philosophical chaosmos

八百万のものを哲学する
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生命と物質:死と生命:-1が闇・死で、+1が光・生:西洋文明の闇とロシア文明の光

2014-04-20 00:11:25 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
生命と物質:死と生命:-1が闇・死で、+1が光・生:西洋文明の闇とロシア文明の光

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

これはまったく思いつき。
 陰陽方程式は陰凹i*陽凸i⇒±1である。
 いちばんの問題は、±1なのである。この解釈の問題で、結局、PS理論は瓦解したのである。
 私は+1は陰陽調和の結果と見ている。つまり、植物世界である。螺旋である。
 しかし、-1は、陽が傾斜した場合に思える。
 どうも、これが、動物世界的なのではないだろうか。
もし、そうならば、 陰陽方程式陰凹i*陽凸i⇒±1は植物世界と動物世界の両方を表現していることになる。
 直観では、動物世界は、より物質的であり、植物世界は精神的である。
 ずいぶん昔のKaisetsu氏の解釈に拠れば、+1が光であり、-1が闇である。
 問題は身体である。+1の身体と-1の身体があることになるのではないだろうか。
  そう、+1は精神的身体、氣的身体と言えよう。そして、-1は、物質的身体、無機的身体と言えよう。
 しかしながら、前者へ進化していると考えられる。
 とまれ、前者は植物的セクシュアリティであり、後者は動物的セクシュアリティである。
 氣的性と物質的性である。
 おそらく、これから、前者が進展するわけである。
 
追記:-1を物質的身体、無機的身体と見ていいか問題であるので、これは、無しにする。
 やはり、+1が光、つまり、日光・陽光であり、-1が闇ではないだろうか。思うに、闇という実体を認めるべきではないだろうか。
 以前、-1をダーク・マターにとったことがあるが、確かに、実体の闇をダーク・マターにとることは考えられる。
 もっとも、そうすると、新たに議論を展開させないといけなくなる。だから、実体の闇をダーク・マターと見るというのは、置いておく。
 今は、発想の段階に留めるが、+1が生命ならば、-1は死なのではないだろうか。
 生命があれば、死があるのである。死は物質の力、エントロピーの力ではないだろうか。有機体解体の力、無機的な力である。
 それで、死の力は実に必要であろう。これは、解体力であるが、解体力とは、排出と通じるのではないだろうか。排出がなければ、生命は成り立たないのである。
 だから、生命と死は均衡していると言えよう。
 そして、それが、植物的世界・自然ではないだろうか。
 しかし、人間の場合、死の力が優位になったのではないだろうか。とりわけ、父権主義において。
 大脳の発達(概念知の形成:観念・理念とは異なる)は、生命(陰陽調和氣)を否定しているのではないだろうか。そう、-1は左脳であろう。そして、+1が右脳であろう。
 そして、資本というものも、-1だと思う。死の力である。
 これは、量的な解体力であり、自然生命世界を破壊するのである。
 西洋文明は死の文明である。それに世界が支配されてきたのである。
 しかし、今や、ロシアが世界を主導するような立場になってきたのである。ロシアは、半分、西洋であり、半分、アジア、東洋である。
 思うに、ロシアのアジア・東洋的要素が死の西洋文明に対抗するのである。そう、アジア・東洋的要素とは、私見では、植物的生命性である。陰陽調和性である。
 また、それは光、日光・陽光である。太陽である。
 世界は、闇・死に傾斜し過ぎたのである。物質的解体力に染まり過ぎたのである。
 振り子を光・生へと揺り戻すときであり、そのような時代に移行していると言えよう。
 さて、最後に日本の闇についてであるが、これは、極めて深い闇である。日本父権民族は闇の民族であり、光を知らないのである。そして、日本母権民族は、自己文化の創造性を喪失しているのである。頽廃しているのである。
 それ故に、闇の力に対して、無力なのである。
 日本母権民族の文化とは端的に、氣の文化である。植物的文化である。これに目覚める必要があるのである。




氣の捉え方:氣の気付き方:氣が心身の本体である:お釈迦様の掌の内にあるようなものだ

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

氣は誰でも本来備えていると思うが、氣の存在に気付かないことがほとんだと思う。
 私のことを考えると、子供の頃からずっと氣を感じてはいたが、気付かなかったのである。
 気功の真似事を、四半世紀前にやってみたが。確かに、氣らしきは感じたが、あやふやだった。
 はっきり、氣の存在に気付いたのは、東京に20年以上住んでいて、農村地帯にある実家に、介護でもどって、部屋にいたときである。部屋の空気に東京にはないものを察知したのである。
 これは何だと思った。何か部屋にあるのである。部屋の中になにか充満しているものがあるのである。
 これが氣ではないかと思ったのである。そして、その後、氣を意識するようになったのであり、経験的な確認作業をするようになったのである。
 今では、森氣浴する中で、森の氣を感じるようになったのである。
 思うに、ずっと、東京暮らしをしていたら、氣の存在に気付かなかったと思う。東京という氣のない空間と農村地帯の氣に満ちた空間のギャップによって、気付いたと思う。
 そう、逆に、農村地帯だけに住んでいたら、氣があるのが普通であるから、氣には気付かなかっただろう。
 また、日本語には、気が有り過ぎて、逆に、気に盲目なのだろう。
 しかし、一般的に、氣に気付かないのは、認識論から説明できる。自我的思考(利己主義的思考)をすると、氣を排除することになるのである。あるいは、氣を抑圧すると言ってもいいだろう。
 だから、近代的自我思考あるいは近代合理主義が支配すると、氣はあっても、排除して、無意識化してしまうのである。(肚の形成であるが、これは、氣を肚に降ろすことかもしれない。)
 話は少し飛ぶが、ハイデガーが『存在と時間』の中で、世界内存在とは、気遣いのようなことと言っていた。
 確かに、気遣いは、社会生活における氣の働きだと思う。しかし、それは、形而下的で、氣のもつ形而上性は失せている。
 朱子の理気論の氣も形而下的である。
 でも、どうして、形而上性が失せてしまうのか。
 氣が励起されたとき、明らかに、形而上性が生じるのであるが、それは、一時の非日常経験として捉えられてしまい、平静時の氣には形而上性はないと思ってしまうのではないだろうか。
 私は森氣浴経験を重ねることで、氣の形而上学性の確認をし続けている。

追記:結局、灯台下暗しである。氣が空気のように心身に大気(自然環境における)に充ち満ちているので、つまり、有り過ぎて、気付かないということのように思える。
 それに近代合理主義が加わったので、尚更になったと言えよう。 
 そう、言い換えると、いわば、お釈迦様の掌の内にいるので、お釈迦様=氣に気付かないと言えよう。

追記2:日本の支配層・権力層は、父権民族で、利己主義であるので、氣が排除されて、国民への気遣いがないのである。
 また、母権民族の国民は氣がいいので、支配層の邪氣に気付かないとも言える。

有機体資本主義:フィボナッチ数列的等分割・均等原理、陰陽調和原理を資本主義にもたらす

2014-04-11 20:44:18 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
有機体資本主義:フィボナッチ数列的等分割・均等原理、陰陽調和原理を資本主義にもたらす

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽からのフィボナッチ数列ベクトル的生命現象形成の力学
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819400017.html

先に以上のように書いたが、陰陽からのフィボナッチ数列的ベクトル的生命現象の発生とは、陰陽共振、陰陽調和に基づいているのである。結局、和(たし算)とは、均等・均衡原理、つまり、民主原理なのである。
 ここで、資本主義の問題を考えると、資本の蓄積とは、資本のたし算であり、資本の均等・均衡原理が作用すべきなのである。
 しかしながら、陰陽調和ではなく、父権自我の連続的同一性が支配するのである。つまり、父権自我という中心が資本を支配していて、陰陽調和の均等・均衡原理が働かないのである。
 ここに資本主義の矛盾があるのである。
資本に陰陽調和原理、フィボナッチ数列的均等・均衡原理をもたらすべきなのである。
 それには、父権自我ではなく、新母権自我が必要である。新母権自我は、集積された資本を均等・均衡原理的に活用すると考えられる。
 民主主義も今日の父権自我支配から、新母権自我支配に転移すれば、自然有機体的民主主義になるのである。今日のは、資本暴力的民主主義に過ぎない。

仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル

2014-04-10 21:41:57 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819109717.html

仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように述べたが、補足すると、90°回転において、形成されるフィボナッチ数列であるが、単に等分割の数だけでなく、そこには、均等原理(原則、法則)が働くのではないだろうか。即ち、たとえば、1+2=3の場合は、円を3つに等分割するような均等原理が働き、正三角形が形成されるということになる。2+3=5の場合は、円を5つに等分割にする均等原理がはたらき、正五角形が形成されるということになる。
 均等原理という考え方は、無理のない自然な考え方だと思う。つまり、常に、全体の一(いつ)、統一の一(いつ)、つまり、円があるが、そこに各数列の数が生起すると、全体がその数によって等分割されるという均等原理、均等力学が作用するというのは、わかりやすいと思う。
 つまり、全体の一、統一の一の中の数列の数ということであり、全体が分子、数列の数が分母になるということである。
 後で整理したい。

追記:言い換えると、力の均衡原理とも言える。一(いつ)の力の場において、ある整数が発生する場合、常に、全体の一(いつ)における整数であり、バランスをとって、等分割されるということである。つまり、全体の原理が整数にはたらくのであり、全体の原理が整数を均等分離すると思われるのである。
 簡単に言えば、例えば、5という整数ならば、1に還元されて、五等分、五等分割されるということである。つまり、単位数の1に還元されるということである。
 あるいは、別の考え方をすれば、整数分のベクトルが生じると見てもいいだろう。円の中心に複数の等しいベクトルが生じるとすると、それは、当然、相互のバランスをとって、等分割するように、分離すると考えられる。つまり、均衡原理である。
 だから、フィボナッチ数列を数列を均衡するベクトルを見るといいだろう。3ならば、3つの等しいベクトルが中心から発生して、3等分割するということになる。角度は、当然、360°÷3=120°で分割されるのである。
 だから、フィボナッチ数列ベクトルである。

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

2014-04-09 23:19:03 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。
検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html




