おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その6。柴崎町。利根水郷ライン。海上(うなかみ)。「銚子街道」との追分。銚子縮。水郷・田植え間近。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-23 18:44:28 | 銚子往還

総武本線・上りの電車。 

古い石塔。

旧道沿いの街並み。

「塙廣屋」。屋号?

「柴崎町」交差点。国道356号「利根水郷ライン」を横切る。

※利根水郷ライン=千葉県銚子市から、我孫子市に至る全線に渡って利根川右岸に沿う。

角に大きな記念碑。

「銚子市立海上幼稚園」。奥に「海上小学校」。

海上=うなかみ。

海上村(うなかみむら)は、千葉県海上郡に存在した。現在の銚子市の、おおむね松岸駅椎柴駅猿田駅の間の沿線に位置していた。

海上は広域地名であり、1954年から2005年まで存在した海上町(現旭市)は本村と位置も異なる別の自治体である。銚子市立海上小学校などにその名をとどめている。

いよいよゴール地点へ。

                 正面は、「藤兵衛支店」。

来た道を振り返る。

「銚子信用金庫松岸支店」。

佐原方面から利根川沿いを進む「銚子街道」と出会う(追分)。ここから飯沼観音までが銚子街道とされる。

今回は、ここを大網からの歩いてきた「銚子往還」(従銚子港至千葉町道)のゴールにします。

この付近の今昔。

(現在)〇が追分(今回のゴール)。赤い線が「国道356号(利根水郷ライン)」。

(1880年代)当時、銚子往還(従銚子港至千葉町道)との追分だったことがわかります。

松岸駅に向かいます。

少し銚子方向に戻り、右折。

銚子市のマンホール。

            中央に犬吠埼灯台と太平洋の波とカモメを描き、周囲に市の魚イワシをデザイン。

途中で見かけた「銚子ちヾみ」のお店(作業所)。

            「無形文化財 本場銚子ちヾみ 千葉県伝統的工芸品」。

       

解説板。

銚子縮(ちぢみ)

銚子縮の特徴は、木綿糸をスカイ、普通系の何倍もの縒りをかけた左縒りと右縒りの二種類の横糸を交互に通して織り込む。織りあがった生地を湯に浸けて揉むと、縒りが戻る時に互いに反発する弾力で生地に細かな凹凸ができる。これをシボ出しといい、何回洗っても縮まない丈夫な織物が出来上がる。縮の生地は丈夫で染色もしっかりしており、快適な肌触りの良さから広く庶民に親しまれている。

銚子縮の発祥は定かではないが、江戸時代後期に産業化したといわれる。しかし、大正時代を境に銚子縮の生産は途絶え、戦後、常世田真次郎氏が銚子縮の復活を心がけ、苦心の末に銚子縮を再興した。現在、銚子縮の製作技術は息子の秀雄氏を経て、孫の眞壱郎氏が継承している。

JR「松岸駅」。

「成田線」で成田まで、そこから京成線に乗り換えて帰宅しました。

総武本線・成東経由千葉行き。

成田線・車窓から。

            左手に東総台地。台地の南側から歩いてきたわけです。

小見川駅を過ぎると田んぼが広がります。

          

田植えも間近です。

「旭駅」からの「銚子往還」道は、今回の道だけではありませんでした。JR旭駅付近から東南に向かい、飯岡漁港を通り、東総台地の東の縁を歩き、国道126号に合流して銚子に達する道がありました。この道も旧「従銚子港 至千葉町道」。

次回、その付近を探ってみます。

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向島百花園。4・21。サクラソウ。ツツジ・サツキ。タケノコ。タムケヤマ。そして、カルガモ。

2024-04-22 20:41:19 | 向島百花園

すっかり春めいた今日この頃。小さな花が咲きそろっています。

近所のおうちの車庫前の溝にも小さな花が。風で運ばれてきたのか、車で出かけたときにタイヤについてきたのか?

土もなさそうなところに、けなげに咲いています。   何という花か?    

路地裏にも、         

  

       

これは我が家の鉢植え。

そういえばサクラソウの咲く時期。毎年、百花園でも地元の方々が丹念に育てた「展示会」が開かれるはず、今年も、と出かけます。

ところが、今年は中止。暑さで生育が思うようにいかなかった、とのこと。今年は園内で育てた花のみが。

                        

              それでも、様々な色合い、姿のサクラソウが咲いています。

満開のサツキ。

ツツジとサツキは、それぞれ似た特徴をもった植物のようです。では、どうやって見分ければいいのでしょうか。

「ツツジとサツキはどちらも花が非常に良く似ていることから、間違えてしまうことも多い植物です。一般的な見分ける方法をお伝えします。ただし、品種によっては相違がない場合もありますので、注意してください。

まず、花の違いから見ていきましょう。大きさはツツジが6cmくらい、サツキは4cmくらいとやや小さめです。おしべの数はツツジが5本以上に対し、サツキは5本です。花の咲き方は、ツツジが一斉に咲くのに対し、サツキは“パラパラ”と咲きます。

葉の違いで見ると、大きさはツツジが4~5cmくらい、サツキが2~2.5cmくらいです。ツツジは表面に柔らかい毛があり、サツキはつやつやしています。

開花期はツツジが4~5月頃で、新しい葉が出てから花が咲きます。サツキはやや遅い5~6月頃で、新しい葉が出る前に花が咲きます」(小山さん)

(この項、「ウェザーニュース」HPより)

とうことは、上の写真は、サツキそれともツツジ?

