今年も無事に豆まき完了。我家にここ1年知らず知らずに入り住みついていた「鬼」が消え去り、良い1年となることを願いつつ豆をまいた。良い1年になって欲しい、、、。

 

ところで、

私が子供のある豆まきの時、、、勿論、家じゅうの電灯を消して真っ暗の中豆まきをするのだが、、、頭に普通の豆とは違う、一寸固いものが頭に当たった。
何だろうと思ったのだが、、豆まき終了後に電灯がつけられると、、白い紙に包まれたものが辺りに散乱、、といってもそんなに数は多くはないが、、、していて、白い紙を開くとその中に10円玉が、、、、びっくり。それで兄弟は即刻、争う様に白い紙包み拾い。皆、予期しない「お年玉?」に大喜び。私の子供思いで、優しく、大好きで尊敬している私の父の「仕業」だった。

その翌年からは豆まきどころか、豆まきは親に任せて、暗い中、まかれた物の中から白い包み紙探し、、、何年も、何年も豆まきを楽しんだ。

その後、私も家族を持ち、子供が少し大きくなっては同じように白い紙包みをまいた。勿論、子供たちは大喜び、、、それは何年も続いた。子供達が大学に入ってからか、良くは覚えてないがが、白い包み紙まきはなくなった。


でも、それは子供たちの新たな家族に引き継がれているようだ。



最近のことはすぐ忘れて、昔を懐かしむ年寄りの話でした。

ベトナム ホーチミン旅行

 

ベトナムを鉄道を使って縦断したいと思っていたものの、いつになるか分からないし、奥方がホーチミン格安チケットがあるってことで、ホーチミン、ホーチミンと叫ぶので5泊6日(実質的に4日間)でホーチミンへ。

 

第1日目 12月7日、8日

深夜に羽田を飛び立ち、早朝にホーチミン タンソンニャット空港に到着。飛行機を出ると一瞬で蒸し暑い空気に包まれ、あ~やった~南国だ!

 

バス停で市内行のバスを待ち始めて40分。しびれを切らした奥方が「だからタクシーにしようといったのよ!」 近くにいた空港関係者らしいベトナム人に聞くと、20分置きに出るとの話。でも、なかなか来ず、奥方をなだめすかして、結局50分近く待って漸く来たのが予想外のマイクロバス。

 

乗車賃が1万5千ドン(90円)と看板に書かれていたのでそうかと思っていたら、切符売りが来て1人3万ドンという。1万5千じゃないの?と言うと、持込スーツケース代が1万5千だって。私が不満そうな顔をしていたのか、バスの中に「大きな荷物持込は+1万5千ドン」と表示されているのに気づいた乗客が、私に教えてくれた。それでも「私の荷物は小さいよ」って切符売りに言ったが受け付けられずに、「ハイ、2人で6万ドン!」

 

その時、何故か、別のバスに乗り換えろと言われた。クレームつけたから?って思ったら、全員が乗り換えさせられた。理由を聞いたが、私のヘタな英語が通じなかったのか知らん顔、、、まあ、理由がどうであれ、目的地に着けばそれで良いことだけど。

 

バスが何とか走り出したものの途中から渋滞にはまる。今回の旅、、バスの到着待たされ、乗車賃問題、更に渋滞!と幸先が悪い。

何はともあれ、道路には溢れんばかりのバイク。若者のバイクの怒涛の行軍。その昔、上海で自転車の行軍の見てはいたが、比べ物にならない。また街がびっくりする程近代化されている。ごみも落ちていない。

 

バイク軍団と近代化された街を驚きながら眺めている内に、バスはホテル近くのバス停に到着。

+地図でホテルの方向確認をしていたら、奥方が「こっち、こっち」と先導する。数分歩くと確かに宿泊予定の安ホテルが。ホテルのフロントで名前を告げると怪訝な顔して予約確認書を見せてくれって。スマホの画面を見せると「そのホテル、100メーター位先に行った所」だって。よくよくホテル名を確認すると僅かに違っていた。