図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

渦巻や螺旋の発生は陰陽の90°回転力学で説明されよう。
 即ち、日光軸が形成され、同時に、時間軸が発生し、空間三次元事象が生起するというように考えるのである。
 今思ったのは、以前考えた陰陽円の存在である。それは、ガウス平面において、虚軸を直径とする、ガウス平面に直交する円である。それが、90°回転すると考えるのである。
 そうすると、それは、ガウス平面上で単位円を形成しよう。どうも、これが、渦巻を創る「原光円」(造語)ではないだろうか。
 そして、三次元空間では、球体となろう。つまり、太陽ないし原太陽である。あるいは、原宇宙、原コスモス球かもしれない。
 とまれ、単位円=原光円において、凸i、凹i、+1,-1のよっつの基本単位がある。これが、四大(地水火風)に関係するのではないだろうか。凸iが風、凹iが水、+1が火、-1が地に相当するかもしれない。また、五大(地水火風空)で言えば、空は原点、MP(メディア・ポイント)に当たろう。
 以下の参照を見ると、直観で、現象形態の発生は、螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割に関係すると思われる。
 しかし、問題は、数学的に説明されるだけで、エネルギーが問題になっていないのである。あえて言えば、数学と現象力学が分離しているのである。
 数学、数にエネルギーを与える必要があるのであえる。
以下の参考1の「自然法則と黄金分割」の説明をヒントにしてみよう。
 上述したような五大(地水火風空)が原型となって、黄金分割を形成すると述べている。
 問題は正五角形の形成原理である。四大(地水火風)はわかりやすい。それは、単位円での「十字架」を考えればいいのであるから。しかし、正五角形にするのは難しい。
 ただ、数的には、5は上記のようにすぐ出てくるが、正五角形が生まれないのである。
 ここでは、正五角形を前提するより、フィボナッチ数列的視点から始めた方がいいようだ。
 参考2の図が参考になろう。フィボナッチ数列、1,1,2,3,5,8,13,21,・・・であるが、これをガウス平面の立体的変形座標に適用するのである。
 つまり、最初は、1と1でいいが、その次は、半径が2(=1+1)になり、その次の半径が3(=1+2)となり、同様に展開すると見るのである。
 これで、螺旋現象数的力学は説明されよう。後、時間軸に沿って、立体化させていけばいいだろう。
 そして、後の数を分母、前の数を分子にして、割り算すると、黄金分割に接近するのである。つまり、フィボナッチ数列から黄金分割が生まれることになる。
 そして、黄金分割から念願に正五角形が発生すると思われるのである。これで、現象形態の説明の大雑把な輪郭がわかろう。
 フィボナッチ数列的形成であるが、それは、当然、現象形成であり、ガウス平面での形成ではない。日光軸(実軸)があり、それが、原点を中心にして、時空間四次元現象へ、いわば、展開するのである。
 しかしながら、どうして、フィボナッチ数列的構成をとるのかという疑問が湧く。
 逆に、黄金分割の比が基本であるというようにも考えられる。
 これではどうどう巡りである。
 これは検討課題にしておく。
 

参考1:
自然法則と黄金分割
http://www.nersrch2020.sakura.ne.jp/1-11.htm

『そして、これらの4つの要素をうまくバランスをとり、調整し、場を形成する役割をなすのが「空」の

性質なのです。言い換えると、あらゆるエネルギー源をあなたがたに与えるために転換したり、拡散し

たり、収束させたり、回転させたり、消滅させたり、する性質を持つもの。これを「五大要素」とよんで

おります。


  「五大要素」が均等に作用したとき、ちょうど「星形の五角形」を作り上げるのです。この五大要素が

「創造宇宙のトーラス」の中をぐるぐる、ぐるぐる回転しているのです。

 そして「星形五角形」の中には、きれいな黄金分割比が現れるのです。(黄金分割比とは1:1.618

という分割比を指します。また、その逆が0.618となります。)


 この「黄金分割比」というのは数字を「1,1,2,3,5,8、13、・・・・」というふうに並べてみてくだ

さい。これは、隣り合わせの数字を足して、その次の数字は、たとえば、1と1を足すと2(1+1=2)

となります。2の次は3になります。つまり 1,1,2,3… という数字の配列になっていくわけですが、

永遠にこの演算を繰り返してゆくと、出てくる数値が1.618。または0.618に収束してゆく数列をい

い、これを「フィボナッチ数列」ともいいます。

  この数字の配列というのは、自然界のこの五大要素を基準とした分布システムにも適用されている

のです。隣り合わせの数字を割ってゆくと、限りなく「黄金分割比」に近づくようになっていきます。

 これが自然界の「永遠に続くフラクタル構造」または「入れ子構造」をうまく説明出来るのです。 』

参考2:
生命に宿る黄金比とらせんエネルギー - ゴルフィーライフ(New) ~ We ...
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/4e9068485f459e834966f46bc21bf8e7

ゆらぎやフラクタル、といった美しくも心地よい自然の法則を形成する重要なファクターにこの黄金比があります。

この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

パルテノン神殿やピラミッド、ダビンチをはじめ葛飾北斎に至るまでの絵画や美術品は言うに及ばず、
自然界は黄金比率に溢れている。
ミツバチの巣の中の雄と雌の個体数が黄金比になったり、
木の枝のつく間隔や葉っぱのつく間隔にも、1:3:5:8…と黄金比の法則が顕現する。



 
オウム貝の渦巻きを500万倍に拡大するとハリケーンの渦巻き雲になり、
さらに60兆倍すると、渦巻き星雲の形になるといいます。


参照:
対数螺旋 - Wikipedia
対数螺旋(たいすうらせん、英 : logarithmic spiral)とは、自然界によく見られる螺旋 の一種である。等角螺旋(とうかくらせん、英 : equiangular spiral)、ベルヌーイの螺旋ともいい、「螺旋」の部分は螺線、渦巻線(うずまきせん)、匝線(そうせん)などとも書く。ヤコブ・ベルヌーイ (ジャック・ベルヌーイ)は、17世紀 のスイス の数学者。
定義[編集 ]

極座標表示 (r, θ) で

r=ae^{b\theta}\,

と表される平面曲線を対数螺旋という。ここに、e はネイピア数 、a, b は固定された実数 である。r が原点からの距離を表すため、a は正 でなければならないが、b は正、負のどちらでも構わない。正の場合は中心から離れる際に左曲がりである螺旋になり、負の場合は右曲がりの螺旋になる。裏返すことによって左曲がりを右曲がりにできるため、b > 0 に限った定義をすることもある。定義式において形式的に b = 0 とすると、半径 a の円 となる。

定義式は

\theta=\frac{1}{b}\log \frac{r}{a}

とも書ける。歴史的には指数関数 よりも対数 の方が先に認知されていたので、「対数螺旋」と呼ばれるようになった。b が正(負)の場合、r が 0 に近付くと θ はいくらでも小さく(大きく)なるので、中心近くでは無限回渦巻いている。

直交座標 における媒介変数 表示として、

x(\theta) = r \cos \theta = ae^{b\theta} \cos \theta\,

y(\theta) = r \sin \theta = ae^{b\theta} \sin \theta\,

とも表せる。

後述する理由により、対数螺旋とは(ひとつの定数 B のみを用いて)

r=B^\theta\,

で定まる曲線である、と定義されることもある。ただし、B は 1 ではない正の数。
性質[編集 ]
対数螺旋の回転は、拡大・縮小と同等の変形である。

本節では、対数螺旋の式は

\mathbf{r}(\theta) = (ae^{b\theta} \cos \theta,\,ae^{b\theta} \sin \theta)

で与えられているとする。

対数螺旋は自己相似 である。すなわち、任意の倍率で拡大または縮小したものは、適当な回転によって元の螺旋と一致する。例えば、e2πb 倍に拡大したものは、回転することなしに元の螺旋と一致する。対数螺旋は、拡大・縮小以外にも様々な変換に対する不変性を持つ。例えば、伸開線 および縮閉線 は自分自身に一致する[1] 。

中心から伸ばした半直線 と螺旋は無限回交わるが、隣り合う交点について、原点との距離の比は一定で e2πb である。対して、距離の差が一定であるような螺旋がアルキメデスの螺旋 である。

中心から伸ばした半直線と対数螺旋が成す角は一定である。等角螺旋の名はこの性質に由来する。実際、その角 α は

\alpha=\arccos \frac{\langle \mathbf{r}(\theta), \mathbf{r}'(\theta) \rangle}{\|\mathbf{r}(\theta)\|\|\mathbf{r}'(\theta)\|} = \arccos \frac{b}{\sqrt{b^2+1}} = \arccot b

と計算される。b が正のとき、α は0度から90度の間の角であり、α の余角 90°- α を対数螺旋のピッチ (pitch) という。b が負のときは、α は90度から180度の間の角であり、α - 90° がピッチである。ピッチが大きいほど、螺旋に沿って中心から遠ざかる際に、中心からの直線距離がより速く大きくなる。すなわち、開いた形状になる。ピッチが0度に近付いた極限は円で、ピッチが90度に近付いた極限は中心から伸びた半直線と見ることもできる。

対数螺旋の形状は巻きの向きとピッチのみ、すなわち b のみによって決まるので、回転による違いを考慮しないならば、対数螺旋とは r = ebθ によって定まる曲線である、と定義してもよい。B = eb とおけば、さらに簡潔な式 r = Bθ で定義できる。

螺旋上の一点から螺旋に沿って中心に向かうと、前述のように無限回渦巻き、中心に辿り着くことはできないが、その道のりは有限である。実際、例えば b が正のとき、中心からの直線距離が r である点 (r cos θ, r sin θ) (ただし、r = aebθ)から中心までの道のりは

\int_{-\infty}^\theta \|\mathbf{r}'(\theta)\| d\theta = \frac{a\sqrt{b^2+1}}{|b|}e^{b \theta}=r|\sec \alpha|

と計算される(結論は b が負のときも成り立つ)。

曲率関数 は

\chi(\theta)=\frac{1}{ae^{b\theta}\sqrt{b^2+1}}=\frac{\sin \alpha}{r}

である。螺旋の見た目からも明らかなように、中心に近付くほど限りなく大きくなり、中心から遠ざかるほど限りなく 0 に近付く。b が正である場合は曲率関数は単調減少 であり、b が負である場合は単調増加である。この性質は進行方向に依らない。

指数関数は、複素数平面 において、実軸にも虚軸にも平行でない直線を対数螺旋に写す。しかも、任意の対数螺旋はそのようにして得られる。実際、指数関数によって

x+iy \mapsto e^x \sin y+i e^x \cos y

と対応するから、直線 x = cy + d (c ≠ 0) 上の点 (x, y) は

(e^d e^{cy} \cos y, e^d e^{cy} \cos y)\,

に写る。

同じく複素数平面において、実部と虚部がともに 0 でない定数 k に対する関数 xk は、実軸を対数螺旋に写す。
自然界における対数螺旋[編集 ]

対数螺旋は、自然界のさまざまなところで観察される。例えば、隼 が獲物に近付くとき、対数螺旋を描いて飛行する。その理由は、獲物を一定の角度で視認するためと考えられる[2] 。同様に、蜂 が花に向かって飛ぶ軌跡も対数螺旋に近い[3] 。
相似な多角形を連ねていくと、対数螺旋に近い形を描く。

軟体動物 の殻、牛 や羊 の角、象 の牙など、硬化する部位で、本体の成長に伴って次第に大きい部分を追加することで成長するような生物の器官において、対数螺旋が観察される[4] 。その理由は、図のように相似で少しずつ大きくなる多角形が次々に形成されていくと、螺旋に近い形が描かれるからであると説明される。成長が連続的となるように各断片を小さくしていくと、その極限図形の境界線はちょうど対数螺旋を描く。ピッチは生物によって異なり、サザエ では約10度、アワビ では約30度、ハマグリ では約50度である[5] 。ピッチが小さい場合は自分自身を巻くことができるので巻貝 に見られ、ピッチが大きいものは大きく口を開けた形の二枚貝 やアワビ ・カサガイ のようなものに見られる。

