First Encounter 「最初の出会い」
-------------------------------------------------------------------------------- (訳者注) 本書は著者ロバート・ニコルス氏が、デッドの裏方としてエジプトへの演奏旅行に同行した際のことを綴った書籍です。全体は10章からなりますが、個人的なるセレクトにより一部の章を訳出します。なおこの翻訳は貴重な書籍をええいと送りつけて貸して下さった赤城山のなべさんに捧げます。 -------------------------------------------------------------------------------- 「おい!」 電話を置くと、ベアーはすかさずこう切り出した。 「グレイトフル・デッドがエジプトに行くそうだ」 「本当?」 イサベラと僕は同時にそう答えていた。エジプトは僕らがいつも話題にしている場所で、いつの日か行ってみたいと思っているからだ。その可能性がグレイトフル・デッドと共に見えてきたのだから、まさにグッドニュースだ。 「もちろん、この有能なおかかえ占星術士を、彼らが連れていかない手はないよね」 僕はわざとそうおどけてみせた。何故ならその時点で4年以上もバンドの仕事をしていなかったし、個人でそんな大金を払えるような職には就いていなかったからだ。 「どうだかね」 ベアーは僕の方を見るとそう言った。 「楽しい旅になりそうだ」 ベアーはマリン・カウンティに新しい家を建て、引っ越してきたところだ。家の方はまだ少し未完成の部分が残っている。実際、ベアーがバンドのエジプト行きの話を電話で聞いたとき、僕らは床にフローリングを張っているところだった。 彼は数日前に、ペタルーマにある僕のところに「手伝ってくれないか」と電話をしてきたところだ。あとは仕上げ作業が残されていただけなのに、何かとすることがたくさんあったのだ。 僕とベアーは長年の知り合いで、一緒にいろんな仕事をしている。その中には1973年に発売されたグレイトフル・デッドの"Bear's Choice"というアルバムの仕事も含まれていた。 正直言って、このアルバムは、良い出来ではなかったけれど、それでも楽しい仕事だった。それにその時に僕は初めてバンドのメンバーと会うことが出来たのだ。 グレイトフル・デッドはサンフランシスコ出身で、ヘイト・アシュベリーのいわゆる「フラワー・パワー」の時代から、自らの道を切り開いてきたグループだった。 多くの魔法のような演奏を重ねながら、バンドは第一線で活躍し、僕が初めて会った頃には、高度に洗練されたプロフェッショナルのロックンロールバンドになっていたのだった。 結成当時、バンドはギター2人、ドラマー1人、ベースとキーボードがそれぞれ1人ずつの編成だった。 ジェリー・ガルシアがリードギター、ボブ・ウィアはリズムギター、ビル・クルーツマンはドラム、フィル・レッシュがベース、そしてロン・ピッグペン・マッカーナンはキーボードとハーモニカの担当だった。 彼らはまもなく2人目のドラマーを仲間に入れた。それがミッキー・ハートだった。 結成当時からバンドはある決まり事があった。彼らはいつだって(あえて言えば、ほとんどいつだって)、演奏がある地点にくると、「外部からの助け(助っ人メンバー)」を必要としていることを隠し立てしなかったのだ。そして、演奏における「エネルギー」はそのメンバーに委ねられていた。 ベアーはバンドの初期における支持者で、物質的な支援や、バンドのサウンドマンとしての貢献を行ってきた。また彼はかなり早い時期からバンドの演奏を録音していて、デッドと同じショーで演奏したバンドも残らず録音をしていた。それらはかなりの数に上っていたのだ。 彼の元で"Bear's Choice"の仕事をしていたとき、僕の役目はこうした古いテープの中身を確認して、他のバンドの演奏テープの中に紛れ込んだやグレイトフル・デッドの演奏を取り出していくことだった。そうしたものの中からアルバムに使えそうな演奏を探し出していくのだ。 おかげで何年にも渡ってバンドの音楽を仕事にする機会に恵まれてきた。そして60年代の中頃から"Bear's Choice"の73年までの間に、たえずバンドが進歩している様子を目の当たりにすることが出来たのだ。 レコーディングの技術は、この当時にはずいぶんと改良が成されていたので、(過去の音源に)手のかかる作業が多かった。