             

タケノコも顔を出しています。

タムケヤマもしっかり色づいて、

※タムケヤマの名は奈良にある、古からの紅葉の名所「手向山」にあやかったもの。『古今和歌集』で、菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。この歌の季節は、秋。

ふと叢に目をやると、カルガモが二羽。

池の方にもカルガモの姿が。

百花園では毎年カルガモの親子が見られますが、複数の成鳥のカルガモは見たことがなかったので、ビックリ! 

池の中に飛び込んだカモを追いかけるかと思ったら、叢に佇む一羽。池の中のカモは二羽で仲良く? 泳いでいます。

鳥の世界も・・・。

池の中には、もう2羽の姿が。

合計3組+1羽。(そういえば、水面から飛び立って去っていった組も)この中でどのカルガモ組が定着し、親子連れの姿が見られるのか? 他のカルガモは? そして叢で佇んでいた1羽は? 興味津々。

                    

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JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その5。平地が広がる。キャベツ畑。総武本線「柴崎街道踏切」・成田線踏切。総武本線・成田線。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-21 20:50:11 | 銚子往還

収穫済みのキャベツ畑。

 平地が広がる。

「標高8.5m」。約50m下がってきたわけです。

前方遠くには「JR線」。

東方向。

西方向。

キャベツ畑。

JR総武本線踏切。

                      「柴崎街道踏切」。

  

銚子方向。                 旭方向。  

 成田線「柴崎踏切」。

  

佐原方向。                 銚子方向。

この際、まとめて路線図。

成田線

総武本線佐倉駅から北へ分岐し、成田駅を経て、利根川南岸に沿って、再び総武本線との合流駅である松岸駅へ至る本線と、成田駅から分岐して我孫子駅に至る支線(我孫子支線)と、成田駅から約2 km北の地点で本線と分岐し空港第2ビル駅を経て成田空港駅に向かう支線(空港支線)を持つ路線である。

本線の佐倉駅 - 松岸駅間では総武本線よりも13.4 km営業キロが長い

成田線の正式な起点駅は佐倉駅であるが、千葉駅を発着する成田線発着・経由列車は、総武本線成東駅方面行きの列車との誤乗車防止の観点から、同駅以東で列車の前面・側面表示を含めて「成田線」と案内表示される。(「Wikipedia」より)

表示上の「成田線」線路図(千葉~銚子)

  

総武本線路線図(千葉~銚子)

安孫子線路線図(成田~我孫子)

                                 (「ジョルダン」より)

※「松岸」から成田線を帰途に利用し、「成田」で京成電車に乗り換えることに。

踏切を越え、市街地に入っても、ゴールの追分までは、まだまだ。

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JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その4。旧道筋の集落。下り坂。高台から平地へ。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-20 20:29:31 | 銚子往還

三叉路に石碑などがいくつか。

小さな集落に入ります。

右手には畑が広がります。

路傍には明るい色のキク科? の花々が。

            ガーベラ?

この花の名は?

            

右手下にも住宅が。 

剪定された見事な槙。

県道に合流します。

その手間に作業所。

       ダイコンを水洗いながら先端を切り落としています。カートに山積みされたダイコン。  

その作業所の前に、

                木彫りの熊?   

振り返る。

合流地点に記念碑。

この付近、旧道の道筋ははっきりしません。

                     (1880年代)丘陵と丘陵の間を進む。

                     (現在)黄線が県道。白線が旧道。

西側には畑が広がる。

         遠くには風力発電の大きな風車(プロペラ)群。

 

この道が旧道の一部? 

東総台地の北端から下り坂にかかります。台地に上った分、下るわけです。

坂の途中に古い石碑。

          

右手は谷筋。

前方が開けてきます。

平地に降り立った印象。

来た道を振り返る。

                      遠く東総台地を望む。

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4月19日。「穀雨」。「春雨じゃ濡れていこう」。藤棚。牡丹。筍(たけのこ)。「夏も近づく八十八夜」・茶摘。

2024-04-19 20:58:57 | 世間世界

モッコウバラ。黄色と白と(我が家の)。

  モッコウバラ。

             

今日の東京地方は、晴れ。気温も高い。風も強い。

そして、今日は、24節気の6番目「穀雨(こくう)」。

今年は4月19日(水)〜5月4日(土)の期間で、5月5日(日)が「立夏」となります。

「春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味で、穀物の成長を助ける雨のことです。

『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。(「Wikipedia」より)

春雨じゃ濡れていこう」とは、新国劇『月形半平太』で主人公が傘を差し掛ける舞妓に言う有名な台詞。

英語だと、Let's feel the spring rain on our face.

