アリエッティとお屋敷の没落

こどもまなび☆ラボというサイトで、『子どものための英文学』という連載をもたせていただいている。この木曜日に新たな連載分が上がる予定なのだけれど、今回その連載で書ききれなかったことがある。

読者層と目的を考えると、やはりそれは入れることのできない話で、考えた上で思い切って切ったのだけれど、本当はこれが書きたくて提案したような話だったのでこちらで。

 

借りぐらしのアリエッティ』と『床下の小人たち』の話。というか、小人たちとイギリス上流階級の話。

 

アリエッティ』を見ただけではピンとこないだろうけれど、基本的に『借りぐらしのアリエッティ』の原作となった『床下の小人たち』は、「消えつつあるイギリスの上流階級」と「お屋敷」をしのぶ話だ。そこには2度の大戦でイギリスという国が決定的に変わっていってしまうのではないか、という不安感や郷愁のようなものが色濃く残っている。

 

床下の小人たち』は「朝ごはんの間」と呼ばれる居間でメイおばさんとケイトという女の子が話をしている場面から始まる。そしてその描写が秀逸だ。

Now breakfast-rooms are all right in the morning when the sun streams in on the toast and marmalade, but by afternoon they seem to vanish a little and to fill with a strange silvery light, their own twilight [...]

朝ごはんの間っていうものは、朝、お日様がトーストとマーマレードの上に燦々と降り注いでる間はいいんですけれど、午後になると少し存在感がなくなって、不思議な銀色の光、朝ごはんの間の黄昏みたいなものでいっぱいになるものです [筆者訳]

「朝ごはんの間」にだけ訪れる「黄昏 twilight」は、他の住人に必ずしも気づかれるものではないけれど確かに黄昏であって、消えゆく種族の物語の幕開けにはふさわしい。

 

映画『アリエッティ』は非常によくできているけれど、原作が持つ時代性というか、階級差の対立のようなものに、意識的にか、無意識的にか、無頓着だ。日本に舞台を移し、日本の観客を相手にしているのだから、それはある意味当然の変化なのかもしれないけれど、やはりどこかに小さな歪みが出てくるし、それが一番典型的に現れるのは家政婦ハルさんの造形だと思う。

 

なぜ彼女はあそこまで執拗に小人たちを狙うのか。なぜ、お屋敷の住人である翔がいろいろな「プレゼント」をしているのに正当に与えられたものを受け取っているだけの小人たちを「泥棒」と呼ぶのか。

製作陣は家政婦ハルさんの執着の理由を「子供の頃小人を見つけたのに信じてもらえなかったから」としているけれど、そもそも原作でも小人たちを追い詰めるのは使用人たちの役回りだ。むしろハルさんを原作の登場人物(ドライヴァおばさん)を下敷きにして作ったからだ、と考える方がしっくりくる。

そして「盗む」ことと「借りる」ことの間には、やはり明らかなポリティクスがある。

 

端的に言って、原作では小人たちを借りぐらしの人達として受け入れるのはお屋敷の住人たちであり、「泥棒」と呼び、捕まえようとするのはお屋敷の使用人たちだからだ。

以下、訳は特に但し書きがない限り林容吉氏のものによる。

 

 

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

 

 

小人たちを受け入れるUpstairsと小人たちを泥棒と呼ぶDownstairs

床下の小人たち』の舞台になるのはケイトという小さな女の子にいろいろなことを教えてくれる「メイおばさん」が少女だった時代だ。

 

出版当時の1952年にメイおばさんが60-70歳だったとすると、舞台は20世紀の初頭。第一次大戦前だと考えてもいいのかもしれない。アリエッティのおじさんは「1892年の4月23日に」人間に見られたとなっているから、さほどずれてはいないだろうと思う。

 

そして借りぐらしの小人たちは「おこりっぽくて、うぬぼれ屋でこの世界は自分たちのものだと思っている」(20)。人間は雑用をするために存在するものだと思っていて、それなのに「内心ではこわがっている」(21)と紹介される。

大きな屋敷にすみ、人間たちを「雑用をするもの」とみなす「小人たち」はイギリスの特権階級を想起させる特質を最初から多く持ったものとして紹介されているわけだ。

そして実際、小人たちが見せるお互いの「家柄」に対するこだわりは明らかだ。アリエッティの家族はもはやこの家に住む唯一の家族であるのに、母親ホミリーの会話は他の家族とその家柄の話に満ちている。ビクトリア朝のアッパーミドルクラス以上の人々がしばしばそうであったように。

