山中伊知郎の書評ブログ
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イスラム戦争

 10年くらい前に、突然あらわれて中東の一部地域を「領土」にしてしまったイスラム国。今はISということになっているが、このイスラム国の成立を起点にしながら、イスラム世界と、それにたいする欧米諸国の対応や報道などについて触れていく。

 はっきり賛同できる点が一つ。なぜ欧米の報道が、自分たちの価値観にもとづいたフィルターでしか行われないのか、と疑問を呈し、しかもそれを日本は全面的に追随しているのはおかしい、と言い切っているところ。たとえば、イスラム国の指導者に対して、当時の報道は「容疑者」としているが、いったい何の「容疑」があったのか? 欧米の価値観押し付けに抗議して、「イスラムはイスラムとして生きるべき」と唱えるのが、果たして「容疑」にあたるのか? イスラムが女性教育を否定しているような報道ばかりされているが、本当にそうなのか? 女性がスカーフやヴェールで顔を隠すようにするイスラムの習慣は、「遅れた風習」なのか?

 一方、はっきり賛同できないのが一つ。著者は日本が平和憲法を守って、イスラムと欧米などとの橋渡し役になるのが平和への道、みたいなことを語っている。そりゃムリでしょ。世界中のどの国も、「自分たちにとって有利な状態での平和」を望んでいるわけで、みんなが武器を捨てて握手しよう、なんて感覚はない。かつてのアメリカも、世界一の軍備を背景にしていたから調停役にもなれたのだ。なんでこんな陳腐な結論をくっつけたのか、よくわからない。

中東 迷走の百年史

 前に「タリバン」という本を読んでから、欧米諸国が中東地域に入ってきて自分たちの価値観を押し付けた結果、現地の状況がどんどん混迷していった様子がよくわかった。で、その流れでこの本も読む。イラクや、イスラエルとパレスチナ、サウジとイエメンといった中東の定番から、クルドやアフガン、さらには東アフリカにアルジェリア、モロッコ、チュニジアのマグレブ三国に至るまで、広い範囲を「中東」ととらえて、ほぼ20世紀の百年間を解説している。

 勝手に国境を引いたり、勝手にイスラエルなんて国を作ったり、欧米型民主主義の方が進んでいるからと勝手に押し付けたのも、

みんなもとはといえば欧米の、いわば「勝者の奢り」であったのも、よくわかる。かえってオスマントルコ帝国が中東主要部を支配していた時代の方が、民族それぞれの自主性を重んじていて、トラブルが少なく「平和」だったことも。

 結局、アフガニスタンの人達は、男女平等をうたう欧米型国家を選ばず、タリバンを選んだ。でも、欧米諸国は、「オレたちに逆らった」として経済支援などをストップし、タリバンを認めていない。

 まあ、こういう価値観の対立は妥協点が見つからないんで、厄介だな。

独裁の世界史

 ヒットラーやスターリンが主人公なのかと思いきや、それはほんのちょっとで、メインは古代ギリシャやローマ。独裁と民主政、共和政の違いや、成り立ちの経緯などを語っているものだった。それだけでほぼ3分の2。で、今の普通の価値観だと、民主政が一番いいようなイメージだが、実は扇動的デマゴーゴスに引っ張られると、かえってとんでもない泥沼に陥るのを、著者は警告している。そりゃそうだ。今でもSNSとかで、間違った情報が流れて、それを大多数の人達が信用してしまったら、もうとりかえしがつかなかったりする。「賢明な」独裁者のいる独裁政や、ある程度限られた「賢明な」人達が全体を統括する共和政の方がずっとマシ、という主張はうなずける。

 さらに、中国やロシアのような、規模がでっかい国は、賢明かどうかはともかくとして、ある種の独裁権力がなくてはまとまりようがないのも、著者は示唆している。で、最後に理想としてあげた「独裁を阻止したヴェネツィア」などの例だが、こりゃ、小さい都市国家みたいなものだから成立したのであって、一定以上の規模を持った国で、こんな外交と通商を柱にして平和を維持するなんて無理筋だろう、とは感じた。やがて出現するかもしれないAIによるデジタル独裁なんてのは、「そんなの、ありえない」とは笑ってられないな。

 しかし、改めて「タリバン」についても考える。日本では、イスラム狂信者たちの独裁政権のように報じられているが、そんなんで、本当に政権にカムバックできたのかな? タリバンが嫌いな欧米のメディアがそう報じるだけで、地元の人達はそれを受け入れたからこそなんじゃないのか。プーチンだって習近平だって、地元の支持があればこそ「独裁者」然としていられるのじゃないか。なんか日本のマスコミは、欧米の価値観を通した報道をうのみにして、その現地の空気をあんまり伝えてないんじゃないかって気はする。

