追記

雪雪/醒めてみれば空耳

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2016-12-07 世界の二枚目のポートレイト

_ たとえばファーストアルバムのポートレイトがとても魅力的で、CDをジャケ買いした後、雑誌記事かなんかで二枚目のポートレイトに出会い、「あれ?こんな顔だったっけ」みたいなとまどいを感じたことってありますよね。この時点では実像がどっち寄りかは不分明なわけですけれども、するうち三枚目四枚目が目に留まって、頭の中でデッサンされて、二次元が空間化し印象がシフトし固定されてくる。

正確を期すなら参照できる枚数が多いに越したことはないけど、一枚のポートレイトがすごいポジティヴに印象的だったとき、二枚目のポートレイトはしばしば暗雲のように被さったり、きな臭く漂ったりする。一枚目のポートレイトへの思い入れが強いほど、二枚目は深く刺さってくる。見なかったことにしたくなることもある。

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なにかおぼろな問題があって、思考し探索するうち、新しい切り口が見つかるたびに問題は立体的になり、問題を回してまだ見たことのない角度を見ることもできるようになる。そのうえでなお見えていないのはどこか、あるいはどのくらいか、特にどの部分か、推測することもできる。

しかしとりあえず、問題が枢要であればあるほど一枚しかないポートレイトがせめて二枚になれば、状況はぜんぜん違ってくる。

永井均が、〈私〉という比類なきものの周囲をさんざっぱら経巡ったのち、〈私〉と〈今〉が、おなじものの別のポートレイトであるという認識に至ったとき、一気に言い得ることが増えたように。

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トマス・ネーゲルに『コウモリであるとはどのようなことか』という本があって、このタイトルは哲学や認知科学の文脈でしばしば言及されるのだが、コウモリの主観的経験は、神経や脳をどこまで解析しても辿り着くことはできず、意識の内面の様相は物理科学的な描法に還元できないという主張の、トレードマークみたいに使われている。

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とにかく考えるのが好きな人は、未知の知覚や異質な知性を所持したなにものかの、ナマの主観を経験できたとしたら、おもしろいことがいろいろ言えるんだろうになあと、夢想したことがきっとあるだろうけれども、この種の別の主観を経験する話は、もっぱら無理筋扱いでしか語られない。でも、そんなに悲観するところではないと思う。

なにせ私たちには異質な認知構造と異質な知性の動作を備え、しかし理解不能なほど隔絶してはいない絶妙に好都合な「夢」という世界があるのだから。それもしっかり主観で。

夢の中では、時間も空間も知性も言語も記憶も、現実とは異なったふるまいをする。

たとえば時間経験において「現実にも夢にもある作用」「現実にあって夢にない作用」「夢にあって現実にない作用」「あってもよかろうに夢にも現実にもない作用」を考えるだけで、時間のとり得る振り幅について、いろいろなことを思いつく。

こんな好都合な位置に配置された異主観、こんな絶妙に展開された異世界、ありえない。

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思いつきもしなかったのに一度思いつくと、なんで今まで思いつかなかったのか、じぶんのばかめ、と思わされることがしばしばある。

太陽系の主要な諸天体は、系外に去ることも、近隣のより大きい天体や太陽に落ち込むこともなく、奇跡的に絶妙な軌道を取っている。確率的にはあり得ないくらい。神の御業が働いているかのように。

しかしこれは驚くことではないな。というのも、ぜんぜん絶妙でないものや、ぎり絶妙に足りないものまで、去るものはすっかり去り、落ちるものはすっかり落ちた後に残ったものであるから、絶妙なのはあたりまえだ、と思いついたのはそう遠い昔のことではなく、それはそれはしみじみした。

