書きなぐり。
プロフィール

15で女子プロレスに入団、イジメで退団、フリーターを経て、19終わりの時フーゾク界入り。取材に来た編集者にイラストを描いたら仕事をくれたのがきっかけでイラストレーターに。
しかし昔の夢捨てられず23でまたもプロレスの世界へ舞い戻りもうすぐ20年。途中、妊娠結婚出産離婚を経験。イラスト、文章、キャバクラ、スナック、店舗型ヘルス、店舗型イメクラ、SMクラブ、専業主婦、兼業プロレスラーその他諸々。小学校の時からなんだか生きづらいなと思ってたら統合失調症でした。思い出話が多いブログです。


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コロナとちゃんよたのデビュー戦

先日試合した後輩から

「コロナ陽性になりました、バンビさんは濃厚接触者になるそうです」とラインがきた。

 

私はその日、新宿FACEで午後試合が組まれていた。

でも体調も悪くないし大丈夫だろうと思った。

鞄の準備をしていると、大会主催者から電話がきた。

「まだ話し合いの段階ですがもしかしたら欠場してもらうかもしれませんすみません」

それぐらいの大変なことなの?って呑気に思った。

 

その日の試合は、ずっと一緒に練習してきた女子のデビュー戦だった。

私はその子と組むことになっていた。

初めての試合、シングルマッチよりタッグマッチの方が気分が楽だと思うし

それまでそう言われてきたんだからやっぱりタッグマッチでやりたかったに違いないんだけど、私がもしもコロナ陽性で、会場に行って誰かに移したりしたら大変なことになる。

コレは欠場しかないのかな。

あの子は大丈夫かな。。。

 

結局私は試合を欠場することになった。

元気なのに欠場。悔しかった。

Twitterでその大会のツイート見るたびに悔しかった。

 

その次の日、なんとなく体調が優れなかった。

関節の痛み、頭痛、風邪のひき始めって感じだった。

病院でspcr検査を受けて帰宅。

 

夜に向け、熱がどんどん出てきた。

身体中が痛い。吐き気もする。

コレはコロナではないか。はっきり言ってコロナなのではないか!

 

デビュー戦の女子は大健闘したらしく、Twitterが賑わっていた。

大会主催者から試合の映像アドレスを送ってもらい、家で見た。

 

ちゃんよたというその子は、本当に頑張っていた。

デビュー前の練習の時点で誰よりも練習を頑張っていたし、練習の予定のない日は相手を探し体育館の武道場で練習していたみたいだった。道場を持たない団体も増えているが、まさに道場が無い状態でも、ここまで練習できるんだってこと、示したと思う。

 

練習は裏切らないってよくいうけど、コレはまさにそういうことなんだろうなって思った。

 

病院からは次の次の日に連絡があった。「陽性ですね」

やはり。この体調の悪さ、感じたことのない感じ、コロナじゃなかったらなんなんだって感じだったから、ものすごく納得した。

 

一度は自宅療養のはずが、重症化の可能性があるってことで入院することになった。

最初は、病院の隣の人の気配とか少しの音が私はものすごいストレスに感じてしまうので入院嫌だな、コレぐらいの具合の悪さだったら家でもいいし…。と思ってた。

 

でも、姉から電話があり、優しく説得された。

「家族もみんな心配なんだよ。急に悪くなったら怖いよ。入院しよ?」

「うん、わかった」完全に家族のためだけに入院を決めた。

 

病院は暇だろうからと、単行本を五冊持っていった。

入院手続きやらなんやら紙に書いて、システムを教えてもらって、パジャマに着替えてすぐ点滴。私の腕、針刺さんなくて5〜6回はり刺すの失敗した。

でも怒りません、脂肪が多くて刺さらないんだろうと思ったから。

 

時間型立つごとに、私の具合が悪くなっていった。いつもは滅多に出ない熱がだんだん出てきた。頭痛もひどくなって横になったり起きたりを繰り返した。

 

途中からはもう起きてられなくてずっと横になってアイスノンを顔の上に置いて顔面冷やし続けた。

 

「身体大丈夫?」「何かあったら言ってね」たくさんのラインがいろんな人からずっと送られてきていた。朦朧とする意識の中、できる限り返信をしたのだが、もう、誰に何も送っているのかわからなくなってた。

 

そんな時先生が来て「カクテル療法しましょう」「そうすればすぐ良くなりますよ」

先生に言われ、「治るならなんでもいいです早くやってください…!」とお願いした。

 

熱と頭痛でしんどくて、何をやるのかもよくわからないまま承諾した。

カクテル療法ってのは点滴で薬を体に入れるみたいだった。

何度も点滴の液を変え、私は頭痛と熱でグラングランになってた。

どれぐらい唸ったか分からないけど多分二日後ぐらいに先生がやってきた。

「もう退院できますよ♪」

結局持っていった本は一冊も読めなかった。

 

雨の中、病院の玄関で保健所の車を待った。

ずーっと頭が痛かった。

 

運転席と後ろの席にぴったりした仕切りがある車に乗り込み、家まで送ってもらった。

あぁ。退院したんだ。。。

 

頭はずっと痛かった。薬を飲んでも寝ても起きてもマッサージしてもツボ押しても頭は痛かった。

 

そして二日後ぐらいの夜7時ごろ、薬を飲んだらフッと頭が軽くなった。

ついに頭痛が、止まったのだ。

 

そこからはとんとん拍子で体調が良くなっていった。

吐き気と食欲不振はあるけど、食べられないわけでもない。大丈夫。

熱は35,5まで下がった(平熱が低すぎる)