 

そうして更に数分歩いて無事に予約の安ホテルに到着することが出来た。このトラブルで奥方が反省して少し大人しくなってくれると良いのだけど。

 

チェックインには早過ぎる時間のため、ホテルで夏用の服に着替え、荷を預け、サイゴン大教会などの名所がある地区へバスで向かう。バスは一般市民が利用するローカルバス。

日本で、ベトナムで使用出来るBus Mapというアプリを入れていたので、それを立上げて、実践開始。

 

バスがなかなか来ず、「タクシーコール」を始めた奥方をなだめてバスを待ち、何とか乗車。乗車賃の払い方が分からないのでキョロキョロしていたら、「年寄り」は得なもので、乗客のおばさんが親切にも教えてくれた。今では日本にはいない車掌がバスに同乗していた。

 

バス代金は2人で1万2千ドン(約72円)。タクシーの4万ドン(推測)より、ずっと安い。でも4万ドンで240円、、、時間の方が大切!、タクシーに乗ろうっていう奥方の意見も分かる。でも、ハラハラドキドキ、地の人の中に飛び込むっていう楽しさは捨てられない。

 

またまたトラブル、、下車時に下車ボタンを押したが、バスが止まってくれない。「I will get off!」と何度か叫んだら、次のバス停で降りることが出来た。それで歩きの距離が増えてしまったが、Bus Mapの使用方法を会得出来て万々歳である。

 

大教会、中央郵便局、統一会堂などを見学し、

 

フランス料理が財布に優しく頂けるというレストランへ。そのレストランは雰囲気良好。料理も美しく、美味しく、移動にバスを使用してご機嫌斜めの奥様もご機嫌回復し、一安心。

レストランを後にし、安物(?)満載で、地の方、旅行者に大人気らしいベンタン市場へ。奥方、刺繡の小物や箸を呆れるほどに値切りに値切って買って増々、ニコニコ。そうして、町見物を兼ねてブラブラ歩きながらホテルへ戻り、チェックイン。

 

その後、明日、明後日のツアーを予約している旅行会社に、ピックアップ場所、時間の確認が出来ていないので、1人で街の観光がてらツアー会社まで歩き赴き、所用を済ませた。

 

帰りは歩かず、東南アジアで非常にうまく使用されているという車手配アプリ「Grab」の使用実験をした。Grabでバイクタクシーを呼び、バイクの後ろに乗ってホテルへ。支払いは1万4千ドン(84円)!タクシーの1/2~1/3位。

バイクタクシーは危険が大きいというのであまり使用するつもりはないが、これも体験、会得!と「ヤッタ~!」って気分に。

  

 

今晩の夕食はクルーズディナー。

クルーズが出帆するサイゴン港までは歩いてはいけない。バスでは行けるが帰りのことを考えてGrabでタクシーを呼んでみることとした。全てスムーズにことは運び、港について料金を確認。6万5千ドンという。えっ?予約した時には5万くらいだったのに、おかしいと思ったが10万ドン札を渡した。すると2万3千ドンを出された。足りないというと、ベトナム語でなんやらかんやら。らちが明かないので10万ドンを返してもらって、小さい札集めて6万5千ドンを支払った。こりゃ、外人を相手の詐欺だ。Grabと言うのは予約時にはっきりした金額が出てトラブルはないという評判であったが、中にはひどい運転手がいるのかも。下車後にGrabで運転手の評価が出来るらしいので最悪の評価点をつけることにした。

 

肝心のクルーズ、、午後7時15分までに集合であったが、早めについたものの船内のテーブルに案内され、ディナーも早く始めてくれた。船は白を基調とした品の良い雰囲気の室内であった。また身の程知らずのワインと共にコース料理(ベトナム料理)をゆったりと気持ち良く楽しむことが出来た。

船はサイゴン河を上り、アジア一の高層ビルを眺める絶好の位置で折り返し、2時間のクルーズが終わった。船上では生バンド演奏もあり、退屈する暇も全くなく、満点!

