素直ってホラー
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i tunesは阿呆

 どうも、お久しぶりです。別に毎日これといって変わりない生活を送っています。変わりがあるといったら所持金が底を突き抜けていましてね。突き抜けるといったら結構異例なことだと思うんですよ。そんなことで生活ができるのか?もちろんできませんよ。そんな時には持っている過去のもので趣味は楽しむから別に問題は無いんですけどね。


 そんなわけで過去のものを引っ張ってきて色々便利なマシーン、今やみんなのitunesさんにまたも頼り始めました。僕は相変わらずジャンル分けができないし、人に何かを薦めるときにパッと言葉として出てくることが無くて、単純に音としてアゲアゲとか相変わらず適当なことを言っています。どうも、人の前だとちゃんとものをいえないというのはダメな性格ですな。こんなんだから、誰も僕についてくるわけもなく…


前回あれだけ僕が問題にした、itunesさんのジャンル分けで起きた通称「MAX事件」ですが、別にエイベックスの社長の事件とかそういうわけではないので検索とかに引っかかっても知りません。MAX事件というのは、あの音楽がitunesに関していうとエレクトロニカだという部類に入るという話です。どこがどうすればあの音楽がエレクトロニカなんだ、だったらなんでTMNは違うんだと騒ぎ立てたもんですが、今回また新たな被害者が発掘されたんでここに紹介したいと思います。



                                 「TRF」


まさかのTRFがエレクトロニカに認定されてしまいました。もう何も言うことはあるまい。ああいう音楽は全てエレクトロニカにしてしまえばいいよ。もう、何でもいいよ。打ち込みなミュージックならまだしも、あんなにもボーカルが多様されている音楽たちがエレクトロニカだといわれるこの音楽界にはもうジャンルレス時代だと言うしかないですね。どう考えてもエレクトロニカじゃあないだろう。僕が言ってるのは間違いですか?TRFの熱烈的なファンの方は、「てめえ、TRFをなめてんのか、エレクトロニカだろうが」と僕に怒りをぶつけてみたりするんでしょうか。そんなわけないだろう…。


それにしてもディスクごとに管理しているということは、前回カエラのアルバムが途中から変更されている件でわかったんですが。ということはやはり出荷時の設定が問題なんでしょうかね。それともitunesストアが認識する設定を勝手にそれにしているというんでしょうか。そこらへんの仕組みがまるでわからないので、想像したり騒ぎ立ててるわけですが、非常にこれはバカらしい。見ていて意味がわからなかったりしますね。unclassfiableが何気にいくつも出てくるんですが、それでいいんじゃあないかと思うくらいです。同じアーティスト、レーベルなのにそのジャンルが違って出てくるというのは何なんでしょうか?



そして、また違った問題に発展します。データがまるで違うものに変化するというのは何でしょうか?FOEというバンドが、アルバムでつけていた特典CDを例えばitunesに入れてみたとしますが、全く違うバンドとしてのデータになってしまいます。あと、知人が自分で作った音楽を入れて渡してきたものをどうなのかと思って入れてみたところ、データが無いんじゃなくて、全く知らない洋楽のアーティストになっていたわけで。なんなんだと。知らないなら勝手にやるな、知ってるふりをしてくれるな。機械への過信はよくないというか何というか。FOEに関しては、そのまま入れていたもんだから何のバンドなのかさっぱりわからないのに「これFOEのだよな…」と聴いてから気付く始末。おかしいでしょう?


IPOD+ITUNESというのは、やっぱり普及としては素晴らしいですがまだまだだということですかね。パソコンに入れて曲名やジャンルとか全てが表記される感覚はさすがに驚きでしたが、今となってはなんだかなぁといった感じです。あまりにも求めすぎてはいけないけれど、これからダウンロード時代に完全に移行してしまっている現状としては、そういったところをしっかりしてからじゃないと何だかアーティストをばかにしているというか、低く見すぎというか、音楽という質を下げる結果になっていってるんじゃあないかと思うんですよね。がんばろうぜ、としかいえませんが。オチも何も無いんですがね、それはちゃんとしてくれよと。

人をこまらすの

ヴォルタ/ビョーク
ある意味では僕の原点のような存在ではあるが、僕としてはそんなにも好きにならないようにしていた人であるビョークの新譜を買ってきました。色々と持っていましたが、全てを手放して封印した理由は既に忘れました。いつ何時もこの人に僕は恐怖を感じていたりしましたね。はじめて見たのは小学校のころで実家のテレビから流れてきた彼女のPVだったんですな。「I miss you」でしたかね、あのアニメと音といい小学校から恐怖を感じました。彼女の音楽がいいとか正直よくわからないんですけど、毎度いろいろやっていたりするし、見ていて面白い人ではあるなと思います。彼女以外にそんな人がいるのかといったら、いないのでやっぱりいいんでしょうな。僕はただ怖いんですがね。今回も日本語盤を手に入れてみたものの、別に歌詞の内容を見たりはまだしていません。歌詞を知る必要はあるとは思うんですが、無いような気もします。どうでしょうか?
アヴリルのよく街中でかかっている、お前の彼女はクソだから私と付き合えというような内容だったと思う曲なんかは日本語にしたら笑ってしまうくらいな曲でしたね。あれ意味わかってなくても、テンポはいいし、元気が出そうな曲調ではあるので売れるとは思ったりもしますが、内容を理解したらまたそれはそれで面白い。でも、それで嫌う人もいるかもしれませんが。そういった意味では英語であったりして何言っているのかわからないからいいみたいなものもあるわけですよね。それにアヴリルみたいなのが歌うからいいのであって、例えば日本人のアイドルがそんな攻撃的なの歌い始めてノリノリでも、正直萎えてしまいま……と思ったんですけど、前例がさほど無いのでもしかしたら最近のサディスティックの欠けた精神を持つ若者たちには必要な音楽なのかもしれません。でも何か日本人がやると「あたしロックだろう」みたいな半端な位置に見えてしまってやはりだめなんですよね。どうしても、同じ人種間でそれを求めるというのは失敗する。というのも、僕らは自分にないものを神のように憧れたりするわけだからかもですね。

bjorkはそれにしてもあんまり変わらない人ですね。声とかはさすがに今回のを聴いていると昔と比べたら変化はありますが、そのかすれた感じとかがまた違う意味で似合うような音楽に合わせてきたなとは思いますね。だんだんとアートとかパンクな要素とか新しいクリエイティブな部分というよりも尊厳とか歌姫としての何かそういった神々に近づくようなそんな音楽に近づいてきましたな。昔のやんちゃな攻撃性というよりも、創造性から出る何か怖さを持っていたりしますね。この陰な感じを、光を強くすることで濃くしているというか。音楽の種類が、手法としては打ち込みとかそういうのはあるけれど、楽器とか使われている音からしてみれば電気的な冷たさというのがないというか、機械的な部分がそこまで感じられないのかなと。聴きながら思ってみたりするわけです。わりと第一印象は好きなアルバムですね。衝撃とか痺れるとか、そこまで強く感じる何かがあるといったらまだわからないのかもしれませんが、細かいところが何かこだわっていて面白いです。そう、面白いよビョークはね。