 

あとでいろんな人に聞くと、「頭痛」が症状に出る人も多いのだそうだ。

あの頭痛は寝ても起きても24時間痛かったから、かなり体力消耗したな。

もう二度と嫌。

 

まじで。

 

というのが最近の出来事です。

まだ自宅療養だけど、この調子で行けば元気になると思う。

 

早くちゃんよたと一緒に練習したい。

今度は絶対組もうね。

 

 

4年前の過ち

リストカット(腕を故意に切りつけること)やらオーヴァードーズ(薬物大量摂取)、ここには書けないいろんなこと、前回の入院でもう懲り懲りと思っていた。

 

だけどまたその衝動に駆られた事があった。

たった4年前のことだ。

とても悲しいことがあったのだ。

 

そうなったらもう私は止まらない。

大事に取っていた薬を集め、机の上に集め全てプチプチとシートから薬を出す。

入れ物に入れてザザザーっと口に入れ、その頃大好きで毎日飲んでいたカフェオレでそれを一気に胃に流す。

安堵する。なぜか。なぜか薬をたくさん飲むと安心する。

その後、だんだんと意識が遠のいていくのが楽でスゥーっとするからだ。

その後のことなんて考えてない。

その瞬間楽になれるなら、それしか考えてない。

 

覚えてないけど、また心配かけるなって思った。

記憶が消える前に、近所に住んでる妹に「薬飲んだ」ってラインしてたみたい。

助けて欲しいんじゃない。

ごめんねって気持ちがあったからだと思う。

 

気がついたら病院だったと思うが、前回と同様、薬でグラグラのまま家に帰らされた。

多分胃洗浄をして、でもそれ以上は何もしてくれない。

自殺未遂に医者は優しくない。前回も前々回もそうだった。

っていうか毎回そうだ。

そりゃそうだ。

本当に苦しんで助けを求めてくる人がいる病院で、私のような馬鹿を相手する暇などないのだ。きっと。

 

グラグラの頭で何がなんだかわからない状態で、私はずっとラインをしてた。

文字がなかなか打てず、ずっとラインと格闘してた。

だけどラインできる状態じゃなかった。

お母さんに、「今はやめておこうね」って優しく何度か言われた気がする。

 

なぜ薬を飲んだのか。

私は失恋をしたのだった。

それ如きのことで、もう生きていたくないって思って

薬を大量に飲んで、意識を飛ばしてしまいたかった。

その時は本当に強くそう思ったんだ。

 

だけどそんなことを認めてくれる人なんていない。

親に迷惑をかけ、姉妹に迷惑をかけ、お医者さんに迷惑をかけ、お金がかかり(親が負担)、いい歳して本当、やることじゃない。40歳を過ぎていたんじゃないかな。

自分で考えてもメンヘラ爆発だ。

 

だけどそんなこと、私がパニックになったら誰にも止められなくて。

家に一人でいるとずっと悲しいことばかり思い出され、いてもたってもいられなくなって、もう薬で意識飛ばす事しか考えられなくなるのだった。

 

病院から実家に行き、それからはずっと実家にいたけど、私の強い要望で自分の家に帰ることが出来た。

親たちは反対したけど、私は別れた彼氏が戻ってくるって信じてた。

家に送ってもらい、部屋の掃除しなさいねって言いながら母親が床の雑巾掛けをしてくれた。

なんかごめんね、と思いながら私は元彼氏にどうにか連絡をしようとラインと格闘してた。

 

気がついたら、元彼氏が家にいた。

どうやって入ってきたかとかは覚えてない。

 

「帰ってきてくれた」私は単純に嬉しかったの覚えてる。

心配かけたとか、胃洗浄したって脅してビビらせて戻ってこさせたとか

何も考えられなかった。

ただただ、元彼氏が戻ってきたことが嬉しかった。

これからもずっと一緒にいられるって思った。

 

元彼氏は、自分のせいで人が死んだりしたらたまらんと思ったのだろう。

今ならそう思える。

でも私はその時は何も考えられなかった。

 

ボーッとしたまま、彼氏と二人で話した。

何を話したかは覚えてない。

うんうん、と言いながら、言ってることは何もわからなかったが「戻ってきてくれて嬉しいなぁ」ってしか思ってなかった。

 

私の精神状態が普通に戻るまで、元彼氏は私の相手をしてくれた。何日だったか何週間だったか、まるで覚えてないけど、元彼氏は毎日家に帰ってきてくれた。

 

だいぶ私が落ち着いた頃、改めて彼氏に振られた。

理由はなんか、取ってつけたような理由だった。

 

だけど思う。

別れた途端に薬をいっぱい飲んで入院して胃洗浄する女なんて、誰にも優しくない。

自分の事しか考えてない。

そんな女と付き合いたい人なんていないと思う。

 

その時私は冷静に、「あ、もう無理なんだな」って思った。

「わかった」簡単に別れ話は成立した。

別れたからにはもうこの人に優しくしてあげることもない。

私は一緒に入っていたお風呂を無言でザバンと出て、服を着て髪の毛を乾かしていた。

 

追いかけて風呂から出てきた彼に「ねぇ、なんで冷たいの?」って言われたけど、

「なんで別れた人に優しくしなきゃいけないの?」って感じだった。

 

「荷物、明日までに全部持っていって。持てない分は明日郵送して」

事務的にそう言うと、なんと彼は突然泣き出した。

 

「なんでそんなに冷たいの」ウゥウゥと泣きながらそう言われた。

この人、自分から別れるって言ってるのに、人に嫌われたくないんだな、って思った。

 

なんか、しらけた。

別れてよかったって思った。

 

だけど私もついさっきまでこの人のこと好きだったから、「ごめんね」って優しくしてしまった。しょーーーーーもなっ!

