はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

『ちるとしふと』(千原こはぎ)雑感

2018年05月18日 22時22分32秒 | インターミッション(論文等)



 歌集『ちるとしふと』(千原こはぎ 書肆侃侃房)の感想を書こうと何度も想い、その都度挫折している。
 好きな短歌や歌集の感想は、これまでいくつも書いてきた。それぞれの特性に合わせ、アプローチも少しずつ変えていた。が、今回はその方法のどれもがしっくりこない。
 何故なんだろうと考え続けて、ようやく気づく。
 私は、千原こはぎの短歌とその歌の集成である「歌集」が好きなだけなのではなく、『ちるとしふと』という本、物理的に目の前にあるこの本自体に愛着を感じ、感想を言いたいのだと。

 仕方がない。できれば納得する形で書けるまで待ちたかったが、こういうものには旬がある。
周りのブームという意味ではなく、自分内部のテンションの問題だ。これ以上先延ばしにすると時機を逸する。
 本格的な論考はまたの機会に取っておき、今回は頭に浮かんだ感想をランダムに書き付けていくことにする。


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 『ちるとしふと』を手に取りぱらぱらとめくると真っ先に気づくのが、絵の多さだ。
 カラーのカバーイラストが三種類(折り返しのカット含む)、本文中のイラストが22(1ページを占める大きな物が4、小18)。
 画文集でない純粋な歌集(141ページ)では異例の数だろう。しかも既存のカットではなく、すべて著者自身の描きおろしである。

 そもそも、表紙からして目を引く。少し暗めのペパーミントグリーンを基調にし、星空の中を鳥や水生動物が泳ぐ。たくさんのランプを吊り下げた木の下に本を拡げた女性。周りには花、猫、ペンギン、様々な小物。原色をふんだんに使ったイラストは、女性がほぼ白抜きであるだけにいっそう目を引く。帯も表紙に合わせてペパーミントグリーン(というより青竹色と言った方がいいのだろうか。落ち着く色だ)。

 書肆侃侃房「新鋭短歌」シリーズはこれまでに40冊弱が出版されている。判型は統一されていて、表紙も、今までは基本的に余白を多く残した感じで構成されていた。
 が、シリーズ第四期(今のところ三冊)では、どれもイラストがかなり大きくなっている。出版社で若干の方向転換があったのだろうか。『ちるとしふと』はその中でも余白の多い方だが、その代わり原色とそれに近い色をふんだんに使ったかなりカラフルな仕上がりになっている(他の二冊は、薄くヴェールを被せたような淡い感じのイラスト)。
 だが、色合いの割に落ち着いた雰囲気を感じさせるのは、絵柄と構成の勝利だろう。書店に平積みになった場合、自然にふっと目が止まり、イラストをじっくりと眺める。そんな自然なアピール感を持っている。

 千原こはぎはイラストレーター・デザイナーを職業としているのだから絵を描くのはお手の物。表紙が上手くても、イラストが多くても不思議ではないじゃないか。そんな声もあるかもしれないが、私の言いたいのはそういうことではない。
 この表紙と裏表紙、そしてふんだんに挿入されているイラストのすべて(百歩譲ってもその大部分)が、『ちるとしふと』という本を構成するに当たって欠くべからざる要素となっているのだ。

 これは後に書く「ストーリー性」の問題とも関連してくるのでここでは多くを述べないが、通常、歌集に添えられるカットの多くは、言葉は悪いが「添えもの」であり、せいぜいが連作の雰囲気を壊さないよう視覚化を助ける程度の働きしか期待されていない(短歌と同程度のスペースを持って対等に並べられる「画歌集」は除く)。
 しかしこの本におけるイラストはそうではない。短歌の末尾あるいは冒頭に置かれるそれは、歌を補助しふくらみを持たせるばかりでなく、逆に歌たちの魅力を存分に吸収した後、咀嚼して還元し、初読のときに気づかなかった意味を新たに提示させるのである。
 一つ例えを挙げれば、歌集の半ば76ページからの連作で、読者はクライマックスの一つと言って良いコラボレーションを目にするだろう。(これからこの本を読む人の楽しみを奪うのは本意ではないので具体的内容は避けるが、キーワードはクジラ)。

