うろたんけのさみしい一人旅ブログ
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最後はやっぱり、どうもありがとう。


1月7日、16:00ごろ、香港航空にお世話になって日本に無事着地した。
久しぶりの日本。
10ヶ月ぶりの日本。

大好きな大好きな、
待ち望んだ、そう、我が祖国。
安心・安全・信頼・実績の、

ジャパーン!



飛行機が成田空港に降り立った時、ものすごい自然と笑顔になった。
ずっと頭に浮かんでたのは家族と友達のことだった。
今まで旅してきた国のことを思い出して懐かしくなるかな、と思ってたけど、やっぱり海外のどんな国の建物よりも、自分のどんな経験よりも、大好きな人達が頭に浮かんだ。

よし、みんなに会ってもらおう。
せっかく帰ってきたんだ。


できる限り遊ぼう。(←就活しろ)


そう誓って日本の地を踏んだ。





機内から降りて、僕の両の腕を上に名一杯伸ばして、

すーーーーーっ

と、思いっきり日本の空気を吸った。




かぐわしくてすっぱいニオイがした。




原因は僕の5日間くらいずっと着ていた服と腋だった。

僕は静かに涙を流した。







ウソです。(涙を流したとこだけ。すっぱいニオイがしたのは本当。すぐに着替えた。)


空港にはGLOBEの元副代表2人が来てくれた。
喜怒哀楽を共にした大学生活最高の友達。
そんで、僕の独断で焼肉に行ってきた。
そう、待ちに待った日本食ですよ~。

photo:01






そっから高校時代からの友人宅にあつかましくも転がり込ませていただいた。
ごめんね、ずっといて。
ほんで、ありがとう。


そこから、毎日遊んだ。

ずっとお世話になっていて、タイでもお世話になったboyさんに会うために代官山に行った。
でっかいTSUTAYAができてて驚いた。

お土産を渡して、代官山と渋谷をお散歩。

街行く人はみんなオシャレで。
恵まれた国だなー、って思った。
犬までキレイな服を着てた。
ステキで平和な国だ、僕らの祖国は。


でも、すごく人と人との距離が遠かった。
もちろん歩いてても声なんてかけられないし。
真冬の極寒の中を半ズボンで歩いてても、みんなスルー。
ちょっと寂しい。

そして、渋谷は、というか日本は、すごい空が遠かった。

photo:04






バカだなぁ、ヤマダは。
空までの距離なんてどこでも一緒じゃないか。
そんなに近くに行きたいならスカイツリーにでも登れよ。



なんて言われるかもしれないけれど。

やっぱり空が遠い。

自然のリズムもない。


どこでも、街のリズムってか、人の生きるリズムってか、自然のリズムみたいなものが感じられた。
僕はそのリズムに合わせて歩くのが好きだった。

でも。

日本にはそのリズムが無かった。
だからイヤホンを耳に突っ込んで無理矢理リズムを作った。

なんかちょっとセンチな気分になった。



うん、なんかかっこいいこと言いたかっただけです。




ユニクロにも松屋にも行った。
二郎にも王将にも行った。
海鮮丼も食べたし、餃子も食べた。
日本はどこでもなんでもキレイだ。
すげぇ。

憧れのずっと会いたかった先輩とコーヒーを飲みに行って、ありとあらゆるアドバイスをいただいたり。

仲良くさせていただいてるこれまた先輩とぜんざいを食べてだべったり。


他にも先輩、同期、後輩、色んな人に会ってもらって、すごい楽しかった。

やっぱし日本が好きだ。
というよりみんなが好きだ。




そういえば、旅に出る前まで3年間住んでた場所にも行ってきた。

くるみも、みくにも健在で嬉しくなった。

photo:08



photo:09



でも。



住んでた家にはもう誰かが住んでた。
これまたスーパー悲しかった。
思い出いっぱいの場所にはもう戻れない。




あ、深夜の江ノ島徘徊もしたなぁ。
ゼミにも顔をだした。
シンガポール料理にも連れてってもらったし、シーシャを吸いにも行った。

一分一秒を惜しんで遊んだ。

東京満喫。



そんで。




大阪の実家についについに戻ってきた。

photo:10




初公開。
このなんの変哲もないふつーのマンションが僕の大切な大切なお家です。

家に着いた時はみんな仕事に出てて、もう誰もいなかった。

そうか、僕が旅に出てる間もみんなはこうして働いてたんだなぁ。

とか、なんかちょっと申し訳ない気がした。
姉までももう社会人になってる。
恐ろしやおそろしや…。


ガチャと鍵を開けて、10ヶ月前と変わらない実家に入った。
リビングのテーブルにはオカンが書いた朝ごはんの指示メモが置いてあった。

photo:11



このメモを見て、日本に帰ってきた~、ってようやく実感した。

そんで。

わんわん泣いた。
(親には恥ずかしくて言ってない。)



誰もいなくてよかった。

別に誰から強要されたわけでもなく、自分で行くって決めて、心配する親を他所にバカやってたのに。
やっぱり不安もいっぱいあったし、気が張ってたし。
その、なんというかわからないけど。

気持ちの線がプツンと切れた。

だから涙が止まらなかった。

オカンの心配とかあったかい気持ちとかが、そのメモと大量のごはんの現れてる気がして。

とてつもなく感激した。

涙を流しながらそのメモの写真を撮って、ごはんを食べた。

すんげぇうまい。
とてつもなくうまい。

もちろん高級食材を使ってるわけでもなく、一流シェフが作ったわけでもない。
けど。

半端なく美味しかった。

何といってもメモの一番上の

『おかえり』

が何よりのコトバで何よりのオカズだった。

あぁ、僕は無事に帰ってきた!
(10ヶ月ごときで大袈裟です。)






そっから死んだように寝てて、起きたらオトンもオカンも帰ってきてた。

涙の再会!

