月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

居場所を重ねてわたしを作る

2023-04-26 20:58:00 | 随筆(エッセイ)
   





 コロナ禍が始まる2020年の秋から、文章教室に通っている。1年目は東京の道玄坂にある100人余りの教室で、自分の書いた作品を出版社の元編集長が、3時間で約10本の作品を講評していくというスタイルだった。ここは、ミステリーなどエンタメを柱とした学校であり、文章の書き方を習うというよりは、企みがある、謎がある、仕掛けが面白いもの。あるいは視点が新しかったり、社会を風刺する、そういった作品が評価されていた。生徒が書いたものを、もっと面白くするためのアイデアを指南するというスタイルだった。同じモノごとであっても、一滴のスパイスで作品の味は変わる。構成の入れ替え、冒頭の始め方……など。優れた編集者の物語を読む力に感嘆し、唸っていた。ただ、どうしても毎回授業に必要なエンタメ作品10本を読むことができなくて、結局、途中で断念した。

 クラシックミステリー(アガサクリスティーや江戸川乱歩など)は少しは読んだことがあったが、現代ミステリーには興味がそそられなかったのだ。完全に喰わず嫌いです。

 一昨年の秋からは、場を移して大阪で学んでいる。こちらは、約10人ばかりの少人数にクラス編成され、指南者は編集者ではなく物書きである。それも、同人雑誌を主宰する先生がほとんどだった。生徒は、20から80代までが、長テーブルをコの字型にして集い、「合評」形式で、1日に2作をとりあげる。感想や評を発表し合い、もっとこうすればいいのでは?ここが良かったです、のようなことを話し合うものだ。

 (この学び舎とは関係ないが)とある有名な編集人の根本昌夫氏という人は、小説の読み方には4種類あると定義する。ひとつは、自分がどう思ったのかという「自分主体の読み方」。もうひとつは、おそらく著者はきっとこういうことが書きたかったに違いない。ここをこう変えたら作品がさらによくなる、といった「著者の読み方」。売れるのか売れないのか、を考える「マーケットの読み方」。最後が、賞をとるか否か、選者の読み方を模索する「賞を通過する読み方」だ。

 この教室では、2番目の「著者の読み方」に立って合評することを推奨された。指揮する人は、60代後半の女性だったが、自身が40年近く創作してきた課程を惜しみなく人に与える人で、何より書くことに情熱をもっていた人で、毎回授業では鋭気をもらった。

 先の東京の学校は、あらかじめ選抜試験があり、通過した人しか入学できなかったが。大阪の学校では、誰でも文学の扉を叩くことができた。門戸が広いということは、多彩な経歴や人生を背景にした人がやってくる。私が1年半在籍したクラスの師は、評の的確は当然のこと誰の作品も熱心に読んでくれたし、書きたい気持ちはありながらうまく書けない人や精神的にキツイ人生を送ってきた人らに、特に温かい眼差しでもって接し、必死で文学とはなにかをつかみ取って欲しいと身を挺し、教えようとする人だった。といいっても論説が颯爽としているわけでも、口がうまいわけでもない。

 それは彼女の書くものと実にオーバーラップしていた。彼女の書く作品は名もなき弱き人を書く。あるいは弱い人を体を張って庇っていたシーンが多々ある。70人という年齢を感じさせない、書くものはみずみずしく魅力的だ。

 さて、そのクラスである。企業の社長、元新聞記者、中高の国語教師、外国人向けの通訳案内士、主婦、大学生まで。電車で隣同士に乗り合わせていても、決して口を聞くことのない人達と家族以上の関係を作るという点が愉しかった。必死で仕上げた創作物の欠片は、その人の内面に手で触れたくらい、その人自身が色濃く現れていた。家族よりも、家族っぽい関係性だった。私も、いつのまにか自分なりの意見や考察を発表するうちに、度胸も生まれた。ええ恰好しいは、最もダサい。文章術が磨かれたかどうかはともあれ、ここは地位も名誉も年齢も関係ない。皆が感嘆の声をあげるのは、ただ一つ、小説が面白いか面白くないか。ユニークな小説を提出した人が、今日の、(今日だけの)ヒーローなのだ!

