おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

4月19日。「穀雨」。「春雨じゃ濡れていこう」。藤棚。牡丹。筍(たけのこ)。「夏も近づく八十八夜」・茶摘。

2024-04-19 18:53:03 | 世間世界

モッコウバラ。黄色と白と(我が家の)。

  モッコウバラ。

             

今日の東京地方は、晴れ。気温も高い。風も強い。

そして、今日は、24節気の6番目「穀雨(こくう)」。

今年は4月19日(水)〜5月4日(土)の期間で、5月5日(日)が「立夏」となります。

「春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味で、穀物の成長を助ける雨のことです。

『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。(「Wikipedia」より)

春雨じゃ濡れていこう」とは、新国劇『月形半平太』で主人公が傘を差し掛ける舞妓に言う有名な台詞。

英語だと、Let's feel the spring rain on our face.

春雨は、このころの、しっとりと降る雨のことをいうようです。

最近の雨は、「しっとり」とはかけ離れて雹が降ったり、窓に吹き付けるような雨だったりで、情緒もありません。

実際は、4季というよりか、2季になりつつあるようで、冬から夏へと、いきなり暑くなりました。

ワイシャツ姿、半袖姿が目立つ、今日この頃。冬物はタンスじまい。肌掛け1枚で済むような東京地方の夜です。

我が家の猫たちも、開いた窓から外を眺めるように。

    

      

              (「向島百花園」にて)

「七十二侯」によって「3期」に分かつと、

・初侯 4月20日〜4月24日頃

葭始生 あしはじめてしょうず

水辺の葭が芽吹き始め、山の植物、野の植物が緑一色に輝き始める頃。葭は、最終的にすだれや屋根などに形を変え、人々の生活を手助けしてくれます。

・次侯 4月25日〜4月29日頃

霜止出苗 しもやんでなえいづる

暖かくなり、霜も降らなくなり、苗がすくすくと育つ頃。田植えの準備が始まり、活気にあふれている農家の様子が連想できる言葉です。

・末侯 4月30日〜5月4日頃

牡丹華 ぼたんはなさく

百花の王である牡丹が開花し始める頃。美しく、存在感があり堂々としている牡丹。中国では、国の代表花として牡丹があげられ、数え切れないほどの逸話や美術に登場します。

(この項、「暦生活」HPより)

 

     (「同」にて)

※「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の例えがあるように、芍薬は枝分かれせずまっすぐ伸びるのに対し、牡丹は枝分かれして横に広がります。

芍薬。

野菜としては、筍(たけのこ)

「筍」という漢字は、「旬」に「竹かんむり」を載せた形ですが、竹が10日間(一旬)で成長する(旬は「10日間」を表す)」ということに由来しているようです。

タケノコの成長の速さは次第に増し、地表に顔を出す頃は1日当たり数センチメートル程度だったものが、10日目頃には数十センチメートルから、時には1メートルを超える。タケノコにうっかり帽子を掛けたまま1日経つと(手が届かない高さまで持ち上げられて)取ることができなくなる場合があるとも言われる。この様に昼夜を問わず伸びるのがとても速いことから、漢字の「筍」は10日間を意味する「旬」から来ている、などと言われることもある。ただ、2 - 3カ月程度でその成長は止まる。長さ数十センチまで成長を続けたタケノコには養分不足のため成長を終える「止まりタケノコ」と呼ばれる現象があり、全体の30%から70%にこのような現象がみられる。(「Wikipedia」参照)

 

(「同」にて)                                           

さて、穀雨の終わりごろ(「立夏」直前)が八十八夜」(立春から数えて88日目)。今年は5月1日(水)。

「夏も近づく八十八夜」という歌い出しで始まる『茶摘(ちゃつみ)』は、1912年(明治45年)刊行の唱歌集「尋常少学唱歌」に掲載され、後には「文部省唱歌」として歌い継がれています。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

日和つづきの今日此の頃を、
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ

         (「YouTube」より)

このまま、本格的な夏を迎えそうな今日この頃です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その3。銚子市。青空の下にキャベツ畑・ダイコン畑。収穫時期をずらしての農作業。銚子にはメロンも。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-18 20:28:16 | 銚子往還

銚子市内に入っても、畑地が大きく広がる。

収穫時期をずらしてのキャベツ畑。収穫済みとこれからのもの。

こちらでは、ダイコンの収穫が盛んにおこなわれています。

何を植えるのでしょうか?

       

         どういう工場・施設だったのか? 廃業になっているようです。

ダイコン畑。

シートをかけた畝。

これから大きくなるキャベツ。奥には、成長したキャベツ。

キャベツもダイコンも収穫時期をずらすことで、年間を通しておいしい野菜が収穫できます。

また、露地植え、といういところにこの地域の特徴があるようです。

         遠くの方まで、風力発電所の風車(プロペラ)が。

シートを外したダイコン畑。

緑濃きキャベツ。

             キャベツ畑が遠くまで続いています。

県道から右にそれて進みます。小さな集落へ。

              

ハウスから軽トラにいくつも苗を載せています。

           「何の苗ですか? 」「メロンの苗でしすよ。」

メロン農家は、加瀬さん、萩原さん、常世田さんなど生産者がいます。

ハウスで種を蒔き、発根、発芽、苗移植と気の抜けない作業が続く。
交配はミツバチがお手伝い。
収穫まで約150日、水、温度を管理し、太陽の恵みと、海からの南風を受けて甘さぎっしりのメロンが仕上がる。

