ブログでの報告が遅くなってしまいましたが、3月24日(日)に開催された競馬GⅠレースの高松宮記念(中京11レース)で、生まれて初めて万馬券を取る事が出来ました。
このレースは3月末の冬から春への季節の変わり目に開催される関係で、ここ数年は雨が降ったり雨上がりの重馬場状態の中で開催されて来ました。重馬場だと、普段は敬遠されるコースの外側の方が、比較的馬場が荒れていなくて走りやすいと、一般には言われています。そして、前の馬の跳ね上げた泥や芝が後続の馬の顔に当たるので、それが苦手な馬は先頭に逃げて走るか、最後の直線で最後方から追い上げるか、どちらかを選ばなければなりません。そんなこんなで、晴れの良馬場の時とはレースの展開がガラッと変わります。
それに馬のレベルも、一応はグレード最高峰のGⅠレースなので、有力馬が参戦して来ますが、最近はより賞金額の多い海外のGⅠレースに出る馬が多くなり、以前ほど強い馬が出て来なくなりました。それでもGⅠなので、ある程度は強い馬が出て来ますが。超有力馬がいなくて、どの馬のレベルも同じぐらいなので、本命の馬を選ぶのに苦労します。
しかも、レースが開催される中京競馬場も、全国に3つしかない左回りのコースで、第4コーナーに全国一傾斜が急な高さ約3メートルの坂があり、坂を超えた後もゴールまで約200メートルの直線を馬は走り抜けなければなりません。全国一タフさが要求されるコースなのです。
その為に、GⅠレースでありながら、今まで1番人気の馬が1勝しかしていない、荒れるレースとして知られてきました。そんなレースなので、私も上位人気の国内重賞馬ではなく、5番人気の香港GⅠ馬・ビクターザウィナーを本命候補に選びました。同馬は保持タイムこそ国内重賞馬より遅いものの、中京と同様にタフなコースである香港の競馬場で、前走のGⅠレースでも他のGⅠ馬を下して勝利をものにしています。しかも、香港は硬い洋芝のコースなので、同じようにパワーの要る中京の重馬場でも十分通用するはずです。
それに加え、同馬は逃げ馬なので、一番最初に進むことが出来、顔に泥をかぶせられずに済みます。馬場も一番最初に進むので、一番荒れていないコースを走る事が出来ます。
そう考えて、私はビクターザウィナーの単勝・複勝馬券をまず千円ずつ厚めに買い、同馬から他の有力馬に三連複フォーメーションで100円ずつ広く薄く流しました。海外のレース結果は着順と勝ち馬の走破タイムと馬体重ぐらいしか公表されないので、国内の競走馬のように、詳しく成績を分析する事が出来ません。データを集めるのに苦労しましたが、その限られたデータを基に、私は人気薄の同馬が勝つ、負けても最低でも3着以内には来ると予想し、単勝・複勝と三連複で勝負する事にしました。
結果は、他の有力馬のうち、私が相手候補として買ったマッドクールとナムラクレアが1・2着に来て、本命のヴィクターザウィナーは3着に逃げ粘りました。単勝馬券は惜しくも逃しましたが、複勝と三連複の馬券を当てる事が出来ました。しかも三連複の配当は1万20円の万馬券です。今まで7千円ぐらいの配当で儲けた事はあっても、1万円以上の配当の付く万馬券は当てた事がありませんでした。広く薄く馬券を買ってしまったので、万馬券の割りには儲けは9千円台と、比較的少額でしたが。
それにしても競馬予想は難しいです。例えば、私は先に「一番最初に進む(馬は)一番荒れていないコースを走る事が出来る」と書きましたが、実際はそれを見極める事一つとっても至難の業なのです。競馬場のコースはそのほとんどは左回りか右回りです。コーナーを回る時は距離のロスが少ない内側が有利なので、どの馬も内側を通ろうとします。ところが、重馬場になると、使用頻度の高い内側ほど馬場が荒れて来るので、逆に外側が有利になります。
その為に、ビクターザウィナーの騎手もコーナーは外側のコースを選択しました。ところが実際は、重馬場だったにもかかわらず、内側はそんなに荒れていなかったのです。そこで、1・2着馬とも内側を進み、ゴール前では2頭の差し比べとなりました。ビクターザウィナーはその2頭から離されてどうにか3着に逃げ粘り。この辺の「馬場読み」は、もう経験豊富な騎手でしか分かりません。