ってわけでもなく、結構ドライな感じがヤマダ家らしくて嬉しかった。

おかえり~、
無事でよかったね~。

そのコトバが聞けてなにより。



まあ、そこからは友達に会ってもらったり、おじいちゃんおばあちゃんに会ったり。
何やら色々してた。
(詳細省略。決して書くのめんどくさくなったわけじゃないですよ。)




オカンともオトンともおねぇともいっぱい喋った。
コトバの端々から、本気で心配してくれてたんだなぁ、って感じ取れた。
まあ、アフリカとかで病気になったりしてたし。

そら心配するわなぁ…。

と、のんきに考えて、

ごめんねぇ…

って言ってた。

どんな気持ちだったんだろう。

子がやりたいことしてる。
でも、日本にいない。
ちょっとした危険もある。

僕からは

本当にありがとう。

と、

ごめんね。

しか言えなかった…




そんな感じ。
僕が帰国してからの毎日は。









さて。
これから何しようか。
どうやって生きてこうか。





会う人会う人みんなに言われた。

全然変わらないねぇ。


そう。
旅しても僕はあんまり変わらなかった。
変わったことと言えば、

髪の毛が伸びたことと、親のことを前よりももっと尊敬したことくらい。

あとはよくわからない。

でも、だからといってこの旅が無駄だったかといえば、絶対無駄じゃなかった、と胸を張って言える。
自信がある。

この旅は僕にしかできない旅だった。

行ってよかった。



うん、決して旅してたことはすごいことじゃない。
だから旅に出てたこと自体を自慢しまくるつまらない人間だけにはなりたくない。
でも、せっかく行ってきたんだからこれを生かしていきたい。

ステップアップ。

旅に出なかったら思いつかなかったことが今頭の中にたくさんある。
じゃあ、それをカタチにしていこう。

そして、絶対にこれだけは忘れちゃいけないこと。


僕が1人なら、絶対に旅できなかった。
色んな人に助けられた。
勇気をもらった。
影響をうけた。

素晴らしい人に囲まれて僕がいる。

それだけは絶対に忘れずに生きていく。
これだけは絶対。


みんなに感謝。

だから。

最後になりました。

旅を応援してくれた家族、友達。
旅の途中で出会った旅人さんたち。
変なブログだったけど、読んでくださっていたみなさま。


本当にありがとうございました。

これで僕の旅は一応おしまいに。

でも、またどっかに行くかも…?

と、いうことで、またどこかでお会いしましょう。



TwitterでもFacebookでも応援してくださって本当に本当にありがとう!

さて、

お家と仕事と探すぞ~!!









あ、僕はやっぱり変わったかも…?

photo:12



大学2年
緊張してんのか…?




photo:13



インドにて。
犯罪者か…?







photo:14



昨日。
髪の毛を切れ。







ほいじゃまた~\(^o^)/





iPhoneからの投稿

言いたいこと、わかります?


日本食が食べたい。
日本食って繊細でやっぱりうまい。
恋しい。

旅してもう10ヶ月くらいたった。
毎日3食しっかり食べる派の僕。
色んなところに行ったらなるべく日本では食べれないもの、現地の人たちが食べてるものを食べるようにしてた。
というより、そうすることが好きだった。

旅して色んなことに気づいたけど、

僕は食べることが好きだ。

ってことにも今更ながら気づいた。


あー、日本食が恋しい。
ラーメン。
焼肉。
お寿司。
カツ丼。
オカンのごはん…



どわー。







今日が旅の最後の日。
ここ香港には、たくさんの日本食レストランがある。

そいつらが僕を誘惑するのだ。

値段は安いとは言えないけれど。
僕のHPならぬKZ(口座残高)は限りなく0に近くて瀕死状態だけれど。






明日で終わりなら…

日本食、食ってしまおうか…。








いやいやいやいや、ちょっと待たれーい!










以下、脳内会議。


ヤマダA『長いこと我慢してきたし、最後の日の晩飯くらいいいんとちゃいますかー?』

ヤマダB『いやいや、ここまで我慢してきたんじゃないか。最後も香港ローカルフードで花道を飾ろうではないか!』

ヤマダA『そんなこと言っても香港のごはん、日本でたべれるようなもんばっかりやないですかー。』

ヤマダB『いや、そんなことはないぞ!香港には香港の味がある!それにやっぱり日本に着いてから食べる日本食が美味しいだろうよ!』

ヤマダA『いやー、香港で食べる日本食も美味しいですよー?どこで食べても日本食は日本食。食べましょーよー。』

ヤマダB『ぐ…。確かに美味しいかもしれない。たが、お金の問題があるじゃないか。僕らのサイフにはそんな余裕残されてないぞ。』

ヤマダA『ATMまで1分だよー?』

ヤマダB『そういう問題じゃない!日本に帰ってからもお金は必要だろう!節約するんだ!』

ヤマダA『日本に帰ったら家族もおばあちゃんもいるやないですかー。(←最低)』

ヤマダB『お前はなんてことを言うんだ!ダメだダメだ!』

ヤマダA『そんなこと言わんとー。』








会議は平行線を辿った。




そこに。

ヤマダC『妥協案を提案する!』



















photo:01




ぷっちょを買って食べました。

日本の味がしました。

美味しかったです。














旅の最後の日のブログは史上最高にくだらないものになりました。
なんかいいこと書こうと色々書いては、納得いかずに消し…
を繰り返して、めんどくさくなった次第です。

それでは今からぐっすり寝て、日本に帰ろうと思います。








さて、

僕がブログで言いたかったこと、わかりますか?

ぷっちょとかは本当はどうでもよかったことです。

そう、言いたかったことはただひとつです。



誰かー。
日本に帰ってから遊んでくれーい。




ブログでもFacebookでもTwitterでも、

7日に帰りますー!

と騒いだのにも関わらず、ほとんど反応無くてさみしいのです。




もう一回言うよ?





