一人だけMajority

NO MILK, NO LIFE.

Because it is there...

2011年02月21日 23時55分34秒 | ラヴ宮古
その瞬間、僕は思ったんだ。

“ああ、そうだ。やっぱ、ココなんだな”と。




僕ちきんという人間は、本当に両親、友人、先輩、後輩、師
をはじめ多くの方に迷惑と心配をかけながら、25年間(先日210の日にアラサーになりました。)生きてきたわけだが、
その25年間の中でも一番に迷惑・心配をかけた事象は間違いなく
2007年1月10日のあの出来事だ。

当時、ダイビングサークルに所属していた僕は年明け1発目の練習に参加していた。
その日はすこぶる体調が良く、アップでもやけに良いペースで泳ぎ、なんてこともなく入部から3年間代り映えのしないメニューをこなしていた。

約10本ほどのメニューをこなし、“フィン回収”というフィンを水中に沈め、それを水中で回収、足に装着し上がってくるという、名が全てを表すメニューの最中のことだった。

 いつも通りに潜水し、
 いつも通りに後輩のフィンをパクり遠くに移動させ、
 いつも通りに後輩にばれ、
 いつも通りに「ニヤっ」と笑い
 いつも通りに自分フィンを回収した時、

いつも通りでは無いことが起こった。

僕の記憶はそこから断続的で、
 プールサイドで人に囲まれている記憶
 救急車の中で傍らに後輩がいる記憶
 病院の処置室で何本もの点滴の針を入れられる記憶
そんな断片の記憶だけが残っている。

その瞬間、当人の僕は翌日の実験とカテキョの心配しかしていなかったわけだけれども。
やっちまったなー、何時に帰れるかなーとかしか考えていなかったわけだけれども。
当人がそんな馬鹿なことしか考えていない中、
首都高なんて走ったこともないおかんは、ナビを頼りに日付が変わるかどうかの時間に2時間車をぶっ飛ばし茨城の病院に向かい、着いたら着いたで医者に

「今夜が山です。控え室もありますので…」

と。ぼんやりとそのやり取りも覚えている。

月から金まで午前様で土日はゴルフというオトンも茨城まで来たし、
友人、先輩、後輩、先生、たくさんのヒトがお見舞いに来てくれた。

もちろん、そんな事故を起こしてしまったサークルは1ヶ月以上の間活動停止になり、
ひとつ下の部長をはじめ、新しい代になった後輩たちにどれだけの迷惑をかけたかは計り知れない。

僕自身は16日間の入院生活を経て退院。
以前ほど息が持たなくなったりもしたけど、すこぶる元気になり、
半年後には、プールにも復帰した。

けれど、当然のことながら僕がダイビングをやる事は親族全員からの反対にあっており、
会うたびに
「やっていないでしょうね?」
そう言われる。

それは今も変わらない。

そんな反対や、周囲にかけた迷惑の大きさから潜るなんて言うこともやることも出来ず、
ただただ、“潜りたい”そんな気持ちは消えることなく、
潜りたい、潜れないの葛藤をする夢を見たり、
潜りもしないのに後輩たちの合宿に着いて行き、陸から見ていたり
潜りもしないのに先輩たちの徳島ツアーに着いて行き、陸で釣りをしていたり(釣れなかったけど。)

ただ一つの自分勝手な想いを胸に4年と1ヶ月、そんな日々が続く。

ブログランキング←ブログなんて書くの、久しぶり過ぎて本題に入れなかった。あっ、それは以前からですね。

9.10

2010年09月14日 05時51分20秒 | 鳥の頭の中
2010年9月10日。
世界自然遺産屋久島。
樹齢2000年。
高さ23・7メートル。
幹回り12・6メートル。

翁杉、倒れる。


2009年11月。たった、10ヶ月前に僕が訪れたときにはこれでもかというくらい堂々と君臨していた翁杉。
屋久島を訪れた際、おそらく二十は超える数の~杉と名のついた杉を見た。
もちろん、殆ど名前は覚えていない。
ただ、この翁杉に限っては、名前も、場所も、その場のイメージもはっきりと思い出せる。



何故だかは分からない。ただ、はっきりと覚えている。

2001年9月11日。
アメリカ合衆国。ニューヨーク。
ワールドトレードセンター、倒壊。

この事件が起きる何年か前、僕はエンパイヤステートビルの屋上に立っていて、ワールドトレードセンターを見ながら
「あれが出来るまで、今このビルが世界一高かったんだなー。」
そんな事を思っていた。

翁杉もエンパイヤステートも、僕の記憶の中では未だはっきりとそこにたたずんでいて。
堂々と。堂々と。堂々と。


社会人としての生活とかそんなの関係なく、もっとずっと前から。
なんとなく、明日のおおよそは想像がついて。
もちろん全てが予想通りではなく、想像外の何かが少しずつ起きて。
でも、大体想像と一緒な明日。

学校行って、研究室行って、サークル行って。
会社に行って、汗流して、物作って。働いて。

毎日、それなりに新しい発見なり気づきなり感情なり、新しい何かがあって。
単純に汗流して、物作って、仕事して。楽しい。
まがいなりにも、自分が何かの役に立っているんだと実感できて。うれしい。