銚子のメロン
 
果肉が甘く、香りと食感もよく、メロンの中でも人気のブランドです。 また、最高級品は「金印」とされ、糖度は16度以上もあり、日本農業賞を受賞した実績もあります。 高品質な銚子メロンは6月から7月しか流通しないので、銚子市外に出回ることが希(まれ)なため幻のメロンと言われてます。          
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その2。畑の中に風力発電施設。国内3位の生産量・キャベツ。国内1位のダイコン。旭市から銚子市へ。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-17 20:22:05 | 銚子往還

大きな風車(プロペラ)の下にも畑。

千葉県の北東部、銚子市や旭市などの東総地域には、東総台地という標高40~50mの台地が広がっています。
関東平野から太平洋へと突き出しているこの地域は、東南北の三方を海に囲まれており、1年を通して風速6m/s前後の強い風が吹いていることから、旭市から銚子市にかけての東西約10kmの範囲に、過去10年以上にわたって累計40基もの風車が建設されました。
車で成田空港方面から国道296号線を東進し、さらに匝瑳市で国道126号線に入って旭市へと向かうと、まず左手の台地の上に飯岡風力発電所(850kW×5基)が見えてきます。そこから更に銚子方面へと走ると、銚子市内に入ってまもなく、
丘の向こうに八木風力発電所(1,500kW×6基)が見え、海側には銚子小浜風力発電所(1,500kW×1基)と銚子屏風ヶ浦風力発電所(1,500kW×1基)も見えてきます。
そして126号線を外れて東総広域農道へ入ると、右も左も風車だらけの風景になります。
この広域農道を東進した終点付近に、域内最大の風力発電所である銚子風力発電所(1,500kW×9基)が道路を囲むように建っています。
さらにこの風力発電所群の北にも、椎柴風力発電所(1,990kW×5基)や銚子ウィンドファーム(1,500kW×7基)があり、一大風力発電所群となっているのです。国道が走り、車も人も行き交う農道や生活道路が何本も走る中に建っています。
国道を走っていると突如として現れる風車の群れという景色は、初めて訪れる人を驚かせるものでしょう。
風車の近くに行ってみると、本当に畑の一部の区画が切り取られてフェンスで囲われ、風車と付帯設備がこぢんまりと建てられています。
風力発電機はこんなに小さなスペースで建てられるのかという驚きと、こんな場所に建てることができてしまうのだという二つの驚きが得られます。 
畑の中に風力発電機が立ち並ぶ景色というのは、ヨーロッパを思い起こさせる風景ではあります。・・・

(この項、「TOPIC 東総台地風力発電所群」より)

キャベツ畑。

ダイコン畑。

 

キャベツ畑。

               

群馬、愛知に次いで、国内第3位のキャベツの産地は、千葉県です。

千葉県は、11月から1月、3月から5月にかけて旬を迎える冬キャベツ、春キャベツの生産が盛んに行われています。特に有名なのは、銚子市、旭市、野田市などです。

冬でも温暖な海洋性気候が特徴の千葉県。そのため、柔らかくて甘いキャベツが育つといわれています。

※キャベツの語源は、フランス語のカボッシュ(頭でっかち)から来ています。

おいしいキャベツの選び方

  • 切り口が小さく、持ってみて重量感があり、緑色で新鮮なもの
  • 春キャベツは、主に春から6月頃に出荷され、形が丸くて、巻き方が緩く、葉は柔らかくてみずみずしいもの
  • 冬(寒玉)キャベツは、主に秋から初春に出荷され、形が楕円で葉の間には隙間がなく、葉は硬くて厚いもの

ダイコン畑。 

            

生産量1位の千葉県では、生産体制の整備とトンネル栽培などの栽培方法が普及したことで、高い反収を誇っています。

 主産地の銚子市をはじめとした千葉県の大根は、自家漬物用として昭和初期に栽培が始まったといわれています。1955年には秋系品種の栽培が始まり、商用として売られ始めたとされています。

その後、1966年に「秋冬大根」の産地指定を受けたため、栽培面積が拡大しました。これに伴い用水施設や農道が整備され、機械や資材の運搬体制が整備されていきました。

こうした動きも支えとなり、トンネル栽培が普及したことで、1986年に「春大根」の指定産地を受けることになりました。

また、トンネル栽培普及のおかげで、6~9月の高温期以外の出荷が可能になりました。無被覆栽培よりも労力がかかるため、1人が担当できる栽培面積は30aほどが限界ですが、気温が低い環境でも栽培ができます。

旭市から銚子市に入ります。  

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その1。東総台地に向かう。「従銚子港 至千葉町道」。塙十字路。風力発電。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-16 21:01:17 | 銚子往還

4月13日(土)。晴れ。

今回。総武本線「旭駅」で下車し、総武本線と成田線が合流する「松岸駅」から帰途に、という計画。

歩くとかなり時間がかかり、途中、東総台地を越えていくことになります。膝の具合もよくないので、途中までタクシーを利用、台地の南端まで行き、そこから歩くという算段。けっこう安易な歩きになりそうです。

この付近の今昔。

(現在)道筋はほとんど変わらない。

(1880年代)「従銚子港 至千葉町道」。

塙新町。

集落になっています。

ここまではカーブが続く、緩い上り坂。振り返る。  

塙十字路。 

左の角に「塙十字路祠」。

集落から次第に離れていくと、

左右が開けてきます。 

                

      風力発電施設の大きな風車(プロペラ)が目に入ってきます。びっくり!

