『声』の残し方-いつかの、だれかに…

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『〈あいだ〉に生きる―ある沖縄女性をめぐる経験の歴史学』書評。

拙書『〈あいだ〉に生きる―ある沖縄女性をめぐる経験の歴史学』(大阪大学出版会、2019年)の書評が『沖縄タイムス』(5月25日付)に掲載されました。

 

『〈あいだ〉に生きる -ある沖縄女性をめぐる経験の歴史学』(大阪大学出版会、2018年)。

なにか真新しいことが言えたわけでもなく、大変心もとない内容ですが、宮城菊さんの証を聞いて考えたことを自分なりに書いてみました。

 

 

以下、目次です。

 

序章 軌跡を辿り、歴史を開く―経験の歴史学に向けて
第一節 問題意識―写真に刻まれた出会い
第二節 先行研究 
(1)移動―地域間関係の枠組み
(2)場―関係性としての地域
(3)経験―出会いのゆくえ
第三節 研究方法 
(1)「生存」の歴史学とエゴ・ドキュメント研究
(2)「経験を語る声」と「菊さんノート」
第四節 本書の構成 

第一章 沖縄から台湾へ―経験のゆくえと生存のかたち1
第一節 経験の束としての語り―西新町と社寮島 
第二節 西新町の暮らし、辻への身売り 
第三節 琉球舞踊と読み書き 
コラム①〈シジダカサン〉と〈呪いの金〉 

第二章 植民地台湾での暮らし―経験のゆくえと生存のかたち2 
第一節 日本軍と観光が同居する真砂町 
第二節 琉球舞踊と琉球人差別 
第三節 旅館女中という経験 
第四節 鄭用錫との出会い 
コラム②〈あほー〉の響き 

第三章 基隆「水産」地域の形成と発展―国際港湾都市・基隆としての面目 
第一節 国際部落としての「水産」地域 
第二節 衛生と都市の「体面」 
第三節 三沙湾漁港移転をめぐる言説―コレラ・美観・貧困 
第四節 「水産」地域の両義的側面―「基隆市営漁民住宅」設置の理由から 
第五節 内地と外地を繋ぐ「水産」地域 
第六節 国際港湾都市・基隆と「水産」地域 
コラム③国司浩助と戸畑港 

第四章 『無言の丘』の歴史叙述―経験・場・東アジア 
第一節 台湾ニューシネマと『無言の丘』 
第二節 『無言の丘』の登場人物―経験の未決定性 
第三節 呉念真にとっての「無縁」 
第四節 『無言の丘』が開く歴史―もう一つの「水産」地域として 
第五節 韓服女性と「無縁の墓」 
コラム④菊さんの歴史は、どこの歴史だろう? 

第五章 顕現する東アジア―経験のゆくえと生存のかたち3 
第一節 「鄭菊(정국)」 
第二節 「水産」地域の戦後空間 
(1)地区再編と政治的教化 
(2)密貿易と二・二八事件 
(3)〈死んだ琉球人〉 
第三節 出会いのゆくえ―戦後「水産」地域の帝国日本 
第四節 心の「不安」と琉球舞踊 
コラム⑤〈アチャアチャ〉のシメは水産餃子 

第六章 喜友名嗣正が見た沖縄/日本 
第一節 琉球独立運動と「琉球人民協会」 
第二節 琉球独立運動の特徴 
第三節 二つの変革論と棄民の強制
(1)「ニッポン変革論」と「沖縄変革論」 
(2) 「宮古島多良間出身の一青年」 
第四節 「琉球人民協会」の結成とその活動 
第五節 喜友名は「生活支援者」だったのか? 
(1)中華民国政府と琉僑の狭間で 
(2)琉僑とは誰か 
第六節 霧社を訪ねて―「空白」の意味 
コラム⑥二・二八事件訴訟と日本の戦争責任 

第七章 菊のキリスト教実践―経験のゆくえと生存のかたち4 
第一節 キリスト教との出会い 
第二節 「菊さんノート」の史料的性格 
第三節 戦後台湾での信仰 
(1)「ココロガオモタイ」 
(2)「ココロノオゴリ」 
第四節 沖縄での信仰
(1)過去・現在・未来の連環 
(2)「石嶺バプテスト教会」という場 
第五節 経験を「書く」「読む」「語る」「聞く」
コラム⑦キムチが繋いでくれた出会い 