それは出版当時、子供の読者にはピンとこなかったかもしれないけれど、読み聞かせていた親たちにはすぐにわかることだったのではないかと思う。人によっては涙が出るほど懐かしい、戦前の世界でもあっただろう。

 

二つの戦争の間には家事使用人はどんどん減っていき、戦後になるとほとんどその存在がいなくなる。同時に、大きなお屋敷で、使用人に囲まれた生活というものもめっきりと数を減らす。

 

「エメラルドの時計!」と、男の子がさけびました。

「ええ、うちの壁にかけてあるからいっただけよ。だけど、それは、おとうさんがじぶんで借りてきたのよ。」  (122)

 

 

エメラルドのついた時計を気軽に「借りる」小人たちと、基本的には小人たちの「借り」を許している屋敷の住人たちは基本的に同じ陣営に属している。となれば、家事使用人であるドライヴァおばさんが小人たちを目の敵にするのも当然と言えば当然なのだ。

小さな宝石がなくなった時、もっともきつく責められ、困った立場に追いやられるのは家事使用人たちなのだから。

上階に住み、家事労働の恩恵に預かる屋敷の住人(upstairs)と階下に住む使用人(downstairs)たち。そして、空間的にはDownstairsのさらに下にいるのに、お屋敷の持ち主たちには受け入れられる小人たち。

 

アリエッティのハルさんが小人を執拗に捕まえようとする理由は、彼女が安い賃金でこき使われ、何かがなくなった時には真っ先に疑われる家事使用人の末裔だからだ、と私は思うのだ。

 

 

 

パンにつけて食べるもの

f:id:ayoshino:20181028133617j:plainイギリスに住んでいると当然のようにパンを食べる機会が増える。そしてパンは美味しい。

日本の惣菜パンには惣菜パンなりの美味しさがあるけれど、そうではなくて、もうパンそのものの美味しさ。

日本人だったらわかる、白いご飯の美味しさとも通じているかもしれない。

 

で、当然ながらパンにつけるものも数多くある。その中でもおそらくあまり日本人に馴染みがないのがこの2つだろう。

マーマイトとジェントルマンズレリッシュ。

 

 

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マーマイトはいい。

知名度だけはやたら高い。それに日本人がこぞって「美味しくない」という。

 

で、これはすごく奇妙なことだと私は常々思っている。

基本発酵食品なので、味噌や醤油に通じたしょっぱみと味の深みがあり、あまり日本人が嫌いになるような食べ物には見えないからだ。イーストの独特の匂いはあるけれど……。

と、思っていた10年ほど前、帰国中に日本の人がマーマイトを塗る様子を見てひどく納得した。

 

ピーナッツバターのようにべっとりとトーストの上に塗っていたのだ。

 

在英日本人の間ではよく言われるけれど、基本マーマイトは「わさびを塗るように」塗ると間違いが少ない。寿司や刺し身にべっとりとわさびを載せる人が少ないように、トーストにマーマイトを載せるときもたっぷりバターを載せてからこころもち、添える程度でいい。

 

もう一つ。おそらく日本の人はあまり食べたことが無かろうと思われて、なおかつ日本人は意外と好きなんではないかと思うのがこれ。

小さなイワシのペーストなのだが、基本、塩辛系の味だ。

 

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なんとなーくビクトリアンなケースを開けると中に入っているのは灰色のかなり魚臭いペースト。一瞬怯むけれど、珍味系の味が好きな日本人ならこれ、嫌いじゃないはず。ネギやしょうがと合わせて、なんか酒のつまみができそうな味の構成ではある。

 

そして、これを伝統的にはバターたっぷりのトーストに、これもまた「わさびのように」かるーく塗るのだ。

 

美味しい。と、私は思う。

小石を隠す——という、コミュニティ

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イギリスの5月の最初の日曜日はバンクホリデー(国民の祝日)があって3連休になる。

GWほどではないけれど、それなりに特別な週末だ。

 

その週末に面白いアクティビティに出会った。

出会うなり、「イギリスっぽい」と思った。しかもやってみたら思いの外楽しくて、こんなに簡単で、お金がかからなくて、楽しくて良いのかと考えていたら笑っちゃったので、ご紹介したい。