で、ふと思ってみたもののBJORKっていうのをパソコンでカナ入力にして打った場合には「こまらすの」ってなるんですよ。変なメッセージですね。彼女は僕らを困らしているんですよ。僕らの感覚をこまらしている、何か影響を与えているんですかね。なーんてことを考えてみたりしてしまいます。こういうのを勝手にしてみたりして楽しんでみるのもまたいいんですがね、あくまであとづけですからね。それにしても僕はこの人の音楽はやっぱり怖いです。ちなみに最も、嫌だったのはやっぱりデビッドボウイのトゥナイトで金縛りにあった件ですね。こちらは実家にあったレコードを流していたときの話ですからね。怖いというのは、それほどに影響されているとか、何かパワーがあるものだったりするのでしょうな。

完全に放置していた僕のブログ

いや、音楽のことを考えていない一日はあまりないんですが、それほどに音楽が好きなのかといったらそんなこと恥ずかしくて僕はでかい声で言うことができない。だいたい生きていて飯が好きだなんてでかい声で語ることも別にないし、音楽もただそこにあるだけで、もしかしたら僕にとってはとりあげるものでもないのかもしれない。いや、音楽は好きなんだけど。なんかこうやって語ることはどうなのかといったら正直言うと別に僕はそういう批評家でもないし、かといって好きな物をただ紹介するだけのことをしている人でもない。時にはちょっとした批判すら言っている気もする。そんなことがなんのためになるのかわからないとまた自分に聞いてみようか。そのことすらくだらない、何にたいしても理由が必要な世の中なんてくそくらえだと思っている。


東京という街のせいにもできる。くるりが歌う東京も好きだけれど、東京というのは本当に歌われるくらいな街である。歌うくらい寂しいし、くそったれな街。汚い街。でも住んでいる人間なんてのは結局は、いろんなとこから集まっていたりして人間なんてそんな変わらないんですね。どこにいたって君は君だっていいたいけれど、まぁ環境とかで人は徐々には変わります。東京という環境は何でもそろっているから、下手に生きていると頭がおかしくなるんだろうね。ばかが増えるわけですよ、僕みたいなね。なんか、届かないどころか自分には可能性の無いところで、あるものを使って楽しむ、新しい遊びを考えていくとかいうのが全くもって減った気がします。忠実に機械に従って遊ぶとかそんなんでね、これは僕が悪いんだけれど。


何がいいたいかわからないですよ。ただ、地元にいたときのように僕は音源をもっと愛して、そればかり考えていくような姿勢が欲しいなと。すぐアーティストのライブが見れて、感じれるってのも素晴らしいとは思うんですけど、それもまた違うのかな。なんか、1つの音源を買ってそれを楽しむ、それから得られるものでどんどん想像して吸収していくという形が欲しいんです。別に東京でもそれはできるけど、すぐに見れるならやっぱり見てしまう。そういった意味ではもう感性がずれてきている気がする。気持ちもおかしくなってるんではないですかね。だいたいこんなに好きなものに関して語るなんておかしいんだよ。


好きなものは好きでいいじゃん、っていうバカなドラマみたいな台詞を言いたいね。語る必要なんて別に僕には無いんです。僕どころか多くの人が別に自分の趣味だとかを人に語る必要は無いはずだ。でも、こうして語ってしまう。寂しいからね。好きなものが同じような人とのコミュニケーションを求めてしまうんだろうね。東京はこんなにも好きなものを手に入れることが出来るのに、実際にはそういったコミュニケーション仲間がそんないなかったりね。なんだか気持ち悪い。でも、それだからこそmixiとかSNSなものが流行ったりもするし、なんだかな、便利なんだか病気なんだか全く理解は出来ない。自分がその渦の中にいるからなんでしょうな。



で、これだけ言い訳してみましたが。実際は脳が別に働いていないのと、語るほど何か突出したことがないだけです。元気でやっていますよ。ちょっとipodが昨日狂いはじめていて、なんだかむかついたけど。高いくせにね。

もうCD屋なんか潰れてしまうんだよ

僕はCDを買い続けているよ。世間が全く買わなくなったと言っても、友人の家の近くのタワーレコードが閉店したと聞いても驚きは感じないよ。音楽に対しての気持ちが、もうみんな変わってしまったんだよ。音楽だけじゃないのかもしれない。もう人間の芸術活動なんてものに愛が減っているのではないのかな。だから、ダリが来たら美術館に走ったりして、美術館でわけもわからず混雑した絵を見て騒いだりするんじゃないのかな。自分ではもう何も感じたり創作することができなくなってしまったんじゃないの。もう、東京から発信されていくものに、何か感じれるものが無くなってしまったんじゃあないの。

売れるわけがないよねCD。こんなに売れないCD業界でも万引きはあるし、大打撃だろうね。本屋で本が1冊盗まれる被害というのは想像以上にでかいし、同じくCDだって本当に1枚買ってもらえるだけで嬉しいという感じなのに、万引きとかいっぱいあるんだよ。当たり前だよね、これからもっとそうなっていくんじゃないのかな。配信でタダ同然だったり、違法コピーが当たり前になってしまった世界なんかで、売っているものに愛なんてそんな感じるわけが無いのではないの。インターネットなんかある意味ではねくそくらえだ。というか使っている人間が、どんどん頭悪くなっていってるんだから仕方ないね。技術が進歩したからってそれを別に使う必要は無いんじゃあないのかな。もうアルバムなんて流行るわけがないんだ。


DANCE MUSIC/野本かりあ
野本かりあのアルバムのジャケに貼られているシールだった気がするんだが、「全曲シングルカットOK」みたいなことが書いてあったと思うんだ。そりゃそうだ、もうアルバムが配信で変えてしまう世の中なんだから、捨て曲なんて誰が求めるのだろうか。全曲がシングルのようなものでないと成り立たないんだ。もうそれくらいシビアな世界になってしまっている。だったら、もうシングルばかり出してベストを発売するというそれでしか成立していかないんじゃあないのか。アルバムなんてもう売れる必要がないんではないか。
ipodなんか流行らなければよかったんだとも思ったりするね。アルバム単位で作品の流れを愛していた時代はもうなくなっちまうんではないかと。あのアルバムの空気が好きだったという会話ももうできなくなると思うと悔しくてしょうがないね。どの時代のが好き?とかそういうのもなくなってしまうんだろうな。ある意味ではもうアーティストなんて存在を消してしまっているんじゃないのか。インターネットなんてものにそこまで愛を感じられるわけがないじゃないか。インターネットからはじまる愛情なんてのに、長続きはあるのかな。

CAN'T BUY MY LOVE (通常盤)/YUI

くそどうでもいいことに怒っている気がしたんですが、僕は今YUIが欲しいですね。彼女は、わりと色んな方向にも向いていけていて、なおかつ歌も僕はいいと思うんですな。とは言っても最近そう思っているわけです。あんまりここ最近はそういう、歌いいなぁとかいろんなこと表現できてる子ってそこまでいない気がするから。それに、彼女をバックアップしていくCM力なんてのもでかいので、もうちょっとこのまま頑張っていって欲しいな。もう何年か続けていられたら、僕は応援することができるきがする。あんまりこういう感じの子を今まで聴いていたことはないんだが。ある意味ではそこまで個性があるという子ではないと思うんだけど、それにしては何かあるから聴けてるとこあるし、もう僕もおっさんということでただ単に可愛く見えてしまっている感もあるのでなんともいえないけどアルバム単位で購入して聴いてみたいと思っているところです。



