こゆき

ある自治体職員の日記。今年度は霞が関で勤務しています。今年の目標はいろいろなものを見てたくさん考えることです。

一方通行

2022-02-13 01:11:43 | 自分
胸の中で気持ちがどんどん膨らんでいくのは日常茶判事で
たぶん孤独に耐えられないから
そんな風には見られてない自信はあるけど

別にそれ以上を求めるわけでは全然ないのだけれど
気持ちを伝えることがゴールだと思っていた
感謝の気持ちはその時に伝えないと伝えられなくなるというし
それに似てるというか
想いを成仏させるというか

でもいろいろ考えると伝えることは難しいんだよな
うまい伝え方があればいいんだけど

直接言葉にするのではなくて
日常の会話とか行動とか表情とか
そういうもので伝わるんだったら
それで心が通じるんだったら
その気持ちを大事に胸に抱いていればいいのかなと
そんな逃げ道を見つけたかもしれない

(いけぴ)

きみ

2021-10-20 23:04:18 | 子供
みよはね、ねるとき、きみがとなりにいるときはね、まぶたがとじるときまで、きみのかおをじっとみてるんだ。

きみのおなかに手をおいて、きみがそこにいることをたしかめているんだ。

いつもきみがそばにいることがこんなにしあわせなことだったなんて。

みよがみている月は、とおくできみもいっしょにみているんだって、じぶんにいいきかせてたけど、

いまはきみのとなりでおんなじ月をみているね。

幻想

2021-07-02 01:32:35 | 自分
自分を取り巻く環境や状況がころころ変わっていく。
慣れたと思ったらまた変わって一から適応しなおさないといけない。
そんなことを繰り返していると頭から疲れていく。

何かあるたびに、あの人に話そう、と思うのだけど、話したいことは溜まるばかり。
最後にすれ違ったときのことは鮮明に覚えているけど、もうだいぶ前だ。
会おうと思えば会えるんだけど、余計なことを考えてしまって。
嫌われたくないし。
でも何もしなければ何もないし。
もう会えないんじゃないか、とさえ思う。

明日はすれ違えるかなあ、なんて考えて日々を送って、さすがに気持ち悪いな。

誰かのために生きる

2021-01-31 22:15:00 | 自分
前の記事を書いているころ、ふと目にした言葉を見てとても感動した。

「でもな、自分のために生きようとするからつらくなるやんか。」
「『誰かのために生きる』というのが本質で、そう考えると、『自分がおもろないから生きていてもしょうがない』というのは僕の教えたいこととはちょっと違うのよ。自分も『他者』のための『他者』になっていると考えて生きていけばいいのよ」

最近の家族の悩みを考える中で、「いま言わなくてもいいことは言わない」ようになったと思う。
そして、すぐに反論したくなってもそれを抑えて、なぜ相手がそんなことをいったんだろうと少しは考えるように心がけるようになったと思う。

それまで、「いままでずっと我慢してきた」と言われたときは、我慢しないで言えばいいのにと思ってきた。
だけど、それは思いやりだったんだと思う。
妻が仕事で悩んでいて、どう打開したらいいかも分からないでいるときに、自分の希望をベースに正論を言っても混乱するだけだし、まずは相手が何を考えているのかを聞こうと思うようにした。
そうすると自分のことは言えずに我慢することになって辛くなるけど、自分が言われてきた「ずっと我慢してきた」はこういうことなのかなと思った。
自分の希望を通して妻にまた我慢させるのはやっぱり違うと思った。

このことがいい方向に向かわせているのかはまだ分からない。
自分はこれからも自分のために生きるとは思う。
だけど、当たり前だけど一人では生きられないし、家族が幸せであってこその自分の幸せなんだろうと思う。
当たり前だけど。

家族のためにも自分のためにも頑張る生活が自分にできるだろうかという不安はあるけど、楽しんでやろうと思う。


記事(日経)はこちら↓
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO64265010V20C20A9000000?channel=DF280820195304&page=3

きんもくせい

2020-10-19 01:36:49 | 自分
きんもくせいの香りがして、一年前の今頃を思い出した。
とても辛くて、それは今まで続いている。

妻がやりたいことをかなえるため、子供たちと東京に行くことになった。
家族と、子供たちと離れ離れになるなんて想像もできなかったし、耐えられるなんて思えなかった。
下の子が通っている幼稚園のイベントには参加すると思っていたし、卒園式に出ることが楽しみだった。
どれだけ泣いたか知れないし、どんなに仕事が忙しかったって、家族のことを考えない日はない。
だけど、妻がやりたいことができずにここにいるのは違うと思ったし、結婚して子供を育てることを任せっきりにしてしまっていて、どんなに辛い思いをさせていたか、自分は想像できていなかったと思ったから、止めるのは違うと思った。
自分が努力して東京へ行けたらいいのでは、というのもあった。

あれから一年、毎週のように東京に行っても、辛い気持ちは埋まらなかったし、毎週別れ際には子供たちが泣いてとても辛い。
それに、毎週東京に行くと、自分が東京に行くために目指していることに時間を費やせなくなるジレンマもある。