ありのままの自分を受け容れ、(たぶん受け容れられて)、サークルのなかに私の居場所が生まれた。なにを言ってもいい、誰もが自由に発言できる環境。同じ目的で集う楽しさのなかに、私は完璧に活かされていた。妙に懐かしいのだ。幼い頃、学校は苦手な場所だったが、少人数制で指揮官の心根が優しいと、クラスは温かい場だ。

 哀しいかな。いまは学校の規程により、ひとつ上のクラスに進級してしまい、また一から始めなければならない。師もメンバーも異なり、正直不安なことだらけ……。それでも。

 居場所づくり、は大切である。私の友人が言った。「家族というフレーム以外に、一体どれだけの居場所があるのか。大人になったらその場が多彩な人ほど人間の心の襞も深みがあるのかな。
 
人の輪のなかに、趣味のサークルに、好きな場所に、あるいは夢をみる人の集いのなかに。突然ふって湧いた場もあるだろう。そこで、自分らしく居られるという場所をもてる人は、豊かさを知れる。知らない自分を発見できる、そう思っている。好きなことをはじめる。もし、そこで失敗したとしても、得た経験は一生の財産になるのは間違いない。自分の居場所を自分で開拓する。そういう意識が、この頃は大事なのかもしれない。


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53. 居場所を重ねて、私をつくる|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #この経験に学べ




ことばの力で運命は変わる

2023-04-25 19:51:00 | 随筆(エッセイ)





 文は体を表す、と言われる。文章には書き手の性格や考え方、教養まで滲み出る。人間の有り様が分かるという意味だそうだ。手紙にしろ、電子メールにしろ、文字を書く時はこれらを思い出し、言葉の音(おと)を大事に綴る。届ける人の顔を思い浮かべながら、足したり引いたり、今の心に一番ぴったり合う言葉をみつけるように心がけている。

 では、話し言葉はどうだろうか。人は何げない言葉に救われたり、傷つけられたり、導かれたりしている。美しい言葉で丁寧に話す人は往々にして誰からも信頼を得ているようである。反対に陰口を叩いたり、噂話や人を揶揄をしたり。誰それを罵倒したりが多い人は、言葉を吐く時も苦しげであるし、歯をくいしばって闘わねばならない人生が多いのではないのか。〝口は災いの元〟というが、自身を含めて災いにならないよう気をつけねばならない。悪態が勝る人で、幸せな人を見たことがないから(歯に衣きせず自分の考えを発言する人は別です)。

 これは私の憶測だが、前者の人は口からこぼれた言葉を、声帯を通して自身の耳で聴き、心で捉え、肌感覚で感じ、当の本人がいちばんダイレクトに言葉を受け取ってしまう、だから、自身をも傷付けているのではないかしら、と思ってみたりする。言葉は返ってくるという恐ろしさがあるのだ。

 ああ言霊信仰である。言霊とは、言い放った言葉が魂をもち現実に起きることだが、1300年前に編まれた古事記や万葉集にも記述がある。神社で、お祓いや祈祷をする時に神主さんが奏上する祝詞は、神への崇拝が込められた最上級の祈りの言葉。悲観論はそのとおりに不運をもたらし、「よかったわ」「ありがとう」「あなたのおかげかも」「必ずやり切ります」と自分を肯定し、ポジティブな言葉や願いを口にすることは、どうにも幸運を引き寄せる、らしい。

 口下手な私は、なかなか思うように喋ることは難しいが、周囲に対する誠実な思いを飾ることなく伝えられたら、言葉の力に照らされて、心も豊かになれるかも……!いい本や美しいものに触れ、内面を耕すことで言葉の力は変わる!そう思って今日も心清く、あなたへ思いを乗せて、メッセージ(言葉)を届けよう。

トップの写真は、熱海の来宮神社の樹齢2100年のクスノキです。このエッセイは、季刊誌にて掲載されたものを一部加筆修正。




52. 言葉の力で運命が変わる|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #この経験に学べ




太陽とデッキチェア

2023-04-25 19:47:00 | 随筆(エッセイ)







 冬の至福といえば、ぽかぽかと照る陽ざしの時間だ。どの季節よりも光のオーラを集め、まっすぐな力で完全な日だまりをつくる。凍るような北風を忘れるほどに、陽差しはものすごい力で人々をぬくめ、行き交うものや車のフロントガラスや、裸の木々、緑やそこかしこに濯がれて、万物に安らぎと安心を与えている。ほんの一時のマジックのように。