共依存ってやつではないかと思う。

そして、どっちも自分勝手なんだよね。

「最後に写真とろ?」

「うんわかった」私はそう言って写真撮ったけど、すぐ捨てた。

そうやって優しくすることでこの人は私に嫌われたくないんだってことを私に植えつけようとしてるって思ったから。すぐ捨てた。

 

まぁ、それで別れたんだけど、彼が泣いてくれたおかげで、なんとなく私の気持ちは白けて、最後は結構すんなり別れることが出来た。

 

ちなみに泣くほど私に優しくして欲しかったはずの彼は、実際別れた後私からのラインに返信をくれなくなった。

なんなんだよチクショウ。気が済んだら終わりかよ。

 

今はその人のこと、なんとも思ってない。

なんとも思ってないって言うか、嫌いかもしれない。

優しいふりして自分勝手なとことか、(私もそうかもしれないけど)腹が立つことはあっても、また付き合いたいなとかいい人だったなとか、もう思わなくなった。

 

なのになぜあんなに執着してしまったかと言うと、彼に依存していたに他ならない。

 

浮気者の私が、一度も浮気せず付き合っていたことはすごいなって思う。

だけど彼は浮気してたことが後でわかった。

 

許さん。

 

それから結構立って、今思い出すこともあるのだが、彼の何が好きだったのか、一切わからなくなったよ。一体なんだったんだろう。

 

好かれてるってことが嬉しかっただけなのかもしれない。

でも浮気してたってことは、そんなことなかったかもしれないね。

 

バイバイ。簡単に人前であまり泣くなよ。男の子なんだから。

 

 

魚喃キリコ 未収録作品集

 

 

好きなマンガ家さん何人かいるが、これが発売されて小躍りした。布団の中で眠る前に少しずつ少しずつ読んだ。

たまらん。表現方法っていろいろあるんだなと思った。

マンガだから絵だけ、じゃなく、文字だけのコマが多いのも、特徴で、それらの文字が心にズシンときた。イラストのページはもうカンペキな線でしか描かれていない。それ以外の線がまるで見当たらない。

マンガの部分はもぉ、才能の無いわたしにはツラい程素晴らしい。

もう、この本は、才能のお祭りだ。わっしょいわっしょい。

もっともっとこの人の漫画が読みたい。

もっともっと私もマンガで人心を動かしたい。

ピピたん

フーゾクで働いてた時、「うらん組」というグループを作っていた。

当時、フーゾク店は、他のお店の女の子と仲良くしてはいけませんという風潮があり、他店のスタッフや女の子に会わないように、わざわざ通勤路を課していた店もあった中、わたしは様々な業種の女の子を集め、月に一度飲み会や遊園地の遠足や、行きやすい性病検査のできる病院一覧を載せた会報などを配る などと言った活動をしていた。

 

わたしは当時もうすでにイラストや文章の仕事もしていて、「うらん組」は、その連載ページにケータイ番号を載せるという乱暴な組員募集の仕方をしていた。

 

他のお店の人から取材拒否をたくさんされた。

女の子は、他のお店の情報を知ると、いかに安く働かされていたかと知り、女の子について行って、お店をやめてしまうのだ。

だからわたしはお店の人には当時嫌われていた。

 

うらん組の女の子にピピたんという女の子がいた。

老舗の店舗型ヘルスで働いていた女の子だった。

 

私たちは家が近いということもあり、他の組員よりも仲良く、よくうちに呼んで遊んでいた。

 

そしてその頃、私は、以前所属していた団体の社長と知り合うことになる。

社長は言った。

「プロレス観においでよ」

 

なんかやんかで私はピピたんを誘い(一人だと心細かった)

プロレス会場で売店係をすることになる。

そのうち、休憩時間にリングの上で新作Tシャツの紹介などをするようになった。

私たちのチーム名は「ノーブラー」。

その頃私は全然プロレスを追っておらず、なんとなくどこかの団体で「ノーフィアー」と言っている人がいたようないないような?というぐらいの知識で、ソレを文字って「ノーブラー」というチーム名を作った。

 

私はセックスをしないと人と喋れない病気(?)なので、リング上でマイクをもつことはなかった。

そこは呑気なピピたんにマイクを預け、私がTシャツを一枚一枚脱いで、ピピたんに紹介してもらう、って形で毎回売店で脱いだばかりのTシャツを売っていた(これは、ブルセラなのだろうか)

 

ピピたんはリングの上に立って言った。

「みなさ〜ん、元気ですかぁ〜!」

アントニオ猪木である。

客席がざわつく。ピピたんは何も知らないし気づかない。

隣で私は笑いを堪えるのに必死だった。

 

そのうち私たち、自分たちのTシャツを売ったり、二人お揃いの格好をしてリングに上がり続けた。

 

売店時は売店ガールをし、試合中は試合を見る。

試合を見ていると思い出す、15歳の時の記憶。

 

私、プロレスラーになりたかったなぁ。

 

そんなことを考えながら、売店ガールを続けていた。

 

ある時は京都まで自費で行き、インフォメーションコーナーをやらせてもらったこともある。いい思い出だ。

 

