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執着心
御 教 歌
わが病 惜しや欲しやの 苦しみも
法の教えに いえにけるかな
病の中で一番の病は執着心であるが、仏の教え通り行じていくことにより癒えるものである。
このようにお示しの御教歌です。
仏教では、人がかかる一切の病に「四百四病 」あると云います。
その病の中でも一番の病が貪欲であり執着心です。
欲に執着する病は、時に人を傷つけ、時に落とし入れてまでも己の欲を満足させようとする厄介なものです。
自分が欲しい!と思ったものは、何が何でも手に入れる。入れるまでは決して諦めることなく執拗に追い掛け回します。
そして、手に入れたものにしがみ付き、決して手放そうとしません。
そこに「求不得苦(ぐふとっく)」という苦しみも生じてきます。
このように煩悩欲に執着していくと、結局自分を苦しめていくことになり、その欲に執着する心こそが一番の病であることを教えてあります。
その一番の病を癒していくには、仏の教え通り行じていくことが根本となります。
そのために、仏の教えが現在でも流れているのです。
御指南に
「たとひ心におしやと思ふとも棄捨(きしゃ)したるは、欲に勝ちたる也。」
「たとえ心に惜しい、勿体いと思おうとも捨ててかかれば、欲に打ち勝つことになるのである。」
このように教えていただいてますから、欲に執着する心こそが一番の病であり、その病は仏道に於いて癒やされていくことをお示しです。
心ここにあらず
教えに
「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず」
「漫(そぞ)ろ心で物事を見ても見えないように、聞いても聞こえず、食しても味がわからないもの。」
このようにあります。
今自分の心が何処にあるかで、見るもの・聞くもの・食べるものまで変わってくるというのです。
心にゆとりがないとき、焦っているとき、落ち込んでいるときなどは、まさに「心ここに在らず」ということでしょうか。
また、頑な心があり、自分の意見や考えが強いと人の忠告・教えなどを聞いても納得出来ず、中々入っていかないようです
そういえば、仏さまの教えに「聞不能解(もんふのうげ)」とあります。
これは、「聞くとも解(げ)すること能(あた)はず」ことで、聞いても理解することが出来ない、分かろうとしない心のことです。
頑な心があると、どうしても「忠言耳に逆らう」で、受け入れる心が出てこないものです。
よく「心を無にしてごらんなさい。」と聞きます。
空っぽな心で、素直正直な心で教えを受け入れるようになれたらしめたもので、昨日までと違う自分を発見することが出来ると思います。
そんな柔軟な心に揉みほぐしていきたいものです。
そこに円満性も出てくるのでしょうから。
自分を振り返る大切さ
[ 自分を振り返る大切さ]
最近自分を振り返ることの大切さを痛感しています。
自分を振り返ることによって、自分の至らないところ・だらしないところが少しずつ見え始めてきます。
「こういうところが自分は至らなかった」と思えるようになって、初めて「自分を悔い改める心」も出てくるようになります。
そこに、心そのものが揉み解されていく因があるように思います。
逆に、自分を振り返ろうとしないところに、心の成長はないように感じます。
不都合なことが起こってくると、他人の所為にしたり・責任転嫁をしたり・逆恨みをしたりするのは、自分を振り返らない姿の一部のような気がします。
心が成長していくとは、心そのものが柔軟になり、自分を客観的に振り返っていけることだと思います。
自分の言動・行動に間違いがあれば、直ちに「ごめんなさい!」と言える人って素晴らしいですね。
そこに人から信頼されていく関係が出来ていくのかもしれません。
ただ口先だけの人間ではなく、何処までも「自分を振り返っていく」癖を身に付けていきたいものです。