SUPER ROOTS(9)/BOREDOMS(V∞REDOMS)

たとえばボアダムスなんてののファンはちゃんと購入するんでしょうな。僕は好きですがまだ買ってません。視聴はしたけど相変わらずかっこよかった。驚いた。彼らのアルバム、ほんとはそんなに何度も聴いたりはしないんだけど、いつも変わってないようでいていつも新鮮で、凄いことをやっている気がする。こういうボアダムスとかROVOとかそこら周辺のアーティストを好むような人たちですら音楽というかCDを購入しなくなってしまって配信を求めるならもうだめなんだと思うよ。ipodとか音質とか、そういうの考えなくなってしまったということもあるんでしょうね。いい音楽はいい音で聴きたいなんていうのももうはやらない。何かしているときに音楽がちょっとかかっていればそれで今は十分なんでしょうな。MDとかは全く流行らなかった、ipodが流行ったのはなんだったんでしょうね。簡単にデータのやりとりができるってことだけなのとその携帯性とかなんでしょうか。もはや音楽なんて数勝負の世界になっちまったんじゃあないのかね。退屈だよね、ボアダムスがそういっているよ、なんてことはないんだけど。ほんとに、もうちょっとなんか熱いもんねえのかよ。

まぁまた国会とかでよくわかんないこと審議して通過とかそういう話ありますけどね。別に日本はまだいいほうなのかもしれませんな。海外で考えたらまた音楽が売れているのかどうかとか微妙なとこなのかもしれない。日本よ、もっと立ち上がれ。日本からまずかえていけ。別にCD売れなくなってもいいから、もっとなんか面白い進化を目指してくれよ。

音楽を好きと素直にはいえない。

音楽を好きなのかどうか、僕には実際にはうまく言えないんですよ。いつも側にいる、それでしかなくて。僕はいつも思うんです。「音楽がないとダメ」とかそういうことを言い放つくらい好きな人とか、何をしている時でも音楽をつけていたいような人たちが凄いなぁと。タワーレコードのような宣伝文句で言えば「NO MUSIC,NO LIFE」なんていう言葉をみんなで掲げて、素晴らしい愛だなと。そういう人と比べたら僕なんてのは全く音楽に対して愛が無いんじゃないかな、とか思ってしまうわけです。僕は別に数日間、自分から音楽をかけようと思わない日なんてありますからね。夜は、なんとなく真っ暗でパソコンを前にしていると寂しくなるのでつけてみたとかそういう程度だったり。外出して散歩しているときには、むしろそのipodなんていうものが邪魔になることだってあります。こんなに天気がいいのに、風が吹いているのになんでそこに蓋をする必要があるのかなって。


ipodが歴史上最も最速で1億台を突破したとかいうニュースがうる覚えではありますが流れた気がします。動画の携帯はそこまで流行ってないとは前に言いましたが、60GBを持つ人なんかは動画も簡単に取り込めますしね、その性能から考えたら便利だから単純にもはや音楽プレイヤーとしての枠を超えているわけだからちょっと観方も違うんですがね。そこまで音楽を愛している人たちがいたのだということに僕は喜びを感じていいのかなとも思います。CDの売り上げが下がったのは、もう時代の変化であるから、配信の数を見るのがデータとしては正しいのかもしれない。CDの売り上げが今更上がるなんてのは考えられるわけもないんでいいんですが。これからはどうなってしまうのかなと不安になります。


CDの売り上げが下がっているというのはわかりきっているとして、僕が最近気になっているのはその値段です。最近のCDというのはDVD付が主流になってしまったせいなのか、おかげさまで値段がまた上がってきているのではないかと。大塚愛は絵本付とかそういった工夫を様々しているわけで、そりゃ値段が上がるわけですな。そしたら、別に音楽をただ聴きたい人から考えたらなんで動画が必要なのか、どうしてCDだけでいいのにそんなに値段を払わなくてはいけないのかとか考えるわけです。CDは欲しいけど、なんか【通常盤】なんて書かれてうれしいですか?そんなことないですよね。限定がある中で、わざわざ通常を買うというのはファンとしてはなんだか悔しいでしょう。そういうのはおかしい。誰がDVD付をはじめたのか、それを探してもしょうがないんですがそういった特典的なものが最近はいらないのではないのかと。


だからこそ、僕はそのデータ配信みたいなところの愛の無い感じのやり取りは否定はしていないけれど嫌いと言っていたわけですが、いいのかなと思います。余計な情報が無いまま音楽を受け取ることが可能という意味ではこれはもしかしたらいいのかもしれないんですね。物事は、いろんな方面から見るべきで、別に全てを否定するものなんてありえないんですな。そんなものがいるとしたら、自分を改めたらいいのかもしれない。否定していても物事は全く進まないんですよ。そんなことは小学校の議論で学んでおくべきだったかなって自分は大人になって気が付きました。他人を尊重して、自分の考えを加えていくくらいがいい感じではないのかなと。でも、それは難しいんですがね。


僕が言いたいのはデータ配信っていうのは、ビデオ屋にあるAVコーナーみたいなもんでもあるということですよ。アダルトビデオを一般レジに持っていくのはなんだか他のお客様もいるし恥ずかしい。そこで特設コーナーが店には設けられて、アダルトコーナー専用のレジがあったりする。そんなとこですかね。データ配信がこれだけ充実してくると、アニメソングだから買えないとかそういうのも無くなっていくんですよ。ジャンルレス時代の突入契機だと思っているんです。今こそ、そういったくだらない要素をとりはらえと。実際、ジャケットがださいとなんだか買う気が萎えるのとかあります。これ欲しいな、と思ったところでちょっとこのジャケは…みたいなものがある。せっかく買ったけど、やっぱりださいなぁとかね。そういうところで別に買えないってのはおかしいんですが、絶対にいるはずなんですよ。それがデータ配信なら別に問題なくitunesとかで購入してしまうことが可能なのです。恥ずかしいってことがまるでない。これ、18禁が無くなったアダルトビデオ市場ですよ。そうすると、また色んな重要が広がるんじゃあないのっていう。今まで買えてなかったところに手が届く、15歳もエロいことを考えている。みんなですけべ心を開拓していくんですよ。それは凄い広がりをもつわけですな。