 今年、デッキチェアを購入した。南向きのベランダに配置し、水やりした植物から漂う緑の精気を感じながら、山の稜線や流れる雲、木々の先に止まった鳥のつがいなどを眺めている。

 たいていは、朝、淹れ立ての紅茶と本を持って、そこへ座る。時には、進まない仕事の原稿を持って、赤のボールペンで直しを入れたり、資料を読んだりということもある。デッキチェアは、外と内の境界線にある異世界。本であれ、回想であれ、もうひとつの世界へ旅するのにちょうどいい場所だ。

 わたしにとって旅のホテル選びの条件は、地の食材をつかった料理がおいしいことを一番にあげるが、その次はテラスからの眺めを優先させたい。なぜならホテルのテラスで、外の音を聴くひとときが、その旅を振り返った時、印象に残ることが多いから。
 昨年の初夏は八重山諸島を旅した。空がまだ碧い時刻。小浜島のテラスからは、刈られたばかりの芝から、虫の羽音と青臭い匂いが、水のような新鮮な空気の中に充満していた。朝露で濡れているテラス用のゴムサンダルが足裏の熱を鎮める。ギャー! キュルルルルルぅ、ルル、亜熱帯特有の嘴がオレンジにとがった野鳥が叫ぶ。寄せては返す波の静寂が、昨晩から鼓膜に張りついたままだった。
 前日は、小浜島から、石垣島を経由してフェリーで2時間半くらいの西表島にいた。神秘のサンクチュアリ、一本一本の木々から樹海の精気を噴き上げているような圧倒的な湿気と巨大なシダ類やヒカゲヘゴが、樹齢数百年の杉に絡みつく岩山をトレッキングした。マングローブの森をカヌーで滑る。水面に指を浸けてなめると、塩っぱかった。


 わたしは、冬のデッキチェアにいながら、あの旅のひとときとつながっている。そういった異国がここにはあると思う。冬の太陽がみせる奇跡だ。



博物館、巡礼。徳島へ

2022-10-12 23:39:00 | コロナ禍日記 2022







 

 

 

ある日の小さな旅。徳島へ博物館巡礼

 

このところ、家人が自分の関わった仕事の博物館の建築巡礼をしませんか、と誘う。ああ、この家にわたしひとりになったら、あなたがつくった建築の展示でもみてまわるようになるのかしら、と言ったのが気になったのだろうか。(うちの家人は、全国の博物館やテーマパーク、美術館の展示設計デザインやプランニングなどをする仕事をしている)。

 

9時半から11時までは田辺聖子さん原作のNHKBS放送の「芋蛸なんきん」をみている。終わってすぐに出発した。

神戸の北を抜けて、明石海峡大橋から淡路島へ、さらに鳴門大橋を渡ると、徳島だった。

 

ランチには、眉山のふもと、「文化の森」の近くにある「手打ちそば 遊山(ゆさん)」に連れていってもらった。









 

十割せいろは、広島産の比和産のそばの実を目立てのよい石臼で挽いて、手打ちした香のよい蕎麦。表面が鶯色にひかって、まさに初夏の蕎麦の味。

「こんな綺麗な蕎麦の色、初めてみました」と感想をのべたら、店主がそばの実をくださった。ビールのつまみに合いますよ、と。蕎麦の原石をもらった。みるからに、やわらかく、浅い緑が美しい。ナッツみたいな香ばしさである。

 

「徳島県立博物館」へ。

藍の絨毯に沿って、全てのゾーンをみる。先史、古代の徳島、中世の徳島、近世の徳島、自然と暮らし、まつり、歴史、生物の多様性まで。徳島恐竜コレクションでは、AR(拡張現実)を駆使し、タブレットを恐竜の骨(歯)に合わせると、目の前で恐竜が暴れ出す。夫の説明によると、なんでも徳島には、1億3000万年前から1億年前の白亜紀前期の地層があり、動植物の化石や恐竜の化石が発見されているという。アンモナイトの展示が特に美しかった。時間が作り出す自然の造形、化石というのは、落ちついて静かに視ればなんて神秘的なのだろう。もっとゆっくり、こういうものばかりをみていたかった。VRから、古墳の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)に入ってみると、実際の古墳の石室現場にいるような最新の設備もあった。最後の自然コーナーでは、恐竜の復元よりもわたしには蝶の標本が美しい。十分に満足した。