 

 

そもそもの発端はFacebookだったらしい。

私は「イギリスっぽい!」と思ったけれど、もともとはアメリカにあった Love on the RocksというFacebookのグループが起源だとか。

 

やるべきことは簡単。

 

  1. グループのメンバーになる (Love on the Rocksだけでなく、住んでいる街にすでに街専用グループがある可能性があるので「街名+rocks」での検索を推奨)
  2. 小石を拾ってきて絵を描く(人によっては文字を書く場合も)などして飾る
  3. 小石の裏側にFacebookのグループ名を書く
  4. 近所の公園などに隠す
  5. Facebookに「隠したよ」と報告
  6. 見つけた人はページで報告
  7. 見つけた小石はもう一度隠すか、どうしても別れ難かったら家に持って帰って飾る

 

これだけの遊び、だ。

 

 

これが、楽しい。

子供と一緒にすべすべの小石を探すのも楽しいし、絵を描くのも楽しい。

小石を隠そうとすると普段歩き慣れた公園や森も突然新たな視線で見るようになるから新鮮だ。

そして、隠された小石を見つけたときの子どもたちの喜びっぷり!

物によってはものすごく手が混んでいて、大人だって見つけたらちょっとワクワクする。

中にはわけの分からないグジャグジャの線が描いているだけのものもあって、裏を見ると「エルシー 2歳」とか画伯の名前が書いてあったりもする。

 

普段の生活を大したお金もかけずに楽しくするアイデアは大歓迎だ。いいなあ、と思っていたら、どうやら私はトレンドからは遅れていた模様。

去年の10月にはすでにBBCがイギリスを席巻する新たなトレンド、として報道していた

 

その前にも、8月にはハンプシャー小石にポジティブなメッセージを書いては街の中に隠す女性の話が報道されていている。

 

 

こういう遊びの、どこがいいな、と思うかって、自分たちの住んでいる環境をほんの少し、特別にしてくれるからだ。

 

あちらこちらの小さな街が色々とサブグループを立ち上げているのが、流行の証拠で、例えばヨークシャーには大きなYorkshire Rocksというグループがあるけれど、他にも私の住んでいる街の周辺幾つかの街がすでに自分たちの街独自のグループを持っている。

 

普段の散歩が、そういうわけでこの週末は100倍楽しかった。

ちなみに私が置いた小石は、30分後、公園の反対側の川辺で見つかったとの報告がFacebook経由で届いた。そこにたどり着くまでに30分で何人の子供が手に取ったのだろうと、一人でにこにこしている。

EU離脱の話。

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EU Flagga | MPD01605 | Flickr

もう1週間ちょっと前の金曜日。

目を覚ましたら、イギリスはEUを離脱していた。

これは私にとっては(そしておそらくかなりの人数のミドルクラスの人間にとって)とても驚くことであり、当惑することでもあった。その朝の周囲の人々の緊張した顔や、早口で交わされる会話、そして不思議なまでの静かさは、本当に奇妙なことなのだけれど、2011年3月11日の翌朝、東京で感じたものに似ていた。

何かが起きている。

これから何が起きるかわからない。

本気で何が起きてもおかしくない、私がいるところは現在安全だけれど、きっと何かもっとひどいことが起きているんじゃないか、私には何もできないのかという緊迫した、それでいて奇妙に高揚した感じ。もちろんあの3月東日本大震災の時のように多くの人がなくなったわけではない。インフラに物理的な被害があったわけでもないので、一週間した今、周囲の空気はだいぶ落ち着いてきている。しかし、国民投票の結果がでた直後の、国全体が「いったい何が起きているのか」と息をひそめる様子は、なにか奇妙に震災の後を思わせるものだった。

それは、今回の離脱がまったく想定外だったからだろう。

 

もちろん、離脱派が勢いを増していると言う報道はされていたし、EUに対する不満は、もうそれはずいぶん長いことイギリス国内につもりつもってはいた。しかし、一般的にイギリスの人たちは急激な変化を好まず、最終的には専門家の知見を尊重した投票をする傾向にある、と言われてきた。そして、専門家たちはこぞってEU離脱は好ましくない、と、(私が見聞きする限りでは)発言していたのだ。