ひょっとしたら、当日の1レースから高松宮記念の11レースまで、全レースをずっと観戦していたら、素人でもある程度の「馬場読み」は出来るかも知れません。でも、いくら休日の日曜日とはいえ、そこまで競馬に時間を費やせる人はそういません。それに、そこまでしても「読み」が当たるとは限りません。仮に読みが当たったとしても、本命の軸馬まで全部入れ替えて、また一から予想を組み立てていたのでは、馬券を買いそびれてしまいます。緻密な予想をした上で、そういうスリリングな感覚も味わえるのが競馬なのです。
今日の公休日に、万馬券的中のお礼と、今週開催GⅠレース・大阪杯の願掛けの為に、「競馬神社」として有名な京都の藤森神社に再び行って、絵馬を買って来ました。最初はその場で願い事を書いて絵馬掛けに吊るして帰ろうと思っていましたが、「別に絵馬を持って帰って自宅で願い事を書いて室内に飾っておいても願い事はかなう」と聞いたので、今回はそうする事にしました。その絵馬の写真もブログに載せたかったので、今日まで記事を書かずにいたのです。欲張って願い事を多く書き過ぎたかも知れませんが、そこは大目に見て下さいw。
先日、X(旧ツイッター)で、「山猫ぽてと」さんという方から、「れいわ新選組」のフレンズ(サポーター)加入のお誘いを受け、丁重にお断りしました。お断りした理由もXで書きましたが、投稿字数に制限のあるXでは十分な説明が出来ないので、自分のブログで改めてお答えします。
お断りした理由は、一言で言えば「井の中の蛙(かわず)にはなりたくない」からです。私は大学生の時に共産党に入党してから40歳ぐらいまでずっと党員として活動して来ました。大学卒業後も20年近く共産党系の生協で働いてきました。生協の労働条件が厳しい事は入る前から薄々知っていましたが、それでも「組合員の生活を守る消費者運動の立場から、今の世の中をより民主的な社会に変えていく」点に魅力を感じて、生協に就職しました。
生協の中では主に商品管理や物流センターの業務に携わって来ました。そこで15年ほど仕事に携わって来ましたが、最後の5年ほどの間に職場環境はガラッと変わりました。それまでは物流センターの職員もパート・アルバイトも全て生協の直雇用でしたが、徐々に外部の派遣社員に置き換えられて行きました。残った職員は派遣社員向けのマニュアル作成や指導業務に追われるようになりました。(参考記事)
私の場合はそれに加え、問題ある同僚や部下の管理まで押し付けられました。今から思えば、どちらもアスペルガー症候群(適応障害の一種)の気のあった職員や部下だったように思います。しかし、当時はアスペルガー症候群に関する知識もなかったので、私はどうして良いか分かりませんでした。次第に仕事が回らなくなり、上司との間で板挟みにあい、軽い「うつ状態」に追い込まれていきました。
その頃の労働条件は悲惨の一語に尽きます。朝7時に物流センターに出勤し、冷凍庫・冷蔵庫の中で少ないバイトと商品の仕分けに追われ。しかもバイトの1人はアスペルガーで、そいつのせいで他のバイトはなかなか定着せず。商品の仕分け間違いも頻発。夜もウィンドウズ98のしょうちゅう固まる当時の欠陥パソコン相手に、その頃は私もパソコン音痴で、マニュアル作成は一向に捗らず。
おまけに当時の上司も今から思えばアスペルガー。上司と2人でマニュアル作成に追われる中で、遂に上司がブチ切れ、夜中の2時にそのアスペルガーの上司に机を叩かれ、仕事の遅れをなじられた。そんな時間まで仕事に追われていても、残業代は一切支払われず。職員は専従活動家という扱いだったので、残業代はパートやアルバイトにだけ支払われていて、職員にはほとんど支払われず。
今の私だったら、こんな扱いされたら絶対に黙っていません。尻尾を巻いて辞めるのではなく、徹底的に闘う道を選びます。毎日、退勤時刻を記入し、守衛の警備日報(最終退出者の氏名や退勤時刻が記載される)も秘密裏にコピーさせてもらい、それを証拠に労働基準監督署に告発します。御用組合の生協労組なぞには一切頼らず、自前で弁護士立てて闘います。
