原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「プレイバック ウィーン  2019.07 」

2024年05月01日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、2019夏のウィーン旅行ハイライトだった「モーツアルト・コンサート」会場のウィーン国立歌劇場とその周辺。 
 ハイライトだった割りには、“演奏一流・観客四流” 状態でかなりがっかりさせられた事については、バックナンバー旅行記にて述べている。)



  2024 今年の5月の連休も前半が終り、カレンダー上は中休みに入った段階だ。  
 また明後日からは、連休後半期に入ろうとしている。

 コロナ禍以降、一切の旅行(郷里帰省以外は)に出ていない我が家だが。
 今年の5月の連休も、何らの旅行の計画も無くいつも通りの日々を過ごしている。
 
 本日の東京は天候が悪く、今夜は気温が11℃まで下がるとの予報だ。😖 
 風邪などひかぬよう、体調管理に気を付けたいものだ。



 さて、そんな身だが。
 せめても我がエッセイ集内で、少しは連休気分を味わおうと考えた。
 過去には国内外を問わず少なからずの旅に出た身であり、その記録を当該エッセイ集内にも保存している。

 その中から、本日はコロナ前に娘と二人で個人旅行に出かけた「ウィーン」を振り返ってみよう。 
   2019.7に娘と二人で旅をした「ウィーン個人旅行」プレイバック版「第二弾」の写真を、我が「ウィーン旅行アルバム」より公開させていただこう。

 (既に何度も述べているが、4年前に旧パソコンを壊滅的に故障させ、その内部データのすべてを失っている。  そのため、この「ウィーン旅行アルバム」のみしかウィーン旅行を語れる手立ては無い。)😱 



     
 写真は、ウィーン国立歌劇場周辺の写真。 モーツアルト気取りの男性はコンサートチケット販売促進活動中。 我々にも近づいて来たが、既にチケット購入済みであることを伝えると離れて行った。 


 写真はすべて旅行から帰宅後、ウィーンにて撮影した写真を印刷して紙のアルバムにまとめたものを転載したもの。

         
 ウィーン国立歌劇場の外部。 上は歌劇場正面玄関。 下のモーツァルト気取りの男性は、歌劇場にてその日の夜に開催予定のモーツアルトオーケストラによる演奏会チケットを販売中の人物。  我々母娘にも販売してきたが、既にチケットをゲットしていたため、お断りした。


         
 ウィーン市街を流れるドナウ川。 日を変えて紹介する(かどうかは不明だが😝 )、バッファウ渓谷辺りから見るドナウ川とは大きく趣が異なる。


         
 ウィーンの地下鉄構内と、電車内で撮影したもの。
 車内に自転車や愛犬の持ち込みが可!! です。


         
 ウィーンの合同庁舎前にて。 この日は日曜日で人気(ひとけ)がありません。 これも歴史的建造物です。

         
         

         
 順番が前後して申し訳ありませんが。
 ウィーン国立歌劇場内でのモーツァルトコンサートの風景。 (演奏中は撮影禁止でした。あしからず…)  
 ウィーンにて宿泊したホテルにての娘と二人の晩餐。

         
 シェーンブルン庭園(と言ったかな?)にての光景。
 早朝6時頃に撮影した写真ですが。  この日(というよりも我々のウィーン旅行中は日々雷雨に遭遇し、大変な目に遭ったものでした… )


         
 
 シェーンブルン駅。 芸術的な風情の駅でした。
 ウィーン旅行中は、バッファウ渓谷のドナウ川観光以外はすべて鉄道で移動しました。


 まだまだ、ウィーンで撮影した写真は沢山保存してありますが。
 本日は、これ程にしておきましょう。  


再掲載「私が万太郎ならばとりあえず田邊教授から『土佐の標本』をすぐに返却させるべく動く!」

2024年04月29日 | 学問・研究
 今朝 知人よりメールが入って、どういう訳か冒頭に記したNHKドラマ「らんまん」に関する話題が展開した。

 「らんまん」と聞いて。 既に「ん?? 何だ?」と訳が分からない程に、このNHK連ドラは既に3作前のものとなっている。

 現役時代は医学関係者として長年身を立てた原左都子であり。 過去にはまさに万太郎の如く、実験室にて一人で医学実験に励む機会が多かった私にとって、今思い起しても実に印象深い連ドラだったものだ。


 
 そのNHK連ドラ「らんまん」に関して公開した冒頭の我がバックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。  

 何だかここのところのNHK朝ドラ「らんまん」を視聴していると。
 万太郎に感情移入し過ぎて、出来る事ならば万太郎に変って田邊教授とやり合いたくなる程だ!!