渦巻銀河 の渦上腕は、ピッチがおよそ10度から40度の対数螺旋の形状に近い。太陽系 を含む銀河 である銀河系 は、主要な渦状腕を4本持つとされ、そのピッチは比較的小さく、12度ほどと考えられている[6] 。

なお、同じ渦巻きでもクモの網 に見られる横糸の渦巻きはアルキメデスの螺旋である。巻き貝、あるいはそれ的なものでも、オオヘビガイ のようにあまり太さを増さないままに巻数が多いものはこれに近くなる。
人工物における対数螺旋[編集 ]
紀元前5世紀 に完成したイオニア式 建築の神殿エレクテイオン の柱頭

アルキメデスの螺旋ほどではないが、デカルト やベルヌーイが数学的に解析するよりも前から、自然界に現れる対数螺旋は人々に認識されており、美術作品や建造物に用いられたといわれる。例えば、古代ギリシア の建築様式のひとつ、イオニア式 の柱頭の特徴は、組になった渦巻の飾りであり、対数螺旋に近いものもある[7] 。
バチカン美術館 の二重螺旋階段

また、レオナルド・ダ・ヴィンチ の設計したバチカン美術館 の二重螺旋階段は、真上から見ると対数螺旋である[8] 。

近年では、PlayStation 4 の筐体内部の冷却機構に取り入れられ、PlayStation 3 の後期型に比べ特性を大幅に改善した[9] 。
黄金螺旋[編集 ]
黄金長方形 と黄金螺旋

黄金螺旋 (golden spiral) とは、黄金比 φ に関連した対数螺旋の一種であり、

|b|=\frac{\log \phi}{\pi/2} \approx 0.30634896253

なる定数 b に対して r = ebθ で与えられるものである。さらに、B = eb とおいて、r = Bθ でも定義される。正の b に対しては

B=\phi^{2/\pi} \approx 1.358456274

であり、負の b に対しては

B=\phi^{-2/\pi} \approx 0.736129693

である。黄金螺旋のピッチは約17.03239度である。

オウムガイ の殻の模様は黄金螺旋を描いている、という説は有名である。しかし、その合理的な理由は知られておらず、実際にはオウムガイの殻のピッチは8度から10度であって17度とはかけ離れているなどの、黄金螺旋ではないとの指摘もある[10] [11] 。


かたち*あそび おもしろ図形 螺旋

黄金分割

黄金比

黄金比と正20面体 - 関西学院大学

黄金分割 ―自然と数理と芸術と― / アルプレヒト・ボイテルスパッヒャー ...

渦巻ができていく・・・黄金螺旋 この螺旋は球とも親戚です | 世界史掲示板 ...

夢のもつれの哲学2:黄金比とフィボナッチ数列 はじめの1~ベンフォード ...

不思議な数字:花の生え方はフィボナッチ数列によって ... - Jackと英語の木
このフィボナッチ数は、花の数とも一致します。ユリ3枚、サクラ、ウメ5枚、コスモス8枚、キク科植物は13枚、21枚、34枚、55枚などあって、いろいろな花の花びらの数となっています。植物の葉っぱも、茎を中心にして、次第に伸びてゆくことにより、2方向、3方向、5方向、8方向に生えてゆき、自然に葉を重ねずに、太陽の光の対して、光合成の効率を上げるように、フィボナッチ数で出来ています。






図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11815437992.html

有機現象体は、ガウス平面(氣的太陽平面)を内在超越的に内包する:氣は現象に内在超越する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に、ガウス平面において、虚軸が陰陽軸、実軸が日光軸、そして、ガウス平面を原点において直交する時間軸(天地軸)を考えた。
 生命現象は、例えば、樹木は原点から時間軸沿いに現象することになる。
 問題は、螺旋的に発現する物質現象である。
 天への方向へ向う上昇する力は何なのか。また、地の底へと下降する力は何なのか。
 両者、生命力と言えよう。現象生命力である。
 有機的生命力である。これは、ほぼ物質的力である。
 では、氣はどこに働いているのか。
 やはり、有機現象体は内在超越的にガウス平面(氣的太陽平面とでも言えよう)を具有しているのであり、それで、氣を「有」していると考えられる。
 そう、三次元空間、正確には、四次元時空間は、氣のガウス平面を内在超越させているのであり、氣を内包していると考えられる。つまり、有機現象の物質力は氣を内包しているということになるのである。もっとも、内在超越的に内包しているといことであるが。
 今は、ざっと指摘するに留める。

参照:
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に、以下(***の下部)のように書いたが、補足したい。
 太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
 しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。


                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
                      |
                      |
                      |
                      |
-1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
                      |
                      |
                      |
                      |
                     陰凹i


先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
 問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
 だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
 この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
 ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
 日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
 大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
 もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
 というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
 ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
 後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
 
 
***************************

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
 これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
 結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
 とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
 初めに、太陽ありき、である。
 いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質

である。
 暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html

陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ

2014-04-01 00:53:13 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

PS陰陽論において、太極と太一を分けている。
 太極は陰陽未分化であり、太一は陰陽分化である。しかしながら、太一は、一(いつ)の氣であり、且つ、陰陽分化極性をもつと考えている。
 問題は、後者である。それは、分化とは言え、同時に、一(いつ)なのである。つまり、非分化様態なのである。分化、且つ、非分化の、いわば、即非様態にあるのである。
 そう、この太一の陰陽非分化を未分化と呼ぶことはできない。何故なら、未分化とはまだ、陰陽の区別がないからである。それに対して、太一においては、陰陽の区別があり、極性をなし、その極性は一(いつ)の様態をもつのである。言い換えると、二一原理なのである。
 これでいちおう整理できたが、問題は、量子論の場の理論である。主客非分化の問題である。つまり、不確定性の原理の問題である。
 主を陽、客を陰とすると、確かに、陰陽の区別はあるが、同時に、非分化なのである。だから、主客非分化は存在すると言えよう。ただし、それは、主客未分化ではないのである。この点は混同されてはいけない。
 ただ、これまで述べたように、量子論は、PS陰陽論から言うと、ガウス平面の実軸、実次元でだけ考えていて、虚軸、虚次元、つまり、陰陽次元で考えていないのが問題なのである。つまり、氣の次元が看過されているのである。
 だから、量子論では、氣と物質が混同されていて、曖昧になっていると思われるのである。
 例えば、長距離相関の問題であるが、それは、虚軸、虚次元、氣=陰陽次元を考えると、明確になるだろう。虚軸においては、陰陽は一であるから、それが実次元において、長距離離れていても、超越的に陰陽(「量子」)は相互反応するのである。
 だから、量子論における非分化であるが、それは、虚軸、虚次元、陰陽次元(氣次元)、超越次元(内在超越次元)が明確にされていないので、曖昧な性質をもっていると考えられる。
 さて、次に、人間の精神の問題を考えると、太極=陰陽未分化と太一=陰陽非分化があり、複雑である。
 太極=陰陽未分化とは、端的に、混沌、カオスである。
そこから、太一=陰陽非分化(極性と一の即非)の宇宙、コスモスが生まれるのである。
 問題は無意識を含めて、人間の精神において、太極と太一はどういう構成になっているのかということである。
 私が例えば、「私は樹木と一である」と感覚した場合、それは、太極の陰陽未分化の様態なのか、それとも、太一の陰陽非分化の様態なのかということに関わると考えられる。
 「私は樹木と一である」というのは、後者であると考えれる。つまり、その場合、「私」は「私」であり、「樹木」は「樹木」であり、両者は区別される存在である。つまり、主客の分離がそこにはあるのである。それと同時に、「私は樹木と一である」ということが成り立つのである。
 区別と一が同時生起事象なのである。正に、即非事象である。
 これは、陰陽非分化、主客非分化である。もっとも、正確に言えば、分化且つ非分化の即非であるが。
 では、前者はどういう場合なのか。それは、「私が樹木と融合する」という場合ではないだろうか。「私」と「樹木」は区別されないのである。
 これは、病的な様態と言えよう。
 思うに、陽が欠落して、陰が強化されるとこうなるのではないだろうか。
 そうならば、陰が極大化したとき、つまり、太陰になったとき、陰陽未分化が生起するのではないだろうか。
 また、逆に、陽が極大化したとき、「太陽」になったときは、陰陽絶対分化が起こり、結局、二元論が生起するのではないだろうか。
 そうすると、太極の陰陽未分化=混沌とは、実は、太陰状態のことなのではないのかと思われるのである。
 ならば、初めに、太極=陰陽未分化=混沌(カオス)ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないだろうか。
 そう、太極とは実は、太一のことなのではないだろうか。
つまり、太極=太一=陰陽即非極性ではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:少し補足する。
 陰の極大としての太陰と陽の極大としての太陽であるが、後者が混同されるので、前者を極陰、後者を極陽と呼ぶ。もっとも、以前そうしたのではあるが。
 補足と言ったが、論の発展になる。
 結局、人類精神史に関わるのである。即ち、母権・母系制の文明時代、これは新石器時代はもとより、旧石器時代にも関係しようが、今の父権文明よりはるかに長期の文明時代であるが、これは、陰陽から言うと、陰に傾斜した精神文明だと思われる。
 問題は、精神の根源である。
 上で、私は、根本は陰陽未分化混沌ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないかと述べた。
 それから、考えると、結局、精神には、陰陽調和点があるのである。ガウス平面では、原点(MP:メディア・ポイント)がそれに当たるのである。
 そして、母権文明の精神において、陰陽様態が陰に傾斜していると考えるが、そのとき、陰陽調和点が陰といわば、癒着していて、つまり、連続化していて、いわば、未分化様態が発生しているように思えるのである。
 しかしながら、陰陽調和点は、陰陽即非性をもつのであるから、母権文明精神は、陰陽未分化と陰陽即非性の連続態にあるように思える。
 陰陽未分化はいわば、今日から見れば、病理的である。あるいは、未開的である。
 しかしながら、陰陽調和点の即非性は、いわば、未来的である。つまり、母権文明精神は今日から見て、消極的なものと積極的なものが未分化融合していると考えられる。
 次に、母権文明を滅ぼした父権文明、つまり、今日の崩壊しつつある文明(とりわけ、西洋文明)であるが、それは、陽に傾斜した文明であると考えられる。極陽の文明である。特に、ユダヤ教の一神教がそのようなものである。
 とまれ、母権文明に対する父権文明の勝利は、ギルガメシュ叙事詩 に浮き彫りにされている。
 森の母権文明が都市の父権文明に滅ぼされるのである。
 とまれ、人類精神史的にもっとも重要な点は、母権精神にあった陰陽調和点が、父権精神によって排除されたことではないだろうか。
 そう、『ギルガメシュ叙事詩』はまだ、母権精神の残照があるのであり、母権精神の完全な否定は、バビロニア神話あるいはメソポタミア神話 にある。
 母なる神のティアマト をマルドゥク が滅ぼすのであり、その心臓を太陽に捧げるのである。
 そう、この母なる神殺しは、母権精神の完全否定、つまり、上述したように、陰陽調和点の否定と考えられるのである。
 少し丁寧に言えば、母権精神の陰傾斜+陰陽調和点の否定が生じたと考えられるのである。
 確かに、陰陽未分化的精神が否定されたのは、進歩であるが、同時に、陰陽調和点を否定したのは、恐ろしいことなのである。何故なら、人類の精神の根源界に通じる精神的通路を閉ざしたからである。(ここにおいて、超越神の宗教、啓示宗教が起ることになるのである。)
 さて、今日、父権文明のどん詰まり状態に生きているわけであるが、また、新母権文明の曙光が見え始めた時代に生きているわけでもあるが、とは言え、日本は暗黒の度合いを増長させているが、新母権文明の精神は当然、過去の母権文明の精神を何らかの形で取り戻すことになるのである。つまり、母権精神ルネサンスである。
 しかしながら、上述したように、母権精神は否定的なものと肯定的なものの混淆であり、そのまま新生させることは混乱である。また、反動である。
 ポイントは当然、陰陽調和点を新生させることである。そして、陰に傾斜した陰陽未分化精神は否定すべきである。
 思うに、ここで、PS陰陽論の前身である不連続的差異論の画期的意義があると思う。
 即ち、陽傾斜による自我(陽自我、頭脳自我)のもつ連続的同一性を切断して、陰陽の極性を取り戻すことである。
 これが第一歩である。そして、次に、分化された陰陽に、陰陽調和点を中心にして、均衡をもたらすようにはたらきかけるのである。これは、心身修行である。
 この陰陽調和点は、胸の中丹田にあると考えている。そこにおける氣の美感を中軸にして、陰陽(下丹田・肚と上丹田・頭)のバランスを形成するように生活するのである。
 そう、旧い母権精神の復活だと陰中心になり、陰陽未分化の退行が起ってしまい、劣化・退化となるだろう。
 胸・中丹田の氣の美感を中心にして、新たに陰陽均衡を形成するのである。これが、新母権精神の形成である。(また、これこそ、真の個の形成でもある。)
 結局、問題は、父権精神が母権精神を否定して形成されたために、単に陰傾斜の陰陽未分化精神だけでなく、根源に通じる陰陽調和点までも否定したことであり、このために、父権精神は病理的ないし反動的になり、狂気・暴力的になっているのであり、戦争、破壊を好むようになっていると考えられるのである。
 しかし、父権精神を乗り越えようとし、母権精神を取り戻そうとすると上記のことが生じるのである。反動化が起るのである。何故なら、旧い母権精神には、陰傾斜の陰陽未分化の退行的様態があるからである。
 だから、とにかく、上述したように、先ずは、陰陽切断である。連続化している精神を陰陽に切断することなのである。陰のもつ不連続性を肯定することなのである。これが第1段階である。
 そして、第2段階は上述した通りである。
 この方法、いわば、不連続的陰陽調和形成によって、退行的な陰傾斜の陰陽未分化様態は抑えられるのである。
 最後の一言、日本人の精神病理について言うと、陽に傾斜してしまっていて、そう、ほぼ極陽と言えるほどであり、陰が排除されている。これは、うつ病等の精神病を引き起こすと思われる。
 精神の治癒のためには、陰・肚を取り戻すことである。それから、陰陽調和を取り戻さないといけない。
 思うに、消費税増税で貧乏人が増加するが、思うに、これを田園回帰のきっかけとしたい。田舎は高齢者が多く、農業は正に滅びんとしているのである。
 都会・都市を捨てて、田舎に回帰するのは、日本、日本人の復活に通じよう。田園には、氣があるのである。氣とともに、生活すべきである。日本母権民族の復興となろう。