でも、当時は生協の中の世界しか知らない「井の中の蛙」だったので、そんな知恵は全然働かなかった。「自民党政府に生協運動弾圧の口実を与えてはならない」という意識にとらわれていたので、告発なぞ思いもよらなかった。「労働者の味方」であるはずの「労働組合や共産党が、最後には助けに来てくれる」と、他力本願でひたすら相手の善意だけを期待していた。そんな状態だったので、最後にはもう自主退職で「緊急避難」するほかなかった。
ここで問題にすべきなのは生協であり、共産党ではない。そんな事は分かっています。生協はあくまで大衆団体であって、政党である共産党とは違います。でも、私が在籍していた生協は、創立者が共産党員だった事もあり、生協の中でも特に共産党色が濃厚でした。私の目から見たら同じ体質の団体に他なりません。
その共産党系生協も、最初は温かみもあり、仕事にやりがいも感じられました。上司も、ダメな部下を切り捨てるのではなく、長所を引き延ばそうとする度量のある人が多かったように思います。専務と言えども、半ば友達のような存在でした。その当時は「民主集中制」がそれなりに機能していたように思います。
でも、やがて生協も大きくなり、経営の実権も、生え抜きの創立者からヘッドハンティングされた外部人材に移っていきます。職員も、学生運動上りの活動家だけでなく、一般の大学生・高校生や中途採用者からも募集するようになります。生協全体が、次第に「資本主義」の色に染まっていくようになります。でも「民主集中制」だけは、職員支配には好都合なので、そのまま維持され続けます。
すると、どうなるか?自浄作用が働かなくなり、資本主義のブラック企業が、形だけ「消費者運動」や「労働者の味方」を名乗り続けるようになるのです。かつてのソ連・東欧や、今の中国や日本の共産党の中で起こっている事こそが、まさにそうではありませんか?
昔は共産党は権力から弾圧されていた為に、権力のスパイが党内に潜入してかく乱するのを防ぐ為に、分派禁止の「民主集中制」が組織原則として採用されました。「めいめいが個人主義で好き勝手にやっていたのでは、革命なぞ絶対に達成できない。党内では民主的に議論するが、一旦決まった方針については全員がそれに従う。その結果、都合が悪ければ、またその時に議論して、新たな方針を採用すれば良い」。共産党の言い分によれば、これこそが「民主」と「集中」の長所を兼ね備えた「民主集中制」と呼ばれる組織原則だそうです。
でも、この原則には落とし穴があります。いくら仮に党内で民主的に議論出来たとしても、党内の事しか知らない、党の体質に染まった人たちだけで議論している限り、「井の中の蛙」で終わってしまいます。過去の私がその良い例です。
生協の中の世界しか知らなかった為に、残業代未払いが労基法違反の明白な「犯罪行為」である事を見抜けなかった。夜中の2時にアスペルガーの上司に机をたたかれ脅されても、それが不当なパワハラ・人権侵害であり、「仕事の速い・遅い」は何ら正当化の口実にはならない事にも気が付かなかった。自分の身を守る事だけで精一杯で、「後輩にも同じ嫌な思いを味わせてはならない」点にも思い至らなかった。
元共産党幹部の松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)さんという方が、昨年、党外の出版物で「党首公選制」と「安保条約廃棄の見直し」を主張し、党を除名されました。それに対し、共産党は「党内では民主主義が保障されているのに、党内では何も言わずに、いきなり党外の出版物で党の方針を批判し始めた。これは民主集中制に反するので除名した」と反論しています。
私もこの松竹さんの本「シン・日本共産党宣言」(文春新書)を買って読みました。確かに、この本に書いてある内容については、少なからず異論はあります。例えば「安保廃棄の公約が野党共闘の障害になっている」と主張している点などです。じゃあ、日米安保条約容認に転ずるべきなのか?今でも米軍基地の治外法権や米兵犯罪に苦しみ続ける沖縄を無視するのか?それで本当に「弱者の味方」と言えるのか?