 くどいようだが、絵の多さが問題なのではない。短歌と絵の対比、同調、その絡ませ方が絶妙なのだ。誰でも同じ事が(イラストと短歌その両方をこなせるというだけで)出来るかどうかは、言うまでもないだろう。


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 せんだっての五月十三日、滋賀県草津のジュンク堂書店で『ちるとしふと』刊行記念トークショーが行われた(聴き手は嶋田さくらこ)。
 面白い話が目白押しの一時間半だったが、その中でも特に興味深かった発言を引く(録音をしていたわけではないので、大意であることをお断りする)。



「今までに作った9800首の中から頑張って選んで選んで、1600首くらいにしたんですね。それを(監修である歌人の)加藤治郎さんにお渡しして、400首くらいになって帰ってきて。それをまた一から並べ直したんです」
――もともと、連作が中心なんですよね、こはぎさんは。
「そう。30首とか40首とか一連のなかでストーリーが出来るように読んでるのに、その中から10首、こっちから8首とか、全然繋がらないわけですよ(笑い)。苦労して組んだんだけどやっぱりどうしても繋がらなくて『すみませんやっぱり並び替えても良いですか』って治郎さんに言ったり(笑い)」



 先に「ストーリー性」のことを言った。歌集を通して読めば分かることではあるが、千原はストーリー・物語を非常に重視する歌人だ。一首の屹立性よりはむしろ一連の中でどう物語が進行するか、その場面のどの部分を表しどの部分を水面下に静めるか、に神経を張り巡らせる。

 『ちるとしふと』は一応、千原こはぎの第一歌集と銘打たれているが、実は先行して私家版の短歌本が刊行されている。『これはただの』という文庫サイズの短歌本は2015年9月に発表され、文学フリマや通販、有志の書店で現在も販売中だ。。
 これは『ちるとしふと』よりもさらにストーリー性が高く、フルカラーのイラストに20の連作が綾を成すように展開する。しかも、そのほとんどが恋愛、性愛、逢瀬の歌だ。



「恋の歌、めっちゃ好きなんです。それしか詠めないくらい。他の方の歌を読むときは職業詠とかもすごく好きなんですけど、自分で詠むのはとにかく恋歌」
――ネットプリントとかブログとかでも。
「そう。なのに(加藤)治郎さんから新作詠めって。新作?9800首あるのに、入れたくて落とした歌いっぱいあるのに、この上新作?って。しかも、職業詠!どうやって歌うの職業詠って!!(笑い)」
――うわあ。
「仕方ないんで必死になって詠んだんですけど、やっぱり私、恋歌好きすぎるんで自分の職業詠が良いのかどうか、全然分からないんですね。治郎さんや他の皆さんに褒めていただいて、ほっとしてるんですけどやっぱり……」



 一からすべてを自分自身だけで作り上げた『これはただの』と、有名歌人が監修し商業出版社から刊行された『ちるとしふと』の一番の違いは、おそらくそこにある。

 単に職業詠の有無だけではない。夥しい歌の中から、監修という冷徹な第三者が選択した短歌は、必ずしも恋歌のみではなかった。
 そもそも、恋をモチーフに連作を作ったとしても、そのすべてが直接に恋愛感情や逢瀬を詠んでいるわけではない。むしろ、激しく切ない恋愛の合間を彩るように、生活を描写した短歌も数多く歌われている。
 千原の感覚ではそれも恋歌の一バリエーションなのだろうが、連作という枠から外されたとき、それは活き活きとした生活詠として別の光を放つのだ。

 そういった日々の営みを語る歌と、従来からの恋愛歌。それらを改めて織り上げることにより、『ちるとしふと』は『これはただの』とは違った側面を語り得る作品となった。
 おそらく、ではあるが、加藤治郎は半ば意図的にそういった選歌を行ったのではないか。
 加藤が『これはただの』を手に取っていたかどうかは不明だが、千原の持つ表現領域を、彼女自身に自覚させたかったのではないだろうか。あなたは、こんな風にも歌えるんだよ、こんな歌も歌ってきているんだよ、と。


