久々にブログを書こうかと思うくらいに、ここのところ映画「シン・ゴジラ」について考えてました。
まだ鑑賞一回ですが、自分なりの感想をまとめておこうかと。
非常に見応えがあり、エンターテイメント系作品としては傑作だと思います。
特に、バランス感覚が素晴らしかった。
作品全体としては、強い社会的メッセージを持っていると思います。
東日本大震災及び原発事故を経て、日本人が、核とどう向き合っていくかという事は、ゴジラという大破壊を伴う作品を扱う上で避けて通れません。
しかし家やビルが倒壊すればそれだけ人の命や生活が奪われる事を知ってしまった後では、大規模破壊場面を純粋にエンタメで楽しむ事はできない。これは、ハリウッド版ゴジラを観た時にも感じました。ならば、興味本位や映画的興奮の為だけに破壊シーンを描くのではなく、心の痛みや恐怖を感じるだけの意義を持たせなければならない。この作品を作るにあたって、そこは覚悟したのだと思います。
ただ、余りに社会派に振り過ぎても、興行的に大きな意味を持つ夏の大作としては敷居が高くなる。ゴジラ映画でやる意味も薄れる。あくまでもエンターテイメント系枠として、多くの人に最後まで観ていただき、そのうえで、考えてもらいたいからこそ、いわゆる映画的快楽や、特撮ファンが興奮する場面も用意した(スタッフも“折角のゴジラなんだから”という気持ちはあったと思う)。この辺りがこの作品の評価を多様にする要素かな。
でも、言いたかったのはやはり、日本は核にNOと言うべきというか、日本人は言っていいという事ではないかと。世界で唯一核爆弾を二発も都市に落とされた国として、核の恐ろしさ、残虐性、その後の痛みを肌身で知っているはずの日本。にも関わらず核を甘く見て失敗を繰り返した。それだけに罪深い。ゴジラの業火が首都を焼いたのはそれ故ではないか。
核の落とし子の怒りを鎮めるのは、核の火ではなく、無人の機械でもなく、最後は人の智慧と理解によって用意された凝固剤と、命をかけて最前線に立つ人間達。実に地味で厳粛な作業。
人間はひとたび暴走すれば手に負えない、核という物を手にした。その怒りを放たせず、葬り続ける事が、いかに危うく険しい道か。ラストカットの言いようの無い不安は、それを表している。
それでも、その険しい道を行くと、日本人は堂々と世界に言う権利と使命を負っているのではないかという強いメッセージを、この作品は発しているのではと思います。
で、最初に戻りますが、すごいのはバランスです。これだけ特撮趣味全開演出の場面をやりながら、エンタメ界が諸々忖度し躊躇してきた強い社会的メッセージを発する事を両立させ、興行的にも成功するという業をやってのけたこの作品。
「やられたーッ」って感じです。ゴジラというコンテンツの力もあるので、何にでも当てはまる訳ではないけど、
取材、配役、製作に、そして趣味的コダワリにも出来るだけ妥協を少なくする事で、荒唐無稽な題材も社会とリンク出来、多くの人に何かを伝える作品が、邦画で製作出来るって事を証明した意義も大きいと思います。
しかし、何度も何度も聴いたゴジラのテーマが、エンドタイトルとしてあんなにも胸に突き刺さるとは…
長々と失礼いたしました。
まだ鑑賞一回ですが、自分なりの感想をまとめておこうかと。
非常に見応えがあり、エンターテイメント系作品としては傑作だと思います。
特に、バランス感覚が素晴らしかった。
作品全体としては、強い社会的メッセージを持っていると思います。
東日本大震災及び原発事故を経て、日本人が、核とどう向き合っていくかという事は、ゴジラという大破壊を伴う作品を扱う上で避けて通れません。
しかし家やビルが倒壊すればそれだけ人の命や生活が奪われる事を知ってしまった後では、大規模破壊場面を純粋にエンタメで楽しむ事はできない。これは、ハリウッド版ゴジラを観た時にも感じました。ならば、興味本位や映画的興奮の為だけに破壊シーンを描くのではなく、心の痛みや恐怖を感じるだけの意義を持たせなければならない。この作品を作るにあたって、そこは覚悟したのだと思います。
ただ、余りに社会派に振り過ぎても、興行的に大きな意味を持つ夏の大作としては敷居が高くなる。ゴジラ映画でやる意味も薄れる。あくまでもエンターテイメント系枠として、多くの人に最後まで観ていただき、そのうえで、考えてもらいたいからこそ、いわゆる映画的快楽や、特撮ファンが興奮する場面も用意した(スタッフも“折角のゴジラなんだから”という気持ちはあったと思う)。この辺りがこの作品の評価を多様にする要素かな。
でも、言いたかったのはやはり、日本は核にNOと言うべきというか、日本人は言っていいという事ではないかと。世界で唯一核爆弾を二発も都市に落とされた国として、核の恐ろしさ、残虐性、その後の痛みを肌身で知っているはずの日本。にも関わらず核を甘く見て失敗を繰り返した。それだけに罪深い。ゴジラの業火が首都を焼いたのはそれ故ではないか。
核の落とし子の怒りを鎮めるのは、核の火ではなく、無人の機械でもなく、最後は人の智慧と理解によって用意された凝固剤と、命をかけて最前線に立つ人間達。実に地味で厳粛な作業。
人間はひとたび暴走すれば手に負えない、核という物を手にした。その怒りを放たせず、葬り続ける事が、いかに危うく険しい道か。ラストカットの言いようの無い不安は、それを表している。
それでも、その険しい道を行くと、日本人は堂々と世界に言う権利と使命を負っているのではないかという強いメッセージを、この作品は発しているのではと思います。
で、最初に戻りますが、すごいのはバランスです。これだけ特撮趣味全開演出の場面をやりながら、エンタメ界が諸々忖度し躊躇してきた強い社会的メッセージを発する事を両立させ、興行的にも成功するという業をやってのけたこの作品。
「やられたーッ」って感じです。ゴジラというコンテンツの力もあるので、何にでも当てはまる訳ではないけど、
取材、配役、製作に、そして趣味的コダワリにも出来るだけ妥協を少なくする事で、荒唐無稽な題材も社会とリンク出来、多くの人に何かを伝える作品が、邦画で製作出来るって事を証明した意義も大きいと思います。
しかし、何度も何度も聴いたゴジラのテーマが、エンドタイトルとしてあんなにも胸に突き刺さるとは…
長々と失礼いたしました。