だからこそ、どれほど離脱派が押し上げてきてもおそらく最終的には止まる決断が下されるだろう、と思っていた。それは、もう、うんざりするほどに。

 

私には選挙権がないので最終的には見守るしかできない選挙ではあったのだが、おそらく選挙権があったら「うんざりしながら残留に投票」しただろうと思う。「うわー!ヨーロッパって素晴らしい!」というのではなく、「うーん、いろいろと問題もあるんだけれど総じて考えると抜けるのは得策ではないだろうな。しかも、これだけグローバル化が進んでる状況でEUを抜けたからといって一気にグローバル化の余波から免れられるわけでもないだろうな」というような至極マイナスの消去法的な選択で。

残留に投票した人たちは今でもこの選挙の結果に大きな怒りを持っているのが肌で感じられるし、それこそ今後の生活への影響を考えるとそれは十分にわかる。

それでも、投票前の段階で熱狂的にEUの理念を支持する!という人は必ずしも多くはなかったのではないかと思う。「まあ、総合的に判断すると残留にしておいたほうがいいよね」というくらいの感じ。あるいは、「EUには大きな問題があるけれど、現在の離脱派の主張があまりにも右に傾き過ぎていて怪しいので、あのグループからは距離を置いておきたい。」「離脱は後でもできるが、一度離脱してしまったら再加入は条件がわるくなるから様子見のほうがいい」といったところか。

離脱が決まった後、目に涙を浮かべて「独立してイギリスを取り戻したのだ!」と訴えていたおじさんたちとは大きな温度差がある。

そもそも、歴史的にイギリスの人たちには個人的なレベルでは旧植民地とのつながりの方が、ヨーロッパとのつながりよりも強い。白人であれば多くはアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカのどこかに親戚がいておかしくないし、マイノリティ系だったらそれこそもっと強いつながりをインド、パキスタン、カリブ諸国との間に持っていることが多いだろう。感情的なレベルで「近い」国は必ずしも地理的に近い国とは限らない。

 

奇妙な法律を作るし、こちらが旅行で行けるのはいいけど、向こうからも貧しい人がいっぱい来てるみたいだし、ひどい場合には人身売買まがいのやりかたで東欧から働かされにきているらしい、などという話になれば(たとえば2012年10月、リトアニアからの労働者が実質強制労働のような形でイギリスの農場で働かされていたのが明らかになったこのスキャンダルなど)人間の自由な移動、というEUの理念そのものが持つ暗い面は右派左派を問わずに感じられていたのではないかと思う。*1

一般のイギリス人たちは結構知らないのだが、ここ10年ぐらいで移民関係の法律もこの国はとても厳しくなっていた。結婚当初とは比較にならないほど煩雑で高価になった手続きをするたびに、「EUの人たちは楽なんだろうなー」と私などは遠い目になっていたものだ。

金銭的にかつかつではない私でさえうらやましく思うのだから、すでに存在する移民コミュニティーにはどれだけの鬱憤が溜まっていたことだろう。パキスタン系住民の多くすむ近隣都市ブラッドフォードが離脱を支持した背景にはおそらく自分たちよりもずっと楽をしている(ように見える)ニューカマーである東欧からの移民への反感があったのではないか、と私は勝手に推測している。

 

とはいえ、本人たちが恩恵を感じてなかったとしても、しっかりと恩恵はうけていたわけで、近隣の小さな村のブロードバンドはEUの補助金で設置されていたし、大学にだって補助金は入ってきていた。先ほども書いたけれど「EU出身者はいいよなー。ずるいよなー」と私がブツブツ文句を言いながら書類を整えていた配偶者ヴィザは、配偶者のの収入によってビザの取得の可否が決まる現在のイギリスのやり方が、人権侵害にあたるのではないかということで、EUの法に照らしてその違法性の検討がなされていたはずだ。

 

移民が多くなったから病院の待ち時間が長くなった。移民が多くなったから学校のキャパシティがいっぱいだ、といった嘆きの声は、もうずいぶん長いことイギリスの社会を覆っていた。けれど、緊縮財政で25%の予算のカットを行った以上、そりゃあ、普通に考えればたとえ移民がいなかったとしてもそうした問題はある程度はでていただろう、という視点もあるわけで、移民問題というのはそうした社会のインフラがほつれている時に便利な標的のすり替えでもあったはずだ。