春雨は、このころの、しっとりと降る雨のことをいうようです。

最近の雨は、「しっとり」とはかけ離れて雹が降ったり、窓に吹き付けるような雨だったりで、情緒もありません。

実際は、4季というよりか、2季になりつつあるようで、冬から夏へと、いきなり暑くなりました。

ワイシャツ姿、半袖姿が目立つ、今日この頃。冬物はタンスじまい。肌掛け1枚で済むような東京地方の夜です。

我が家の猫たちも、開いた窓から外を眺めるように。

    

      

              (「向島百花園」にて)

「七十二侯」によって「3期」に分かつと、

・初侯 4月20日〜4月24日頃

葭始生 あしはじめてしょうず

水辺の葭が芽吹き始め、山の植物、野の植物が緑一色に輝き始める頃。葭は、最終的にすだれや屋根などに形を変え、人々の生活を手助けしてくれます。

・次侯 4月25日〜4月29日頃

霜止出苗 しもやんでなえいづる

暖かくなり、霜も降らなくなり、苗がすくすくと育つ頃。田植えの準備が始まり、活気にあふれている農家の様子が連想できる言葉です。

・末侯 4月30日〜5月4日頃

牡丹華 ぼたんはなさく

百花の王である牡丹が開花し始める頃。美しく、存在感があり堂々としている牡丹。中国では、国の代表花として牡丹があげられ、数え切れないほどの逸話や美術に登場します。

(この項、「暦生活」HPより)

 

     (「同」にて)

※「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の例えがあるように、芍薬は枝分かれせずまっすぐ伸びるのに対し、牡丹は枝分かれして横に広がります。

芍薬。

野菜としては、筍(たけのこ)

「筍」という漢字は、「旬」に「竹かんむり」を載せた形ですが、竹が10日間(一旬)で成長する(旬は「10日間」を表す)」ということに由来しているようです。

タケノコの成長の速さは次第に増し、地表に顔を出す頃は1日当たり数センチメートル程度だったものが、10日目頃には数十センチメートルから、時には1メートルを超える。タケノコにうっかり帽子を掛けたまま1日経つと(手が届かない高さまで持ち上げられて)取ることができなくなる場合があるとも言われる。この様に昼夜を問わず伸びるのがとても速いことから、漢字の「筍」は10日間を意味する「旬」から来ている、などと言われることもある。ただ、2 - 3カ月程度でその成長は止まる。長さ数十センチまで成長を続けたタケノコには養分不足のため成長を終える「止まりタケノコ」と呼ばれる現象があり、全体の30%から70%にこのような現象がみられる。(「Wikipedia」参照)

 

(「同」にて)                                           

さて、穀雨の終わりごろ(「立夏」直前)が八十八夜」(立春から数えて88日目)。今年は5月1日(水)。

「夏も近づく八十八夜」という歌い出しで始まる『茶摘(ちゃつみ)』は、1912年(明治45年)刊行の唱歌集「尋常少学唱歌」に掲載され、後には「文部省唱歌」として歌い継がれています。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

日和つづきの今日此の頃を、
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ

         (「YouTube」より)

このまま、本格的な夏を迎えそうな今日この頃です。

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JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その3。銚子市。青空の下にキャベツ畑・ダイコン畑。収穫時期をずらしての農作業。銚子にはメロンも。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-18 20:28:16 | 銚子往還

銚子市内に入っても、畑地が大きく広がる。

収穫時期をずらしてのキャベツ畑。収穫済みとこれからのもの。

こちらでは、ダイコンの収穫が盛んにおこなわれています。

何を植えるのでしょうか?

       

         どういう工場・施設だったのか? 廃業になっているようです。

ダイコン畑。

シートをかけた畝。

これから大きくなるキャベツ。奥には、成長したキャベツ。

キャベツもダイコンも収穫時期をずらすことで、年間を通しておいしい野菜が収穫できます。

また、露地植え、といういところにこの地域の特徴があるようです。

         遠くの方まで、風力発電所の風車(プロペラ)が。

シートを外したダイコン畑。

緑濃きキャベツ。

             キャベツ畑が遠くまで続いています。

県道から右にそれて進みます。小さな集落へ。

              

ハウスから軽トラにいくつも苗を載せています。

           「何の苗ですか? 」「メロンの苗でしすよ。」

メロン農家は、加瀬さん、萩原さん、常世田さんなど生産者がいます。

ハウスで種を蒔き、発根、発芽、苗移植と気の抜けない作業が続く。
交配はミツバチがお手伝い。
収穫まで約150日、水、温度を管理し、太陽の恵みと、海からの南風を受けて甘さぎっしりのメロンが仕上がる。

銚子のメロン
 
果肉が甘く、香りと食感もよく、メロンの中でも人気のブランドです。 また、最高級品は「金印」とされ、糖度は16度以上もあり、日本農業賞を受賞した実績もあります。 高品質な銚子メロンは6月から7月しか流通しないので、銚子市外に出回ることが希(まれ)なため幻のメロンと言われてます。          
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JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その2。畑の中に風力発電施設。国内3位の生産量・キャベツ。国内1位のダイコン。旭市から銚子市へ。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-17 20:22:05 | 銚子往還