   

 

下船して今日2回目のGrabでのタクシー乗車。これもスムーズ、直ぐにタクシーが到着し、無事にホテル着。でも請求された金額が4万9千ドン。予約時の4万2千ドンより多い気がしたが、予約時の金額の見間違いか?? 次回より予約時の金額をしっかり見ることにしよう。

 

ホテル着後、ビールを求めて街に出る。ホテル前近くには、週末で地方に移動するためか、数台の驚くほどの豪華な大型バス前に大勢の人が集まっている。その中をかき分け、小さな店を発見し、2万ドン強のビールを購入。ホテルで寝酒し、就寝。

 

 

ということで、長い、長い1日を終えた。久々に異国の地で緊張した時間を楽しめた1日であった。

 

最後にベトナム ホーチミンの今日の印象、、、(少なくとも今日は)辛くなる程、蒸し暑く、高層ビルも林立する、若者とバイクで活気に溢れ、経済的に多いに発展が予期される街、、、日本の若者よ、頑張って!と声が出る程の。

 

(注:その後訪れた旧来からの街は、屋台の物売りや威勢の良い女性たちが多く、ごみもそれなりに散乱するものの、親しみが感じられる旧来の東南アジアと同じような街でした。)


 

6月7日のこと、、、栽培途中の小玉スイカ(マダーボール)1個が割れているのを発見。がっかり。

スイカ畑

 

授粉したのは6月18日。それが20日で破裂。熟すには早過ぎるし、事実、ヘタについている髭は青々としている。(でも果量は2.5Kgと、カタログ値の2.2Kg内外より大きい)。

その前日位だったか多少の雨が降ったものの、20日程度の生育では、雨の影響はないのではなんて思うが、、、。

 

何はともあれ、一応、冷蔵庫で冷やして、昨日、食べる、どうせ甘くもないだろうと思いながら。

それが何と、上品な甘さ! 

その途端、割れたスイカを目にしてしかめっ面だった奥方の顔はニッコニコに。

予想外の甘さに感謝。お陰で当分、家の中でものんびり出来そう。

 

とあるネットをみると次の記述を発見、、こんなことも影響しているのかなぁ。

「まだ実が小さいうちに裂果した場合は、生育初期に低温環境下にいたことで皮が硬くなり、その後の実の成長に追いつけず実割れする可能性があります。」

ますます、先が短くなっている。あちらへ行っても読んで思い出せるようにと、、、

 

未完の旅行記、、これくらいは無くしておきたいってことで、8年前のニュージーランド・キャンピングカーの旅の残りを記録しようと一念発起し、書き上げることに。

ところが、大筋は覚えているが、仔細は、、、。ということで、同行の奥方の日記を基本、盗用(書き写す)することにした。今日の投稿は2013年2月1日分、、、2月2日分はいつになるか分からないが、頑張るしかない。

 

https://ameblo.jp/yo-yo-f/entry-12721508793.html

 

時は、昨年2021年8月25日、、、、

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何年か前、海外旅行から帰って来ると、我家の小さな池に長年飼っていた金魚とフナ計6匹全てがいなくなっていた。

川で釣ってきた鮒、買ってきた小さな金魚から育て、子、孫、、、と数世代の世継ぎをして来た金魚と鮒。大きさも20cmを優に超える大きさになっていた。その金魚、鮒の全てが2、3週間の不在の間に雲散霧消、跡形もなくにである。

(小さな池)

奥方はまた猫にやられたのでは言う。

以前、何度か裏隣に住む数匹の猫に獲られたことがあり、4cm位の目の網をしっかりと張っているのであるが、その網は破れていない。網の端もめくれてはいない。また金魚の方が網の目より大きいし、猫とは考えられない。

 

猫でないなら、奥方は人間かもと言う。

人間が丁寧に網を外し、金魚を獲り、また網を完璧に戻していったのか? 値の着くような金魚ではないし、また、盗む時に網を戻して逃げるとは考え難い。しかも完璧にまで元の状態にして。どう考えても人間に仕業ではないと思われる。

