ごっぶさたしってまーしたー♪
気がつけば一年近く何も書いてなかったわけで、わたしの雑記を楽しみにしてた人(いないか?)には申し訳ありませんでした。。

久しぶりに書く今回の記事のテーマはずばり「一般的と抽象的という言葉はどう違うのか?」です。何人かの(数学関係の)友人知人に問うてみたのですが、みなさん異口同音に「区別してない」と答えます。まあ、大抵の人が使い分けてないなとは思っていたのですが予想以上に意識してないみたいです。
でもわたしは思います、きちんと区別して使うべきだと。どう違うのか。まだ決定版とは言えない部分があるのですがわたしの現時点での意見を述べさせてもらおうかなぁと思います。
まず始めに、数学で抽象(共通する性質を取り出すこと:品詞としては動詞と見るべきでしょうか)という言葉が使われる場面では、多くの場合取り出す部分よりも捨て去る部分に注目してると言う方が正しい場面が結構あります。つまり捨象と呼ぶべきなのに抽象という言葉で表されていることがあるということです。
もちろん捉え方の問題なので個々の場面で抽象ではなく捨象であると言い切ることは難しいわけですけれども、
(1)有理整数環の性質を抽象化して可換環の公理が得られる
(2)距離空間の抽象化として位相空間がある
みたいな用法は個人的には捨象が正しいような気がしてます。抽象というのは多くのものに「共通する」性質を取り出すことであって、一つの対象が持つ構造のうちのどれかだけを取り出す場合にはむしろそれ以外の構造を捨て去っているという方がしっくりくるのではないでしょうか?
まあ抽象捨象の区別はともかく、「抽象化」という言葉が使われる場面には「一つの対象を見て」構造のうちのどれかをとることと「多くの対象を見て」共通する構造を取り出すという二つのパターンがあることは抽象と
一般の区別を考える際に注目する意味がある点のようには思います。

さて(1)と(2)には少し違いがあります。(1)の抽象化は一般化と言い換えても不自然ではないと(少なくともわたしは)思いますが、(2)は不自然と(わたしは)思います。何故でしょう?
(3)環は可換環の一般化である
という言葉を考えてみて下さい。可換環の全体から環の全体への(恒等写像による)埋め込みは単射です。その意味で「一般化」なわけですね。(1)も無理矢理こういう形にしてみると{Z}から可換環の全体への単射
が作られているわけです。(1)の抽象化を一般化と言い換えても不自然でない理由はそこにあるのでしょう。対して(2)の場合距離空間に(その開球が生成する位相のなす)位相空間を対応させる写像は単射ではありません。だから一般化は何かしっくり来ない、そういう理由なんじゃないでしょうか。

Kを体とする。
「任意のKを成分とする正方行列Aに対し、Kを成分とする可逆行列Pで P^{-1}AP が三角行列になるものが存在する。」
が成り立つとKは代数閉体である。

は真でしょうか?
無量大数画素数の実現はあり得ますか?
という問がyahoo知恵袋に出てました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1066603150
その回答がおもしろい!!