太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。

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 ご無沙汰しております。私自身は乳癌の転移持ちなので元気とは言えませんが、とにかく生きております。

 

 先日小林麻央さんの訃報をお聞きし、謹んで哀悼の意を表したいと久方ぶりに記事を書いています。

 

 

 

 

 麻央さんのブログは更新ごとに拝見していました。そのためかお会いしたことも無いのに、他界されたとの報には喪失感を感じました。

 

 逐次更新ごとにご自身の病状を率直に開示するという、芸能人としてはタブー分野に風穴を開けた画期的なブログでした。その点で私は開拓心旺盛な勇気ある方だったと思っています。

 

 しかしそれと同時に私には疑問が生じました。自分自身も進行乳癌持ちのため、時折癌患者さんのブログを拝見しますが、そこでは「死」そのものに関しての話や議論が全くなされないことです。

 

  癌のブロガーさんも、心中では「死」に対する様々な思いが錯綜していると思うのです。しかしそれを記事にしてしまうと「暗く縁起の悪いブログ」となり、人が寄り付かなくなるかも、との懸念があるのかもしれません。

 

 最もブログでの「死」に対するタブー扱いはブロガーさんが悪いのではなく、「死=絶望」といった、世間に蔓延するネガティブイメージが元凶です。

 

 「死」とは、目の前に厳然と存在する現実です。人は必ず死にます。「死」とは必然で、「生」とは表裏一体です。

 

 にもかかわらず、癌の闘病話では「頑張って生きる」話は大いに語られ、最後の「死」についてはまるで臭い物に蓋をするかのように、完全スルーされます。

 

 

 

 

 これでよいのか、と以前から常々疑問に思ってきました。もう「死後の世界は在るか無しか」を考える以前に、「死」に関して気軽に話せる社会的な雰囲気の醸成が必要だと思います。でないと非常に偏狭した人生で終わってしまうのではないでしょうか。

 

 「頑張って生きる」話も結構ですが、まず「死」についての議論の場を、例えば病院の講座や患者会で設けられる社会になってほしい、と切実に願っています。

 

 

 

 群馬県にある陸上自衛隊の相馬原(そうまがはら)駐屯地の史料館を見学してきました。相馬原には2つの史料館・記念館があります。

 

  1つは当地の自衛隊活動と旧軍の歴史が展示されている「桜武記念館」、もうひとつは「友魂記念館」です。戦前の相馬原には前橋陸軍予備士官学校がありましたが、友魂記念館はその戦没者を祀る施設です。

 

 1回目は相馬原駐屯地の歴史的経緯と、友魂記念館をご紹介します。史料館の前には61式戦車と74式戦車が展示されています。相馬原駐屯地には1962(昭和37年)から2001(平成13年)までの39年間、第12戦車大隊が置かれていました。

 

友魂記念館1

 

  61式戦車と74式戦車。ちょっと逆光で見えにくいですね。

 

友魂記念館2

 

  61式戦車。現役61式を最後まで保有していた部隊でした。

 

友魂記念館3

 

   74式戦車と「榮光 第12戦車大隊」の石碑。相馬原駐屯地は第12師団だったのですが、2001年に第12旅団へと改編されました。

 

 部隊は連隊<旅団<師団の順に大きくなるので、師団から旅団は縮小ですね。それに伴い第12戦車大隊も廃止されました。現在戦車部隊は相馬原にはありません。

 

友魂記念館4

 

   第12旅団広報室から画像をお借りしましたが、「第12旅団は、陸上自衛隊で唯一空中機動性を高めた旅団であり、群馬県・栃木県・長野県・新潟県の4県を担任地域としています」と説明されています。

 

出典:防衛省陸上自衛隊東部方面隊「第12旅団へようこそ!」

http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/

 

友魂記念館5

 

   74式砲塔には第12戦車大隊のトラのシンボルマークが見られます。当部隊は1985(昭和60年)の日航機墜落事故でも災害派遣されています。

 

友魂記念館6

 

 「歩道脇になんでカエルが?」と思ったら、「無事帰る(カエル)」というゲンを担いだものでした。

 

友魂記念館7

 

 石碑には「前橋陸軍予備士官学校跡」と記されているようです。相馬原駐屯地は戦前、陸軍予備士官学校が設置されていました。

 

 1941(昭和16年)に陸軍予備士官学校が岩手県盛岡市の「盛岡陸軍予備士官学校」から、現在の群馬県北群馬郡榛東(しんとう)村へ移され、「前橋陸軍予備士官学校」と改称されました。

 

友魂記念館8

前橋陸軍予備士官学校(昭和1620年)

 

 

 陸軍予備士官学校とは旧制中学など、中等教育以上の学歴を持つ志願者から選抜され、1年などの短期間で予備役将校、または予備役下士官になるよう教育を行う学校です。その教育を受ける生徒は「幹部候補生」、略して「幹候」とも呼ばれました。

 

 「幹候」といえば、俳優の池辺良さんを思い出しますね。予備陸軍少尉となっても短期仕込みの将校のため、最初は古参下士官から馬鹿にされ統率がとれなかった、などの苦労話がエッセイに残されています。

 

友魂記念館9

池辺良。映画では海軍軍服を着ていますが元陸軍中尉。

 

 

友魂記念館10

 

  こちら友魂記念館の入り口です。

 

友魂記念館11

 

  全景はこのような建物です。(第12師団のホームページより拝借)

 

友魂記念館12

 