ヤマダABCみんな揃って帰りまーす。
成田空港に7日に着くんですー。




誰か帰ってから遊んでくれーい。






iPhoneからの投稿

ここ、最後の場所。


お見事、2012年を迎えることができました。
2011年、色んなところに出没して、

死ぬかもしんねぇ…

とかビビってましたが、しっかりと元気に、2011年開始時よりもおよそ5kgほども体重増やして突入です。(推定)


2012年はベトナム統一鉄道内、ホーチミンからハノイに向かう電車の中で迎えました。
出発したのは2011年12月31日23:00。
そこから寝台の上で横になってソリティアに没頭。
気付けば…

あ、2012年なったやん…。

ってな感じで2012年にこんにちは。
でも同じコンポーネントにいてる人はぐっすりおやすみ中。
爆睡。

年越しはカウントダウンとかしちゃうかなー♪♪

とかウキウキしてた自分がアホらしくなりました。
2012年だろうが年越しだろうがそんなもん関係ねぇ。

さ、歯磨いて、寝よ…。

と、2012年最初の行動は歯磨きに決定して、しっかりぐっすり眠った次第でございます。


起きた時にも相変わらず電車はゆっくりゴトゴト。
そして、起きて早々に僕の下で寝てたおっちゃんが車内販売のトウモロコシをおごってくれました。

わーい、大好物のトウモロコシー。

アフリカでトウモロコシを食べまくって、一緒に旅したキョロちゃんをドン引きさせた経験を持つ、トウモロコシフリークな僕。
アフリカの味気のないトウモロコシを美味しい、美味しい!と、みんなに勧めるも、苦笑いしか返ってこなかった思い出を脳裏に蘇らせながら、豪快にバクッ!

トウモロコシ評論家、ヤマダの採点。
どろどろどろどろ、だーん。


3点!(800000000点満点中)


みな、ベトナムのトウモロコシはやめておけ。
味が無いぞ。
かなりマズイ。

と、2012年最初の食事はゲロマズなトウモロコシでした。

そっ…

と、ビニール袋にトウモロコシを埋葬し、初食事終了。

キテルな、2012年も。
いいぞ、ヤマダ。


相変わらず不幸だ。




そんなこんなで文字通りの寝正月を送った2012年のお正月。
終始寝台で寝てました。
ポテチ食って(サツマイモとジャガイモの二種類制覇)、寝て、弁当食って、寝て、トランプして、寝て。

もう一度夜を越せばそこはハノイ。

よっしゃー!
着いたー!
ベトナム料理食い散らかしたるぞー!

と、意気込んでホテルにチェックイン。
シャワー浴びて、ひと休みして、朝ごはん食べて。
中国、南寧へのバスを確保して。

さぁ、ハノイの街を探索じゃー!

と、意気揚々とカバンを背負って気づく。



あ…




電車の中にカメラ忘れた…。




メモリーカード…。




巡礼、アフリカの写真…。





東南アジアのステキなステキな写真達…。






おわた…。











こんな不幸な僕ですが、なんとかかんとかそこから精神を持ち直し、香港までたどり着きました。
ここ香港が長かった旅の最後の場所。
中国のバスは快適で大好きです。


小籠包ー!

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どや。





そんなこんなで、2012年もどうかよろしくお願いいたします。

2012年の目標は、

働き先が高確率で潰れる(某ハンバーガーショップや某居酒屋)という不名誉な十字架を背負って生まれてきた僕を、寛大な心を持って雇ってくれる就職先を見つけること(できれば高給で週休2日以上がいい)。

と、

ベトナム統一鉄道内で日本の美味しいトウモロコシ(北海道産)を頬張ること。

にします。



どうかご協力、よろしくお願いいたします。





最後に。

カメラを取り返しに行った時の、ベトナム統一鉄道の対応の悪さにはイライラ、イライラさせられました。

カメラ、そんなもんなかっただと…?

こちとらどこに忘れてきたかまで覚えてんだよ。

清掃係りがどうせ取ったんだろうよ。

ああ、いいさ。

清掃係りの野郎どもよ。

そっちがその気なら。





日本の美味しいトウモロコシ、一粒だってやらんぞ。

欲しけりゃ、メモリーカードもってこい。








いや、土下座だってするしカメラはあげてもいいから。





メモリーカードだけ返してください。







みなさんは幸福なよいお年を。



暇なら7日、空港にお迎えきてね。



成田から日暮里までさみしく1人で電車乗りたくないんです。




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ついについに。


今年一年、よいこに過ごしてた僕にサンタクロースからプレゼントが。

そう、日本への航空券!



1月7日(土)16:50成田空港着。



香港から帰りまーす。

メモしといてね。

心配事は1月7日までに香港にたどり着けるか。

毎日移動し続けないとかな…。



色々あった旅もいよいよ大詰め。

お家に帰るまでが旅。

もう少し気をつけて旅しませう。

今からマレーシアいってきます。




バイバイ、インドネシア!


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デング熱クリスマス。



一大イベント、クリスマス。
キリストの聖誕祭、クリスマス。
恋人たちの大切な日、クリスマス。

今年もそんな日がやってまいりました。

僕は優しい家族に育てられたため、小さい頃の僕にとってのクリスマスは美味しいご飯とプレゼントがもらえた大好きな日。

今の僕にとってはそんなにいい思い出も思い入れもない普通の日。

そんなクリスマス。

去年の僕が何をしてたかというと…



そう!
インフルエンザで死んでました。

クソクラエ、クリスマス。

その時の素敵な気持ちは去年のブログに。




去年の経験から、クリスマスというよりキリストを憎みつつあった僕。
しかし、この旅で、イスラエルではエルサレムやベツレヘムといったキリスト生誕関連の聖地を訪れ、スペインではキリスト教の聖地巡礼を制覇しました。
時にはキリスト教会にお泊りさせて頂いたことも。

そう考えると、

なんだ、キリスト様もいいとこあるなぁ。

とかとか思ったり。



まあ、僕がキリスト様やクリスマスをどう思おうが世界でのクリスマスの位置づけが変わるわけではなく。
さらには、日本でのクリスマスが、恋人たちが幸せそうに暮らす恨めしい日であることにもこれっぽっちの変化をもたらせるわけではありません。

だから、関心ごとはただひとつ。

今年のクリスマスをいかに過ごすか。
どこで過ごすか。

これに尽きてたわけです。


出会った旅人達と必ずといっていいほど話題になったこの話。
クリスマス、どこで過ごす…?