ただ。ただ。
「なんとなく想像が着く明日から、トリップしたい。」
そう思うことがある。

僕が知らないバショへ。
僕を知らないバショへ。

もちろん、トリップなんてしなくて、
なんとなく想像が出来るこの日々の幸せなり楽しみに浸かる僕なのだけど。

そんな僕にとって、翁杉のような大木は、
そこにたって、根を張って、日々着々と変わることなく、日々着々と成長してきた、
その姿がとても堂々として、とても美しく、とても耀いて見える、
金字塔のような存在。

「トリップなんてしなくて、まっすぐその毎日を生きれば良い。」

そう思わせてくれる金字塔。

そんな翁杉だからこそ、このニュースを見たとき無性に凹んだ。
すごい悲しかった。不安な気持ちを感じた。

ただ、きっと。きっと。
翁杉の幹には今もたくさんのコケが、菌が、虫が生きている。

ただ、きっと。きっと。
翁杉はこれからも、たくさんのイキモノの。

ただ、きっと。きっと。
僕はなんとなく想像が出来る明日を。
僕は少し想像と違った明日を。

ブログランキング←未だに、翁杉もエンパイヤも僕の中では堂々と立っているのだけれど、いつか自分の目で必ず見に行こうと思う。こんばんわ。ちきんでした。

ギョサン、はじまってます

2010年08月31日 04時38分35秒 | つぶやき
今朝起きて、ふっとイイともつけたらテレフォンショッキングのゲストが宮崎あおいたんだった。
あれ?これってもしかして運命ってやつじゃ…?どーも、こんばんわ。ちきんです。



さて。
今年の夏の暑さはそりゃあもうハンパねぇ域まで来てて、愛知の暑さはもうハンパねぇ域を超えちゃってて。こんな暑さが後2週間も続いちゃうなんて、工場で肉体労働するちきんも蒸し鶏になっちゃうよっ!?棒々鶏になっちゃうよっ?!
工場内でも「38℃を超えたら、仕事を禁止にする法律を作るべきだっ。」とか「35℃を超えたら残暑手当として給料増やせー。」なんてワイワイ言いながら、大人しく馬車馬のように働く次第です。

ただ、この暑さにも負けず、いやむしろ水を得た魚のように輝くヤツがいた。
そう、アイツだ。

皆さんもよーく御存知の








ギョサンだ。

4年前にも、かの有名なシャレオツの代名詞、メンノンに取り上げられたこともあったが、ここ最近のギョサンのやつの勢いって言ったらもう。

以前は一部の島や、ダイビングショップ、ネット通販でしか手に入らなかった我らがギョサンも、最近は全国の遊べる本屋さん、ドンペン君のお店でも気軽に手に入れることができるようになりました。
今や日本を代表する国民的アイドルグループ嵐のリーダー大野くんも愛用し、テレビで取り上げちゃうほど。ギョサンの嵐が今。
さらには、めざましのココ調でも特集されちゃったそうで。

こりゃ今年こそ来たな、ギョサンの時代が。

昨日もキャンプをしに訪れた長野県松本市近くのキャンプ場で、子供を連れたお父さんと思しき男性がカーキー色のギョサンを履いていましたしね。

太郎「僕も早く大きくなって、パパ見たいな男らしいカーキー色のギョサンを履くんだ。」

パパ「ハハハ、太郎はすごく大きくなりそうだからLLじゃなくて、3L じゃなきゃだめかな!よーし、早く大きくなれるようにたくさんBBQ食べるんだぞー」

きっとそんな会話をしていたに違いない。

とまぁ、この糞暑い残暑の続く夏。
太郎もミチコもじいちゃんもばあちゃんもギョサンを履いたらいいのに。
麦酒がなくなったのでいつも通りテキトーな〆

ブログランキング←というわけで、我らが宮崎あおいタンの出る“オカンの嫁入り”、今週9月4(土)より全国角川シネマ系でロードショー。BECKも気になるけど、こっちもね。

トンネルのこっちは、不思議の町でした。

2010年07月31日 05時04分43秒 | つぶやき
借りぐらしのアリエッティ見てきました。
どーも、こんばんわ。独り暮らしの チキエッティ ちきんです。

ここまで書いて、
いつものごとくバランスボールに座ってつぶやこうとした瞬間、スベって転けた。
いつものごとく酔っ払ってるので、転けたまま笑い始めた自分に、ふっと引いた。



さてさて、先日ちょろっと書いたように5月、6月は僕の生まれ故郷、神奈川の片田舎に戻り6年ぶりに実家暮らしをしておりました。

学生時代の6年間は、とあるアパートにてなんやかんや自炊をし、
社会人になりガスも流しもない独身寮ぐらしが始まってからは、社会人パワーとか言いながら毎日の外食を繰り返していた僕にとって、朝起きて飯があり、仕事から帰っても飯がある。
まさに、夢のように楽な生活でした。