 ネットより本日放映された「らんまん」情報を、以下に引用しよう。
  NHKの朝ドラ「らんまん」8月1日(2023年)放送回。 東京大学の理学部は帝国大学理科大学と改められ、田邊(要潤)がその初代教頭に就任した。 田邊教授は万太郎(神木隆之介)の書いたムジナモ発見の論文に、自身の名前が掲載されていないことに激怒。 万太郎は、大窪(今野浩喜)の協力を得ながら、田邊との共著として書き直す。 しかし田邊の怒りは静まることなく、万太郎の東大出入り禁止は解かれることはなかった。 

 万太郎も少し胡坐をかいていたか...
 落ち込む万太郎は、もう一度田邊宅へと謝罪しに向かう。 万太郎は心を込めて許しを請うが、教授は頷かない。 
 田邊教授の怒りの気持ちもわかるのだが、万太郎の新種発見にのっかって世界に名をあげようとしたのは教授である。 しかし思い通りにならないと激怒しているのだ。 邪魔な万太郎を排除して自由になったというけど、そうであろうか。 感情をぶつけて一時的に爽快なだけであろう。 地位も名誉もある田邊教授に足らないもの、また田邊自身も欲しいものを万太郎が持っている限りは、「呪縛」から解かれることはない。 そのことを田邊教授も実は知っているのだ。 このことに気づいているから現実が辛い。 名誉欲でがんじがらめになっている田邊教授には、万太郎を思いのままに手に入れることでしか、心が満たされることはない。
 一方万太郎は、田邊教授のおかげで東大で田邊教授の集めた資料を利用して研究ができていることに、少し胡坐かいていた。 泥棒教授のもとで情報を泥棒して逆鱗に触れた万太郎。 泥棒同士がもめているというのも哀れな話である。 図鑑を作る話は教授が万太郎から強奪ではないか。(中略)
しかし、この2人が相反しあって、植物学会にはひとつもいいことがない。万太郎が寄り添ってきているのだから田邊教授に受け入れてほしいが、そう簡単にはいかなそうだ。

 (以上、NHK公式サイトより引用したもの。)

 原左都子の感想に入ろう。

 冒頭表題に掲げた通り、とりあえずこの私が万太郎ならば自分が東大植物研究所まで持参した「土佐の標本」(かなりの量が存在したと記憶しているが)をすぐに返却してもらうべく動くだろう。
 これらの“所有権”は、如何に考察しても東大研究所や田邊教授に移転している訳がない! いくら田邊教授が「ここに置いて行け!」と命令しようが、その所有権者は万太郎であるはずだ!  強制執行してでも、それらの標本は万太郎が持ち帰りたいものだ!

 その行為が叶うならば、いくら田邊教授が「自分も東大植物研究所の総力を挙げて植物図鑑を出版する!」と意気込もうが、土佐(及びその周辺)地域の図鑑の出版は困難と想像する。 (要するに「全日本植物図鑑」と言えども不完全なものしか完成しないはずだ。) 
 その間に、万太郎は田邊教授が成そうとしている「大日本植物図鑑」程大規模ではないにせよ。 
 自分の出身地である「土佐周辺」の詳細な植物図鑑を、せめても田邊教授に先駆けて出版可能となろう。
 
 加えて私が思うには。

 最初に万太郎が訪ねた東大植物研究所の比較的近い場所に存在する「博物館」の力添えを得るとの方策も取れると推測する。
 あの博物館に、人が良さそうで万太郎にも協力的な博物館員が2名存在したではないか!
 あれらの研究員達の協力体制があれば、「大日本植物大図鑑」ならずとて、それなりの特異性のある「植物図鑑」の発行は可能かとみるのだが…。
 とにもかくにも、万太郎は田邊教授(及び東大植物研)とはここできっぱりと縁を切るべきではなかろうか!?!

