皆さん、こんにちは。

ぎいちです。久しぶりの書き込みです。




2月中旬の4日間、九州を旅してきました。

ふたつの研修会にお呼ばれして、

ちょこっとだけ、お話なんぞをさせていただきました。

そのご報告~~~です。








1日目


午後の便で羽田空港から福岡空港へ。

久留米で、かずねさん・まるちゃん・いつおちゃん・こうちゃん・だいちゃんと前夜祭。



久留米やきとり、特に牛タンにびっくり。

一度ゆでてから焼いているようです。それに、とってもやわらかい。

牛タンシチューのような串焼きでした。

世の中には、うまいもんが、まだまだあるもんですね。







2日目


久留米教務所に、若坊守さん60名ほどが集結されています。

この日のコンセプトは、「音楽を聞きながら、親鸞の世界へ」

午前90分・午後90分の持ち時間を、

お話・音楽・お話・音楽…という感じで、すすめてみました。



話題は、日常のこと・こども会・被災地支援・グリーフケア・親鸞・・・。

曲は「麦の唄」(中島みゆき)や「Dragon Night」(SEKI NO OWARI)

「日々」(吉田山田)や「春の雪」(やなせなな)など新旧9曲。

出来はともかく、皆さん一生懸命にお聞きくださいました。

ありがと。



お話を終えて、一路長崎県は佐世保へ。

6時頃、到着、この日は旧知のそうし・のぶちかの3人で夕食会。

めずらしいワニの唐揚げなるものをいただきました。

なぜ、ワニ?  その店にあったからさ。







3日目



午前、時間があったので佐世保のカトリック教会へ。

偶然ながらミサに参加し、神父さん・シスターさんからお茶に誘われました。



午後、児童教化指導者研修会が佐世保別院で行われました。

僧侶や保育士さんなど、若い世代を中心に50名ほどの方々がご参加です。

昨年7月の「佐世保女子高生殺害事件」を通して、

今私に何が問われているのか、どのように歩み出すべきかを語れとのこと。

迷いながらも80分のお話を、なんとか終えました。




この日の夜は懇親会。

かずち所長やあっちゃん先生、長崎を代表する若手僧侶のみなさんと。

修練で出会った人や初めて出会った人たちと酒を酌み交わします。

この日、生のイカ姿造りを食べました。

これが、サイコウにうまかった‼‼‼‼

結局4軒、最後の締めのラーメンまでご一緒してしまいました。

張り切る中年オヤジ、ここにあり。








4日目


同じ年のけんしょうちゃん(長崎教区)のお寺に表敬訪問。

3か月前にお母さまがお亡くなりになられたとのこと。

実は私たち、そんな世代です。ひとごとじゃない!

昼食に、長崎名物皿うどん・大村寿司、それと日本酒をごちそうになりました。






こうして4日間の九州への遠征、終了。

ご一緒していただいた皆さん、本当に有難うございました。

写真、とり忘れ。

文章のみで、失礼しました。





            俱會一處
親鸞に出遇う 報恩講法要


  日時:2014年11月2日~3日
  場所:存明寺(東京都世田谷区)
  講師:伊藤元先生(日豊教区 徳蓮寺前住職)
  講題:教えてもらって救われる道


親鸞さんの報恩講法要が行われました。
まずは第一日目。ご講師は伊藤元先生。
はるばると北九州からお越しいただきました。
存明寺住職のぎいちが、かねてより敬愛する先生です。




生き生きとした表情です。
お話のテンポもよく、3分に一度の割合でどっと笑いが起こります。
そして鋭く人間のすがたを指摘するお話。





皆さんお話に引き込まれるかのように聴聞されています。
見習いたい、この話術。見習いたい、この姿勢。





聞く側の表情もきりっとしまってきます。
まるで聞く人にあわせて臨機応変に話題を変えていらっしゃるかのよう。
あとで先生におたずねしたら、何とびっしりレジメを作って臨まれるのだそうです。


