突然ゴミ屋敷住人が家族になった時。
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再婚1年後。

母が再婚して1年後。


祖父母との関係が悪化した為、
母と新しい父と3人で市営団地へと移り住む事になりました。



祖母の嫌味から解放されるのだとホッとしたけれど、母との溝は益々深まり


”お前は連れ子なのだから、己をわきまえる事を覚えなさい。”


と言われるようになりました。








小学校高学年になった私は、友達のように習い事をしたいと思うようになりました。




勉強も得意ではないし、字も汚い。
カナヅチで水泳の授業が嫌で仕方が無い。
コンプレックスばかりで、一つくらい克服してみたい。



スイミングや習字。ピアノや塾。
全部とは言わないから。
どれか一つだけで良いから。




そう何度か母にお願いしたけれど、いつも返ってくる言葉は一緒。



”アンタは連れ子なんだから。
この家のお金を使える訳がないでしょう。

そんなもん習ったって何の役にも立たない。授業をしっかり聞いてたら十分でしょう?

もし本当に必要だと感じたら、自分の力で金をかけない方法を見つけなさい。”


”母さん達は仕事をしていて忙しいんだから。
そんな暇があったら掃除とか食事の支度とか、もっと手伝える事が沢山あるでしょう?”




今までだって、食器洗いや洗濯。
自分の出来る手伝いはしてきました。
でも母が満足するような仕上がりにはできなかったようで、


”きっちりと畳んでくれない?

しっかり洗ってくれない?
洗い残しがあるよ‼︎

やるならキチンとやってくれないと困る‼︎
手伝ってくれても有難迷惑じゃん⁈”



と言われ続けたから、やる気も無くなり
手伝う事も減り、益々母との関係は悪くなっていきました。



そんな家庭環境から逃げたくて、
中学に入学した頃から、母の財布から小銭を盗んでは

その金で友達の家に入り浸り、過ごすという日々が続きました。



母が再婚して、
少しは生活にも余裕が出てくるのでは?なんて期待していたけれど……



最低限の

”衣”    ”食”    ”住”


が手に入っただけで、
私の居場所は何処にあるのだろう?



”孤独感”  


と母の財布からお金を盗んだ


”罪悪感”


が手に入った10代前半。



















再婚1年目。

母の再婚。


特別養子縁組とやらで、私は”戸籍上”今の父の子供となった。



同時に新しい祖父母。

新しい名字。

新しい学校。

新しい家。





家や名前。学校が変わるのは初めてではないから、それらについて特に嫌だとは思わなかった。



でも、新しい家族。
未知の世界で全く想像がつかなかった。



今まで   ”おじさん”     と呼んでいた人を、
ある日突然   ”お父さん”   と呼ばされる。




それだけでも当時の私には抵抗があったのに、
いきなり見知らぬ老人達を  
”お爺ちゃん、お婆ちゃん”と呼ばなければいけなくなったのです。




そんな環境に戸惑いながらも、いつも母から言われ続けていた言葉が頭をよぎる。




”ちゃんと言うことを聞いて、良い子でいなさい。


アンタが上手くやってくれないと、私の立場がないのだから。”




この言葉を胸に、何とか新しい環境に馴染もうと頑張ったけれど……




新しい”祖母”は母に負けず劣らずな癖の強い人で


私なりに一生懸命上手くやっていたつもりだったけれど、
母が満足するような”良い子”にはなれなかったようでした。



癖のある人間同士は上手くいくはずがなく、次第に折り合いが悪くなり、その矛先は私にも向くようになりました。




ある日、
疲れて帰宅し横になっている私に祖母が言いました。



”こんな所で寝るんじゃないよ。

大きなゴミがいるよ。


ホウキではく事もできやしない。”






そして口癖のように、事あるごとに言います。




”ユウは本当に良かったな~。


新しいお父さんができて。


母親だけじゃ不憫だからな~。”


”お前は良い所に貰われて幸せだ。


お父さんに感謝しないと。”





一緒に暮らし始めた当初は嫌味なんか言わなかったのに……。
良好な関係を築けていたのに……。



畑に連れて行って色々教えてくれたり、老人会の集まりにも連れて行ってくれたりと




今思えば、お互いに ”孫と祖母”  ごっこを一生懸命に演じていたのかな?