             

起伏にとんだ丘陵。 

緩やかな上り坂を進みます。右には谷に降りる細道。

        谷の向こうに雄姿を見せる巨大な風車(プロペラ)。

        振り返り、振り返りしながら。

坂を上った向こうには、、   

見渡す限り、畑が広がる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その5。「安中藩太田陣屋跡」。旭市のマンホール。趣のある商家がいくつか。「CHIBASHOYU ARTSQUARE」。「旭駅」。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-14 19:13:19 | 銚子往還

「安中藩太田陣屋跡」。

解説版。

明和4年(1767)、上野安中藩の下総領二三ヵ村、およそ1万石の土地を支配する拠点として設けられた陣屋の跡。

・・・安中藩はここ太田村に陣屋を置き、代官2名、与力数人を常駐させて、支配地の年貢の収納、治安などを行わせた。周囲に堀をめぐらし、南に長屋門をおき、奥に間口八間・奥行四間の役所があった。堀は排水溝程度のもので粗末なものだった。

明治初年、廃藩になるまでのおよそ100年間を支配したが、江戸時代末期にアメリカのペリーが江戸湾に来航し、海防の必要から藩より30数人の武士が派遣増員された。

廃藩後、陣屋の施設は撤去されたが、部下たちのなかには安中に帰らずにこの土地に残った者もあり、現在もその子孫が市内で生活している。

          

県道に戻ります。旭市のマンホール。

太平洋から昇る朝日と市の木クロマツ、市の花アジサイのデザイン。 海には漁船が浮かび、遠くに灯台も描かれている。

※2005年(平成17年)7月1日 、(旧)旭市と香取郡干潟町(ひかたまち)、海上郡海上町(うなかみまち)・飯岡町が対等合併し、新しい「旭市」となった。

「郷金旅館」。

街中に入ります。

通りの向こうに「真福寺」。

「カワカ金物店」。

趣のある店構え。

交差点の奥にある商家。

この施設は?

             「CHIBASHOYU ARTSQUARE」。

アーティストらによるワークショップ、作品の展示・販売、ライブペイント。見て、聴いて、作って、アートを肌で感じる体験。

            

昔ながらの商店の趣。

            

今回はここまで。      

               左折して旭駅に向かいます。

総武本線「旭駅」。

観光案内図。

次回は、北総台地・丘陵を越えて、銚子へ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その4。耕し始めた田んぼ。旭駅へ。旧道・旧家。宿天神青年館・エンヤーホー。RINTARO 凛太郎。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-13 18:25:10 | 銚子往還

カフェ&レストラン「グレコ」。

開けたところに出ます。

角に「セブンイレブン」。

                 旭の市街地に向かいます。

すでに水が張られた田んぼ。                 

       「沖縄を楽しみましょう 三線ライブもやっています」。

昼間、お店は閉まっていますが。

        

しばらく進んで旧道へ。

旧家の趣。

すぐ県道に復帰。

来た道を振り返る。

路地の奥に趣のあるおうち。

「宿天神青年館」との看板が。

7月27日、旭市太田の宿(しゅく)天神(てんじん)地区にある八坂神社祇園祭、通称「太田(おおた)祇園(ぎおん)」の夜に演じられるつく舞を、地元では「太田のエンヤーホー」と呼んでいる。

                

 つく舞は、長さ9間の柱と、その前に組まれた2間四方、2段の舞台で演じられ、動物の面を付けて舞台上段で無言劇を演じる「地(じ)舞(まい)」部分と、登り獅子がつく柱に登っての曲芸部分から成ります。地舞では赤獅子、青獅子、かまきり、みみずく、鹿、鶴が、順に舞台の上段に登り1人あるいは2人で簡単な所作を繰り返す。赤獅子と青獅子は腰を折り3、4歩ずつ足を交差させながら前後する所作、続く4役は両手に細棒を持ち床や相手を叩きながら舞台を回る。ついでひょっとこ、おかめ、旦那の3人による寸劇仕立のからみがあるが、かなり露骨な性交所作の繰り返しである。続いて舞台上で登り獅子を中心に盃事(さかずきごと)が行われ、その後登り獅子(赤獅子)がつく柱に登り、途中逆さにぶら下がるなど曲芸を披露し、最後に頂から五色の紙吹雪を撒き散らす。紙吹雪は安産のお守りになるという。「エンヤーホー」とは、つく舞を演じている間中、舞台下段に陣取った大勢の子供達によって繰り返される掛け声である。

 太田のエンヤーホーは、多古町多古のしいかご舞ときわめてよく似た芸態である。多古と旭のつく柱の高さは野田に比べて低いですが、野田にはない動物面の「地舞」がついているのが注目される。この動物面の地舞は静岡県森町から関東南部、福島県いわき市まで散見され、中世後期京都祇園祭の動物風流(ふりゅう)につながる可能性を秘めた貴重な芸能である。(「千葉県」HPより)

「↑銚子 飯岡駅 ←香取 →足川浜」。

「凜太郎ジェラテリア」。

       

千葉県旭市から!砂糖不使用のジェラート専門店 RINTARO 凛太郎 at プラカノン

凜太郎さんは元々「千葉県旭市」からやってきたジェラート屋さん。※千葉愛のあるサーヤとしては対応が遅くて申し訳ない気分。
日本では、神楽坂(東京)、銚子Tsubaki(千葉)にもお店があり、4号店目がバンコクになっております。