この日の夜は千歳烏山のスペシャルなお店で
先生とねんごろな時間を過ごしました、とさ。








あけて2日目です。
この日11月3日は、いつもとってもいい天気。





たくさんの方々にご参詣いただきました。





今日も伊藤元先生はすこぶるお元気です。
この日も3分に一度の笑いとともに、
広くて深い教えの世界のお話が繰り広げられます。





こころに響いた言葉集

 ・苦しいことは不幸なことではなく、そのことによって見えてくる世界がある。

 ・自分が自分を大事にするような生活を。

 ・生まれた環境を選び直す、それがなければ暗い人生で終わる。

 ・損得を超えて動く人がいる。心ひかれる。

他にもいっぱいありますが、この辺で。





五色の幕をまとった存明寺のご本堂。







門徒感話は浩一さんと良子さん。
お二人ともご自身の歩みが伝わってくるようなお話で、とても感動しました。
伊藤元先生がすかさず「いい話やった、ありがとう」と伝えておられました。





こうして2日間があっという間に終了し、最後に門徒交流会。
お酒を飲みながら先生を囲んで、2日間の感話大会です。
多くの方々が、元先生に出会って、いろいろな刺激を受けた様子。

こうして報恩講が終了。
そして、ビッグニュースがあります。


な、な、なんと・・・、

2015年11月2日~3日の存明寺報恩講。

ふたたび伊藤元先生にお越しいただくこととなりました。

来年は是非あなたもご一緒に・・・!!!!!!!!!!!
ぎいちの出没情報(11月・12月)です。
接近遭遇の際は、どうぞよろしくお願いします。




■11月10日(月)

 北海道教区第10組 推進員養成講座スタッフ学習会

 新ひだかのお寺にて
 

■11月15日(土)~16日(日)

 長浜教区浄願寺報恩講

 お話:ぎいち
 場所:浄願寺にて(長浜市相撲町654)
 15日 10時~・13時30分~
 16日 6時30分~・10時~


■11月20日(木)~21日(金)

 仙台教区本誓寺報恩講

 お話:ぎいち
 場所:本誓寺にて(岩手県紫波郡紫波町)
 20日 10時30分~
 21日 10時30分~


■11月22日(土)14時~

 存明寺 しんらん交流ひろば★樹心の会

 お話:酒井浩美坊守・松本維邦さん・ぎいち
 場所:存明寺にて(東京都世田谷区北烏山)


■11月24日(月)14時~

 ぞんみょうじこども会

 内容:おてらのえいが上映会
 場所:存明寺にて(東京都世田谷区北烏山)

■11月29日(土)11時~

 存明寺の帰敬式

 場所:存明寺にて(東京都世田谷区北烏山)
 22名の新しい仏弟子の誕生日


■12月5日(金)~7日(日)

 日豊教区西光寺報恩講

 お話:ぎいち
 場所:西光寺にて(大分県日田市)
 5日 12時半~・19時~
 6日 12時半~・19時~
 7日 12時半~


■12月9日(火)~11日(木)

 北海道教区第10組 推進員養成講座

 お話:ぎいち
 場所:北海道 襟裳~新ひだか界隈


■12月13日(土)14時~

 しんらん交流ひろば★樹心の会

 お話:髙橋昭彦さん・ぎいち
 場所:存明寺にて(東京都世田谷区北烏山)


■12月18日(木)~19日(金)

 被災地支援活動イン福島

 場所:福島県いわき市
 内容:交流・夕食会・足湯など
 原発近くの富岡町からいわき市に避難している方々との交流。
 参加ご希望の方は、ご一報ください。
 

■12月20日(土)14時~

 存明寺グリーフケアのつどい

 場所:存明寺にて(東京都世田谷区北烏山)
 内容:勤行・法話・座談・音楽鑑賞
 大切な方を亡くした人へ
  ―同じ体験をした人々の集い―


■12月23日(火)14時~

 ぞんみょうじこども会

 カップケーキつくりにちょうせん
 場所:存明寺にて(東京都世田谷区北烏山)