 

狐に包まれたような状態のまま、1,2年経った5月のある日、日が落ち暗くなった後に、たまたま庭の水遣りをしていた奥方が突然叫ぶ、、、「きゃぁ~、大きい蛙! 来て、来て!」

そんな馬鹿な、こんな住宅街に帰るがいるなんて、また間違いだろうと思いながら、急いで懐中電灯を持って行き、奥方が指さす池の淵を照らすと、ほんとに蛙が。どうもヒキガエルと思わしき結構大きな蛙が。慌てて写真をパチリ。

ここから、また金魚の雲散霧消論議に。

(蛙)

 
 

奥方は言う、「庭に蛙が住みついていて、、それが金魚を食べたのに違いない。」

でも、こんなに太い蛙が網の目を通れるとは考えづらい。また、網の端の地面との僅かな隙間を這いくぐって入るなんて、、、出るのは可能かもしれないが、、。という訳で蛙犯人説にも府が落ちないまま、日が経つことになった。

 

それにしても、何であんなに大きな蛙が庭にいるのだろう、、また、不思議が一つ増えた。

 

そうして、3ヶ月以上過ぎた8月25日、部屋でパソコンをいじっている時、ふと庭を見ると、なんとそこにシラサギが、、、、そして庭の池に近づき池の中を覗き込んでいる。即刻、そのシラサギを撮影し、、このままでは数か月前に新たに買い始めた金魚が食われては大変とガラス戸を開け、「シッ、シッ」と声を出した。にもかかわらずシラサギは逃げて行かないので、裸足のまま庭に出て近くまで寄ると、漸く飛び去った。

 

この時、ふっと閃いた、「犯人はシラサギだ!」

長いくちばしを網の穴から突っ込み、金魚を加え、金魚を縦にして飲み込む。その後、くちばしを網の穴から抜く。これで網が傷つくことなく金魚が消える。

これだったら理解出来る。外出から戻ってきた奥方に話すると、、「良くやった」ってお褒めの言葉。

これにて一大不思議が解決。めでたし、めでたし。

 

でも、こんな住宅街の庭に、蛙に加え、シラサギが降りてくるのも不思議。またそれらが小さな庭を見つけて来るのも不思議、、、、。

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私は猫は嫌いではない。子供の頃、家で飼っていた。一匹は家に迷い込んで来たとても優しく美人の「ミー」。二匹目はその子供の雄猫のトラ縞模様の「トラ」。トラはその時期になると喧嘩して大きな傷を負って帰って来て手当が大変だった。その二匹もいつの間にかどこかに行ってしまった。多分、亡くなったのであろう。そんなことで、私は猫は嫌いではない。

 

が、現在、我が家の裏の家の猫には閉口している。裏の家は猫屋敷まではいかないだろうが、4,5匹くらいか飼っていて、それが野放し。我が家は南側ということもあるのか、天気の良い日なんぞ、日向ぼっこかウオーキングか何か知らないけどやってくる。我が家の庭に半畳程度の池があることも一因かもしれない。その昔、その池の金魚が獲られたので池の上部には網を張っているので金魚は獲られることは無くなったが、時折池の中を覗いたりしている。

 

まあ、そんなことは良いとして、問題は時折庭に‘うんち’をすることである。これには閉口する。我が奥方、それを見つけると大騒ぎ、、そして私に始末を指示する。自分が飼ってる猫であればそうでもないのであろうが、実に嫌なものである。

裏の家にクレームをつけたいが、事を荒立てるのも嫌で放っている。

 

こんな中、猫が庭を我が物顔に歩いていた。

それを見つけた時、即、大声が自然と出た。「Stay Home!」。

猫は驚いたように俊敏に2メーターくらい逃げたが、後はゆったりと歩き出した。「Social Distancing」、、この距離では問題なかろうって顔をして。

外出自粛の中、暇を持て余した奥方が、家族で何十年前にやっていて、物置の奥に眠っていたオセロゲームを取り出して来て、やろうという。

私も暇だし、付き合うこととした。

 

一局目、私の勝ち。

二局目、私の圧勝。

 

すると私に、「誤魔化しているでしょう、もうやらない!」って。

日頃、無能の部下のように、私を見下げている私に負けたのがよっぽど面白くなかったのであろう。

 

人間、傲慢なほど、落ち込みは大きいのかも知れない。

 

シクラメンもSocial Distanceか!