周敦頤 『太極図説 』に描かれた最初の太極図 。朱子学 によって重視された。

氣と物活論と物質科学:PS陰陽科学仮説と物活論の相違・類似点:氣的有機体と活物は似て非なる

2014-03-31 00:03:11 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
氣と物活論と物質科学:PS陰陽科学仮説と物活論の相違・類似点:氣的有機体と活物は似て非なる

図像は以下の本文内のタイトルのリンクをクリックされたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=423

氣と物活論と物質科学:PS陰陽科学仮説と物活論の相違・類似点:氣的有機体と活物は似て非なる

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

ある文献を読んでいたら、hylozoism(ハイロゾイズム)という耳慣れないというか、おそらく初めて見る言葉に出会った。それは、何と、物活論ということで、これは、いわば、古めかしい考え方であるが、よく考えると、氣のサイエンスに通じる視点である。
 簡単に言えば、「物」に生命を認める視点である。しかし、問題は、「物」なのである。私は氣的物質と純粋物質を分離する仮説をとっている。だから、物活論の視点では、二つの物質に生命力を認めることになろう。
 私の氣科学仮説は、氣的物質において、生命を認めるのであり、純粋物質には生命を認めないのである。この点で、氣科学仮説と物活論は異なるように思う。もっとも、物活論すべてを否定するわけではなく、たいへん貴重な視点と思う。すっかり忘れていた視点である。
 とまれ、今簡単にPS陰陽氣科学(仮に私の仮説をこう呼ぶ)と物活論を比較すると、前者のガウス平面(陰陽平面)の原点=MP(メディア・ポイント)に おいて、氣と生命有機体との接点が存する。ここにおいて、有機物質体は生命を具有するのである。しかし、生命の根源はあくまで陰陽氣であり、有機体の物質 自体にはない。
 陰陽氣が生命体を構成形成し、駆動させていると見るのである。
 とまれ、氣的有機体(生命体)においては、確かに、物活論的な様態が存すると思われる。そう、氣的身体はほぼ物活論的身体と言えるだろう。
 ということで、PS陰陽氣科学仮説と物活論の相違・類似点をざっとあげてみた。

参照:
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化 先に、以下(***の下部)のように書いたが、補足したい。
 太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
 しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。


                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
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-1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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                     陰凹i


先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
 問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
 だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
 この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
 ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
 日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
 大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
 もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
 というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
 ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
 後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
 
 
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
 これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
 結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
 とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
 初めに、太陽ありき、である。
 いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質

である。
 暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html

科学者はオカルト現象とどう向き合えばよいのか - システム論ブログ ...
www.systemicsblog.com/ja/.../history_of_electromagnetic_theory/


* キャッシュ
* 類似ページ

注]物活論(hylozoism)とは、物質を意味するギリシャ語のヒュレー(ὕλη)と生命を意味
するギリシャ語のゾーエー(ζωή)から作られた造語で、狭義には、万物に霊魂を認める
ギリシャ哲学の立場を示す。似た用語にアニミズム、生気論、唯心論があるが、意味は
...

奥村大介「ささめく物質――物活論について」を読んで - 物語文化と科学 ...
sanishi.hatenablog.com/entry/2014/01/09/105935


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2014年1月9日 ... 奥村氏の「ささめく物質――物活論について」(以下、物活論)は、著者自身が最後の章「
物たちのささめき」で論攷の要所をまとめています。また、ツイッターでのユーザー名、
あさみれい氏が「物活論」について既に評しています(以下、リンクから ...

物活論と原子論
https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/.../2435/1/BK20_p23.pdf
解 題. つぎに掲げたテクストと翻訳は、ベルクソン (HenriBergson, 1859-1941)の
講義録「物活論. ア グ レ ガ シ ヨ. と原子論J である。 1881年に高等教授資格をとった
ベルクソンは、クレルモン=フェランのブレー. ズ=パスカル校(1883-88年)、パリのアンリ
回世 ...

「物活論」と「形態発生」:先端芸術表現に見られる意味 ... - 名古屋造形大学
www.nzu.ac.jp/~lib/.../fc7c19a66fcac3b84ba52f82a09dc820.pdf


* キャッシュ
* 類似ページ

に始まり、その後、磁力や重力の発見に象徴される近代の科学. 成立の時点まで続いた
物活論の系譜にも見ることができる。また. 生物学で論じられる形態発生論も、生命活動
によって、有機的な. 形態が生じることに注目することで、生命と物質のあり方を考察す.

古代ギリシアの7賢人・ターレス - Biglobe
www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/sevens.html


* キャッシュ
* 類似ページ

こういった、物質の内部に生命力の存在を認める思考を『物活論(hylozoism)』と呼ぶが
、ミレトス学派の哲学者達は物活論を前提として自然界を眺めていたので ... そして、
世界に存在する全てのものは、水が生成変化することによって生じると考えたのである。

Hylozoism - Wikipedia, the free encyclopedia
en.wikipedia.org/wiki/Hylozoism


* キャッシュ
* 類似ページ

Hylozoism is the philosophical point of view that all matter (including the universe
as a whole) is in some sense alive. This may include the view that "inanimate"
matter has latent powers of abiogenesis, a widely held position in the scientific ...

hylozoism (philosophy) -- Encyclopedia Britannica
www.britannica.com/EBchecked/topic/279309/hylozoism


* キャッシュ
* 類似ページ

hylozoism, (from Greek hylē, “matter”; zōē, “life”), in philosophy, any system that
views all matter as alive, either in itself or by participation in the operation of a
world soul or some similar principle. Hylozoism is logically distinct both from early
...







-1を物質性=外面性、+1を精神性=内面性、MP(原点)を氣的中点と見る

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
                      |
                      |
                      |
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-1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
                      |
                      |
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                      |
                     陰凹i

上図において、虚軸を90°左回転すると実軸になるが、陽凸i→-1、陰凹i→+1になる。
 -1は外的様態、+1は内的様態になるのではないだろうか。
 人体で言えば、-1が骨格(頭蓋骨、背骨)であり、+1が内臓である。
 そして、中点のMP(原点)は両者の媒介点になるのではないだろうか。陰陽調和点ないし中丹田であり、極性の均衡点であり、形而上学的一(いつ)に通ずる点である。
 また、以下の図等に関連して言うと、


氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。


x軸=実軸=日光軸が現象の基盤となるが、思うに、例えば、植物であるが、原点(MP)に言わば、種子があり、そこから、発芽するように思う。
 即ち、陰陽の二分化がここで発現して、例えば、双葉が形成されると思うし、また、原点(MP)においては芽自体が存すると思う。つまり、原点(MP)において、陰陽の三位一体が発現すると思うのである。図像的には神話におけるポセイドン三叉槍(トリアイア)♆の上半分を参照するといいだろう。真ん中の↑が芽であり、左右の↑↑が双葉である。
 このように三一形態がわかりやすいが、他の形態はどのような力学に拠るのか問題である。
 簡単に説明するならば、陰陽振動の差異によって、多様な形態が成形されるということになる。
 今は振動を使わずに説明したいと思う。
 思うに、陰陽和音のようなものがあると思う。その法則によって、多様な形態、とりわけ、多角形が形成されるのではにあだろうか。陰陽和音とは自然のもつ調和的階調である。それは、音楽で明らかなものである。
 後でさらに検討したい。




聖書の神を脱構築する:唯一神は太一、陰陽の一(いつ)の氣、ないし太極になる

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


世界樹木神話/八坂書房

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「あらゆる伝承において、唯一の神というものは論理的必然からいって両性具有であり、どのような創造も神の自己分裂によってしか始まりえず、性の分化や男性(あるいは女性)の陪神の出現によって、一つのものが二つになるのである。」 429~430頁