大きな風車(プロペラ)の下にも畑。

千葉県の北東部、銚子市や旭市などの東総地域には、東総台地という標高40~50mの台地が広がっています。
関東平野から太平洋へと突き出しているこの地域は、東南北の三方を海に囲まれており、1年を通して風速6m/s前後の強い風が吹いていることから、旭市から銚子市にかけての東西約10kmの範囲に、過去10年以上にわたって累計40基もの風車が建設されました。
車で成田空港方面から国道296号線を東進し、さらに匝瑳市で国道126号線に入って旭市へと向かうと、まず左手の台地の上に飯岡風力発電所(850kW×5基)が見えてきます。そこから更に銚子方面へと走ると、銚子市内に入ってまもなく、
丘の向こうに八木風力発電所(1,500kW×6基)が見え、海側には銚子小浜風力発電所(1,500kW×1基)と銚子屏風ヶ浦風力発電所(1,500kW×1基)も見えてきます。
そして126号線を外れて東総広域農道へ入ると、右も左も風車だらけの風景になります。
この広域農道を東進した終点付近に、域内最大の風力発電所である銚子風力発電所(1,500kW×9基)が道路を囲むように建っています。
さらにこの風力発電所群の北にも、椎柴風力発電所(1,990kW×5基)や銚子ウィンドファーム(1,500kW×7基)があり、一大風力発電所群となっているのです。国道が走り、車も人も行き交う農道や生活道路が何本も走る中に建っています。
国道を走っていると突如として現れる風車の群れという景色は、初めて訪れる人を驚かせるものでしょう。
風車の近くに行ってみると、本当に畑の一部の区画が切り取られてフェンスで囲われ、風車と付帯設備がこぢんまりと建てられています。
風力発電機はこんなに小さなスペースで建てられるのかという驚きと、こんな場所に建てることができてしまうのだという二つの驚きが得られます。 
畑の中に風力発電機が立ち並ぶ景色というのは、ヨーロッパを思い起こさせる風景ではあります。・・・

(この項、「TOPIC 東総台地風力発電所群」より)

キャベツ畑。

ダイコン畑。

 

キャベツ畑。

               

群馬、愛知に次いで、国内第3位のキャベツの産地は、千葉県です。

千葉県は、11月から1月、3月から5月にかけて旬を迎える冬キャベツ、春キャベツの生産が盛んに行われています。特に有名なのは、銚子市、旭市、野田市などです。

冬でも温暖な海洋性気候が特徴の千葉県。そのため、柔らかくて甘いキャベツが育つといわれています。

※キャベツの語源は、フランス語のカボッシュ(頭でっかち)から来ています。

おいしいキャベツの選び方

  • 切り口が小さく、持ってみて重量感があり、緑色で新鮮なもの
  • 春キャベツは、主に春から6月頃に出荷され、形が丸くて、巻き方が緩く、葉は柔らかくてみずみずしいもの
  • 冬(寒玉)キャベツは、主に秋から初春に出荷され、形が楕円で葉の間には隙間がなく、葉は硬くて厚いもの

ダイコン畑。 

            

生産量1位の千葉県では、生産体制の整備とトンネル栽培などの栽培方法が普及したことで、高い反収を誇っています。

 主産地の銚子市をはじめとした千葉県の大根は、自家漬物用として昭和初期に栽培が始まったといわれています。1955年には秋系品種の栽培が始まり、商用として売られ始めたとされています。

その後、1966年に「秋冬大根」の産地指定を受けたため、栽培面積が拡大しました。これに伴い用水施設や農道が整備され、機械や資材の運搬体制が整備されていきました。

こうした動きも支えとなり、トンネル栽培が普及したことで、1986年に「春大根」の指定産地を受けることになりました。

また、トンネル栽培普及のおかげで、6~9月の高温期以外の出荷が可能になりました。無被覆栽培よりも労力がかかるため、1人が担当できる栽培面積は30aほどが限界ですが、気温が低い環境でも栽培ができます。

旭市から銚子市に入ります。  

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JR総武本線「旭駅」~「松岸駅」。その1。東総台地に向かう。「従銚子港 至千葉町道」。塙十字路。風力発電。(「銚子往還」をゆく。第6日目。)

2024-04-16 21:01:17 | 銚子往還

4月13日(土)。晴れ。

今回。総武本線「旭駅」で下車し、総武本線と成田線が合流する「松岸駅」から帰途に、という計画。

歩くとかなり時間がかかり、途中、東総台地を越えていくことになります。膝の具合もよくないので、途中までタクシーを利用、台地の南端まで行き、そこから歩くという算段。けっこう安易な歩きになりそうです。

この付近の今昔。

(現在)道筋はほとんど変わらない。

(1880年代)「従銚子港 至千葉町道」。

塙新町。

集落になっています。

ここまではカーブが続く、緩い上り坂。振り返る。  

塙十字路。 

左の角に「塙十字路祠」。

集落から次第に離れていくと、

左右が開けてきます。 

                

      風力発電施設の大きな風車(プロペラ)が目に入ってきます。びっくり!