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 ここで、極めて個人的な感想を書く。
 二年半前、『これはただの』を手にしたとき、私は文字通り躍り上がって喜んだ。何度も読み返し、好きな歌に付箋を貼り、機会あるごとにこの本を周りにみせびらかした。
 しかし(ほんとうに小さな声で言ってしまうが)今にして思えば、この歌集の恋愛的ストーリーの濃さに、少々当てられていた気味も無いではなかった、ようだ。『ちるとしふと』を読んで初めて自覚したことではあるのだが。

 私はもともと、恋歌一般はさほど好きではない。嫌いだという意味ではなく、職業詠・生活詠・想像詠など、短歌の無数のバリーションの一つとして認識しているだけで、突出して好むということはあまり無かった。自分で作歌するときも、恋の歌はまず作らない。
 そういった意味では、私は千原こはぎの「恋愛歌が好き」なのではなく、千原が織り成す(愛も含めた)「歌の世界」そのものが好きなのだ。
 恋人と逢瀬を重ねているときはもちろん、喫茶店でひとりぼんやりし、終電で街の灯を眺め、猫とたわむれ、体調管理に苦労し、今日と明日の狭間を思って眠りにつく。そんな、当たり前の生活を当たり前の言葉で活き活きと目の前に示してくれる、歌の数々に魅了されたのだ。
 『これはただの』の世界に浸りながらも、「もう少し、もうちょっと」と自分でも意味不明の呟きが漏れたのは、恋愛の連作に垣間見える日常をもっと見たい、と無意識に思っていたのかもしれない。

 ゆえに、今回の『ちるとしふと』はある意味、私の理想の歌集でもある。
 この本の中では、とある普通の女性が生きている。
 仕事にこだわり悩み、人間関係に苦労しつつも人々を大切にし、料理と猫と季節の移り変わりと風と歌が好きで、自家中毒と自己嫌悪に苦しみながらもしたたかな柔軟さを持ち、そして恋と恋人を心から愛する、肩の上で髪を切り揃えた少し痩せぎすの、どこにでも居る女性が生活している。
 その女性を千原は、平易に描写している。凝った仕掛けやアングルを用いず、愛しさを込めながらも、同時にまるでレンズを通して見るかのようにほんの少し突き放して、そしておそらくはデフォルメして活写している。
 恋愛だけの世界ではない。
 恋も大いに含んだ、とある生活の物語。
 それが、私に手渡された『ちるとしふと』の世界だ。


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 これから、千原こはぎがどのような歌の世界を織っていくのか、それは分からない。
 彼女はもともと、根っからのクリエーターである。私家版はもちろんのこと、商業出版の歌集でも可能な限り自分の神経と血液が隅々まで行き交うように、努力に努力を重ねてきた。それは、この歌集をひもとき、先のトークショーを聞いただけでも充分に伝わってくる。

 自分が納得のいくものを。手にする人が喜んでもらえるものを。私が力の限り作ったものですと胸を張って手渡せる物を。
 おそらく、彼女はその事のみを念頭に、この歌集を練り上げてきた。
 口で言うのは容易い。だが本当に(文字通り)体を張って自分の本を育て上げる事の出来る歌人が、いや作家が、どのくらいいるだろう。情熱だけでなく、技術をも伴って出来る人が。

 だからこそ、千原は『ちるとしふと』が一端を示した世界に拘らないかもしれない。
 彼女にとっては、(言葉は悪いが)第三者に言われて心ならずも歌い、練り上げた風景だ。「良いか悪いか自分では分からない」世界よりも、主戦場であると彼女が認識している恋の歌を突き詰めていくのかもしれない。

 それは、いい。
 どちらの方向に(あるいは、私などが全く想像もつかないような方向に)進むにせよ、種は蒔かれ、成長し、収穫されたのだ。
 『ちるとしふと』という形に織られたこの世界は、影になり日向になり、千原こはぎの歌を滋味深く深化させていくだろう。

