ADEL GROUP

バンド活動、ライブ企画、アイドル育成、イベント企画、活動、かつてないスケールとアイデアで佐渡を動かすプロジェクト。

ライブハウスの頃(3)初ライブ

2007-11-17 19:03:12 | Weblog
高校時代、僕はスーパースター的な位置づけでもありませんでしたし、人を笑わすキャラクターでもありませんでした。特に目立っていた訳でもないですし、音楽に詳しいとか、歌う事が好きとかそんな事は全くなかったのです。

忘れもしない初ライブは、ヒューイルイスの「パワーオブラブ」で始まったのですが、僕は1オクターブ低く歌っていて、ボソボソと歌う悲惨な内容でした。僕は声が出ないから1オクターブ低く歌っていたのではなくて、本当に1オクターブ低い歌だと思っていて、どうも変だなーと首をかしげながら歌っていました。

また今でもそのクセは治ってないのですが、まるで悪い事をしたかのように「みなさんどーもすみません」的なテンションの下がるMCで赤面状態で歌ったのですが、1曲目が終わった時拍手をもらったのです。

これは、たぶん僕への拍手ではないことはわかっていました。まあ、社交辞令の拍手といいますか、部内ナンバーワンの3年生が演奏して1曲終われば普通後輩は演奏の良し悪しに限らず拍手をくれますよね。でもこの拍手に僕は敏感に反応し「この拍手は少なくとも僕の歌に対しての拍手ではない。うん。僕を観ていないのであれば、僕が今緊張して歌っているほど馬鹿馬鹿しいものはない。うん。どうせ観られてないのだから、思い切ってやろう。うん。」そういう気持ちが沸いてきたのです。

だからといって、気持ちがすぐに入れ変えるほどの器用さもないのですが、僕等だけバンド名を変えて最後のトリも勤めることになっていたので、そこでは自分をアピールするみたいに完全にはじけて歌っていました。するとみんなの拍手が社交辞令から何か変わったような気がして、これが僕のボーカルスタイルなのかな?とちょっと思ってみました。


そんな延長で高校の文化祭を迎えたのですが、文化祭では音楽室ではなく体育館のステージですからステージも広いしお客さんも沢山いて、観覧席までいっぱいになるます。もちろん僕の実力とは無関係なのですが、当事佐渡高校は学外でのバンド活動が禁止されていたため、場崎君のドラムは有名でも実際に場崎君のドラムを聞いた人は少なかったのです。
また、当時はバンドブームの走りでもあったので他校でもバンド活動は盛んでしたので、他校からもバンド経験者達が沢山観に来ていました。そして、他校の生徒がサクラとなって盛上げてくれるので、こっちも力が湧いて歌いやすくなりいい意味での相乗効果を産みます。そういう意味では客席のサクラは非常に大事です。

実はこの文化祭に翌年佐渡高校音楽部を夢見る中学生が偵察にきていて、「佐高の音楽部のレベルはこんなに低いのか」と思っていたそうです。ただ、後で聞いた話ですが僕のステージだけは何故盛り上がるのかが理解できなかったそうです。桜だったのにね。この生意気な中学生は後に僕と結婚する事になるのですが・・・。



ライブハウスの頃(2) はじめての練習

2007-11-17 18:56:52 | Weblog
高校3年生になってひょんな事からバンドをやる事になったのですが、僕のパートはボーカルでした。ただ、僕は歌が上手い訳でもキャラクターが面白いからでもなく、ただ楽器ができないというさえない理由でした。初心者のボーカルに場崎をはじめとする経験者で選りすぐりのメンバーがバックを勤めると言う、まるでラ・ムーの菊池桃子のような僕でしたが、僕ができることといえば、少しでも足を引っ張らないように精一杯練習することでした。
※注:当時ラムーはまだ結成されていません。

選曲は北見君が「何でも演奏してやる」というので、すべて僕が決めました。映画「バックトゥザフューチャー」の主題歌「パワーオブラブ」以外は、当時はまっていたサザンオールスターズやKUWATA BANDの曲がほとんどでした。

ところで僕が始めて買ったレコードはゴダイゴなのですが、ベースのスティーブフォックスが牧師になると脱退した後はあまり聴かなくなっていました。その後、中学校に入って友達がアイドルを聴くようになると、僕もクラスでは数少ない松本伊代のファンになって松本伊代のコンサートとにもいきましたが、音楽をよく聴く人ではなかったのです。アイドル以外では、映画が凄く好きだったので、サントラは良く買っていました。