私たちは仲が良かった。

これからもずっとこうして売店ガールを続けようと思っていた。

 

が、お互い大声を出すような大喧嘩をしてしまい仲違いしてしまう。

 

ピピたんは当時、私がイラストが文章ではたらくことを羨ましいと思っており、私のようにライターになりたかったようだった。

そこで、私が紹介した(セフレの)ライターに仕事をもらって浮かれていた。

 

「今度、女の子の取材に行ったらその後3Pするの」

ピピたんは自慢げにそう言った。

「…3Pって仕事なの?」

「私とヤリたいって言ってたもん」

 

いや、そうじゃなくて。

3Pするためにライターみたいなことをさせてもらえるだけなんじゃないの?ナメられてない?っていうかライター、私のセフレなのに、紹介した女の子に手出してんじゃねぇぞ?ナメられてるのは私も一緒か。

 

結局その話で、私たちは仲違いした。

結局ピピたんが3Pしたのかどうかは知らない。

そのライターにも、ピピたんにも呆れた。

もう、どちらとも連絡を取るのをやめた。

 

そして私は一人になった。

ソレでも会場には出向き、売店係をし、試合中は試合を見てた。

そのうちマネージャーをやらないかという話になり、「昭和子」が誕生する。

その子と決別してて良かった。

 

結局、ピピたんは、すっぴんという雑誌だったと思うが、ソレのグラビアが原因で親バレしてしまい、表舞台には出なくなった。

噂では、上野のソープにいるらしいと聞いたが、それももう20年前の話。

 

ピピたん、元気かな。

って思うぐらいには、セフレの取り合いしたことがばかばかしくはなった。

 

私も大人になったと思う。

嘔吐

わたしは最近、毎日吐いている。

喉にすっぱいのが上がってきて、吐くのが分かる。

口に手を突っ込んで、吐く。

 

オウレェエエエエエエエ

 

気色悪い声を出し、胃の中の物を出す。

多分、逆流性食道炎だ。

 

最近分かったのだが、吐き気を催すのは、油だと思う。

アイスクリームも、クリーム系だと吐く。

牛乳も、吐く。

味の濃いものも吐く。

食べすぎると何もかも吐く。

 

吐いた後はスッキリする。

 

だけど、胃が空っぽになって、お腹が空く。

 

今まで、過食嘔吐になったことが何度もある。

初めては20歳の頃。

ソレからはちょくちょくなったり治ったりしてて

30歳の妊娠期間にも、過食嘔吐になった。

 

その度にお腹が張って相当しんどかった。

 

ソレがあるからか、私は吐きやすい体になってしまったのかもしれない。

きょうも吐いた。

明日も吐くだろう。

 

過食は治ったけど、嘔吐は止まらない。

 

今まで三度、胃カメラを飲んだことがある。

またそろそろその時期かもしれない。

 

お酒のせいかなとも思ってたけど、最近禁酒してても毎日吐くので関係ないのかもしれない。

 

吐きすぎて、慣れた。

 

こんなことに慣れたくない。

出会い系サイトで知り合った可愛い女の子の話。

今回の話、前もブログに書いたような気がするけど、ふと思い出し、また書きたくなったので書かせてくださいそして読んでください。

 

 

小さい頃から人と接するのが苦手だった。

友達がいなかったと言ったら嘘になるけど、沢山の友達がいたわけではない。どちらかと言うと、一人と仲良くなったらそれ以上に手が回らなくて常に二人でいることが多かった。

そしてそういう友達ともいつの間にか疎遠になっていく。

 

 

19歳の終わり、フーゾクの世界に足を踏み入れた。

男の人は優しかった。

可愛いね、天使だね、女神様だよ!みんなそう言ってくれた。

そしてお金をくれた。

 

私は自分の価値をお金で知ることが出来た。

今日の私は7万円。

昨日の私は8万円。

 

そうしているうちに男の子と話すことが苦手ではなくなった。

普通の人のように、男の子と喋れるようになった。

 

セックスという手段があれば、だけど。

 

22歳ぐらいの時、女の子ともそうして普通に喋れるようになりたいと思った。どうしたらいいんだろう。

 

私の出した答えは、今思うととんでもないことだった。

「そうか!女の子ともセックスすればいいんだ!」

 

ネットが好きな私は、女性同士の出会い系サイトを覗くようになった。

そこでいろいろわかった。

女の子を好きな女の子ってのは、攻めと受けがあること。

私は攻めだということ。

 

サイトは掲示板形式が多かった。

私は大人しい性格なのだといつも思っているのだけど、たまに突拍子ないことをする性質があった。

 

サイトに女の子募集の書き込みをした。

何を書いたかは覚えていないのだけど、確か「気持ちよくさせます!」と強気だった。今思うと恥ずかしい。死にたい。

 

数日したら、ある女の子からメールが届いた。

「会いませんか?食事からで」

 

舞い上がる私。

そして自分の写真を送った。彼女も写真を送ってくれた。

全然ちゃんと写ってない写真だったけど、逆にそれが私の想像力をかき立てた。

 

メールで会う日にちを決めて、その日を待った。

 

ちなみにその時私には彼氏がいた。

なんでもいうことを聞いてくれる優しい(というか気が弱い)彼氏。

私は彼氏に「今度出会い系で見つけた女の子と会う」と伝えた。

 

彼氏、怒るかなと思ったらこう言った。

「何それ!すごい!俺も見に行きたい!」

 

興奮する彼氏を黙らせ、私はその女の子に会いに行った。

 

年齢は19歳と言っていた。

22の私とちょうどいいんじゃない?そう思った。

 

初めて会ったのは、私の住む街のオムライスの店。(今はもうない)

店に入るとすぐに分かった。一人の小さな女の子が、ちょこんと椅子に座っていた。

(む、無茶苦茶かわいい、、、!!!!)