夢も、絶妙過ぎるんで、なにか大量のものが取り去られた後に残ったものかもしれないなあ。

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認識が変わると世界の視えが変わる。夢に対する認識が変わると、夢見が変わる。夢が、世界の二枚目のポートレイトとして使えると思うようになってから、以前は夢の中では起こらなかったことが起こり、思えなかったことが思え、見えなかったことが見え、できなかったことができる。それが次第に増え、印象が鮮明になってきた。超おもしろい。もっと早く始めればよかったなあ、これ。

夢の場合は難題の主観面はオッケーなので、科学的知見が活きる。アラン・ホブソン『夢に迷う脳』は、夢見のあいだ、脳のどこがどのように働いていて、どこがどのように働いていないのか、多岐に渡り精細に報告されていて好適である。

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2016-11-24 中学バドミントン部のニールス・ボーア

_ 今村夏子の二冊目の作品集が、異例の地方出版からの芥川賞候補作「あひる」を表題作として出た。ほんとうに出た。

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『あひる』に収録されていた書き下ろしの二編、つまり未読であった二編は、今までがまるで奇跡のように思えただけに、今度も今までの水準を保っていたらそれだけですごいと思うわけで、僕はただ小説を読み始めるだけのことなのに、覚悟を決めて読み始めた。奇跡が起こることと起こらないこと、両方の覚悟を。

おおげさに聞こえるんだろうけど、読み終えた僕はやっぱり動揺している。

どうして、こうなるんだ今村夏子。

意図的にやっているのか、天然にこうなってしまうのか。

「できる」のか「なっちゃう」のか判断つかない。

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たとえば誰かが、これは傑作になるぞ、という期待に満ちて書いているとしよう。物語はすすみ、いくつかの重要な分岐点を迎える。物語の埋蔵する可能性は豊穣なのだが、けっきょくはひとつの選択肢を選ばざるを得ない。未練を断ち切りながら結末に辿り着いたとき、旺盛に繁っていた物語は刈り込まれて、すっかりみすぼらしくなっている。

作者である誰かは、「書いている最中は傑作だったんだがなあ」とひとりごちる。

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通常、職業作家というものは、それで飯を食っていこうとしているわけだから、物語の種を拾ったら、できれば大きく育てたいと思う。書けるに越したことはないのだ。

今村夏子のすごさは、書けるだろうに書かないところだ。ぞくぞくするくだりは随所にあるが、ひとつだけ挙げれば、「おばあちゃんの家」の主人公みのりは中学でバドミントン部なのだが、79ページから7行、そのことについて記述がある。

これは短編一本らくらく仕上がるネタである。豊穣な選択肢が秘められていて、読者である僕でさえ、そこから先の方奥の方を書きたくなる。書けると思う。うずうず。しかし今村は書かない。というか書かずにいられる。ゆえに、「書いている最中はあった傑作の可能性」みたいな力が、物語に残る。

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ふつうの作家ならこれは、創作者の本能に逆らう行為である。

まるで腕におぼえのある料理人が「今日は滅多にないすごいネタが入ったんですよ。きっとすばらしい料理ができます」そう言って客に素材を譲るような。

ああ、ありえない。

そして、ありがたい。

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いわば可能性の収縮は作品の外にゆだねた不確定小説。

(物語内の力学に寄せて言えば、みのりがあの話題に深入りしないことによって伝わってくることが確実にある。あえてなのか、あえてではないのかはっきりしない。そして、どちらであってもおもしろい)

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_ 寝仔 [世界で一番短いミステリー小説、 のかさねあわせ、 と苦労して書きました。 (なるべく的確に、のためにフリーズし..]

_ 寝仔 [本来書こうと思っていた書き込みをします。 ここに来たら別のことを書いていってしまいました。 秋に新しいお店、..]

_ 寝仔 [雪雪さん、こんばんは。 本を置いて行きます。 「最後の辺境──極北の森林、アフリカの氷河」水越 武(中公新書)カ..]

_ 寝仔 [言葉が鏡、だったのですね。 (私の脳はサーキットに耐えられないので、今はこの表記で) 私は鏡を見える状態..]