誕生日、お正月と並んで、どこでどうやって過ごそうか悩んじゃう三大Dayのひとつ。
そう、クリスマス!



今年の誕生日は見事スペインの夜行バスで爆睡中に迎えることができたので、是非ともクリスマスも盛大に迎えたいものだなぁ…。

と思ってたどり着いた結論がこれ。


イスラムカントリーでクリスマス。
ジーザスなんてどうでもいい人たちとクリスマス。


どうです、寸分の狂いもないこの完璧なプラン。
これでクリスマスに一矢報いよう!
そう意気込んで楽しみにしてたのに。


クリスマスのおよそ4日前、まさかの発熱。
しかし、発熱に気づいたのは10時間移動のバスの中。
引き返すわけにもいかず、とりあえず目的地まで行く事に。
いやー、しんどかった。

そして着いた先はインドネシアが誇る火山、Mt.Bromo。

photo:01



まさかの気温10℃前後。
インドネシアのくせしてめっちゃ寒いやないかい…。
しかも僕は半袖半ズボン。

とにかく寒かった。
寒気が常に襲ってくるし、咳はひどいし、鼻水は垂れ流れるし、頭痛いし。
おまけに関節が痛む。

頭の中にふとよぎる4文字。

『マラリア…?』


それだけは勘弁しておくれ…。


と願いながらも、4:00起きで登山笑"

photo:02



キレイ。

photo:03



やけど、寒い。

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山頂は2℃くらいやったかな。

そんなこんなで体調だだ崩れ。
で、Mt.Bromoを脱出。

向かった先はバリ島、デンパサール。
そこに病院がある…。
クリスマスはバリ島わっしょい。
その前に治すのだ…。

と、またもや10時間強のバス移動。
しかも今回フェリー付き。
マジでもう嫌になってました。
けど、顔には出さないように。




なんとか23日に病院にたどり着き、保険を使って検査。

あの…
風邪だと思うんですけど、一応マラリアとかも怖いので…。

と伝えて採血。

結果、

マラリア…

photo:05



ネガティブ!



よしよし。


からの…

デング熱…

photo:06



ポジティブ!

イェー!











デング熱に感染してました。

5種類の薬服用。

photo:07



1日3ℓの水摂取。

安静。

そして、通院、採血。


おわた…。


クリスマスイブは病院で採血。



でも、意外と元気なんだよな。







いいぞ、インドネシア。
早めの脱出のつもりがまだいてるぞ、インドネシア。
好きだぞ、インドネシア。


そして最後に。


幸せに過ごしたいぞ、クリスマス。



photo:08













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哀愁のバンコク。


また来ちゃったよ。
気づけば降りたってたよ。

タイ。

バンコク。

この安定感。




なんか。

美味しいご飯食べて、たくさんの知り合いに再会して、お酒飲んで、買い物して。

ナイロビと違って夜も普通に歩けるから夜な夜なフラフラして。

楽しいって思う。





けど。

なんかすっきりしないんだな。






アフリカの質素な食事に慣れてたのに、いきなり香辛料の宝庫、タイ料理を食べまくったおかげでまた下痢。





お腹も心もすっきりしないんだな。





さて、5日間だけのタイ滞在もおしまい。
後悔はある。
できればもっと留まっていたい。
でも、次なる場所、インドネシアへ行ってきます。







ラフレシア、見れるかなぁ。





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すごいぞ、エミレーツ。


ケニアからバンコクへの道中、ドバイに寄り道。
なにかと世界一好きなドバイ。

しかし!

僕の心をとらえたのは、ドバイの何でもなく、ドバイが誇る航空会社エミレーツ!

エミレーツ!

すごいぞ、エミレーツ!

何がすごいかって?

まず機内食が美味しい。
普段飛行機はあまり使わないし、使っても機内食なんて出ない安いタイプのものが多いので、出るだけでもなんか感動。
そして、それが美味しいのですよ!
機内食が!
美味しい!
ビックリ!


でも、そんな機内食よりももっとすごいのは。

機内の暇つぶしパネルに日本語があること!

photo:01



どうです?
右端のカメラ目線、キレイなお姉さん…

じゃなくて、日本語。
感動しません?
英語、アラビア語、日本語ですよ。
時代の流れは日本に来てると確信。


さらに!

photo:02



音楽もありますよ。
ジャパニーズヒット。
ピンクレディーがジャケットです。

いかがですか、エミレーツ。

聞きましたよ。

ピンクレディーのペッパー警部。
邪魔をしないでーねー。

そして、ジュリーが勝手にしやがれ、

と歌えば、

吉田拓郎が結婚しようよ、

と歌い、

最後は百恵ねえさん、プレイバックを熱唱してましたよ。

アフリカ-ドバイ間の上空で。

さらには、

ドリカムが未来を予想し、
尾崎がきしむベットの上に乗り、
つんくさんがシングルベッドで震え、
全部小さなことさんが時は過ぎされば全て解決!

と、歌ってくれました。

歌詞が身に染みる。
心の底から思った。
今の僕の身に染みわたると。

あ、あとルクプルがいい味出してた。

あーなたー
あいしてくれーたー
すーべてー
つつんでくれーたー
まーるでー
ひだまりでーしーた~♪

涙が出そうになります。
いや、出ました。
理由は他にあります。
どうでもいい!

ちなみに90年代のヒットソングのジャケット。

photo:03



歌手ちゃうくない?


どうでもいい!


まあ、日本語の歌がいっぱい聞けて嬉しかった。
日本から離れるとやっぱり日本語が恋しくなる。

その点でエミレーツはやはり最強。

最後はやはり日本人として。


美空ひばり。

photo:04



外せないでしょう。
ウガンダでキョロくんも歌ってました。

川の流れのように。

いい歌です。
マジで好き。

生きることは旅すること
終わりのないこの道
愛する人そばに連れ
夢探しながら

雨に降られてぬかるんだ道でも
いつかはまた晴れる日が来るから

あーあー
川の流れのよーにー
おーだーやーかにー
この身をまかせていたい

あーあー
川の流れのよーにー♪


あーあー。

もうなにがなんだかなー!