以上です。ほっこりとよき時間を。     BYぎいち
自分が楽しんでいて、みんな子どもが好きで参加している。

その姿に感動した。(東北子どものつどい参加スタッフより)



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同朋ネット メールニュース 【9月15日版】
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◆東北子どものつどい 参加スタッフより

(9月13~15日 東北子どものつどいに参加した東京教区スタッフへの電話インタビュー)

【参加スタッフより】


13日から今日まで、被災地支援の「東北子どものつどい」が岩手県八幡平で行われ、東北の親子・スタッフ約500名が参加。


晴天ときどき雷の天気、広場では思いっきり遊ぶ子どもたちのすがたがあり、とても印象的であった。


各教区の工夫を凝らしたブースがあり、とても光っていた。たとえば・・・


ラーメン・フランク・フライドポテト・きりたんぽ・五平餅・炊き込み鶏めし・長崎ちゃんぽん・白根ポーク・中津から揚げ・名古屋どて煮・ポトフ・山陽焼き鳥などの食ブース。


吹き矢・大型パチンコ・わたがし・バスケットボール・山陽マジックコーナー・金沢喫茶コーナー・三重の忍者・缶バッチ・フェースペイント・ハンターなどの遊ぶース。


各教区の有志が工夫を凝らしたブースがたいへんにぎわっていた。東京教区は揚げ物屋さんを出店、好評をいただいた。


以下東京教区のスタッフの生の声をご紹介します。






「本当にフル稼働しました。ほぼ休憩なく揚げまくりました。油にまみれて…」


「元気な子どもたちにお会いできた。なつかしい顔にもたくさん会えた。気温もいい陽気で過ごせた。」


「到着して、お母さんや子どもたちと再会できたことがうれしかった。覚えてくれていた。子どももスタッフも初参加の人がいた。このつどいの広がりを感じた。油まみれになって今回はとっても疲れました。」


「初めてこういう企画に参加して、ボランティアといってもみんな楽しそうにしていたことが印象的だった。自分が楽しんでいて、みんな子どもが好きで参加している。その姿に感動した。」



※東京教区スタッフは、任務を完了し、現在東京に戻る道中。15日5時現在東北自動車道国見インター付近を運転中です。

今晩の遅くに真宗会館に到着予定です。気を付けてお帰り下さい。








◆参加スタッフを募集します。

*第43次 11月17日(月)~19日(水)

  訪問先:宮城県石巻市「小網倉仮設住宅」

  内 容:被災地視察・夕食交流会・足湯など

日 程:1日目 朝真宗会館集合~仙台へ移動~買い出し打合せ~東北別院泊    

    2日目 東北別院~石巻~準備~夕食交流会~石巻泊

    3日目 石巻~小網倉仮設~被災地視察~夜真宗会館到着解散



*第44次 12月18日(木)~19日(金)
 
訪問先:福島県いわき市「好間仮設住宅」

  内 容:座談会・夕食交流会・足湯・昼食会など

日 程:1日目 朝真宗会館集合~いわき市~開会式・座談会~夕食交流会~いわき市泊

    2日目 いわき市~好間仮設~足湯・昼食会~夕方真宗会館到着解散



※ご参加・ご協力いただける方を募集しています。

是非、皆様のお力をお貸しください。

ご参加いただける方はこのメールまたは教務所(担当 佐々木宛)にご一報ください。







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真宗大谷派 東京教区

同朋社会推進ネットワーク

dobo@jcom.home.ne.jp

2014年の存明寺サマーセミナーが開催されました。

講師は、友人で2年連続の二階堂行寿さんです。

テーマは「浄土を願う」、参加者は34名でした。

京都の同朋会館での生活をイメージしています。

今回で10回目の開催になります。







開会式は、真宗宗歌と嘆仏偈のお勤め。

調声人は佐藤総代、出仕は貴大くんと松ちゃん。

このセミナーは調声人から喫茶係まで、役割分担が決まっています。

上の写真は法話をするご講師。







熱心に聴聞する皆さま。

講師のワンポイント法話。

  たとえどんなことが起こっても

  この世に生を受けてよかったといいたいものが、

  内にないだろうか

                  (二階堂行寿氏)