  


















 

博物館を出てから、Twitterで知り合った、なかむらあゆみさんという方が、同人誌「巣」をつくられたというので、現地の本屋を探して購入した。

 

Twitterという小さな窓から覗いていた本がこれか、と思いながら同人雑誌の手ざわりや活字の流れなどをみており、徳島市内に入る。

 

駐車場についたところで車のドアを開けたら、杭のようなでっぱりがあり、そこでドンと、ぶつけた。降りてみると、車止めのセメントがサイドにもあり、確かに少々でっぱっていたようである。車の傷は2ミリ程度であった。ゴンと言おうとした瞬間、運転席にいた家人に叱られた。「君はいつも思慮がたりない。粗忽者」というような言葉を一気に浴びせかけられる。鈍くさいことは認めるが、いつもそうではないし、確かに思慮が足りないときもあるが……、よほど気をつけて考えている時もある。

 人の失敗をここぞとばかりに攻めるのは、どうだろう。わたしは自分がそうだからかもしれないかれど、誰かがミスをした時は絶対に騒ぎ立てたりはしない、のようなことを返し、憮然としてむくれている(わたしのこと)。馬鹿らしいことで15分くらいも言い争う。

 

ただ旅に、こういうことはつきものである。

 

駅前の徳島クレメントプラザを、互いに無言でみてまわる。

オーガニックコットンを用いた藍染めのショールが気になるが、買わない。まだむくれているのだ。その店の女主人から教わった、寿司屋「一鐵」へ。






シャリが茶色、ネタと一体の旨味。おまけに気軽に味わえるお値段だった。鳴門の潮で洗われた、いい海の幸だった。だんだん気分がほぐれてきた。店を出てエスカレーターに乗りかけて、やっぱりUターンして、ショールを買った。

 


M・デュラス「モデラート・カンタービレ」 について

2022-10-11 21:33:00 | 随筆(エッセイ)








 

 

 モデラートは、クラシック音楽などに用いられる速度の記号で〝中くらいの速さで〟。カンタービレは〝唱うように、なめらかに〟すなわち、普通の速さで唄うように。これが、「モデラート・カンタービレ」表題である。

 この本を読んでいる時、ベランダの片隅に木製のリクライニングチェアを出し、朝の光のなかで読書した。マルグリット・デュラスは、言葉では表現しにくいことを、感覚、熱量で表現する作家だ。

 作品全体を包んでいるのは、夜想曲のようであり、中盤あたりからアダージョにも聴かせる。音階から音階のなかに、水のように言葉が溢れ出し、いっぱいにたまった水は水蒸気になって動きまわり、漂っては人波に激しく打ち寄せ、ゆるやかにまわり、浜辺へ消えていく。そんな音楽のなかにいる感覚だった。人のかたちをした水だ。

 なにも心地よさをいうのではない。美しさだけを唱えるのでもない。押し寄せる、感受性。熱量と同じくらいの孤独、虚無感。渇望も。そうやって読み手の心に入っていく。

 書かれている言葉が、音階となって風景の静けさのなかへ流れている。キツイ花の匂いが鼻孔をくすぐる。木蓮や水蠟樹のしなやかな花蔭が、みえる。日差しはつよい。春の霞がたつ。砂埃でむこうが見えない日もある。波はたえまなく、ざっー、ざざーっと呼吸するみたいに押し寄せる。

 鎔鉱所から出てくる労働者たちにまじって浜辺を歩いていくと、深い庇のある車寄せがついた洋館が建ち、上階の一番端にはクーラーの効いた部屋があり、アンヌ・デパレートが海の音を聴いている。まるで死がたちこめるほどの陰翳で、静かに立っている。そして海岸沿いにカフェの灯がゆれている。強い風の音もきこえてくるよう。

 マルグリット・デュラスの名前を知ったのは、確か、映画「ラマン・愛人」と記憶する。階級を感じさせる古いインドシナが舞台で、メコン川の流れとけだるい熱さが、空気に溶けていた。少女が、金持ちの中国人の愛人になる。その時の観察眼を、記憶として書いている。

