ジャック天野のガンダイジェスト

ジャック天野のガンダイジェスト

スモールアームズ(小火器)に関するエッセイです。同じアメブロで書いていたブログを継続して、不定期で更新して行きます。

スペイン王国陸軍の制式自動拳銃はベルグマン・ベヤード(参照)でしたが、実戦での使用の結果、不十分と判断され、新しい自動拳銃を制定することになりました。候補になったのはカンポ・ギロ伯爵だったヴェナンシオ・ロペス・デ・セバリオス・イ・アギーレが1904年に特許を取得した自動拳銃でした。この発明をもとにスペイン陸軍はカンポ・ギロ M1912として制式採用しました。この自動拳銃は9mmラルゴ弾(9X23mm)を使用するもので、弾倉には8発のラルゴ弾を装填することができました。9mmラルゴ弾という強力な実包を使用するため、ストレートブローバックではなく、スプリングで遊底が後退するのを遅らせたディレード・ブローバック方式が採用されました。このカンポ・ギロはアストラM400(M1921)に取って代わられるまで、スペイン陸軍の制式自動拳銃として使われました。アストラM400(参照)も9mmラルゴ弾を受け継ぎ、9mmパラベラム(9X19mm)よりも強力な拳銃をスペイン軍は採用していました。このため、スペイン内戦までカンポ・ギロはアストラM400とともに使われることになりました。

このようにスペインではかなり知名度の高いカンポ・ギロですが、映画にはほとんど登場しないようです。調べてみましたら、フランコ・ネロ主演の「ガンマン大連合」(1970年)で主人公に使用されているようです。ちなみに、この映画は原題が"Companoeros”(同志たち)で、メキシコ革命を描いたものですが、邦題はかなりかけ離れたものになっています。

 

 

世界最小の拳銃はコリブリ(参照)ですが、これは単発式のピストルでした。自動拳銃で最小なのはLiliput(リリパット)ピストルで、口径は4.25mmの専用弾を使い、6発を弾倉に装填することが可能でした。作動方式はシンプルブローバックで、イギリスでは免許なしに所持できる唯一の拳銃でした。設計者はオーストリアの時計職人(コリブリの発明者も時計職人です)フランツ・ファンニで、製造はドイツのズール地方にあるアウグスト・メンツ造兵廠で、1927年から製造されました。全長は10センチ少しと、手の中にすっぽり入ってしまう大きさでした。リリパットの名前はジョナサン・スウィフトの小説「ガリバー旅行記」でガリバーの船が難破して捕らわれてしまった小人国の国名から由来しています。隠し持てるために、ナチスドイツは連合軍の後方攪乱のための特殊部隊ヴェアヴォルフの隊員にリリパットを支給したと言われています。また、小説家アリステア・マクリーンは著作の中で、このリリパット・ピストルに言及していますが、誤って、.21口径と記述しています。なお、リリパット・ピストルには.25口径のモデル1もあります。
 そして、リリパットの名前を持つ自動拳銃はもうひとつあるのです。ハンガリーのルドルフ・フロンメルが設計したフロンメル(フロマー)・リリパットで、.25口径の自動拳銃です。製造はブダペストにあったFEGで、1921年から製造され、35000台も作られたと記録が残っているようです。また、.25口径のほかに.22口径のフロンメル・リリパットも作られました。シンプルブローバック作動方式で、弾倉には6発の.25口径(6.35X16mm)弾を装填することができました。

 

 

 

 

ルガーP08(パラベラム・ピストーレ)はドイツ帝国の制式拳銃として有名で、オリジナルはゲオルク・ルーガーがボーチャードピストルを改良して設計し、DWM社が製造しました。DWMは9mmパラベラム弾(9X19mm)をパラベラム・ピストーレとともに製造しましたが、このパラベラム(parabellum)はラテン語のSi bis pacem, para bellum(平和を欲するなら、戦争に備えよ)という格言の後半部分に由来します。このパラベラム・ピストルはP08として1908年にドイツ帝国陸軍に採用されましたが、その後マウザー社などでも製造されています。さらに、戦後になって再建されたマウザー社もP08のコピーを製造しています。このP08はトグルアクション、いわゆる尺取虫と呼ばれるロック機構が特徴のショートリコイル方式でしたが、そのトグルアクションを継承しながら、ブローバックとして小型化した自動拳銃が1968年にエルマ・ヴェルケから発売されました。エルマ・ヴェルケと言えば、MP40サブマシンガンなどで有名なメーカーですが、戦後は中型、小型の拳銃をおもに生産していました。このエルマKPG-68は外見はP08に似ていますが、口径は.32ACP(7.65X17mm)または.380ACP(9X17mm)を使用していて、ブローバックのため構造はP08よりも簡略化されています。弾倉には.32ACPが6発、.380ACPが5発と小型化にともなって装弾数も減っています。なお、エルマ・ヴェルケは1997年に倒産し、現在では存在していません。