 自分の好きな歌人が、さまざまな影響を受けつつも自力で進んでいく。
 短歌ファンとして、その光景を見続けるほどスリリングで幸福なことはあるまい。



     了



テスト

2018年05月14日 08時12分07秒 | 題詠100首2015
久々にブログアップのテストです。

五首選会を終了します

2015年12月20日 08時32分23秒 | イベント
そんなわけで、締切日となりましたので「五首選会」お開きにさせていただきます。
が、これはあくまで〈中締め〉という意味です。
まだ選が終わっていない方、先方さえ宜しければ、引き続きお相手のブログにコメントを書き入れてください。
「五首選会」は、皆様の優しさで出来ています。

今回の参加者は、中村を含めて10名。おなじみの方、初めてお越しいただいた方、色とりどりの選をしていただき、会が盛り上がりました。
個別のお礼コメントは、それぞれのブログに投稿いたしましたので、ぜひお読みください。

『題詠マラソン』がブログで開催されるようになってから10年。「五首選会」も、同じ数だけ会を重ねてまいりました。
こんなにも長く続けてこられたのも、参加してくださった皆さん、そして『題詠』主催の五十嵐きよみさんのおかげです。本当にありがとうございます(深くふかく頭を下げる)。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、『題詠ブログ』は来年から≪Facebook≫に場所を移し、引き続き開催されるそうです。
もちろん中村も参加するつもり満々です。
が、正直なところFacebookは未経験のため、「五首選会」に関しましては、どのような運営を行えばよいか、今のところ方策の目途が立っていない状況です。
なんとか最適な方法を見つけ、開催したいと考えておりますので、なにかアイデアがありましたらお知恵をお貸しください。

ともあれ、今年も無事終了することが出来て、ほっと胸を撫でおろしています。
願わくば、来年以降もこの場にて皆様とお会いすることが出来ますように。

本当にありがとうございました。

五首選会 終了延期のお知らせ

2015年12月13日 21時00分00秒 | イベント
ただ今開催中の『題詠100首2015 五首選会』ですが、終了を下記のように変更いたします。

  【受付期間】 ~12月11日(金)→ ~12月18日(金)

  【投稿期間】 ~12月12日(土)→ ~12月18日(土)

このように、一週間ずつ伸びます。

年末の忙しい時期、皆さんの負担になっているのではと考えました。

参加者の方々はゆっくりと納得のいかれるよう選をなさってください。
参加を考えられている方、今がチャンスですよ!

ということで、よろしくです。

五首選会を開催します

2015年12月13日 18時10分40秒 | イベント
「題詠100首2015」終了を勝手に記念して、「五首選会」を開催することにしました。
 その名のとおり、「題詠100首2015」参加者が投稿した短歌の中から、5首を選ぶ会です。
 完走者(100首詠んだ方)でなくても大丈夫。
 「選」のみの参加も、大歓迎です。
 お気軽にご参加ください。

 選の基準は、なんでも可とします。
 「いいと思った歌」はもちろんのこと、「おいしそうな歌5首」「哀しい歌」「意味はわからないけどグッとくる歌」等々、さまざまな「選」をお願いします。

【参加資格】 
・「題詠100首2015」参加者(完走者でなくても、可。)
・他の参加者の歌を選ぶ、「選」のみの参加も可。
・「題詠」に参加していない人も、選のみでの参加は可。
【受付期間】 12月1日(火)~12月11日(金)→12月18日(金)に変更しました!
【投稿期間】 12月1日(火)~12月12日(土)12月19日(土)に変更しました!
【ルール】
・参加希望者は、ご自分のブログに「五首選会参加」用の
 記事欄を作成してください(「五首選会参加(見本を兼ねて」)を参照)。
 その際、できれば「自選五首」を書いていただけると、会が盛り上がります。
・そこから、ここのすぐ下の記事欄  「五首選会参加(見本を兼ねて)」に
トラックバックしてください。
・参加者は、他の参加者のブログに行き、
その人が「題詠100首2015」で投稿した歌の中から五首を選んで、
 コメント欄に記入してください。
 (参加者は、最低でも一人について選を行ってください。)
・その際、できれば鑑賞についてのコメントもお書きください。
 (全体についてでも、個々の歌についてでも可。)