             

起伏にとんだ丘陵。 

緩やかな上り坂を進みます。右には谷に降りる細道。

        谷の向こうに雄姿を見せる巨大な風車(プロペラ)。

        振り返り、振り返りしながら。

坂を上った向こうには、、   

見渡す限り、畑が広がる。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その5。「安中藩太田陣屋跡」。旭市のマンホール。趣のある商家がいくつか。「CHIBASHOYU ARTSQUARE」。「旭駅」。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-14 19:13:19 | 銚子往還

「安中藩太田陣屋跡」。

解説版。

明和4年(1767)、上野安中藩の下総領二三ヵ村、およそ1万石の土地を支配する拠点として設けられた陣屋の跡。

・・・安中藩はここ太田村に陣屋を置き、代官2名、与力数人を常駐させて、支配地の年貢の収納、治安などを行わせた。周囲に堀をめぐらし、南に長屋門をおき、奥に間口八間・奥行四間の役所があった。堀は排水溝程度のもので粗末なものだった。

明治初年、廃藩になるまでのおよそ100年間を支配したが、江戸時代末期にアメリカのペリーが江戸湾に来航し、海防の必要から藩より30数人の武士が派遣増員された。

廃藩後、陣屋の施設は撤去されたが、部下たちのなかには安中に帰らずにこの土地に残った者もあり、現在もその子孫が市内で生活している。

          

県道に戻ります。旭市のマンホール。

太平洋から昇る朝日と市の木クロマツ、市の花アジサイのデザイン。 海には漁船が浮かび、遠くに灯台も描かれている。

※2005年(平成17年)7月1日 、(旧)旭市と香取郡干潟町(ひかたまち)、海上郡海上町(うなかみまち)・飯岡町が対等合併し、新しい「旭市」となった。

「郷金旅館」。

街中に入ります。

通りの向こうに「真福寺」。

「カワカ金物店」。

趣のある店構え。

交差点の奥にある商家。

この施設は?

             「CHIBASHOYU ARTSQUARE」。

アーティストらによるワークショップ、作品の展示・販売、ライブペイント。見て、聴いて、作って、アートを肌で感じる体験。

            

昔ながらの商店の趣。

            

今回はここまで。      

               左折して旭駅に向かいます。

総武本線「旭駅」。

観光案内図。

次回は、北総台地・丘陵を越えて、銚子へ。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その4。耕し始めた田んぼ。旭駅へ。旧道・旧家。宿天神青年館・エンヤーホー。RINTARO 凛太郎。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-13 18:25:10 | 銚子往還

カフェ&レストラン「グレコ」。

開けたところに出ます。

角に「セブンイレブン」。

                 旭の市街地に向かいます。

すでに水が張られた田んぼ。                 

       「沖縄を楽しみましょう 三線ライブもやっています」。

昼間、お店は閉まっていますが。

        

しばらく進んで旧道へ。

旧家の趣。

すぐ県道に復帰。

来た道を振り返る。

路地の奥に趣のあるおうち。

「宿天神青年館」との看板が。

7月27日、旭市太田の宿(しゅく)天神(てんじん)地区にある八坂神社祇園祭、通称「太田(おおた)祇園(ぎおん)」の夜に演じられるつく舞を、地元では「太田のエンヤーホー」と呼んでいる。

                

 つく舞は、長さ9間の柱と、その前に組まれた2間四方、2段の舞台で演じられ、動物の面を付けて舞台上段で無言劇を演じる「地(じ)舞(まい)」部分と、登り獅子がつく柱に登っての曲芸部分から成ります。地舞では赤獅子、青獅子、かまきり、みみずく、鹿、鶴が、順に舞台の上段に登り1人あるいは2人で簡単な所作を繰り返す。赤獅子と青獅子は腰を折り3、4歩ずつ足を交差させながら前後する所作、続く4役は両手に細棒を持ち床や相手を叩きながら舞台を回る。ついでひょっとこ、おかめ、旦那の3人による寸劇仕立のからみがあるが、かなり露骨な性交所作の繰り返しである。続いて舞台上で登り獅子を中心に盃事(さかずきごと)が行われ、その後登り獅子(赤獅子)がつく柱に登り、途中逆さにぶら下がるなど曲芸を披露し、最後に頂から五色の紙吹雪を撒き散らす。紙吹雪は安産のお守りになるという。「エンヤーホー」とは、つく舞を演じている間中、舞台下段に陣取った大勢の子供達によって繰り返される掛け声である。

 太田のエンヤーホーは、多古町多古のしいかご舞ときわめてよく似た芸態である。多古と旭のつく柱の高さは野田に比べて低いですが、野田にはない動物面の「地舞」がついているのが注目される。この動物面の地舞は静岡県森町から関東南部、福島県いわき市まで散見され、中世後期京都祇園祭の動物風流(ふりゅう)につながる可能性を秘めた貴重な芸能である。(「千葉県」HPより)

「↑銚子 飯岡駅 ←香取 →足川浜」。

「凜太郎ジェラテリア」。

       

千葉県旭市から!砂糖不使用のジェラート専門店 RINTARO 凛太郎 at プラカノン

凜太郎さんは元々「千葉県旭市」からやってきたジェラート屋さん。※千葉愛のあるサーヤとしては対応が遅くて申し訳ない気分。
日本では、神楽坂(東京)、銚子Tsubaki(千葉)にもお店があり、4号店目がバンコクになっております。