だからね、言っておくけど今までよりも音楽は広がるのかもしれないけど、更に安くなっていってしまうんじゃないのっていう。ほんとはこれがいいたかった。名曲って、2000年を越えてからっていう計算だとしてもありますか?それは人それぞれありますよ、でも万人が「名曲だった!」と言えるようななんかそういうものがあったのかなとか。ふと考えてみるといまいちわからない。前に漫画もそういった名作があるのか、という話をしたんだけど。このインターネットというのが出来てから、そりゃあ便利になりました。技術の進歩ってのは、素晴らしいもんです。だけれども、それをうまく活用しているのかと。僕らは何かそれで残すことができているのかと。それがいいたいんですよ。実際は何にも残ってないのかなと。オナニーした後の、なんか空しい男って感じですよ。そしてスイッチでも押して音楽を止めるのですか。5年後、今聴いている音楽を愛していると思いますか?そもそも、音楽を聴いているのでしょうか。そんなことを考えるとね、やっぱ自分は音楽を愛している人間の発言ではないのかなと思ったりもするんです。


でもそれは違う、本当ならそういった名曲とか、名作を愛しているからこそ今もそういうのを残して欲しいと思っているわけで。そういうことなんですよ。僕はそれに関わることが出来るのか、そういうとちょっとそれは……。まぁいいんですけどね、あんまり音楽とか、趣味に関しては深くこういって考えないで楽しんでいるほうが頭いいなぁと思います。僕は本当にばかなんだ。

結局自分も叩いている

東京都知事の政見放送を見られた方はいるでしょうか?そもそも、都知事選挙について興味が無いとか、選挙にすら行った事がないなんて人もいるのが今の世の中です、僕なんかは政見放送を見たのは実は初めてですね。街頭演説とかは聴いていたことはありますが、テレビを通してそれを感じたのは初なのかもしれない。で、思ったんですが、現状に不満があるから変えていこうというのは誰しも同じことで、それは当たり前のことなんですよな。今が良いものであるならば、それはもっと良いものにしたいと、常に自分なりの良いというラインを引いて攻めていくわけです。でも、今の都知事に文句があるのはそれは1つの意見として問題ないんですが、今の都知事がどうであるとかは正直どうでもいいから、次の時代のヴィジョンを聴きたかったりしました。それがなんとなく聴いていた感想ですかね。まぁ、そんな思い入れを持って僕は東京に来たわけでもないですし、この街が今どうなっているのか目を光らせることもなければわりと普通に生活をしています。たぶんこういった人が多くなってきているからよくないのでしょうかね。


それで、一部の立候補者の映像がインターネットで流れてしまいまして、それが今削除依頼を出されているということです。僕はね、なんというかこの時代だから当たり前だと思うんです。かといって、特定の人物を僕が評価しているわけではないし、そもそも規定としては数がある中での放送回数だったりするから、その人が世の中に広まるのに動画が使用されたものでは何のルールもない。彼は「破壊」ということを挙げていましたが、ある意味ではそのルールの破壊はできたのではないかと。パフォーマンスといったら失礼ではありますが、ああいう点においてもやはりカリスマ性というのでしょうか、何かひきつけるものがなくてはならない。その中で、公約が素晴らしくても映像が主としてあるのがテレビなのだからそこではなりきらなくてはならない。読んでいたってかまいやしないが熱意を届けるべき人もいたんではないかなとか、単純に感想ですが思ってみたりもします。

大全集/石原裕次郎


嵐を呼ぶ男以外に僕は裕次郎の曲をあまり知らなくて、大全集的なものを持っていたんですが、なんだか謎でした。血は争えないという話でもすれば、都知事が選挙カーで挨拶周りをしながら横切っていったのを確認したそのすぐ後くらいに雷雨が起きたことでしょうか。あの日は、本当に一族というものを感じました。って完全に歌なだけですけどもね、まさか僕が雷雨を感じているところで雹が降ったとか、そういう嵐が起こるとは思いもしませんでしたよ。それはそれで凄いことである。


で、話は戻していきますが、ネットの力は今や恐ろしいくらいであると。広告としての力は、あなどれない。それでいて無法地帯みたいなところもあるから、なんだかヤバイ世界だったりしますよ。それだけにyoutubeを代表にしてやはり配信は物凄く今重要なところなのではないかなと。元々動画としてある、アニメとかドラマとかが映像として流れていくのはむしろ「そこで見れてしまう」というのがなんとなくあるから微妙なんですが、音楽に関しては今や携帯するということが主流になってきていたりするんで、そこで知った場合は購入に繋がったりもする。さすがに動画の携帯は今はまだそこまではやっていませんからね。気になったアーティストをとりあえずyoutubeで探すなんていう人も多いんではないでしょうか。探した後は、今度は無料で落とすことの出来るところを探すっていう人もいるんではないですかね。これだと売り上げには関わらないんですが、動画を見ているというそのこと自体のデータはどんどん上がっていくわけです。


僕らは頭が悪い生き物なので、データが単純に上昇しているのを感じ取れれば、それは売れているとか人気があるということだと捉えてしまえるわけです。間違ってはいない。いい音楽なのかどうか、そういった印象をまずはおいといて、人気があるという監事をうけたまま聴く。すると、そのうち自分も好きになるように頭の中で脳をそちらに向けていく傾向がある。このメカニズムが非常にいやらしい。


冗談で告白していたら、本気になってきちゃった


そんな気分ですよ。まさにそうなのかもしれない。刷り込みとかそういう繰り返しもまた重要になってきますからな。いつの間にか、そういえば前もこの人みたなぁなんて思っている感じはだんだんとその魔力にひきつけられていっている証拠だったりします。だから動画の配信が無料とかどうなっているのかは問題としていない。むしろCDの売り上げが下がろうが、その動画配信などで新しい人を捕まえられるならいい。そもそもインターネットだから、費用的にも地球の資源にも優しいという利点すらあったりもしますな。


FROM ME TO YOU/YUI
それにしても最近その「よく目にする」っていう気分ナンバー1なのは、YUIではないでしょうかね。何かどこいってもYUI。寝ても冷めてもYUIみたいな。テレビをつけていると非常にそれを感じます。彼女の楽曲は嫌いではないし、むしろそのプロモーションの凄まじさにより頭の中に残ってしまったというのもありますが、ちょっとアルバムとして買ってみてもいいかなとか思ってみたりもします。「恋しちゃったんだ~」とか、ひたすらかかっているんでどうしようもなく頭に残りますな。僕なんかみたいにテレビをそんなにも見ない人ですらそれを感じるのだから意識しなくてもやはり人の頭には残っているんでしょうね。それがYUIとしらなくても、メロディが残ればそれでいい。今の世の中だと歌詞でも検索に入れてしまえばそのアーティストがひっかかりますからね。やはりネットは偉大なのかもしれません。だから、もうちょっとうまく使っていきたいと思っています。その著作権管理とか、そこらへんをしっかりしてね。どう考えても無法地帯であることはよくないと思われるから。
CHE.R.RY (初回限定盤)(DVD付)/YUI
恋しちゃっパンダ~に聴こえるのはただのばかな耳です。そら耳アワーにも全く使えない。