これは当たりだ。初っ端からこんなに可愛いこと知り合えるなんて、出会い系サイトすごすぎね!?

 

「こんにちわ」

「あ、ミィです。」

「うらんです」

 

最初こそドグマギしたが、出会い系サイトで出会い、「気持ちよくさせます」と言った割に、私たちはなんだか全然性的な話じゃない沢山の話をした。

奇跡的に私たちは話が合った。オムライスを食べながらいろんな話をした。大学辞めたい、そんな相談的な話もした。中卒の私には、学校なんて行かなくても楽しく生きれるよって軽く言った。彼女はうーんってやっぱり悩んでた。何か、助けになることできるのかな、ってもうすでに私はその子に気持ちが入っていた。

 

とにかくその子は可愛かった。

小さくて、目が大きくて、上目遣いでハキハキ喋り、たまにけらけらと笑う。まるでリスのようだった。そう、小動物のようだった。

 

私は彼女に夢中になった。

会話が途切れた時私は言った。「…どうする?」

どうする?とは、もちろん、セックスする?ってことなんだけど、彼女は「なんでもいいです!」目をキラキラさせてそう言った。

 

聞くと彼女は、ずっと女の子が好きで生きてきたようだった。

私なんて、女の子とするの初めてなのに、上から目線で「気持ちよくさせます」とかマジでどこ目線よって感じだったのだが、彼女は私が女の子初めてなことに気づいてなかった。

 

「…いこっか」

私は、近くの自分の家にその子を連れ込んだ。

彼女は慣れた感じで、自然にセックスの流れにもっていってくれた。

 

ちんこがまんこになっただけ。

私は自分を励まして、女の子をリードして生まれて初めての女性同士のセックスをした。

 

初めての割に、セックスはうまくいった。

それが終わり、お布団にくるまり二人でお話ししてる時彼女が言った。

「女の子。初めてじゃ、、、ないでしょ?」

上目遣いでそういう彼女に私は言った。

「うん、まぁね、、」

私はそう言ってはぐらかした。

 

まさに、童貞気分だった。

そして童貞を隠す男子の気持ちが分かった。

分かったと同時に「すまん」という気持ちも湧いたが、私はそのまま、経験ありまっせの態度を崩さない。こんなこと日常茶飯事。出会い系サイトよく使ってます。結果も出してます。気持ちよくも出来ます。童貞じゃありません。そんな気持ち。

 

もうほんとに恥ずかしい。死にたい2回目。

 

あまりにとんとん拍子でセックスができて、普通に女の子とおしゃべりが出来て、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

すると、彼女が言った。

「うらんさんと付き合いたい。彼女にしてほしい」

 

きたー!これが怖かった。

私は彼氏がいるのだ。まさか男と女の二股はこんないい子にできるわけがない。

「ごめんね、今彼氏いるんだ」

「そっか…」

 

「でもまたデートしよう」

「うん」

腕枕の中で目を瞑りながら、彼女はいった。

 

彼女を駅まで送り、振り返って手を振る彼女を見て、か、可愛い、、、どうしよう、、、もったいないことした、、、。

 

数日考えた。

優しい彼氏と魅力的なあの子。

 

私は決めた。

彼女と付き合おう。

 

その日、彼氏に別れ話をした。

ちょっと凹んでいたけど、彼氏はそれを了承してくれた。

 

よし、これからはあの子を大事に付き合ったいこう。

 

二週間ぐらい合っただろうか。

私たちはまた、彼氏と同棲してる私の家でセックスをした。

 

腕枕で彼女に言った。

「やっぱり、みぃちゃんと付き合いたい」

 

「うん」

それを期待していたし、そうなるに違いないと思っていた。

だって、二週間前、彼女はそう言ったんだもの。

 

だが、思っても見ない言葉が彼女の口から出た。

「いや…そういうんじゃなくてもいいんじゃないかなぁ〜?」

「え」

「うらんちゃんのことは好きだけど、付き合うとかは、う〜ん、別にいいんじゃないかな〜?」

 

軽い感じで、私はフラれた。

彼氏と別れてまで付き合おうと思ったその子に。

 

ショックだった。男も女も失った。

 

「どうして?」

どうしてもしつこくそう言ってしまった。

そして話を聞くと、もう彼女が出来てしまったんだと。

 

早い。

19歳の行動力、どうなってんだ。

 

どう考えても仕方がないので私ももう付き合うことは諦めた。

「でも、また会おうね(ヤロうね)!」

「うん!もちろん!」

それだけで少しショックが薄れた。

 

なんか知らないけど、結局元カレも彼女に会っている。ナゾなんだけど、3人で遊んだりごろ寝してうちに泊まったりもしてた。

 

 

 

彼女、それから20年たった今でも連絡をとっている。

今彼女は体外受精で子供を産み、母親として息子と暮らしている。

 

私たちはお互いの子供の写真を送り合って、「可愛いね」「大きくなったね」と言い合っている。

 

あの時付き合ってたらどうなっていたんだろう。

今でも思い出すし、思い出したらラインを送っている。

 