さて、なぜこんなにくだらないブログを書いたか。
エミレーツを褒め称えたか。


スチュワーデスのお姉さんたちが激烈キレイだったからです。
笑顔が素敵過ぎました。
理由はそれ以外にありません。

機内食とか日本語とかどうでもいいわ!



photo:05



飛行機の外も激烈キレイ。(お姉さんの次。)





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アフリカの終わりははじまりでもある。




アフリカの大地を今日発ちます。
最後の2週間はキョロくんが一緒に旅をしてくれたおかげで、この旅始まって以来、未だかつてない笑いと楽しさの中で生活出来ました。

本当にありがとう。


photo:01




アフリカの最後はここ、ケニアのナイロビで迎えることに。
予定よりも一ヶ月早く、さらにはエチオピア行きも断念したけど、後悔はありません。
むしろ早くアフリカを抜け出したくて仕方ない…

ハズだったのに。

やっぱし、いざその場になってみると名残惜しいものがたくさんあります。

はじめてのアフリカ1人旅は壮絶でした。
サイフも小さいカバンもパクられる。
いまんとこ暴力事件系には巻き込まれてないけれど、バスを途中で無理矢理降ろされて路頭に迷ったり、麻薬取引の現場に連れて行かれたり。
ゲロったり下痢ったり。
発熱したり謎の病気にかかったり。
寄生虫に足に卵を産みつけられたり。
自分の頭の中で描く『貧困』がそのまま現実として存在してたり、信じられない事件、犯罪があったり。

これまでの旅と一味違ったアフリカ。

また来たい…
って心から言えるか、と言われるとちょっとつまるものがあるけれど。
まあ、またいつかこの大地を踏みしめることになるだろうと思っています。

ここは僕のこれからの生き方に大きな影響を与えてくれました。

なんで僕がアフリカのために何かしなくちゃいけないんだ。

そう思っていたけれど。
今でも少しはそう思っているけれど。

それでもいつかもう一度しっかりとアフリカと向き合いたいと思います。

なぜかって、やっぱり衝撃的なことが多かったから。



ナイロビの治安はかなりヤバイ。

乗合マタツに乗った日本人が5人ほどボコボコに殴られて重傷。
病院送り。

盗難の疑いで警官に問答無用に殺されたスラム街の人。
その反発暴動。

スラムの取りつぶし。
からくる貧困のさらなるしわ寄せ。

AIDSの蔓延。
教育の甘さ。
を露呈する、少女暴行。
『幼女とsexをすればエイズが治る』
そんなバカげたウワサで犯される子供たち。
直接は会っていないのだが、3歳くらいの幼女が犯され、まわされ、子宮を摘出しなければならなくなったらしい。

歩けば人にあたるダウンタウン。
いや、あたるんではなく当てられるダウンタウン。
肩を執拗にぶつけてくる輩。
明らかにスリを狙ってくる人々。

タクシー運ちゃんによる首絞め強盗。
窃盗。
レイプ。


まだ挙げて行こうか?



もういいね笑"



見た、聞いただけでもまだまだでてくる信じられない事件。

ここナイロビだけではないんだ。

タンザニアのダルエスサラームでも、ウガンダのカンパラでも。
ザンビアのルサカでも、マラウィのリロングウェーでだって色んな悪いウワサを耳にしました。

『アフリカ』って一括りにしていいものでもないし、それぞれ抱えてる問題は違うけれど。

やっぱりアフリカの治安はよくない。
アフリカの貧困は改善されない。



原因は何か。
誰のせいなのか。

そして。

僕に出来ることはあるのか。



いつも突きつけられた厳しい現実。

アフリカのこと、好きじゃない。

って言ってたのは逃げでもある気がしてます。
自分で立ち向かうにはあまりにも問題が多すぎて。
何ができるかわからないから。

アフリカの為だとか言えねぇよ。

なんて思ってたけど。



今まで何を学んできたんだよ。



ちっぽけな自分にもちっぽけなやれることがある。
自分が楽しむことで変わる現実もある。

それを学んだんだ。

だったら。

それをやるだけ。




ナイロビのゲストハウスで夜な夜なたくさんの人と話してて。

健太郎くんはどんな旅をしてたの?
これから何をして過ごしていくの?

この旅で何十回何百回って聞かれた質問。
9ヶ月前、

何もしてませんねぇ。
何ができますかねぇ。
何したらいいかわかんないんですよねー。

って笑ってごまかしてた質問。


その質問に対して、知らず知らずに自分のやりたいことをハッキリと口にしてる自分がいた。

自分が見てきたもの。
感じたこと。
知った現実。
調べた事実。

それを踏まえて。

僕はこう考える。
こう思う。


こう生きたいんです。


語る自分がいた。




これから会いたい人がいる。
やりたいこともある。
話したいこともたくさん。
聞きたいこともたくさん。

アフリカの終わりはまた新たな自分のはじまり。



僕は笑って過ごすよ。
楽しく人生送るよ。

家族も幸せにしたいな。
好きな人にも笑って欲しい。




そんでもって。





世界を変えたいんだ。





そのために。

歩き出すよ。
走るよ。
そんで、跳ぼう!

今日からまたはじまり。

ひとまず、バンコクへ帰ります。






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最後の自己満足


ブログの更新を怠りまくっていました。
またまたまたタンザニアにおります。

なんと!
高校時代からの友人、キョロこと渡部くんがウガンダに来てくれ、2週間アフリカを共に旅をすることに。
友人に恵まれている僕ですが、まさか日本から遠く離れたアフリカの地まで合流しに来てくれる友がいるとは…。
感謝感激雨嵐です。

というわけで、さみしい1人旅からウキウキワクワク2人旅になったためにブログの更新をほっぽり出してました。

あ、おそろのユニフォームを購入した僕と渡部くん。
もはやカップルです笑"

photo:01



友達サイコー!

そしてついにサファリ行ってきました。
キリンさんにライオンさんにゾウさん!