☆砂糖不使用
★こだわり抜かれた素材 季節の旬な食材のみを使用
☆ご注文後に焼き上げるワッフル 発酵バターを使用。
★本物よりも美味しい

凄くないか?
しかも、お値段2種類で120バーツ

※1バーツは日本円で4.2円。

コーンが手作り焼き立てだよ?…ありがたいお値段設定。
なので、サイアムパラゴンのイベント時は大行列。プラカノン店はー、イートイン席は常に満席って感じです。

季節の素材って言うのが本当に凄い「日本」の旬の素材なわけよ。しかも今はサーヤの大好きな「秋」の食材がたくさん!
食べたいジェラートがたくさんあります。・・・

(この項、livedoor[公式ブロガー]「サーヤのバンコクだらだら日記」より。写真も。)

この先、左手の路地を入ったところに、「安中藩太田陣屋跡」があります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その3。よく整備された県道。槙の生垣。旭市入り。「一針入魂」。内裏神社。新川。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-12 21:28:49 | 銚子往還

園芸店「川嘉園」。

                      整備された県道。

      

                 カーブごとに注意喚起の道路面。

用水路と古仏。道路整備に伴って移転?

槙の生垣が続く。

         槙の生垣が連なる様子は、房総半島によく見られる風景。

趣ある門のおうち。

匝瑳市から旭市に入ります。

左の旧道に入ります。

県道に、「小久保畳店」。

                  「一針入魂」。                       

国道に合流します。

沿道沿いのおうち、鉢植えのチューリップが満開。

趣のある門構え。

内裏神社。

社伝によれば、祭神耳面刀自媛(弘文天皇の妃)は関白太政大臣の藤原鎌足の娘で、白鳳元年に壬申乱が起り、妃は悲運にも弘文天皇と共に近江の露と消えゆる所を、逃れて東国に下りました。途中海難に遭い現在の匝瑳市野手の内裏塚浜に漂流し、不幸にもそこで病歿し、従者などが媛を葬り墳土を築きました。妃の従者の子孫の美敷が天慶3年(940年)に野手の墳土の一部を移して、引き続き祀ったのが現在の内裏神社といわれています。

左側。房総台地に連なる。

     右側。

                 九十九里浜に続く平地。

バス停「ゆたか保育所」。「学童多し」の幟。

宅地開発中。

右手に田畑が広がります。

バス停「井戸野北」。

「延寿寺」。

バス停「延寿寺」。

素敵な屋根のおうち。

          雀がたくさん飛び回っています。

           

「新川」を渡ります。               

旭市桜井の飛び地に位置する兼田貯水池を水源とし南流する。この貯水池大利根用水幹線水路を通じて黒部川貯水池より取水したものであり、本河川もまた利根川の水を流しているに等しい。東庄町を流れた後再び旭市との行政境となり、旭市萬歳付近より南西へカーブする。周囲は「干潟八万石」とも呼ばれる、江戸時代初期の椿海干拓によって生まれた水田地帯の中心部であり、灌漑のために掘られた複数の水路が並流している。旭市北東部からこれらの水路を集めた七間川が新町付近にて合流する。続けて鏑木川を合わせると南へ進み、鎌数付近の工業団地及び旭市街地を抜ける。(「Wikipedia」より)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その2。新宿。県道104号線。籾内。少し残る旧道。 (「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-11 20:37:41 | 銚子往還

銚子方向。 

車の通りも少ない旧道を進む。

古い石塔。判読不能。

バス停「新宿」。

1880年代の古地図では民家がなく、「新宿」(しんじゅく・にいじゅく)という地名はありません。八日市場町が発展するにしたがって、「新宿」と名付けたものと思われます。

※かつて、この地域には沼地・湿地帯が広がっていました。

ここにも同じような古い石塔。

                 「四国八八ヵ所巡礼・・・記念碑」?

用水路と田畑が広がる。

                          

廃業となったビジネスホテル。

ソテツがたくさん。                 

    一風変わった風景。   

通りの向こうに「水準点」。7.0m。

田植えの準備中。

この付近の今昔。  

       (現在)               (1880年代)↓の部分が直線化されている。  

左側の歩道が旧道? かなり幅広い。

バス停「東谷入口」。 

                  

家並みが続く地区へ。

「匝瑳市立平和小学校」。

「庚申塔」「西国参拝記念碑」など、まとまって古仏が置かれています。

両側に家並み。県道104号線。

バス停「籾内」。

房総台地の東端を進む旧道。東側は、九十九里平野。

※標高:7.0 m~6.0m

少し残る旧道へ。

                  

県道に合流。

バス停「西平木」。

水準点。6.5m。

この先も、両側に住宅が建ち並ぶ街並みになります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その1。篭部田(かごべた)。マンホール化の水準点。「八日市場ドーム」。大利根用水。「上谷中踏切」。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-10 18:24:17 | 銚子往還

「銚子往還」歩きも5日目になりました。

3月30日(土)。晴れ。

今回は、総武本線から離れて歩きます。「旭駅」が街道近くにあるので、そこまで歩くことに。駅でいうと、2駅になります。

「八日市場駅」。

銚子往還(旧道)に「復帰します。

看板建築。モルタル仕立て。

           

バス停「法務局前」。

「越川肥料店」。

「←八日市場青果地方卸売市場」。

バス停「篭部田(かごべた)」。

水準点。地中に埋めてあるケースもあるようです。

          9.0m        

国道126号に合流します。                                                           (「篭部田」三差路)

               

左手奥に「市役所」、右に「八日市場ドーム」。

              

この先、斜め右に入っていきます。

 

                「大利根用水 西幹線用水路」。

大利根用水(おおとねようすい)

