お久しぶりのブログ更新となりました。

そして、突然のお知らせではございますがわたくし、2013年1月20日をもって、関ケ原ウォーランド 館長としての任務を終了させて頂くこととなりました。

分からないことばかり、はじめてが盛りだくさんの日々の中、たくさんの笑顔にこの地でお会いできたこと、かけがえのない宝物です。
資料館やウォーランド内で講話をしたり、展示パネルを作ったり、どうぶつ武将たち産み出したり。関ケ原の陣跡を、数十名の方を先導しつつ200分以上かけて巡ったこともよき思い出。
とてもたのしい、他の地では経験できぬ充実した日々でした!

もう「館長ー!」とwebでも現実でも呼ばれなくなるのだなあと思うと、
漠然としたさみしさがありますが、後悔はきらいなので、いたしません
これは自ら決めた決断。
先人達への畏敬の念も、関ケ原の地を大切に思っていくことも、私の中では変わらないのですから。
前を見据えて、一歩一歩己の道を邁進してゆく所存です。

なお、twitterとブログは更新を終了いたしますが、関ケ原ウォーランドはこれからも通常営業ですので
、これからも末永く愛していただけるとうれしいです。

関ケ原合戦に臨んだ数多の武将に。
当館を創るにあたり尽力された浅野祥雲氏、関ケ原町の方々、当社初代会長谷口玉泉氏に。
縁者でもない、ただただ歴史がすきだっただけのわたくしを、館長に抜擢する決断をして下さった経営陣の方々、協力して下さったスタッフの皆に。
そして関ケ原の地で、webで、わたくしとつながってくださったたくさんの皆さまに、最大級の感謝をこめて。

ほんとうに、ありがとうございました!

2013年1月6日 伊藤

寝るまでがにちようび!!
今朝は両足を攣りながら目が覚めました、わたくしにございます。

書こうと思っていたことがたくさんあったのに、「これ!」という1つがないのはないのと同じでしょうか(´ `;)

関ケ原の星空に尾の長い流れ星を見た
夏の夜の関ケ原では鹿の行軍に注意するべし
東京ではむしろ緑のにおいを濃く感じる
関ケ原は冬の豪雪具合に比例して夏も暑い
わたくしのハンドル捌きは男らしい

などなど。
いろいろ思ったことはあったのですが、せっかくなので全然関係ない話を書きまするー!


数年前、ぼいすとれーにんぐなるものに通っていました。
通い始めた理由は「バンドのボーカルをしている友人と2人でカラオケに行くと
自分だけ声が枯れるのがくやしくて」という単純なものでした。
もともと歌が好きだったことももちろんあるのですが。

通っていた教室は一対一でみっちりと教えてくれるところで、私の先生は同じくらいの年ながら10数人のオーケストラをバックにブルーノートでライブをするような方!
先生の声はシフォンのように軽いかと思えば、ベルベットのようにしっとりとなめらかで、
色もかたちもやわらかさもたくさんの表情を持っていました。

わたくし今も、なのですが、歌うときの基本といわれたハミングがうまくできません。


(´ゝ`)  はい、ン~♪
(´ `)
    ンンーー!!
(´ゝ`)  やり直し、ン~♪
(´ `)    ンフーー!!!
(´ゝ`)  できてない、ン~♪
(´ `)   
(´ゝ`)   ン~♪?
(;´ `)    ンン…


練習しても、できない自分がくやしくて、べそをかいたこともありました。
頭でわかっていても、むずかしいことはたくさんある。
すきなことを自分の望んで始めたのに、つらくてくやしくてできなくて、自分に腹が立って、でも自分で乗り越えるしかなく。
気負いすぎて何もかも噛みあわず、歌が嫌になりそうなときもあったのです。

そんなとき先生が教えてくれたのは「歌にいちばん必要なのは、伝えようとしてうたう事」でした。
リズム、コード、歌詞、テンポ、メロディ、楽器。
曲にまつわるすべてはその世界を表すためにあって、それらを理解し聴き手に届けることが歌う者の一番にすべきこと。
そう言われて、なんだかいろいろなものが吹っ切れて、自分なりの形でもいいんだ、と思えるようになりました。

かたちあるものにふれて、知って、誰かに伝えるというのは、人生の中でも結構回数の多い出来事。
今わたくしめがさせて頂いている歴史講話にも通ずるものがあります。
うまく言おうとしすぎると、逆にからまわり。
それよりも自分が伝えたいこと、先人の思いを理解しようとし続ける姿勢が何より必要なのでは、そう思えるのです。

関ケ原に引っ越して辞めてしまったのですが、月謝に対して余りあるすてきな価値観を
1年半の短い間に授けてもらえたと、こころより感じておりまする。



おいおい日本史の話しろよ、とお思いの方がいらしたら申し訳ない!!
今日はわたくしめの自分史でした!!!!!!ご容赦くだされっ!!!

