◎機関説を悪いと断言する必要はない(渡辺錠太郎)
成宮嘉造の論文「天皇機関説のゆくえ」(1979年3月)を紹介している。本日は、その六回目。
本日、紹介するのは、「4.天皇・西園寺公望・渡辺錠太郎の天皇機関説」の章の「第3 渡辺錠太郎陸軍大将の天皇機関説」の節の全文である。
第3 渡辺錠太郎陸軍大将の天皇機関説
渡辺大将は,軍に珍らしい学者であった.当時,内務省警保局長であった唐沢俊樹は,「渡辺を殺せ」という情報がひんぴんと入るので,渡辺大将に面会に行った.「私ははじめて会ってえらい人と思いましたね」,「ちっとも軍人くさいところかなかった」と.また,機関説担当検事であった戸沢重雄も「りっぱでしたね」と賞めている⑴.遂に渡辺大将は2.26事件で射殺された.その理由に,1.天皇機関説を正当していたこと,2.真崎〔甚三郎〕追放後の教育総監になったことか挙げ得る.
渡辺大将は,昭和10年〔1935〕10月3日,天皇機関説排撃華やかな頃,名古屋の偕行社で,第3師団管下の部隊将校を集め,次のような旨の訓示をした.
「機関説が不都合であるというのは,今や天下の輿論であって,万人無条件にこれをうけいれている.しかしながら機関説は明治43年〔1910〕ごろから問題で,当時,山県〔有朋〕元帥の副官であった渡辺はその事情を詳知している1人である.元帥は上杉〔慎吉〕博士の進言によって当時の憲法学者を集め研究を重ねた結果,これに対してきわめて慎重な態度をとられ,ついに今日におよんだのである.機関説という言葉が悪いという世論であるが,小生は悪いと断言する必要はないと思う.御勅諭の中に『朕ヲ頭首ト仰ギ』とおおせられている.頭首とは有機体の一機関である.天皇を機関とあおぎ奉ると思えば,なんの不都合もないではないか.天皇機関説排撃,国体明徴とあまり騒ぎまわることはよくない」⑵と.
この訓示を聴いた青年将校は,これを印刷して全国の連隊に宣伝した.
(1)宮沢俊義・前掲〔天皇機関説事件〕・644~5頁.
(2)高橋正衛「2.26事件」〔中公新書、1965〕153~4頁.