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日々の破片

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2024-05-16

_ アスミック・グリゴリアンのリサイタル

上野にグリゴリアンを観に行く。空模様がちょっと怪しいが手ぶらで行ったので帰りは降られてしまった。

グリゴリアンは最初、(たしか)ザルツブルクのプッチーニ三部作単独ソプラノを友人の家で視た。

さすがに、聖女アンジェリカを真ん中でやるのは無理だったらしく、外套-ジャンニスキッキ-聖女アンジェリカの順だったが、びっくりした。30近い(実際は24歳くらいだろう)夫に物足りない人妻(と書いて、実は道化師のプッチーニ版だったのかな? と思う)、10代の素直(小鳥にくそまじめに水をやったり餌をやったり)だが恋のためなら親父を脅迫する(ポンテヴェキオから飛び降りるわよ)のも厭わない小娘、20代だがすべてを捨てさせられた母親の全然異なる三役を見事に歌い分けるとは。

というわけで、楽しみに観に行ったのだ。

上演前にオネーギンの下降音型の練習を管の人がやっていて、そりゃ本番中にとちったら地獄だよなぁと思う。

東京フィルが出て来ると第1ヴァイオリンが全員女性で、新国立劇場とはシフトが違うなぁとか思う。女性歌手の伴奏なので女性主体に構成したのかな?

最初はルサルカの序曲で、次が月に寄せる歌(おれにとってはこの歌はカエルの歌なのだ)という順番なので、序曲が終わったら出て来るのだろうなと観ていたら、唐突に竪琴が鳴る。あれ? 序曲だったよなと思っていると下手から黒い衣装でスタスタと出てきてそのまま月に寄せる歌になった。したがって最初の登場時には拍手はない。見事な演出だ。

それにしてもドヴォルザークのゴミ箱を漁りたいとブラームスをして言わしめたドヴォルザーク会心の美しい歌(新国立劇場でルサルカ観たが、この曲が始まった瞬間に空気が変わったのを覚えている)で掴みはばっちり。

で、大好きなチャイコフスキーの手紙の歌だが、これまた抜群。

グリゴリアンの歌はどちらかというと冷たくまっすぐに通すので、震える歌声が嫌いなおれには実に好みなのだ。それにディナミークが抜群。歌劇とは違ってソロリサイタルなので表情の付け方の細やかさが良くわかるのも良い。良いものを観られて嬉しい。表情(顔も声も)、手振り、実に細やかでまさにオペラ歌手の歌だ。

マズルカを聴いていて思ったが、この指揮者のテンポ感は抜群なように思えるが、それ以上に、いつもはピットの中から湧き上がる音を聴きなれているからか、舞台の上からまっすぐに聴こえてくるオーケストラの細やかさは実におもしろい。とういか東京フィルはうまいものだ。

スペードの女王は良く知らない曲なのだが、これまたおもしろく、最後のアルメニアの作家の曲も全然知らないが、楽しめた。

第2部はプッチーニ側なのだが(時間の余裕がないのでRシュトラウスのほうはパスしたのだが、そちらはそちらで抜群だったろうなと思う)、かって知ったる曲ばかりだから(というか、プッチーニは初期2作と燕以外は何度も聴いている)より陰影がわかる。

テンポが時々微妙に食い違う気がするが、指揮者も歌手もうまくずれを補正しているように聴こえる。補正をその場で行っているのか、それとも最初から多少ずらすように示しあっているのか、わからないがライブならではのおもしろさがある。

それにしても、これまでスルーしていたが、マノン・レスコーの間奏曲がこんなに良いものだとはまったく気づいていなかった。トゥランドット3幕のソロヴァイオリンでプッチーニのソロの使い方のうまさは知っていたが、間奏曲でセロ、ヴィオラ、ヴァイオリンが順にソロを弾くのが実に美しい。この時点でプッチーニのオーケストレーションは完成していたのだな。

ある観点からは、舞台上のオーケストラの美しさの再発見がこの日のコンサートの大収穫だった。

アンコールは歌に生き恋に生きで、ここで歌うのかとプログラミングのおもしろさに舌を巻いた(質的にはラウレッタの歌をアンコールにして、トリを歌に生き恋に生きにするほうがそれっぽい気がする)。


2024-05-05

_ 素数たちの孤独読了

承前

素数たちの孤独という小説はあまりに主人公たちの考えや行動が痛々しくて読むに耐えないのだが、物語そのものは興味深いので結局ちまちま全部読んでしまった。それにしてもあまりにも痛切(というよりは、現代日本語の「イタイ」に極めて近い)。