でもまぁ、前も思ったんですけどJASRACがダメとかそんなこといってても変わんないんですよね。僕はダメとかそういうのよくわかんないので多くは語れないんですが。じゃあどこがやったらいいのとか、そういう話なんじゃあないかなと。JASRACしっかりせーよ!とかいう話ではなくて、むしろ守っていかなくてはならないとこが守らなかったのもあるのではないかという話もあるわけで。よくわかんないんで、どうも言えないとこはありますが、何の問題でも思う最近のことですが「だったらどうするべきなのか」という提案が全く見えてこない世の中になっているような気もしたりします。叩くことは非常に簡単なんですよね、僕みたいなのがこうやって書いているみたいなもんです。なんだかんだいって、みんな同じことしているんですよ。そう思うと全くもって笑えない。

人は過ちだけでなく繰り返すから

水木しげるの鬼太郎が新しくなってスタートしましたね。夜、そんなことをCMで見ながら「明日が楽しみっ」なんて思いを馳せていた僕はなんだったんでしょうか。結局、いつものように寝ていまして忘れていました。街を歩いていて「鬼太郎はじまったんだね」というメールにて思い出すという。これは、もうだめですね。意識が薄い。もうちょっと何かに思い入れを持って人間は暮らすべきだと思うんです。という自己批判を拡大して人のせいにする僕なんかは、最もひどいタイプですね。こないだは、「悪魔くん」を「怪物くん」と勘違いしてて、作者を混乱していました。人の名前を間違えるなとか言っていて、結局のところ自分もそういうことしているんです。なんというか、説得力のある人間になりたいですな。


アニメとかの話で引き続きますと、先日僕は

ワンダースリー DVDーBOX 1~AMAZING THREE~


W3 ワンダースリー DVDーBOX 2

何を思ったのか、この二つを購入しました。completeboxも売っているところではありますが、なんとなくこのでかいのが2つ並んでいる姿がなんとなくいいなと思いまして購入。手塚漫画も結構色々見てきましたが、実はワンダースリーはちゃんと読んだ事が無い。でも今まで見てきたのも頭の中ではごっちゃまぜになっていてよくわかんないんですが、とりあえず子供の頃に読んでいたのとか見ていたのを今見直すというのは結構な発見になっていて面白いとおもうわけです。というのも、人は再びということを叫ぶものだと思うからで、何度も「もう一度」を願ったりするのは、本能でしかないのかと。かっぱえびせんなんかいいキャッチコピーで、やめられないとまらないという感じなんです。


漫画なんか再販とか何度繰り返しているのかわからない。文庫シリーズで出してみたかと思ったら大人が喜ぶサイズでまたいいパッケージにして創り上げてみたりと、何度も何度もやってきます。親の世代の漫画を今見ても面白いと思うのは本当にそれが面白くて普遍的なものであるからなのではないのかなと思います。なんというかシンプルといえばその通りの内容であり、その絵のデザインの一貫性も見事に続いていると。あまり無駄なことをしていないものが、長年愛され続けていると思うんですな。たとえば手塚治虫だったり、横山光輝だったり、石ノ森章太郎だったり、そういう偉大な漫画家さんたちは今もなお愛され続けている。そう考えると、今の時代流行っているものはたくさんありますが、それが長年続くのかどうかというとよくわからない。ワンピースが10年後に愛されているのかというと、それは保証することができない。でも、そんなことは当たり前で、手塚漫画だってそうだったんでしょうな。結果というものは、それが過ぎるまでわかるわけがない。未来のことを考えて作品なんて創ることはしなくていいですからな。でも、技術とか道具とかがしっかりと進化していると、色んなことをやりすぎたりそれに頼って無駄が増えてしまうのではないかと。そう思ったりもするわけです。


音楽なんか見てもそうですが、最近の音楽はどうなのかといったら、正直言うとほぼ全てが当たり障りが無いという感じなのではないでしょうか。というか、ボーカルの力だけを発掘してきてしまえば別に他はなんとかなる、そんな感じに思ってしまったりもする。ボーカル抜かしてしまえば、普通にダンスミュージックっぽいものになってしまったりするわけで、悪くない。まぁそれは、所謂ポップスに多いことであるから、一概には言えないけれども、どうも「あとでなんとかなる」みたいな感じがあったりするのが印象です。でもまぁ、そんな中でも、「俺ら」っていう感じのバンドが現れてはいるはずなんで、それが面白いとは思うんですが、意外とその方向性がまた変わっていたりして「個性的」っていうのを目指すことが多すぎるのではないかなと。


就職活動とかを見てもそうですが、たとえば「エントリーシートの書き方」という本ひとつを例にしても、「インパクト勝負」みたいな部分を押してくるわけで、別にそれは間違ってはいないんですが、どうもそればかりではないんではないかと。何がいいたいのかというと、逆にそんな世の中ばかりになってきているので今まで成り立っていた言わば「正当派」というのがまた熱くなってきたりするのではないかなとか思うわけです。もう少し先ではありますが。そんな「個性的」ばかりの世の中になったら、そりゃ正正派が今度は目立つようになるわけなんですから。一番強いのは「正当にやってきて、個性を出す」これなんですがそんな恐ろしい人が今いるのかどうかはわかりません。既に何かをやっているのかも知れない。

新・六星占術の極意/細木 数子

ズバリ!言うわよ。ではないですが、あの運気の波とか習性とかの話と同じで、需要にも波があるのですな。周期的にそれは繰り返しているけどそれが今年なのかどうかは全くわからない。でも、それはよく考えてみれば出版社だったりテレビだったり、レコード会社だったりと、そちら側が作り出しているだけなのかもしれない。なんていうか、その需要を作り出すことができるスイッチになるような人物を見つけ出す、二番煎じでもそれは構わなくいということです。別にスイッチを押した人が一番売れるとかいう世の中でもないですからな。やったもん勝ち、というのは今はないんです。ここまで時代が重なっていくと、パクリだろ!とか言ったら全てがパクリみたいなもんだと思うんですな。そうではないだろう、と。似たような部分があろうが、一緒なわけではないと思うんですがね。影響を受けた人に近くなりたいとか、その影響が無意識で頭の中で好きなものとしてインプットされていればそうなってしまうのも間違いではない。まぁ実際に、すっかりそのままにしてしまうような人がいるから、全てが疑われてしまうんでしょうな。これだから信頼というのは取り戻すのが難しい。


で、今度は何がくるんでしょうか。これはまだ考えていないというひどい内容の今回です。でもまぁあれなんですかね

denim-ed soul(2/EAST END×YURI

彼らの位置をDJ OZMAとかにあてて考えてみればその前後の時代に売れたようなものを探ってみればいいんでしょうか。なんて思ったりもする。でもまぁそんなんでわかるのかというと微妙です。もうちょっとちゃんと考えてから発言をすべきなんでしょうが、別に思いつきでもいいとは思いますな。でもまぁ、この後、ちょっと第二期ヴィジュアル系みたいなのが出てきましたからね。2年後ぐらいからその風潮があったというか、マリスミゼルとかそのあたりですからな。Dir en greyとかも、だいたいはその時期に出てきたと思っています。彼らは海外で今も物凄く人気ですがね、もしかしたらそういうのに近いのがまた流行るのかもしれません。