本当に可愛くて、リスみたいで、子供で、体がすべすべで、気持ちよかった。あ、気持ちよくさせてもらったのは、一切体を触られなかった私の方なのかもしれない。

 

出会い系一発目でそんな金星に会えたもんだから、その後の出会い系で知り合った子のことは好きになれなかったな。

 

とってもいい出会いをしたと思う。女の子の体は素晴らしかった。もうずーっとスリスリして居たいって思わせてくれたな。

 

流石にもうセックスはしないだろうけど、関係は一生続くと思う。

 

それでもいつかまた、襲ってみたいって、密かに思ってる。

 

チョコレートパフェ

昨日、マキちゃんについて書いたが、その頃ある事件があった。

学校の家庭科の時間に、各班がメニューを考えてみんなでおやつを食べるという授業があった。

私とマキちゃんは同じ班で、色々考えた結果、「チョコレートパフェ」を作ろう!ということになった。

そこでひとつ問題が出た。
「グラスどうする?」

普通のコップだと全くパフェ感が出ない。
私たちは、いつもマキちゃんのお金で食べていたあのチョコレートパフェを再現したいのだ。

みんなで話し合い、私たちはみんなでいつもの喫茶店に行った。

その中でも1番元気なミキちゃんがお店の人に声をかけた。

「私たちは○○小学の五年生です。今度、家庭科の授業でチョコレートパフェを作ります。グラスを貸してもらえませんか?」

みんなで考えた案だったが、ミキちゃんがそれを伝えた時はドキドキした。知らない大人の人にこんなお願いをして、果たして聞いてくれるのか。

お店の人は少し困った顔をして、「店長に聞いてくるね」と言って厨房に消えた。

しばらくすると、店長と思われるおじさんが出てきた。「君たち、どうしたの?」

ミキちゃんがまた、授業で使いたいのでグラスを貸してほしいという。

店長はしばらく考え、「分かった。いいよ!」と言ってくれた。
私たちは嬉しくてみんな笑顔になった。

その日、グラスを割れないように紙で包んで、数人に分けて六個ぐらいのグラスを持ち帰った。

私たちの班が1番スゴいものを作れるとみんな信じてた。そうなると、実際の家庭科の時間が楽しみになってくる。みんなで「言ってよかった!」「貸してくれて嬉しいね!」と言い合った。

さて、家庭科の授業当日。

私たちは誇らしげにカバンからパフェのグラスを出した。まさにパフェのグラス。私たちはみんなに注目されるに違いない!



「コラァ!」

家庭科の先生(男)が、突然大声を出した。

「おまえら、どこからこれ持ってきたんだ!」
グラスを指して大声を出す先生。

突然のことに驚いたが、ミキちゃんが、喫茶店にお願いしに行ったこと、快く貸してくれたことを先生に説明した。

「そんなことしたらダメだろう!」
先生がまた大声を出した。

「壊したらどうするんだ!返してこい!」

私たちはみんな黙ってしまった。
他の班の人もびっくりしてみんな黙っている。

ちゃんと手順は踏んだはずだった。
お店の人にお願いして、借りたこと、何も悪いはずがないと思っていた。

しかし先生の怒りは止まらない。
「なんで先生に一言言わないんだ!」
「返してこい!」
「先生も行くからな!」

私たちはしゅんとした。
結局私たちは、その授業で、何も作らなかった。

放課後、先生と一緒に喫茶店に謝りに行った。
店長が出てきて「全然問題ないですよ!いい子たちですし!信用して貸し出しましたから!」

先生は驚くほど腰を曲げて何度も何度も謝っていた。

私たちは、間違っていたのだろうか。
今でもそのことを思い出すと、疑問符が浮かぶ。

先生は何であんなに怒ったんだろう。
私たちがまだ子供だったからなのだろうか。

みんなしょんぼりして帰ったのを思い出す。

いまだにたまに思い出す話。
そして、ちゃんと説明してくれず怒るだけの先生を、イヤだなぁと思い出すたび毎回思う。

マキちゃん

私の出身は岩手県、久慈市だ。

小さい頃からホッケとサンマを食べ大きくなった。

久慈は漁港の盛んな海岸沿いの町だった。

 

小学校6年からは東京に来ていたので、今回話すマキちゃんのことは岩手に住んでた最後の年、5年生の時の話になります。

 

5年生の時、マキちゃんと仲良くなった。

背の順が同じぐらいで(高い方)話すようになり、気がつけば仲良くなっていた。

学校でもずっと一緒、帰ったら一緒に遊ぶ、家に帰れば長電話。

私たちはあの頃本当に一緒にいた。

まるで付き合ってるカップルのようだった。

 

5年生にもなると、女の子は第二次成長期に入る。

その中でも、マキちゃんはクラスの誰よりもおっぱいが大きかった。

 

休憩時間、女子たちが、冗談でマキちゃんのおっぱいをタッチする。

そうすると、他の子もどんどんマキちゃんのおっぱいをタッチしに寄ってくる。

マキちゃんは「もー!」と言いながらもいつも笑顔だった。

相手が女子だったからなんだろう。

 

私もマキちゃんが好きだったけど、どうしてもおっぱいを触れなかった。

なんでかその時はわからなかった。

 

マキちゃんはお金持ちで小学5年生なのに遊びに行く時はいつも1万円札を持ってくる。

聞くと、おばあちゃんのベッドの下に、一万円札がたくさん隠されているのを発見したようだった。おばぁちゃんはもうボケていて、1万円札が消えたことに気づかない。

 