 最後に話題が史実に飛ぶが。
 私が少し前に見たネット情報によると、万太郎はその後ロシアの植物学で世界的に著名なマキシモビッチ博士の元に行くべく計画を立てたものの。 残念ながらそのマキシモビッチ博士が病気にて他界してしまい、それが叶わなかったとの記述があった。(もしも私の記憶違いでしたらお詫びしますが。)

 それでも結果として万太郎(牧野富太郎氏)は植物学者として大成したからこそ、このように現在ドラマにて取り上げられている訳であり… 
 そうだとして、今現在の「らんまん」はまさに万太郎にとって“どん底期”なのであろう。 
 万太郎が愛する植物と共に育ちゆく生命体の素晴らしさを満喫しつつ、万太郎が「植物博士」として大成していく過程を今後も見守りたいものだ。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)


 
 原左都子の2024.04 現在の感想だが。

 いやはや このドラマ、医学関係者として研究室にて単独で実験に励む機会が多かった私にとって、実に興味深いドラマだったものだ。

 万太郎はドラマ内で「片眼顕微鏡」を覗いていたが。
 さすがに我が現役時代には「両眼顕微鏡」に移り変ってはいた。 それにしても、丸一日その鏡検作業をこなさねばならない日々を過ごしたこともある私にとっては。
 万太郎が顕微鏡を覗く光景が、我が過去の医学研究業務と重なったりした。

    

 後に 都内に位置する「牧野富太郎植物園」を訪れて、あのドラマの余韻に浸ったりもした。 (本エッセイ集バックナンバーにて、園内の光景を公開していますので、ご参照下されば幸いです。)

 この連休中にも牧野植物園を訪れたいものだが、おそらく混雑しているのだろうなあ…

                                     
         

 写真は、「牧野富太郎植物園」内の書斎建物内に保存されていた富太郎博士の蔵書の数々を、原左都子が撮影したもの。


“悩みのるつぼ” 相談の20代女性さん、またと無き20代に青春をエンジョイしませんか?!?

2024年04月28日 | 自己実現
 本日のエッセイは、久々に朝日新聞 “悩みのるつぼ”より引用させていただこう。



 早速、2024.04.27付朝日新聞 “悩みのるつぼ”より「『期待しない』生き方は間違い?」と題する相談内容の一部を以下に引用しよう。

 私の生きる上でのモットーは、「期待しない」ことだ。 他人に対しても自分に対しても、いろんな物事に対しても、期待しないことを常に心がけている。イベントや予定も期待してしまうと、うまく物事が進まなかったり時にはショックを受けたりする。期待していなければうまく行った時の喜びは倍増するような気がする。
 人に対しても、この人ならきっとこうしてこれる、こう考えるに違いない、とか、こう言ってくれるはずだと期待すると、そうならなかったとき、その人が悪いわけではないのに、勝手に裏切られたような気分になる。 期待していないと、想定外のうれしいことを言われたとき、とても嬉しく感じる。
 自分自身に対しても期待して、できなくて打ちひしがれて、自分を心底嫌いになった経験がたくさんあった。
 「期待しない」というのは、間違った生き方なのでしょうか? そうだとしたら、期待することにどんないいことがあるのでしょうか?

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談より、一部を転載引用したもの。)



 早速、原左都子の感想に入ろう。

 厳しい見解かもしれないが、この20代の女性は「小心者」あるいは「悲観主義」はたまた「他力本願性質が強い」のではあるまいか???

 イベント事例に関しては、そんなもの期待した方の間違いと言えそうにも思うし。
 物事がうまく進まなかったのは、貴方自身の準備不足や勘違いが原因の場合が多々ありそうだし。 そんな場合はショックを受けたその直後に必ずや自身が一人で反省会を実施して、今後同じ過ちを繰り返さないようにするのが常識じゃないかなあ。 その物事が自身の仕事業務であった場合など、特にその作業は肝心だよ。 

 人に対する事例にしても。
 あなたが身勝手に相手の心理に期待してしまったり、相手の心理を逆読みして勝手に裏切られた気分に陥っている恐れがありそうだ。
 それが証拠に、相手から想定外のうれしいことを言われると とても嬉しいと感じる、とあるが…
 失礼だが、どこまで他力本願なんだろうとしか私は感じないよ。

 自分自身を心底嫌になるのは、高齢域に達しているこの私ですらよくあることだけど。
 だからと言って、人間の人生とはいつもいつも浮き沈みの繰り返しであるし。 
 そんな浮き沈みの中の沈み(マイナス面)ばかりを執拗に取り上げて、長き人生のうちのわずか20数年という時点で、自分が心底嫌になり。 「期待しない」人生を歩んで行こう、とは、なんと後ろ向きな生き方なのだろう…


