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無道探訪‼︎                                         

私は、器のように定まった形に捉われず、無形で自由な方向性をもって、人生を歩みたいと考えます

歴史修正主義とたたかうために~『検証・群馬の森 朝鮮人追悼碑裁判  歴史修正主義とは?』藤井正木希 著 出版記念会にて  4月6日 18:00~ としま産業振興プラザ(IKE-Blz)

 

 ここ最近、職場関係で配置先が新しく変わったことから連日のように業務引継ぎと配置先の業務立ち上げで慌ただしい日々を送っていたなか、久しぶりに休日が取れた2024年4月6日、この日は藤井正希 准教授の著書を出版記念の会があったので、久しぶりに私的な時間を有効に使うことにした。

 

 私が昨年の秋から存在を知って関心を深めてきた社会問題がある。それは、群馬の森・朝鮮人犠牲者追悼碑撤去反対をめぐる運動なのだが、新聞やTVニュースでも報じられたいるのですでに知っている人はわかると思う。それについて述べる前に、まずは以下の実態を認識してもらわなくてはならない。

 

 朝鮮半島が日本の統治下だった1944年~1945年の間、日本の支配層は、朝鮮では職に就くこともできなく、貧しさのあまりしかたなく借金漬けにされた人々に向けて「日本企業で働けばお金が稼げる」などの「一般徴用工」の募集広告を流し、そんな誘いに応じて多くの出稼ぎ労働者たちが半島内の日本企業や日本内地さらには外地へ行かざるを得なかった。そして真っ先に送り込まれたのが危険な場所での土方や炭鉱、慰安所や飯場などに送り込まれたという。このように、被植民地下の貧しい男女を騙して、非人道的な「仕事をさせる」強制収容所のような場所で使役するための組織的な騙しの手口を「強制連行である」と表現して何が悪いのだろう。

 

 1939年、当時の日本政府は、日本人を含めた動員のほかに朝鮮からの動員数を決め、日本の行政機関がその役割を担ったのだった。朝鮮半島全域からの動員の形態は、時期のより変容してきた。まず、軍動員(兵力動員)は志願制から徴兵制へと変化し、労務動員は募集(渡航は個別→集団→官斡旋と変化)と徴用(軍関係労務への徴用を含む)、朝鮮半島内部への動員などが併用された。

朝鮮半島内部への動員がのべ約344万7千人(兵力動員含む)、内地(樺太・南洋諸島含む)への動員がのべ約53万8千人といわれている。

 

 とくに群馬県においては、軍関係労務への徴用として、険しい山間部の鉄道敷設工事や軍事工場でもとくに危険な地下掘削現場で働かせられ、多くの朝鮮人労働者たちが事故で命を落としている。そういう非業な死を遂げた。

 日本の戦争遂行の最も危険な最下層の下支えで犠牲にされた朝鮮人労働者・慰安婦たちの魂を悼む目的で建てられた慰霊碑が群馬県高崎市 県立公園「群馬の森」の片隅に在ったことを私たちは忘れてはならないし、けして「無かったこと」になどできない。

※碑は、戦時中に労務動員されて亡くなった朝鮮人を悼む目的で、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の前身の団体が、2004年4月に570万円かけて建てた。

 

 そのような意義の深い追悼碑に対して、史実に基づく表現である「強制連行」の文言を2014年に群馬県庁が「政治的発言があった」などの曲解で公園設置許可の延長を認めなかった。断じて許せないのだが、非常に許しがたいのは、2024年、群馬県の山本一太知事による行政代執行命令により撤去が行われたことである。

※以下のページで経緯を説明↓

 

 

2023年10月~ 東京・新宿アルタ前広場にて、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」による群馬の森朝鮮人追悼碑撤去反対を呼びかける街頭行動。

 

『検証・群馬の森 朝鮮人追悼碑裁判  歴史修正主義とは?』

藤井正木希 著 出版記念会

 

講演  藤井正希さん 「群馬の森 追悼碑撤去の先にあるもの」

    (群馬大学准教授 憲法学者 主著『マスメディアの憲法理論』)

 

 講演の方は、藤井さんが要点に熱心に語るあまり、少し時間を押してしまうほどでした。

 群馬の森追悼碑撤去の問題は本来なら取るに足りない些細なことを右翼にを前面に押し立てた保守派勢力が群馬県の「傀儡」山本一太知事を操縦して行政代執行にまで踏み込ませた!とのこと。さらには、群馬の森を突破口にして日本全国の朝鮮人中国人徴用工追悼碑・慰霊碑にまで危害を及ばせる危惧があり、そのような反動的な攻撃は一連の差別排外主義とも連携して、国内の治安維持や外国人差別、国外周辺の軍拡を推し進めるための自民党案による改憲を目指していると警告されていました。