でも、それ以外の論点については、私も松竹さんの言うとおりだと思います。この本を読めばわかりますが、松竹さんも党の歴史や綱領の先見性は認めた上で、「民主集中制の見直し」と「党首公選制」を主張しているに過ぎません。これが何故「党を攻撃」した事になるのか?私にはさっぱり分かりません。
そんな事言い出せば、前述の生協における不払い残業告発の事例も、生協経営者の側からすれば「生協内部の問題を勝手に外部に持ち出した」として解雇の対象になるでしょう。冗談じゃありません。罰せられるべきは法律違反の人権侵害を行った生協の方です。自浄作用が働かなくなった組織については、問題を外に持ち出して、世論にその是非を訴えるしかないじゃないですか。
第一、これだけネットが発達し、ラインでいくらでも個人同士で自由に意見交換出来る時代に、党中央との縦の意見交換しか認めず、党員間の横の意見交換は全て分派とみなして認めないのは、もう時代錯誤という他ありません。そんな事言っていたら、最後には、もう誰からも相手にされなくなってしまいます。
じゃあ、何故「れいわ新選組」のサポーター加入も断ったのか?それは「れいわ新選組」も、党内民主主義の実現という点では、はなはだ疑問に思う点が少なからずあるからです。
一例がそのサポーター制度です。サポーター制度は「れいわ新選組」以外の政党にもあります(ないのは共産党と公明党だけ)。「党友」「協力党員」など、サポーターの名称は様々ですが、どこも党首選挙に参加できません。参加できるのはヒラ党員からで、実際は一人でヒラ党員の何倍もの票を持つ国会議員票の数で党首が決まる。これではサポーターなんてただの将棋の駒に過ぎません。これの一体どこが民主的なのか?これでは共産党とさほど変わらないのでは?
その最たるものが自民党です。自民党の裏金問題も、党内に自浄作用が働けば一切起こらなかったはずです。自浄作用が働かなかったからこそ、政党助成金(国民の税金の一部)を裏金にして私腹を肥やすような事が何十年もおとがめなしでまかり通って来たのです。そんな党が、果たして共産党の事を「非民主的」と批判出来るでしょうか?
だから、私はもうどの党にも所属せず、自由な立場で、政治に関して意見を言いたいのです。
まだ2月だと言うのに、昨日あたりから急に春めいて来ました。その陽気に誘われ、また高津宮の梅を見に行って来ました。高津宮(高津神社)は大阪市内の谷町9丁目にあります。地下鉄谷町9丁目駅を下りて谷町筋を北上、一つ目の角を西に折れたら高津宮の大鳥居の前に出ます。大鳥居をくぐると、柱に何か漢字で刻まれた碑が目の前に現れます。
門柱に刻まれた漢字は「仁風敷宇宙 徳化洽乾坤」。「思いやりのある風が宇宙に満ち溢れるとき、人を思う慈しみは行動となって天と地に広がる」という意味だそうです(参考記事)。その反対が「自分さえよければの風が宇宙に満ち溢れるとき、自民党の裏金政治が天と地に広がる」今の日本です。
この碑を通り過ぎると、梅にちなんだ史跡が現れます。それが梅之橋と献梅碑です。元々ここは梅の名所で、梅川と言う川のたもとに梅が咲き誇っていたそうです。そこにかかっていたのが梅之橋だそうです。多分、下流で道頓堀川に注いでいたのでしょう。今はもう梅川も梅之橋もありませんが、その遺構だけがこのような形で残っています。その近くには梅ノ井や献梅碑も残されています。
今はもう梅之橋も梅ノ井もありませんが、梅は今でも高津宮の周辺に咲き誇っています。高津宮の拝殿に向かう参道の横に小さな公園があります。その公園の中に入り、高津宮の横の小道を北に向かうと、小さな広場に行き当たります。その小道と広場に梅が咲き誇っていました。梅の見頃はもう少し先のようで、今はまだ5分咲きぐらいでした。
高津宮には、南の鳥居からだけでなく、北のこの小さな広場からも階段で上がる事が出来ます。広場から上がったら拝殿の横に出ます。そこには拝殿の他に絵馬殿もあります。昔は絵馬殿の高台から大阪の街や港だけでなく、対岸の六甲山も見渡す事が出来たそうです。江戸時代には、旅人はここで遠眼鏡を買って港や六甲山の眺望を楽しんだそうです。今はもう賃貸マンションや雑居ビルが乱立し、眺望を楽しむ事は出来ませんが。
さらに時代をさかのぼると、飛鳥時代に仁徳天皇が、ここに立って、民家のかまどから煙が立ち上るまで税金を免除したという逸話が残され、大阪市歌の歌詞にも取り入れられています。ところが、今は不景気でも消費税が値上げされ、さらにインボイス導入で小規模事業者が追い詰められています。民主主義の今の世の中より、専制政治の昔の方がまともな政治が行われていたとは、もう皮肉と言う他ありません。