嫌味を言われてばかりだったから、
祖母が部屋のドア前で横になっていた時の事。



”こんな所で寝ていたら通れないじゃん。

前に私に言ったよね~?

大きなゴミがいるって。”




そう仕返しに軽く言ってみたら、すぐさま私を父母の前に連れて行き



”具合が悪くて横になっていたら、
大きなゴミがある。
って私をゴミ扱いしたんだよ‼︎
一体どういう育て方をしているんだ‼︎”


と怒りだした。
父母も私の言い分なんかは聞いてくれない。



”お婆ちゃんに何て事を言うの⁈
どんなに酷い事を言ったか自覚しているの?
すぐに謝りなさい‼︎”




と、私の頭を無理やり押さえつけ謝らせようとしました。
その出来事以降も、私と祖母との関係は悪化していくばかりでした。





母が再婚してから1年後。



母と祖母との関係も悪化し、祖父母の家を離れて3人で暮らす事が決まった時。



”お前の母さんはな~~

嫁に貰ってやった恩も忘れてな~~

この家を出て行くんだってよ~~

勝手に出て行くやつには必要ないだろう~~”



と叫びながら、
私の目の前で茶碗やコップを叩きつける祖母。



こんな祖母から解放される。
少しホッとしたけれど……
それまで以上に、母との溝は深まっていく事となりました。





























母でもあり女でもあり。②

今の父との同居生活が始まると、
以前より暮らしは良くなり喜ばしい事ではあったけれど……





父は母と再婚したい為、
母の気持ちを向けさせようとの想い。




母は父と再婚したい為、
父の気持ちを向けさせようとの想い。



決して私の為を想っての生活ではなかった。



お互いが良いところを見せようと、私を使ってアピール合戦。




再婚した途端に、誕生日なんてものは忘れさられ



時々買ってくれた、
マンガやオカシといった類いの物とも、無縁の生活に逆戻りとなりました。







同居生活をしていた時の父と母は、



男と女。








母と2人での生活は、
部屋が一部屋しか無く狭かったけれど、
どんな時でも顔を見て直接会話ができた。




同居してからの生活は、

”良かったね。子供部屋だよ。’’

と、一部屋を与えられて1人で寝る日が始まった。






母は父と一緒の部屋で、同じ布団で寝るようになり、
私は用があると2人の様子を伺いながら、
その部屋のドアをノックして入り会話をしに行く。





父と母が一緒に入浴すると、1時間ほどは出て来ず、
私は1人その時間を子供部屋で過ごす日々。




そんな男と女の行動は、
子供の私にも薄々わかり始める。



でも、やっぱり子供だったから分からない事もある。



ある日、白昼堂々と薬局でコンドームを買ってくる日があった。




その箱が何なのか尋ねる私に、
”これは大人の薬だから。”
と答える2人。




ある日、食器棚の奥に”大人の薬”を見つけた。



誰も家にはいない事を確認して、興味本位で  ”大人の薬”  を一つ手に取り封を開けました。




それが何なのかサッパリわからない私。


薬だったら食べられる物なのか?
それとも塗るものなのか?




とりあえず口にしてみたけれど、
”大人の薬”はヌルヌルしていて不味いし、なんだが臭いしで



2人が言っていた通り、
”大人の薬”
子供が手にする物ではないのだと思いました。



夜になると、隣の部屋からは情事の様子が伝わってくる日々。



そんな生活を1年も続くと、
だんだんと私の中で、彼女は私の母ではないのだと。

彼女は1人の女なのだと。

子供ながらも嫌悪感を持つようになりました。





そんな私の嫌悪感を母も感じとったのか、再婚した頃から私と母の溝は益々深まっていったのです。









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