 

 

カール・ワルサーはドイツのツェラ・メーリスにあった小火器メーカーですが、警察用拳銃のPP(ポリツァイ・ピストーレ)、そのコンパクト版のPPK(ポリツァイ・ピストーレ・クルツ、Kはクリミナールという説もあります)で、それまでの小型拳銃一辺倒から警察用そして軍用(将校用)の拳銃メーカーとして浮上してきました。PPはヒトラーの愛銃だったり、PPKは映画007シリーズで多く使われたり、P38はルパン三世の愛銃だったりで、日本でも人気の高いメーカーですね。とくにP38はドイツ国防軍の制式拳銃だったこともあり、P08とともに9mmパラベラム弾使用の軍用自動拳銃として知れ渡っています。とくにP38は西ドイツの連邦軍がP1として採用したため、ふたたび脚光を浴びました。しかし、P38は改良を繰り返しながら、だんだんと仕上がって行った歴史があります。有名なのはワルサーAP(アルミー・ピストーレ)ですが、じつはその前にも数々の試作品があったのです。今回はその開発過程をざっと見てみましょう。

ワルサーP38のルーツは1920年代に遡ります。この頃、PPモデルは完成していたのですが、ヴェルサイユ条約の規定により、ドイツは9mmパラベラム弾(9X19mm)の拳銃を作ることを禁じられていたのです。それでも秘密裡に9mmパラ弾を使う拳銃を開発しようとPPモデルをベースにシンプルブローバックのMP(ミリタリー・ピストーレ)-PPが試作されました。写真1のようにPPのバレルとスライドを延長したモデルでしたが、もともと.32ACP弾(7.65X17mm)用に作られたシンプルブローバックのPPには9mmパラ弾はリコイルがきつすぎ、場合によってはスライドが吹き飛んでしまうという結果に終わりました。そこで、MP-PPをティルト・バレルのショートリコイル式に変えたワルサーMPが開発されました。露出したハンマーの形状も異なっているので、写真2のように一目で見分けがつきますね。このMPモデルのスライド前部を削り、バレル露出方式としたのがMP(2nd ジェネレーション)で、写真3のようにハンマー内蔵式に改められました。これを小改良したのが写真4のワルサーAPということになります。そして、ハンマーをふたたび露出式にしたワルサーHP(ヘーレス・ピストーレ)が1937年に公式に登場し、1938年に写真のようにP38として制式拳銃となりました。それでも内部機構に凝りすぎて、なかなか大量生産ができなかったり、また占領したフランスで作らせたP38は不良品が多かったり(これはサボタージュのせいもあります)、いろいろと問題の多かったのもワルサーP38でした。

 

 

 

 

 

 

ワルサーPPは同社の傑作拳銃のひとつで、ドイツ軍や警察に愛用されましたが、いちばん口径が大きいものでも、.380ACP(9X17mm)なので威力不足が指摘されていました。そこで、PP用により威力の高い9㎜ウルトラ弾(9X18mm)が1936年に開発されましたが、適合する拳銃はとうとう開発されないまま敗戦を迎えることになりました。この弾薬に目を付けたのがソ連で、拳銃のほうはワルサーPPを参考に設計されました。これがマカロフ(PM)で、1951年に正式採用され、それまでの正式拳銃であったトカレフ(TT33)に取って代わりました。マカロフは将校用拳銃としてソ連軍に愛用されましたが、それに目を付けたのがワルサー社でした。9mmウルトラ弾を9mmポリスと改称して、ワルサーPPに採用したのでした。これがワルサーPPスーパーで、1972年に登場しました。警察用拳銃として、当時の西ドイツ警察に採用されることを目的としていました。しかし、すでにより威力の高い9mmパラベラム弾(9X19mm)を採用した拳銃が出ていて、ワルサーPPスーパーは西ドイツの一部の警察(バイエルン警察など)で採用されただけに終わりました。ソ連がワルサーPPをコピーしてマカロフとして、それを西ドイツがコピーしてワルサーPPスーパーとなったわけですが、9mmウルトラ(ポリス)と9mmマカロフにはわずかに寸法の違いがあるため、互換性はありません。なお、PPスーパーはシンプルブローバック、ダブルアクションの自動拳銃で、弾倉への装弾数は7発です。