☆砂糖不使用
★こだわり抜かれた素材 季節の旬な食材のみを使用
☆ご注文後に焼き上げるワッフル 発酵バターを使用。
★本物よりも美味しい

凄くないか?
しかも、お値段2種類で120バーツ

※1バーツは日本円で4.2円。

コーンが手作り焼き立てだよ?…ありがたいお値段設定。
なので、サイアムパラゴンのイベント時は大行列。プラカノン店はー、イートイン席は常に満席って感じです。

季節の素材って言うのが本当に凄い「日本」の旬の素材なわけよ。しかも今はサーヤの大好きな「秋」の食材がたくさん!
食べたいジェラートがたくさんあります。・・・

(この項、livedoor[公式ブロガー]「サーヤのバンコクだらだら日記」より。写真も。)

この先、左手の路地を入ったところに、「安中藩太田陣屋跡」があります。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その3。よく整備された県道。槙の生垣。旭市入り。「一針入魂」。内裏神社。新川。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-12 21:28:49 | 銚子往還

園芸店「川嘉園」。

                      整備された県道。

      

                 カーブごとに注意喚起の道路面。

用水路と古仏。道路整備に伴って移転?

槙の生垣が続く。

         槙の生垣が連なる様子は、房総半島によく見られる風景。

趣ある門のおうち。

匝瑳市から旭市に入ります。

左の旧道に入ります。

県道に、「小久保畳店」。

                  「一針入魂」。                       

国道に合流します。

沿道沿いのおうち、鉢植えのチューリップが満開。

趣のある門構え。

内裏神社。

社伝によれば、祭神耳面刀自媛(弘文天皇の妃)は関白太政大臣の藤原鎌足の娘で、白鳳元年に壬申乱が起り、妃は悲運にも弘文天皇と共に近江の露と消えゆる所を、逃れて東国に下りました。途中海難に遭い現在の匝瑳市野手の内裏塚浜に漂流し、不幸にもそこで病歿し、従者などが媛を葬り墳土を築きました。妃の従者の子孫の美敷が天慶3年(940年)に野手の墳土の一部を移して、引き続き祀ったのが現在の内裏神社といわれています。

左側。房総台地に連なる。

     右側。

                 九十九里浜に続く平地。

バス停「ゆたか保育所」。「学童多し」の幟。

宅地開発中。

右手に田畑が広がります。

バス停「井戸野北」。

「延寿寺」。

バス停「延寿寺」。

素敵な屋根のおうち。

          雀がたくさん飛び回っています。

           

「新川」を渡ります。               

旭市桜井の飛び地に位置する兼田貯水池を水源とし南流する。この貯水池大利根用水幹線水路を通じて黒部川貯水池より取水したものであり、本河川もまた利根川の水を流しているに等しい。東庄町を流れた後再び旭市との行政境となり、旭市萬歳付近より南西へカーブする。周囲は「干潟八万石」とも呼ばれる、江戸時代初期の椿海干拓によって生まれた水田地帯の中心部であり、灌漑のために掘られた複数の水路が並流している。旭市北東部からこれらの水路を集めた七間川が新町付近にて合流する。続けて鏑木川を合わせると南へ進み、鎌数付近の工業団地及び旭市街地を抜ける。(「Wikipedia」より)

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その2。新宿。県道104号線。籾内。少し残る旧道。 (「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-11 20:37:41 | 銚子往還

銚子方向。 

車の通りも少ない旧道を進む。

古い石塔。判読不能。

バス停「新宿」。

1880年代の古地図では民家がなく、「新宿」(しんじゅく・にいじゅく)という地名はありません。八日市場町が発展するにしたがって、「新宿」と名付けたものと思われます。

※かつて、この地域には沼地・湿地帯が広がっていました。

ここにも同じような古い石塔。

                 「四国八八ヵ所巡礼・・・記念碑」?

用水路と田畑が広がる。

                          

廃業となったビジネスホテル。

ソテツがたくさん。                 

    一風変わった風景。   

通りの向こうに「水準点」。7.0m。

田植えの準備中。

この付近の今昔。  

       (現在)               (1880年代)↓の部分が直線化されている。  

左側の歩道が旧道? かなり幅広い。

バス停「東谷入口」。 

                  

家並みが続く地区へ。

「匝瑳市立平和小学校」。

「庚申塔」「西国参拝記念碑」など、まとまって古仏が置かれています。

両側に家並み。県道104号線。

バス停「籾内」。

房総台地の東端を進む旧道。東側は、九十九里平野。

※標高:7.0 m~6.0m

少し残る旧道へ。

                  

県道に合流。

バス停「西平木」。

水準点。6.5m。

この先も、両側に住宅が建ち並ぶ街並みになります。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その1。篭部田(かごべた)。マンホール化の水準点。「八日市場ドーム」。大利根用水。「上谷中踏切」。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-10 18:24:17 | 銚子往還

「銚子往還」歩きも5日目になりました。

3月30日(土)。晴れ。

今回は、総武本線から離れて歩きます。「旭駅」が街道近くにあるので、そこまで歩くことに。駅でいうと、2駅になります。

「八日市場駅」。

銚子往還(旧道)に「復帰します。

看板建築。モルタル仕立て。

           