昼食の風景です。

学校の給食のように近くの人と机を寄せ合い、

一緒に食べています。









午後は班別座談会が行われました。

講師の話を受けて、今の自分を表現する時間です。

少人数での会話に花が咲きます。








上の写真は、座談のあとの喫茶コーナーの風景です。

ゆったり、まったりとした時間が流れます。









これは最後の集合写真です。

このあと場所を移して懇親会が、ぱあ~~~っと行なわれました。

ビールがうまかったな。
70年ぶりの再会


                 ぎいち


東京郊外にあるハンセン病療養所・多磨全生園。

私が定期的に訪問するようになって30年が経過した。

園内には真宗門徒の組織である真宗報恩会がある。

その方々が維持管理するお寺が和光堂である。

30年前は200名近い会員がいて、とてもにぎやかだった。

30年後の今、会員は約30名、平均年齢80歳超。

認知症などを患い、ひとりで外出できない人も多い。

淋しくなった。

でもそれがハンセン病療養所の現在なのだ。

完治する病気となり、新しく入所する人がいないからだ。

皮肉にも、隔離政策が完成されようとしている現実が、そこにある。







2014年の初夏、いつものように月例会で和光堂にお邪魔した。

この日集まったのは4名。おなじみの方々だ。

正信偈のお勤めをし、5分ほどの短い法話をお聞きいただき、

そして、茶菓子をつまみながら座談会が始まった。

80歳になる榮子さん(仮名)が口を開いた。

「この間、弟が70年ぶりに訪ねてきたの」、と。

「へえ~、そうですか」と軽く受け流しそうになったが、そこで立ち止る。

「えっ、70年振り、ですか?」

驚く私を見ながら、榮子さんは話し始めた。







自分が10歳の頃、ハンセン病にかかって母と一緒にここに来た。

他のことに気を取られているうちに、気がついたら母がいなくなっていた。

まさかそれが母との今生の別れになるとは・・・。

「その時のことがいまだに傷となって心に突き刺さっているの」

と榮子さんは、さらりと言う。

その後、榮子さんは母が亡くなったという知らせを聞く。

しかし、お葬式に帰ることは許されなかった。

それほどまでにこの国の隔離政策は、過酷だった。

人間を踏みにじってきたのだ。




80歳を迎えた榮子さんは、せめて母の命日を知りたいと願い、

園の職員に依頼した。

職員が実家に電話をしたところ、

電話に出たのが4歳で生き別れになった実の弟だったというのだ。

10歳の姉と4歳の弟。ふたりの断絶は実に70年。

80歳になった姉と74歳の弟の再会が、こうして実現した。

70年ぶりの再会は、どんな感じだったのだろう。

榮子さんは言う。

「最初はびっくりしたけれど、すぐに分かりあえた。似てたからね。」

「それにわたし親戚がひとりもいないの。

新しく親戚ができたから、うれしくって」

そう言うと、榮子さんは実に嬉しそうに笑った。

それから定期的に弟さんの家族は、全生園を訪問するようになったという。

奪われた70年という時を、榮子さんが今自在に泳いでいるかのような気がした。







2014年初夏。

これがハンセン病療養所での実際の出来事である。

人間を療養所という施設に隔離して、一生そこに閉じ込める。

そのような非人道的な政策の傷は、いまもなお、癒えてはいない。

しかし、その傷を背負いながらも、

出会いを求めて今を懸命に生きようとしている人がいる。

そこに、今を生きようとしている人がいる。

そのことを忘れてはならない。強くそう思った。



       俱會一處
まるで懐かしい場所に帰ってきたように迎え入れられる。(「被災地は今」より)

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同朋ネット メールニュース 【7月22日版】

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◆被災地は今  (7月2~4日 石巻市の仮設住宅訪問レポートです)





