一瞬先に何が起きるか分からない人生において、問題が起きても大丈夫なように準備をしておくことは大切です。でも、問題が起きたその時、どうすべきかを考えればいいことのほうが、ずっと多いのが人生です。“明日は明日、今日は今日”です。今日をしっかり生きていれば、何が起きても対応できます。
もしも、あなたが今、胸にナイフを突きつけられていたり、あるいは、今、乗っている飛行機が墜落しようとしているとき、「私は幸せです」なんて言えません。そんなことが起きていないかぎり、“今”という一瞬、一瞬はだれでも幸せに生きているのです。それを感じもしないし、考えもしないから、幸せになりそこねているのです。
多くの人が何かに依存して生きています。薬物やアルコール。食べ物やセックス。子どもや恋人。財産や名誉。依存の対象が何であれ、他から与えられる心の満足は一時的であり、仮のものです。依存症は虚しさの現れです。
人間の考え方も生き方もその大部分は「好き・嫌い」の問題です。他人がどんな生き方や考え方をしようとも、好きでやっているのですから、相手の自由です。「洋食より和食が好き」という相手に「和食を好きになりなさい」というのは愚かです。
他人があなたの敵ではありません。ほんとうの敵はあなたの心に潜む怒りや憎しみや我欲です。だから、他人を倒してもあなたの敵は生きつづけるのです。
あなたの幸せに必要なものはすべてそろっています。あなたに無いもの、あなたの手に届かないものはあなたの幸せに必要無いのです。その法則を理解すれば、“満足”という心の宝を即座に手に入れることができるのです。
一日の終わりに、「食事をつくってもらった」「買い物を手伝ってもらった」「仕事を助けてもらった」「お金を払ってもらった」「切符を売ってもらった」「商品を買ってもらった」「電車やバスを運転してもらった」などと、“○○をしてあげた”を“○○をしてもらった”に変えれば、今日という日が幸せな一日になります。
自分以外の他人やモノに期待するということは、自分以外の存在をよりどころにすることです。言い換えれば、自分以外の存在に支配され、束縛されることです。他人は変わるし、モノは無くなります。自分以外の他人やモノをよりどころとしない人生に失望や絶望はありません。
世の中には怒りをエネルギーとして生きている人がいます。また、どん欲や妄想をエネルギーとして生きている人もいます。そのエネルギーによって世間的な成功を収めても、怒りやどん欲や妄想は最終的には当人を不幸にしてしまいます。