~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

毎度毎度、私がブログで『暫くは仕事で更新が滞ります』と宣言した途端にビッグニュースが舞い込んでくる現象、誰かテキトーな名前をつけてくれると嬉しいのですが、取り敢えず、善くも悪くも色々と思うところがありましたので、今週はコレで短めの記事をUPします。

 

 

 

 

一部報道では『本当は櫻井翔主演の福沢諭吉が内定していたが、昨今の事務所騒動で立ち消えになった』との噂がマコトシヤカに囁かれていた2026年の大河ドラマ。個人的には真珠湾攻撃に参戦した100歳オーバーのお爺ちゃんに『戦場でアメリカ兵を●すって、どういう気持ち?』などという手心の欠片もない質問を真顔でぶつける櫻井の空気の読めなさっぷりは、福沢を演じるに相応しいと思わないでもありませんが、数年前からスケジュールをガッツリと抑えられることに定評がある大河ドラマの題材や主演が、昨年の半ば過ぎに本格炎上した事案で容易に差し替えられるとは考えにくいので、恐らくはガセでしょう。ワイの中で福沢は日本史の嫌いな人物の十指に入りますが、同時に日本史における貢献度も十指に入ると評価しているので、いつか大河ドラマの主人公になってくれることを期待しております。

さて、肝心の2026年の題材ですが……うーん、何と評したらいいか、最初に聞いた時のワイの心境を端的に表すと、

 

食堂の日替わり定食、一昨日はカレーで今日はカレーうどんか

 

でしょうか。豊臣兄弟って『どうする家康』で結構尺を費やした(割に中身は薄かった)のに、その3年後に同じ題材をやる? シンプルに口飽き感が半端ないのよね。今回は幕末か明治の順番やろ、jk。一応、主役は小一郎らしいけど、タイトル的には秀吉とのダブル主人公になるのは確定的であり、あんだけ『どうする家康』でサイコパス風味に描いた羽柴ブラザーズを、今度は主人公として視聴者に感情移入させるようなキャラクターとして描かれても、空々しさが拭えないのではないでしょうか。それこそ、弟を主題にした大河でしたら、嘗て足利尊氏を演じた真田広之の『SHOGUN』が話題を集めている&逃げ若を中心に南北朝界隈の頭がフットーしている今こそ、

 

腹黒い弟の直義大河

 

のほうがビンビン来るのではないかと思います。

ただ、昨年の装鉄城さんの犬山ツアーで、私が直義大河を推す際につけ加えたようにナンバー2タイプの弟って兄貴を主人公にしたほうが効率的なのよね。これは小一郎だけでなく、武田典厩信繁も彼を主人公に据えるよりはフツーに信玄大河をやったほうが作り手側も受け手側もやりやすいと思うのよ。

 

それと謀臣タイプではなく、補佐役タイプのナンバー2って基本的にいい人路線になりがちなのよね。腹黒い弟の直義は紛れもない謀臣タイプだけれども、小一郎は補佐役タイプとして受け取られがちだからなぁ。大河ドラマの主人公である以上、一定のドス黒描写は避けられないのですが、小一郎の場合はサッルという大河ドラマの暴君のフリー素材みたいな兄貴がいるので、全部兄貴のせいにして主人公はキレイキレイで終わらせる危険性も充分あり得そう。そもそも、補佐役小一郎というのも堺屋太一が20世紀に提唱した史観なので新鮮味に欠けるというか、それだったら『秀吉』を再放送したほうが早いよね。ただ、この辺の不安要素は近年の研究で明らかになりつつある秀長銭ゲバ説をベースにして、兄貴の無茶振りに応えるために銭の亡者と化す小一郎という方向性で行ってくれると、史実と補佐役の印象と大河ドラマの主人公らしい暗黒面の全てをフォロー出来そうに思えなくもないので、再来年の大河ドラマは是非、

 

銭ゲバ45分的大河ドラマ

 

で進めて欲しいです。

あと、脚本は『VIVANT』の人なのか……今、遅ればせながら地元の再放送枠で途中まで見ていますが、伏線回収とどんでん返し自体が目的と化したような作劇は古沢良太氏に通じるものがありそう。その意味でもますます『どうする家康』と路線が被りそうだな。あと、松潤家康の再登板ある? それこそ、事務所の影響力の減衰が囁かれている昨今、今度は前作以上にドス黒い家康を期待したいです。

 