私がここに来たのは梅を見る為だけではありません。高津宮の中に、「富亭カフェ」という喫茶店があり、そこのロールケーキが美味しいのです。「氏子ロール」と言って、この喫茶店の名物です。コーヒーとセットで800円。初めて食べた時に、女の店員さんが熱いほうじ茶を注いでくれて、それが美味しかったので、梅見にかこつけて、たびたび来るようになりました。「花より団子」ならぬ「梅よりロールケーキ」です。
今日はおまけにバレンタインデーにちなんでチョコレートも一つ付けてくれました。ただ、私が行った時は、まだお店がオープンして間もなく、ケーキも冷凍庫から出したばかりのようでした。しかし、これもこれで、アイスケーキみたいで美味しかったです。
高津宮の祭神は仁徳天皇です。仁徳天皇の名前も最初の「仁風敷宇宙 徳化洽乾坤」から取ったようです。そう言えば、最初にこの喫茶店に来た時も、店員さんがしきりに「天皇陛下」や「皇后陛下」の事を話しておられました。でも、同じ神社でも、近くの大阪護国神社とは雰囲気が全然違います。
大阪護国神社は、靖国神社の末社として、戦時中に戦意高揚の為に作られました。祀られているのも、明治維新や日清・日露戦争、太平洋戦争で亡くなった軍人だけです。維新の志士でも、後に西南戦争で政府に楯突いた西郷隆盛などは、「賊軍」なので祀られていません。ましてや、空襲の犠牲になった民間人や、侵略戦争で殺された中国や東南アジアの人たちは、完全に蚊帳の外です。
だからでしょうか、私はこの神社には、全然親しみを感じません。雰囲気が余りにも「上から目線」だから。近くの住之江公園に桜の花見に行った時も、この神社だけは絶対に行く気になれませんでした。でも、高津宮には、そんな「よそよそしさ」はみじんも感じないのです。
逆に、上方落語の演目にもなった「高津の富くじ」や「高倉狐」。前者は、宿代を踏み倒そうと、いかにも自分は大金持ちであるかのように言いふらした為に、宿の主人から逆に高津宮の富くじを買わされる羽目になった旅人が、富くじで大金を的中させ腰を抜かす話です。「富亭カフェ」の名前も、この逸話から来ています。後者も、人間を化かそうとした狐が、逆に人間に化かされる話です。この狐を祀った高倉稲荷神社も、高津宮の境内にあります。いくつか連なる赤い鳥居が目印です。
高津宮の歴史を調べると、そんな話がいっぱい出て来ます。特に、私なぞは競馬ファンなので、「高津の富くじ」に登場する旅人の気持ちが、手に取るように分かります。ところが、大阪護国神社には、そんな話は一切ありません。戦争美化の「英霊物語」だけで庶民の暮らしは一切登場しない。
それは多分、高津宮の成り立ちが大阪護国神社とは全然違うからでしょう。同じ天皇崇拝の神社でありながら、方や「民の暮らし」の事を心配していた仁徳天皇。これを聞いて、かつての民主党政権のスローガン「国民の生活が第一」を思い出しました。それとは対照的に、「兵の命は鴻毛よりも軽し」「一銭五厘の召集令状でいくらでも補充できる兵隊よりも軍馬の方が貴重だ」と、特攻作戦で兵士を捨て駒のように扱った戦時中の日本軍。その生き残りや二世が、今の自民党の裏金議員や、「福祉予算を食いつぶす大阪市なぞ廃止してしまえ」と主張した維新の成り金議員、社員を社畜扱いするブラック企業の経営者たちではありませんか。
勿論、仁徳天皇も、今の基準からすれば、一専制君主でしかありません。「民のかまど」の逸話も、どこまで本当か定かではありません。でも、そんな専制君主ですら、今の政治家よりもはるかにまともだったと言うのでは、もうお話になりません。今はもう仁徳天皇や大岡越前、遠山金四郎の時代ではないのですから。誰か偉い人のお慈悲にひたすらおすがりするだけではダメです。政治がまともでなければ、まともな政治に変えるのは、我々国民一人一人の権利であり義務なのです。せめて選挙の投票ぐらいは棄権せずに行くようにしなければ。
話があらぬ方向に脱線してしまいました。高津宮のロールケーキはお勧めです。
先日の記事の続編です。いつも買う刻み揚げが店頭から姿を消した。その刻み揚げは、常温で保存できる乾物の刻み揚げで、既に味が付いており、カットされた形でチャックシールの袋に入っているので、そのまま味噌汁の中に入れる事が出来て、重宝していたのに。商品の表示を見たら、製造元は能登半島地震の被災地企業だった。しかも、商品の誕生秘話を調べると、常にクライアントの言いなりで、自分達だけでは何もできなかった会社が、クライアントから契約を打ち切られたのを機に、新商品の開発に乗り出し、今のヒット商品が誕生したと。私の勤務先の体質にも相通じる問題を抱えていた事を知り、俄然応援する気に。1月末から操業再開の知らせを基に、地元スーパーのライフとイズミヤでも、再び取り扱ってもらうよう、お客様アンケートに書いて出した…ここまでが先日の記事の内容でした。