◎心の復興は        (M・T 女性)



2014年7月2日(水)~4日(金)宮城県の小網倉仮設を訪問しました。

小網倉仮設は今回で2回目です。

約80人が住むこの仮設住宅は、私が行く他の仮設に比べ小さな子どもが沢山いて、

若い年齢の人も多く感じました。

でも、震災時に消防団として活躍した40代、50代の男性が少ない。

震災で生命を落とした人の年齢層だからだそうです。




高齢者と子供の村。高齢者の1人が話してくれました。

「今は仕事もなく収入もない。だから仮設に住めるのは有難い。高台に出来る復興支援住宅
は、少なからずとも家賃を払わなければならない」と…。

収入のない生活からの支出を虐げられる生活に不安を隠せない人もいます。

不安を抱えたまま、後約2年の仮設生活。もっとになるかもしれない…。





船も増えました。漁も出来るようになりました。

高台復興支援住宅も出来ます。

しかし、心の復興はまだまだだと感じました。





◎ここでしか味わえない「味」  S・F(東京教区・男性)



2年ぶりの小網倉。港がすっかり整備されていた…元の姿を知らない私はそう思った。

どんな暮らしが営まれていたのだろうか。そんなことを思い浮かべ、現地に入った。

まるで懐かしい場所に帰ってきたように迎え入れられる。

これまで関わってきた人達の賜だ。

備品の積み降ろしとテント設営の後、集会所へ案内されると沢山のワタリガニ。

H会長さんが、みんなに御馳走するために用意してくれたのだという。





今日の担当はフライ。揚げ方担当だ。エビフライ、ポテトフライ、揚げ春巻きを作ることに
なる。

テーブルセッティングをして、揚げ方の準備完了。そこへ地元のOさんがエプロンを締めてや
ってくる。

「手伝うよ」「助かります」。聞けば、船の中で料理をされていたコックさんだ。

もちろん、「師匠!」と呼びながら料理を完全にお任せして、私は隣のかき氷ポジション
へ。

師匠にすれば揚げ物など料理以前なんだろうけど、交流会が始まったらアッという間になく
なる人気メニューへ。

流石っ!と思ったのは翌日昼食に加えた「だし巻き」作り。伊達じゃない。

担当した「かき氷」も子どもたちが繰り返し繰り返しやってきて、ぜったいお腹を壊すと思


お母さん達に断りを入れつつ、子どもたちに「お腹痛くなるぞ」と警告しつつ、

何度も何度も腕を回した。心配もしながらだったけど本当に楽しかった。





翌日はテント設営後、牡蛎の養殖作業を見学。前会長のAさんの仕事だ。

前に来た時に、ホタテの殻を土台に牡蛎が育つことを教えてもらっていたが、

そのサイクル、牡蛎の出来るまで、育つまでのことを教えてもらった。聞き間違えている可
能性があるが・・・

毎日のように水質から何からデータを取り、絶妙のタイミングで作業をこなしていくのだと
初めて知った。

そして、あの3月11日の津波によって海が浄化され水質もよくなったんだ、と語るAさんの
淡々と作業を進める手に、

何とも言えない感情が溢れた。





個人的に、久しぶりの「足湯」。次々と人が来てくれる。冗談を言い合ったり和やかな時間
を楽しく思った。

湯に足を着けている人より、私の方が汗をかいているという恥ずかしいものであったが、

みなさんの現在(いま)のこと、これからのことを聞かせてもらったように思う。

暮らしを取り戻しつつあること、仕方なく受け入れていること、(震災)以前のことを内に
しながら聞かせてくれた。ように思う。

現会長Hさんも「足湯」を利用してくれた。ホヤの養殖をしていること、時には沖に出て魚を
釣るのだという。





活動終了後、Hさんの船に乗せてもらいホヤの養殖場へ。船からの湾の景色は本当に素晴らし
い。

こんな暮らしをして来たんだろう、こんな生活が伝承されてきたんだ、としばし思い養殖場
到着。

海の上でチョー新鮮ホヤをいただく。めっちゃ美味い!何これ?!という感想。

これこそ、ここでしか味わえない「味」だ。むしろ苦手だったホヤが一気に好物になる。





同朋Nの交流活動では11月に小網倉交流予定。11月もまた現地の美味しいものが振る舞わ
れるんだそう。それは「牡蛎」だ!