読み返すと結構否定的な内容になってしまいましたが、別に小一郎という人物や題材自体に含むところはありません。これは何度か明言しているように放送前からコケて欲しいと思う大河ドラマは(田渕や小松や中園が再登板した作品でも)ないのと同じですね。これも何度か言及しているように『真田丸』のように頭ハッピーセットのような事前キャッチコピーから一転、近年の大河ドラマのスタンダートとなった作品もあるので、あくまでも見たうえで判断したいと思います。期待よりも不安が大きいのも事実ですが、よく考えたら事前の期待値を上回った近年の作品って『八重の桜』第一部と『いだてん』と『鎌倉殿』くらいしかないからなぁ。

 

よし、来週こそは休む、多分。

 

 

 

 

 

物語前半の山場として設定されていたであろう『寛和の変』ですが、事前に兼家の詐病やら晴明の暗躍やらの下準備に尺を費やした分、変自体はアッサリと終了しました。『手紙を忘れた』『もう運んであります』『え? 勝手に文箱開けたの?』という花山帝と道兼のやり取りとか、逢い引きのフリをして女官の目を誤魔化すとか、そうした現場のドタバタをもっと盛り込んで欲しかったかな。三谷さんだったらここぞとばかりに陰謀がバレるかバレないかのハラハラドキドキコメディに仕立ててきたでしょう。まぁ、その辺は作家性の違いなので、必要以上にドーダコーダいうつもりはありません。大河ドラマで寛和の変が描かれたこと自体が意義深いことであり、本作では内容以前にその点を評価するべきと思われます。

実際、本作でも三郎が花山帝出家を関白に報告する、ある意味でツカイッパの役割を与えられた史実に対して、ハカリゴトが失敗した際の保険として三郎を蚊帳の外に置いておく兼家の計算という解釈がなされており、更に『真田丸』で昌幸パッパの手玉に取られた滝川一益が、犬伏の別れにも似たことをやらかす点で、大河ドラマ好きへのサービスもバッチリ。昨年の大河は善かれ悪しかれ盛り過ぎであったことを鑑みると、今年は若干食い足りないくらいで収めるのがバランスが取れてよいのかも知れません。

 

むしろ、今回は三郎とまひろの恋愛パートのほうが圧倒的に面白かったわ。基本的に恋愛劇の理解度にかけてはヤンがメシマズにプロポーズするまで二人の関係に気づかないレベルの私ですが、今回は高度なギャグとして楽しめたと言いますか。

まず、作中で行成が言及していたようにフツーは男が志を謳う漢詩を用いて、女が心情を詠む和歌を用いるものなのに、それが逆転しているところ。この時点で行成が言外に述べていたように、

 

『相手にされてないってことだよ。言わせんな恥ずかしい』

 

と判りそうなモノですが、しかし、三郎は懲りずに『逢いたい』『逢いたい』『逢わなきゃんじゃう』とタチの悪いリスカレターを送り続けるのよ。これは引く。

更に逢ったら逢ったで『お前も俺も地位も名誉も家族も未来も捨てて遠くの国へ逃げよう』とかフツーのラブロマンスだと女性ヒロインが言い出しそうなことを口走るのよね。これ、まひろが言ったらアホのスィーツ脳かと思うけど、よりにもよって後年の藤原道長に言わせるところがジワジワ来ました。男女の逆転に加えて、歴史上のイメージも反転させた面白さ。そのうえ、まひろが何度も『貧乏生活に耐えられる? 自分の使命を忘れてない?』とマトモな言葉で諭しても三郎は『何とかなるなる!』と全く聞く耳を持たないのがツボ。もう喋るな、話が嚙み合わねぇ。三郎、先述のように言っていることは女性ヒロインみたいなんだけど、目の前の女をモノにしたい欲求でイッパイイッパイになるところ、女を口説くドーテー男のガツガツっぷりの再現度が高過ぎるのよね。まひろがエッチを受け入れたのって、愛とか恋とかじゃなくて、

 

今の三郎は一発抜いて賢者モードにしないと会話が成立しないと腹を括った

 

んじゃないかと思いました。実際、スッキリした三郎は外国に連れて行くつもりであったまひろを『帰り、送っていこうか?』と自宅に送り届けようとするとか、完璧に賢者モードに入っていたからなぁ。既存の男女の価値観を入れ替えたうえで、そこに男性特有の情欲と後朝の無責任さを生々しく描いていて、最高に好き。

しかも、三郎を袖にしたまひろの『自身の使命から逃げるな』という言葉は、のちに三郎が藤原道長として様々な権謀術策に手を染めた際、まひろから『何やってんの!』と批判された時に『お前が俺を振ってまでこうやれと言ったんだろ!』と逆切れする布石になり得そうなのが楽しみです。

 

ただ、まぁ、これらの面白さは私の歪んだ恋愛観に基づくヒネた解釈なので、ド正面から正統なラブストーリー&大河ドラマとして受け入れるには弱かったのも確か。種類で言うと『花燃ゆ』での寅次郎と義助のレスバ的な、本編の出来不出来から多少離れたポジションでの笑いということで、面白かったけれども高評価とは別問題であることはつけ加えておきましょう。