著者ジャック・ブロスはユダヤ神秘主義のカバラのセフィロトの樹(生命の樹)について、次のように、新鮮な説明をしている。
 なお、ケテルは私の仮説の実軸=日光軸に、そして、男性原理は陽、女性原理は陰、そして、中央の軸は、天地軸=時間軸に相当するかもしれない。
 あるいは、-1が男性原理で、+1が女性原理となるかもしれない。しかし、基本的構造は同じと言えよう。

【この根源的な両性具有は男性原理が唯一支配的だった族長制社会から出た聖なる文書である『創世記』の中では、ぼかされてしまっているがーーといっても完 全に消去されてしまったわけではなく、ある程度すけて見えるーー、後代のヘブライの伝承の中で、「セフィロトSephrothの樹」とよばれるカバラの秘 教的な図像にはっきりと見てとることができる。それは、いかなる説明も不可能な名前のない「精神」、絶対の「無」から発し、一段一段徐々に段階を降り物質 にまで至る創造的な「力」の諸々の「流出」の過程を表わしたものである。光源、それゆえすでに姿が現われたもの、すなわち、あらゆる発現の源である根源的 なセフィラSephirah、つまりケテルKetherからーーこれは種子として表わされ、そこから「セフィロトの樹」の幹は伸びているーー二本の枝が生 えている。右の枝は万物の父であり男性原理を示すアッバAbbaすなわち「大いなる父」であり、左の枝はアイマAima〔iはウムラウトする〕すなわち大 いなる「母」である。これら二本の枝の間からは、すべてを統合する天の道であり、平衡軸でもある幹が伸びている。「しかも最後のセフィラは、世界創造とい うドラマツルギーの中で卓越した役割を担うよう要請されており、『母』あるいは『女王『』や『産婆』さらには『花嫁』などをも意味するシェキナー Schekinahと名づけられている。】(430~431頁)

参考:
「セフィロトの樹」の解釈(その1)


http://kojiki.imawamukashi.com/j01kosatu/treeoflife01.html

参照:
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11805081122.html

日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
 しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。


                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
                      |
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                      |
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-1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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                      |
                     陰凹i


先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
 問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
 だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
 この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
 ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
 日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
 大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
 もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
 というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
 ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
 後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。)

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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
 これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
 結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
 とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
 初めに、太陽ありき、である。
 いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質

である。
 暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html


追記:回転であるが、回転の後に逆 回転を考えたが、そうではなく、回転を続けるとも考えられよう。初め、虚軸90°左回転で、実軸になる。その後、さらに90°左回転で、新たに反対の虚軸 になる。これでも、死滅になるだろう。そう、この方が死滅として的確であろう。最初の虚軸は、いわば、誕生、出生であり、第1回目の90°左回転は、生命 現象の発現であり、第2回目の90°左回転における虚軸を死、死滅と見ると、最初の虚軸と釣り合い適切であろう。そして、第3回目の90°左回転における 実軸は、いわば、復活、新生・再生と見られるのではないだろうか。
 では、第4回目の90°左回転における虚軸は何を意味するだろうか。それは、再度の死、死滅であるが、原点回帰である。原母界への回帰ではないだろうか。

太陽の内在超越的背景には、陰陽イデア情報(原宇宙創造情報)が存すると仮説する

2014-03-26 19:38:11 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11805081122.html

太陽の内在超越的背景には、陰陽イデア情報(原宇宙創造情報)が存すると仮説する

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

私は先に、太陽ないし日光には、陰陽イデア情報(つまり、全宇宙情報)が内包されること(正確に言えば、内在超越的「存在」として包摂されること)を提起した。
 以下の参照の私の記事と以下のIn Deepの記事を比較されたい。

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* 黒点群 2014 が噴出した異常な太陽フレア。そして、その太陽の下の世界は狂気と暴力の度合いが増しているように見えて


私自身は、社会の行方は、太陽の活動の影響を大きく受けるものだと思っています。そして、太陽活動最大期の今年は大きな影響を受けるものだと考えています。

それは天候や戦争やパンデミックなど全体のことだけではなく、たとえば、人間ひとりひとりの精神・メンタルに影響すれば、犯罪を含む「人間行動の異常」が世界的に広がってしまうかもしれないというような感覚も含まれます。

その「主」である太陽が異常なままなら、その「従」である私たち人間とその社会生活が正常を保てるとも思えないのです・・・。

過去記事で何度か取り上げたことがあります、 18世紀の『薔薇十字の秘密のシンボル』には下のようなイラストがあります。

bara-777.jpg

このイラストの正確な解釈はわかりませんが、「太陽の中に神様がいるっぽい」雰囲気のようにも見えます。

あるいは逆に、「神様っぽい存在から太陽のコロナが出ている」(つまり、太陽は神様そのもの)というようにも見てとれます。
http://oka-jp.seesaa.net/article/392509199.html
In Deep


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参照:
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
先に、以下(***の下部)のように書いたが、補足したい。
 太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
 しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。


                   虚軸(陰陽軸)
                     陰凹i
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-1_____MP_____+1 実軸(天地軸)
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                     陽凸i


先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
 問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
 だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
 この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
 ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
 日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
 大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
 もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
 というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
 ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
 後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
 
 
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
 これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
 結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
 とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
 初めに、太陽ありき、である。
 いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質

である。
 暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html

日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)

2014-03-24 08:42:06 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803239276.html


日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に、以下(***の下部)のように書いたが、補足したい。
 太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光はx軸=実軸でいいだろう
 しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。


                   虚軸(陰陽軸)
                     陰凹i
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-1_____MP_____+1 実軸(天地軸)
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                     陽凸i


先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
 問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
 だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
 この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
 ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
 日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
 大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
 もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
 というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
 ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
 後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
 
 
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸



この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
 これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
 結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
 とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
 初めに、太陽ありき、である。
 いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質

である。
 暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html

思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エネルギー)、天地軸=身体軸

2014-03-23 07:09:17 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
図像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11802017238.html

思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エネルギー)、天地軸=身体軸

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1:実軸は時間軸:+1が氣、-1が物質エネルギーという作業仮説
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11800193591.html

先の以上の私見は思いつきであり、暫定的に過ぎない。
 今日、森の一角の屹立する杉木立のいつもの思索の場で想像したのは、天地軸は物質軸であり、それが、陰陽情報時間エネルギーに物質的様態を与えるのではないかということである。
 ガウス平面の虚軸の陰陽イデア情報(形態情報も含む)と実軸の時間エネルギーが原点(MP:メディア・ポイント:言うならば、虚穴、虚孔)において、天地軸を基軸として、螺旋に現象すると考えるが、そのとき、陰陽イデアと時間エネルギーに物質形状、物質様態、あるいは、身体を与えるのは、天地軸の成分のように思えたのである。
 だから、天地軸を物質軸あるいは身体軸と呼べるのではないだろうか。あるいは、アリストテレス哲学で言うと、質料になるだろう。
 言わば、イデア・エネルギーに物質を付着させるのである。
 しかし、そのメカニズムは微妙と思われる。
 陰陽イデア情報(あるいは、自然情報、生命情報、有機体情報)に従って、物質身体化するのであるが、そのとき、情報自体が物質化すると同時に、情報自体は物質化自体とは別に存していると思われる。つまり、即非の関係がそこにはあると思われる。
 即ち、陰陽生命情報・即非・生命物質現象ということである。簡単に言えば、氣・即非・身体である。
 つまり、氣は身体に存すると同時に存しないという矛盾論理にあるのである。あるいは、氣は内在的であると同時に、超越的であるということになるのである。
 そして、身体であるが、それは、氣の物質的様態であるが、物質的エントロピーをもつと思われる。それ故に、死滅すると考えられるのである。
 氣自体は、超越的氣自体はおそらく、不滅である。しかし、氣の物質的様態である身体は死滅する。
 霊学的に言えば、氣が霊であり、身体が物質である。
 今はここで留める。

参照:以下の三次元直交座標のx軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を天地軸に見られたい。x軸=時間軸、y軸=陰陽軸、x軸=現象軸である。x軸とy軸でガウス平面を形成するが、それらは内在超越平面で不可視である。原点(MP:メディア・ポイント)から三次元空間が発現する。しかし、生命現象はz軸を基軸として、螺旋を描くと見る。




追記:天地軸を物質軸、身体軸、ないし、質料軸とした場合、それは、先に述べたように、実軸(±1)である時間の一種の次元転換されたものに思える。
 先には、-1を物質エネルギー、+1を氣としたが、それは、破棄する。つまり、物質エネルギーは当然、天地軸(これは、思うに、仮象軸とも言えるのであり、簡単に、仮軸と呼べよう。あるいは、現象軸、現軸と呼べよう。あるいは、身体軸、身軸、体軸である。)であり、氣は陰陽である虚軸に存するとするのである。
 では、問題は、実軸=時間軸の-1と+1は何を意味するのかということである。
 負の時間と正の時間? 森の中の思索では、それらは、電磁気の極性であった。
 でも、現時点では、時間の方がいい。
 思うに、-1は未来から来る時間で、+1は過去から来る時間だろうか。
 そうならば、極性的時間が共振して、自然現象が発生するということになる。
 この問題はおいておく。

追記2:今閃いたことだが、+1は生の時間で、-1が死の時間ではないだろうか。あるいは、それぞれ、生エネルギーと死エネルギーである。フロイト的に言えば、エロスとタナトスである。
 生命体において、初め、+1の生時間エネルギーが作用し、そのエネルギーが衰滅すると、-1の死時間エネルギーが発動するようになるのではないだろうか。言わば、時間エネルギー保存の法則である。
 言い換えると、構築と脱構築の関係となろう。わかりやすく言うと、生と死のリズムである。これは、わかりやすいだろう。一日においても、このリズムがあるだろう。昼と夜のリズムである。
 今はここで留める。
 
参照2:
映画THRIVEのアップルの形態が参考になる。即ち、以下の画像であるが、渦巻がガウス平面=陰陽平面=渦巻平面に当たり、そして、渦巻の中心から垂直に伸びる柱のようなものが天地軸であり、そして、それに絡まるような螺旋が自然・生命・有機体現象と見たい。)

参考図:映画THRIVEの宇宙を表わすアップル像
 
resurrectionのブログ

参照3:

参考:以下、『海舌』氏のガウス平面を使用した人間認識図を提示する。ただし、実軸の捉え方は今の時点とは異なっている。

      『海舌』氏の人間認識図(要大修正)

(要注意:
1)虚軸の陽凸を光、陰凹を闇とするのは、間違いであり、前者は陽凸i⇒陽自我【知性】とし、後者を陰凹i⇒陰自我【感性】とする。(追記:これは、現時点(2014年3月20日)において、私の間違いであり、『海舌』氏の視点は正しい。)

2)実軸+1=存在・現存在、実軸-1=超越的存在とするのも誤りで、+1と-1を電極、磁極の極性と見る。

3)記述されている象限の見方も誤りとし、新しい視点では、第一象限は理性、哲学、第二象限は科学、知性、第三象限は生活、第四象限は直観・直感、芸術、のそれぞれの領域・圏と見る【暫定的である】。