タリバン

 20年以上前、初めてタリバンがアフガニスタンの覇権を握った時期に書かれた本。ちょうど2001年の9・11テロの直後でもあり、オサマ・ビンラディンが世界中の話題の中心だった頃でもある。

 日本のマスコミがこぞって「イスラム原理主義の狂信性」をうたい、ビンラディンをかくまうタリバンを「悪の権化」のように報道していた中で、よくこれだけ冷静に、客観的状況を分析していた人がいたもんだ、と感心する。さらに、また現在に至っても、政権を取り戻したタリバンに対して、「悪しきイスラム狂信者の復活」みたいに、ほぼ一方的に彼らを非難し続ける論調でくさし続ける日本の主なマスコミってバカじゃないのか、と考えてしまう。

 イスラムの慣習の押し付け、特に女性の社会進出の否定など、タリバンは日本ではずっと「近代化」とは相反する政策を国民に押し付けて来た組織、と言われてきた。しかし、その「近代化」自体が欧米がそれ以外の地域に押し付けて来た価値観であって、別に現地の人間が幸せになるわけでもない。かえって近代化の名のもとに、欧米が勝手に国境線を引いたおかげで、アフガニスタンの民族間の紛争はかえってこじれてしまった。ビンラディンにしても、アメリカはソ連と対抗する都合上、最初は手を結んでおきながら、逆に存在が邪魔になると、「イスラム狂信者」として撲滅に動く。

 最近になってタリバンがカムバックしたのも、結局は強制された欧米の価値観よりも、タリバンの価値観の方を多くの国民が選んだ結果だろう。

 でありつつ、日本のテレビなどでは、相変わらずタリバンは悪役のまま。「女性たちを抑圧する」とそればっか。欧米、ことにアメリカが「こう報道しなさい」と言われた通りに善悪を決めている。

 この本には、「そんな善悪はっきりした物事なんかはなく、タリバンは様々な状況が交錯する中で生まれるべくして生まれて来た存在」といったごく当たり前のことが書かれている。

 最近はちょっとそうでもなくなったが、ずっと「ウクライナ=善玉」「ロシア=悪玉」との報道を続けていたのもしかり。なんか、日本のマスコミは、公平を装いつつ、よってたかって日本国民に一つの価値観を押し付けようとしているように見える。ネット社会の今、そんなの無理なのに。一連の大谷報道なんかもそうだ。「全米熱狂」とか「世界が魅せられた」とか、そんな、普通に考えてもあり得ないことを、マスコミあげて、さも真実であるかのように報道してる。どうしちゃってるんだ?

 この本の著者は、実際にアフガンを歩き、どん底の悲惨な生活をおくっているイメージのある難民キャンプでも、そこそこ快適な生活を送っている人たちも見てきている。ソの当たり、信用できる。

山口組の平成史

 著者は山口組の顧問弁護士として有名だった山之内幸夫。バブルで地上げ菜とでカネを稼ぎまくり、ヤクザが「天国」を味わった時代から、暴対法以降、下降線をたどり「地獄」の苦しみを味わっている時代までの歴史。

 やはり内部にいた人だけあって、五代目山口組が誕生した経緯から、六代目があとを受け、神戸山口組、任侠山口組と分裂していったあたりが、登場人物のキャラクターも生々しく、読者にもわかりやすく描かれている。五代目が、組長をやるにはやや「線の細い」、ちょっと頼りない人物として出て来たり、六代目が高圧的ながらカッコいい極道として描かれていたり、だいぶ著者自身の主観が入ってはいるけれど。

 ずっとヤクザの仲間として活動して来た人だけに、「ドロップアウトした人間の最後の受け皿」としてのヤクザ組織を擁護するようなモノ言いもあり、ヤクザの「人権」を完全否定するような現状に対する憤懣もあり。

 読み進むうちに、こっちも、ヤクザツブしても、犯罪集団は地下に潜って秘密結社みたいになるだけなので、かえって危険度は増すんじゃないか、と考えさせられるようになった。それと、ヤクザなんかより、一般人を洗脳して、カネを巻き上げたり犯罪に走らせるカルト宗教教団とかのが、よっぽど怖いんじゃないか。

 まあ、だからって、ヤクザと仲良くなりたいとは思わないけどね。

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