手話パフォーマンスをやるようになって、3年になります。
2015年
ジャズシンガーのYUKARIちゃんと出逢って、彼女のオリジナル曲に手話の振り付けをしました。それをきっかけに
彼女のLIVEに、手話パフォーマンスとして出演させてもらうようになりました。
それから、縁があってちょこちょこと歌い手さんの横で手話パフォーマンスをやらせてもらうようになったのです。
カンツォーネやシャンソン、そして今ではジャズも
イタリア語・フランス語・英語などの歌を日本語に訳したものを参考にアレンジを加え日本の手話に創作しています。
手話を知らない人たちから「手話ってこんな表現ができるんだね!」
「手話って意味は解らないけれど、伝わるものがあるわぁ!」と
言われて、
『そうなんだよ。手話って、音声とは違い演劇みたいに観て伝わる何かがあるんだよ。』って改めて手話を他の人にも伝えたい気持ちが大きくなりました。
そうだ。
もっと、たくさんの人に手話を知ってもらおう。
だって、手話はコミュニケーション手段としてとても優れた言葉なんだもん。
でも
どうしたらいいんだろう?
私にできることって何だろう?
難しいことは抜きにして、自然に話すのと同じように手が動いて
手からもメッセージが伝わったら良いんだけどねぇ。。。。。
そうだ。
音楽と共に手話で言の葉を伝えてみよう。
私は手話通訳者。
聞こえることや聞こえないこと
耳の仕組み
聞こえの仕組み
医学的なこと
精神的なこと
障害やユニバーサル、ノーマライゼーション、ダイバーシティ
浅く広くですが、様々なことを勉強してきました。
手話通訳者として出来ることがあるんじゃないかな?
手話通訳を通して、様々な聞こえない人たちとも出会ってきた経験から、何かできるんじゃないかな?
コミュニケーション手段は
音声言語だけじゃない
音楽から伝わることもたくさんあるし
ダンスから伝わることもたくさんある
わたしは
音を奏でることは得意じゃないけれど
音のイメージから手話で表現することができるかも
ダンスも得意じゃないけれど
心躍るような表現ができるかも
だって
お世辞かもしれないけれど
手話パフォーマンスを見てくれた人から、こんなことを言われたもの
「あなたの手話パフォーマンスを見て感動して涙が出たわ。」って
きっと、そういう人が他にもいるかもしれない
手話を思ってくれる人が増えるかもしれない
自分も手話をやりたいって人が出てくるかもしれない
そう思って
手話パフォーマンスをやろう!!
っと決めました。
私なんかがやったって社会は変わるもんじゃないけれど
やらないよりやった方が誰かの目に留まるんじゃない?
私なんかでも
もしかしたら、誰かの役に立つかもしれないし
もし誰かの目に留まることがあれば
私もあなたも生きててよかった。
出逢えてよかった。
やっててよかった。
って、思えるんじゃないかなって思ったりして。
なんとなく、生きてる意味みたいなものを感じるような気がして。
やるなら、人様に観ていただけるような表現をしたいって思って
どうやって手話に翻訳しようか考えました…
歌詞を読んで
作詞家や作曲家のことを調べたり
その歌が作られた時のエピソードを読んだり
ドラマや映画に使われてたりするものは、そのドラマや映画を観たり
歌詞のイメージを膨らませて、私なりの解釈で歌詞のストーリーを手・指・体・表情で形にしてみました。
かたっ苦しい「手話通訳」のイメージだけが「手話」じゃない。
普通に、お母さんが子供に語りかけるのも
恋人が愛を語るのも
ケンカをするもの
エッチな話をするのも
手話で出来るってことを
その当たり前をもっと知ってもらうために。
演じるノウハウを誰に習ったわけじゃないけれど
共感できるものができるように
私でもできたってなれば、それが誰かの励みになるかもしれないって思うから
これからもやっていこう。