 内部には前橋陸軍予備士官学校出身者で戦没された方の遺影が飾られています。約8,000名以上のうち、約1,400名が戦死されました。

 

友魂記念館13

 

 卒業年度ごとに分けられていますが、11期生が最後の戦没者であると、広報の方が言われていました。

 

友魂記念館14

前橋陸軍予備士官学校時代の写真。

 

友魂記念館15

出征された方の遺品等の展示。

 

友魂記念館16

 

 群馬県を含む北関東では、ニューギニアやペリリューなど激戦地へ派遣された部隊が多かったようです。最後に一礼し、友魂記念館を後にしました。

 

 次回は桜武記念館の見学についてです。(全2回)


災害ゴミ 


 豪雨が去った後、後には水に浸かった家屋が残されました。

 

家の親戚も床上浸水で被害を受け、後片付けに苦慮していたので、今日は身内が加勢に行きました。被災宅は老人世帯なので、本人たちだけでは手に余るのです。

 

他にも災害後の処理に困っている方々がおられるようです。何か対策はないかと調べたところ、栃木県内で災害ボランティアを募集している市町村があったので、下記に掲載しました。

 

茨城や東北ではなぜか募集を見かけませんが、これから上がってくるのでしょうか。ボランティア、余裕のある方よろしくお願いいたします!m(_ _ )m



【栃木県小山市】台風18号の影響による災害ボランティア募集 

http://volunteer.yahoo.co.jp/detail/3/6972/



【栃木県鹿沼市】台風18号の影響による災害ボランティア募集 

http://volunteer.yahoo.co.jp/detail/3/6971/



2015年台風18号大雨被害】栃木県小山市社協ボラセンで災害ボラ募集(市内の方のみ) 

http://volunteer.yahoo.co.jp/detail/2/8198/



2015年台風18号大雨被害】栃木県鹿沼市ボラセンで災害ボラ募集(栃木県の方のみ)

http://volunteer.yahoo.co.jp/detail/2/8199/


豪雨1 


 関東・東北地方で豪雨による災害が続いていますが、皆様大丈夫でしょうか?こちらでは大雨凄かったです。

 

2日間にわたり、バケツをひっくり返したような土砂降りが続きました。洪水の危険があるから避難せよと言われても、田舎では高層ビルがありません。自宅の2階がせいぜい一番高い場所だったりします。

 

普通は小中学校やコミュニティセンターが避難場所に指定されますが、当地では自宅より避難場所の方が川に近く、より危険度が高い。たとえ床上浸水しても、2階にとどまる位しか対策がありません。

 

一時は道路が冠水しましたが、結局自宅は床下浸水もなく、雨も上がり今日は久しぶりの晴れ間が見えました。


豪雨3 

 

町では被害もなくよかったと安堵していたのですが、近所の人に聞いたところ、実は近隣には床上浸水した家もあったそうです。

 

近くを流れる小川が溢れて、その地帯にはあっという間に太ももの線まで屋内に水が押し寄せて来ました。

 

その人は危険が迫ったら家財を移動させようと考えていたようです。でもいざその時になると、床上浸水までは瞬時でとてもとても、そんな暇はありませんでした。

 

その川は用水路のような取るに足りない小川なのですが、非常時にはあっという間に決壊し、家を浸水させるだけの力を持っているということです。恐ろしいです。そういう話を聞くと、私の自宅も紙一重で被害を免れたのだと思います。

 

小川でもこんな具合ですから、一級河川である鬼怒川の決壊は水が怒涛のように押し寄せて来たのではないでしょうか。地域住民の方々は逃げる暇もなかったのではと思います。

 

近くでも道路が陥没したりして地盤が緩んでいますから、大雨は去ってもしばらくは注意が必要でしょうね。


豪雨2 



ツバメ 

 いつの間にか自宅のベランダに、ツバメが巣を作っていました。どうも近所の軒下に毎年居候していたツバメ一家が、どうしたことか古巣が気に入らなくなって、我が家へ引っ越してきたようです。

 

 ツバメのヒナ4羽を親鳥2羽で世話。明け方から騒ぎ始め、何をしているのかと窓からのぞくと・・・。


幼鳥 

4羽揃ってウサギ小屋の中で整列しています。でもあまり眺めていると、親鳥が威嚇しにやって来ます。


警告音 

・・・と言っているようにしか見えない。 私の真正面で羽ばたいて警告音を発しているところです。

 

フンの始末もしているんだから、少しは「ごめんなさい」という顔をしなさい。(^_^;)


オス 

尾の両側が細長く延びているのがオスだそうです。オスの方が結構攻撃的な行動をとっていたようです。


メス 

こちらはメスですね。尾に細長いツノがありません。


幼鳥の生活 

昼間はこんな感じです。


目が合う 

目が合った。(^o^;)


朝顔 

そうしているうちに3週間程度が経ち、子供は羽ばたきの練習を始めました。


巣立ち 

近くの電線に4羽止まっていました。親鳥がまだ餌を与えていたので、恐らくウチの幼鳥だと思います。


花 

ツバメの寿命は1年半です。秋にはインドネシアやフィリピン、マレー半島まで渡っていきます。渡りの最中は飛びながら餌を採り、眠りながら飛行します。


電線のツバメ 

最初はヨレヨレのモヤシみたいな風采でしたが、1カ月弱で巣立ち、間もなく太平洋を横断する準備に入ります。鳥といえども、人間を遥かに超えた能力に畏敬にも似た念を感じますね。


ツバメ飛翔