私たちはマキちゃんを先頭に、街で唯一の喫茶店に行く。

そこでみんなで、チョコレートパフェを頼む。

チョコレートパフェは大きくて甘くて美味しかった。

でも高いので、マキちゃんが居ないとみんな食べることが出来ない。

みんな、マキちゃんを遊びに誘った理由の一つに、お金がある、って理由があったと思う。

私も、ノート買ってもらったり、鉛筆買ってもらったり、一緒にパフェを食べたりした。

 

マキちゃんは4年生の時、両親が離婚していた。

他の兄弟二人が母親についていくと言ったのを聞き、マキちゃんはお父さんと一緒に住むことを選んだ。

「お父さん一人でかわいそうだから」という理由で。

マキちゃんは優しいのだ。

 

マキちゃんのお父さんはヤンチャな人だった。

学校が終わり、マキちゃんの家の近くにある海沿いのお父さんの事務所に行くと、お父さんはすごく喜んで海に行く。

 

「取ってきたよ!」そう言って、ホヤを海水で洗いながらよく皮ごとくれた。

新鮮なホヤは甘くて美味しかった。

「お父さん、いい人なんだけどな。」マキちゃんが言う。

離婚の原因は、お父さんの方にあるようだった。

 

話は戻る。

マキちゃんとの楽しい時間は長く続かなかった。

それまでずっと私と遊んでいたのに、夏美ちゃんと言う子がマキちゃんと仲良くなり出したのだ。

 

授業と授業の間の休憩時間、夏美ちゃんはマキちゃんのおっぱいをタッチして遊ぶようになった。

マキちゃんは多分、寂しがり屋さんだった。

相手してもらうことが嬉しかったんだと思う。

だからおっぱいをタッチされて「もう〜!」って笑うだけだし、みんなで遊ぶときにはお金を持ってくる。

みんなに相手されるのが嬉しかったんだと思う。

 

そのうち、私の座には、夏美ちゃんがいるようになった。

私たちはもう、放課後遊ぶことも、パフェを食べに行くこともなくなった。

 

 

そうなのだ。私はマキちゃんのおっぱいを最後まで触ることが出来なかった。そうしているうちにマキちゃんを夏美ちゃんに奪われ、私は岩手から東京に引っ越すことになった。

 

あの時は分からなかったけど、私は多分、マキちゃんを女としてみていた。だから冗談でおっぱいを触ることが出来なかった。

 

そして、私は、マキちゃんが好きだった。

東京に来て、大人になって、いろいろわかった。

初めて好きになった女の子、マキちゃん。

数年後、風の噂で、マキちゃんは母親と暮らしていると聞いた。

やっぱりお父さんがいろんな意味でヤンチャだったらしい。

 

そして数年後、今度はマキちゃんが結婚して子供を産んだと聞いた。

 

そうだよね。

マキちゃんは普通に男の子が好きなんだよね。

 

少し寂しかった。

 

私もおっぱいぐらい触っておけばよかった。

少し後悔した。

 

あさこちゃん

中学の三年間、同じクラスだった子がいる。

あさこちゃんだ。

 

あさこちゃんはウッチャンナンチャンと日本テレビをこよなく愛するぽっちゃり女子だった。

わたしは引っ越しをしてから、毎日あさこちゃんと通学していた。

引っ越してから家が同じ方角だったからだ。

(引っ越す前はボスの家に近かったためボスと学校に行っていた

 引越ししたことでボスとの通学がなくなり本当に精神的に楽になった)

 

あさこちゃんと私には共通点があった。

スプラッタ漫画が好きなことだ。

二人はスプラッタマンガで有名な御茶漬海苔先生を崇拝していた。

そして私はその頃から漫画を書くことが好きだった。

 

あさこちゃんは漫画が書けるわけではないけど

私に漫画を描かせることが好きだった。

 

原作を作るわけでも、枠線を引くわけでも、トーンを貼るわけでもなく消しゴムもかけるわけでもなく、ただただ、あさこちゃんは私に漫画を描かせるのが好きだった。

 

学校から帰るとあさこちゃんの家に行く。

そして、漫画描いて!と言われる。

描くことは好きだったのでよーしと私は気合位を入れて漫画を書き出す。

疲れてきて休憩を取ろうとすると

「はいはい、描いて!」

とあさこちゃんが急かす。

 

そうか、編集者のような存在だったのかもしれない。

例えば漫画の中に一軒家の描写があったら、あさこちゃんは新聞に挟まってる広告で、一軒家のチラシを集め私に渡してくる。

それを見て私が漫画を描く。

 

そんな時。

あさこちゃんと私はスプラッタ漫画が好きすぎて、理科の授業で大変な失敗をしてしまったことがあった。

 

その日、授業ではカエルの解剖をしていた。

何人かのチームでカエルの解剖をする。私はラッキーなことにあさこちゃんと同じチームだった。

私たちは興奮した。

カエルの解剖なんてしたことがない。

けど、スプラッタ漫画やその類が大好きすぎて、私たちは授業が始まる前からかなり興奮していた。

 

麻酔で動かなくなったカエルをチームごとに配られた。

女の子はキャーキャー言いながら逃げ回っていた。

「はい、ちゃんとやりなさいー」

先生が何度も生徒に言っていた。

 

私たちはカエルを目の前にしてさらに興奮していた。

でも、他のチームのカエルの方が大きいね、ってちょっと悲しくあさこちゃんが言った。

 

あさこちゃんは優しい子だったので、カエルのお腹をさくのは私の役目にしてくれた。

 