 今回の悩みのるつぼ相談者であられる姜尚中氏の回答内容の一部を、以下に引用させていただこう。

 「期待しない」を人生のモットーとしているあなたが相談を寄せるのは、どこかに迷いがあるからではないか。
 何事にも何人にも「期待しない」という生き方は、クールなように見えるが、それは実は失望感の怖さから我が身を護る自己防衛に発していると言えないか?
 自分が傷つくのを極度に怖れるために、何事にも「期待しない」と予防線を張っている生き方は、何やら見えない甲羅で自分を必死になって護ろうとしているように見える。
 (以下略すが、以上回答者であられる姜尚中氏のご回答の一部を引用させていただいたもの。)



 最後に原左都子の私事など語っても、若き相談者には何らの参考にもならないだろうが。

 原左都子の20代とは、郷里を捨て親を捨て単身上京した時期なのだけど。
 医学の仕事もプライベートも充実して、私自身がキラキラ輝いていた事この上なかった頃だ!!

 この私も大して他者には過大な期待をしない部類の人間だったかもしれないが。 何処へ行っても「さとちゃん(私の上京後の呼び名だが)コール」が絶えず、面白おかしい日々を送った時代だったものだ。

 相談者さんもご自身の生活が充実していさえすれば、「期待する・しない」へったくれの生き方から解放されるはずだ。

 そのためには、例えば現在の職業の充実を目指す、とか。
 あるいは、ご自身の趣味に没頭する、とか。
 年齢的には、友人たちや彼氏と仲よくする適齢期ではないだろうか?
 
 せっかくのそんな青春期を是非共「期待する・しない」どうのこうのにかかわらず、思う存分にエンジョイして欲しいものだ。


「絵むすび」 朝日新聞2024.04.27付 解答

2024年04月27日 | 自己実現
  (冒頭写真は、2024.04.27付朝日新聞 パズル「絵むすび」に 原左都子が解答したもの。)



 連休初日に朝日新聞が「絵むすび」を持ってきましたね!!

 毎年5月の連休には、特段何処へも出かける予定が無い私ですが。

 せめて 暑すぎない本日、午後にはランニングに出かけたく考えておりました。


 そんなところ、昼になり朝日新聞を開いてみると。

 パズル「絵むすび」が掲載されているではありませんか!

 これを仕上げないことには、ランニングにさえ出かけられないぞ!
 と腹をくくり、先ほど解答に集中したところ。
 10分程で、解答が叶いました!!


 とりあえず解答のみを、冒頭に掲載しておきました。


 解説は、ランニングを終えて帰宅後にさせていただく予定でおります。




  追加で失礼しますが。

 「ぎんなん」を結び忘れていますが、真横に結んでいただければ完成です。


 

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 解説が遅くなりまして、申し訳ございません。

 と言うよりも、既に解説が必要なさそうですが…


 一応、原左都子の解答手順を記載させて頂きます。

 まず、「銀シャリ」を上を回して結んでしまいましょう!

 次に注目するべきは「餃子」なのですが、これをとりあえず下まで回して他のアイテムに着目すると。

 「牛乳」と「ギター」が左半分面積内で結べそうです!
 これらを、とっとと結んで片付けてしまえば。

 後は自ずと、「餃子」の進むべく道程が決定し。

 最後に、「銀のスプーン」か?? これと、「銀杏」を残りの隙間を通って結ばせたら完了です。



 ところでこの「絵むすび」に関して、以前は「原左都子エッセイ集」内で解答を公開するとすぐさま閲覧が押し寄せる現象が起きたのですが。

 時代が巡ってネット世界も変貌を遂げ、複雑化しているようで。

 今となっては、そのような“極端な現象”を見ることが無くなりつつあります。


 まあそうであれ。
 
 原左都子が朝日新聞「絵むすび」ファンであることには、今後も我が脳内がある程度クリアなうちは しばらく変わりないと想像しますので。

 今後も解答トライを続行して、「原左都子エッセイ集」内にて公開していきたく欲しております。


本日のAI・Copilotより「原左都子」に対する視点と、 朝日新聞より「AIのリスク」

2024年04月26日 | 時事論評
 冒頭表題の前半である 本日朝ネット上にて見つけたAI・Copilotさんの「原左都子エッセイ集」に対する視点の一部を、以下に引用しよう。


 原左都子さんのエッセイは、彼女の視点から独自の視点でさまざまなテーマを探求しています。 彼女の作品の中で特に有名なものをいくつか紹介しますね。

 「経営法学修士」: 原左都子さんは経営法学修士の学位を取得しており、ビジネスと法律の視点からのエッセイも執筆しています。
 
 ブログ「原左都子エッセイ集」: 彼女はブログで日常の出来事や社会問題について綴っています。
 原左都子さんのエッセイは、彼女の鋭い視点と独自のスタイルで多くの読者に愛されています。
  

 彼女のエッセイはどんなスタイルで書かれているの?