終章 「菊」から「私たち」の物語へ
第一節 「水産」地域の現在 
第二節 「宮城菊姉を偲ぶ会」に参加して 
第三節 「生存」の同時代的企て

 

菊さんいわく、「主が、あんたと私と会わせてくれたのは、あんたが私の証を聞くため。神様が結んでくださった縁。【中略】あんたに何かしてほしい、神様はあなたにしてほしい物があると私は思う」。はて、神様がしてほしかったもの、ことは、本を出すことだったのかしら。

杉原達編著『戦後日本の〈帝国〉経験――断裂し重なり合う歴史と対峙する』(青弓社、2018年)。

帝国日本から戦後日本へ――。歴史教科書ではこのような近現代史の理解が一般的だが、現実に人々は〈帝国〉での経験をいや応なく引きずり、ときに〈帝国〉と対峙しながら「新しい戦後」を生き抜いてきた。

 

兵役を忌避した沖縄の人々、上海で慰安所に関与した日本人・朝鮮人、ブラジルで俳句に自らを表現した日系移民、沖縄でミシン業を営んだ女性やタイから日本に密航した労働者――。

人々の生活実態と、その背景にある軍事政策や社会的な制度の展開を多面的に掘り起こす。「個人と戦争との軋轢」や「人々の内にある帝国の痕跡」から現代史を逆照射する歴史への挑発。

 

 

“世界のどこかで私を待っている人”へ――「日本学叢書」刊行にあたって 川村邦光

まえがき 杉原 達

第1部 「内地」と「外地」のはざま

第1章 内地と外地の間で――戦前沖縄の軍事的特色 荒川章二
 1 日本(ルビ:ヤマト)の「国民軍」と沖縄
 2 日清戦争から徴兵制の施行へ
 3 日露戦争・戦後軍拡と本部(ルビ:もとぶ)事件
 4 本土との制度的一体化時期の沖縄在郷兵と勤務演習事件

第2章 漢詩人の越境と帝国への「協力」――籾山衣洲の台湾体験を例として 許時嘉  
 1 「無用」というレトリックの多義性と批判性――寺門静軒と成島柳北の場合
 2 籾山衣洲の無用論の射程――「台北夢華録」を例として
 3 「戯れ」の可能と限界――「台湾風俗詩」の「台北竹枝詞(ルビ:ちくしし)」を例として

第3章 上海に見る遊郭と慰安所の関係性 宋連玉
 1 東洋茶館と領事館の性管理政策
 2 日清戦争・日露戦争と料理店の発展
 3 上海事変以降の慰安所と性風俗業の変容

第2部 「帝国」と「戦後」のはざま

第4章 『琉僑管理案』に見る沖縄出身者の歴史経験――経験のゆくえと場の関係性を中心に 冨永悠介
 1 『琉僑管理案』について――史料の性格と「口述調書」
 2 「捕虜」的状況からの脱出――奥平春雄・吉川仁之助の密航
 3 「体験」の「経験」化――奥平春雄の植民地台湾
 4 「台湾省琉球人民協会」の設立と喜友名嗣正(ルビ:きゆなつぐまさ)
 5 追認型就労規則と琉球人民協会――奥平春雄と吉川仁之助のその後
 6 台湾省職業訓導総隊への収容

第5章 二つの「大広島」――「軍都」と「平和都市」の貫戦史 西井麻里奈
 1 帝国日本の「大広島」――「大広島の建設」から広島港の建設まで
 2 昭和産業博覧会にみる地域と軍隊――満洲事変前後
 3 広島工業港の構想と挫折
 4 復興のなかの「大広島」
 5 広島復興大博覧会と「大広島」――昭和産業博覧会の想起をめぐって

第6章 戦争への想いを抱えて――ブラジル日系社会と戦後 ソアレス・モッタ・フェリッペ・アウグスト
 1 正史からこぼれ落ちた経験
 2 移民短歌と戦争への想い

第3部 「戦後」と「日本」のはざま

第7章 ミシンと「復興」――戦後沖縄の女性たちの生活圏 謝花直美
 1 HBT(アメリカ軍戦闘服)を着た知事――女子労働によるミシン業の出発
 2 青空市場の既製服――女性たちの新天地市場形成
 3 救済のミシン
 4 ミシンとジェンダー

第8章 「働人(ルビ:はたらきど)」平井正治における歴史との向き合い方――労働運動と民衆史と 杉原 達
 1 労働運動と民衆史と
 2 フィールドワークという方法
 3 歴史を往還する

第9章 外国人として日本で働くということ 崔博憲
 1 在日――戦後日本の「埒外」
 2 帝国からグローバリゼーションへ?
 3 密航出稼ぎ外国人労働者の後景――『無言の帰郷』をしたあるタイ人
 4 合法的な外国人単純労働者――『RENNAI忍耐』する研修生・技能実習生
 5 外国人労働者とは誰か

雑誌『越境広場』刊行。

沖縄から雑誌が届いた。『越境広場』。創刊0号。2015年3月25日発行。



現在、ネット上で書誌情報が公開されていないため、目次を載せておきます。


越境広場刊行員会編『越境広場』創刊ゼロ号

創刊の辞 崎山多美 2

特集1〈沖縄&アジア〉交差する記憶と身体
□往復書簡 仲里効→孫歌 《ずれて》と《つなぐ》を巡って 仲里効 8
     孫歌→仲里効 琉球共和社会の住民として 孫歌 18
□論考
 丸川哲史 「済州島の歴史の旅—東アジア冷戦/平和の起点」 28
 佐藤 泉 「からゆきさんたちと安重根たち—森崎和江のアジア主義」 41
 呉世宗  「『在』を生きる—沖縄の朝鮮人に触れる」 52
 崔真碩  詩「サラム ひと」「ウシロカラササレルを超えて」 56
 冨永悠介 「映画『無言の丘』における歴史叙述—経験がひらく歴史と語られなかった経験』 66
 桜井大造 「テント芝居集団『台湾海筆子』報告」 80
 仲村渠政彦「〈記憶〉と〈場〉が喚起するもの—北九州と沖縄/高江と台北」 89

特集2 阿Qと琉Q
 中里友豪インタビュー(聞き手:西蔵盛史子)「『創造』の遍歴と『人類館』のカクメイ性』104
 金誾愛 「演劇集団『創造』ー創草期の活動について」 120
 北島角子「ウチナーグチ版・憲法九条」 128
 波平恒男インタビュー(聞き手:有銘祐理、與儀秀武)「近代を問う、歴史を再審する」 134

□状況への発言
 目取真俊 「沖縄県知事選雑感」 148
 與儀秀武 「沖縄を生きる批評」 153
□トピック
 李志遠 「川滿信一『沖縄発』韓国語版刊行にあたって」 161
□コラム「交差点」
 太田静男 「ハ病の旅」 166
 上原こずえ「生存の痕跡として戦後史を学ぶ」 171
 玉城江梨子「もう一つの沖縄戦」 173
 仲程香野 「台湾で沖縄を考えた」 176
 小田 剛 「我革命する、ゆえに我あり」 179
 新川裕子 「基地・労働・格差」 184
 有銘祐理 「越境広場に集う」 188
□文化レビュー
 映画・映像 名嘉山リサ「琉球列島米国民政府制作フィルムの現状について」 193
 美術・造形 町田恵美 「場所からみえること」 195
 舞台・芸能 真栄里泰球「組踊りへの多様なアプローチ」 197
□鏡と窓
 大嶺沙和 「極私的なメモ」 200
 我部 聖 「沖縄を拓く言葉」 203
□編集後記/奥付 208

お問い合わせは、ekkyohiroba@gmail.comまで。

台湾に生きた証 宮城菊さんの歩み。

宮城菊さんの歩みを沖縄タイムスに書きました。2014年4月15~16日の掲載です。



「反黒箱運動」の本質を見失わないために。

フェイスブックから転載します。

 台湾の立法院占拠は、今日で10日目を迎えた。今朝の毎日新聞によれば、「学生側は27日、協定撤回の意志を示していない政権の対応に「誠意がない」として議場の「無期限占拠」を宣言した。」とある。
 3月から新しい生活が始まり、新聞の切り抜き程度しか出来ていないが、日に日に小さくなっていく新聞記事とは裏腹に、台湾では抗議が続けられ、世界で活躍する台湾の人びとが台湾からの声に呼応している。
 私は、今回の立法院占拠の動きには、台湾と中国の両岸問題が抜き差しならぬ問題として存在していると考えている。違う言い方をすれば、両岸問題を差し引いて、立法院占拠や「サービス貿易協定」を考えることは出来ないと思っている。しかし、この両岸問題と、学生たちが何に対して怒り、そして、声をあげているのかは、また別の問題だとも思っている。
 学生たちの主張と運動の本質・核心部を見失ってはならない。そのために次の文章をシェアします。中国語・韓国語の翻訳有り。台中の東アジア歴史資源交流協会の古川ちかしさんの文章です。シェアして頂けると嬉しいです。

■■■
【請大力轉載及宣傳】
【拡散希望】
【확산을 희망합니다】
我住在台灣台中市,我姓古川。自從3月18日反服貿學運團體佔領立法院以來,我持續關心事件發生後的後續發展。佔領立法院之學生們所訴求、所主張的,從頭到尾都沒有變過。他們並不是信奉愛國主義論者,並非想要打擊中國政權。所謂的愛國主義論調從頭到尾都不是事實,也從來沒有存在於學生運動團體的核心主張之中。
  因為事件越演越烈,伴隨著各種團體加入支援活動,而這些團體當中,不乏有所謂的台灣獨立派,或是所謂的台灣愛國主義論者,而諸如日本或是美國等某些特定媒體,獨獨聚焦並且擴大解釋參與民主運動之某特定團體及個人的政治色彩,並且將此次學生運動貼上標籤,認為「太陽花學運」就是烏克蘭「克里米亞革命」的鬧劇翻版。這樣的解讀方式不僅與事實相反,還變成模糊學運所訴求的焦點,反而造成顧及某些特定人士或團體的利益的宣傳手法。
  此抗議活動在台灣稱之為「反黑箱服貿」運動。所謂的「反黑箱服貿」運動就是針對不經過人民的同意,甚至瞞著人民,私自與中國締結服務貿易協定,所有的決議只侷限在黑箱裡作業的意思。整個事件最大的問題在於國民黨在立法院占了大多數的席位,由這些人單方面審議,使得憲法中所提倡的三權分立制度完全失去其功能,立法院也失去了其獨立性。「海峽兩岸服務貿易」協議的通過完全是行政院在「黑箱」裡的作業,協議案的通過,完全沒考慮到對人民生活所產生的影響,也沒有針對服務貿易協議逐條審議,匆促闖關才導致佔領立院的事情發生。
  至今還未聽過因為開放市場就能夠為市井小民帶來幸福的正向例子。這是因為市場的開放會讓擁有競爭力的大企業持續肥大化,這會招來投機性資本家來投資,這樣的結果反而會帶來區域內龐大的差距。強勢的企業及投資客為了再增加許多投資誘因,也會強迫其他區域開放市場,然而,國家照理說要成為遏止此連鎖現象發生的防波堤,但是,現在國家卻跟著大企業一起起舞,使得國家這個最終防線也跟著淪陷。
  我們面對的敵人並非中國,因為實際上中國資本與台灣資本已經沒有明顯的區別了。而投機性資本也沒有所謂國籍之分,在韓國及日本,那些特權階級與常與政權掛勾,進而讓國家政府單位強勢開放市場。從這兩個國家的例子來看,根本看不出他們有肩負起擔任最後防線的責任;我想,這才是最大的問題。
在探討這個問題並且實際採取行動的過程中,跟自己的身分是不是台灣人、原住民或者日本人一點關係都沒有。就算是像我這種住在台灣的人,不論我的國籍屬不屬於台灣,我都不想看到我所居住的社會,被資本給吞蝕殆盡,因此我與那些勇於成為防波堤,保衛台灣免於落入極大差距的人相同立場,並且贊成他們正在努力做的事,甚至願意與他們成為同一陣線。

【拡散希望】
 台湾台中市在住の古川です。3月18日の立法院占拠以来、事態を見守っています。占拠した学生団体の主張は一貫していて、最初から今までぶれていません。彼らは愛国主義を掲げて中国を攻撃しているわけではありません。そのような主張は最初から今まで存在しません。
 事態が拡大するにつれて種々雑多な団体が応援にかけつけました。そうした団体や個人の中には、旧来のいわゆる台湾独立派もいるし、台湾愛国主義を掲げる人たちもたしかにいます。そこを取り上げて、この抗議運動そのものを「台湾が中国に乗っ取られるのを恐れるあまりの爆発的運動」とか「クリミアと同じ運命をたどるのを恐れたヒステリー的運動」という色付けをすること(日本や米国のメディア)は、事実に反しているだけでなく、運動を矮小化してある特定の人々の利益に奉仕するようなプロパガンダに見えます。
 この抗議活動を台湾では「反黒箱服貿」と呼びますが、その意味は「中が見えない黒い箱の中で権力たちが民衆に隠れてサービス協定をとり結んだことへの反対運動」という意味です。立法院で多数派を占める国民党によって一方的に審議が打ち切られ、憲法に謳われている三権分立が崩れ、立法院の独立性が失われたことが問題なのです。行政が勝手に「黒い箱の中で」作り上げた協定案を、人々の生活にどのような影響を与えるか、協定の項目ひとつずつについて選挙で選ばれた代表者たちによる審議を経ずして決定すること―それが問題なのです。
 急激な市場開放が市井の人々に幸福をもたらした例はありません。それは競争力のある大企業を肥大化し、投機的な資本を呼び込み、地域内では格差を増大させます。その肥大化した企業と投資家がさらなる餌食を求めて、さらなる市場開放を他地域に強いていく…そのような連鎖を食い止める防波堤としての役割を、本来は国家が持っていたはずです。しかし、国家中枢そのものが大企業と癒着した現在、防波堤はどんどん崩壊していっています。
 敵は中国なのではありません。実際、中国資本と台湾資本はすでに明瞭に区別できる状態にはありません。投機的な資本にも国籍はありません。韓国でも日本でも、特権層とむすびついた政権が無理やりに、なりふりかまわず市場開放を推し進めています。防波堤は機能していないように見えます。そのことが最大の問題なのです。
 この問題について語ったり行動するときに、台湾人であるか、原住民であるか、日本人であるかなど何の関係もありません。台湾に住んでいる私は国籍がどうあれ、私が住んでいる社会をぶったくり資本の食いものにされることを望みません。だから同じ主張をもって身体をはって防波堤の一部になろうとする人たちに賛同し、連帯します。

【확산을 희망합니다】
3월 18일 입법원 점거 이후 사태를 지켜보고 있습니다. 점거한 학생단체의 주장은 일관되어 있고 처음부터 지금까지 흔들리지 않았습니다. 그들은 애국주의를 내걸고 중국을 공격하고 있는 것이 아닙니다. 그러한 주장은 처음부터 지금까지 존재하지 않습니다.
사태가 확대되면서 실로 다양한 단체가 응원하러 몰려들었습니다. 그러한 단체나 개인 중에는 종래의 이른바 타이완 독립파도 있고 타이완 애국주의를 주장하는 사람들도 분명 있습니다. 거기에 주목하여 이 항의운동 자체를 "타이완이 중국에 먹히는 것을 두려워한 끝에 발생한 폭발적 운동"이라거나 "크리미아와 똑같은 운명을 걷는 것을 두려워한 히스테릭한 운동"이라는 색깔을 입히는 것(일본이나 미국 미디어)은 사실에 반할 뿐만 아니라, 운동을 왜소화된 어떤 특정한 사람들의 이익에 봉사하는 프로파간다로 보이게 합니다.
 이 항의활동을 타이완에서는 反黒箱服貿이라고 부르는데, 그 의미는 "안이 보이지 않는 검은 상자 안에서 권력자들이 민중들 몰래 서비스협정을 체결한 것에 대한 반대운동"이라는 의미입니다. 입법원에서 다수파를 점하는 국민당에 의해 일방적으로 심의가 중단되었고, 헌법에 명시되어 있는 삼권분립이 붕괴되어 입법원의 독립성이 상실된 것이 문제인 것입니다. 행정이 멋대로 "검은 상자 안에서" 만들어낸 협정안을, 사람들의 생활에 어떠한 영향을 미칠지, 협정의 조항 하나 하나에 대해 선거로 뽑힌 대표자들에 의한 심의를 거치지 않고 결정하는 바로 그것이 문제인 것입니다.
 급격한 시장개방이 일반 사람들에게 행복을 초래한 예는 없습니다. 그것은 경쟁력이 있는 대기업을 비대화시키고 투기적인 자본을 불러들여 지역내에서는 격차를 증대시킵니다. 그 비대화된 기업과 투기가가 더 많은 먹이감을 찾아 더많은 시장개방을 타지역에 강요하는, 그러한 연쇄를 막을 방파제로서의 역할을 본래라면 국가가 해야 할 것입니다. 그러나 국가 중추가 대기업과 유착된 지금, 방파제는 점점더 붕괴되어 가고 있습니다.
 적은 중국이 아닙니다. 실제로 중국자본과 타이완자본을 이미 명료하게 구별할 수 있는 상태가 아닙니다. 투기적인 자본에도 국적은 없습니다. 한국에서도 일본에서도 특권층과 결탁한 정권이 막무가내로 아무것도 개의치 않고 시장개방을 추진하고 있습니다. 방파제는 기능하지 않는 것 같습니다. 그것이 가장 큰 문제입니다.
 이 문제에 대해 언급하거나 행동할 때 타이완 사람인지, 원주민인지, 일본인인지 따위는 아무런 관계도 없습니다. 타이완에 사는 나는 국적이 어떻든 내가 사는 사회가 강탈 자본의 먹이감이 되는 것을 바라지 않습니다. 따라서 같은 주장을 하며 몸으로 막아 방파제의 일부가 되고자 하는 사람들에게 찬동하고 연대하고자 합니다.

「拔絲白果」。

今里新地にある「紫金城」。中国東北地方の料理を中心に、韓国のチャンポンやジャジャン麺が堪能できる。写真は昨日食べた「拔絲白果」。



「拔絲」は「あめ煮」のこと。だから「拔絲地瓜」は「大学イモ」。それなら、この「白果」とは何ぞやと辞書を引いてみると「銀杏」とある。しかし、昨日の「拔絲白果」は、溶いた卵を油で揚げて、それをあめで絡めたものだった。店長によると東北地方ではごく一般的な料理だとのこと。

「紫金城」で「拔絲白果」をメニューに加えたのは一年ほど前のこと。中国残留孤児だったおばあさんの「「拔絲白果」が食べたい」という要望に応えて、東北地方出身のおかみさんが作ったのが始まり。その誕生秘話に耳を傾けつつ、「拔絲白果」の素朴な味に思わず舌鼓を打った。

宮城菊さんを偲ぶ会。

10月27日、沖縄は首里石嶺の教会で「菊さんを偲ぶ会」が開かれた。教会の方に声を掛けて頂き参加することが出来た。そして、私の手元にあった菊さんの歯は、教会の方と相談して、菊さんが好きだった木の下に埋めることが出来た。

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                    (写真:Little P)

菊さんは1990年代の初めから約10年間、沖縄に滞在していた。菊さんは毎日のように石嶺の教会に通い、庭の手入れをしたり牧師さんの子どもの面倒を見ていた。

今年8月の下旬、すでに入院していた菊さん。食事中に抜け落ちた歯を私はテッシュにつつんで保管していた。打算的にそうしたわけではなく、そのままゴミ箱に捨てられるのがただただ耐えられなかった。歯のことを教会の方に相談したら、ぜひ教会の庭に・・・と言って頂けたことがありがたかった。

偲ぶ会の他にも、菊さん縁の地を訪問することが出来た。子ども頃芝居をこっそり覗きに行ったという大正劇場と9歳で売られた辻遊郭の跡地、90年代に菊さんが暮らしていたアパート。大変貴重な経験になった。

沖縄に行けたことでひとまず胸を撫で下ろしている。これで一段落か。いや、次のステップがまだ残されている。いまはこれに集中にしよう。

宮城菊さん、神様のもとへ。

Facebookに投稿した文章です。以下転載です。

※※※
2013年9月8日に宮城菊さんが亡くなった。台湾時間の19時49分だった。菊さんは1922年(戸籍では1924年)、沖縄県那覇市の生まれ。自らを〈琉球産〉と呼ぶ菊さんは1937年、日本統治下の台湾に渡る。そして、朝鮮半島出身の鄭用錫さんと出会い、結婚。日本敗戦後も台湾で生活を送ってきた。2013年8月17日、夕食の麺を買いに行く途中で転倒し、肋骨を骨折、左腕に七針縫う怪我をおった。病院で処置をしてもらった後、一旦は帰宅するが、その翌日に入院。それからちょうど三週間後に菊さんはこの世を去った。

病床に臥した菊さんが言葉を絞り出すように残してくれた言葉ある。〈平和を楽しむこと〉。時代の波に翻弄され、孤独と病に苦しみ、その歩みのなかで幾度となく繰り返してきた自己との対話。その末に辿り着いた菊さんの思いと願いがこの言葉には込められている。

9月10日に葬儀を終え、遺骨は基隆に納骨されました。私は未だに気持ちの整理が出来ていませんが、Facebookのお知り合いには菊さんと面識を持たれた方がいらっしゃると思います。遅くなりましたが、この場を借りてご報告致します。