めっちゃ行きたい!という思いを残しつつ小網倉のみなさんに夏しか来れないことを伝えつ
つ、11月に参加出来る人を羨みつつ、

小網倉を後にした。







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真宗大谷派 東京教区

同朋社会推進ネットワーク

dobo@jcom.home.ne.jp

人はいつ死ぬと思う?・・・人に忘れられた時さ。

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同朋ネット メールニュース 【7月8日版】
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◆参加スタッフを募集します。

*第42次 9月13日(土)~15日(月)

 「東北三教区子どものつどい」に参加します。

  訪問先:岩手県八幡平 森と温泉のコテージ「プータロ」

  内 容:炊き出しブースや実行委員ブース要員、子ども班班担などのスタッフ

  日 程:1日目 朝真宗会館集合~八幡平へ移動~八幡平泊
      2日目 八幡平での「東北子どものつどい」にて炊き出しなどの活動
      3日目 八幡平(活動)~東京(夜真宗会館到着解散)

  ※ご参加・ご協力いただける方を募集しています。
   是非、皆様のお力をお貸しください。
   ご参加いただける方はご一報ください。



◆言葉


 人間はいつ死ぬと思う?

 心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・ 違う。
 
 不治の病におかされた時・・・違う。

 猛毒キノコのスープを飲んだ時・・・違う。

 人に忘れられた時さ。

    『ワンピース』ドクターヒルルクの最後の言葉






◆被災地は今  (7月2~4日 石巻市の仮設住宅訪問レポートです)


◎ミニ夏まつりのご報告      現地復興支援センターのブログより


 東京教区同朋社会推進ネットワークの小網倉仮設での活動です。

 今回は「ミニ夏まつり」で、3日の夕方から夜にかけてのメニューは、

 小網倉仮設での定番の牛肉のすき焼き、揚げ物(エビフライ・ポテトフライ・春巻き)

 枝豆、かき氷でした。

 曇り空でしたが、気温が高く、蒸し暑かったので、かき氷は子どもたちに大人気。

 そして、大人も「久しぶりに食べるね~」と、普段は子どもに買ってあげるばかりで、

 自分たちはなかなか食べないからと、子どもから大人まで喜んでいただけました。



 4日は、お昼前から足湯を行いました。

 今回は初の試みでお湯は、生姜を薄切りにしたものと紅茶のティーパックを入れ、

 血行促進、殺菌作用、デオドラント作用などを見込み、そのお湯に足を付け、

 スタッフから手・腕のマッサージを受けながら、

 いろいろな話をお聞かせいただきました。

 お昼からは、すいとん、チャプチェ、そして残りの材料で出し巻き卵、

 ホットケーキもどきにこしあんを乗せたデザートまで作られました。

 仮設の皆さんは即席デザートを食べられ、

 「懐かしい味だね」とおっしゃっていただきました。

 両日とも、仮設の方々に調理をお手伝い・指導いただき、

 一緒に楽しい時間を過ごさせていただきました。

 また、今回は仮設の方々に、養殖の牡蠣の準備や船に乗せていただいて

 ホヤの養殖場を見学させていただき、取立てのホヤをご馳走になりました。






◎小網倉仮設、足湯をしながら聞いたお話        H・S(東京教区 男性)