「五首選会参加(見本を兼ねて)」

2015年12月13日 18時08分37秒 | イベント
 「五首選会参加(見本を兼ねて)」

 自選
 《水》五首


008:ジャム
 あかねさすジャムの大瓶
 倒れても漏れることなく
 上澄みのみが

034:前
 重心が前へと沈む
 コンデンスミルクのような
 沼地の靄に

035:液
 液漏れの電池を腹に
 ひきがえる這いずり出れば
 濡れてゆく土

086:珠
 カフェラテの渋みを前に
 珠として凝る笑顔の
 深さをおもう
 (凝る=こごる)

095:申
 さるすべり細かな花に
 気怠さを申し立てれば
 帰路に夕立



今年度の縛りは「三行歌」。
五七/五七/七 のリズムを、一度追求してみたかった。
読み返してみると、意外に水や液体に関する歌が多かったので、その中から五首。
なんか、どろりとした情景が多いですが、これは三行歌の特色などではなく、中村の心象風景によるものなのでしょうね。


「題詠blog2015」 投稿歌

2015年12月13日 18時00分24秒 | 題詠100首2015

001:呼
まどろみの尻尾を掴む
呼び水としての呼吸の
リズムの浅さ

002:急
左とはどちらのことか
急な段らせん階段
膝が暴れる

003:要
ふかぶかと打たれた要
狂い無くそろう扇骨
ゆるやかに薙げ

004:栄
一閃に陽はさざめいて
渡りゆく虚栄の海を
凪も終わろう

005:中心
湖に中心ふたつ
岸辺より産まれる靄に
波紋は届く

006:婦
婦随の音葦に響かず
沼を発つ片おしどりの
腹の柔毛は

007:度
波のまま凍りゆく海
北天の星の深さで
緯度を測ろう

008:ジャム
あかねさすジャムの大瓶
倒れても漏れることなく
上澄みのみが

009:異
皹走る第二関節
冬の夜の異形の指に
ぼうぼうと熱

010:玉
宝玉を草に敷き詰め
存分に宴を成そう
風が止むまで

011:怪
愛しさは募る感情
怪しさは積もる感情
指が食い込む

012:おろか
魔女メディアおろかな雌獅子
愛ゆえに屠りつづけて
腕に抱くは

013:刊
浮き沈み毎度のあがき
棚に差す隔月刊の
まだ硬い角

014:込
セルビンに封じ込めたら
こするまで出られないよう
知られないよう

015:衛
半眼の衛士は若く
槍の噴く錆じりじりと
篝を弾く

016:荒
鮭の身を荒くほぐして
和えまわすパスタとサルサ
無言のうちに

017:画面
街頭の画面右下
ありえない色を見つけた
遠い土漠の

018:救
茨でも蜘蛛の糸でも
縋るのが救いとなれば
自分の指で

019:靴
スキー靴ネイビーブルー
足首を固められたら
揺れる上体

020:亜
薄雲の広がる西に
亜麻色の空の夕刻
瞳がひらく

021:小
飴色の小ぶりの太鼓
てっててこ叩くのは指
人をさすゆび

022:砕
山の端は星に斬られて
ぐずぐずと木だったものが
燠火を砕く

023:柱
円柱はメソポタミアの
ふくらみの千年の旅
木があたたかい

024:真
ティンパニの震えを帯びて
微粒子は真剣を成し
また崩れゆく

025:さらさら
杉の葉はさらさら燃えて
君たちはなぜそんなにも
世を溯る

026:湿
全身の湿りいとしく
咽せえづく花粉の舞よ
鴨の波紋よ

027:ダウン
ヘイ ウエィト ミスター・ダウン
濃密な靄の吸い取る
暖明色を

028:改
改元の湿りと光
その果てが何処へ続く
列であろうと