 デュラスの作品には、舞台となる造形が物語を見守り続けていることが共通点だ。魅力的な女は、孤独と悲しみの沼を生きている。この物語の鎔鉱所の社長夫人、アンヌ・デパレートの存在感も気高い。


50. デュラスの映像のなかにいる熱風のような愛の時に 書評|みつながかずみ|writer
 
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脳は、心の影響をうけやすい感情的な場所

2022-10-09 20:40:00 | 随筆(エッセイ)









 普段ほとんどテレビを見ない。BS放送「いもたこなんきん」(田辺聖子の半生を描いた朝ドラ)、NHKの料理・趣味番組、映画くらいである。それが、この頃はNHKの「ヒューマニエンス」40億年のたくらみ、という番組をちょいちょい見るようになった。サブタイトルは、「人間らしさの根源を、科学者は妄想する」。人間の体のしくみや行動変容、病気の謎を科学的な研究データに基づいて分析する番組だ。タレントの織田裕二が、頭をひねって考えたり、汗をかきながら熱い突っ込みを入れたりしつつ、視聴者の思いを代弁するのもユーモラスでいい。

 先日の放送回は、「痛み」は最も原始的な感覚、心の起源というテーマだった。「痛い」という感覚的シグナルは、傷ついた患部から発信されるのではなく、ひとの体全体にセンサーがあって、「今、体にとって危険なことが起こっている」と脳が勝手に生み出した警報信号だという。熱・冷、かゆみも同様だ。

 つまり、痛みは脳があえて作り出したもの。実験によると、脳はいい加減なところもあり、どこが痛いか、どのくらい痛みのがあるのかは、脳の気分次第で変化するという


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49. 脳は心の影響を受けやすい感傷的な場所|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #眠れない夜に




ああ、愛しのオーボンビュータン

2022-10-06 15:49:10 | 随筆(エッセイ)
 




 

 その日は久しぶりの東京だった。前日は、実家にいて、一日家に泊まったら、再び旅の中にあった。 


 Nが数日前から「薬疹になったの。酷くて、仕事も休暇をとったの」とメールを送ってきていた。LINEに添付された写真をあけると、首元から手にかけては紫色や赤茶けた斑点がひろがっている。足はさらにひどかった。20代のN、すっと長い美しい足は、発疹でうめつくされて、思わず顔をそむけるほどだった。

 高度をさげると、曇り空だ。羽田空港に到着し、マンションまでは40分。おそらく暗く沈んでいるだろうと思っていた。コンコンとドアを叩いて、出迎えてくれた彼女は、予想に反して、ひどく快活で、嬉しそうに弾んでいた。「とても暇だったの。仕事は1週間近く休まなきゃあいけないし、どうしようかと思っていたところだった」といった。お見舞いに買ったアメリカンバーガーの包みとゼリーの入ったペーパーバックをみて、笑顔がさらに輝いた。

 部屋に入り、座卓を前にして座る。「発疹をみせて」とわたしが訊くと、Nは、長袖Tシャツを人差し指と親指の先でそっと、そっーとつまみ、そのまま肩まで上げた。赤い実のような小さな粒が、まだらに広がっていた。先端に、針ほどの毛がたっているものもあった。「脚も」というより前に、わたしのスカートの膝に、脚をなげてきた。

「こりゃ、ひどいね。こんな薬疹初めてみた」

 お腹から太股、足首にむかって、本当にひどかった。こんな発疹が綺麗に直るのだろうか、と思った。「血液って下に落ちるでしょ。だから下になるほど、発疹は多くなるみたい」とNはわたしの眼をみて、笑った。

「でも、からだは平気よ。元気いっぱいで困っちゃうくらい」Nは5日間閉じこもっていたようで、どこかに、でかけたくてたまらないらしいのだ。


 着替えをして、向かったのは、横浜までの東急沿線で、「尾山台」という駅で下りる。「あ、もしかしてあそこ?」「うん、そう」とNとわたしは、顔をみあわせて、うなずきあった。


「等々力」という名の駅には降りたことがあったが、尾山台は、全く初めてである。東急沿線によくある改札口ひとつの、小さな駅。下町と文教地がまざったような、とても親しみのある良い街に思えた。車通りの激しい道沿いに、その店はあった。オレンジ色の店先テントには、ローマ字で「KAWATA」とある。見上げれば、ゼラニウムの鉢植えが並んでいた。パリの街角にある、洋菓子店の佇まい。フランス菓子作りのレジェントといわれる、あの河田勝彦さんの店だ。