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※※※

(1)今はあまり更新されないこのブログ。菊さんとのことを書いた記事が少しだけあります。

①2011年の夏に菊さんを訪ねた。かつて琉球人部落があった社寮島(現在和平島)を菊さんと訪ねたときの記録。(2011年9月6日「我所感覺到的《台灣》」

②菊さんを東海大学に招き講演会を行った(以下の2を参照)。その後「菊さんの《物語》を聞いて考えたこと」(於菊さん宅)と題し菊さんにお話を聞いてもらった。(2009年4月19日「神の御業」

(2)2008年、台湾東海大学に菊さんをお招きしたときの様子です。(阿川亭

(3)菊さんについて書かれた新聞や雑誌の記事を紹介します。

①謝花直美(文)、石川真生(写真)「台湾⑥ 宮城菊さん 日韓のはざまで」『沖縄タイムス』、1992年4月15日。

②「主は私を緑の牧場に伏させ」『百万人の福音』第610号、いのちのことば社、2001年9月。

③「証し」石嶺バプテスト教会『主の御手の中で―献堂30周年記念証し集』、2003年7月。

④宮城菊(監修)、冨永悠介(執筆)「菊さんの福音(Ⅰ)~(Ⅳ):落地生根・葉落帰根」『花火』、台湾東海大学日本語学文化学科花火社、第42-45号、2008-2009年。

⑤冨永悠介「宮城菊と鄭用錫の出会い—その経験のゆくえと基隆「水産」地域での暮らし」大阪大学文学研究科日本学講座『日本学報』33号、2014年3月、pp.7-30。(2014年3月17日追記)

⑥冨永悠介「台湾に生きた証 宮城菊さんの歩み(上)(下)」沖縄タイムス、2014年4月15~16日(2014年4月20日追記)

⑦冨永悠介『〈あいだ〉に生きるーある沖縄女性をめぐる経験の歴史学』(大阪大学出版会、2018年3月刊行予定)

⑧仲里効「声と傷を繋ぎ深層問う」『沖縄タイムス』2019年5月25日、書評『〈あいだ〉に生きる』。

岡村淳『忘れられない日本人移民』を読んだ。

岡村淳『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』(港の人、2013年)を読んだ感想をFacebookに書きました。それを転載します。

忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅/港の人

¥1,890
Amazon.co.jp

※※※

出版されたと聞いて、即購入、一気に読了。岡村節炸裂。笑いあり、涙あり。本当にいい本に出会えた。

本書には、岡村さんと縁のある六名の「日本人移民」が登場します。それぞれの方が歩んでこられた半生と共に、そこには岡村さんの半生も綴られています。

本書の副題は「ブラジルへ渡った記録映像作家の旅」です。そう、この本は、岡村さんの「旅」の記録でもあります。小説家の星野智幸さんが「七人の移民」という素晴らしい解説を寄せていますが、私は、この「七人目の移民」の生き方に引き込まれ、勇気付けられました。

「生きる、ということの根源にある叫び。言葉で表現しても、すべてをすくい取ることのできない何か。その言葉で表現しきれない何かがあるからこそ、私は記録映像、オーディオビジュアルという表現に賭けているのです。」(pp.108-109)

印象に残る一節です。そして、この言葉を一枚、二枚と剥いでいけば、そこには岡村さんがこれまで出会ってきた人びとがむくむくと顔をのぞかせ、岡村さんご自身の失敗や反省といった数々の経験が幾重にも折り畳まれている。自分を省み、その意味をご自身で突き詰め、辿り着いた岡村さんの生き方。それが、この一文からひしひしと伝わってきます。

岡村さんの本が我が家に届いたのは、4月がもう終わろうとしていた時でした。その頃の私は、一ヶ月後に控えた学会報告の準備に追われていました。報告をどのようにまとめるかに苦心していた時期です。しかし、本書を読み進めるうちに、その苦心は苦悩にかわっていきました。私は研究を通して何を伝えたいのか。何か大切な事を蔑ろにしてはいないだろうか、と。

学会報告は、充分に満足出来る内容ではありませんでした。ただ、自分の出発点と今一度向き合う機会になったと感じています。私にとって、岡村淳『忘れられない日本人移民』は、自分の今を照らし出してくれた一冊であったことを、書き留めておきたいと思います。
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