というのは、初期の音源ははっきり言えば、かなり荒い演奏だったし、それにテープに貼られたラベルは例えば「土曜・夜の部」といった簡単なもので、果たしていつどこで演奏されたものかを知る手だてがなかったのだ。 それにしてもこのバンドの持つ魔法のような魅力は、決して録音出来る種類のものではなかった。何故ならそのサウンドは音が創造される瞬間を経験することであり、それはつまりライブの現場で何かが起こるということだからだ。そしてその瞬間に観客はどこかに運ばれていくように感じるのだった。もちろん聴き手にその準備が出来ていればの話だけれど。 "Bear's Choice"の頃には、健康上の理由からピッグペンはバンドを離れていた。そしてキーボード担当としてキース・ゴドショウと、ボーカリストの経験を持つキースの妻ドナの2人がバンドに加入していた。 それを機にバンドの音楽は変化を見せた。何故ならピッグペンは力で押してくるタイプで、彼のスタイルといえば最高のブルースのプレーヤーだったからだ。しかしバンドは彼の脱退後も演奏を続け、以前とはスタイルは異なるけれど、多くの人の注意を引き付けて、興味深い演奏を聴かせてくれたのだった。 ピッグペンが亡くなったのは"Bear's Choice"の制作途中だった。彼を知り、彼のことを愛してやまない人たちにとって、それは巨大な損失だった。アルバムは、彼のハーモニカや彼の音楽が多く収録されるように改めて編集し直されたのだった。 このアルバムの仕事をする以前に、ベアーの招きでウインターランドにグレイトフル・デッドを見に行ったことがある。そしてショーの終わる頃には、彼らの持つ世界観に、すっかりと魅了されてしまったことを今でもハッキリと覚えている。僕に分かったのは、彼らは自分たちの楽器を操るように観客たちを操ることが出来るということだ。ピッチを上げたり、少し曲を戻したりしながら、観客を操り、それをエネルギーに変えていくのだ。それは目に見えるほど確かで、誰にだって見ることが出来る類のものだった。何故なら誓って言うが、僕にはサウンドのさざ波が観客の頭上に寄せてきて、人を動かしている様子が見えたからだ。 僕たちはサンフランシスコにあるアレンビックのスタジオで、アルバムの作業を行っていた。そこで素顔のグレイトフル・デッドのファミリーたちや、アルバムの仕上がり具合を確認しに来たバンドのメンバー本人に会うことが出来たのだ。この時期に、僕はバンドのメンバーと顔見知りになり、周りのスタッフたちとも仲良くなっていった。ラリー・ラム・ロッド・シュルトレフ、レックス・ジャクソン、ジョン・ハーゲン、ジョー・ウィンスロー。それに、ビッグ・スティーヴ・パリッシュ・スパーキィ・ラゼン、ビル・キッズ・キャンデラリオ。 僕は長年に渡って占星術を勉強していたので、その当時のみんなの星図表を作っていた。 実際、ベアーに出会ったのもそれがきっかけだった。僕はスタジオの周りをうろうろしながら、時間の許す限りほとんど全員の星図表を書き出していき、みんなはこれに強い関心を示してくれたのだった。 そしてジェリー・ガルシアにいたっては、彼が以前、ボストンにある大手の占星術を専門とする会社に書いてもらった星図表を見せてくれたのだ。 アルバムの作業でも僕らは占星術を使うようになっていった。作業を進めるべき時期や、邪魔の入ってきそうな時期を予想していたのだ。やってみると、これはとても役に立つことが分かってきた。僕自身にそうした能力があることを彼らに示すと、彼らはそれを暖かく迎え、躊躇することなく僕のことを受け入れてくれたのだ。 "Bear's Choice"を仕上げてからしばらくの間、僕はバンドやスタッフとの仕事から遠ざかってしまった。その理由は、まさに僕に出来るような仕事が何もなかったからということだ。でも彼らは着々と、世界一パワフルな可動式のサウンドシステムを作りだし、それを実際にツアーに持ち出そうとしていたのだった。 ベアーから、ちょっと会えないかという電話が掛かってきた。彼の話では個人的な問題について、ちょっと話がしたいということだった。更に、グレイトフル・デッドは彼が作り出した巨大なサウンドシステムをテストしようとしているから、ちょっと見てみたくないか?と言うことだった。 「グレイトフル・デッドのコンサートのようなものは、ちょっと他では見あたらない」 そう書かれたポスターがある。まったくもってその通りだ。 彼らのコンサートこそ、真実の起きる場所で、仲間に会える場所で、参加をしないと、という場所なのだ。 ロックンロールの人名録を目の当たりにしたければ、グレイトフル・デッドのバックステージに来ればいい。もしあなたが名のある人物なら、きっとそこに来ることになるだろう。