千葉県北東部の利根川沿岸地域の排水と、九十九里平野北部の地域への農業用水の供給を目的とした用水路疏水百選に選定されている。

千葉県香取郡東庄町で利根川の水を取水し、九十九里平野の北部一帯を灌漑する農業用水である。具体的には、東庄町笹川の笹川揚水機場で黒部川に導き入れた利根川の水を取水し、地下水路を通して東庄町の下総台地を越え、旧椿海沿岸の同町窪野谷にある旭市飛地内の分水工で、東幹線・新川水系・西幹線に分岐し、旭市匝瑳市横芝光町栗山川東岸まで)の農地灌漑用水を供給している

昔九十九里平野の北東端には遊水池としての役割を果たし下流の村々の農地の灌漑に用いられていた椿海というがあったが江戸時代干拓され、元禄2年(1689年)には「干潟8万石」18ヶ村が成立した。元々湖であったこの干拓地は水害の被害を受けやすく、干拓地の排水を優先した幕府は下流にを設けることを禁じ、下流では渇水による被害を受けやすい状況となり、ため池を作るなど干拓地の排水と下流の利水を両立させる為のさまざまな対策が取られたが、動力による揚水が不可能だった当時でもあり、いずれも抜本的な対策とはなり得ず、水害と旱魃に苦しめられることが少なくなかった。

一方、黒部川合流地点などの利根川沿いでも、その後の利根川東遷事業の影響や、増水時の遊水地の役割を果たしていた船着場が明治以降その役割を終えたこと、また明治43年(1910年)の大水害の後中条堤を要とする治水システムが崩壊したことや霞ヶ浦水系の分離もあり、増水が直接水位の上昇に結び付き水害に悩まされるようになっていた。さらに1924年-1925年(大正13年-大正14年)、1933年(昭和8年)の大干魃や洪水により、用排水の必要性が認識された。1935年(昭和10年)野口初太郎が利根川を水源とする利根川引水計画構想を発案し、排水と利水を両立させるこの大利根用水が計画され、第1次県営大利根用水改良事業として着工する。猛烈な反対運動や戦中戦後の資材不足を経て、終戦後の昭和25年(1950年)に完成、ようやく安定した農業用水が供給されるようになった。

だが、大利根用水完成の5年後の1955年(昭和30年)には塩害が発生し被害面積は約3,200町歩に及び、翌年以降塩害の被害が拡大、1958年(昭和33年)には被害面積は約30,000町歩に及んだ。このため、関係市町や土地改良区から「潮止め堰建設」の要望が出され、建設省関東地方建設局の調査を経て、1962年(昭和37年)5月に設立された水資源開発公団の事業として利根川河口堰の計画が1964年(昭和39年)10月に決定され、1965年(昭和40年)に着工し、1971年(昭和46年)に竣工した。また、大利根用水の施設は、戦中戦後の資材難の時代に施工されたものであるためこの間の老朽化が著しく、更新事業として国営大利根用水土地改良事業が行われた1970年(昭和45年)から1992年(平成4年)までの23年間をかけて全面的な改修が行われ、九十九里平野北部の地域の農業用水の安定した供給に役立っている。

バス停「上谷中橋」。

「上谷中踏切」を渡る。

この付近の今昔。

(現在)〇の地点で旧道へ。

(1880年代)千葉から銚子港を結ぶ街道。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その5。八日市場町・匝瑳(そうさ)市。「灰吹屋薬局」。「坂本総本店」。「鶴泉堂」。「匝(めぐり)の里」。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-08 20:54:33 | 銚子往還

街道沿いに家並みが続くようになります。

バス停「砂原」(八日市場イ)。

バス停「仲町」。

「裁判所→」。

              「千葉地方裁判所八日市場支部」。

「塚本弓具店」。

             なかなか素敵な店構え。

           

八日市場の中心街に入ってきます。

ところで、「八日市場町」とは?

かつて毎月八日に市が開かれ、市場町として発展した。「八日市場」の名はこれにちなむ。似た市名としては、滋賀県八日市市(ようかいちし、現東近江市)があった。また、匝瑳(そうさ)市に改称後もかつてのイ〜ホの前に「八日市場」の名が付いている。(「Wikipedia」より)

匝瑳市は、平成18年1月23日、八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生した市です。

市の名称については、八日市場市・野栄町合併協議会において、15歳以上の住民を対象に両市町の名称を除いて行ったアンケート調査で1位であったこと、また、両市町の(旧)郡名でもあり住民が共有して一体感の持てる名称であったことから決定しました。

匝瑳という地名は、現存のものでは、奈良東大寺正倉院に伝わる庸調ようちょう(朝廷に納めた特産物)に見られる天平13年(741年)の記録が最も古いとされています。

匝瑳という地名の由来は、平安時代前期の歴史書「続日本後紀しょくにほんこうき」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけ

て、畿内(現在の近畿地方)の豪族であった物部小事もののべのおごとという人物が、坂東ばんどう(現在の関東地方)を征した勲功によって、

朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳郡さふさごおりとし、小事の子孫が物部匝瑳もののべのそうさ氏を名乗ったと伝えられています。

匝瑳の語源については、諸説あって定まっていませんが、発音での「さふさ」という地名があり、「さ」は「狭」で美しい、「ふさ」は「布佐」で麻の意で、“美しい麻のとれる土地”であったとする説や、「さ」は接頭語で、「ふさ」は下総国11郡中で最大の郡であったことに由来するという説があります。

(この項、「匝瑳市」HPより)

この付近の今昔。

                     (1880年代)