タイアップって何だろう

I believe/絢香


あまりテレビを見ない僕ではありますが、たまたま見ていることもあります。先日はフィギュア世界選手権エキシビションツアーの放送をやっていたようで、そのままつけていたのですが、浅田真央は見ることができなかった。別にこれといって誰が好きであるとかスケートに関してはわからないのですが、そういえばスルツカヤに似ていると僕が言われている時期もありました。わりと、そういう顔の系統に言われがちです。それはいいとして、次の日あたりのスポーツニュースなんかを見てみれば、「安藤美姫、セクシー黒衣装」ということばかり。というのは冗談で、友人であるらしい絢香(あやか)の曲にあわせて演技。あれは凄いCMにはなりますね。それにしても、安藤より目立っているカットとかあったりして、スケートはどうなったんだという瞬間とかありましたが、まあいいでしょう。たまにありますからね、ライブDVDなんか見ていたりすると客側にどんどんカメラアングルがいってしまい「おいおい、客見るために買ったんじゃないぞ」っていう。そこで自分が映っていたとすれば「ほらほら見てこれ」とか言って友人に見せたりするのではないでしょうかね。映っているかも?という期待もありながら買ったりするのもあるんでしょうな。
三日月/絢香

さて、何の曲かといえば「I believe」でした。こちらが使われていたドラマは結構好きで見ていたんで久々に聴けたのでちょっと良かった。こういうタイミングでかかったりするとまた需要になりますな。若者は知っているからいいんでしょうが、この使われ方はスケートファンやらテレビの視聴者全体に響くわけだから告知力としては凄まじいのかもしれない。アンコールでは「三日月」を披露しましたから、これは印象に残る。演奏のほうが長かったから安藤美姫が滑り終わった瞬間というかタイミングなんていまいちカメラに映っていませんでしたね。でもまぁ、よくわかんないんですけど、良かったんじゃないでしょうか。別にスケートの上手い下手とかわからないんで何とも言えないんですが、なんとなく絢香も悪くないと思った。



哀歌(エレジー)/平井堅
でも今回最も謎だった起用のされ方といえば、ブルガリアのデンコワ/スタビスキーの演技に使われたのが平井堅の曲である「哀歌(エレジー)」を使っていたということではないでしょうか。「愛の流刑地」でも彼らは見たのだろうか、というかどうやって平井堅にたどり着いたのかが不思議でした。こういう場面で、「これ使えよ」とか言われて無理やりやったのかなとか意味もない裏とか考えたんですが、演技をみたらそんなことがない。この平井堅が女目線で描いた曲(※別にそういう意味とか含んでいません)を理解しているといっても間違いではないくらいの素晴らしい動きであったと思います。これは嬉しい使われ方ですね。なんというか、海外の方からこういった形で表現しているなんてのは驚きだな。と単純に僕が関心していると問題が起きてみた。

「いやぁ素晴らしい演技でしたね。平井堅のあいかに合わせての…」


こりゃ叩かれるなと。それとも僕が間違っていたのかというのだろうかと悩みました。正しくは「哀歌」で「エレジー」と読むのですね。やはり、こういう間違えは辛いです。アーティストが辛いというよりも、信頼性の問題ではないでしょうか。伝える側であるからには、間違いを起こして欲しくは無いのです。しかもこれだけ視聴率が高いであろうものでそれはいけない。前もってテレビ局側はそれを知っているのだから「エレジー」と読むということくらい間違いが無いように書いておくべきだったのではないかと。こういうことがあると、やっぱり物凄く早く情報が流れるわけで叩かれているのかもしれませんが、とりあえず「平井堅のあいか」「平井堅のエレジー」という言葉がネットに散々流れるわけでこれまた広告になるのか。何がなんだかいまいちわからなくなりますね。全てを疑っていたら、ブルガリアの彼らに使わせたのもプロモーションの一貫、曲名を間違わせたのもプロモーションの一貫だなんて思ってみたりしてしまうわけですよ。もうね、疑ったらきりがない、叩くことだったり疑うことは簡単にできますから。僕なんかがいい例です。100否定することは簡単ですが、100肯定するのは難しいということです。でも、難しいからこそ、1つの肯定だったりするのが貴重なんですけどね。


でもやっぱり名前とか間違えたくはないです。自信持っている時に限って間違えたりしますから。僕はというとクイズゲームをやっていたんですが、その時に出た問題で「わだよしもり」と答える部分のところを思い切り自信もって「わだよしのり」と答えてしまいましたからね。「よしのり」と言ったら、自分の名前でありますから。これもまた売名行為だといってしまえばそうなのかもしれません。自分を自分で、というか自分でしかやるしかない、誰もやってくれないからね。完全なセルフプロデュースという形をとっているわけです。なんて、まぁ恥ずかしい間違えでした。僕は過去にもとんでもない間違いをしていますから。Beachboysを買い間違えてbeastieboysを買ったとかはこれまた恥ずかしいわけであります。かといって、なんかそれぞれをカタカナで表記されても物凄くダサい。国内盤の洋楽ってどうもそこが見っとも無い気がして若干嫌なんですけど。


それにしても、色んな形で最近は音楽が割り込んできているなと思ったりもするんですね。そしてパチンコ産業とも微妙に関わっているところがあったりします。CR TRFなんかやってはいませんが、気にはなるものでした。エヴァンゲリオンとかなんか元から人気があったにも関わらずパチンコファンの気持ちもガッツリもっていったとこがあると思いますからね。おばちゃん世代とかが景品の交換なんかで換えているのすら見ます。その上、今では携帯電話の爆発的普及によって配信産業が盛り上がったりしましたからね。その配信のおかげで、音楽産業が盛り上がってる部分すら感じます。そして携帯のアプリでもパチンコ業界のサイトがあったりして、そこから着信メロディだったりとダウンロードできるようになっている。街でそれを本当に使っている人すらいるわけです。そして最近はテレビでもパチンコのCMも多くなっているような気がします。なんなんでしょうね。


アニメをちょっと例にとってみたとしても、昔のアニメソングよりも今なんかはバンドがやっていたりそういうどうも専門的なものではなくなってきている感じですしね。こないだ夜中にやっているアニメ番組から、まるでcapsuleの曲みたいなのが流れているなと感じましたら、月面兎兵器ミーナという番組でした。

ビューティフル・ストーリー/井上麻里奈

で、調べてみるとこの方。実際にcapsuleの中田ヤスタカがプロデュースしているわけです。中田ヤスタカが触ると、ほんと彼の味になるのでわかりやすいですね。それだけ個性があるというのもなかなかない。まぁちょっと時代を変えてみてみればピチカート流れでの小西が触れた作品みたいなものと同じ印象をもったりします。それにしても、これ公式HPの情報なんですけども


「楽曲プロデュースはテクノユニットCAPSULE、近未来型テクノ・アイドルPerfume(パフューム)の中田ヤスタカが担当! 」


これだけ読むと、なんだかPerfumeのメンバーでも中田ヤスタカは存在しているように思えてしまいますね。これはね、知らない人から見たら本当に勘違いしてしまうのではないかなと。近未来テクノアイドルPerfumeも一応プロデュース業だったのではないかなと僕は感じているのですが間違っていたのでしょうか。まあ彼のフェイスからみたら確かにテクノ・アイドルといっても間違ってはいないような気もしますけどね。それにしてもアニメソングもそういう意味ではもう壁を作ってないんですね。アニメソングなんて、ともうばかには出来ないのかもしれない。あなたの好きなバンドが歌っているのかもしれないし、参加しているのかもしれない。そういう話になってきているので、それはそれで嬉しかったりします。なんか、あれをやっているからありえないという、そういう話はおかしいと思うわけなんです。音楽をやはり音楽と見えていない部分が多々あるのではないかと。