チケットなんて必要ない。ラム・ロッドが以前に僕にこう言ったことがある。 「ここ(バックステージ)にいる誰一人として、チケットを持ってないんじゃないかな」 サン・ラファエルでベアーに会ってから、バンドのオフィスへと車を走らせた。僕らが玄関に入るとすぐに、一抱えもある紙の山を持ったガルシアと出くわした。彼はそれを脇に置くと手を差し出してきた。 「よおボブ(訳注:作者のこと)、調子はどうだい?」 「良いよ、ジェリーこそ具合が良さそうだね」、僕はそう返した。 ベアーがジェリーにこう話し始めた。 「なあジェル、ボブは以前、舞台設営の手伝いをしてたんだ。舞台で働いてくれる仲間をみんな捜していたよな」 それは嘘じゃない。ずっと昔に、舞台設営の仕事を何度かしたことがある。そのころは主に建築寄りの仕事をしていたのだ。それに僕はもともと身体が頑丈な人間なのだ。 「それならボブ。ロム・ロッドに話をしてみろよ。君が戻ってくれると助かるよ」 ジェリーがそう言った。 そのサウンドシステムで演奏をするためには、ステージ2つ分のセットが必要ということだった。 一方が演奏に使っている間に、もう一方は次の会場に向かっているという感じだ。それぞれのシステムはカエル飛びのように一つ飛ばしでツアーを過ごしているのだ。 (このシステムを使った)初めての演奏はカリフォルニア、フレスノにあるカウ・パレスで行われた。その後はあの有名なハリウッド・ボール。僕らはそうやって旅を続けていった。 舞台は幅60フィートもあり(約18メートル)、中央には高さ40フィート(約12メートル)の2つのタワーがそびえ立っていた。 このセットの組上げについては実に良くおぼえている。 わずか2,3日の間に、タワーから猿のようにぶら下がり、物を吊り下げ、それをまた外し、全てをばらして、次の会場へと向かうのだった。一日あたりの労働時間が16から18時間必要なときもあった。でも僕らは心から楽しんでこの作業を行っていた。長時間労働なんて何の問題でもなかった。僕らはブラザーフッドの精神で働いていただけなのだ。 ある仲間が手を止めて、自分の仕事を脇に置いて、面倒な仕事に手を貸す(それも明らかに一人じゃどうにもならないような仕事だ)。僕らがやり遂げるためには、まさに互いに協力しあうことしか方法はなかったのだ。 舞台の床は地面から10フィート(約3メートル)の高さに作られていた。厚さ1インチ(約2.5センチ)のベニヤ板が、針金や釘やボルトなどを使って足場に固定された。それらは必ず2層になるように固定されていた。何故ならバンドがこの巨大なシステムでクランクすると、床は12インチも(約30センチ)上下するからだ。もしも遠くからステージを見て、全体が揺れてるように見えたら、それはまさに上下に揺れているということなのだ。足下で大きな地震が起こっているようなものだ。 ツアー中に一度、ボブ・マシューがそばに来て、「付いてきてくれ」と言ったことがあった。 彼は僕のすぐ間近でタワーに登り始め、丁度舞台の中央あたり、巨大なスピーカー群の裏の辺りに行った。彼は僕たちがそこに座れるようにベニヤ板を下に敷いてくれた。 既にピーター・クレイズ・シェリダンはベニヤ板に腰掛けてその場にいて、ボブと僕がそこに合流した格好になった。 バンドの演奏中でとにかく音が大きくて何も聞こえなかったので、僕らは互いに合図でやり取りするしかなかった。そうするうちに目を閉じて音楽に合わせずにはいられないようになってしまった。それは音楽が僕の体の中を滴り落ちていくように感じたからだ。 後で、フィル・レッシュに「会場の中で最高の席を見つけたよ」と話してみせたが、彼は僕の方をじっと見るとこう返したのだった。 「それは違うよ、ボブ。実際のところ、僕のところが一番良い席なんだよ」 まったく言い返す余地は無しといったところだ。 僕たちは東へと旅を続けていった。シカゴ、イリノイ、ロアノーク、ヴァージニア、ハートフォード、コネティカット。ツアーはスムーズに進み、僕らは舞台を組み上げてはバラシ続けた。 ハートフォードで舞台を組み上げた後、僕はガルシアを囲む舞台裏の小さな輪の中にいた。彼はおなじみのギターをつま弾きながらで、何時間後かに迫ったコンサートの準備をすすめているようだった。 その時、彼が僕に尋ねてきた。 「調子はどうだい、ボブ。舞台の仕事はどんな具合だい?」 「肉体労働だね、ジェリー。でも僕は丈夫な方だし、やっていってるよ。実際、ここまでのところ楽しくやってるからね。おかげで仕事に入れたことを感謝してるよ」 僕は心からそう答えていた。