  Copilot

 原左都子さんのエッセイは、彼女の独自のスタイルで書かれています。 彼女は日常の出来事や社会問題についての視点を綴り、読者に興味深い視点を提供しています。
 彼女のエッセイは、以下のような特徴を持っています:
  1. 率直な視点: 原左都子さんは、自身の意見や考えを率直に表現します。彼女の文章は、読者に共感を呼ぶことが多いです。
  2. 幅広いテーマ: 彼女は時事問題から日常の出来事まで幅広いテーマを取り上げています。そのため、読者はさまざまな視点から物事を考えるきっかけを得ることができます。
  3. 独自の文体: 彼女の文章は独特の文体で書かれており、読み手を引き込む力があります。
 原左都子さんのエッセイは、彼女自身の視点や経験を通じて、読者に新たな視点を提供しています。

 (以上、今朝ネット上にて見つけたAI・Copilot さんの視点にて書かれていた「原左都子」に関する文章。)



 さて、大きく話題を変えよう。

 2024.04.06付朝日新聞「社説」より、「AIのリスク 疑念にこたえる議論を」の一部を以下に要約引用しよう。

 AIは、ネット上にある膨大な情報を機会が学習し、人のかなわない速度で新しい生成物を大量に作り出す。 作品などの不当な利用が広がるのではないか。そんな漠然とした懸念が渦巻いている。(中略)
 グレーゾーンは大きい。 文化庁に多大な意見が寄せられたことが社会の不安を物語っている。 声優の「声」などが現行法では十分に保護されないことも課題と言えよう。
 著作権のほか、プライバシーの侵害や偽情報への警戒心も根強い。
 AI企業は人々の権利や安全のためにどんな配慮をしているのか。どのようなデータを学習して生成につなげているのか。
 こういった情報を事業者が適切に開示しなければ、権利者や利用者が対等な立場で起業と対話し、交渉することはできないだろう。(中略)
 歴史を振り返れば、新しい技術が出現するたび、人間はそれをどのようにつかうべきなのかを考え、試行錯誤を繰り返してきた。 (中略)
 これまでに巨大IT企業への規制の在り方を点検・総括し、今後の方向性について全体的な見取り図を示していくべき局面でもある。

 (以上、朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)



 話題を原左都子の私事・感想に戻そう。

 いやまあ、素人エッセイストの原左都子が一銭の収入を得るでもなく、単なる自己実現趣味範囲で日々主体的に綴り世に公開している「原左都子エッセイ集」を。
 某ネット検索媒体の一員であるAI・Copilotさんが日々「原左都子エッセイ集」に対するコメントを これまた主体的(??)に公開して下さったとて。
 特段の「著作権侵害・プライバシー侵害」と大騒ぎする程の問題ではないであろうし。
 実際問題 今までの時点では、私ども原左都子にとって何らの不都合も発生していない。

 それどころか、日々AI・Copilotさんが「原左都子エッセイ集」の最新記事に対して自主的にコメントを発信して下さっている事実が今のところ楽しみでさえあり。 ネット上でCopilotさんのページを開くのが、既に原左都子の日課にもなっている程だ。

 この原左都子とAI・Copilotさんとの関係がこのまま長続きすることを希望したいものだが。

 それ程世の中は甘くなく 今後の急速なAIの発展と共に、両者の関係も予期せぬ方向へ彷徨い始めるのであろうか??? 😵 😱 

 
 (参考ですが、私はブログ主体であるgooには毎月一定の使用料金を支払っておりますが。 
 AI・Copilotさんの経営主体である某ネット企業へは、一銭の使用料金も支払っておりません! そうであるにもかかわらずの、これ程のCopilotさんの日々の「原左都子贔屓」であります!?!?  そのうち、請求書が届くのか?!! 😱