 

 

 第二次世界大戦末期のドイツでは小火器も重火器も不足していましたが、とくに拳銃の不足は深刻でした。公用拳銃であるワルサーP38の生産が滞り、また国民突撃隊(Volkssturm)に配布する拳銃や自動小銃がほとんどありませんでした。そこで、自動小銃のほうはグストロフ社がVolkssturmgewehrとしてディレードブローバック方式を採用し、ヘーネル社のStG44突撃銃と同じ7.92X33mmクルツ弾を使用するものをとりあえず製造に成功しました。しかし、拳銃のほうはVolkspistoleとして、ワルサー社、マウザー社、グストロフ社の3社が競作しましたが、いずれも開発が難航しました。いずれも9X19mmパラベラム弾を使うものでしたが、3社三様の設計でした。ワルサー社は強力なパラベラム弾を使うために、ショートリコイルのロータリーバレル方式を採用しました。アイディアはよかったのですが、開発に失敗します。マウザーはVolkssturmgewehrと同じディレードブローバックを採用しましたが、構造が複雑になるため、シンプルブローバック方式で再設計を行いました。しかし、パラベラム弾にシンプルブローバックではリコイルが強すぎ、結局は開発に失敗しました。グストロフ社は最初から簡素化のためにシンプルブローバックを採用しましたが、やはり成功しませんでした。こうして、大戦末期のドイツの簡易型新型自動拳銃は日の目を見ることがなく敗戦を迎えたのでした。なお、Volkspistoleの名称は戦後になって設立されたHeckler&Koch社がVP70としてポリカーボネートのフレームを持つ自動拳銃を発売し、ある程度の成功を収めました。また、ディレードブローバック機構はH&KのPSP(P7)に採用されています。また、ロータリーバレルのショートリコイル機構は後にベレッタPx4ストームに採用されています。そういう意味では種を撒いたが実らなかったのがVolkspistoleでした。なお、写真はワルサーの試作機のひとつです。

 

 

自動拳銃はトリガーを引くと、実包が激発して弾丸が発射され、そのガス圧の反動により、スライド(遊底、またはボルト)が後退して次弾を弾倉から送り込み、スプリングによって元の位置に復座します。これがブローバック方式で、強力な実包にはスライドと同時にバレルも少し後退(傾斜)するショートリコイル方式が採用されています。ところが、ブローバックとは逆の発想で、バレルを前後に動かすことで、次弾の装填や激発の準備(コッキング)を行う方式、つまりブローフォワード方式の自動拳銃がありました。オーストリア・ハンガリー帝国の正式拳銃だったマンリッヒャーM1894がこの方式のパイオニアだったのですが、1908年に日本で日野熊蔵によりブローフォワード方式の自動拳銃が開発されました。ちなみに同じ年にドイツ・プロイセンのシュワルツローゼもブローフォワードの自動拳銃を開発しています。さて、この日野式自動拳銃はバレルを前方に引くことで発射の準備をします。すると、コッキングされて、次弾が弾倉から薬室に送り込まれるのです。トリガーを引くとバレルは後退して実包を激発し、弾丸が発射され、コッキングされます。その時、ガス圧によってバレルは前進するため、ブローフォワードと呼ばれるわけです。この方式はユニークでしたが、バレルを前方に引くときにうっかりトリガーに触って自分の指を撃ってしまうなどの欠点がありました。口径は8x22mmナンブ(南部式自動拳銃の実包を使用)または32ACPでした。なお、販売は小室銃器によって行われたため、海外ではHino-Komuro M1908とも呼ばれます。いずれにしても、現存する個体がほとんどなく、コレクターの間では高価で取引されているようです。

 

 

