名前を隠して楽しく日記。
子煩悩でいいパパになりそうな人が低賃金でそもそも結婚できてなかったり、子供本当は何人でも産みたかった夫婦が経済的な問題で1人であきらめたり、まずはそういうところの解消なんじゃないか。育てたい人、育てる気概がある人が、もっと子供を産める状況にするところからなんじゃないか。
うむ。ガワラ立ち(がわらだち)も一緒に覚えていってくれたまえ
話だいぶ違くね?
インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告は情報の流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。
広告の本来の目的は、広告主の商品やサービスについて、ユーザーに有益な情報を提供することにある。それは、ユーザーと広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Winな関係を築くことが理想とされる。しかし現実には、多くの広告が本来の目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。
特にブログやアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり、本末転倒な状況に陥っているのだ。
特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告の蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービスに誘導したりする。健全な広告というよりは、もはやサイバー犯罪の一種と言っても過言ではない。プラットフォームの信頼性を根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。
こうした状況下で、広告ブロッカーの存在は無視できない。ユーザーの立場に立てば、質の低い広告をブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入に依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題の本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか。
さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明な構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザーの距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれてしまう。広告主側も、自社広告の配信状況を十分に把握できていない可能性がある。
結局のところ、問題の本質は利権の問題に行き着く。質の低い広告や詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺的広告や質の低い広告を自主的に制限可能なのは、提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要な結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界のルールメイカーとしての立場にある。
ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告や詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者の利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。
この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネットは公共の場であり、現実のビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念は看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望に真摯に対応してこなかったのは問題だ。
この状況を打開するには、消費者、広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。
まず、プラットフォーム運営者は、消費者からのフィードバックを積極的に活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AIを活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認を厳格化し、広告内容の事前審査を義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。
広告主側にも、自社広告の配信状況を適切に管理し、質の高い広告を提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制のガイドライン作りを進めることも有効だろう。
そして消費者は、問題のある広告を積極的に通報し、健全な広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。
プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界をリードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制は表現の自由や市場の健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者、広告主、プラットフォーム経営者の三者が対等な立場で議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ。行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。
ここで、インターネットの本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由な競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネットが社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースやヘイトスピーチ、プライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。
こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットのイノベーションや表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制のバランスをいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である。
今こそ、従来の広告依存のビジネスモデルを見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値を提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。
また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォームの収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。
健全な広告業界の発展は、ひいては健全なインターネットの発展につながる。広告主、メディア、ユーザーの三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。
インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から「公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全なインターネットの未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ。私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネットの未来を切り拓く鍵となるだろう。
無っ知無っ知
"いくつか"って意味分かる?