カエルが寝ている。これが完全に生きている。

生きている状態で、腹を裂く。

興奮が興奮を呼び、お腹を開いた瞬間、なんと肺にまでハサミが刺さってしまった。

右側の肺が元気なく萎んだ。

ショックだった。

あさこちゃんも、私を責めなかったけど、少し残念そうにしていた。

 

ここに肺があります、これは胃ですね。先生がクラスを回りながら教えてくれる。

私は肺が潰れたショックを隠しつつ、先生の言うことを聞きながら解剖を続けた。

 

この子たちは、どうなるんだろう。

ふと思った。

 

麻酔を嗅がされ、眠っているうちにお腹を裂かれ

肺まで潰され、口からはだらしなく舌が出ている。

 

聞くと、他の学校は、フナの解剖をするところもあるらしい。

私たちはそれを聞いて、「やった!カエルの方がいい!生きてるって感じする!」

と喜んだ。

 

私たちは自分の手でお腹を裂き、ピンセットでお腹の中を摘んだりどかしたりしてカエルの体の中を堪能した。二人は、あまりの楽しさにそれはもうはしゃいだ。

 

そんな私たちを見て、男子が気持ち悪がりそうに遠目に見てた。

 

隣の席の男子チームのカエルは超デカかった。当たりカエルだ。

私たちは適当に解剖している隣のチームのカエルとこっちの小さいカエルを交換して欲しかった、けど、男の子と喋ったことがほぼない二人、結局なにも言えなかった。

 

カエルたち、これからどうなるんだろう。

ふと思った。

お腹を縫って生きていくんだろうか。

そんなわけはない。きっとビニール袋に詰めて燃えるゴミに出すのだ。

その事実に、私たちはさらに興奮した。

 

だけど私、右側の肺を潰してしまったショックが残っていた。

お腹切り裂いてるのに、左の肺が大きくなったり小さくなったりするのを見るのが楽しかった。

右側の肺には本当に申し訳ないことをした。

あさこちゃんにも同じことを思った。

 

「あいつら解剖とか平気なのかよ」

どこからか男子の声が聞こえる。

 

だけど私たちは気にしなかった。

そんな言葉より、何より、初めて見たカエルの中身。

肺があって、胃があって、腸があって、、、

麻酔でボーッとしてるカエルさんは半目だった。

ピンセットで舌を出して「てへ!」っていうカエルの顔を作った。

 

なんだかんだ中学校も卒業し私たちはなかなか時間も合わず、全然会わなくなった。

私はまだ漫画を書いてたけど、疲れて休憩に入ると、なかなか描くことに進まない。

 

こんな時あさこちゃんがいたら、、、、

よくそう思った。

 

あさこちゃんは、私の初めての編集者だったのだ。

疲れたらファイト!と励ましてくれて、使う資料はあさこちゃんがいつも用意してた。

 

私たちはそんなに頭は良くなかったけど、理科の生物だけはいつも100点満点を取っていた。

 

高校卒業。あさこちゃんと話機会があった。

多分、ふと思いついて電話したのだと思う。

 

「今何の仕事してるの?」

 「うん、マウスの実験とかしてる」

 

あさこちゃんは夢を叶えたのだった。動物の生態とか、やっぱりずっと好きだったんだ。

私はもう漫画を描かなくなっていた。

一人では休憩が多すぎて進まないからだ。

 

あさこちゃん、あの時はありがとう。

私にやる気を出させてくれて、オリジナルのスプラッタ漫画、よく描きましたね。

 

私は今でも、スプラッタものが好きです。

あさこちゃん、君もきっとそうだと信じたい。

 

私がまた引っ越したりなんかして、年賀状何年か届いてたけど、私が返信をしないもんだから、3年目ぐらいで年賀状も届かなくなった。

 

今だから、あさこちゃんに会いたい。

あさこちゃん、今でもスプラッタの巨匠、御茶漬海苔さんを覚えてますか?

マウスの実験はどうですか?

 

私、数年前の飲み会で、何と憧れの御茶漬海苔先生にお会いしたことがあった。

私は有名人とかに、「一緒に写真いいですか?」っていうのがあまり興味がなかったのだが、流石に先生を前にして、速攻で「写真お願いします!」と言ったこと覚えてる。

 

あさこちゃんが今もスプラッタが好きなら、先生と撮った写真見せたいな。

ねぇ、私のこと好き?

ねぇ、私のこと好き?

シングルベッドの、小さなお布団の中で肩を寄せ合いながら、私たちは愛を確認する。

好きだよ。いつも言ってるじゃん。

当たり前みたいな愛にトキメキはないけど、特別な安心感があるのはもう数ヶ月前から分かっていること。

どこが好きなの?私わからないの。

イジワルみたいにそんなこと言いだしたら、終わりは無くなる。

ねぇ。私のどこが好きなの?

私はいつもそう言う。私の何が好きなのって質問は女の暇つぶしみたいなもんだ。

全部好きだよ。顔も身体も何もかも。

女は少し考えて、やはりいつものように安心する。

私も好きだよ。

男には伝わらない長い時間かけて育んだ愛を女は告白する。毎晩、毎晩告白する。

わたし、本当にあなたが好きなの。

どれぐらい通じるんだろう。

何よりもずっと。

本当にあなたが好きなのよ。

あなたに通じるかはわからないけど。

 

そうなの、通じるかわからないの。

つまり、片思いかもね。

 

そう思いながら、それでもあなたへの愛情が

ただただ溢れて仕方ない。

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