ジャンル分けは、とりあえず購入のときの目安だったり、そういう意味ではしたらいいのかもしれませんが、だとしたらアーティストひとつを全体として捉えるのはやめたらいいんではないですかね。喜怒哀楽というように人間にはいろんな表情が見え隠れします、音楽もそうで、色んな実験的な音楽をやったり、表現方法が変わっていったりしていくことだってあるのだと思っています。なのにこのバンドは「ROCKです」みたいな断定をして、完全にわけてしまうのはよくないのかもしれない。これだから複雑だったりします。初期衝動でやっていた音楽と、それが30年たって変わらないバンドも素晴らしければ、変わっていく流れが素晴らしい人だっています。その中で、ひとつとして捉えてはいけないのかなと。アニメソングだってそう、中田ヤスタカが関わるものだからといってこれをテクノに置くのですか?という話。アニメソングに置きますか?どっちにも置いたらいいんじゃないですか。なんかよくわからなくなってきましたが、聴きたいなら聴けと。それだけがいいたいです。無駄に変な情報を入れるなよ。



ということを言ってしまえば、僕のこんなくだらない情報たちは、なんなのか。…。



ちなみに強烈なタイアップがやっときました。僕が前にも祭りという音楽での話を盛り上げていたことがありますが

風雪ながれ旅/北の漁場/まつり/北島三郎

こちらの「まつり」が高校の音楽の教科書に掲載されるようになったのであります。めでたい話でありますな。

人間としての音楽を

電車に乗っていたところ、若者が優先席に座って思い切り大きい声で騒いでいるわけですよ。隣に赤ちゃんを連れた奥さんが座っているし、そんなに混んではいないけれど、立っている人もいるのに大きくなって座っているわけです。何を騒いでいるのかと思って話題に耳を傾けてみれば「ミスチル、バンプ、オアシス」という言葉が繰り広げられているわけですね。まぁそれだけ聴いたら全く意味がわからないし、特にオアシスがちょっと変な感じなので何をしているのか見てみたわけですよ。そうすると、今では当たり前のアイテムipod先生をお持ちなんですね。形状とカラー具合から言って30GB以上は確実なやつです。

Apple iPod 30GB ホワイト MA444J/A

僕なんかよくわからないままnano買ってしまいましたが、4GBでやりくりするってのが十分楽しいです。ただ、不満といえばその価格設定なところでして、GBで言ったら8倍くらいに増えるというのに値段といったら5000円程度の差だったりするところですかね。そこらへんは、仕方ないんですがくやしいです。小さいものは高くていいというのは機械だけなんですけどね。


とりあえず、その彼らが言っていた話に戻りますが「ミスチル、バンプ、オアシス」これは何だったのか。よく話を聞いてみたところ「ほぼミスチルとバンプとオアシスの順でしか入ってねえよ。」ということでした。最低30GBのipodにその3バンドをぎっしり入れているというのは凄いことです。そういうもんなんですかね。確かに全部のアルバムを入れたら凄い量にはなりますが、30GBもそれを埋めるのかどうかは知りません。とりあえず、そんなことをでっかい声で騒がないでいただきたい。別にそれが好きだとかそういうのはいいんです、僕だって色んな音楽を聴きますし。でも、そんなに音楽を好きであることを自慢することでもないと思うんですよね。別に、好きなら好きでいいし、ipodに何曲はいっていようが知らないのですそんなことは。人のよくないところっていうのは、なんていうか数字に憧れるというところではないかと思っているんです。というかデータの確証みたいなのがあると信頼性が増すというのが、論文とかの基本ですからそれはそうなんですけども、別に僕らの会話の中だったり趣味の話でそんなとこはいらない。


あのアーティストのアルバムを全部持っているだとか、インディーズ時代からのファンとか、そういうのいっぱい聞きますけどもね。別にどこからのファンだっていいんですよ。そりゃ昔からのファンは嬉しいし素晴らしいことだけど、だからといって今のファンと差をつけるのもおかしいし、そのファン同士の亀裂みたいなよくわかんない状況が生まれるのはよくないですね。時期とか時代とか枚数とか見ているライブ数とか、そんなことを語るよりもどれだけその音楽のどこがいいのかを語っていてくれるほうが熱くて好きなんですが、あんまりそういう暑苦しい人は今いないんですもんね。だいたい自分の好きというのをうまく表せる人ってのが、いなくなってきたのが現代なんではないでしょうか。


「てか、別にベストアルバム入れたらそれでいいんじゃねえの」


というのが、その若者のipodを語られていた側の発言です。これまたベストアルバムがいいのか悪いのかというのはめんどくさい話ですが、何とも的を得たような発言をするもんだから微妙な空気になっていましたよ。3バンドと限られているなら余計にポータブルCDなんか持ち歩いているだけでもいいんではないか。そんなに鞄の重さを気にするのか君は、といった感じです。軽くて小さい機械を求めてしまうばかりで、最近は人間のほうも薄味になってきている感じがします。周りの空気をよめないような人は音楽なんか聴くなといいたいですね。赤ちゃんがいる、優先席であるというだけでなくて、自分たちよければいいなんてそんなのROCKじゃねえぞと。そんなやつらは、もっと説法的なものを聴いたらいいんじゃないですか。


白呪/美輪明宏
そういえば、美輪さんに説教をされてみよう!という自主企画の中でこれを聴いて見ましたが、あまりの空気に恐ろしくなって停止ボタンを速攻で押しました。あれから聴いていません。なんか、占い師とか信じないとかありますが、美輪さんに関してはどうにも何かありそうで僕は恐ろしくなってしまいます。他にそういう人はいないんですけどね。なんででしょうね。デビッドボウイのトゥナイトを聞いたあの幼き自分を思い出す感じです。恐怖とはこういったものか。
小さな奇跡/江原啓之
こちらに関しては僕は別に何も言うことはありません。

なんか思うんですがね、駅をひとつ見たとしてもマナーを守れない人なんて嫌なんですね。ギターを背負いながら上り側を混んでいるというのに避けようともしないでぶつかりながら降りようとする人とか。もうね、音楽をやめたらいいんですよ。何かを発信するという人がそんなんではだめだと思うんですよね。そういう人に限って愛がない。そして中途半端なことをしている気がします。まぁいわゆるROCK系のバンドですね。見た目怖い系のパンクとかB-BOYの文化を持つ人たちにもそういう人はいるかもしれませんが意外と彼らは優しいんですね。おばあちゃんに席を譲ったりしているとこもよく見る。彼らは、結局1つの方向性を持って生きているわけで、ファッションにも音楽にもそれは現れている文化だから、精神的には安定しているような気もします。彼らの中での正義というものがしっかりある。そうなるとPOPSというかROCKという狭間を売りにしていて、方向性に常に悩んだりしている悶々とした感じを持つとこらへんが一番微妙な気がします。そういった中でもその悶々した感じを爆発的に出せればそれはそれで素晴らしいんですが、それを女に向けたり、暴力として発散したり…ゴミのポイ捨てしかり、なんというかそういうことしてしまって欲しくはないですね。うまく言えないんですが、生き様として音楽を鳴らしてくれと。そういった強い個を持った人を今探しています。まぁ若い頃ははっちゃけてもいいんではないかとも思うんですけどね。今回はちょっと偏見ばかりで申し訳ない感じです。



そんなに音楽好きな人いたっけ?