_ 寝仔 [「シュレディンガーの猫を探して」フィリップ・フォレスト(河出書房新社) フォレストさんの本はいつもかなり近くの軌道..]


2016-09-28 眼球より近い消失点

_ まだはっきりしたことは言えないのだが、ぼくの大好きなあの詩人に関心を示してくださる版元があって、復刊企画が進行中である。かなうなら二冊の詩集に未収録の作品も集成してほしいなあ。

ただし部数が読めないのでまだ五分五分くらい。1000部がゴーサインのボーダーだそうである。

わくわくとはらはらで脂汗が滲む。どうにか。

ごく一部の人にはこの上ない大ニュースだと思うので、うやむやながら報告してみました。

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マックス・テグマーク『数学的宇宙』(講談社)が抜群におもしろい。世界の毛穴が見えるくらいぎりぎりまで寄って、ここまでくっきり見えると気持ち悪いかも。さらっと書いてあるけど、じっくり考えてみると鳥肌ものの知見がいくつも。

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寝仔さんが教えてくれた王城夕紀『青の数学』と、さいきん話題の二宮敦人『最後の秘境 東京藝大』を並行して読んでいたら、この二冊に背中を押されて、とてもしずかで見晴らしのよい崖っぷちに出ました。

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10月にイオンタウン店に異動します。ぼくのもとを訪ねてきてくださるお客様方には桑野の半分もないイオンの在庫では対応しきれないかも。コアな本はそもそも配本がないから、地道に手配してゆきます。よろしくお願いします。

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_ 寝仔 [雪雪さん、意識の外の外、というのは、今運命や宿命と呼ばれているようなもののことを言うのではと思います。 かろう..]

_ つちだゆう [雪雪さんお久しぶりです。 既にご存知かもしれませんが「たべるのがおそい」volに収録された今村夏子さんの「あひる」..]

_ 寝仔 [普段から電波なのにトンデモっぽいことを書いている気がしましたので訂正を少しします。お邪魔します。 「と呼ばれて..]

_ 佐藤華子 [雪雪さんご無沙汰しております。 ふと姉を思い出して、久しぶりにブログを拝見しました。お元気のご様子で嬉しいです。 ..]


2016-09-01 存在し得ず、たとえ存在しても世に出てこなく、たまさか世に出てきても書き続けられない才能

_ 九州の侃々房の西崎憲個人編集ムック『たべるのがおそい』に、今村夏子のよっつめの短編「あひる」が載ったとき、すぐに読んで「ああ、これが五大文芸誌に載っていていれば芥川賞なんだろうに」と思った。

ところがである、直後の芥川賞候補作が発表されると、異例の地方からの抜擢により「あひる」が入っていて、それは常識外れの超ロングシュートが決まったような爽快な出来事だった。

あれには驚いたなー。しかし結局受賞しなかったことに、よりいっそう驚いた。

次点だったという。どんな選考過程だったんだろう。『文藝春秋』の芥川賞発表号がこれほど待ち遠しかったことはかつてなかった。

選評をみると、むろん平均的に高評価ではあった。しかし今村夏子に対する評言としては、驚愕も戦慄も滲まない鈍重なものばかり。ひとり小川洋子だけが、今村夏子の落選に切実に無念を表明していた。思うのだが、将来これは(小川洋子のちいさいけど輝かしい)勲章になるにちがいない。

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長いこと書いていなかった今村夏子だが「あひる」で水を得たのか侃々房から近々短編集が出るという。ほんとに? ほんとうに出るのかなあ。

その疑念をよそに電子雑誌『文芸カドカワ』9月号にも新作「父と私の桜尾通り商店街」が載った。今村めあてに『カドカワ』を買った人のコメントがあちこちに出ているのだが微笑ましいのは「電子書籍初体験!」というフレーズが頻発することで、今村夏子を追いかけるくらいの読書家なら今まで電子書籍に手が出そうな機会は幾度もあったろうに。今日この頃まで上がらなかった重い腰が、今村夏子に尻をはたかれてひょいひょい上がっているわけである。これはただごとではない。