029:尺
戦前の長尺物の
雨の降るフィルムのなかに
河を見つけた

030:物
物乞いが罪というなら
花よ陽よ早う降れよと
踊るも咎か

031:認
目を閉じる署名の前に
うち伏した夢の襤褸の
認知のために

032:昏
日輪は垂直に落ち
昏れなずむなどという語を
海が蔑む

033:逸
夕光が炎に逸れて
湾岸の煙突群の
にじむ焦点

034:前
重心が前へと沈む
コンデンスミルクのような
沼地の靄に

035:液
液漏れの電池を腹に
ひきがえる這いずり出れば
濡れてゆく土

036:バス
ターミナル町はずれから
バンパーのぶらぶら揺れる
バスが闇へと

037:療
看板に偽りよあれ
騙されるため扉をひらく
心療内科
(扉=と)

038:読
日だまりに読みさしを置く
くしゃみさえなければ多分
幸せだろう

039:せっかく
ちいせぇなあ頬杖ついて
せっかくの小一時間が
湯気に冷えゆく

040:清
真裸の清さのために
五月田の泥を掬って
胸に擦ろう
(擦ろう=なすろう)

041:扇
もろ脱ぎの大胸筋が
海原に扇を射てば
翼とひらく

042:特
泥葬の場所を探して
特別な傷の見えない
沼をさがして

043:旧
たゆたいは行きつ戻りつ
旧かなのゐの字ゑの字の
うずを巻くさま

044:らくだ
てんでんならくだの歩幅
乗る人はぎっこんばったん
白茶けた月

045:売
身のものを一つずつ売る
少年が最後に投げた
ピアスの温み

046:貨
花の中レールの隙を
貨物車は律儀に拾う
あお向けの空

047:四国
目覚めれば四国の寒さ
駅前に歌う少女の
前のCD

048:負
頻繁に鼓動が狂う
ひさかたの負債整理の
光の中に

049:尼
中年の尼僧の窓辺
するすると刺繍の針の
描く光は

050:答
文書にて返答しよう
紅玉の酸味を好む
わけを綴ろう

051:緯
陽とともに高まる鼓動
歳月の運ぶ経緯を
見たくはないか

052:サイト
右の目を布で覆えば
日曜の銭湯までの
サイトシーイング

053:腐
大山の蕾は硬く
腐れ雪踏み分けるたび
濡れてゆく膝

054:踵
踵より降り立つ土漠
ぬばたまの静の海を
塵は動かず

055:夫
画板とは筆あってこそ
夫とは妻のいてこそ
風の日曜

056:リボン
引き出しにもう使えない
数本のインクリボンの
刻まれた穴

057:析
ウロボロス円環を成し
果てしない解析の果て
塵は芽吹いた

058:士
黎明の行政書士の
手にめくる戸籍謄本
生から死まで

059:税
あしひきの課税証明
期限切れ意味を無くした
数字の痒さ

060:孔雀
凛と立つ雌の孔雀の
深青のあるか無きかの
鶏冠ふるえ

061:宗
両の掌の回りきらずに
ひややかな孟宗竹の
空洞震う

062:万年
鉢植えの鉢が割れれば
鉢植えの形どおりの
万年青の根群
(万年青=おもと)

063:丁
窓際に並べ置かれる
林檎へと丁字を刺せば
外灯に雪

064:裕
また増えるベルトの余裕
森の中どんな色素を
吸い取られたか

065:スロー
あのときもアンダースロー
対岸の繁みの人に
放った缶の

066:缶
コーラ缶受け損なった
最上川曲の淵は
今も濁るか

067:府
光源は五日の月に
都府楼のいしずえ遙か
揺るぐことなし

068:煌
刃の欠けた剃刀を埋め
梅雨なかの八つ手の青の
煌めく窓辺

069:銅
ゼラニウム深紅の房を
銅のバケツに収め
さあ、夏よ来い
(銅=あかがね)