書いたやつが物理学者だか数学者で、男側の主人公はまさに数学者(になる)のちょっと頭が周囲から見ればぶっ飛んでいて(強烈な自傷癖がある)、女側は高圧的な父親に委縮、後に反抗なあまり自ら災厄を招きまくって現在拒食症真っ盛りという二人の相当外れた主人公が8歳から30過ぎまでを、特定時点の断片で描く奇妙なイタリアで大ベストセラー(200万部売ったそうだが、人口から考えるととてつもない)となった恋愛小説だが、イタリア人ってこういうイタイのが好きなのだろうか。

イタリアで考えてみればモラヴィアもそうだし、ベルトルッチは殺しから最後までそうだった(というかブッダですらそうだった)。というか、そもそもこの本に手を出したきっかけはベルトルッチの孤独な天使たちが原因だが、映画と小説では言葉の動きが異なるので相当小説だとつらいものがある。

高校時代に二人は出会い、男の部屋のベッドの上でごろごろするくらいの関係となるのだが、とにかく男も女もほぼ性欲が無い欠陥人間なので(なのでごろごろしているからすることをしたのかと思ったら全然違って、本当にごろごろ寝っ転がっているだけだった)、恋愛小説といっても実に形而上での恋愛となり、最後に、ああやっぱりという終わり方となって、肩透かしというか、納得というかとなる。一点解決されない問題があるのだが(それが男側の大きな傷で、女側はそれをどうにかしたい)解決させないのは良い作法なのだろう(というか、作者自身がどうすればよいのか計算できなくなったと見た)。

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)(パオロ ジョルダーノ)

で、書影のISBNを取りに行くのでアマゾンに分け入ったついでに作者をクリックしたら、この作家はコロナの始まりのころに一時話題になった(確か出版前に一時的に公開していたのではなかったか? 読んだ記憶がある)『コロナの時代の僕ら』の作者だった。そう言われてみれば一貫性があるように思う。

コロナの時代の僕ら(パオロ・ジョルダーノ)

とはいえジョルダーノといえば、おれにはフェドーラやアンドレア・シェニエが最初に来るのだ。


2024-04-29

_ デカローグ2と4

昨日に引き続き新国立劇場のピットでデカローグの2と4

2まで(といっても通算では3話目だが)見ると、さすがに同じ団地というか集合住宅を舞台にしていることはわかってくる。

今度は医者の家に最上階に住む非常識な女性が殴り込み(という勢い)でやってくる。先生、私をご存じですか? 昨年、私の犬を車で轢き殺した人ですよね。

という3に引き続きとんでもな女性の襲来話である。

彼女の夫は医者の病院に入院している。彼女は犬を轢き殺してろくに謝罪もしていない(ように見える)のに厚かましくも来院の予約もせずに容体を聞こうとする。医者はいろいろ思案するが結局は教えることになる。わからない。

どうも彼女の夫は癌らしい。そして彼女にとって死ぬか生きるかは大きな違いらしい。

医者がわからないという正しい答えをいくらしても彼女は納得しない。ついに、自分が妊娠していることを告げる。死ぬなら産む。生きるなら堕ろす。今が堕胎のための最後のチャンスなのだ。

70年代の欧州の映画が元だよな? と一瞬に疑問に感じたが、旧共産圏は欧州と異なり、女性の自由の一環として中絶の権利を認めていたことを思い出す。

彼女は産婦人科医を予約する。手術の当日になって医者は決心する。死ぬから産みなさい。

が、世の中、思う通りにはならない(1がまさにそうだった)。しかし、それはそれで更に思う通りにはならないので意外なハッピーエンド(苦味はある)。

幕間で子供が、ポーランドは浮気がデフォルトなのか? ともっともな疑問を呈する。とは言え、4は父と娘の物語だから(タイトルが)さすがに浮気はないだろうと思ったら4も浮気の話だった。

娘は演劇学校(の超名門らしい)に通っている。父親はしょっちゅう出張していて不在なことが多い。舞台には黙役の若い女性がいろいろちょっかいを出す。彼女が置いた封筒が回りまわって娘の手に入る。死んだ母親からの手紙だ。

娘は父親を問いただす。私の父はいったい誰なのか?