バス停「法務局前」。

「越川肥料店」。

「←八日市場青果地方卸売市場」。

バス停「篭部田(かごべた)」。

水準点。地中に埋めてあるケースもあるようです。

          9.0m        

国道126号に合流します。                                                           (「篭部田」三差路)

               

左手奥に「市役所」、右に「八日市場ドーム」。

              

この先、斜め右に入っていきます。

 

                「大利根用水 西幹線用水路」。

大利根用水(おおとねようすい)

千葉県北東部の利根川沿岸地域の排水と、九十九里平野北部の地域への農業用水の供給を目的とした用水路疏水百選に選定されている。

千葉県香取郡東庄町で利根川の水を取水し、九十九里平野の北部一帯を灌漑する農業用水である。具体的には、東庄町笹川の笹川揚水機場で黒部川に導き入れた利根川の水を取水し、地下水路を通して東庄町の下総台地を越え、旧椿海沿岸の同町窪野谷にある旭市飛地内の分水工で、東幹線・新川水系・西幹線に分岐し、旭市匝瑳市横芝光町栗山川東岸まで)の農地灌漑用水を供給している

昔九十九里平野の北東端には遊水池としての役割を果たし下流の村々の農地の灌漑に用いられていた椿海というがあったが江戸時代干拓され、元禄2年(1689年)には「干潟8万石」18ヶ村が成立した。元々湖であったこの干拓地は水害の被害を受けやすく、干拓地の排水を優先した幕府は下流にを設けることを禁じ、下流では渇水による被害を受けやすい状況となり、ため池を作るなど干拓地の排水と下流の利水を両立させる為のさまざまな対策が取られたが、動力による揚水が不可能だった当時でもあり、いずれも抜本的な対策とはなり得ず、水害と旱魃に苦しめられることが少なくなかった。

一方、黒部川合流地点などの利根川沿いでも、その後の利根川東遷事業の影響や、増水時の遊水地の役割を果たしていた船着場が明治以降その役割を終えたこと、また明治43年(1910年)の大水害の後中条堤を要とする治水システムが崩壊したことや霞ヶ浦水系の分離もあり、増水が直接水位の上昇に結び付き水害に悩まされるようになっていた。さらに1924年-1925年(大正13年-大正14年)、1933年(昭和8年)の大干魃や洪水により、用排水の必要性が認識された。1935年(昭和10年)野口初太郎が利根川を水源とする利根川引水計画構想を発案し、排水と利水を両立させるこの大利根用水が計画され、第1次県営大利根用水改良事業として着工する。猛烈な反対運動や戦中戦後の資材不足を経て、終戦後の昭和25年(1950年)に完成、ようやく安定した農業用水が供給されるようになった。

だが、大利根用水完成の5年後の1955年(昭和30年)には塩害が発生し被害面積は約3,200町歩に及び、翌年以降塩害の被害が拡大、1958年(昭和33年)には被害面積は約30,000町歩に及んだ。このため、関係市町や土地改良区から「潮止め堰建設」の要望が出され、建設省関東地方建設局の調査を経て、1962年(昭和37年)5月に設立された水資源開発公団の事業として利根川河口堰の計画が1964年(昭和39年)10月に決定され、1965年(昭和40年)に着工し、1971年(昭和46年)に竣工した。また、大利根用水の施設は、戦中戦後の資材難の時代に施工されたものであるためこの間の老朽化が著しく、更新事業として国営大利根用水土地改良事業が行われた1970年(昭和45年)から1992年(平成4年)までの23年間をかけて全面的な改修が行われ、九十九里平野北部の地域の農業用水の安定した供給に役立っている。

バス停「上谷中橋」。

「上谷中踏切」を渡る。

この付近の今昔。

(現在)〇の地点で旧道へ。

(1880年代)千葉から銚子港を結ぶ街道。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その5。八日市場町・匝瑳(そうさ)市。「灰吹屋薬局」。「坂本総本店」。「鶴泉堂」。「匝(めぐり)の里」。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-08 20:54:33 | 銚子往還

街道沿いに家並みが続くようになります。

バス停「砂原」(八日市場イ)。

バス停「仲町」。

「裁判所→」。

              「千葉地方裁判所八日市場支部」。

「塚本弓具店」。

             なかなか素敵な店構え。

           

八日市場の中心街に入ってきます。

ところで、「八日市場町」とは?

かつて毎月八日に市が開かれ、市場町として発展した。「八日市場」の名はこれにちなむ。似た市名としては、滋賀県八日市市(ようかいちし、現東近江市)があった。また、匝瑳(そうさ)市に改称後もかつてのイ〜ホの前に「八日市場」の名が付いている。(「Wikipedia」より)

匝瑳市は、平成18年1月23日、八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生した市です。

市の名称については、八日市場市・野栄町合併協議会において、15歳以上の住民を対象に両市町の名称を除いて行ったアンケート調査で1位であったこと、また、両市町の(旧)郡名でもあり住民が共有して一体感の持てる名称であったことから決定しました。

匝瑳という地名は、現存のものでは、奈良東大寺正倉院に伝わる庸調ようちょう(朝廷に納めた特産物)に見られる天平13年(741年)の記録が最も古いとされています。

匝瑳という地名の由来は、平安時代前期の歴史書「続日本後紀しょくにほんこうき」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけ

て、畿内(現在の近畿地方)の豪族であった物部小事もののべのおごとという人物が、坂東ばんどう(現在の関東地方)を征した勲功によって、

朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳郡さふさごおりとし、小事の子孫が物部匝瑳もののべのそうさ氏を名乗ったと伝えられています。

匝瑳の語源については、諸説あって定まっていませんが、発音での「さふさ」という地名があり、「さ」は「狭」で美しい、「ふさ」は「布佐」で麻の意で、“美しい麻のとれる土地”であったとする説や、「さ」は接頭語で、「ふさ」は下総国11郡中で最大の郡であったことに由来するという説があります。

(この項、「匝瑳市」HPより)

この付近の今昔。

                     (1880年代)

                     現在)「八日市場駅」は、右上。

観光案内版。

看板建築。

           「灰吹屋薬局」。東金以来、久々に見ました。

重厚な建物が左手に。

「坂本総本店」。

金と銚子を結ぶ旧道沿いに建つ商家。この一帯には、昭和中期頃まで土蔵造の建物が多く並んでいたが、現在ではほとんど残っていない。往時の街道に沿った八日市場の集落景観を偲ばせる。

棟下端にある墨書に、明治38年(1905)に建てられたことや、棟梁名(大木勘□)が記されている。平入の切妻造瓦葺、黒漆喰塗の土蔵造2階建。正面には庇が付くが、庇には鉄棒が掛け渡してあり、かつては地面に置いた重しとの間に暖簾をかけていた。正面庇の屋根には「坂本総本店」の大きな看板がのせられ、軒樋の呼び樋(鮟鱇)にも「坂本」の名がみられる。

国登録有形文化財(建造物)。

(この項、「千葉県教育委員会」HPより)

                

『坂本総本店』は、創業、文化2年(1805年)。

千葉県北東部にある『八日市場』という土地に、店をかまえています。 『八日市場』は、昔、江戸と銚子を結ぶ浜街道の宿場町でした。地名の由来は、元亀・天正(1570~1592)年頃、毎月八日、十二日に住民のために、市場が定期的に開いていたとされています。
現在の店舗は、黒漆喰塗の土蔵造りで明治三十八年に創建されました。 平成九年に国の『有形文化財』に指定されました。

坂本総本店は、文化2年(1805年)の江戸後期に創業しました。 その当時の八日市場には、茄子畑があり、「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』を創りあげました。 そして、明治四十四年に大正天皇が皇太子のとき八日市場を行啓された際に献上した銘菓『落花煎餅』がございます。 千葉県特産の「落花生」をつかったお煎餅、『落花煎餅』を創りあげました。 お菓子に使われている素材は、ほとんどが、農畜産物です。 卵、砂糖、小麦粉、乳製品、そして、茄子、落花生など、大地から生み出された「恵み」であり、「贈り物」と考えています。 坂本総本店がつくる『初夢』、『落花煎餅』で扱う「茄子」「落花生」は、千葉県から贈られた大切な「素材」と思っています。 私たちは、その「素材」に感謝し、それを活かした美味しさを生み出すこと。 そして、その美味しさをお客様にお伝えし、お届けすることが坂本総本店の仕事と思っております。(「」HPより)

「鶴泉堂」。

                  「創業天明元年霜月」。

天明元年(1781年)創業より千葉県匝瑳市に店を構える長き歴史をもつ老舗和菓子屋「 鶴泉堂 」

安政の時代には、朝廷に献上され「鶴屋和泉掾」つるやいずみのじょう
の称号を賜った

店舗は昭和初期に建てられ平成24年に国の登録有形文化財に登録

   

                                         (「鶴泉堂」HPより)

この建物も、商家。

今回は、ここまで。右折して八日市場駅に向かいます。

「市内循環バス・東本町」、「桜まつり」の幟。

駅前の観光案内所。

              「匝(めぐり)の里」。

※「匝」ぐるりとまわる。 また、周囲をぐるりと取り巻く。

「イヌマキ」の大木。

総武本線「八日市場駅」。

この先、「銚子往還」道は、総武本線から離れて進むことに。

次回は、八日市場駅から旭駅まで歩きます。バス路線もなさそうです。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その4。国道126号に合流。「飯倉(いいぐら)」。米倉三叉路。匝瑳(そうさ)市。米倉分校跡。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-07 19:52:57 | 銚子往還

この先、旧道は、いったん消滅します。

国道126号に合流します。

バス停「飯倉台」。

「飯倉」=「いいぐら」と読む。(→)

※国道の東奥に総武本線「飯倉駅」があります。

「↑銚子 旭 ←芝山 堀川浜→」。

「飯倉」。来た道を振り返る。

左手。

                   右手には「九十九里ホーム病院」。

残り少なくなったキンカンの実。

国道から左手の旧道へ。

バス停「米倉三叉路」。

すでに匝瑳市内に入っていました。(←)

          房総でよく見かける屋根の建物。

「高橋本店」。

                商家らしい建物。

バス停「米倉分校跡」。

来た道を振り返る。

用水路と古石仏。

「御菓子司処 鶴屋」。

水準点。9.9m。

八日市場の町場に入っていきます。

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