070:本
この生を本と変えれば
誤字脱字ときおり逆字
まあ読めはする

071:粉
両の手は肘まで白く
粉を練る少女の朝よ
酵母のにおい

072:諸
某曰く諸行無常と
そういえば今年は桃を
まだ喰ってない

073:会場
会場は不意にしずまり
演台の縁を掴んだ
雄指の太さ

074:唾
向日葵は真宵もひらき
ぬばたまの普段と違う
唾液の味を

075:短
短夜と誰が決めたか
まあいずれ眠りの幅に
変わりは無いが

076:舎
延々とかまぼこ営舎
金網に錠を掛ければ
鍵はどちらに

077:等
平野部に降りしきる陽よ
等しさは不公平さの
象徴として

078:ソース
血のソースあかねさす鴨
人体に近いものほど
染み込む美味さ

079:筆
紺碧の梅雨明け十日
筆岩に寄せ来る波も
穗は濡らせずに

080:標
白霜を道標として
今代は仕舞いと羽根を
しずめる蝶よ

081:付
付属物として生きよう
その幹へ加えることが
出来るのならば

082:佳
佳歌はそうガードレールに
月光の映るがごとく
冷めるがごとく

083:憎
黒揚羽背後をよぎり
憎しみは微風に気付く
腋の汗沁み

084:錦
目つむれば錦の翳り
息吐けば波音のまた
重なる島よ

085:化石
堆積の果ての化石よ
抉られた森の青丹に
降る蝉時雨

086:珠
カフェラテの渋みを前に
珠として凝る笑顔の
深さをおもう
(凝る=こごる)

087:当
当てるため射るのではない
射るときは中るのだから
凪は無くとも
(中る=あたる)

088:炭
燃やしたら炭となるから
コンビニのこのビニールも
生きていたのだ

089:マーク
濁り眼のマーク・スペース
バドワイザーは瓶でなくちゃあ
口呑みにして

090:山
標高の基点は海よ
その山の尾根がどれだけ
鋭かろうと

091:略
ぼろぼろの十八史略
書き込みの煩さこれは
先々代か

092:徴
徴候即微動と君は
決めつけているのだろうが
治らない傷

093:わざわざ
その傷もわざわざならば
もう手には切るカードなど
無いのだろうさ

094:腹
本当に会えるだろうか
脇腹の部分を削いで
炙れば月夜

095:申
さるすべり細かな花に
気怠さを申し立てれば
帰路に夕立

096:賢
ふと土の香りのすれば
腎臓のソテーは音を
漏らさず切れる

097:騙
一瞬に鼻は騙され
六歳の角の空き地に
いた雨上がり

098:独
年老いた独角獣の
秋口のふるえのように
蔦の影絵は

099:聴
冷房を切れば窓から
隣室の歌が聴こえて
雨二三滴

100:願
願いとは誓いではなく
降りしきる塵に石碑の
溝埋まりゆく

もうすぐ題詠〆切ですね

2015年10月28日 00時22分47秒 | 題詠100首2015
そして、今年もやります『題詠 五首選』!
詳細は11月の後半に。
今年も、皆様の参加をお待ちしてます。

ゴールがまだの方、楽しんで走って!!

完走しました(中村成志)

2015年08月19日 19時11分56秒 | 題詠100首2015
『題詠blog2015』無事完走しました。
どうもありがとうございました。

今回の裏テーマは「長歌としての短歌」。
短歌を、長歌のように〈五七/五七/七〉のリズムで歌ってみよう、という思いつき。
視覚的にも区切りをつけるため三行書きにしてみたり、いろいろ試みてみました。
少しでもうまくいっていれば嬉しいです。

そして、今年も行います『五首選会』。
題詠blog参加者のお歌を五首ずつ選び、気軽に楽しく言いたいことを言い合おうという企画。
12月1日から開催予定です。
詳細は近くなりましたらまたご案内しますので、どうぞよろしく!

100:願(中村成志)

2015年08月19日 19時03分36秒 | 題詠100首2015
願いとは誓いではなく
降りしきる塵に石碑の
溝埋まりゆく