しかしすべては娘の謀だった。二人は手紙を焼く。しかし途中で焼くのをやめて読む。肝心なところで焦げてしまって読めない。

心理劇としてはうまくできているとは思うが、ちょっと気持ち悪い話でもあった。途中、池にパルジファルが出てきて白鳥ではなく白い凧を上げる。


2024-04-28

_ デカローグ1と3

新国立劇場のピットでデカローグの1と3.

1は大学教授?(言語学かCSのような導入部の講義がある)の父親と息子の話。母親は出張中でクリスマスに帰る。父親は妹に子供の面倒を見させる。コロンの香りを漂わせて帰宅する。

子供は池でスケートをしたい。父親は割れる心配をしているので止めている。

しかし連日氷点下10度の日が続き、父と子はコンピュータを使って予想される氷の耐荷重を求める。父は本来クリスマスイブまでお預けだったはずのスケート靴を子供に与える。

犬の死体や腐った牛乳など最初から不穏な空気が漂う不思議な空間の物語だった。

3はクリスマスイブ。タクシー運転手の父親がサンタクロースに扮して家に戻る。子供は大喜びする。妻と二人でワインを飲もうとしているところに来客がある。父親は出かける。

3はあまりにも来客が一方的であまり見ていて気分は良いものではない。タクシー運転手は禿頭初老の冴えない男に扮しているので、妙な生活感がある。そういった演出の細やかさもあって、気分は良いものではないが、演劇としては抜群におもしろい。

タクシーは何度も危険な運転をしながらクリスマスの夜を彷徨う。

最後、男は妻の元に帰る。


2024-04-27

_ メトライブビューイングの運命の力

レオノーラがリーゼ・ダーヴィドセンだし指揮はヤニックネゼセガンだしで、運命の力を観に東劇。

以前新国立劇場で観てひどい話だと思ったが、メトのトレリンスキによる新演出はうまく再構成していて(あと字幕の翻訳家の改変(用語を中世から現代に置き換えたりする。たとえば4幕で兄貴がメリトーネの誰何に対して「おれさまはカヴァレロだ」と身分を明かすところの「カヴァレロ」を「紳士」と訳すとか。もちろんメリトーネは「け、何が紳士だ、ぜいたくな。今日からお前の身分はごろつきだ」とかぶつぶつ言うのだが、この男が長じてトスカの堂守になるのだろうというか、オペラ的には修道院の下っ端はそういうものだという了解があるのだろう)の仕方がうまいのだと思う)、まったくおかしくない。イル・トロヴァトーレのほうがよほど無茶苦茶だ(運命の力は脚本をリゴレットの人が担当していたってのも大きいかも)。なぜ新国立劇場で観たときは異常な作品と感じたのか不思議だが、おそらく最初のレオノーラの父親の殺しっぷりがあまりに印象的だったからかな?(あと、修道院の描き方によるのかも知れない)

演出上の最大の工夫は、レオノーラの父親と修道院長を同じ歌手に割り当てたことにある。それによって、修道院の決闘を親父が眺めるとか、最後の修道院長の言葉を親父に重ねるとかが実に効いている。

それ以上に抜群なのが4幕冒頭の修道院による施しの場で、戦争によって大量に発生した被災者への食糧配給を、新自由主義に凝り固まったメリトーネの、働かないくせに飯を寄越せと権利ばかり主張する乞食いや犯罪者ども(不正受給者)といった罵りや扱いが極めて現代的な情景として浮かび上がってくるところだった。

歌手はまったく素晴らしい。メリトーネが端役ながら存在感抜群なのは上述の演出のせいもあるだろうが、ドンカルロのゴロヴァテンコはもとより、ブライアンジェイドのアルヴァーロの陰影ありまくりの歌唱も絶品、リーゼダヴィトセンのちょっと鼻にかかるような音は気に食わないがしっかりとした特に高音の美しさは見事だ。メト的には第2のフラグスタートなのかなぁと思ったが、レパートリーを増やす方向でブッキングしているのも興味深い。

幕間で、珍しく合唱指揮のパルンボが長いインタビューに応えていてこれまた興味深い。なんか眼鏡白髪の頑固者っぽい印象(もちろん合唱がすばらしいということは指揮者が抜群なのだろう)が新国立劇場の三浦に重なる印象があるのだが、2幕の合唱の移り変わり(最初は荒くれものたち、最後は修道僧による「オルガン」と表現していた)についての音楽としての構成の見事さや修道僧による合唱の美しさについての力説っぷりや、「さあ、度肝を抜かせてやろうぜ」(不正確)みたいな団員への激励とか、観ていて実におもしろかった。

良いものを観られた。


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