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さて、前回ブログを更新したのがルワンダ。
その後、ルワンダの虐殺博物館を見学し、虐殺が行われた当時にルワンダにいたというお方にお話を伺うことができました。
そのことをブログに書いておこうと思ったんですが、僕の貧相な語彙力ではうまく文章にならず何も伝わらないで終わりそうだったので、やめました。

お次に向かったのはウガンダ。
ウガンダではキョロと合流するまでNewtopiaという孤児院に一週間ほど滞在していました。
せっかくですので、そのことをちょびっと書いておこうと思います。
まあ、こちらのことも誰かに何かを伝えれるほどうまく文章に書けるわけではありませんが。


インドで出会ったジュン。
ザンビアで出会ったタクマとリョウタさんからその存在を教えてもらい、ウガンダ到着と同時にお世話になることにしました。
ウガンダの首都からバスで5時間ほど走った田舎町にある孤児院。
僕と同じ大阪府豊中市出身のおっさんが作った孤児院。
カマウと名乗るキクモトさんはかれこれ35年ほどアフリカに滞在し、ケニアやウガンダで孤児院、職業訓練所を営んできた方。
そんな方がウガンダにいるということで訪問。
なぜ30年以上も異国の地で他人のためにそこまで活動し続けれるのか。
単に子供が好きだからか。
使命感か。
偽善か。
僕にはその答えがわからなかったので、直接聞いてみようと。

NewtopiaについてはGoogleで検索してみてください。
ホームページやブログもあります。

この孤児院で僕が何をしてたか。
何もしてませんでした。
できませんでした。
子供達はたくましく自分たちの力を使いながら、助け合いながら生きている。
そのすがたを見て、自分のダラけっぷりや情けなさを痛感しただけです。

素晴らしくたくましく、生きる力に溢れた子供達。
僕は彼らに何も残せなかったけど、彼らとNewtopiaの生活は僕にたくさんのことを教えてくれました。
水の大切さ、ものの大切さ。
遊ぶこと、勉強の大切さ。
友達の大切さ。
愛するということ。

挙げていけばキリがありません。

そして、カマウさんが教えてくれたこと。

アフリカのこと。
支援とは何か。
挫折、葛藤、苦労。
悲しみと喜び。

なぜ異国の地で活動し続けるのか。
カマウさんなりの答え。

僕のこれからの人生の方向性。
他人から見た僕の姿。
自分に秘められた可能性。

こちらも挙げていけばキリがありません。

来年いっぱいで閉めることも考えているというNewtopia。
ここでツラツラかき並べるよりも。
ぜひ一度訪れてみてください。
1週間しかいなかった僕が言うのもなんですが、子供達、カマウさん、生活が教えてくれるもの、得るものは山のようにあると思います。



僕はこの孤児院に行って本当に良かったと思いました。
心の底からあそこの子供達とカマウさんに会えて良かったと思っています。

そして、このブログの題名を

『最後の自己満足』

としたのは、ここを訪れて、もうこういった孤児院やNPOを訪れることも、旅を続けることもやめようと思ったからです。

この旅で、様々な孤児院、ボランティア施設、NPOなどを訪れさせていただきました。
海外に腰を据えて何かの活動をする方、会社を営む方、JAICAの方、様々な人たちにお会いさせていただきました。
その度にいろんな物をいただきました。
カタチに残るものよりも心に残るものをいただきました。
それが、嬉しくて、楽しくて。
観光地で見る美しい自然、風景、景色と合わせて自分の心を満足させてくれるから旅を続けてきました。

それなのに。

旅が続くにつれて段々と自分の心を満足させることができなくなってきました。

自己満足ではじめたこの旅。
その自己満足を少しでも誰かの笑顔に繋げたいと粋がってみたこの旅。

旅をまがりなりにも続け、気付けば自分の心にウソをつきはじめているように思います。
どこへ行っても、何を見てもあまり感動しない。
自分の心はもう踊っていないのに、

ここへ行けば何かあるかも。
あそこへ行けばどうだろう。

と、あがいているだけで。
それは、自分の心を満足させる旅ではなく、他人に言いたい旅になりつつある証拠でした。

僕はこんなとこへ行った、あんな場所を訪れた。
こんな人に出会った、あんなことを体験した。

そう誰かに言いたいだけ。
自分の心はもういっぱいなのに。

もう少し色んなとこに行けるはず。
もう少し色んな人に出会えるはず。

そう欲を出して旅を続けてました。

そして、アフリカのNewtopiaでバッチリと悟りました。

これ以上旅を続けても、もう僕自身を満足させることができない。

僕自身すら満足させることができないなら、他人の楽しみや笑顔に繋げることなどもってのほか。

そういうことです。

人よりも頭も良くない、感受性もない、心の容量も少ない僕にとっては、9ヶ月という期間で見たもの、感じたものは多すぎます。
心からこぼれ落ちてしまいます。
世界は狭いようで、広いものでした。
ほんの数十カ国で僕の心は満杯になりました。

そして、Newtopiaで遊んだ子供達とカマウさんのおかげで、最後の最後に自分の心を大満足させることができました。
その満足が何かに繋がったかはわかりません。

それでも、

子供達が普段過ごすよりも少しでも笑顔が多くなるようにしよう。
カマウさんが普段過ごすよりも少しでも楽になるようにしよう。

こう心がけて過ごしました。

だから大満足。
自己満足。

もう心はいっぱい。
頭の中もぐちゃぐちゃ。
これ以上旅を続けても一緒。

もうあと3ヶ月旅を続ければ、1年間旅した!って言える。
南米に飛べば、世界一周してきた!って言える。

でも。

それをしても仕方ない。
自分が一番よくわかってる。
そうやって人に言うために旅をするなら、旅をやめたほうがマシ。

自分が旅に出た理由。
旅で何をしたかったのか。
この旅の先に何を見たかったのか。

原点に振り返って。



自己満足も旅ももうおしまいにしよう。



そう決意しました。

12月8日夜、アフリカから脱出します。
向かう先は、日本!