 

あ、来週以降、暫くの間は仕事関係で更新が滞るかも知れません。悪しからず。

 

 

 

 

 

藤原道長「この者たちは人をあやめてはおらぬ。生命まで取らずともよい」

直秀「凛々しいことだな、若君(嘲笑

 

 

 

藤原道長「検非違使……いや、五徳殿に引き渡せ」

 

 

 

 

 

直秀「待って、待って(必死

 

二年連続大河ドラマで非業の死を遂げた毎熊克哉さん。それでも、昨年は直接的には描かれなかったこの上なくむごいやり方と比べたら、多少はアレな最期であったのかも知れません。迷わず成仏してクレメンス。

前回までは『官憲に捕縛されたとはいえ、序盤からガッツリと三郎やまひろと絡んでいる直秀さんだから、都から追放された先でドサ回り中のまひろ親子と再会するんやろうなぁ』とタカを括っていたのですが、どことなく鰊蔵を思わせる牢といい、散楽メンバーの『俺、ここを出たら馴染みの女に会いに行くんだ……』というベッタベタな台詞といい、途中から『こんなん死ぬしかないやん』と思わせるフラグの連発で、鳥辺野というフレーズが出る前に色々と察してしまいました。『海の見える国へ行く』という直秀の台詞には補陀落渡海の意味を持たせていたのかも知れません。ゴーイングゴーイング、今日を旅立つ準備はいいかい?(羊文学風)。まぁ、オリキャラは惜しまれるうちに退場させるのが花であることは一昨年の善児で立証されているので、一つの潮時ではあったのでしょう。

 

ただ、肝心の直秀が『処分』されるに至る経緯や動機があまりにも不鮮明であったのも確かです。私的には、

 

三郎「いいか、処刑するなよ? 絶対に処刑するなよ?」

検非違使(処刑しろってことだな)お か の し た」

 

という貴族のボンボンに対するダチョウ俱楽部的過度な忖度と受け取りましたが、実況のコメントを読むと、

 

三郎「まひろは私の知り合いだ。この女は解放してくれ」

検非違使「あっ(察し)……貴方の女をかどわかした不逞な賊を始末しました」

三郎「ああああああああああああ(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!

 

という検非違使のゲスの勘繰りが生んだ悲劇という意見もあり、公式ガイドによると、

 

検非違使「いつもは腕の一本でもヘシ折って済ませるのに流刑地に送るの面倒クセーな……始末したほうが早えーわ」

 

という下級官吏の怠慢との情報もある。どれも何となく理解は出来るけれども、しかし、どれも単品では決定的な説得力に欠けるのよね。公式ガイドの情報が正しいのかもですが、それだとシンプルに官吏の怠慢が原因であって、三郎が自分の責任と受け取る理由としては弱い。手前味噌ですが、三郎に自分は気楽な三男坊でなく、大貴族藤原家の御曹司であるという自覚がなかった=下級官吏の斟酌を予想出来なかったほうが、自責の念に駆られて、自身の立場を自覚する契機になると思うのですよ。何れにせよ、ホンの一言二言でいいので手を下した検非違使サイドの動機を描いて欲しかった。直秀のように制作陣が推していたオリジナルキャラクターが、不鮮明な理由で片づけられてしまったのが痛い。鳥辺野のインパクトを強調したいあまりに直前まで情報を伏せておきたかったのかなぁ……いや、でも、その割に牢内で思いっきり死亡フラグ立てとるし。

 

しかし、それ以上の問題点は直秀の死が本筋と全く関係ないサイドストーリーで終わってしまったことなのよね。オリキャラを無理矢理史実に絡ませる必要はありませんが、全く史実と絡ませずに退場させるのも、それはそれでオリキャラを出す意味があるのかとの疑問を禁じ得ません。私的には直秀が早期に退場するとしたら、盗賊として忍び込んだ先で寛和の変の裏工作を何等かの形で知ってしまって、それで消されるんじゃあないかと予想していたので。まひろマッマのように死後にストーリーを牽引するポジションになる可能性もありますが、現時点で直秀は三郎とまひろの三角関係を描く以外に登場する意味があったのかという根源的な存在意義を問われる最期になってしまった訳ですよ。特に今回は兼家の詐病と彼の謀略の全容が明らかになる重要な内容であった分、あまりにも史実と無縁のオリジナルパートで構成され過ぎた鳥辺野イベントが浮いてしまった感は否めません。世間的には鳥辺野のインパクトが話題になっている今回ですが、私的には低評価。次回の『寛和の変』での挽回を期待。