 

アブラムシにやられた我がシクラメン、薬を掛けて様子を見ているが、一向に回復の兆しなし。でも、葉の裏には、びっしりついていたアブラムシは殆どついていない状態。

 

そのシクラメンの鉢を、いつもの様に、奥方のシクラメンの鉢の横に並べていたら、、、それを見た奥方が大声を発した!

「ソーシャル ディスタンス!」「横に置くんじゃない! 離して! 離して! 1メーター以上は離して!」

シクラメンは喋りはしないので、そんなに離す必要はないんじゃないかと思うものの、その剣幕に押されて、日当たりの悪い場所に移動した。

 

この距離でも近過ぎるとクレームを食った。

新コロナ問題で続く大変な世の中、、こんな時に阿保の様なブログをあげるのも気になるが、少しばかりの気分転換の為に、、、

 

昨年の11月位だったろうか、百円程度のガーデンシクラメンを買った。

奥方は3鉢、私は1鉢。奥方は色が単純な赤と白とピンクのシクラメン。私は一寸洒落た縁の一部がピンクの白のシクラメン。洒落ている分、単純なシクラメンより弱いと思われる。その上、比較して株も妻のシクラメンよりひ弱な感じ。

 

しかし、私の方が立派な花に育て上げる自信がある。日頃の奥方の植物のいい加減な育て方とは違う、、私は、大体、育て方の教科書に従って確実に行動する。

 

事実そうだった、奥方の水やり、、、、、などなど、いい加減そのもの。私は教科書通り。

 

それから数カ月経った今、、、

奥方のシクラメン、、、活き活き、元気一杯。途中、へなへなと弱った時もあったが水やりでいつも回復してきた。

一方、私のシクラメン、、極、最近、急速に弱り、悲惨そのもの。つい先日まで、へなへなと弱ることはなかったものの、花の数はいつも、そう多くはない状況。その内、花の数は増えるぞって思って毎日見守っていたが、それがかなうどころか、ついに最悪。

 

何が悪かったのか?やっぱり、過保護は駄目ってことか。

 

奥方 「私の勝ちね。私のシクラメン、、私に似て、元気はつらつよ。」

私  「確かに! 私のは奥方に似てなくって、薄命。そう、美人薄命ってところだね。」

 

追:シクラメンの葉がベトベトしてるのが分かり、ネットで原因を調べたら、アブラムシが原因とのこと。よ~く、見ると、葉の裏に、ごま粒より小さな黒い粒が、結構な量、葉の裏についている。早速、アブラムシ対策用スプレーをかけた。

 

一番左が私のシクラメン

2月9日、10日

朝、ホテルで朝食、チェックアウトの後、チャータータクシーで 一大観光地、チャイテーヨ(ゴールデンロック)観光。バゴーに戻ってミャンマー1番高さのシュエモードー・バゴダと寝釈迦像で有名なシェエターリャウン見物し、南下、ヤンゴン空港に直行し、帰国の途に。そして翌朝、無事に成田の到着した。

 

朝食は朝一の6時から。少し柔らかめの‘おこわ’って言う感じのSticky riceを美味しく食べ、7時チェックアウトし、チャータータクシーに乗り込み。

 

タクシーは一般道を抜け、高速道路(?)に入り、途中トイレ休憩などをしながら、3時間半以上かけてチャイテーヨの麓の街キンプンに到着。

 

街中を走る

 

 

 

高速道路(?)を走る

 

 