 うちの息子は船乗りでね~、震災時はちょうど船に乗ってました。

 津波が来るとのことで、沖に船ごと避難しました。

 衛星電話で家族と連絡を取ろうとしましたが、自宅には連絡が出来なかったんです。

 船の中での生活は、意外と快適で、大きな船なのでコックさんもいて

 食事には苦労なかったとのこと。

 寝る所やトイレも付いていました。地震発生時から4日間船で寝泊まりをしたんです。

 家族は無事だったのですが、親戚や甥っ子、姪っ子が津波で流されてしまいました。


 
 このようにして被災された方のお話を聞く機会は、なかなかありませんが、

 今回は貴重なお話が聞けて有り難かったです。

 また、小網倉の方たちに遇いたくなりました。





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真宗大谷派 東京教区
同朋社会推進ネットワーク
dobo@jcom.home.ne.jp



7月2~4日、東日本大震災の被災地・石巻の仮設住宅を訪問しました。

真宗大谷派東京教区の同朋ネット主催の動きです。

ここは、3年前から定期的に訪れている場所です。





初日、9時に練馬に集合し、機材搬入・買い出し、そして仙台に向かって移動です。

夕方、仙台に到着。地元の友人を交えて、この日は仙台にて夕食会&情報交換。

この日は、次の日もあるので、早めに切り上げて宿泊先の東北別院にて雑魚寝です。





空けて次の日、石巻の牡鹿半島にある仮設を目指します。

これが意外と時間がかかります。午後1時にやっと到着。




到着直後に会場設営。なれたもので、役割分担の通り、テキパキと進みます。

ちなみにこんな感じ・・・。

  まずは、全員でテントを3張り、建てる。

  水場確保係 → 水道からホースを伸ばし、近くに水場を設営する。

  電気係 → 夜のことを考えて、ライトを設営する。

  湯沸かし係 → とにかくいち早く、湯を沸かす。

  調理係 → あとで皆が調理しやすいように、食材やまな板などをセットする。

  カキ氷係 → カキ氷のセットをする。真っ先にオープンする。

  飲み物係 → 各種飲み物をセットする。ビールなどを冷やす。これ大事。

  あいさつ回り係 →手土産を持って仮設の皆さんに宣伝・挨拶をしに回る。





で、私はあいさつ回り係。サクランボの手土産を持って仮設の各家を回ります。

「東本願寺です。」その一言だけでこんな言葉が帰ってきます。

「いつも有難うございます」「待っていたよ」うれしいものです。



こんな方にも出会いました。「夫と息子にお供えするわ」

「はい?」と返事をすると、津波で夫と息子を亡くしたというご夫人。

ここではそのような話が日常会話の中に出てきます。

夕方5時、いよいよすき焼きパーティーの始まりです。








ここは漁村、だから魚の持ち込みは厳禁です。

よって肉系が喜ばれます。だから、定番はすき焼き鍋。





この日のメニュー。

すき焼き、塩昆布キャベツ・揚げ物(エビフライ・ポテトフライ・春巻き)・枝豆

差し入れで、カニ2バケツ・ホヤ塩ゆで、茎わかめ佃煮などなど。

ちなみに調理は、仮設の方々と一緒に行います。

それが大切な交流のひとときとなっています。





高台移転は、更地がようやくできたばかり。あと2年以上かかるそうです。

石巻市営のアパートと、市から土地を借りて自費で家を建てるという2タイプ。

アパートは、1LDKで7000円、3LDKで30000円だそうです。

東京から比べるとかなりお安いですが、地元の方いわく…

「収入がない身には不安だ」、と。








空けて次の日。Tさんは浜でカキの付いたホタテの貝殻をいかだにつるす作業中。

震災後、海の状態がよくなり、カキは2年で出荷できる大きさに育つとか。





仮設に戻って、足湯をします。

ここでいろんな話を聞きします。こちらもします。

「また来てね」「また来ますよ」「元気でね」。ホッと一息。





お昼ごはんは、鶏肉と野菜入りすいとん・チャプチェ・だし巻き卵などなど。

「おいしいよ」「ありがとね」こうしてすべての作業が終了しました。

この日、帰る間際にKさんが船に乗せてくれました。

沖にあるホヤの養殖所の見学です。





船の上でホヤをさばき、海水でしゃぶしゃぶして、そのままいただく。

「これがホヤの一番うまい食い方だ」とKさん。

確かに、全然違う。うまい。ああ、日本酒が、ほしい。





こうして3日間があっという間に過ぎていきました。

帰りの車の中、時を同じくしたスタッフ8人、2台に分乗して東京を目指します。

心地よい疲労感、しずかに人間を懐かしむ空気。

復興はまだまだ遠く。その中を笑顔で生きる人々。

また来よう。そう強く思いました。


真宗大谷派の『名古屋御坊』(7月号)に書いた文章の後篇です。




私にとってのハンセン病問題(後編)
 