4)原点をMP【Media Point:メディア・ポイント】とするが、虚軸上の原点をMP1、実軸の原点をMP2とする。そして、極めて重要なことは、MP1とMP2が不連続・非連続であることである。MP1⇒MP2はあるが、逆、MP2⇒MP1は成立しない。だから、先に、陰陽方程式を陰凹i*陽凸i⇔±1にしたのは誤りであり、訂正する。陰陽調和心は原点、即ち、MP1に存する。そして、それは、MP2を派生するだろう。D. H. ロレンスのセクシュアリティはこのMP1とMP2の連結にあるだろう。

5)これは、作業仮説的であるが、植物の氣は当然、虚軸に存するのであり、これは、動物にも存するが、動物的身体は、実軸が主導的だと思う。それに対して、植物的身体は虚軸が主導的だと思う。つまり、植物は氣が主導的であり、動物は物質が主導的である。言い換えると、植物と動物、当然、両者、氣的身体【ガウス平面の虚軸と実軸の十字架】をもつが、前者は虚軸の氣が主導的で、後者は実軸の物質性が主導的である。ただし、人類は動物から植物へと進化の過程にあると見る。)

 今思いついたが、(もっとも、以前考えたことだが、)+1と-1を物質的極性と見ることである。つまり、磁界や電界の極性である。つまり、NとS、プラスとマイナスである。
 電子で言えば、+1が陽電子であり、マイナスが陰電子である。磁界で言えば、+1がN極であり、-1がS極である。
 電磁波は両者を合わせればいいだろう。つまり、+1と-1は電磁波を表わすということである。とまれ、実軸が物質軸であるというは納得しやすいだろう。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html?frm_src=thumb_module

陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1:実軸は時間軸:+1が氣、-1が物質エネルギーという作業仮説

2014-03-20 21:50:00 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1:実軸は時間軸:+1が氣、-1が物質エネルギーという作業仮説

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に以下を述べた。
 余裕がないので、十分検討できないが、問題点の予見を一言述べよう。(三次元直交座標は以下の画像を参照されたい。)
 理念・イデアである陰陽が90°回転して、時間へと次元転換すると、同時に、ガウス平面に直交する天地軸(自然現象軸)が形成され、自然現象が生起すると思われる。(追記:自然現象自体、とりわけ、生命現象は、天地軸を基軸・中心軸にして、そのいわば周囲・環境に発現・形成される三次元螺旋体ではないだろうか。この三次元空間は四元数の三つの虚軸に基づくと今は仮説する。尚、映画THRIVEのアップルの形態が参考になる。即ち、以下の画像であるが、渦巻がガウス平面=陰陽平面=渦巻平面に当たり、そして、渦巻の中心から垂直に伸びる柱のようなものが天地軸であり、そして、それに絡まるような螺旋が自然・生命・有機体現象と見たい。)

参考図:映画THRIVEの宇宙を表わすアップル像
 
resurrectionのブログ

(うまく作図できないので、以下の図を借用する。x軸とy軸の座標平面をガウス平面、つまり、x軸を実軸、y軸を虚軸に見るのである。そして、z軸を天地軸にするのである。)

円筒座標(円柱座標)

 直交座標と円筒座標の座標変換について述べます。変数はそれぞれ下記が用いられます。

   直交座標(x, y, z)

   円筒座標(r, q, z)




 

円筒座標(r, q, z) ⇒直交座標(x, y, z)
http://ryutai.ninja-web.net/appendix/appendix_3_1.html
有限要素法・流体力学による数値計算


そう、天地軸は生命エネルギーを意味すると思われる。これは、物質エネルギーというか、有機体エネルギーであり、有機体的物質エネルギーである。
 しかしながら、ガウス平面を内在超越的に具有していよう。言い換えると、天地軸の生命・有機体エネルギーは氣エネルギーを超越的に内包しているということである。
 そして、この部分を唯物論である近現代科学、自然科学は看過するのである。生命エネルギーに単に物質エネルギーしか見ないのである。
 とまれ、この天地軸の生命エネルギーは、直観では、大地や腹から天を目指して、垂直に伸長するように想像されよう。
 しかし、理論的には、原点からエネルギーが生起するのである。腹ではなく、胸でなくてはならないはずであるが、どうして、腹になるのか。あるいは大地に。
 どうも、以前考えた陰主導説を再採用する必要があるようだ。
 今の時点で考えると、陰は共感性で、牽引力をもつ。それが、陽を惹きつけるのである。それで渦巻そして螺旋が形成されると考えられる。
 だから、陰陽結合とは、陰主導なのである。実際、天地軸における生命エネルギーは「陰」から発生するようになるということになろう。(ここでの「陰」は天地軸の地に相当する。)
 そう、やはり、陰陽論は的確である。陰を先に置くのは正しいということになる。
 本題を続けよう。
 問題は、有機体の物質、有機物をどう説明するかなのである。あるいは、氣の有機的物質化の力学は何かである。
 作業仮説的に、ガウス平面の実軸=時間軸=日光軸=物質軸とする。
 これで、有機体の物質の原因が説明できる。つまり、虚軸の陰陽の90°回転に拠る次元転換の時間化とは同時に有機的物質化ではあるということである。
 そうならば、有機的物質、自然有機体の本質は時間であるということになる。あるいは、氣エネルギーである。
 アインシュタインの有名な公式、E=mc^2である(Eがエネルギー、mが質量、cが光速)が、それは、ガウス平面の実軸に当てはまるのではないだろうか。(追記:Eエネルギーは実軸から天地軸の生命エネルギーの転移に存するとする方が適切だろう。)
 そして、ここで、四元数(しげんすう:四元数 - Wikipedia )を適用するのが、妥当なのではないか。即ち、

i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1

を活用すると、実数部分が実軸であり、三つの虚数が空間成分である(追記:以下から、-1は物質に相当する。だから、四元数の基本公式は、物質を記述していることになる。)。つまり、時間が空間に展開されるという意味合いがあるということである。そう、空間、三次元空間は時間の展開ということになろうか。あえて言えば、空間現象とは不可視の時間ないし時間エネルギーの仮象であるということになる。因みに、色即是空、空即是色は正しいことになる。色を空間にし、空を時間(そして、氣)にすればいいのである。

四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = -k, ij = -ji

 また、さらに、波動や振動が形象を作るということが述べられるが、以上の仮説から、波動、振動は時間ということになるだろう。
 そのようにざっくりと作業仮説しているが、問題は、日光(自然現象を扱っているのだから、光というより、日光ないし陽光である。あるいは、恒星光である。)と重力の関係である。
 問題は、実軸を時間、日光、物質にしたので、日光と重力が区別がつかなくなっていることである。
 ここで修正的に仮説すると、+1が日光であり、-1が物質そして重力であるとする。(追記:これは齟齬、矛盾撞着である。実軸を時間軸にするのだから、それは不可視であるからである。では、日光は、思うに、天地軸の天で、物質は地ではないだろうか。今閃いたが、ひょっとして、+1が氣で、-1が物質エネルギーではないだろうか。氣にしろ、物質エネルギーにしろ、不可視である。
 追記2:思うに、+1の氣が-1の物質エネルギーと結合して自然現象を形成するということではないだろうか。それが一方では、天へ向かい、他方、地へと向うのではないだろうか。樹木や蔓巻植物を例にとろう。氣と物質エネルギーの結合は生命エネルギーとなり、左回転は上昇し、天志向であり、右回転は下降し、地志向ではないだろうか。簡単に言えば、幹の伸長方向と根の伸長方向である。)
 そうすると、天地軸とは日光と物質の結合体として存することになろう。天へ向うのは、日光である。そして、地へ向うのは物質である。しかしながら、生命エネルギーを日光が物質的に自己組織化しながら、天へ向うのであり、また、物質力は、日光を地へと引き込むのである。
 とまれ、中途であるが、ここで留めたい。

追記:日光が天へ向うというのは、変であるが、今はそうしておく。後で再考したい。(追記:上の追記で、日光を天とした。これは、原点から天までを含む。)

追記2:非常に複雑になり、また、混乱気味である。後で整理したいが、また、閃きを付け加えれば、アインシュタインの公式E=mc^2であるが、E(エネルギー)は、実軸の-1に帰属できるのではないだろうか。つまり、物質エネルギー(あるいは、四元数から、空間形成エネルギー)である。そして、+1は、上記の通り、氣エネルギーである。そして、両者は思うに、時間成分である。
 そして、物質エネルギーも氣エネルギーの両面は感じられるものであり、それは、天地軸の生命エネルギーとして、主に感じられよう。というか、物質エネルギー/氣エネルギーとしての時間と現象の生命エネルギーの両者を感覚するのではないだろうか。
 また、天地軸であるが、天は実陽、上丹田、光、地は実陰、下丹田、闇と関連させる。
 結局、自然、有機体、生命現象とは、時間の空間的発現であり、それは、物質エネルギーと氣エネルギーの(おそらく、極性の)螺旋的現象である。(DNAの二重らせんは陰の螺旋と陽の螺旋の陰陽結合が根源の有機体的発現ではないだろうか。)
 それは、日光エネルギーと闇エネルギーが極性的に存しているだろう。思うに、ダークマター(暗黒物質)やダークエネルギー(暗黒エネルギー)はこの闇エネルギーに関係するのではないだろうか。
 

参考:以下、『海舌』氏のガウス平面を使用した人間認識図を提示する。ただし、実軸の捉え方は今の時点とは異なっている。

      『海舌』氏の人間認識図(要大修正)

(要注意:
1)虚軸の陽凸を光、陰凹を闇とするのは、間違いであり、前者は陽凸i⇒陽自我【知性】とし、後者を陰凹i⇒陰自我【感性】とする。(追記:これは、現時点(2014年3月20日)において、私の間違いであり、『海舌』氏の視点は正しい。)

2)実軸+1=存在・現存在、実軸-1=超越的存在とするのも誤りで、+1と-1を電極、磁極の極性と見る。

3)記述されている象限の見方も誤りとし、新しい視点では、第一象限は理性、哲学、第二象限は科学、知性、第三象限は生活、第四象限は直観・直感、芸術、のそれぞれの領域・圏と見る【暫定的である】。

4)原点をMP【Media Point:メディア・ポイント】とするが、虚軸上の原点をMP1、実軸の原点をMP2とする。そして、極めて重要なことは、MP1とMP2が不連続・非連続であることである。MP1⇒MP2はあるが、逆、MP2⇒MP1は成立しない。だから、先に、陰陽方程式を陰凹i*陽凸i⇔±1にしたのは誤りであり、訂正する。陰陽調和心は原点、即ち、MP1に存する。そして、それは、MP2を派生するだろう。D. H. ロレンスのセクシュアリティはこのMP1とMP2の連結にあるだろう。

5)これは、作業仮説的であるが、植物の氣は当然、虚軸に存するのであり、これは、動物にも存するが、動物的身体は、実軸が主導的だと思う。それに対して、植物的身体は虚軸が主導的だと思う。つまり、植物は氣が主導的であり、動物は物質が主導的である。言い換えると、植物と動物、当然、両者、氣的身体【ガウス平面の虚軸と実軸の十字架】をもつが、前者は虚軸の氣が主導的で、後者は実軸の物質性が主導的である。ただし、人類は動物から植物へと進化の過程にあると見る。)

 今思いついたが、(もっとも、以前考えたことだが、)+1と-1を物質的極性と見ることである。つまり、磁界や電界の極性である。つまり、NとS、プラスとマイナスである。
 電子で言えば、+1が陽電子であり、マイナスが陰電子である。磁界で言えば、+1がN極であり、-1がS極である。
 電磁波は両者を合わせればいいだろう。つまり、+1と-1は電磁波を表わすということである。とまれ、実軸が物質軸であるというは納得しやすいだろう。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html?frm_src=thumb_module
 
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生命とは一(いつ)の氣:ガウス平面の実軸が時間であり、物質を意味する?