 河田さんが修行のために渡仏したのは1960年代。日本にない食材、調理法、表現を求めて、パリのみならず地方都市を巡り、滞在中にパン屋を含めて12店で勤め、同じ菓子でも店によって異なる材料やルセットを学んだと、確か料理王国の雑誌で読んだ記憶がある。現地の書店で文献を読み漁り、資料と舌を比べながら持ち帰ったのが、ここでみるフランス伝統菓子として結集されている。

 

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48. Nとの再会とオーボンヴュータンのアイスケーキと (東京日記)|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #イチオシのおいしい一品
 
 
 

読書の秋に、(江國香織さん編)

2022-09-24 14:30:00 | 随筆(エッセイ)








 
 

コロナ禍の2020年、「7日間ブックカバーチャレンジ」がSNSで流行しました。これは「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する」というもの。

①本についての説明はナシで表紙画像だけアップ。

②(その都度)1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。

ルールはこれだけでした。

 

 世界中の街から人が消え、空港やレストランや観光地などは廃墟と化し、代わりにインターネットやスマートフォンには、交差点で大渋滞というほどに、人やモノや出来事やら、儲けはなしやらで息苦しい……、そんな新たな時代が始まった頃でした。

 

 

 ライター仲間の友人からまわってきた、フェイスブックでの「7日間ブックカバーチャレンジ」。わたしは、読書の愉しみがわかってきた頃から遡って、フランソワーズ・サガンの「愛と同じくらい孤独」を投稿し、その後は、森瑶子「情事」、リチャードブローティガンの「西瓜糖の日々」、リチャード・ブローティガンの「愛のゆくえ」「西瓜糖の日々」、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」などを、ぽんぽんと上げました。

 

 確か4回目の投稿は、江國香織さんの「抱擁、あるいはライスには塩を」を供しています。ベストエッセイを選ぶなら、いいものが沢山ありすぎて大いに迷うところですが「物語のなかとそと」。 

 若い頃に読んで、これは!!とノックアウトされたのは、「落下する夕方」。ここには完璧な絶望が描かれています。彼女が描く絶望は、決して鬱々した暗さはありません。絶望を、むしろ明るく愉しむかのように書いているのが江國流であります。あと、「いくつもの週末」という本も好きです。車のサンルーフをあげて、夫婦で桜を視るシーンの情景描写も大好きで、春になると、必ず読みたくなります。さて、本題の話しに入りましょう。

 

 ある日。流れてきた音楽に耳を傾けながら、あれをよく聞いたのは、自分がいくつで誰と過ごしていたな……、そう季節は春で六甲山をドライブしていたときに聴いた……などと音楽が引き金になって、当時の記憶が次々と紐解かれていくことがありますが、本の場合も同じ。冒頭の一行をみただけで、当時のあれこれが、フラッシュバックする、そんなことはありませんか?

 

 「抱擁、あるいはライスには塩を」は、そういう意味で感慨深い一冊です。

 私は30代後半で(子宮全摘出手術をした)西梅田の病院の個室で10日間の入院中、iPhoneの音楽を掛けっぱなしにして、一日の大半をこの本を読みながら過ごしていました。体は細い管に繫がっていながら、心は江國香織の書く本の中に居て、(紙の中の)沢山の美しい造形や家族の人生をみていられたのです。

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47. 江國香織さんの魅力は香りの空気を纏うように言葉を真摯に織る|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #読書感想文
 
 
 

晩夏そして秋へ

2022-09-20 22:41:46 | 随筆(エッセイ)

 

 









 

 

台風一過。あれだけ、大騒ぎしたのに通り過ぎるとあっという間。いろいろなものが一掃され、そこに新たなものが入ってくるようだ。季節はめぐる。トップの写真は今年一番の夏の夕暮れ。


鹿児島を旅して、斜行エレベーターを降りて空をみた時に、海原みたいな空の色に、夕焼けが茜色に染まり、映画みたいに綺麗だった。

 

ひんやり冷たい風が、肌にあたる。朝と夕方、ホッとひと息つく。真夏のあのカンカン照りの熱さは眩しいくらいに好きなのに、残暑が苦手なのはなぜだろう。9月は、物憂い。毎年そう思う。


