、元気に産んでくれた妻にはいくら感謝してもし切れない。この半年、毎日そう思っている。

 

 

 

「本当のようなうそのような あなたと出会った寒い季節」

 

 

子供の顔を眺めていると、モーニング娘。とハロー!プロジェクトキッズの2002年の楽曲『がんばっちゃえ!』が頭の中を流れる。

 

あの頃小学生だったハロプロキッズの子どもたちが、今やみんな立派に成人となり、先日℃-uteは解散、ひとり残された嗣永桃子さんも6月30日をもって引退となる。

 

彼女たちの成長を見てきた(オタクとしてだが)同じ体験を、これから娘とすることになるのだ。

 

きっとあっという間だろう。

毎日、過ごす日々は本当にはやく感じるようになった。

 

自分は大学生くらいの気持ちのまま38歳になってしまい、これからの人生についても考えることが多くなった。

 

幾つになっても何にでも挑戦できると思ってきたが、もう折り返しと考えると、あっという間に60歳くらいになってしまうのか。

 

この半生、自分みたいな者にとっては出来過ぎだったような気もするが、結局思い描いた夢も、立派なことも何ひとつやり遂げていない気もする。

 

それでも、この子に命を繋げたことを思うと、それだけで良かったと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

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そんな娘が生まれる前の生活を綴ったコミックエッセイが6月23日に発売になります。

 

 

 

このブログで描いてきたマンガ『男の家事場』を、大幅に加筆してまとめたものです。

ていうか本を出すたび「自費出版?」て誰かからは言われるのですが、今回も自費出版ではありません。

 

 

 

 

そして色々偶然もあって、妻・犬山紙子の出産・育児についてのインタビュー本も同じタイミングで発売されます。

 

 

 

 

こちらも、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

<男の家事場> その44 「あの頃よりも強くなって。」

 

昔住んでいた家で本当にあった怖い話はこちら(本当に怖いです)

http://ameblo.jp/tsurugimikito/entry-12192236274.html

 

 

 

 

 

小沢健二さんと私たちの20年。

小沢健二さんが20年ぶりにMステに出演した。

 

20年である。

長かったのだろうが、ついこないだのようでもある。

 

実は私は10年前に小沢さんとニアミスしている。

その少し前まで私が働いていた、大阪は新世界のcocoroomというアートNPOに小沢さんが訪れたのだ。

ちょうど小沢さんが活動家の奥さんと朗読の活動をしていると話題になった頃ではなかったか。

 

噂を聞いてcocoroomに話を聞きに行くと、ボスの上田假奈代さんは

「ああ、小沢くんね」

と言った。

 

「上田さん…!あの小沢健二っすよ!!」

 

基本的に浮世離れした詩人の上田さんはそもそも「小沢健二」をよく知らなかったのである。

 

 

西成のあいりん地区を案内されて、小沢さんは

「ここはブラジルみたいだ」

と言ったという。

小沢さんらしいコメントだなあと思った。

 

 

 

 

中学時代、音楽は尾崎豊しか知らなかった私に電気グルーヴ、フリッパーズギター、スチャダラパーなどを教えてくれたのは科学部のKくんだった。

 

私が高校に入学した頃が小沢さんの『強い気持ち・強い愛』や『ドアをノックするのは誰だ?』あたりが大ヒットしていた時期で、なんとなく音楽部に出入りしていた私が人気のない渡り廊下でそれらの曲をギターで覚えようとしていると、通りかかった若い体育教師でサッカー部の顧問のY先生に、「そんな軟弱な曲を聴くな!メタルを聴け!」と恫喝された記憶がある。

 

Y先生はメタルバンドのボーカルのオーディションに行っていたという噂があり、当時高校一年生だった私はなんじゃそりゃと思ったが、今思えば先生は新卒でまだ24歳くらいだったので、プライベートでバンドくらいやっていても全くおかしくはないのだった。

 

あれから20年の間に、その時音楽部に出入りしていて、僕にギターを教えてくれた友人がふたり亡くなった。

ふたりはその時からギターが上手で、音楽に対して一生懸命だったが、就職して音楽は辞めて、この世からも去ってしまった。

結局、20年後音楽を続けていたのはなんとなくあそこにいた私の方だった。

 

そんな小沢さんとX JAPAN、そしてタモリさんと、自分の20年を想いながら今日のMステを観ていた。

 

 

 

 

 

 

<男の家事場> その43 「仄暗い台所から。」

 

うちの炊飯器の保温のライト、部屋が明るいと気付かないくらい弱々しいので困ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<男の家事場> その42 「歩き続ける限り。」

 

 

マウスピースがあればいいのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<男の家事場> その41 「埃まみれの救出。」

 

自分にもきっといつか、胃カメラを飲む時が来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちちぶ温泉はなのや」さんに行ってきました。

これまで秩父ミューズパーク、つくばわんわんランドといって参りました、

じゃらん&カーセンサーの #旦那おまかせデートというコラボ企画。

 

ついに最終回です!

 


今回は夫婦で温泉宿に行って来まして、

これまでと同様、私がプレゼンするプランを、夫婦それぞれの目線で紹介しています。

 

 

こちらが妻目線の記事↓

http://www.jalan.net/news/article/117956/

 

 

こちらが夫目線の私の記事です↓

http://www.carsensor.net/contents/editor/category_1588/_61812.html

 

 

<男の家事場> その40 「今は、諦めてはならない。」

 

 

結局、忘れた頃に干からびてひょっこり出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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