真空地帯理論ブログ

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管理人:華昇宝

日本を取り戻せ

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過去のエントリはひとまずリセットしました。過去に書いていた「認知的不協和ブログ」も撤収しています。かれこれ長い間、まともにブログを書いていなかったので、今回は本当に久々です。ツイッターでは気の向くままに「コント友愛」を書いていました。

 

あくまで政治経済関連はいろんな形で見続けていたので、今も情報収集センスは健在です。仕事が忙しくなったことと、当面日本には「民主党政権」のような悪夢の再来はなさそうなので、特にブログを書く必要も無いかなあと思っていました。

 

私が政治経済に関心を持ったのは民主党政権時代でしたので、当時の他のブログ仲間よりもいろんな点で気付いたのは後発です。リーマンショック近辺の時期では主に日経新聞から情報を収集していたわけですから、だいぶん月日も経ちました。

 

そもそも当時はテレビや新聞を見ていたら、改めてネットで情報収集しようとは思っていませんでしたから、仕方がなかったかもしれません。2006年当時、安倍さんが内閣になりましたが、なんとなく期待が持てるという程度で、実際はどの程度の実績があるのか、当時はよくわかっていませんでした。

 

ただテレビを見ていても、当時の安倍総理が不当に叩かれているという感はありました。マスコミ情報のみで当時の安倍総理を応援していたので、今考えるとよくぶれなかったと思った次第です。

 

2010年頃は民主党政権がおかしく、そしてメディアもバッシングしている気配も少なく、変な感じはありました。そんなとき、ツイッターでフジテレビに文句をつけた高岡蒼佑事件があったわけですが、あのタイミングで改めて「異常な韓国推しってどうなの?」と気付いたことになります。その時気付いたポイントが、

 

・菅直人氏が日本の国益を損ねている

・やはり当時の安倍バッシングは不当だった

・当時の安倍総理は1年とはいえかなりの功績を残していた

 

というところでした。2011年~2012年頃に韓国関連の歴史の情報がわかり、自虐史観というのもこの時に気付いたわけですが、さらには経済にまで情報収集の手を伸ばしていくと、さらにいろいろなことがわかってきました。認知的不協和ブログを開始したのがこの時期で、翌年にアメブロに移行する形でこの真空地帯理論ブログを立ち上げました。

 

自分でいろいろと世の中の状況を考えていく中で、ブログを書くと、情報収集能力は鍛えられます。三橋氏から得られた情報がメインだったこともあり、金融緩和と財政出動が必要であるという主張はもとより、当時は中野剛志氏の影響もあり、アンチグローバルや規制強化の流れも少し汲んでいました。

 

民主党政権下では景気の影響もあり、私は失業していたわけですが、安倍政権に入って就職活動が楽になり、無事に転職できました。私のリアルと、国の経済政策はある程度リンクしていて、景気回復が実感できていたというのはあります。

 

アンチグローバリズムやアンチ規制緩和と距離を置いたのはおおよそ2013年~2014年頃なわけですが、別に無理に安倍総理を応援したかったからではなく、景気回復に伴って中小企業の実情に触れる機会が多くなり、「グローバルガー」との主張は実情に合わないことに気付いたというのがありました。

 

確かに第二次安倍内閣以降はアベノミクス三本の矢と称し、金融緩和と財政出動は行っていくものの、第三の矢がおおむね規制緩和であり、過去の2012年頃の私の主張からは遠ざかっていきます。まあこの時期はリアルな中小企業の声が少し聞けたわけで、「あっ、これは安倍応援で間違いない」と思ったから主張をそのように方針転換したに過ぎないのです。

 

その後は私も中小企業診断士を取得し、より中小企業の経営者と会話する機会も増え、リアルな声が聞こえてくることになりますが、やはり当時の景気対策の結論として、

 

・アベノミクスが正しい

・消費税増税が間違い

 

というのがおおよその答えのようでした。

 

消費税に関しては、2009年の民主党政権誕生の際、選挙で「4年間は消費税増税の議論をしない」とありましたが、自分たちが選挙で勝つや、その約束は反故にされ、菅直人政権で増税の検討に入り、野田佳彦氏に至っては、「私の政治生命をかけて、社会保障と税の一体改革を通す」と言ってのけたぐらいですから呆れます。

 

野田総理 マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行

 

「マニフェストに書いてあることはやる。書いていないことはやらないんです。書いてないことを命がけで実行する。これって変じゃありませんか。」と言っておきながら、当時の民主党のマニフェストに書いていなかった消費税増税を命がけで実行していました。

 

「2009年とは状況が変わった」というのであればそれもOK。ただし方向転換するならちゃんと国民に信を問うべく、解散総選挙をすべきでした。結局はこの野田氏の怠慢のせいでそのツケを国民が払ったことになります。

 

自民党も当時の三党合意にOKしましたが、自民党は景気回復後に増税をお願いするかもしれないと言ってますし、増税の話を進めないと当時の民主党を分裂に追い込めなかったこともあります。自民党はルール違反をいたわけではないですが、国民は悪夢の民主党という、とても高い授業料を支払わされました。

 

2012年末頃から自民党政権に戻りますが、当時の安倍総理は早急に景気対策を打ちます。2013年に景気は一気に回復を見せますが、その後の5%→8%への消費税増税で、景気回復にブレーキがかかりました。

 

法律が通過している以上、増税を止める手立てはやはり厳しく、私は第二次安倍内閣のタイミングで立法に関することなどの知識が得られました。途中で増税を延期したり、こうしたギリギリの調整ができたのも、安倍総理が民主党政権時代にしっかり景気対策について学んでいたからのようでした。

 