生命とは一(いつ)の氣であり、一の氣から生まれた生命現象体が一の氣から離脱し、バラバラになると、死ぬことになると思われる。
 直観では、陰陽氣が時間化されたものが生命体、有機体である。
 しかし、実際は、多様な陰陽氣が存して、生命体を形成するだろう。また、多様な陰陽氣とは、根源的には、一の氣の展開である。つまり、一の氣⇒多様陰陽氣である。そして、一の氣が本源的生命であり、それが、多様陰陽氣としての生命体を形成する。
 しかし、一の氣が離脱すると、多様陰陽氣の生命体はバラバラの物質体ないし多様な有機体に転換する。
 そして、さらに、個別の物質体、陰陽体に還元されると純粋物質になると思える。
 以上は徒然なるままにである。

追記:つまり、ガウス平面の陰陽氣平面が元生命であり、それが、垂直に展開すると生命現象体となる。
 
追記2:どうも、今日、森の中で閃いたことが、うまく思い出せない。
 一の氣が生命そのものというのは、そのときのものである。
しかし、ガウス平面が垂直的に展開する生命現象についての閃きがうまく出てこないのである。
 思うに、陰陽平面(造語:ガウス平面)の天地軸への展開が生命現象体であるが、その体積がいわば有機体、生命有機体と思われる。
 それは、氣によって生命全体化されている。しかし、氣が離脱すると、多様な陰陽部分に分離して、いわば、没生命的有機体になる。さらに、それが分解して、純粋物質になるのではないだろうか。
 後で、さらに検討したい。

追記3:陰陽調和が氣でもあるだろう。そして、陰陽の連続体が身体ないし有機体、物質体ではないだろうか。
 つまり、生命体であるが、内在超越性として、陰陽調和の氣エネルギー、生命エネルギーがあるのであり、現象体・物質体、つまり、身体としては、陰陽連続体が現象しているのではないだろうか。
 先に、即非について述べたが、即が陰陽連続体であり、非が陰陽調和(陰陽共振)になろう。

検討問題:天地軸とは、自然現象軸?:ガウス平面が霊的平面で、天地軸が氣軸ではないのか

2014-03-17 21:48:58 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス

検討問題:天地軸とは、自然現象軸?:ガウス平面が霊的平面で、天地軸が氣軸ではないのか

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

一言。
 ガウス平面を内超する物質軸が天地軸では?

追記:物質軸という言い方はよくない。天地軸は、自然現象軸、あるいは、生命有機体軸と言えるのではないのか。
 ガウス平面が根源的エネルギー源であり、その原点・中心・MP(Media Point)から自然現象が発動するということではないのか。
 そう、有り体に言えば、生命エネルギーである。しかし、ガウス平面に根源的エネルギーの源泉がある。
 通常、生命のエネルギーというのは、この天地軸に存するのではないだろうか。それは現象に限った見方である。本当は、内在超越的根源のガウス平面のエネルギー源をもっていると思われる。
 では、氣はどこにあるのだろうか。
 どうも、生命エネルギーと氣を混同するようだ。
 氣はガウス平面に本来存すると思える。氣から生命エネルギーが発動すると思えるのである。
 そう、生命エネルギーは天地エネルギーでもあろう。
それは、天と地を交流するエネルギーであろう。
 そのように見ると、陰=地、陽=天と見たくなるがどうだろうか。
 今は仮に、ガウス平面の陰陽を霊的陰陽とする。即ち、霊陰と霊陽である。
 それに対して、天地軸が形成する天を実陽、地を実陰としよう。どうも、天=実陽=上丹田=頭脳で、地=実陰=下丹田=腹ではないだろうか。
 そして、天地共振において、中丹田=胸=心が存するのではないだろうか。
 そう、そのように見ると、ガウス平面は朱子の理氣論の理であり、天地軸=自然現象軸は氣となるのではないだろうか。
 今は以上ざっと言うに留める。

追記2:天地軸は生命軸であるが、では、氣はどこに存するのか。天地軸=生命軸を氣軸とは言えないだろう。それともそう言えるのか。
 天地軸=自然現象軸=生命軸=氣軸なのだろうか。
 なにかそう言えそうに思えてもいる。
 ならば、問題は、氣と身体の関係である。
 直観では、氣とは、ガウス平面の力を背景にしている。つまり、陰陽と時間を基盤にもつ生命エネルギーとなる。
 また、直観では、氣の垂直エネルギーから生まれる螺旋現象が身体である。
 今はここで留める。









確認作業の必要:今一度、氣と現象の即非について検証する

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

最近は、即非という視点を導入して、新たに展開しているが、微妙なところがあるので、確認作業が必要である。今一度、即非の視点を後で検討したい。
 一言言えば、簡単に言えば、ガウス平面と自然現象が即非の関係にあるということである。
 問題は、ガウス平面の実軸(これを時間軸にした)とガウス平面を原点で直交する天地軸との関係である。
 だいぶ以前は、実軸と天地軸を一致させていたものであるが、今は、次元の異なるものとして、峻別している。
そう、問題は、ガウス平面の実軸(±1)である。これを時間軸にしているのであるが、時間は不可視であるが、実は現象しているのである。(今は、陰陽イデア情報をエネルギー化するもの、賦活するものと見ているが。)
 そうすると、実軸=時間軸こそ、即非の事態の結節部であろう。何故なら、実軸はガウス平面にあり、同時、現象界にあるということだからである。言い換えると、実軸において、内在超越界=ガウス平面・即非・自然現象界ということになるからである。
 そうすると、内在超越性はどうなるだろうか。これまで、MP(Media Point=原点)において、それを見てきたが、実軸=時間軸もそのように見なせないか。
 問題は、超越性である。虚軸=陰陽軸は確かに、超越性である。しかし、実軸=時間軸(=エネルギー軸?)は、そうなのだろうか。それは、超越性ではなく、単に内在性、内属性ではないだろうか。
 そうだとすれば、内在超越性とはやはり、MPのみに関わることであり、実軸=時間軸はそうではなく、内在性と呼ぶのが適切である。
 言い換えると、ガウス平面の実軸はガウス平面と自然現象の境界に存するということになる。
 そうすると、それは、『海舌』氏が指摘したように、光になるのだろうか。それは考えられる。ただし、日光、陽光である。この問題はおいておきたい。
 さて、実軸=時間軸は内在性、境界という意味を含めて、ガウス平面は、自然現象にとって内在超越的であるということになる。
 本題の即非性であるが、ガウス平面と自然現象は、実軸=時間軸においては、「即」になるが、その他、虚軸=陰陽軸や実軸を除いた平面においては「非」である。
 そのような意味で、両者は即非の関係にあると言えるだろう。

追記:実軸と天地軸の関係について述べるのを失念した。これは、時間と空間(垂直空間)の関係である。
 天地軸を含めて空間三次元を考えると、時間は空間三次元に直交すると言えよう。それは、四次元と言えるだろう。だから、時空四次元とは正解である。
 そうなると、やはり、四元数(しげんすう)の視点が適切だと思われるのである。
 ただし、勘では、天地軸は中心的になると思われるが、四元数では、三つの虚数の軸には、中心がなく、それぞれ、対等に考えられる点がそぐわないのである。
 私は以前、天地軸とは別に、三次元螺旋を考えたことがある。それが、四元数の三つの虚軸になるということは考えられるのではないだろうか。つまり、空間は四つの軸があるということになるのである。天地軸と三つの虚軸である。
 とまれ、後で、さらに検討したい。

参照:

* 陰陽渦円の中心(原点・MP)から現象するのだろう (03/16)
* 作業仮説:生命現象の実体・本体・本質はガウス平面=内超平面=霊的平面(氣平面) (03/16)
* 生命現象体と物質:ガウス平面と空間三次元と時間 (03/15)
* 課題:日本父権集団自我を解明する:日本父権集団我・集合我 (03/15)
* 字句修正:検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学 (03/14)
* 検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学 (03/13)










陰陽渦円の中心(原点・MP)から現象するのだろう

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

後で説明。
 ところで、PS陰陽論であるが、その諸々の前身を見ると、試行錯誤の跡が凄まじい感じではあるが、全体に見ると、少しずつ進展しているのがわかる。勿論、混迷したときもあるが。
 今のいちばんの問題は、陰陽渦巻の力学である。これをどう解明するのかである。
 螺旋の原基であると考えられる渦巻に現象を解明する鍵があると考えられる。

参考:
陰陽自然学 | Facebook
https://www.facebook.com/inyoshizengaku


* キャッシュ
* 類似ページ

陰陽自然学. 169 likes · 1 talking about this. Education. ... 陰陽自然学の法則に法っ
て調べてゆくと、地震断層の形成と破壊には「地球の陰陽自然」の法則が深く関与して
いると思われる。陰陽周期的に見て ...... すべての「存在」は「陰陽渦巻き」なのです。

不連続的陰陽論7次元世界:太一1次元+陰陽渦円2次元+時空4次元
d.hatena.ne.jp/antares/20130430


* キャッシュ
* 類似ページ

2013年4月30日 ... しかし、不可視の世界には、陰主導陰陽共振体がある。それが陰陽円であるが、暗黒
渦巻を形成しているので、陰陽渦円と呼ぶのが妥当だろう。 そして、陰陽渦円と陰陽
螺旋現象を即非様態と考えられる。パラレルである。可視の螺旋形態は ...