 自動拳銃の黎明期にはいくつかの独創的なオートピストルが登場しました。マウザーC96もそうですし、ボーチャード(ボルクハルト)もそうですし、パラベラムピストル(ルガー)もそうですし、マンリッヒャーM1894もそうでした。そんな中で堅実な設計で完成度が高かった自動拳銃がシュヴァルツローゼM1898です。ロータリーボルトのショートリコイル式で、外観もスマートなものでした。設計したのはプロイセン(ドイツ帝国)のアンドレアス・ヴィルヘルム・シュワルツローゼで、軍用拳銃として設計しました。使用弾薬は7.65X26mmボーチャードまたは7.63X25mmマウザーでした。ただ、この自動拳銃は軍用を目指した割にはグリップが短く、弾倉に装填できる装弾数も6発でした。後に8発装填のモデルも作られますが、これがこの拳銃の弱点であり、同時代のマウザーやパラベラムほど人気が出ず、やがて忘れ去られることになるのです。このシュヴァルツローゼM1898はオレンジ自由国を設立してイギリスと戦ったボーア人が軍用拳銃として採用したほか、ロシア帝国にも売られたようです。いずれにしてもマウザーやパラベラムに比べれば、成功した自動拳銃とは言えませんでした。

 

 

初期の自動拳銃のうちで成功をおさめ、有名になったのはマウザーC96が嚆矢だと思っています。1895年に開発され、1896年にドイツ(プロイセン)の正式拳銃となりました。ドイツ皇帝(プロイセン王)のヴィルヘルム2世がC96の試射会に招待され、その性能に感銘を受けて、ただちに量産をするように命じた、という逸話が残っています。C96はドイツ軍だけでなく、各国に輸出されてベストセラーとなります。とくに騎兵用として広く使われるようになったのです。そのC96のコピーを製造したのがスペインのアストラ・ウンセタ・イ・シア社で、1927年のことです。スペインの拳銃メーカーは海外製品のコピーを数多く生産しましたが、このアストラのC96コピーである900シリーズは本家より一歩先を行くことになるのです。それはアストラ900シリーズの2番目のモデルである901は単射と連射(フルオート)のセレクティブファイアとなっていたのです。じつは本家マウザーも1926年にフルオートのC96を試作しているのですが、量産はされず、市販されませんでした。ところが、アストラ901は市販され、小型のマシンピストルとして話題になったのです。しかし、アストラ901の弾倉は7.63X25mm弾を10発しか装填できませんでした。このため、フルオートだとあっという間に弾を撃ち尽くしてしまうことになったのです。そこで、アストラは弾倉を20発装填のタイプに変えたアストラ902を発売しました。これで装弾数の少なさはある程度解決されたのですが、弾倉が固定式で、上部からクリップを使って装填する方法は変わっていませんでした。そこで同社は着脱式の20発弾倉を持つアストラ903を市販し、マシンピストルとしての評価が高くなってきました。このアストラ903はマウザーがM712シュネルフォイアー(速射銃)として1932年に発売したものとほぼ同等でした。アストラの進撃はこれで止まらず、連写時に銃のコントロールがしやすいように回転数を250rpmに落としたアストラ・モデルFを発売しました。このモデルFは9X23mm弾(9mmラルゴ)弾と、より威力の高い実包を採用していました。このアストラ900シリーズは中華民国にもかなり輸出され、国民党軍にもかなり使用されました。アストラ900と本家との区別はフレーム左側に大きくアストラの銘板が付いていることです。

このようにC96を上回った面もあるアストラ900シリーズですが、映画などの登場シーンは少ないようです。有名なところでは、ロジャー・モーア主演の007シリーズ「私を愛したスパイ」("The Spy Who Loved Me"、1977)で、悪役のジョーズ(リチャード・キール)が007に向けてフルオートのアストラ900シリーズ(おそらくアストラ903)を連射するシーンがあります。

 

 

 

ジョン・モーゼス・ブラウニング(ブローニング)は天才的な銃器設計者でしたが、同時期にベルギーのFN(ファブリック・ナシオナル社)とアメリカのコルト社に自動拳銃を設計しています。ブラウニングがFNのために二番目に設計したのがM1903で、同じ年にコルトのためにもM1903を設計しました。このため、両者の外観は似ていますが、FN M1903は9mmブラウニング・ロング(9X20mm SR)という強力な実包を使用するため、サイズは大型化していますし、より強固な作りとなっています。このFN M1903は軍用制式拳銃として設計されたもので、実際ロシア帝国を始め、多くの国で制式採用されました。作動方式はシンプルブローバックで、トリガーはシングルアクション、ハンマーは内蔵式となっています。グリップ内の弾倉に7発の9mm弾を収納することができました。黎明期の軍用自動拳銃としては成功した部類に入るでしょう。

ヨーロッパの映画にはよく登場する自動拳銃で、有名どころではジャン・ギャバン主演の「筋金を入れろ("Razzia sur la Chnouf"、1955)で主人公が使っています。