The Way Makes a Difference-非常口
台北への弾丸ツアーが終了。今回の視察の大きな目的は仲間と共に台湾元総統の李登輝氏にお会いすること、及びその他現地の日本人や政党関係者との交流。充実した中身だったため、本当に時間が過ぎるのが早かったし、それを裏返すように観光という観光の時間が殆どなかったのは残念。


The Way Makes a Difference-李登輝
※李登輝元台湾総統と

中国(Mainland China)は過去2度訪れたことがあるが、台湾は今回初めての訪問だった。これまで色々と噂には聞いていたが、多くの人がそう言っていたように非常に親日的な土地だった。住民の日本語教育は非常に行き届いており、空港から滞在するホテル、その他の場所まで英語を使う機会は殆どなかった。それだけ多くの人が上手さに程度こそあれ、日本語を使うことができた。もちろん、タクシーのドライバーなどは厳しかった、というのは言うまでもないが。

街のインフラは適度に整備されていて、治安も良い。コンビニなどは日本のそれと見間違うほどの設備、販売品の品揃え。食事も美味しいし、タクシー料金が異様に安く足として非常に使える。唯一物足りなさと言えば、物価水準が日本とほぼかわらないということか。もちろん、税率が異なるため、酒などものによってはかなり価格差がでたものがあるにはあるのだが、総じて他のアジアの国に行った時に感じるような物価、経済格差は殆ど感じなかった。

台湾を訪れる物足りなさと言えば、やはりそれが経済の急成長を遂げたような土地だからこそくる「インフラが整いすぎていて旅程全てが上手くいく」という感覚であったり、日本語が余りにあらゆるところで通じる為に感じることかもしれない「非日常」を感じるという海外旅行の醍醐味からはほど遠かったことだろうか。異文化を感じに行くというよりは、どちらかというとかなり日本人の精神性や文化に近い場所に旅行に行くといった感じで、これまで私が典型的に描いていた海外旅行の感覚と全く異なっていた。それはそれである意味新鮮ではあるのだが、なにか物足りなさを残したというのもまた事実かもしれない。

The Way Makes a Difference-仲間達@乾杯

台湾はよく独立問題や一国二制度の問題の観点から語られることが多いが、事実上、現在は制度上多くの面で台湾は独立国に近い自治領としての形態を持っている。国の根幹である通貨(台湾$)だったり、通関(中華民国のスタンプ)、報道の自由(ネット検閲もなかった)、議会制民主主義(今、地方選挙の選挙期間中)、など日常生活に見える部分でさえ、中国本土とは大きな違いがあった。もともと国際社会では台湾を国として承認している国は少ないので、外交関係としても条約締結など非常に限られるわけではあるが、あたかも国のようにそこには本土とは全く違った様式を維持している。

この1国内での異なった制度を持つ、ということに対して、その維持がどれだけ現実的に可能なのかどうか、というところは中国の急激な発展に伴い一般の台湾人や国際社会の注目の的となっているわけだが、現実はかなり中国共産党政府の手に委ねられていることは疑いようのない事実だ。しかしながら、あるべき論から言えば、経済発展と共に今のそのstatus quoを壊してまで政治的独立を勝ち取る価値があるのかどうか、というのは疑問であるし、そういう観点からも現状維持が望ましいのだろう。ただ問題なのは、いつ中国政府の意思でそれがひっくりかえるかわからない、ということであり、そういう決断をされたとき、またそういう方向性に持っていくように外堀を埋められたときに、どのようにして台湾の側が自らリスクヘッジをしていくことができるか(=どれだけ多くの外交カードを保持できるか)というところが鍵なのだろうと思う。


いづれにしろ、この親日国(地域)であり、知日国(地域)である台湾どどう付き合っていくのか、ということは、対中国(本土)ということを考える上で有効に使えるし、使わなければならない関係性であるのは言うまでもない。


The Way Makes a Difference-夜市2
Taiwan Night Market1

The Way Makes a Difference-夜市3
Taiwan Night Market2

$The Way Makes a Difference-wine

「本当に良かったなってその日の最後になって思える日」って一年でどれだけあるのだろうか?と、さっきふと思ってパソコンに向かっている。

本当に落ち着いた気持ちで、笑顔が滲み出てくるような感覚で、ささくれだったものがない、疲れも知らない、そんな感覚を味わうことができる日って、どれだけあるだろう?最後にあったのはいつだろう?