それから、そのいつも買う相模屋の「おだしがしみたきざみあげ」が、再び店頭に並び始めるまでの経過を時系列にまとめました。
1月29日(月)ライフにアンケート投函。
1月31日(水)イズミヤにもアンケート投函。
2月1日(木)イズミヤから「対応中」の返事がアンケートコーナーに掲示される。
2月7日(水)ライフで代替品購入して使ったが、美味しくなかった。
2月8日(木)ライフで「もうしばらくお待ちを」の返事が店内掲示されるも、既に商品は陳列されていたので早速購入。
2月9日(金)イズミヤの別の店では既に陳列が開始され、何と品切れに。
2月10日(土)イズミヤのアンケート投函店に行ってみたが、まだ陳列されていなかった。
まずイズミヤに出したアンケートの内容と、それに対するイズミヤからの返事について。返事はイズミヤの方がはるかに速かったですが、その内容は「代替品で対応しているが当初の品も少しづつ入荷し始めている」というもので、実際にはまだ今日時点でも代替品しか並んでいませんでした。
それに対し、ライフの方は、返事こそ遅かったものの、途中で「もうしばらくお待ちを」の経過報告があり、陳列後は「お揚げコーナーの最上段にて品揃え再開」と、親切に陳列場所の案内までしてくれる丁寧さに、非常に好感が持てました。
イズミヤに出したアンケートと、それに対するイズミヤからの返事。今日時点でのイズミヤの陳列状況(まだ店頭に並んでいない)。
ライフに出したアンケートと、それに対するライフからの返事。2日前のライフの陳列状況(既に店頭に並んでいる)。
ただ、ライフの方も、震災前の陳列をそのまま復活させただけだった点については、非常に勿体ないなと思いました。もし私がライフの店長なら、製造元が石川県中能登町の石川サニーフーズという被災地企業である事を、もっとアピールします。その上で、場合によっては、被災地支援の意味も込めて、敢えて期間限定で5〜10円程度値上げして売ります。その値上げ分は勿論、全額を被災地に送ります。
黙って値上げして、自分達の懐に入れてしまうだけでは、単なる便乗値上げ、ボッタクリにしかなりませんが、値上げ分全額を被災地に送るなら、立派な被災地支援となります。勿論、昨今の物価高騰で私達の生活も苦しい中で、この値上げについては賛否両論あるかと思いますが。被災地支援の一つの方法としては、私は有りだと思います。
それに引き換え、イズミヤの対応の遅い事と言ったら。しかもイズミヤの場合、別の店ではもう陳列を再開している所もあるのです。敢えて店名は出しませんが、私がアンケートを出した店よりずっと小規模の店でした。そこでは既に品切れ状態となっていました。代替品はまだ大量に売れ残っているのに。代替品は私も買いましたが、味付け無しのただの刻み揚げなので、パサパサで全く美味しくありませんでした。
店は違えど同じイズミヤの店なのに。方や品切れ状態なのに、別の店ではいまだに代替品しか陳列していないとは。もし、私がこの店の店長だったら、「せっかくの商機をみすみす見逃して、一体どういうつもりか!」と、売り場の担当者をどやしつけています。私はライフの内実も知っているので、この事だけでライフを手放しで礼賛するつもりはないですが。こと、この件に関しては、私はライフの方に軍配を上げます。そういう点も含めて、私自身も非常に勉強になりました。
尚、私がライフとイズミヤに取り扱い再開の要望アンケートを出した事は、相模屋さんにもメールでお知らせしていました。それに対して、相模屋さんからもお礼の返事をいただいています。春になり、現地の復興が進めば、能登半島にも一度旅行に行ってみようかな、その中で、もしかなうなら、石川サニーフーズにも一度会社見学に寄せていただこうかなと思っています。
最近左足親指の付け根辺りが痛くて歩きづらい時があります。酷い場合は足を引き摺りながら歩かなければならない時も。そこで先週、行きつけの鍼灸師さんに相談したら、安全靴履いて冷蔵庫内で荷物の運搬作業に就いている為に足の血の巡りが悪くなっていると。前脛骨筋を伸ばすストレッチをしてもらいました。すごく痛かったけど効きました。