                     現在)「八日市場駅」は、右上。

観光案内版。

看板建築。

           「灰吹屋薬局」。東金以来、久々に見ました。

重厚な建物が左手に。

「坂本総本店」。

金と銚子を結ぶ旧道沿いに建つ商家。この一帯には、昭和中期頃まで土蔵造の建物が多く並んでいたが、現在ではほとんど残っていない。往時の街道に沿った八日市場の集落景観を偲ばせる。

棟下端にある墨書に、明治38年(1905)に建てられたことや、棟梁名(大木勘□)が記されている。平入の切妻造瓦葺、黒漆喰塗の土蔵造2階建。正面には庇が付くが、庇には鉄棒が掛け渡してあり、かつては地面に置いた重しとの間に暖簾をかけていた。正面庇の屋根には「坂本総本店」の大きな看板がのせられ、軒樋の呼び樋(鮟鱇)にも「坂本」の名がみられる。

国登録有形文化財(建造物)。

(この項、「千葉県教育委員会」HPより)

                

『坂本総本店』は、創業、文化2年(1805年)。

千葉県北東部にある『八日市場』という土地に、店をかまえています。 『八日市場』は、昔、江戸と銚子を結ぶ浜街道の宿場町でした。地名の由来は、元亀・天正(1570~1592)年頃、毎月八日、十二日に住民のために、市場が定期的に開いていたとされています。
現在の店舗は、黒漆喰塗の土蔵造りで明治三十八年に創建されました。 平成九年に国の『有形文化財』に指定されました。

坂本総本店は、文化2年(1805年)の江戸後期に創業しました。 その当時の八日市場には、茄子畑があり、「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』を創りあげました。 そして、明治四十四年に大正天皇が皇太子のとき八日市場を行啓された際に献上した銘菓『落花煎餅』がございます。 千葉県特産の「落花生」をつかったお煎餅、『落花煎餅』を創りあげました。 お菓子に使われている素材は、ほとんどが、農畜産物です。 卵、砂糖、小麦粉、乳製品、そして、茄子、落花生など、大地から生み出された「恵み」であり、「贈り物」と考えています。 坂本総本店がつくる『初夢』、『落花煎餅』で扱う「茄子」「落花生」は、千葉県から贈られた大切な「素材」と思っています。 私たちは、その「素材」に感謝し、それを活かした美味しさを生み出すこと。 そして、その美味しさをお客様にお伝えし、お届けすることが坂本総本店の仕事と思っております。(「」HPより)

「鶴泉堂」。

                  「創業天明元年霜月」。

天明元年(1781年)創業より千葉県匝瑳市に店を構える長き歴史をもつ老舗和菓子屋「 鶴泉堂 」

安政の時代には、朝廷に献上され「鶴屋和泉掾」つるやいずみのじょう
の称号を賜った

店舗は昭和初期に建てられ平成24年に国の登録有形文化財に登録

   

                                         (「鶴泉堂」HPより)

この建物も、商家。

今回は、ここまで。右折して八日市場駅に向かいます。

「市内循環バス・東本町」、「桜まつり」の幟。

駅前の観光案内所。

              「匝(めぐり)の里」。

※「匝」ぐるりとまわる。 また、周囲をぐるりと取り巻く。

「イヌマキ」の大木。

総武本線「八日市場駅」。

この先、「銚子往還」道は、総武本線から離れて進むことに。

次回は、八日市場駅から旭駅まで歩きます。バス路線もなさそうです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その4。国道126号に合流。「飯倉(いいぐら)」。米倉三叉路。匝瑳(そうさ)市。米倉分校跡。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-07 19:52:57 | 銚子往還

この先、旧道は、いったん消滅します。

国道126号に合流します。

バス停「飯倉台」。

「飯倉」=「いいぐら」と読む。(→)

※国道の東奥に総武本線「飯倉駅」があります。

「↑銚子 旭 ←芝山 堀川浜→」。

「飯倉」。来た道を振り返る。

左手。

                   右手には「九十九里ホーム病院」。

残り少なくなったキンカンの実。

国道から左手の旧道へ。

バス停「米倉三叉路」。

すでに匝瑳市内に入っていました。(←)

          房総でよく見かける屋根の建物。

「高橋本店」。

                商家らしい建物。

バス停「米倉分校跡」。

来た道を振り返る。

用水路と古石仏。

「御菓子司処 鶴屋」。

水準点。9.9m。

八日市場の町場に入っていきます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川堤。満開の桜の下。都鳥・ユリカモメ。曇り空の下。それぞれの春爛漫。PCに悪戦苦闘の二日間。

2024-04-06 19:42:59 | 隅田川

一昨日からPCの調子が悪く、電源を入れても起動しない。「ようこそ」がかなり長く(何分どころではない)続く。そのまま画面が動かず。

再起動して先達の指示などを参考にして、あれこれ(例えばF8キーを押す)試みてもダメ。

ますます事態は悪化(したのだろう)。PCにしてみればごちょごちょやりすぎだろ、爺さん! 

改善されない。HPで問い合わせてもらちが明かない。相手はおそらくAI。やり取りしても、行き違う。

結局、PCを初期化することに、意を決して。

昨日、5時間くらいかかって初期化。それで済むはずもなく、なんだかんだ我が家のPC様もご機嫌斜め。

何とか再起動はしたが、今度は、メールやウィルス対策ソフトが起動しない。ここまでは、昨日夜。

これらは、「明日できることは、今日するな」という原則に則って、今日に持ち越し。

今朝。メール。Gメールは無料のせいか、すぐ解決。が、主に使っているメールが使えない。問い合わせたりしながら、やっと解決。

次はウィルス対策ソフトがダメ! HPを見てもなんだかよくわからない。読解力不足?