写真だけでも歴史に触れておきまする
(´ `;)


新選組のふるさと歴史館さんにて撮って頂きましたー!
等身大の土方どのは胴が短くていらっしゃるうえ、現代にも通用しそうな男前でござる…。
twitterでも書きましたが、撮影してくださった館長どの、ほんとうに気さくな方なのです(´ `)
この写真も「じゃあ次は…右手、肩に乗せていこう!」とのご提案により実現!こうして画像として見ると殊更、なんとも恐れ多く存じまする!


そんなあぐれっしぶ館長どのがいらっしゃるこちら、入館料はなんと200円!徒歩15分
日野宿本陣との2館共通券はなななんと300円!!!
日野の幕末史跡めぐりは、戦国時代より時代が近いだけあって、またいつもと違った観光ができました。楽しゅうございました\(´ `)ノ

明日もある地へひかりを観にゆく予定にございますれば、また追って皆さまにお届けいたす所存っ!
それではおやすみなさいませー!


名古屋に住んでいて、まだ関ケ原が『行く場所』だった頃。
観光、と手書きしようとした際に「観光?観行?どっちやったかなー」と不安になり
辞書を引いたところ、こう書いてありました。



『観光(かんこう) : その地域の光を観ること』



これを読んだ瞬間「わああああああああああすてき!!!!!」と脳内でいろいろとあふれ出ました。

光を!建物などでなく!その土地に射す光を!!!観る!!!!わああ!!!!

前職の勤務中拘らず、ひとり大興奮したのを覚えておりまする。
同じ場所でも、空模様や吹く風の強さ、何もかもその時だけのもの。
山肌、建造物、生きもの、受けた光を跳ね返すものも
速度に違いはあれど常に変わり続けている。

そう思うと、目の前の光景がいとおしく、大切に思えてくるのです。
たくさんの場所へも訪れたいけれど、お気に入りの地の光は何度でも目にしたい…迷うところですな。


5月には東京へ行きましたが、夏前には三重・和歌山の熊野三山を再訪したい所存!
関ケ原とはまた違う、山と、海と、大自然を感じるとてもすてきな場所なのです!海のごちそうもとっても美味ですし!!

どうぞ皆さまも、いろいろな地に射す光をご覧になってくださいませ(´ `)
そして一押しの地がございましたら、教えて頂けると嬉しゅうございまするー!


皆さまは昨日ご覧になられましたか?金環日食!!!
関ケ原は雲もほとんどなくきれいに見られました(´ `)

天文学には疎いのですが、空を見るのはだいすきにございます。
気に入りは関ケ原の夜空!
空中に星がたくさんで、落ち着くというか、ときめくというか。
まだ未見の方にはぜひぜひおすすめの、関ケ原の見所ですぞっ!

関ケ原町がその昔、中山道の58番目の宿場町『関ケ原宿』だったことは皆さまご存知ですかな?
その関ケ原宿、実は美濃の中で第1位の規模を誇る大きな宿場町だったのです!

というのも、連なる養老山脈に南を、美濃と近江にまたがる伊吹山に北を挟まれた高地に位置する関ケ原は、西へ往くにも東へ抜けるも坂ばかり。
関ケ原の中心地は海抜130m、徒歩で行き交う当時の人々は山道に疲れた体を関ケ原宿で癒したとの事。

(黒田長政・竹中重門陣跡 丸山より南西の松尾山を臨む)


今でも観光に来られて「関ケ原は坂がキツいー!」と仰る方が多いのですが、それは今も昔も変わらぬのです。
ちなみに現在の国道21号線(JR関ケ原駅の南を東西に走る道)が中山道にございます。


現在の関ケ原町内は田植えも済んで初夏へ向かっておりまする。
決戦地も、笹尾山も、田圃越しの景色はとってものどか。
昼間は鳥や虫の声、夜には蛙の合唱が響きます。

町中まるごと古戦場の関ケ原、四季折々変わる風景。
どうぞ今だけの観光を楽しんでくださいませっ!