もちろん、移民がいたからといって社会に大きなネガティブな影響がなかった、とはいえない。ある程度の数の人間が外から入ってきた場合、ネガティブな影響もポジティブな影響もあるはずだ。ただし、EUからの移民が減れば全てが解決する、という問題でもないだろうとは思う。

 

ヨーロッパを離脱すること自体の影響はまだまだわからない。色々な見通しと憶測が飛びまくっているけれど、もしかしたらこれをうまく乗り切ってきちんと繁栄への道筋がつくのかもしれない。

経済的にはロスを被っても、自国の政府で全てを決めたい、という要求もまた、ある意味真っ当なものだ。

ただ、一つ明らかに言えるのは離脱に至るまでの道筋で国が二分されてしまったこと、そしてその中で移民というマイノリティ層がターゲットにされたことで、未だ、これほどまでに感情的に別れてしまった国を一つにまとめられそうな何かは(それが指導者であれ、運動であれ)見えていない。それが、この国の国籍を持つ子供を持ち、何が起きてもこの国とは深い関係を持たざるをえない移民の一人としてはとても切ない。

 

 

閑話休題

 

離脱が決まった数日後、我が家の5歳児がとても深刻な顔をして聞いた。

「EUはどうなっちゃったの。」

「うーん、イギリスはEUなしでやっていくことにしたのよ。」

「本当に?どうして?」

「うーん、いろんな考え方があるけれど、ないほうがうまくやっていけるって思う人がいっぱいいたのね。」

「・・・ひどい。だれも子供には聞かなかったよ。子供にかんけいあるのに!」

「・・・そうだねえ。」

「・・・マリオはどうなるの?」

「マリオ?イタリアの人?」

「え、マリオってイタリア人?なの!?ルイージも?」

「・・・・まて。君は一体、なんの話をしているんだい?」

 

問い詰めてわかったのは我が家の5歳児がずっとEUをWiiUだと思っていたこと。

テレビのニュースでコメンテーターが話しているのを食い入るように見ているなと思っていたのだが、彼の頭の中ではどうやら「イギリスのWiiU離脱」が大ニュースだった模様。

 

 

イギリスのWiiU離脱。うん、それは大ニュースだ。

 

 

 

 

*1:とはいえ、別にEUから出れば人身売買がなくなるわけでもなかろう、と言う話もあるのだが。

オーディオブックを流す日々

オーディオブックを定期的に聞くようになったのは、日本の大学院に行っていた頃だった。とにかく通学途中の歩いている時間や乗り換えの細切れの時間に、耳から情報が入ってくるのが心地よく、割とスムーズに聴き始めた。

英語力を急にあげなくてはならないというミッションがあったので、日本で生活しながらも出来る限り日本語を排除する生活をしていたことも、当時は決して安くなかったオーディオブックを購入し始めた理由のひとつだった。電車の車内放送を耳からシャットアウトしたい、というのが理由で手を伸ばしたミルトンの『失楽園』が最初のオーディオブックだった。

通勤するような仕事をしなくなった今も、オーディオブックは割とこまめに聞いていると思う。座ってしっかり読もう、というのではないような本は家事をしている間に流しておくと1週間で2冊程度は読める(というか、聞ける)。アメリカ英語のものが多く、ものによってはイライラすることもあるのだけれど、しっかりとお金を払って買うようなオーディオブックは比較的それでも聴きやすい。

しっかりと読みたい文学、仕事で分析したい文学だったら、読み手の解釈が入ってしまうオーディオブックには都合の悪いところも多々あるのだけれど、そんなことの関係ない自己啓発本やマニュアル(ビートン夫人のHousehold Managementでさえ、オーディオブックになっている)、軽い読み物にはうってつけだ。

方言がやたら出てくる小説にもいい。

スコットランドアイルランドウェールズあたりの訛りは、強ければそれなりに判別できるけれど、読んでいる時にそれらのイントネーションがすんなり頭に浮かんでいるわけではないので、質の良いオーディオブックを聞くとそのあたりも楽しい。

 

著作権が切れている作品だったら、意外とマイナーなものまで入っていて無料で、ボランティアの朗読によって賄われているLibriVoxは、年々充実している。残念ながら質は(無料のものだから当然だけれど)まちまち。

LibriVox | free public domain audiobooks

 

 