炉端の果物屋

 

人と車でごった返す中、何とか駐車場を見つけ、満員の登山用トラックに乗り込む。多くのミャンマーの人々に囲まれ車はひやひやするような狭い山道を登る。途中、外人ということで入場料を徴収された。そうして約40分でチャイテーヨの街に到着。両側に店が並ぶ道を歩いて行くとチャイテーヨの入口。靴と靴下を脱ぎ入場し、今日のメインイベント、チャイテーヨ見学。ここに於いても、女性は核心部には入れず、遠くからの参拝となった。

 

キンプン 

 

トラック乗り場

 

登山用トラック

 

満席

 

可愛い子供も

 

チャイテーヨの街

 

遠くにチャイテーヨ

 

入口

 

チャイテーヨ

 

女性は離れた場所で参拝

 

見学後、登山用トラックで山を下りたが、乗客の3分の1位が若い僧侶。トラックが急で狭い山道を結構な速度で降り、スリル満点。驚いたことに僧侶たちが、そのスリルを楽しみながら大声を発する。へぇ、僧侶といえども普通の人と同じくワイワイ、ガヤガヤするんだ~。

 

途中、広いビュッフェで昼食しながら、バゴーへ。

 

昼食

 

バゴーでは先ずはミャンマー1番高さのシュエモードー・バゴダへ。高さは114mという。

シュエモードー・バゴダ

 

 

次のシェエターリャウンに行く前にバゴー駅に寄った。昨日、早朝にバスターミナルからタクシーで行こうと考えていた場所がどんな所か、もし行っていたら、2時間近くを過ごすことが出来たような場所だったかどうかを確認したくて。

そのバゴー駅、、建物はしっかりしていたが、それは古びていて、少なくとも我が奥方は、夜中では発狂してしまいそうな場所である。駅前の状態にも唖然。バスターミナルからヤンゴンに向かったこと、、奥方を考えると結果的には大正解だった。

 

ヤゴー駅へ(中央部)

 

ヤゴー駅

 

駅前

 

その後シェエターリャウン。全長55m、高さ18mの寝釈迦像。1880年に土の中から見つかったという。それにしても日本と大違いの仏様。この違いはどこから来たのか。

シェエターリャウン

 

バゴー観光を終了し一路ヤンゴン空港へ。タクシーは、フライト出発時刻2時間前着予定で順調に走っていたが、後10Km程度になって渋滞にハマる。時間がどんどん過ぎていく。空港への別ルートもチェックするが良案は無い。ドライバーは週末だからと言う。それを知ってたんだったらバゴーを早く出てくれればいいものをと思っても後の祭り。奥方が「何でバゴー駅に寄ったんだ」とか、ガミガミ言い出す、いつもの如く。

 

ドライバーは後、数Kmの所で、細い横道に入った。時折、前から来た車とすれ違うのに苦戦する。が、何とかかんとか進んで、1時間ちょい前に空港到着。本当に冷や汗門ものだった。

 

空港で即刻チェックインし、20分程度の時間、奥方はお土産購入、私はラウンジでビールを呑んで、、、機内乗り込み。後は飛行機に身を任せるのみ。

そして、約8時間後、2月10日朝、冷え込みの厳しい成田に到着、11日間のミャンマーの旅を終えた。

 

ミャンマー、、今回の旅はかなり楽ちんだった。

都市間の移動は夜行バスなど多少大変な点はあったが、バス停からホテルへはバス、また観光の大半はチャータータクシーや舟。大変だったのは精々2点、ヤンゴンからバガンへの交通手段の突然の変更指示への対応と、インレーからのバスでバゴー下車した際の対応、、それ以外は苦労や緊張はほとんどなし。そういう点では面白さに欠ける旅であった、贅沢な話かもしれないが。

 

しかし、物を求めず、仏を信じ生活しているミャンマーの人々の姿に、人間の幸せは何処にあるのかを考えさせられる、良い旅であった。

 

ミャンマーの人々へ、、、、有難うございました!