―ハンセン病問題からの広がり―


                          酒井義一



人間を見失う ―ハンセン病国賠訴訟

 二〇〇一年五月十一日、ハンセン病国賠訴訟の判決によって、国の隔離政策の過ちが明らかになった。前後して、ハンセン病だった多くの方々が、長い沈黙を破り、自らの人生や今の思いを語り始めた。過去の出来事によって今なお深い傷を負っている、ということを。
 その姿を、身のふるえる思いをしながら聞いた。自分を語る言葉を持つことの大切さを、強く感じた。同時に、長い間この方々のことを何も知らなかった自分を痛感した。人間を見失っていたのは、私だった。
 ハンセン病問題の本質は、人間を見失うということ。同じ問題は、時代社会に山積している。今回はハンセン病問題からの広がりを考えてみたい。



響きあう悲しみ ―東日本大震災

 東日本大震災の直後、あるハンセン病回復者はこう語った。
  「ある日突然家を失い、家族を失い、友人を失い、故郷を失う。状況は違うがすべて私が体験したこと。あの人たちの悲しみは私の悲しみだ。」
 被災者の悲しみを我が悲しみとする人が、そこにいる。状況はそれぞれ個別であり、状況を共有することはできない。しかし、悲しみは響きあう。そこに共感の世界が広がる。
 東日本大震災には、風化や忘却という危機が押し寄せている。それは、そこに生きる人間を忘れていくという危機だ。その危機は外からではなく、内から起こる危機なのだろう。
 悲しみを抱える人を、いとも簡単に忘れていく私たち。でも、だからこそ、出会いを大切にする精神を回復しなければならない。
 気が付けば、生きる道を求めて歩もうとするひとりの人がそこにいた。そのようなひとりを見いだしていく、心のこもった姿勢がほしい。



自分の言葉を持つ ―グリーフケア

 自坊で二〇〇七年から実践している「グリーフケアのつどい」も、私にとってはハンセン病問題の延長にある動きだ。グリーフケアとは、死別などによって悲嘆を抱えた人々が、それぞれの歩みや今の思いを語り合うつどいである。
 事故で夫を失った女性はこう語る。「みんなあの事故のことを知っているのに、誰もそのことに触れようとしない。何ごともなかったかのように…。それがとても辛い」。本当は語るべきことがたくさんあるのに、それが語れないというつらさを表現された。
 また自死で娘を失った母親はこう語った。「娘は自分で自分の生涯を閉じた。でもそのことを言える場所がない。のこされたものの悲しみは、はかれない」。自死とは言えないつらさを抱えながらも、自分の今を表現できる居場所を探す人が、そこにいる。
 たくさんの悲しみを抱えた方々が、語れないという思いを抱きながら、グリーフケアという場所に出会う。そして自らの今を語る。すると悲しみは言葉となって、人々に伝わる。   「悲しみは 人と人とをつなぐ 糸である」(藤元正樹)
 自分を語る言葉を持つということは、とても大切なことだ。悲しみが深い縁となって、人と人とがつながっていく。そのような世界を、実は多くの人が願い求めているのではないだろうか。



ハンセン病問題からの広がり

 ハンセン病問題には、故郷や医療などの個別の問題がある。同じように、普遍的な課題もある。
 ハンセン病問題や東日本大震災やグリーフケアの底に流れることは、ひとりの人間を見いだし続けていくということ。それは人類に与えられた普遍的な課題なのだろう。そのような課題を生きるものでありたい。