今日が私の一週間の夏休みの始まりということもあるかもしれないが、こういう満ち足りた気持ちにさせてくれるのは、それなりの原因というものがあるわけで、不思議なものである。自分で余りにも久しぶりにこういう気持ちになって、なんかこの高揚感にも似た感覚を味わっていること自体にちょっと戸惑ったりもしている。

この感覚は、気持ちの盛り上がってくる感覚はどこからくるのか。

何気に探していた、出会うことを期待していた、ずっと前にどこかに忘れてきた探し物がコソっと出てきた・・・そんな感覚にも似ている。抽象的なことしか言えないが、時間という風が爽やかにあっというまに過ぎ去っていった、そんな気持ちにさせてくれた。


理屈でいくらこねくり回しても、どうやら答えは出そうにない。


抽象的なとりとめのない話を今日は沢山したのだが、理性の効いた具体的な問題を語り合ったり、具体的な課題に対する話であったり、具体的に面白いと思えることを話したりということは結構一般的にあると思うのだが、想いや考えを抽象的に語るという機会は、なんかとてつもなく懐かしいもののように思えた。それはどこか学生時代の仲間に会っているような、あの20才そこそこのキレキレな感覚が少し甦ってくるようだった。

この出会いは大切にしたいな、そう思える瞬間だった。
「電気代が払えず76歳の男性死亡」というニュースが、今日ひっそりと報じられた。十数年前から電気が止められていたとうことなので、今年の夏がたまたま暑かったことが原因なのか、年齢も問題なのか、その他なのか、様々な要因が考えられる。また、このニュースについて、より悲壮感が感じられるのは、死亡している男性を発見したのが「48歳無職の」長男ということだ。家族がいても、その家族がお互いに経済的な困窮をサポートし合うことができない。むしろそこにあるのは負の連鎖。公的支援も十分ではなく、こうして社会的弱者が、なんでもない日常でその尊い命を落としていく。

実はこの手の事件・事故はアメリカでは良く聞く話で珍しくはない。特に大都市部で(生活困窮者が集まりやすい)よく耳にする。夏・冬問わずこうした話はあり、夏は熱中症、冬は凍死・・・いづれにしろ、悲惨な現実が突きつけられる。特に寒冷地については、政府も暖房の燃料費を補填しているケースも多いが、暑さ対策でなにか公的支援があるかというと、余りそういうのも聞かない。

この手のニュースはアメリカでのみ聞くものだと思っていたが、それがもう対岸の火事ではなく、日本でも現実に直面する社会問題として浮上しつつあるということだ。

それでは公的な支援をすればよい、という簡単な問題でもなく、それはサービス提供を受ける方も抵抗感があったり、結局制度、仕組みの問題でそこからはじき出される人たちが多くなってしまうというのはあるだろう。結局こうした問題を解決できるのは、公的なサービスとコミュニティーの自助・共助だろう。結局は近隣の人との繋がり、家族との繋がり、知らない誰かとの繋がり、政府との繋がり・・・何でも良い、どんな形態でも良いはずだが、こうした絶望的な想いのする事故は防ぐことができるのだから。


参考:
NHKニュース
毎日新聞ニュース
The Way Makes a Difference-Yasukuni1
実はこれが初めてだったのだが、終戦記念日に靖国神社を参拝してきた。これまで別の機会に何度も訪れ、最初に訪れた際はその壮大さとなんとも言えぬ重厚感と、負と正のパワーが混じったかのような趣の深さは今でも覚えている。

8月15日は色々な意味でこの地は注目を浴びる。

恐らく、もっと重要な視点で注目を浴びるべきなのだろうが、ともすると常に政治・外交の話題の1つとして語られ、それが純粋に戦没者に対する鎮魂の深い意味を問うというようなことはごく稀であった。この場所は戦没者の遺族の方々は早朝に参拝を済まし、その後に右翼団体から雇われた当時の軍の制服を着た格好をした人たちが参上し参拝をするのだという。私はそのどちらの波も避けるように、また今年の夏の異常なまでの暑さを避ける為に、昼下がりに参拝することにした。

$The Way Makes a Difference-Yasukuni2

とはいえ、初詣の時とまではいかないまでも、多くの人が集まり参拝をしていた。この姿を見ると、日本も未だ捨てたもんじゃないとも思うのだが、もっともっと多くの人がここに来れば良いのになぁと感じたりもする。


A級戦犯の合祀の問題や、遊就館の歴史観の問題は未だ解決できない多くの議論があることはわかるが、それでもやはりここに行って、特攻隊の遺書を読むとなんとも言えない気持ちになるものだし、荘厳な鳥居を潜って境内に入り拝殿に向かうと、日本の為に命を落としていった人たちのことを想い、自然と手を合わせたくなる気持ちになろう。それはある種、広島や長崎の地でそれぞれの「日」を迎えるのと似ているのではないかと思う。

もっと多くの人が、国の指導者も含めて参拝できる場所があればベストだとは思うが、こうして既に多くの人に親しまれ、歴史も長い靖国神社をそう簡単に無視できるようになるとも思えない。解決方法が靖国の国営化なのか、どうなのかは良くわからないが、私たち国民がもっと真剣に過去と真摯に向き合いうことができ、未来志向の会話が出来るようになるように、政治は偏狭なイデオロギーを捨て去って向かい合うべきだろう。



そして・・・
今年も右翼団体の皆さんは街頭と街宣車で参上。警察車両の数も凄かった。

$The Way Makes a Difference-Yasukuni3

また、駅の入り口近くには、靖国や終戦記念日とは何の関係も無い政治団体や活動団体の姿も見られた。外国人参政権反対や、台湾・チベットの独立、拉致・・・気持ちはわかるが、左右関係なく政治的な発言が許される場として、靖国の周辺が矮小化されていることは少し気にかかった。この日は、全ての日本人にとってただ、鎮魂の日であることを望みたい。
少し前に話題になっていた『告白』を観てきた。シングルマザーの教師が自分の担任しているクラスの生徒に娘を殺され、その生徒達に対して復讐を行うという物語。様々な社会問題をひとつの作品にぎっしり詰め込み、テンポ良く個々の主要登場人物の「告白」を繋げるというスタイルで謎解きをしていく構成は、見ていて観客を飽きさせない映画である。

「学級崩壊」「少年犯罪」「マスコミ報道」「シングルマザー」「保育施設の問題」「HIV」「DV」・・・これでもかという程に社会の病理を映し出している。通常、この手の映画はどこか「希望」を残してストーリーが展開されていくものだが、この作品は「絶望」の連続であり、それをどこまでも深く掘り下げていっている。そこにあまりリアリティは感じられないのだが、最悪に最悪が重なれば、そういうことも起りうるのかもしれないという感覚も頭を過ぎった。

とにかく絶望だった。

表現の仕方をややポップにしているのがせめてもの救いであり、それがなければ単なるホラー映画。その辺りにこの作品の上手さがあるのかもしれない。


ではこうしたことが実際に起るとして、その根底に流れているメッセージはいったい何だったのか・・・「復讐は正義か」という文脈で語られることも多いようだが、法が裁けないことを自らの手で裁くことの是非は様々な作品で取り上げられ、目新たらしいことではない。人間社会がここまで経験し、進歩し続けた結果として、復讐は否定されるべきである。が、被害者感情も無視できない要素であるからこそ、社会的制裁として、メディアの過剰報道であったり、刑法の厳罰化であったり、といった別の方法が模索されている。


しかし、それでは問題の根本が解決されないことは明らかである。

厳罰というのは、そもそも犯罪の抑止とは目的が異なるように思う。厳罰は社会の不適合者(殺人、傷害、強盗など社会の秩序を乱す者)を政府が個人に変わって一定期間排除することによって、社会から危険を遠ざけるためにある。そして願わくば、その一定期間の排除を経て、更生という名の無害化が図られ、社会の秩序が保たれるという構図。社会として必要なのは一定の抑止力や危険排除装置としての厳罰化だけではなく、問題をそもそも発生させない為の社会をどう作っていくか、という教育社会政策がセットで議論されるということだ。


そうした意味でこの作品はとことん”加害者に優しい”少年法などの法制度を逆手にとって行動をエスカレートさせていく主人公や、壊れていく少年や教師、親達を映し出すことによって、現行制度やそれが運用される社会に強い警鐘を鳴らしている。「ここまでやりっこない」というところ、「もしかしたらあるかもしれない」と思わせることで、問題の本質をあぶりだそうとしてる。

但し、作品全体としては、社会政策に対する提唱が弱いという印象を持った。犯罪の原因が本当に親の離婚?親から注目されないということ?良い子であり続けることのストレス?普通である自分へのコンプレックス?など、恐らくそれは実際には複雑で重層的な原因から起こることなのだろうが、どうも聴衆へのインパクトがエンターテイメントとして優先されたからなのか、物語としての深みは殆ど感じなかった。


作品全体としては面白いし、それなりに社会に投げかけているものも多いと思うが、やはりエンターテイメントとしての域を出ず、どちらかというと本質をぼやかしているとさえ思ってしまう。個人的にはそんな想いから、もっと良質の、奥の深い作品を求めてしまったりもする。それは今後の作品に期待ということか。


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