この6年ぶりの実家暮らしをした、5月6月。
やっかいなことに、母の日父の日が潜んでいます。
今までは一緒に暮らしていないことをいいことに、うまくスルーしていた親鳥不孝者僕ちきん。
今度ばかりは、住まわしてもらってるし、僕社会人だし。

母の日には、初任給祝もかねて両親に特選霜降り和牛しゃぶしゃぶをご馳走してごまかしました。
オヤジが調子にのって焼酎をボトルで頼み始めるハプニングも御座いましたが

問題は父の日。
うちのオヤジには何をあげていいものか、実に悩みまして。
いかんせん、自分の気に入らないものは決して身につけないし、高いものは良いものだという考えかつ、還暦を目の前にしてブランド物に興味を示し始めた、やっかい極まりない今日この頃。

悩んだ末僕の出した答えは、一緒に飲めるし無難な赤ワインと

バー○リーのパンツ。

ズボンとかをシャレて言ったのではなく、あの下着のリアルパンツ。
よく女性に下着を贈るなんて話を耳にしますが、まさか実父に贈るなんてっ

それもこれも、ある日ちきんが風呂上りパン一でうろついていた時のオヤジの一言がすべてでした。



「今はそーゆーのが流行っているのか。
お父さんはいつもちきんの後追いだよ。」


それはもう、実にしみじみと。
どうやら僕の履いていたボクサーパンツが気になったご様子。

白のブリーフが絶頂だった幼少期を経て、思春期に入ったちきんのパンツもかの有名なトランクスに変化し、そしてチ○ポジの安定を求めてボクサータイプへ変化してきました。
知らぬうちにそれを見て、オヤジのパンツも変化していたようで。

そして、ついにボクサーパンツにオヤジの興味も移ったようで。
せっかくなので、自分も履いたことのないような高級パンツ買うたった。(どーんっ

まぁ、びっくりする位に本人が喜んでいたのでいいですがね。

そういえば、一緒に石川遼のニセサイン入り扇子も一緒にあげたらガチで信じて焦った。

ブログランキング←気づいたら学生じゃなくなっていたので、学生ブログランキングはやめました。

サムシング・ハプンズ

2010年07月06日 21時29分18秒 | つぶやき
6年間の思い出が詰まった茨城を“離れ”ナゴヤマキで有名な愛知の生活が始まりました。
カタカナにすると人名くさい
どーも、こんばんわ。ちきんです。



茨城を“離れ”愛知に来たのであって、茨城から愛知へ“移った”のではない。この、“移る”と“離れる”の使い方にはそれなりの想いがある。めんどくさいから、今は書きません。(どーん

2004年4月、今から6年前の春の事でした。「なんとなく家を出たい。」そんな理由なき理由で、生まれてから18年間過ごした神奈川を“離れ”茨城に乗り込んだ僕。
育った土地というのは、意味もなく安心できるバショである。
何もしなくても落ち着けるし、ほっといてもそのバショは自分の領域である。
誰がなんと言おうとも。

当時はこんなことカケラも思わなかったし、気づきもしなかった。

なんのツテも、知り合いも、土地勘もなかった茨城で、ただ一人、金の稼ぎ方も飯の作り方も生活の仕方すらも知らないヒヨッ子ちきんは生活を始めました。何にも考えずに。
ただ“大学”という行かなきゃいけない(と感じてたバショ)もあったし、大学=サークルというイメージからサークルも入った。
アルバイトもしたし、馴染みの店も、お気に入りの公園も、ふと見たくなる景色も出来た。
場所も方向もわからないバショがその時の気分のままに動けるバショになったし、誰一人として知り合いがいなかったバショが、馬鹿ができる仲間や本音で飲める友人がいるバショになった。

なんにも考えずに只々茨城というバショで生活をはじめ生きてきただけなのだけれど、離れるちょっと前になって、「スゲェ事したんだな。」って本気で思った。今でも思う。

見ず知らずのバショを、自分のバショにする。
なんにも力もコネもチシキないたった一人の人間が、一人じゃなくなる。


ただ生活する。ただ生きる。
簡単に聞こえるし、単純だ。極めて単純だ。至極当たり前のように思う。

ただ、それは勝手に何かが起きるわけではなく、勝手に何かが変わるわけでもない。
自分が動く。
メイク・サムシング・ハプン。

神奈川を離れ、茨城が自分のバショになった。
茨城を離れ愛知に来た今、飯の作り方も生活の仕方も知っているし、金の稼ぎ方も身につけ始めた。まだまだ、ココは自分のバショではないけれど、自分の力で何かを起こし少しずつ自分のバショにしていく。
そんな小さなちきんの衝突は少しずつ伝播する。まるで水面のように。
やがて、何かが勝手に起きる。
サムシング・ハプンズ。

スゲェ面白いことだな。
メイク・サムシング・ハプン。
サムシング・ハプンズ。

ブログランキング←愛知で始めた社会人生活の事とか、6年ぶりに神奈川で暮らしたこととか、営業マンしてたこととか、最近ハマってるトレッキングの事とか書くつもりだったのに。
院生ランキング←何故だかこんな事書いてしまった。

注:サムシング~やら、離れる、移るの考え方は、かの有名な深夜特急から多大な影響を受けております。