友達が洋楽を聴いてた頃は、ビルボードの順位をチェックしたりMTV観たりと、ヒットチャートに登場する洋楽を楽しんでいたのですが、高校になって周囲に付いて行こうとニューミュージックのジャンルを発掘しようと思いました。その時僕の目に止まったのがシャケ在籍時のレベッカで、「こりゃ売れるで」と思ったら「ハーフポテトな俺たち」で主題歌に抜てきされ、一躍全国区になりました。その前からレベッカを知ってた僕としては嬉しいような悲しいようなでしたが、シャケが抜けた後の「レベッカ4」は校内だけでなく校外からもダビング依頼があって相当多くの人にダビングしました。
※注:当時は「このアルバムは○○が持ってるからと」CDを極力買わず、ダビングが流行っていました。

まあ、そういう流れでサザンやKUWATA BANDも聴いてたのですが、桑田さんの歌詞には特別な思いがありました。実は今でもそうなのですが、僕は自己表現が下手なのです。人見知りはするし、はじめてあった人とはまず話ができないのです。ですから、せめて歌の中では本当の自分を表現したい、わかってもらいたいという願望がいつの間にか出来上がっていまして、そういう思いをが桑田さんの歌詞にはあったのです。そこで、バンドの楽曲も本当の僕を表現したいという思いで選曲していました。

さて、佐渡高校音楽部には夏休み前に定期ライブというのがあり、そこが僕にとって始めてのライブになります。ところが7月になっても後輩達に練習させるばかりで、3年生は一向に練習をしません。ようやく、10日前くらいから「そろそろやろっか」と思い付いたように練習を始めるのです。
始めての練習は、ドラムの余りの大きさに吃驚して、全く自分の声が聞こえませんでした。多分、マイクやスピーカーも悪かったのだと思いますが、どんなに絶叫しても自分の声が聞こえないのです。ところが、他のメンバーは僕の事は気にもしないで、「始めてにしてはまあまあだな」と演奏には満足そうでした。



ライブハウスの頃(1) はじめてのバンド誕生

2007-11-15 02:35:06 | Weblog
別に僕は歌が上手かった訳じゃないんですよね。中学時代はバスケ部で高校時代はテニス部でしたが走るのがちょっと早い以外は運動音痴なもので。あれってたぶんリズム感だと思うのですが、こういう致命的な欠点があったのでは運動部では目が出ないし、後輩に抜かされればやはりクラブ活動も面白くなくなってきて3年生の時は帰宅部になろうと。本当は意味もなく文芸部に入る予定だったのです。ところが中野君という同級生が不憫に思ったらしく「どーせふざけるなら音楽部の部長は知り合いだから音楽部にしろよ」というので、名前だけ音楽部にしたのがそもそもの始まりでした。

もちろん僕は幽霊部員でしたから、音楽部には顔を出さなかったんだけど、1年の時に同じクラスだった本間君が音楽部で、ある日「石倉も音楽部なんだから顔を出せよ」と言われてついつい「じゃあ明日から行きます」ってことで、恥ずかしながら3年の途中で音楽部に正式に入部したって訳なんです。

当時の佐渡高校音楽部というのは合唱が主体で、合唱をちゃんとやれば、100歩譲ってバンドも認めるという部だったので、僕は「バンドなんて滅相もない。合唱だけで十分です」という気持ちだったんですね。というのも、3年途中から入って「先輩いなくなったらバンドやりに入って来た」と思われるのではと考えていましたし、当時はスーパースターの水沼やフミカなんかが他校にいて、まあそりゃカッコよかったから、僕がバンドなんて柄でもないし、到底できないと思ってたんですね。

そこで、僕は合唱は真面目にやってました。学校でも家でも毎日発声練習もちゃんとやってましたね。高校時代の部活動がみんな中途半端だったんで、音楽だけは悔いが残らないよう自分なりになんとか成し遂げたいと思っていたんだと思います。

そんなある日僕の所に北見直君と渡辺恭一君がやってきて、「石倉は何が好きなんだ。俺たちが演奏してやる」といいバンドに誘われたのですが、僕は合唱だけで精一杯だと断ったのです。ところが、結局彼等に押し切られバンドを組む事になったのです。

初心者の僕にとってバンドがどのような成り立ちでできるのか興味がありましたが、北見君が「ドラムは場崎でベースは本間君(音楽部に誘った人)で、パーカッションが安達君、後俺がキーボードで、恭一がギターよ」と、本人の意志も確認しないまま簡単に決めて、驚く事に彼等も簡単に承諾したのです。

ここで、場崎というドラムが登場しますが、彼は農校の本間(後のカステラのドラム)君と二分するくらいドラムが上手で、兄貴もチョッパーで有名な伝説の男でした。当時佐渡中に場崎の腕前は知られていたので、僕のような初心者は相手にしないと思っていましたが、何故か引き受けてくれたのです。こうしてはじめてのバンドが出来上がりました。

出演バンド募集!