ふと思い立って、荒井由美(松任谷由実の旧姓)最後のアルバム「14番めの月」の中に入っている「晩夏」(ひとりの季節)を聴いた。

しんみりとして、いい曲と詩。描写の天才だなと思う。ユーミンのまだハリのあった、高音を突き上げるような美声で唄われたら、やはりファンとしてはたまらない。いまの気持ちにぴったり。

 



①  ゆく夏に 名残る暑さは
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
秋風の心細さは コスモス

何もかも捨てたい恋があったのに
不安な夢があったのに
いつかしら 時のどこかへ置き去り

空色は水色に 茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの



②丘の上 銀河の降りるグラウンドに
子どもの声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る

藍色は群青に 薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝きだす
輝きだす
「晩夏」荒井由美



短い詩。多くを語らない。けれどしんみりと伝わる詩。

夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭———。このフレーズよ、


丘の上 銀河の降りるグラウンドに
子どもの声は犬の名をくりかえしーーー、もうここで、情景が浮かんでくる。深みをおび、たなびくように濃くなっていく、日本の空。そして空気のいろが瞼に映る。


中秋の名月も過ぎたのだから、もう完全に秋にむかっている。というか、昨晩はゴーッと空がうなっていた。激しい風が、緑の葉や枝をゆらし、波音となってきこえてくる。

それでも、まだかろうじて晴れ間がでると、今日も蝉が鳴く。残暑のだるい鬱蒼とした熱さのなか、思い出したように、蝉が鳴く。まあ、鳴くといっても声が涸れている。


イーー、ツクツクボーシ!

最後の交配を求めて、自分の子孫を残すために必死でアピールしているのだと思うと、切ない。
オスは何度でも交配できるが、メスは一度交配すると受精を行い、産卵に入るために他のオスを受け付けないらしい。オスは声の限りに鳴き叫び、必死でメスを探す。そうやって探しても一生のうちたった一度たりとも交尾できず死ぬオスがいる。一匹が、十匹のメスと交配するとすれば?聞くところ、37%も悲しいオスはいるらしい。

人間も、セミも、アピール上手でないと、ね。刹那である。


昨晩は、明け方に蚊に刺されて目が覚めた。
蚊は、花の蜜を吸うらしいが。メスの蚊だけは産卵のために人間や動物の血液を吸うのだという。そう思うと、少々のかゆみがあれど、パチンと叩こうという気にもなれない。(ナンテ。そんなことはない)

ついこの間まで、白やピンクの芙蓉が咲いていた。さるすべりもそう。白やピンクの花がたわわで、南国の花みたいで好きだった。
そして、気づかないうちに、ある日突然に、ニョキッ!ニョッキリ、と顔を出す笹百合も。いつのまにか、姿を消していた。

時がすぎゆく。今年もあと3カ月と少し。飛ぶように過ぎていく日々の中で、夏に大事なものたちを、落としていった気になる。

はやく、香りの実がはじける秋がくるといい。


そして、きょうも晩夏を聴く。夏を惜しむ。

 

 

 


祇園祭と、老松の夏柑糖

2022-07-28 08:56:00 | コロナ禍日記 2022











東京から、Nが帰省した。

「ことしは祇園祭が3年ぶりにあるというので、祭気分を味わいに帰った」という。仕事の都合で、3日しかいられない。そこで後祭の宵山には一日早いが、炎天の京都へ繰り出した。

出町柳界隈を歩き、糺の森、下鴨神社を参拝。氷室の氷が自慢の「さるや」のかき氷を食べて、イラストレーターの知人が催している「草と本」のイベントへ。








夕方。風がふわりふわりと吹く。駒形提灯に赤い灯が入る四条烏丸の烏丸通りや堺町へ入る。

3年ぶりとあって、人出も多く、地元の保存会の衆も気合いが入り、いつにもまして、人の姿に活気がある。

北観音山・南観音山の山鉾をみる。浴衣姿の男や女が、わらわらと山鉾のまわりで歓談中。きょうは、山鉾の曳き始め。せいぜい鉾がみられたら、と思ったら、白地の浴衣姿の男たちが次々に鉾へ乗り込む。祇園囃子の演奏がはじまった。能や狂言を演じたことの名残ともいわれる、太鼓(締め太鼓)・笛(能菅)・鉦(摺り鉦)の生演奏。古から聴こえる和の音色。青い水色の町に、火のようにゆれる提灯。