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今村夏子は、心底希有な才能である。

作家になりたいと思ったこともなく、小説でも書いてみよっかなとふと思い立って書いてみたら書けてしまったはじめての小説「こちらあみ子」で太宰治賞。その作品を表題作として第二作「ピクニック」を加えた初単行本で三島由紀夫賞。授賞式で今後の抱負を問われ「そういうのないです。今後なにを書きたいとか、全然思わないです」と言い放って満場を凍りつかせた人は、やっぱりちっとも書かなくて『こちらあみ子』文庫化の際、掌編「チズさん」を収録したのみ。キャリア七年でたった三編。

たくさんは書けないのだろうと思う。むしろたくさん書いて欲しくないと思う。それでもこうしてひとつもうひとつと、あたらしい作品があらわれて、今村夏子の小説だけが触れてくる場所に触れてくれるのは、ほんとうにありがたい。

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私達はつねづね作家になる気満々の人の作品ばかり読まざるを得ないわけで、作家になる気はないのにとても読みたい読者とすごく書かせたい編集者がいるばかりにかろうじて世に出てくる今村作品には、作家になりたい人なるべき人からは出てこない見慣れない力が横溢している。

存在し得たとしても、ふつうは世に出てこない才能。

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小説を読むとき希に「ああ今小説を読んでいる」という異様な手応えを感じることがある。それは書き続け磨き抜いた名手の腕のほかには、僥倖なくして宿ることがない境地である。

それは予感なのだと思う。

私たちの心の営みは、ほとんど無意識の領域で進行する。心が掻き立てられる、という言い方がある。すぐれた小説は、私たちの心の不可視の領域をも掻き立てる。それは「なにかが起こりそう」という予感となって表層の遠景にたなびく。それが期待の色を帯びるか不安の感触を帯びるかは、読者の心性に左右されるとはいえ、さだかならぬ予感が、ひそやかにしかし広範に立ちこめるとき、さだかならぬ故にそれは不安と結びつきやすい。

同様にもうすこし素性が明らかなもの、たとえばあわい悲しみも、今村世界においては伏流水のようにひめやかに蓄積するので、後の段のかすかなふるえで決壊したりして油断ならない。読者を、異なった場所で悲しませそして、どうしてここで悲しくなるのか分からないと思わせる。

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今村夏子を評する人が、頻繁に「不穏」「こわい」「おそろしい」という言葉を使ってしまう所以はこのあたりだ。

世に不穏なけはいを持ち味にした作家は珍しくはないが、不穏なことを書いて不穏な味がするのは当然のことであって、からっと晴れ渡った風景を描いても、ほっとするような人と人の交情を描いてもなお不穏な今村夏子は、熟練もしてないし名手でもないというのにまことに目覚ましいことである。習いもしないで技が出る。これぞ天才の定義であろう。

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今村作品が終盤、絶妙に畳まれていく感じがするのも、プロットが練り込まれているからではなく、周到に伏線が張られているせいでもなく、広範な予感によって、読者が無意識にあらゆる心の準備をさせられているからだろう。

このゆえに今村夏子の傑作は、いわゆる「一字一句ゆるがせにしない傑作」ではない。物語のしからしむ力によって宿命づけられた「これしかない」という終着を要請しない。思い切って言えば、今村夏子はどう書いてもいいのだ。どう書いても一定の予感は果たされ、ほとんどの予感は余る。ゆえに後をひく。物語がどこにたどり着こうとも残るもやもや。それこそがふくらみであり広がりであり美点なのだ。

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世に実験的な作家たちがいる。小説を書くことにまつわる無意識の慣習や、小説を読むときにはたらく暗黙の規範を自覚し、それを無視したり誇張したり逆手に取ったりするのが好きな人たち。読者と小説をいきなり思わぬ場所に連れて行く、高度に技巧的な作家たちである。かれらはほぼ例外なくマニアックな読み手でもある人たちである。

今村夏子はたぶんマニアックな読み手ではないと思うし、計算し尽くして書くようなタイプでもない。それなのに、まるで卓越して知的な作家たちのように、高度な技をかけてくる。

「あひる」を世に出した西崎氏も、読者としての岸本佐知子氏も卓越した一節として言及しているが「人がいる」のくだりはほんとうにすごかった。

あえて読んでない人には意味不明であるように書くが未読の方はご用心ください。

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語り手は事態を俯瞰する視点に立つから、物語の外側の力によって幾許か持ち上げられている。二階の窓辺に立つ主人公は、威嚇的ではないが不意のひと言、自分に向けて浴びせられたわけでもない「人がいる」のひと言によって、それまでちょっと上から、つらつらと述べ立ててきた微笑ましい事態から、当人はしっかり疎外されていることを、いっきに告知される。自分と、読者に。語り手の足場という物語の外の位置エネルギーによって、物語の中で落ちる。あるいは読者に支えられていた主人公は、読者の心の中でことり、と落ちる。

主人公は突然の羞恥にじぶんに突っ込むことさえできないくらいうろたえている。そして読者もうろたえている。なににうろたえているのかよくわからないから、うろたえていることに気付く前に読み進んでしまう。

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エレガントな言葉ではないが、今村夏子に「天然」な魅力があるのは否めない。愚かな人本人のように愚かで、しかし異様に賢く、ところが理知的ではない。狭い視野でほとんど引く余地がないほど不自由なのに躍動的で客観的。

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芸術や音楽や数学など、突出した才能を持った知的障害者をイデオサヴァンと云う。語弊があると知りつつたとえれば、まるで賢さという突出した才能を持ったイデオサヴァン。

矛盾した、ありえない才能。

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_ 寝仔 [雪雪さん、こんぱんは。 本をひとつ置いていきます。 「青の数学」王城夕紀(新潮文庫nex) もうご存じだと思い..]

_ 寝仔 [追伸 自分でもちょっと考え直してみます。 寝仔]

_ 寝仔 [雪雪さん。 こんぼんは。タイトルについては、 それだけの作家であるから大切にして下さいね。 という意味と解釈を..]

_ 寝仔 [こんばんは。 追記多くすみません。 私が不安に感じることは人も不安に感じるかもしれない、ということをまず除外..]


2016-08-19 知っても知っても未知なるもの

_ ジャック・ヴァンス・トレジャリーとはなんとすてきな企画であろう。国書刊行会ばんざい。初回配本『宇宙探偵マグナス・リドルフ』の現物を見るまで、出るのを知らずにいたうかつな私。

傑作揃いだなんて口が曲がっても言えないが、いいのだ、未読のヴァンスが読めれば。この使い込まれて手すさんだ民芸品のような読み心地さえ味わえれば。

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解説にJ・R・R・マーティンのコメントが引かれていて、ぐっとくる。

「ジャック・ヴァンスは、ぼくが意識して模倣を試みた、あとにも先にも、たったふたりの作家のうちのひとりだ」って。そしてもうひとりはH・P・ラヴクラフトだそうである。

ぼくはマーティンの大ファンではないが、好きで好きでたまらない部分があり、それはまさしくヴァンスとラヴクラフトのにおいが嗅げるところなのだと、腑に落ちた。そういうわけで、マーティンでいちばん好きなのは代表作というわけではない短編「ストーン・シティ」の導入部で、ここはコードウェイナー・スミスを思わせるのだが、それはつまりヴァンスとラヴクラフトのにおいがいっしょに香るとコードウェイナー・スミスのにおいになるかと、重ねて腑に落ちた。

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ここで言うラヴクラフトは、一般像ではなくてただひたすらドリームランドもののラヴクラフトであって、東京創元社の『ラヴクラフト全集』を編んだ大瀧啓裕氏が、「自分にとっては『カダス』あってのラヴクラフト」という意味のことをどこかで書いていたように、ぼくもそれにほぼ同感で、その『カダス』、つまりドリームランドものの軸となる長編『未知なるカダスを夢に求めて』を含んでドリームランドもので固めた全集第六巻ばっかり読み返しているのでした。六巻だけ、三冊くらい持ってると思う。

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2016-07-29 天動説

_ 現在とは、もっとも鮮明な記憶である。

多種の経路の多様な情報を統合するのに時間を必要とする分、意識上の現在は実現在に多少遅れをとることになる。リアルタイムの行動の決定、身体への指令は主に無意識が担っていて、意識は基本的に身体をコントロールしていない。

意識の主要な役割は自分に対する事後の解釈である。自分を取り巻く状況を一望して「自分はどういうつもりなのか」を無意識に伝える批評家・評論家である。

人が自分の動機を解釈するとき、それはしばしば的外れなのだが、そもそも人は独自の目的と欲望を備えたユニットの集合体であるから、本心というものを一意的に正答できるものでもあるまい。

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表層意識はたとえて言えば、一定のコマンドアイコンを含むディスプレイのようなものだ。無意識も含んだ自己の、つまりは外見である。

人は他人の外見を観察して内面を類推するが、それには錯誤や誤解がつきものである。自分に対してもおなじことで、意識の外見を観察して意識の内面を類推しているのだから、錯誤や誤解がつきものであるのは当然のことだ。自分だってしっかり他人なのである。

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意識が表象に過ぎないことは自明のことだが、にも関わらずほとんどの人はこの表象に自己を同一化しており、ディスプレイこそがCPUないしは本質だと実感している。

つまり見えに依拠して地球が中心だと思っていた天動説のレベルにあって、心理学はまあこれからひめやかにコペルニクス的転回を迎えてゆくのだと思う。

文明が仮にあと百年存続するとして、22世紀あたりの人が現代の常識的な世界観に前時代的な格差を感じるとしたらこのあたりかもなあ。

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2016-06-24 空気ではない風が吹き渡る

_ いちばん好きな画家・版画家は吉田博かも知れない。

空間把握力は圧倒的であり、至芸と言える絶妙な省略による実際には描かれていない細部の精密さを見つめていると、発見と感嘆と驚嘆が折り重なって、足許が抜けて落ちてゆくように感動に加速度がある。殊に水面の表現は右に出る者がない。この右に出る者がないというのは慣用語法に乗じて盛っているわけではなくて、ほんとうに吉田博の右側には誰もいない、という意味である。

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生誕140年の巡回展が郡山市立美術館に来ている。10年前の若冲のように、あるいは25年前のフェルメールのように、いまはまだ力量の割に一般に知られていない吉田博なので、会場はとってもすいている。順路を無視して何度もおなじ画の前に戻ってきても大丈夫。この画の前に一日いてもいいな、という一枚の前に立ち尽くしていても大丈夫。

会期の前半と後半で作品がだいぶ入れ替わるので、もう一回行こうと思っている。近隣の方は是非足を運んでいただきたい。一生のあいだに、これだけの芸術の奔流に心を揉まれる幸運はそう何度もないだろう。その後の人生が変わってしまう人も、何人かいるはずだ。

今まで僕も画集でしか作品を知らなかったのだが、印刷と現物の差が大きい。打たれすぎて今まで大好きだった吉田博の記憶がかすむほどだ。すごいと思う作品の順番も、すっかり変わってしまった。

そして大好きとはいえいちばんというわけではなかった吉田博が、いちばんかもというくらいありがたい存在になった。

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会場に入って、最初の壁面に学生の頃の作品があり、一度曲がって最初期の作品が何枚か、そして、次の面の最初に吉田博ならではの、たちまちあたりの空気が変わるような、魔法の奥行きをたたえた水彩画「日光」がある。

ここに達した人が、呻いて後じさるのがたのしい。「おう」と言う人がいて「うわ」と言う人がいて、溜息の音色で「これは」と吐く人がいて。そして気を取り直してそろそろと近づく。ガラスにひっつくくらいまで。自分がなにに驚いたのか。その謎を解こうとして。

とはいえ、これとて吉田博の代表作というほどのものではないが。

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郡山の後は福岡の久留米市美術館、長野の上田市立美術館、東京の損保ジャパン日本興亜美術館を回るようだ。そちら方面の方々は、なにとぞチェックせられたい。

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2016-04-19 ゆるやかに流れゆく雲のように見える群れ

_ あなたがまだこの世にいなかったころ

私もまだこの世にいなかったけれど

私たちはいっしょに嗅いだ

曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを

そして知ったのだ

いつか突然に私たちの出会う日がくると

この世の何の変哲もない街角で

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(未生  谷川俊太郎)

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_ だいぶん間があいたけれども、前回中途になった『ぼくはこうやって詩を書いてきた』の話。谷川俊太郎は著書が多いから、このタイトルから推測される内容とかぶりそうな本も何冊かあるわけでまあそういうものだろうと高をくくっていたところはたして案に相違した。よいほうに。

届いた現物が、A5判736ページという辞書なみの代物。

もっとも親交の深い編集者である山田馨氏によって長いキャリアから選ばれた88編の詩(最初の一編は、なんと小学校五年の授業で書いた詩、二編目は十六歳。当然未発表)を肴に、谷川氏と山田氏が、一杯やりながらいいこんころもちでダベる。書物のスクエアな外見に反して中味はほとほとぐだぐだで、フォーマルな設定の座談では出てこない迂闊で危うい味わいがたまりません。

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話題は谷川氏のプライベートにもずかずか踏み込んでいく。というのも、88編は世評の高い代表作というよりも、変転してゆく詩人谷川俊太郎の転機を象徴する作品という観点で選ばれていて、詩人の実人生における出会いや別れ、心境や環境の変化がどのように反映しているかということが話題の軸になるからである。付き合いが長く、痛い腹も痛くない腹も探ることができる山田氏だからこそ可能な切り口。そして対象が谷川氏だからこそ可能な切り口。現代詩の現況では、公刊された詩集がある詩人でもよりによったら88編選ぶとほぼ全詩集になっちゃいますから。そもそも詩人自身の、パブリックイメージがないし。

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知らなかった情報も満載。キャリアで一度だけ到達したミリオンセラーの話が出る。当世100万部売れれば一世を風靡した感じになるし、タイトルを挙げれば「あー、あったねえ」となるものである。

100万部アイテムをひとつも持ってない人気作家や一流出版社はざらであって、さらばもっとも本が売れる詩人である谷川俊太郎といえども「100万部?そんなのあったっけ」というのが大方の印象ではないか。

わかります? あれですよあれ。とかなんとか言ってここはタイトルを明かさずにおきますけれども。

(冒頭の詩は、あまりも短く緊密で、部分を取り出しようがなく、あえて全文を引用しました)

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_ 寝仔 [おはようございます。 少し動けるようになったかなという気配がありまして、6月と7月の雪雪さんのお店にいらっしゃる、..]

_ 寝仔 [雪雪さん、こんばんは。 どうも新幹線に乗ると私のお化けだけがそちらに着きそうな停滞期です。 様々予定の落ち着くか..]

_ 寝仔 [雪雪さんはたぶん、御自身の思考と言葉の走りかた、飛行のしかた、跳躍のしかた、現在の人口に膾炙している物理範囲での比喩..]

_ 雪雪 [寝仔さん、いろいろありがとう。 あなたの言葉を読んでいると、ふと我に返ります。 調子が整いますよう祈っております..]

_ 寝仔 [雪雪さん、ありがとうございます。 了解いたしましたの事後報告です。 適度に、落ちないように自転車を漕ぐような感じ..]


2016-03-21 ナナロク社って何人いるのかな?

_ 鹿子裕文『へろへろ』(ナナロク社)は、心が弾むような読書体験であった。なんにもないところから、ちょっと夢みたいにファンタスティックな高齢者介護施設ができあがっていくまでのノンフィクション。

鹿子氏は人物を魅力的に描くこと天下一品である。すてきな人がいっぱい出てくる。ぼくは、とある女性の初登場シーンにぐっときてしまって何度も読み返し、その後もその人の登場を心待ちにしながら読み進んでいったのだが、いきなり「入籍した」という記述が出てきて凍りついた。ショックを受けている自分にびっくり。そうだ、例のあの気分。手遅れになってから好きだったことに気付く、というあれだ。

数限りない本を読んできたが、本の登場人物に恋愛感情を抱いたのははじめてだなあ。

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ナナロク社はほんとうにいい仕事をしてくれるのだが、買切の地方小出版流通センター扱いなのでおよび腰になっていた。『へろへろ』積みたいんだよなあ、という話をすると、同僚のSさんから「うちはいつでも入帳します」って言ってたよ、という情報。そういうことなら一転やぶさかでなくなります。

『へろへろ』だけでなく、舞城王太郎の『深夜百太郎』(『入口』と『出口』で50編ずつの掌編怪談が二巻揃えば百物語を構成する)とか、近藤聡乃、岩崎航、若松英輔、クリハラタカシあたりも嬉々として仕入れた。

ナナロクでいちばん知られた刊本は、川島小鳥『未来ちゃん』であろう。あのあかいほっぺの女の子が表紙の写真集である。

その川島小鳥の木村伊兵衛賞受賞作『明星』も、今回はじめて現物を見た。うはー、なんだこれ。前代未聞の造本ですよ。まだ知らない人のたのしみを奪わないよう詳細は記さないが、その造本の理由もふるっています。

あとな、谷川俊太郎/山田馨『ぼくはこうやって詩を書いてきた』にも驚いて、これは即刻購ってしまったのだが、時間がないのでこの本のなにがびっくりなのかは日をあらためて。

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コメントもいただいているし書きたいことも書かねばならないこともいっぱいあるのだが。うぐうぐ。

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2016-03-05 奇跡についての奇跡

_ コメントをありがとうございます。

反応したく、そして反応しなければならないコメントがありますが、書いたり考えたりすることに心を振り向けると、まるで溝にはまるように特定の理路に入り込んでしまって、考えるつもりだったことを考えていないことに気付きます。

いちばん考えたいこと以外のことを考えると、その考えは持続しないで、いちばん考えたいことの方角の路地に曲がってしまいます。

もっとも話したい話題について、さいきんは身近に話し相手がいないので、全力疾走でおしゃべりしたいなあ。

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誰もが人類語を使っているので、おなじ限界に束縛されていて、語りうることのぎりぎりを語るときも、語りうることの向こう側を語るときも、語りうることの彼方を語るときも、言表上はおなじような言葉を語ることになってしまう。

反面、きちんと言語のルールに従っていてさえ、歴史上いちども書かれたことのない配列で書くことが、誰でも容易にできる。

いま僕がここに書いているこの発言も、たとえありふれて聞こえても厳密には史上初の発言です。

物質はもう長いこと同じことばかり繰り返していて、だからこそ科学も可能なのですが、生命は繰り返すことのできない一回性の出来事ばかり生産しています。

とはいえ、この一回性にも程度問題があって、一回性の中にも、ありふれた一回性と際立って一回的な一回性がある。

ふつうの奇跡と奇跡的な奇跡。そして奇跡的な奇跡の中の奇跡。

けれどもしかしやはり、いかにありふれて見える奇跡もすべて、宇宙の全歴史の中で、たった一度しか起こらない、のであるが。

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そして生命は無数にいるけど、自分が奇跡であることを知り、奇跡を経験することのできる生命はごく限られている。

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