そしてすかさずこう付け加えた。 「でも来週のルーズベルト・スタジアムでのショーだけど。あの日は満月なんだよね。言いにくいんだけど、なんか起こりそうな気がしてね」 その日はこのツアー中、唯一の雨となった。いつまでたってもステージに出てこないバンドの登場を土砂降りの中、7万人の観客は既に何時間も待っていた。 ところが、僕たちが機材からカバーを外す度に、新たな土砂降りにみまわれるのだった。天候は一向に安定しなかった。そうしてコンサートをキャンセルしようとすると、ほんの2,3分後に日差しが射してくるというふうで、まさに一進一退といった感じなのだった。 ようやくキャンセルを決めてしまうと、バンドは大急ぎでリムジンで会場から走り出さなければならなかった。何故なら怒りまくったファン達が司会者や舞台裏に向けて、ボトルを投げ始めたからだ。観客と舞台裏を仕切るベニヤ板が、前後に大きく揺れ始め、今にも観客たちがなだれ込んできそうな気配になってきた。 セキュリティ担当者たちは、もはやパニック状態で、あちらこちらに走り回り、皆大声を上げていた。ふと見ると目の前を頭から血を流した人が、横切って行った。僕たちは一瞬にして静寂から戦場に放り込まれたのだ。 1台のリムジンが会場を後にしようとしていた。そしてロードマネージャーのロック・スカリーが車の中からこう叫んできた。 「ジャンプしてこっちへ来い、ボブ。まだ乗れるから。早くここに!」 僕が車の中になだれ込むと、大荒れとなった会場を後に走り出したのだった。 果たして次の満月には何が起こるのだろうか?と僕は考えながら、その時までには、無事に家に帰れるようにと願っていたのだ。 僕たちはフィラデルフィアのシヴィック・センターで3日間働いた後、休むこともなく、雨で順延されたショーのためにルーズベルトの会場へと戻ってきていた。(訳注:実際にはシヴィック・センターのショーは74年08月04日と05日の2日間。雨のために繰り下げ公演されたルーズヴェルト公演は翌06日に行われている) 僕らはとにかくフラフラで、わずかでも眠れる場所があれば、そこがトラックの中だろうが、舞台の下だろうが、ウトウトと眠りに付くほどだった。 僕自身にとって、その日は最高のギグだった。バンドは、ついほんの数日前に土砂降りの雨の中、待ち続けた観客たちをなだめるかのように演奏をしてくれたのだ。 彼らはその日、最高に特別な"Uncle John's Band"の演奏を聴かせてくれた。その時僕は、知らずに涙を流していたのだ。もちろんその日がショーの最終日だったということもある。でも誰もそのことを口にしないのが僕には嬉しかったのだ。 涙にはもう一つ別のワケがあった。僕にはこうしたやり方が限界であることが分かっていたのだ。巨大なロックコンサートは当時としては、はるかに時代の先を行くものであり、こうした巨大なショーを行うための許可を得ることが、ほとんど不可能になっていったのだった。 そうした許可を取るために、バンドがしなければならない約束ごとは、ほとんど狂気の沙汰のようなものである。例えば、バンドはいかなる場所でも、観客の頭上10フィート(約3メートル)で演奏をしなければならないとされていた。また消防局の規則は厳格に強要させられていて、観客のど真ん中に通路を取らないといけないきまりになっていたのだ。多くの観客が音楽を聴きにその通路に来たり、ダンスをしたりするだろう。だから、そうした決まり事にそって多くの観客をコントロールすることは、ほとんど不可能だった。 ハートフォードでは、バンドを一目でも見ようとしたために、65人もの人が警棒で殴られ逮捕されていた。 これからのトリップをポジティブなものにするためには、グレイトフル・デッドは一旦、活動を停止するときが来たのだ。そして実際に彼らは安息日を取ることにしたのだった。その期間中に各自は自分たちの課題をこなしていた。再びスタートが出来るために。 休息前の最後のコンサートは記念としてフイルムに収められていた。そして完成に何年も費やした巨大なサウンドシステムは結局、全米を2往復し、その後ヨーロッパへ運ばれ、この最後の日を終えて休息についたのだった。 グレイトフル・デッドのショーを作り出していた数百人のスタッフには暇が出され、そうして一つの時代が終わりを迎えた。ただ伝説だけが、数千人の人々に目撃されたのだった。 #
by h_asaden
| 2004-04-01 11:49
| Egypt
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