やってみれば簡単なことだったが、悪戦苦闘。家には聞く相手もいない(職場だったら、一瞬で解決できる方がいるはず)ので、・・・。

というわけで、何とか解決。

気が付いたら、昼飯タイムに。

その後、「初期状態に戻す処理中に削除されたアプリ」一覧を見ると、

日頃愛用する「一太郎」、Canonのプリンターなどけっこうたくさん。

※ワードやエクセルも使いますが、どうも不慣れ。

そこで、一太郎をはじめアプリを再度入れなおす作業。

ほっと一息ついて、

満開の桜見物をどうしよう? 

そういうわけで、3時過ぎに隅田川に出かけました。ヒトデ(海星)ではなく人出がものすごい。

今まで、こんなに桜を愛でていたのでしょうか? シートを敷いて車座になって宴会。親子連れもたくさん。

杖を突いた年寄りや車いすの人なども楽しそうに桜見物に繰り出してきています。

最近の政治や経済の閉塞感が一気に吐き出される感。

というわけで。人ごみの桜見物を避けて「ユリカモメ」を眺めていました。

隅田川堤の桜並木。

川面ではボートの練習中。

ユリカモメが次第に増えてきます。

            

柱に止まる。細い線に揺れながら。

ずらりと並ぶユリカモメ。

気が付くと、たくさん。はるか向こうまで。

 

墨堤通りの桜並木。

近所の公団。ソメイヨシノ。

大島桜。

紅枝垂れ桜。

ついでに、近所で見かけた「飛び出し坊や」女の子編。

そして、今日のトイレの日めくり「希望を信じて苦しみに耐えよう」。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その3。山沿いの集落へ。水準点(7.1)。常夜燈。「お菓子のたいよう本店」。長屋門。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-05 18:34:23 | 銚子往還

集落に入っていきます。

左角に記念碑? が。

田畑が広がります。

山裾沿いに家並みがあり、東側には田んぼが続く。

立派な門構え

水準点。かつては重要な道筋だったことが分かります。

           標高7.1m。

山裾では畑作業。

直進。

      

けっこう新しいのおうちが目立ちます。

農道の向こうに「総武本線」。

長い路地の先のおうちの佇まい。

旧家らしい雰囲気。

左手の奥にも。

満開の真っ白な花。

            梅ではなさそう、いったい何という木でしょうか?

隣では宅地? の造成中。

「子安神社」の常夜燈。

田植えに備えて、 

「お菓子のたいよう本店」。

昭和26年創業 、千葉県匝瑳市 ( そうさし ) を拠点に近隣市町村に5店舗の直営店を運営 している、地元の小さい お菓子屋 です。落花生せんべいをはじめ、どら焼き、苺大福、慶弔まんじゅう・赤飯などの和菓子から、バウムクーヘン 、マドレーヌ、クッキー 、手書きバースデーケーキ、日本全国の酒蔵さんのお酒を使った酒ケーキ ( OEM ・受託製造 )といった洋菓子まで、全て「自社企画・開発商品」の和・洋菓子を、全て自社工場で製造 、販売しております。皆様のお越しを心よりお待ちしています! ※様々な贈り物に対応いたします。・・・(同社HPより)

九十九里エリアで愛される千産千消のオリジナルスイーツ

九十九里エリアに5店舗展開する、昭和23年創業の老舗。商品の企画・製造から販売まで一貫して行っており、千産千消をテーマにしたオリジナル和洋菓子が人気!

麦こがしの皮で栗をまるごと包んだ、期間限定の「麦ぼっ栗」(1個280円)。※これはおいしそうです。

(この項、「」HPより)

車がひっきりなしにやってきます。とても、はやっているお店なのを感じます。

そして、通りを挟んで建っている長屋門も魅力的です。駐車場で車を避けながら撮った写真。

しばらく眺め、

先に向かいます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月4日。清明。季節感のずれが激しい今日この頃。「花に嵐」、・・・ツバメ・雁・虹にまつわるお話。清明節・シーミー。。

2024-04-04 18:34:51 | 世間世界

 今日、4月4日は、「清明」。春分のあと、14日目。

清明(せいめい)とは万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉を訳した季語です。花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く頃です。

こよみ便覧』には三月節に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。様々な花が咲き乱れ、お花見シーズンになる。(「Wkipedia」より)

とありますが、今年の東京地方。やっと桜(ソメイヨシノ)の開花宣言。31日は28℃まで気温が上昇した、というのですから、異常気象というべきか。

昨日から曇り、のち雨。肌寒い。そして今日。サクラも曇天の下で、満開に。

近所の団地。このあいだの31日・日曜日は2分咲きくらい。それでも親子連れ、年寄りがお花見を。

久々の好天で足が向いたのでしょうか、久々の方ともお会いでき、・・・。

少子化が危機的な状況の日本、それでもけっこう子ども達の姿も。昔はもっともっといたのでしょうね。

去年は、もうすでに散っていましたが、今年は入学式の頃にもサクラがまだ咲いていて、満開の下で記念写真が撮れるかな?