2008年アマゾンに買収されたAudibleは、新刊だったら比較的安定したクオリティの朗読が手に入る。Audibleのサイトに行けば、朗読のレビューもあるので参考になる。

ただし、ファイルフォーマットがDRM付きでちょっと古いMP3プレイヤーだと再生できないのが難点の一つ。フォーマット変換用のソフトも売られているのだが無料ではないし、わりとすぐにDRMのフォーマットを変えられちゃうんじゃないか、という不安もある。

 

とはいえ、便利なのは、kindleと連動しているところで、昼間、途中まで家事作業をしながら聞いていて、夜、座って文字媒体で読もうとkindleを手にすると、だいたい聞いたところまで飛んでくれる。精度はそこそこなのだが、これはとてもありがたい機能だ。

 

 

The Watchmaker of Filigree Street

 「君が成長するのを、待っていた」

The Watchmaker of Filigree Street

The Watchmaker of Filigree Street

 

 おそらく日本語訳が出る準備がすでにできているのではないか、と思われる、昨年夏に出版された(おそらく強いて分類するのであれば)ファンタジー。

舞台は1883年、アイルランド独立にゆれるロンドン。また、それはロンドンに半ば見世物のような「日本人村」があった時期でもある。これだけで「あー、日本語訳が出そうだな」と思う。

そんな時代を背景に、未来を記憶する男と、ロウワーミドルクラスの主人公との、一見ありえなさそうな友情を描いたオルタナティブ・ヒストリーものだ。

 

主人公は、寡婦となった姉と甥たちの面倒を見るためにピアニストになる夢を諦めた共感覚者の事務員サニエル。単調な日々を過ごす彼は、ある日自分のベッドの枕の上に精巧な(そして見るからに高価そうな)時計が置いてあるのを見つける。製作者のサインはKeita Mori すなわち、毛利ケイタ。

華族でありながら諸々の事情で時計職人としてロンドンで孤独な生活を営んでいる日本人毛利ケイタと、サニエルは、全く異なる背景を持ちながら、親しくなり、友情を育んでいく。

しかし、二人の友情はスムーズには発展していかない。アイルランド独立を目的にテロリストたちは時限爆弾をロンドンに仕掛け、精緻な時計を作る腕を持つ上に金回りの良い毛利は犯人グループとの関係を疑われる。友人を守ろうと力を尽くすサニエル。しかし、毛利の言動に何か疑わしいところがあるのも事実なのだった・・・。

同時期に、オックスフォードでエーテルの研究をしていた男装の女性、グレースは両親から卒業と同時に物理学の研究を諦め結婚をするよう圧力をかけられている。逃げ道は、実験を多めに見てくれそうな男性と結婚して、叔母が残した遺産を相続し、自分のお金で研究を続けること。

そんなグレースがサニエルと出会い、結婚を決めたことで、サニエル、毛利、グレースの3人の人生は複雑に絡まっていく。

 

とにかく読ませる。謎が謎を呼び、ページをめくらせる。

伊藤博文が毛利のかつての上司として登場し、ギルバート&サリバンが『ミカド』の準備のために日本人村にやってくる。そのあたりの実在の歴史と物語の絡ませ方はこのジャンルの醍醐味だろう。

 

これが著者の第1作で、実はかなり荒削りな作品でもある。華族である毛利の下の名前が「ケイタ」というのは、日本人読者だったらなんとなく違和感を覚えるだろう。日本人だったらおそらく、あまり考えずに4音節の名を選ぶように思う。

日本の描写はところによっては明治のもの、というよりも、現代の日本人のやり取りを読んでいるようでアナクロニスティックでもある。イギリス側の歴史も、ポロポロと細かいミスがあるようで、すでに指摘がされている。

何よりも、紅一点であるグレースのキャラクターがあまり一貫していない。研究を第一に考えているのか、彼女の恋愛感情は一体どこにあるのか。特に後半部では、彼女の行動に一貫性がなく、そこが作品の大きな弱点になっている。

しかし、それでも、読ませるのだ。

それはサニエルと毛利が好きにならずにいられない性格造形だからかもしれないし、二人の関係性が、ある意味下手なBL小説顔負けの「良い感じ」だからかもしれない。

グレースのオックスフォードの友人のマツモト・アキラも良い。人種差別の残るあの時代のロンドンにいながら、巧みな話術ととびきり洗練されたファッションで周囲を魅了してしまう日本人皇族男性と書けば、その空気が伝わるだろうか。そして、それを背景に毛利が作った時計細工のタコ「カツ(勝?)」がいい感じでサニエルを引っ掻き回す。

 

この時代について多少なりとも知っていれば、二重に面白いはず。

 

洪水と氾濫原と。

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Flooded River Ouse in York Pano | Flickr - Photo Sharing!

 

洪水が、起きた。

地震も台風も、津波も竜巻もまずないイギリスで一番しばしば起きる災害は洪水だ。鉄砲水のように突然おし流すということもないではないのだろうけれど、それよりは、ひたひたと街を水が満たしていき、気づくと家や町が大きな被害を被っていることの方が多い。

 

この国に初めて住み始めた頃、「新しい家を買うのは怖いよね、災害のことを考えると」という知人たちがいまひとつ理解できなかったのだけれど、今だと身にしみてわかる。

 

洪水が起きた時まず最初に水浸しになる、いわゆるfloodplainーー氾濫原に、建てられた家を買ってしまうリスクがない、ということを言っているのだ。古くから建っている家ならば少なくとも、その立地が水害に強いことはわかっている。

これは、地震の国、日本で育った私にはすぐには感覚的に飲み込めないことで、でも同時に一度理解すると深く頷けることでもあった。

 

昨年末から降り続いた雨は、すっかりイングランド北部の土壌を水浸しにし、これ以上水を吸い込めなくなったスポンジのようになった丘やモアから、川岸の街へ、どっと水が流れ込む。そして、洪水が起きやすい、いわゆるfloodplainに、近年家が建てられ続けていることもまた、問題を悪化させている。

 

イギリスの街に滞在したことがある人ならば、しばしば川べりに続くのどかな牧草地や公園を見たことがあるのではないかと思う。ケンブリッジにも川沿いに広々とした公園がある。私の今住む街も、川辺はスポーツグラウンドと、公園になっている。

それらの公園は、洪水が起きた時にまるで池か何かのように水浸しになる。氾濫原だからこそ、家や施設は立てず、洪水のない時期は憩いの場として使われている。そこに水が溜まることで、下流の街にもそれなりの影響があるのだろうと思う。

それだけではない。氾濫原は豊かな植生が特徴で、その保全に尽力する団体もあるくらいだ。

 

それなのに、今でも年間1万件ほどの家が、氾濫原、すなわち洪水のリスクの高い地域に立てられているという。

10,000 UK homes built on flood plains each year | The Independent

Why do we insist on building on flood plains? | The Independent

我が家の子供達の通うテニスクラブも、氾濫原に建てられており、今年の年末は数回にわたって床上浸水した。私の町は11月と12月26日の二回にわたり、一般家屋に影響が出るような洪水が起きたのだが、テニスクラブは、もっと多く浸水しているはずだ。この後、保険はどうなるのかしらね、とクラブの会員たちは不安げに顔を見合わせる。川から歩いて2分ほどのところにある我が家は、築130年で、幸い被害がなかったが、一本通りを隔てた家は、地下室に水が流れ込むという被害を受けている。

 

今回の洪水の背景には保守党政権下で治水にお金がかけられていないこと、地方財政への交付金が減っており、地方自治体が独自に対策を取りにくいことなどが、基調低音としてある。だからこそ、北部が多大な被害を受けた時に、「政府が北部をないがしろにしているから」という批判も出た。南北の亀裂は結構大きい。

私の街には狩猟場があり、狩猟のために作った排水路が、今回の洪水にもなんらかの影響を与えているのではないかという指摘をする人たちもいるようだ。

こうした天災が起きた時には必ず出てくる「人的災害」の側面が、今回の洪水にもあるのだ。

 

 

生活の基盤となる住居や、人によっては一生かけて築いてきた店、職場を奪われた人たちが数多くいたわけで、困ったものだ、これ以上雨が続いて欲しくないのだが、と恨めしく空を見上げる日が続く。

下の子の学校からは「家を失った人のための募金を集めますから、金曜は制服をきないで学校にきてください」との通達。

そう、唯一安堵のため息をつけるのは、こういう時にすぐに被害者救済のためのアクションが起こされることだ。クリスマスに家を離れなければならなかった人々に、少なくとも2016年が優しい年でありますように。祈るしかない。