そんな中、妻の東京での仕事も大変で、東京で仕事を変えるか、それともこっちに帰ってくるかという話になっている。
みんなで帰ってくることを一番望んでいるはずだし、子供が元の幼稚園を卒園できるなんて願ってもないと思っているのに、妻がそれで幸せになれるのかということだったり、この生活にどこか順応しようとしている自分もいて、何がみんなにとってよいことなのか、幸せなのかが正直分からなくなっている。
自分が頑張って東京に行ければいいけど、そんな保証はないし、ここのところずっと何もできてなくてとても焦っている。

このことを唯一相談している人がいたけど、職場が離れてしまったし、あんまり自分の話ばかりしても迷惑かなと思って少し疎遠になってしまった。
誰かに話したいし、話せば少しは楽になるのかなと思うけど、他人のこんな話面白くないよね。

さっき、そろそろ寝ようと思って歯を磨いているとき、ふと、自分の両親の年齢を考えていたら、結構な歳であることに気づいた。
いつまでもいると思っていたけど、あまり時間がないことに愕然とした。
元気に見えるけど、どこか悪いところはないのかな。
今まで全然実家に寄り付かなかったなんて馬鹿みたい。何をしていたんだろう。
親が自分の年齢だった時、自分は何才だっただろう、と考えると、血の気が引く。
悩んでいるうちに時間が無くなってしまう。

眠りにつくのも怖いよ。
寝ないで済むのならいいのに。

わかれ

2018-12-29 20:17:30 | 自分
もし君と出会っていなければ

当たり前のように、いつもの毎日が続いていたのだから

君と別れても

それまでの「普通の」毎日に戻るだけだよ。

それだけのことじゃないか。

いまを生きる

2018-06-24 11:14:15 | 自分
ずっと昔のことを思い出していた。
やっぱり、今、がんばらなくてはいけない、と思った。
一体何年前のことだという話だけれど、私の「今」は、そこからずっとつながっている。

もう1年経つのか、まだ1年しか経っていないのか、よく分からないけれど、
ちょうど1年前の今頃、大学時代の友人と会っていた。

当時、ともに同じ進路を目指していて、
官庁訪問のとき、第一志望のところがだめだったとき、内定をもらってからも進路で悩んでいたとき、
このブログでもいろいろアドバイスをくれたり、本を貸してくれたりした人。
それはとてもありがたいことだった。

卒業以来、11年ぶりに合った彼女は、仕事に誇りを持っているようで、きっと天職なんだろうなと思えた。
自分もいろいろな仕事をさせてもらう中で、
今は、きっと誰かが幸せになっているはず、ではなく、実際にどれだけの人を幸せにできたか、を意識して、何をすべきかを考えているつもり。
だけれど、自分の無力さもあり、今の職が果たして自分にとっての「天職」なのか、目指したいものが何で、そのためにより良い場所はどこなのか、はずっと考えているようにも思う。

当時からの思いは持ち続けているつもりだけど、そういう中で別の道も考えている、ような話もしたから、それがどういう風に映ったかなとも思ったりして。

そういう中でも、あと3週間、残業にも心を折らず、やれることをすべてやっていきたい。

追い込み

2017-07-15 02:18:10 | 自分
深夜の朦朧とする意識の中でも赤信号でブレーキを踏んだのは、きっとまだどこかに希望を見ているからなんだろう。

果たして自分は死力を尽くしてきたと言えるだろうか。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」なんて。

節目はいつもやってくる

2017-03-17 23:05:32 | 子供
今日はうちの子の幼稚園最後の日。
明日は卒園式。

今週は毎朝幼稚園バスを見送って、
今日は帰りのバスから降りてくるところを出迎えて。

思えばいろいろな思い出があった幼稚園。
毎朝一緒に着替えて、行ってきますをして、ときどきイベントがあって。

近くにあって当たり前のはずだった幼稚園という世界とお別れする。
親子遠足や夏祭りはまた来年もやってくるのかと思ってた。

人生は、こういうことが次々にやってきて、辛くなって、忘れて。
その繰り返しに思える。

流して生きるのはやめよう。
これもいつものことかもしれないけど、そう思う。

アイドルと文学

2012-04-24 00:59:31 | 文学
乃木坂46が文学作品を朗読するテレビ東京の番組がある。

文学の解釈は自由ではある。
が、この番組は何を伝えたいのかわからない。
いや、アイドルの宣伝がしたいのだとは思う。
ただ、これは文学作品と視聴者を馬鹿にしているとしか思えない。

まず、朗読が棒読み。
今日の中原中也もそうだけれど、この間みた夏目漱石の夢十夜はぼろぼろだった。
神秘的なところが魅力なのに、棒読みとリズムの悪さのおかげで何の話をしているのかすら分からなかった。
さらにいえば文学の内容と背景の画像の関連もない。

別にアイドルが悪いわけではなく、この演出をする人の意図が分からない。
正確にいえば分かるのだけどそうならちゃんとしてほしい。
比較するのもおかしいがNHKラジオで俳優が朗読する文学の泉(だったっけ?)のように。

文学が好きな人はがっかりするし、アイドルファンにとっては文学とくっつける必要性がない。
嫌なら見なければ…というのは当たらない(民放は多くの人に見てもらうのが目的)のでいち視聴者の意見として。