ではなく、バンコク笑"


原点を振り返ると、2年前、人生ではじめて一人旅をしたことを鮮明に思い出しました。

人生ではじめて1人旅をした場所、東南アジア。
こんな世界があるのかと驚いた、東南アジア。

あそこからはじまった、僕の海外自己満足旅。


あの時。

あぁ、あんなに心が踊ってたっけ。
あぁ、あんなに衝撃を受けたっけ。
あぁ、あんなにあそこの人たちが好きやったっけ。

思い出せば思い出すほどもう一度訪れたくなりました。


Newtopiaを最後の自己満足にしようかと思ったけど。

自分の原点を辿り、
もう一度自分の心と向き合い、
これからの道を歩もう。

あと1ヶ月、自分の小さな足あとをたどろう。

それを最後の自己満足にしよう。

そして、日本に帰ろう。


日本の地を踏むときに、

やりきった!
思い残すことはない!

そう歓喜するために。
原点の地を踏みしめてから。

日本へ帰ります。




日本への帰国は1月15日前後になるかと思ってます。

親愛なるみなさま!

山田が帰ります!

お赤飯のご用意を!



さらばアフリカ。

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iPhoneからの投稿

スラムで思う、I love 自分。



ルワンダに到着!

タンザニアからルワンダへ入国したんですが、入国審査で少しビックリ。
なんとルワンダ、ビニール袋の持ち込みが禁止されてるのです!
エコなのかなんなのか。
はじめて知った…。
てか、僕だけかもしれません。
他の人も絶対持ってたはずなのに、僕だけ凄い厳しく取り締まられました。
衣類を入れてる圧縮袋まで没収される始末。
おかげさまでバックパックの中身がごっちゃごちゃになりました。
まあ、もう何が起こっても動じなくなりましたね。
大人しくビニール袋というビニール袋を全て提出して、無事にルワンダ入りです。

気付けば24ヶ国目ですね、色んなとこに行きました。

ここルワンダは凄いキレイ。
今までのアフリカの国々とは大違い。
ゴミも全然落ちてないし、人も穏やか、車もキレイ。
ヨーロッパみたいです。

そんなルワンダ。
ほんの15年ほど前、100日間に80万人が殺されたというルワンダ。
日本でも「ルワンダの涙」「ホテルルワンダ」などの映画で有名です。

高校時代に観て、結構な衝撃を受けた「ホテルルワンダ」。

こんなことが10年くらい前に起きたのか!?
同じ地球上で!?

と、平和ボケしてる僕に世界の闇を少し感じさせてくれた映画でもあります。

その舞台となった場所にやってきました。

あまり観たいものでもないけれど。
虐殺の歴史も、現代の素晴らしい街も。
胸に刻みたいと思います。


さて、ルワンダは物価が高く、安宿もあまりない。
そんな数少ない安宿も軒並み満室で途方にくれていました。

アフリカ入って初の野宿か…?

なんて、思っていたところ、会社を営む社長さん(アフリカ人)に拾われました。
会社の仮眠室を貸していただけることに。
1日10$で、会社の仮眠室、トイレ、シャワー、使い放題。
なんと社員食堂の晩ご飯食べ放題付き。
しっかり10$取ってくるあたりが社長さんだなー、とか思いながらも、ルワンダにおいて晩ご飯食べ放題で1泊10$は最高!

人の優しさに触れた瞬間には、毎度毎度涙が出そうになる。
いつでもどこでも誰かが助けてくれてなんとかなるもんですね。
ルワンダでも生きていけそうです。



さてさて、今日は日曜日。
どこもかしこもお店はお休みなので、在タンザニア、ルワンダ大使館の人と仲良くなって、スラムみたいな場所を訪れたお話をブログに書いて、食べ放題を存分に楽しむ為に、近くの公園で子供たち相手にサッカーでもしてこようかと思います。

かかってこい、ガキンチョ。




タンザニア、ルワンダ大使館にて。
大使(と思われる人)と、ビザの即日発行の為の賄賂額を交渉してる内に仲良くなる。

タンザニアはどうだ?
楽しいか?

と、聞かれたので、


楽しいよ。
自然はキレイやし、人もフレンドリーやしねー。

って一応答えた。
そしたら…


それは本当のタンザニアの姿を見てないから言えることだ。
ビザが仕上がるまでの間、本当のタンザニアを俺が見せてやる!

とか言い出した。


どーゆーこと?

初めてのパターンで戸惑う。
大体いつも、


楽しいよ!

って答えると、


それはよかった!
特に好きな場所はどこだ…
日本と比べてどうだ…

みたいな流れになる。
どこの国でもそうだった。


え?え?

って戸惑ってるうちに、おそらく部下であろう人に僕のパスポートを預け、なにやら支持を出し、そして…


行くぞ!
カモン!

と車の鍵を持ってスタスタ出口の方へ歩き出した。


まあ、大使館で働く人やし、悪い人では無さそうか…。

と、ついていくことに。


TOYOTAだぜ。

と、ニンマリ笑う彼の横に座り、車に揺られること数十分。
彼にどこへ行くのか、とか色々聞いても、とにかく行けばわかるの一点張りで何も教えてくれなかった。
彼自身についても質問した。
ルワンダ大使館で働く人なのでルワンダの人かと思いきや、彼はタンザニア出身らしい。
まあ、なんかその辺の民族とか出身の関係はよくわからない。



タンザニアの首都、ダルエスサラーム近郊のスラムみたいな場所に着いた。
スラムみたいな場所、としたのは、僕自身スラムの定義がよくわからないことと、連れていかれた場所がどこなのかサッパリわからなかったからです。
(でも、以下「スラム」と書いちゃいます。)


ボロボロに傾いた家がいくつも立ち並び、ゴミの山があちらこちらに存在し、よれよれのTシャツを着て歩く人が目に付く。
頭の中で想像する貧困街にとことん近い、the 貧困。
そんな場所だった。
1人でいたなら、間違いなく追い剥ぎに遭いそうな空気感。
頭の中のアラームが鳴る。