しかし、確実に温暖化は進行しています。某高校の入学式の写真を15年くらい遡ると、歴然としています。

その高校は、サクラの種類も早咲きから遅咲きまで植えてあって、何もソメイヨシノだけがサクラではない、と。

今年は、サクラの木の下で新入生揃っての記念写真が叶えられそうです。枝垂れ桜、八重桜、・・・。

とはいうものの、サクラは咲き始めると、すぐに満開。今年のソメイヨシノ、はたしてどうか。昨日、今朝がたの雨で散り始めています。

「花に嵐」の譬えのように、しばらく寒気がやってくるようで、不安定な天気が続きそうです。

勧 酒  干武陵
  勧 君 金 屈 巵
  満 酌 不 須 辞
  花 発 多 風 雨
  人 生 足 別 離
書き下し文
  君に勧む 金屈巵(きんくつし)
  満酌 辞するを須(もち)いず
  花発(ひら)いて風雨多し
  人生 別離足る

井伏鱒二の訳
  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみ注がしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ
 
 「花に嵐」は、「好事魔多し」ということでしょうが、漢詩の全体では、あるいは井伏の訳の方が分かりやすくて、むしろ「会うは別れの始め」とか、せっかくの逢瀬もいつかは必ず別れが訪れる。
 ま、いつか訪れる別れを見据えつつも、「人生意気に感ず」で、友人とのひとときを、その時々を精一杯楽しんでいくことが大切だ、くらいの意味合いでしょうか。
 「さよならだけが人生だから、この出会いのひとときを大いに楽しもう」

七十二侯では、

初侯 4月4日〜4月8日頃

玄鳥至 つばめきたる

ツバメが海を渡って、日本にやってくる頃。本格的な春と農耕シーズンを迎える時期です。

※「若いツバメ」は、年上の女性の愛人となっている若い男をさす俗語。

明治時代の婦人運動・女性解放運動の先駆者 平塚雷鳥と、年下の青年画家 奥村博史の恋に由来する。
平塚が年下の男と恋に落ちたことで、平塚を慕う人々の間で大騒ぎとなり、奥村は身を引くことにした。
その時、奥村から平塚に宛てた手紙の中で、「若い燕は池の平和のために飛び去っていく」と書いたことから流行語となり、女性から見て年下の愛人を「若いツバメ」いうようになった。(「語源由来辞典」より)

次侯 4月9日〜4月13日頃

鴻雁帰 こうがんかえる

ツバメとは反対に、冬の間を日本で過ごした雁が北のシベリアへと帰っていく頃です。

※「雁書」というのは、便り、手紙のこと。中国前漢の蘇武が、匈奴に捕らえられた時、自分の生存を知らせる手紙を雁の足に結んで放ったという故事からきている。そこで、中国では、「雁」は、遠隔の地の消息を伝える通信の使者と考えられている。

末侯 4月14日〜4月19日頃

虹始見 にじはじめてあらわる

春が深くなるにつれ、空気が潤ってくるので、この時期からきれいな虹を見ることができます。

※日本では、虹の色は一般的に外側から順に「赤・橙・黃・緑・青・藍 ・紫」と識別していますが、世界共通の認識ではありません。アメリカでは6色、ドイツでは5色と識別されているようです。アジア諸国、ヨーロッパ諸国の中でも虹の色に違いがあるようです。

(「ウェザーニュース」より)

付け足し

以下「ウェザーニュース」より。

「清明」は「清浄明潔(せいじょうめいけつ)」という言葉の略となっています。
「こよみ便覧」(江戸時代に書かれた暦の解説書)の清明の説明部分で登場しており、この時期は、草木を始めとした全ての物が活き活きとしており、清らかで美しいということを伝えています。

中国には清明節(せいめいせつ)という祝日があります。毎年4月の4日前後で、ご先祖様にご加護と平安を祈る日とされています。
清明節は、家族そろって祖先の墓に足を運び、お供えをしたり、お墓の掃除をするという習慣があります。日本でいうお盆のようなものですね。ちなみに、お墓を清めるという意味合いから、別名「掃墓節(そうぼせつ)」とも言われているそうです。

清明祭は、中国のみならず沖縄でも実施されています。「せいめいさい」ではなく「シーミー」と呼ばれ、二十四節気「清明」の期間に行うところがほとんどだそうです。目的は中国と同じくご先祖様の供養。

ただ、シーミーにはちょっと変わった点が。掃除などを済ませた後、お墓の前にレジャーシートを敷いて、お重に入ったごちそうを食べるという習慣があります。「え、お墓の前で?狭くないの…?」なんて思いますが、沖縄のお墓の前は、清明祭のためにきちんとスペースが設けられているようです。家族とワイワイ楽しみながら食事ができるということで、ご先祖様自身も楽しみにしている行事の一つかもしれませんね。

「春を迎えて郊外を散策する日」ということで、清明節は、掃墓節の他に「踏青節(とうせいせつ)」とも言われています。
暖かくなった清明の時期にはまさにピッタリです。

次の24節気は「穀雨」(4月19日)。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その2。第二千葉銚子街道踏切。国道126号から旧道へ。「銚子連絡道路」一部完成。田んぼが広がる。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-03 21:09:57 | 銚子往還

旧道らしいカーブが続く。

踏切を越えます。

                     「第二千葉銚子街道踏切」。

総武本線・銚子方向。

西方には田園風景が広がる。

国道126号に合流します。

           この付近、旧道が失われています。

「横芝光IC入口」。

国道からすぐ旧道に入ります。

左に「銚子連絡道路」造成中。

歩いた後、「横芝光町芝崎(横芝光IC) ~ 匝瑳市(県道八日市場野栄線)」が3月31日に開通しました。

この向こうに進みます。

「銚子連絡道路」。

                「国道126号」のバイパス的役割。

                 

この付近の今昔。

                           

(1880年代)大きな沼を巻いて北へ進む旧道。

                           

(現在)沼地を埋めて鉄道や国道が建設されている。旧道が残されています。

田んぼが広がります。

「成田国際空港」を離陸した飛行機の姿が(↓)。

               田植えの準備が進む。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする