今日はいい天気だな。

抜けるような紺碧の空をバックにした六甲。

 

今、神戸大学キャンパスで作業中。

 

神戸大学は知名度が低いが、世界に通じる技術を持っていたりする。

産学連携を仕掛け初めて1年間。もう少しで結びがつく。

 

「いやー、お金ないからあんまり払いたくないんすよねー」

「お金ないんかい!」

「ない袖ふれませんやん」

 

と、笑いありきで交渉が進むのは関西ならではといったとこだね。

 

そして、譲りうけるものが他国進出へ道を切り開く切れ味鋭い刀となるだろう。

 

20年経った今、こういう形で母校に支えられるとは嬉しいものだ。神戸の名を世界に少しでも広めることができれば恩返しができるかな。

 

1週間に一度、みなでプレゼンを行っている。

ルールがあって、プレゼンの内容は10分、10分質疑応答で必ず一人一つ質問をしなければならない。そして、トピックは仕事と「関係ないもの」であること。

うちの会社のひとつの特徴として、平均年齢が恐ろしく若いところがある。
私を省くと19−23歳。
多国籍で若いというのが特徴だ。

昨日、台湾の若者が台湾のアイデンティティをプレゼンしだした。
台湾は日本ではない、中国でもない、俺らは台湾なのだ!という主張。

非常にショッキングだった。
日本と台湾は良好関係で、彼はとてもスマートな頭脳の持ち主でジョークもおもしろい。気も使うしチームに貢献しようと頑張る人間。

台湾人は台湾。そりゃそーだ。
しかし、日本の否定をされると手がかじかみ、自失茫然となり、ショッキングだ。

彼の言うに、台湾の年老いた人々が日本の考えによりすぎだといういうことらしい。
なるほど。あまり歴史は得意ではないが日本が統治する際に台湾人に日本人として生きるように強いたということは聞いた。そんなんされたら、俺だって反抗するし。

なので、俺は黙ってうなずいて聞いていた。

しかし、そこで、香港の若いエンジニアが笑顔でこう切り出した。
「日本の統治がなかったらおまえら台湾は今どうなってたと思う?」

台湾の若者はだまってしまった。日本は、日本を強いるみかわりに、現地の人間を丁重にもてなし文明を提供してきた点がある、それを差し置くのは少しおかしいのでは?とのこと。

だって。
おれは、いろんな個性を持った人と一緒に人生を歩み抜きたい。個性は人種も含む。

おれは組織のトップ。なので、だれよりもこの世の摂理を知り抜く必要がある。おれにとっての世の摂理というのは、10年前からあんまりかわらない。とりあえず、ちょっとかきだすことにした。




これから、10年もたたずに地球上のあらゆる価値観はAIでかわっていくといわれている。人間と機械の区分けがなくなり、人間が人間ではなくなり機械が機械ではなくなる。とても、いまの人間の価値観では捉えられない世の中がすぐに来るといわれているのだ。

つまりは国や地球という単位をこえ、銀河や宇宙という単位もすぐにこえていく。そして、それはすでに物理学上で証明されてしまっているらしい。

ただ、俺はちょっと思うところがあるんだ。
国を超えて、星を超えて、銀河を超えて、宇宙をこえても大時なことがある。
それは世の中の摂理。そして、その「摂理」を人間であろうが機械であろうが共有を行う必要がある。そして、共有するゆういつの手段は「コミュニケーション」ということ。国だけではなく銀河をこえたコミュニケーションは物理学上可能なのさ。そして、たぶんそれは俺らのチームがめざすべきところ。

おれがいま、事業をすすめる意義はそこにある。

いま、世界各地の大学機関が俺らのおこなっていることに目を向け始めている。死ぬまでにどこまでできるかわ分からんが爪痕はのこしてやるぜ。



2年前、突然、高校時代の友人からメッセージが届いた。
高校の同窓会の会報に上田をのせたいのでメッセージをくれとのこと。

載せるほどの人間ではないし、載せることもないので適当に返答した。

夢もないし、やってることも特にない。息してるくらいかな~
って感じ。

すると、1週間後に長文のメールが送られてきた。
なかなか魂がこもったメールだったので、これはきちんと魂をこめた行動でかえしたいな、、、と思った。
と同時に、結構この40代を過ぎた年齢でこれだけの熱い思いを持っている人はそうはそこらにはいない。

急激に会いたい思いが胸のそこから湧き出てくる。

「どんな人生を送って、何をおもって生きてるのだろう?」

彼女は北海道で珈琲に人生をかけている・・・そういうことらしい。


そして、時は2年がすぎ、ようやく会えるチャンスが到来した。
先月の3月下旬から1週間ほど北海道に帰れるようになったのだ。

香港のチームメンバーと北海道にもどったので、最初の5日は動きが取れず、チームメンバーが戻った日にいよいよ、彼女のお店にサプライズ気味に顔だそうと準備。
しかし、HPを見ると今週からお休みの看板が。
突然の出来事。

「え?」

と、思い、すかさずメッセージを送る。

「お店はやすみ?今日いこうとおもってたんだけど」

すると、

「うーん、ごめん」

と短いメッセージ。
経営をすると色々なことが起きる。あまり、踏み込まないことが相手にとっての礼儀でもある。なのでオレは、深くはつっこまず、「今は会う時ではないのだな」と思い、後ろ髪をひかれる思い出香港へ帰国。

そして、昨日9日、彼女が息をひきとったと一報が入った。
がんと闘っていたらしい。


~珈琲の一つ一つには個性がある

~珈琲を作るにはその一つ一つの個性をひきだすことが大事

~手作業ですすめるがそこに答えはない、常に対話し創りあげる


なんでしょ?
それは、オレの経営とまったく一緒なんだな。

だから、もっと深くそこをお話したかったし、なぜそう感じてどういう思いでやっているかを会って肌でかんじたかったのさ。


オレは生きてるし、あなたは先立った。
しばらく会えないかもしれないが、負けないくらい情熱的な生き方をしてみせるさ。
もっと。

そして、いつか色々お話がしたいね。
オレは、ビールを飲みながらがいいけど、珈琲でもいいかな。


南綾子さん、ご冥福をお祈りします。


さてーと。

今宵も面白い夜をすごした。
新しいインターンが香港に来たのだ。

伝えたい思いを一心にぶつけた。
それでもまだ足りない!とおもうくらいだが時は数時間過ぎ明日も早い。
会もたけなわ。
そして、帰り際に現インターンに一言いわれる。

「面白いぐらい誰も聞いてませんでしたよね(笑笑)」

ま、まぢか・・・

ってか、ま、いっか。
そんな40過ぎの泥にまみれた話は少々重いわなー。
でも、10年、20年がすぎたとき思いが伝わるといいな。

といいつつ、現インターンにそういってくれるのが一番うれしかったり。
伝えようとした人に伝わってはいないけど、感じる人に感じてくれていれば、それが一番救われる一時だな。

たのむぜ~バカたれどもよ!
星空が好きだ。

心に刻まれた星空はなんこかあるかなー。

今しがた、ふと思い出したのは前の会社をやっていて窮地においこまれたときに見上げた星空。

半ば現実逃避気味にサーフィンによく行ってた。
金曜の夜東京を車で出発し、土曜の朝がた名古屋の海岸につき、1日丸まる波に乗って大阪に出張するといったかんじ。

海岸につき着替える。
波と風をききながら海に板を突っ込む。
そして、パドリングをして沖に出てから波待ち。
波をまっているあいだ、ずーっとうなだれて下をみる。
頭がビジネスの恐怖に支配されてどうにもならない。
波が来て、捉えるときはアドレナリンが吹き出しすべてが吹っ飛ぶ。

しかし、さて沖に上がり夜がふけると、孤独と言い知れぬ恐怖感に襲われる。
これから来るであろう想像ができないような失敗がくることを確信しながら。

しかし、みあげた星空の明かりが点ではあるけども、その小さな点が未来を照らす唯一の光であることもなんとなく感じてたな。

いまからだいたい10年前の話。

このストリーミングをみるとそのときの思いがフィードバックしてきて意味不明に泣けてきた。

The Sacred Egg / Nicolas Godin / Widerstehe Doch Der Sunde from riffraff films on Vimeo.

先々週、インドの女性が面接に来た。
履歴書をみるに畑が違ったので、「ないなー」と思いながらの面接。

ところが、俺らの目指す「顔コミュニケーション」の世界に超絶ラブコールをうけ、心が揺らぐ。
しかも、ネイティブ並みの英語でロジカルシンキングももってる感じ。

しかし、何かが引っかかって返答できずに2週間が立ってしまった。

と、おもったら先ほど大学の友人からラインで突如写真が送られてきた。
出張先のインドで、大勢のインド人と楽しく過ごす写真。。


これは、何かのめぐりあいやな。
このタイミングでツレからインド人と仲良くしている写真が送られてくる。
これが意味することは・・・

ということで、写真が送られてきて30秒で決断。
雇用じゃ!

そいうことで、雇用メール送信っと。
ニューメンバーが新たに誕生。
広く果てしない可能性をを秘めたインドの地から!

ってか、逆にOKの返答が来るかな?
日もたってるし(ーー;
いや、あまりスポーツ観戦はしないんだけども、最近のラグビーは無視ができないね。

本日のサモア戦も、香港のイギリス系パブ街に独りふらっとのりだしてパブで観戦。
香港は昔イギリス領だったのでイングランド系。
パブはやかましいが、日本vsサモア戦に関しては静寂だ。
あれだよ。
別に、調子こいてるわけじゃないよ。
家にテレビがないだけで、テレビは友達の家かパブにいくしかないからさ。


ビールとポテトをつまみに独りスクリーンに目を映す。


早速、日本の風がスクリーンから吹いてくる。
我が母国日本。

なんてひたむきなんだろう。

自分たちのやることが見えていて、それを着実に実行すれば前進できると信じてる動き。
見ていて虜になる。
涙がでてくる。

トップに上り詰めるということはこういうことだ。
やるべきことを、ひたすら一つ一つ積み重ねていく。

監督は何をすれば夢が叶うかがわかっている。
選手は監督が支持をだすことを淡々と「DO」。
ひたすらその「DO」を積み重ねる。

積み重ねるのだ。
やるべきことを。

ただそれだけ。
夢を手にするのはその方法しかないのだ。


さて、問題なのは今の自分がそれをできているかどうかということだ。
うえだきょうくん。

できているかい?

オレは物忘れが昔から酷い。
でも、そんなオレでも鮮明に記憶に残っている子供の時の記憶がいくつかある。

その一つに、小学2年生のときのマラソン大会だ。
スタート早々、足がもつれて転んでしまい。

その場でワンワンないて立ち上がろうともしない。
校長先生がきて起こしてくれて一緒に走ってくれたというものだ。

なかなか、感動的な校長先生だったけども、そのときその光景をみていた、完全に「しらけている」母親の目が忘れられない。
ま、あたりまえだ。
自分で立てよ、ボケアホカスってものだ。
家に帰ってもずっと完全無視され、しばらくのシカトのあとおもむろに説教をくらった。

それから、ラグビー、アメフト、起業と常にガチ勝負の世界に生きてきて数多くの失敗と屈辱、挫折の繰り返しを経て40年が経った。

起き上がることは簡単ではないことは重々承知だし、そこに潜む意義がどれだか深いかも経験をかさねてきた。

しかし、40歳台の人生は少し違う。

転んで起き上がり、そして世界No1をとるんだ。

それがこの5年でやることだ。

そう。この動画のようにさ!



あの人は経験があるからなー

なんて言葉をよく聞くが、経験こそが世のすべてである、と思う。

今日、それをどういう風に説明したらよいのかと、サーフィンをしながら波間で考えていた。

経験をするということは、痛みや喜びを感じるということ。
こればかりは言葉で説明することはできない。

そして、痛みや喜びを味わった人は、溢れ出る気持ちが言葉にのってでてくる。
それが「言霊」が宿った言葉だな。

そして「言霊」を宿った言葉は人の心を動かす唯一の無二の方法だと思う。

人は理論では動かない。
感じて動くものだと思う。

「感動」ですな。

人は「言霊」しか感じないと思う。

だから経験が大事なんだ。

失敗をたくさんしよう。
失敗なくして経験なし。


いやっほー

日本についた。

と、いいたいところだが、久しぶりの日本人だらけにいつもとまどう。
絶対不自然だよな~。

みんなおしゃれだし、きちんとしてるし、やさしいし。
しかし出来過ぎていて、つかれるんだよなー。


・・・やっぱ、日本ってすごいな。
こんなすばらしい国に生まれて生きてきたなんて。

誇り高い。

おれは日本人として誇り高く思う。

そして、その名に恥じないよう人生を歩む。