「第1次安倍内閣で靖国参拝できなかったのは痛恨の極み」と主張されていましたが、2014年末に実行できました。総理大臣時代に靖国参拝できたのは1回でしたが、針に穴を通すようなタイミングだったと思います。

 

安倍内閣は景気回復を続け、靖国に参拝し、安倍談話を出し、特定秘密保護法も通したのは大きかったです。かつて私が政治経済にいろいろな情報収集をしていましたが、安倍政権下で各省庁のトップなど、事務次官の動きなども見れるようになりました。思えば私の政治経済に関する知識と、安倍内閣で行われている人事の動きは連動しているかの如くでした。

 

民主党政権下で外交における日本のプレゼンスは下がりに下がりまくっていました。安倍政権下で見事に立て直したのではないかと思います。TPPへの交渉参加はその後、アメリカが撤退するに至りました。アメリカでは途中でトランプ大統領になるものの、安倍総理は見事に信頼を勝ち得ます。

 

2019年末にChinaの武漢ではコロナが流行し始め、その後世界に拡散していきます。当時はマスクの買い占め等で、マスクの入手自体がかなり困難でしたが、安倍政権下でマスクの配布が決まり、使い捨てマスクの入手はその後は楽になりました。安倍政権下では同じタイミングで持続化給付金なども実行されています。

 

2020年秋には体調不良を理由に、総理大臣からは外れましたが、2012年末から実に7年半以上に渡って内閣を続けていました。第一次安倍内閣では自身のやりたい日本への変革を優先したため、多くの敵を作り、マスコミを敵に回し、長くは続けられませんでした。

 

その反省を生かしたのが第二次安倍内閣。内閣誕生後に経済財政諮問会議を復活させますが、当時の主張でどちらかというと「日本駄目論」に乗っかっていたであろう伊藤元重氏を引き入れ、さすがに日本は良くなる方に乗っからざるを得ない状況を作るなど、過去の経験を活かしたのではないかと思います。

 

最初は私も第一次安倍内閣で言われていた「美しい国」がどういったものなのかはわかりませんでした。ただその本質が「戦後レジームからの脱却」であり、元々日本の仕組みで残っていた「日本を駄目にする元凶」を、辛抱強く解除していったのも当時の安倍総理でした。

 

ちなみに私は2014年の年末にあった総選挙で、京都の伏見桃山で宮崎謙介氏の街頭演説があり、そこに当時の安倍総理も来ていました。当時は運良く安倍総理とハイタッチができました。宮崎謙介氏はのちにあのような形になり、個人的には非常に残念でした。国会議員としての実力があるだけに、もったいなかったと思います。

 

あとは安倍総理で印象に残っているのがモリカケ問題でした。かなり厳しく追及する玉木雄一郎氏。あの当時は立憲民主党が無断の大型連休を取り、最初のころは玉木氏もそちら寄りでしたが、なんとか懸命に質問をしようとしていた姿。質問が終わった後、玉木氏と安倍総理は握手を交わします。

 

モリカケ当時は桜井充氏も安倍総理を厳しく追及しますが、個人的には上から目線で罵詈雑言に近いぐらいに感じました。まあこれを見て私は桜井氏をかなり嫌っていましたが、そんな桜井氏が今回の参院選で自民党からの出馬となったとき、安倍元総理は応援演説に駆け付けました。

 

安倍総理、何が凄いって、そんなかつての宿敵を応援なんて、なかなかできないです。やはり人柄でしょうか。その懐の深さ。「安倍信者」なんて言葉もありましたが、日本の国を良くしていこうとするその推進力、そして国を変えるためにできるだけ協力者を増やそうとするその心の持ちよう。

 

そんな安倍元総理は能力と実行力、人柄を備えた政治家でした。安倍政権を少し厳しい目で見た時もありましたが、やはり当ブログは「安倍応援ブログ」でした。

 

これだけの政治家はやはり稀有で、今後もなかなか現れないのかもしれません。とはいえ、今の自民党にも赤池誠章氏、長尾敬氏、高市早苗氏、和田政宗氏、山谷えり子氏など私の尊敬する方々も控えています。さて、安倍元総理のいなくなった日本で、今後立て直しが図れるのか。われわれ日本人は試されているのかもしれません。

 

そう考えながら気になるツイート。

 

 

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浦安での夜の講演会で党員からの、安倍元総理の訃報に参政党はどう向き合えば良いかとの質問に、安倍元総理が遺した道を引き継ぐのは参政党だ、岸田さんは違うし、今の自民党でもない、最終日はそのことを訴える、とお答えしました。実際にそうです。

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お悔み云々等はあるんでしょうが、安倍元総理の道を引き継ごうとする分には別にいいと思います。ただ、

 

>岸田さんは違うし、今の自民党でもない、

 

これは自民党と国民が決める話であって、あんたらは関係無いでしょう。なぜ、「自民党や他の保守層と一緒にやろう」と言えないのか?安倍さんの道を引き継ぐと書いていますが、安倍さんはもっと懐が深いですよ。今の状態だと到底引き継げるとは思えません。何より、他の頑張っている国会議員を否定しているように見える点で如何なもんかと思った次第です。まあ「党員向けの話」と言われればそれまでですが。

 

いずれにせよ、安倍さんが今後総理に返り咲くことはなくても、あと10年ぐらい国会議員の立場で後人の育成に励んで貰いたかったですし、できれば80歳ぐらいで議員を引退したあと、「その後の日本」を見届けてくれたらなあ・・・とか、そんな思いがありました。

 

安倍元総理、ご冥福をお祈り申し上げます。

そしてお疲れさまでした。ゆっくり休んでください。

素敵な日本をありがとうございます。

どれぐらい先になるかわかりませんが、天国で会いましょう。