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ソーレー♪ モヒトーツ♪ヨイヤなどの合いの手も、いい雰囲気。

「やっぱりええなあ」この祇園囃子、鉾の絢爛豪華の雰囲気は。空をつく矛先が鉾からあがる、潔さよ。京都の夏は、これでなければ。

路地裏に入り、屏風祭の家々をのぞく。だんだん、薄暗くなってきた。

鯉山、浄妙山、黒主山、八幡山へ。そして大船鉾についた。てぬぐいや、ちまきを販売していたので、さっそく購入した。

 

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45. 祇園祭と、老松の夏柑糖。|みつながかずみ|writer 
 
 
 

あおい水の時間 ブルーモーメントに呼ばれて

2022-07-27 23:31:00 | 随筆(エッセイ)

 

 

 

蒸し暑い日中、今年はまだクーラーをつけずにいる。宵の時間がくると、やっと本来の自分になるようだ。日没の時刻、その少し前をみはからって散歩に出る。

きょうはリゾート地で買ったオリーブ色のビーチサンダルにした。脚をいれた時には、親指と人差し指の真ん中らへんが擦れて、鼻緒が少し痛かったが、履いていると慣れてきた。足裏の神経は、脳に直結しているというが、ぺたぺた歩いているうちに、その辺の草の茎や花の匂いが風に運ばれて、鼻孔に届く。 

眺めのいい場所をみつけて、月を仰いだ。魂の強さが抜け出たような、聡明な光。夏の月は、不思議なくらいひやっとする冷たい光である。

遠くが見晴らせる丘の上にのぼった。

眼を移せば、山と山の間から、宝塚や大阪平野の灯りがちかちか動いている。光に灯のなかに、ビルの頂上に付いた航空機に知らせるための赤い灯が混ざる。瞬いている。じっとしていないことが、さらに美しく魅せるのだろうなと、思った。

そして、ブルーモーメントがやってきた。

蒼い時刻だ。眼を凝らしていると、自分まで蒼く染まっていくのがわかる。光の渦に彩られた都市が、いつのまにか湖の中に沈んでいくようにみえる。水の都市になる

夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。


枕草子でも、都人は、夏の夜を讃えている。そういえば。わたしがかつて住んでいた温泉街の川のほとりでは、真っ暗のなかに蛍がふわりふわり飛ぶさまを、目にしたことがあった。父親が獲り、虫籠の中に移し、庭で光を囲みながら家族で瓜を食べた。

きらっと水粒の光るなか、蛍の灯りは、息しているみたいで、はかなく、か弱いからこそ美しいのだと思った。朝、飛び起きたらすぐに蛍を見に行ったが、たいてい動かなかった。死んでいる? 幼なごごろに、光はみるもので決して捕まえてはいけないのだとこの時に悟った。あれから、何年か。時は変わったが、それでも夏の宵はうつくしい。

散歩からかえっても、陰翳礼賛よろしく、リビングではランプだけ灯した。

 

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薄暗い部屋で眼を凝らしていたら、ふと思いついたことがある。いつかの丑三つ時のことだ。

わたしは提出前にも関わらず、思った原稿があがらない場合、時々ふて腐れて、寝てしまうことがある。たいていはソファの上で、ごろんとなりそのまま寝る。そうして、2時半から3時半くらいの間に目を覚ます。

しまった! 机の電気はそのままだ。やり残した原稿が気になり、えいやっと起きる。寝落ちしてから、2時間半か3時間経ったころである。

机の前にしばらく座っていたら、しんとした室内に、誰かがいるような見守られている空気を感じ、そういう時、外はたいてい水っぽい墨色だ。

不思議なほどに原稿がたたたっと書けてしまう。寝るまでの、まんじりと書きあぐねていたあの、わからなさはどこにいったのだろうか。なんの迷いもなく、パソコンのデジタルの光のなかに言葉を連ねていく。かちっと、頭のネジが宇宙とつながった。そう信じられた。そんな時に書いた原稿は、たいていクライアントに驚きをもって迎えられて、新連載につながったり、数人で担当した本ならライターのリーダーにさせていただいたり……、普段は起こらないことがあり得た。

 

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