データ化されてネットでの配信や携帯の着信メロディが直接的に儲けに繋がっていくのが今の音楽業界だとは思って間違いはないわけで。そう考えると、CDの売り上げが下がっている現状を嘆くのは、レコードが売れなくなったとかテープが売れなくなったとか、規格が変わるところでは仕方のないことなのかもしれません。


レコード→CD→(MD)→ダウンロード


簡単に図式にしてしまったらこんな感じでいいのかなと思います。そう考えてみると、ここで変化したことと言えば、その音楽を聴く方法とかそういうことではなくて、僕の中では「重み」というものであるとしか考えていません。重みとは何かといったら、簡単に言えば「グラム」です。何を頭のおかしいことを言っているんだといわれたらそれまでですが、僕は音楽への愛を「重み」でもたとえることが出来ていたのだと思います。


ここで、レコードからCDまでテープの流れを含んでの変化ははっきり言ってしまえば規格の変化ということだけでそこまで嘆くことはなかったのだと僕は感じています。便利な点は増えていたわけだし、広く見た場合においては何も変わってはいなかったのです。ただし、レコードがいいといわれるのは、あまり変わらない値段の中でもジャケットが大きいとかそういうインパクトを受けるということと、その重量感に僕らは圧倒されていたのではないかと思います。実際に、こういう音楽はレコードで聴きたい、なんとなく味がでるという感覚も僕にないわけではないし、そのジャケットが好きでジャケ買いをするっていう行為も生まれるわけだから、それ自体が芸術作品として成り立っていたのです。僕がいいたいのは、そのジャケットとか、歌詞とか、レコードだろうがCDだろうが、それを含めた重みを手にとって感じることが、音楽に触れるということの入り口だったと思うんですね。


そこでipodを中心としたデータ化された音楽業界の発展ですが、こちらは全くそれが感じられない。純粋に音楽を聴くという意味では別にわからないでもないんですが、なんとなくこのデータ化された音楽というものには全く愛を感じられないのです。簡単に言ってしまえばクリックしたらそれで買える音楽なんか嫌いだと。音楽というか、その曲自体には何の変化も見られないわけですよ、この規格変化の中では。でも、それを買う側が本当に冷酷になってきているんじゃないかと。記号化というのは、明らかに機械的な観点で捉えているということが出来るわけで。音楽というものは愛に満ち溢れたものじゃないのか、という熱い考え方はなんとなく頑固爺と何ら変わりがないわけです。


【たとえば過去の音楽購入】

なんていうか、CD屋にまで自分の足で欲しいものを求めて行き、それを手にしてレジに持っていって自分の財布を開けて札を出して、そして財布が軽くなっていくのを感じながら、それと引き換えに商品を貰って帰る。しかもその帰り道ははやく聴きたいという気持ちとかがある。むしろ、はやく聴くために帰りの電車の中で開けてポータブルCDで聴く。そういう気持ちの入れ具合が僕は愛せるひとつだったと感じています。


【たとえば今の音楽購入】

パソコンで、itunesとか無料なサイトとかで欲しそうなものを見つけて、マウスでクリック。代金はカードから引かれる方式。で、クリックしたらすぐにその場でパソコンを通して聴くことができてしまう。


便利度で言ったら後者のほうが確実に高いわけでありますし、それを否定するわけには今の業界を生きることは出来ないと思うんです。ただ、こんなにも簡単に音楽を手に入れたり出きる世の中だからこそ、もっと愛せる広がり方をして欲しいものだと。なんか友人からMSNメッセンジャーなんかを通して音楽を手に入れたり、それはそれでいいんだと思うんですが、そこから広げるのか、掘り下げてくれるのかといったら結局同じ事をその人はするだけで、無料無料と広がっていくわけですね。しまいにはipodを使ったりしたDJなんかが現れてきたりもする。違法ダウンロードとかをした曲だったりしたり、そういうのでDJなんかされたりすることだってあると思うんです。あまりにも便利な世の中になってしまったせいで、どうもうまいこと愛がない世界になってしまったかなと。この考えは、古いし時代には合ってないんです。タダのほうが絶対にいいし、便利を求めるのが科学だと思いますから、それをやめろと言うのは原始人と言われても仕方がない。でも、趣味とかそういうのは便利とか金じゃないと思うんです。むしろ、自分がしたいものには金をかけるからこそ楽しいのかもしれないと。そのためにお金を払っているからこそ感じられる何かがあるのではないかと、そしてそれは直接的なものであるから意味があって、自分の手を通さない間接的な世界に実感なんて生まれるわけがありません。


でもこんな中でも、ライブハウスとか言ってみれば少ないとは言え、物販で音源を購入したりする人たちもいます。それを見ることが本当に嬉しい。「あとで焼いてあげるから」と友人に言っていようが、その買ってくれた人っていうのがいるのが素晴らしい気がします。別にレンタルとかまで否定する気もありません。でも好きな音楽は買って部屋に持っていようよ、なんて思ったりするんです。そう考えるとやっぱり音楽なんてそんなに好きな人いないのかもしれないなと思うんです。趣味に音楽鑑賞なんて書く人はいっぱいいます。でも別にそこまでお金をかけるわけでもないし、深く聴くわけでもない。飽きたら聴かなくなるし、新しいものへと動く。これが普通です。だからこそipodなんていうものが売れたりする気もします。だいたい何百曲とか何千曲とかそれぞれよくわかりませんが携帯して音楽を聴くのかといったら、その中で30曲聴けばいいほうなんじゃないですか。だいたい一般的なJ-POPを聴く人が60GBを買ったりする意味がよくわからない気もします。CD棚を減らすために買ったりするんでしょうか。そもそも棚なんて持っていない気もしますが。それにしても、そんなに何をipodに皆さんいれて楽しそうに聞いているのでしょう。僕は不思議でたまりません。


とは言ったけれど、音楽に触れる機会がみんな増えたということは業界的には素晴らしいことだとは思っています。だからこそ、今JASRACを叩くんじゃなくて、そういう著作権とかも大事にしてアーティストとかを守りながらライブハウスやバーでも盛り上げ、そして街でも音楽を持ち歩く生活が一般的になればいいんですね。それにもう少しデータ配信も楽しい感じにしたいなって思うんです。クリックしてポチッとするだけでもいいんですが、もうちょっと伝えられる何かがあるはずです。でも今はそれが浮かばない。悔しいながら自分の愚かさを感じ取っているわけです。

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