2007-11-13 21:48:00 | Weblog
あーでる祭り組織委員会では、今後出演するバンドさんを募集しております。あのバンドさんと対バンしたい!楽しい空間でライブがしたぁい!などなど…出演バンドが毎回変わるコンセプトに向かって一つになるという不思議な音楽祭です。
これまでやってきたホームグラウンドから一歩抜け出して、他のお客様に見てもらえるチャンス、あなたのバンドもどうですか??
あ、もちろん島外のバンドさんも広く募集しています!

次回
平成20年6月21日(土)


◆ノルマ
※1バンド3枚+メンバー一人につき5枚のチケットノルマ

メンバー4人の場合 3枚+4人×5枚=23枚
メンバー1人の場合 3枚+1人×5枚=8枚

チケット価格 6月 1枚 1,000円 ドリンク付
      12月 1枚 2,000円 ドリンク、お食事、プレゼント付
タイムキーパー、スタッフ、自主製作により撮影代、(または録音代)込み。

お問い合わせはコメント覧に質問等も受け付けます。
パパイヤさんを知ってる方は直接交渉してみてください。


募集期限:2008年03月31日

あーでる祭り

佐渡にライブハウスがなくなったため、ライブハウスの空間を何とか再現したいという思いと、あーでるはいど結成10周年を記念して始まった佐渡最強のライブイベント。

今はないかも知れませんが、僕が昔出ていたライブハウスは次の通り
高円寺2000V 新宿JAM 新宿ACB 新宿アンチノック 四谷フォーバレー 渋谷LAMAMA、代々木チョコレートシティ 下北沢屋根裏 吉祥寺曼陀羅 吉祥寺クレッシェンド他

あーでる祭りVOL6 To the Memory of John Lennon

2007-11-08 21:04:39 | Weblog
お世話様です。

あーでる祭りVOL6 To the Memory of John Lennon

というバンドライブイベントを12月8日にアミューズメント佐渡で行います。


今回のテーマはタイトルの通りジョンレノンの命日なので、出演バンドすべてがジョンレノンの曲を1曲カバーするというものです。

出演バンドは
GOS
 僕の妻がやっているゴスペルグループ。今回はアレサの曲を中心に行おうと思います。
Show G
 ギター1本でオリジナルをやってきた長渕と尾崎が好きな庄司君。以前佐渡テレビのカラオケ大会に入賞してました。
THE BLEW MIST
 トライアスロンの川内さん率いる南部のバンド。ブライアンアダムスをはじめみんなが知っている曲を演奏します。
SALLY
 トリオバンドで英語のオリジナルを歌う超かっこいいバンド。ビジュアルも素晴らしい。
WORRY BEADS
 幼稚園からの同級生で僕と同じ山羊座のO型のFUMIKA君のバンド。彼は高校時代からスターだったからな・・・汗。
ADELHEID
 僕のバンド。今回からシーケンサーに飽きたので、フォークソングになろうと思う。年をとると大きな音には耐えられないのだ。
VO-FURA
 あーでるとともにここまで「あーでる祭り」を引っ張ってきたパンクバンド。ALL職員バンドでしたが最近・・・。もっとも今回注目すべきバンドかも。
√350
僕の妻が仕事で知り合ったPUNKが好きなDJ。今回はパンクの曲で全体のDJをやってくれるのですが、どんなことになるか楽しみです。


また、あーでる祭りといえば、ライブイベントという外に、客席の会場内が面白くセッティングすることに力を入れております。
そこで今回は「ドライアイスの滝」「イルミネーション」「フワフワ」「レーザー光線」なんかをやってみようと思います。


更に、これまでPSP、任天堂DS等の目玉商品を用意していました恒例の抽選会では、今回は「松坂牛」「伊勢海老」等高級食材を各バンド毎に用意しますので、豊富な品揃えであり抽選も楽しみです。

気になるチケットは1,000円でドリンク付きの超格安。

まさに出血大サービスです。

是非みなさんの選択肢の一つに12月8日の「あーでる祭り」を加えさせてください。

よろしくお願いします。


なお、チケット希望の方はメールでお知らせください。