ここには入るな。

と。
横に大使の人がいるけど…
それでもやっぱりあんまり歩きたくない。

車から降りた所から数十m離れたところでわらわらと人に囲まれる。

おーい、チャイナが来たぞー。

と、人が人を呼ぶ。
珍しいんだろう。
そりゃそうだ。
ここにふらりと立ち寄る観光客や外人は滅多にいないだろう。

へーい、チナー(China)。
カメラー。
マネー。

やいやいと僕らを囲み、わいわいと騒ぐ人たち。
悪気は無いんだろうけれども、しっかりとウザい。
大使はスラムの人たちと何か色々と喋りながら歩いてた。
英語でも、もちろん日本語でもないから何を言ってるのかはわからない。
その間もちょっかいを出され続ける僕。
ジェスチャーで金をねだられ続ける僕。
そもそもなんでこの場所に連れてこられたかもイマイチわかってなかったし、軽い感じで来たことを後悔。

こういう時に人を笑わせたり、こういう環境でも何か楽しみを見つけれたりできるといいんだろうけど。
僕はそういうのが苦手だ。
一回イラっとして、心を閉ざしてしまうと、もうダメ。
今こうやって後から振り返ると、もっとうまく彼らとコミュニケーションを取る手段があったのでは?と思うけれど。

あの時もダメだった。


もう帰ろう。

と、大使を急かす。

何か話しかけられたり、ちょっかいをかけられても、

ハハッ…

と乾いた愛想笑いが精一杯だった。



彼らにお金をあげて帰るか?

大使が聞いてきた。


いや、あげない。

僕が答える。


なんでだ?

大使が聞いてくる。


なんで?
なんで僕がお金をあげなきゃいけないんだ。
僕は別にお金持ちなわけじゃない。
ここに来たかったわけでもない。
それに1人にあげたらみんなにあげなくちゃならなくなる。
そんなお金ないよ。

イライラしながらつたない英語で伝える。


そうか。
じゃ、戻るか。


車へ戻って、帰ることになった。
車へ戻る途中もずーっとチナー、チナー、マネー、マネーと言われ続けながら。

あの場所にいたのは30分くらいだったと思う。


車の中で、聞かれた。

どうだった?
これがタンザニアの姿だ。

と。

キレイだったか?
楽しかったか?

と。


僕は正直に答えた。

いや、楽しくなかった。
キレイでもなかった。
もう行きたくない。

と。


帰り道の車の中で色んなことを話した。
でも、あんまり覚えてない。
言葉にするのは難しいけど、心がもやもやするというかイライラするというか、なんとも言い難い気持ちでいっぱいで、喋りながらも頭では他のことを考えてた。
だから、断片的にしか覚えてない。
とにかく、ダルエスサラームというタンザニアの首都の発展のための犠牲者、富裕層がさらに裕福になっていくために生じる犠牲者があそこに集まる、とかそういうような話だった。

すいません、曖昧な要約です。



大使が喋っているのに適当に相槌を打ちながら、

あぁ、やっぱりな。
僕の気持ちはこれだな。

と思った。

そう、さっきも書いた通り。


『なんで僕がお金をあげなきゃいけないんだ。』


これなんだ。
僕の心の奥底にはこの気持ちがある。

やっぱり僕はタンザニアの人たちがあんまり好きじゃない。
なぜ、好きでもない人たちのためにお金をあげなくちゃいけないんだ。
と思ってしまう。



僕はいい人でもないし、優しくもない。
他人のことを考えるふりならできるし、人に優しいふりもできる。

でも、

本当の自分は、心の奥底にある気持ちは、醜くて自己中だ。

わけもわからず軽い気持ちで行ったスラムで、見知らぬ人にお金をあげたとして。

僕に何が残る、僕に何をもたらす、僕は何を得る。

僕に僕に僕にとって。

いつもここに落ち着く。

僕に何も残らないならやる必要なんてない。

そう考えてる。


自分の行動が少しでも誰かの為になればいい。
そう思う。
その気持ちに嘘はないけれど。

でも。

自分の為に。
自分に還ってくる。

この大前提が成り立たなかった時、僕は何もしない。


今回、スラムを訪れた時にありありと自分の本心が出た。

自分の為に。

揺るぎない信念のように。




僕らはあのスラムの人たちと全く無関係か。
アフリカの貧困と全く無関係か。

どうやらそうではないらしい。

僕らの豊かな生活の代償や先進国の搾取の対象が、ここアフリカの貧困に繋がっていることもある。
そう学んだ。

それでも。

僕は僕自身のために。
僕の好きな人たちのために。

貧しいスラムに住む彼らのためにとか、タンザニアの為にとか。
そんな風にはやっぱり思えない。



日本のような裕福な国が、タンザニアを救うべきだ。
俺らを助けてくれ。
ケンもタンザニアでボランティアとかしてくれよ。

大使が言った。




そう言われて、

それをやるべきはあんたら自身だろう。
手助けが必要かもしれない。
でも。
大使もそうだが、タンザニアにも金持ちはたくさんいるのだ。
この国を変えるのはこの国の、ここの人たち自身の役目でもある。


と、僕は思った。

要するに、



知るかよ。
なんで僕がやらなくちゃいけないんだ。



ってことだ。




世界を旅して、ここアフリカで貧困に直面したら、

何かしなくちゃ!
僕が世界を変えるんだ!

そんな風に思うかな、なんて考えてた。

そんなもん全部幻想で、憧れる人たちの真似事だ。
僕はそんな人間じゃなかった。


衝撃でした。
直視できませんでした。
何かしなくちゃいけないと思いました。

って言うのは簡単にできるよ。
そういう風に書こうと思えばこのブログにも書ける。

でも、

つまるとこ、

僕は僕自身のために。

そう考えただけ。
ちっぽけな自分がいて、醜い心があっただけ。


幻想を抱いてた自分が現実に出会った。

演技をする必要もない。

声高らかに言おう。


僕はタンザニアが好きじゃない。
だから、別に何をしようとも思わなかった。



そう思ったのに。

今思い返して、こうしてブログに書いて、妙に心がざわつくのは、きっとルワンダで優しさに救われたから。

わかってる。
優しい心ってのは人を救うんだ。

それが無償の愛でなくてもね。









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