渦巻 - Wikipedia
数学的記述[編集 ]

デカルト座標 より極座標 で簡単に記述できることが多い。極座標では、r が \theta の滑らか な単調関数 (単調増加関数または単調減少関数)として記述できる。デカルト座標では角度を媒介変数 として表す。

代表的な渦巻線の例は以下のとおり。

* r = a + b \theta \, : アルキメデスの螺旋 。線が等間隔となる。
* r = \pm a \sqrt \theta \quad (r^2 = a ^ 2 \theta) : フェルマーの螺旋 。原点で滑らかに繋がる2本のらせんからなる。
* r = \frac a \theta \quad (r \theta = a) : 双曲螺旋 。有限の巻き数で無限遠点 に発散し、y = a に漸近する。
* r = \frac{a}{\sqrt{\theta}} \quad (r ^ 2 \theta = a ^ 2) : リチュース 。有限の巻き数で無限遠点に発散し、x軸に漸近する。
* r = a b ^ \theta \, : 対数螺旋 。角度が一定で、自らを拡大縮小したものと合同 。
* クロソイド またはコルヌ螺旋、オイラーの螺旋。中心を2つ持つため式は複雑になる。

これらのうち、代数式 で表せるものを代数螺旋 という。アルキメデスの螺旋は明らかに代数螺旋だが、( ) 内に代数式への変形を示した螺旋も、代数螺旋である。

*

アルキメデスの螺旋
*

フェルマーの螺旋
*

双曲螺旋
*

リチュース
*

対数螺旋
*

クロソイド


Spiral - Wikipedia, the free encyclopedia


作業仮説:生命現象の実体・本体・本質はガウス平面=内超平面=霊的平面(氣平面)

2014-03-16 09:34:51 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
作業仮説:生命現象の実体・本体・本質はガウス平面=内超平面=霊的平面(氣平面)

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に以下の参照のように書いたが、どうも、四元数の空間三次元世界だけでは、生命現象の実体がイメージできないので、ガウス平面を有機現象に組み込むことにした。
 つまり、有機現象(生命現象)にガウス平面を内在させてみることにした。
 しかしながら、ガウス平面を超越平面=霊的平面と捉えたので、ダイレクトには組み込めない。
 だから、内在超越性として、組み込むことになるのである。言い換えると、即非性として組み込むである。
 わかりやすく言えば、

有機現象(生命現象)・即非・ガウス平面

、即ち、

有機現象(生命現象)=ガウス平面、且つ、有機現象(生命現象)≠ガウス平面

ということである。尚、

ガウス平面=内超(内在超越)平面=霊的平面(氣的平面)

と書き換える。また、有機現象(生命現象)は自然現象と見てもいいと思われる。(今、ふと思ったが、今日の支配的自然科学は唯物科学であるが、自然現象科学とすると、対象が、単に、外的な現象だけでなく、内的現象も入ってくるだろう。)
 さて、そのようにすると、有機現象・生命現象・自然現象には、ガウス平面のもつ氣と時間の生命情報エネルギーが内在超越(内超)することになる。(ここでのポイントは、生命・即・氣、且つ、生命・非・氣という即非性である。朱子の理気論であるが、それは、理がイデアであり、氣が現象的で、物質的なものと解釈されているが、氣自体が理であり、且つ、現象・生命体的と見るべきである。氣を物質的と見るのは、混乱であると考えられる。あるいは、理気論の「理」をガウス平面、「気」を生命・即・気とすれば、それは肯定されよう。)
 とまれ、以上のように、有機現象(生命・自然現象)にガウス平面を内超させると、有機現象体には、生命情報エネルギーがいわば内属していることになる。
 思うに、私が森の中で、氣を感じるが、それはとても明確にしがたく感じていたが、氣が森に超越的に内属していると考えると、それは、理解されよう。そう、氣は存在すると同時に、なにかあやふや、曖昧なもので、不在のように思えるものである。そう、在ると同時に無いというような、正に、即非的な「現象」(外的且つ内的現象)である。
 では、問題は、有機体と氣(時間の問題は今は切り離す)の関係である。つまり、有機体的物質と氣の関係である。
 直観では、氣による物質構成体が有機体である。
 そう、有機体自体は、生命体ではないものも当然であるので、氣による物質構成体としての有機体ないし有機体的物質は、氣の情報によって構成された物質体ということになるのではないだろうか。
 氣のエネルギー体が内属されていれば、それは、生命体であるが、氣の情報が内属する場合は有機体と思えるのである。
 そう、ガウス平面は時間を含むもので、その時間が氣の情報をエネルギーにしていると考えると、その時間成分の帰結した現象が有機体ではないだろうか。
 つまり、陰陽方程式、陰凹i*陽凸i⇒±1において、±1の部分が有機体ではないだろうか。生命エネルギーは⇒であり、生命体は⇒±1であろう。
 では、そうすると、純粋物質とはどうなるだろうか。
 ±1が有機体とするなら、それは、氣の情報によって構成された物質体であり、当然、物質は含むが純粋物質自体ではない。
 ここで、袋小路的になっているが、今作業仮説として、氣の情報を陰陽の複合性とすると、

陰陽1ー陰陽2ー陰陽3ー・・・ー陰陽n

という陰陽複合を考える。すると、

陰陽1ー陰陽2ー陰陽3ー・・・ー陰陽n⇒±1

となる。そして、陰陽kを構成要素単位(構成元素)で分解すると、

陰陽1,陰陽2,陰陽3,・・・、陰陽nとなる。
 そして、それぞれ、陰陽1⇒±1、陰陽2⇒±1、・・・陰陽n⇒±1である。
 そして、陰陽kがいわゆる、原子になるのではないだろうか。
 つまり、物質、純粋物質とは、陰陽kではないのか。
 勿論、この場合、内在超越における超越ではなく、内在・内属としての陰陽kである。
 つまり、陰陽構成要素の内在・内属体が純粋物質となる。
以上はまったくの作業仮説ないし怪しい思いつきである。

追記:明快に言えば、氣の情報として、陰陽根源要素、あるいは、陰陽元素を考えるのである。つまり、

陰陽元素⇒±1

即ち、

陰元素凹i*陽元素凸i⇒±1

となる。これが、純粋物質方程式ではないだろうか。


参照:

生命現象体と物質:ガウス平面と空間三次元と時間

一言。
先の予見【検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html】から、ガウス平面はいわば、超越平面となる。霊的平面とも言えよう。
 しかし、実軸が時間軸であり、これが、超越界と現象界の境界になるようだ。(MPとは別に。)
 そして、ガウス平面を超越するように現象三次元空間が出現する。それは、螺旋的現象をもつ。
 そう、空間が三次元で視覚的に捉えられるのに、時間が不可視なのは、時間が超越平面であるガウス平面の実軸に存するからではないだろうか。
 とまれ、以上はまだ作業仮説である。
 次に、そのように出現する現象は、有機的現象と考えるのである。物質自体ではないのである。
 超越平面・霊的平面であるガウス平面を超越するように出現する三次元有機的現象(あるいは生命現象)であるが、それは、虚軸の陰陽氣と実軸の時間を背景にもつが、
有機現象とは数学力学的にはどう表現されるだろうか。
 四元数(しげんすう)を使えば、3つの虚数i、j、kによって記述されようが、しかし、ガウス平面的ベースはもつのである。
 だから、ガウス平面の虚数と四元数の虚数は区別しないといけない。前者を大虚数、後者を小虚数でもしよう。とまれ、前者は凸iと凹iであり、後者はi、j、kである。
 有機現象とは、不可視の超越平面=霊的平面であるガウス平面を内在超越的にもつ三次元空間現象である。   
 では、それと純粋物質とどう違うのか。
 これは、もう明瞭と思われる。即ち、基盤のガウス平面のエネルギーが衰滅したときの残骸の現象三次元体が物質(体)である。
 つまり、ガウス平面=超越平面=霊的平面が生命エネルギーであることになる。また、生命情報(生命イデア)ももっていることになる。
 生命情報エネルギー体としてのガウス平面=超越平面=霊的平面ということになる。
 今はここで留める。

追記:純粋物質世界とは、ガウス平面の生命情報エネルギー世界が消失した四元数の世界自体ではないだろうか。
 これは、恐ろしい世界である。死の世界である。機械の世界である。そう、シュタイナー的に言えば、アーリマンの世界である。
唯物論の世界である。四元数の世界はどうもメカニズムだけの恐ろしい世界のような感じがする。
 
参考:
四元数 - Wikipedia

四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = -k, ij = -ji
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11796857549.html

生命現象体と物質:ガウス平面と空間三次元と時間

2014-03-15 18:42:15 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
生命現象体と物質:ガウス平面と空間三次元と時間

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

一言。
先の予見【検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html】から、ガウス平面はいわば、超越平面となる。霊的平面とも言えよう。
 しかし、実軸が時間軸であり、これが、超越界と現象界の境界になるようだ。(MPとは別に。)
 そして、ガウス平面を超越するように現象三次元空間が出現する。それは、螺旋的現象をもつ。
 そう、空間が三次元で視覚的に捉えられるのに、時間が不可視なのは、時間が超越平面であるガウス平面の実軸に存するからではないだろうか。
 とまれ、以上はまだ作業仮説である。
 次に、そのように出現する現象は、有機的現象と考えるのである。物質自体ではないのである。
 超越平面・霊的平面であるガウス平面を超越するように出現する三次元有機的現象(あるいは生命現象)であるが、それは、虚軸の陰陽氣と実軸の時間を背景にもつが、
有機現象とは数学力学的にはどう表現されるだろうか。
 四元数(しげんすう)を使えば、3つの虚数i、j、kによって記述されようが、しかし、ガウス平面的ベースはもつのである。
 だから、ガウス平面の虚数と四元数の虚数は区別しないといけない。前者を大虚数、後者を小虚数でもしよう。とまれ、前者は凸iと凹iであり、後者はi、j、kである。
 有機現象とは、不可視の超越平面=霊的平面であるガウス平面を内在超越的にもつ三次元空間現象である。   
 では、それと純粋物質とどう違うのか。
 これは、もう明瞭と思われる。即ち、基盤のガウス平面のエネルギーが衰滅したときの残骸の現象三次元体が物質(体)である。
 つまり、ガウス平面=超越平面=霊的平面が生命エネルギーであることになる。また、生命情報(生命イデア)ももっていることになる。
 生命情報エネルギー体としてのガウス平面=超越平面=霊的平面ということになる。
 今はここで留める。

仁道心の欠落:日本父権集団自我を解明する:日本父権集団我:日本父権外的自我

2014-03-15 12:22:39 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
仁道心の欠落:日本父権集団自我を解明する:日本父権集団我:日本父権外的自我

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

日本父権民族には自我がない!:カメレオンに自我はある?:半集団半自我、集団と自我の未分化様態?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11796139630.html

先に以上のように述べたが、その意識力学を分析する必要があるが、今は一言、予見を言う。
 端的に言って、日本父権自己には、内的意識が欠落しているのである。その代わり、無意識の内面が外部に投影されているのである。つまり、外部集団に内面が投影されているのであり、自己の内面を深く認知・認識しないのである。
 そう、内部認識が自己認識、自己科学、自己哲学のために、基本である。
 そういう大事な作業を日本父権自己は等閑にしていると考えられる。(追記:日本母権自我は、始原的陰陽調和性をもつので、内的認識をもつのである。しかし、これは、陶冶すべきである。とまれ、日本母権内的自我と呼べよう。これが、日本の未来の種子である。)
 本来、自己内部に道徳・倫理・仁義・人倫・仁道・仁倫等々の善意識を形成すべきなのであるが、それが欠落して、外部集団に依存しているのである。つまり、道徳が内律・自律ではなく、外律・他律・他力なのである。
 この外部集団的倫理は、外部集団がまともならば、それなりにうまく機能すると言えよう。しかし、外部集団が異常になれば、主体は異常になるのは当然である。今日の日本の異常性の原因はここに存しよう。
 とまれ、外部集団倫理主義に依存すれば、主体においては、倫理的な苦悩はなくなるから、楽である。
 しかしながら、その結果、自己形成が未熟のままであり、粗野のままである。
 また、それ以上に、自律した自己形成がなされないのであるから、自己と集団が未分化であり、個的自己・自我は未形成である。
 このような未熟な自己・自我を日本父権主体はもっていると考えられる。
 これは、道徳基準が外在的であり、主体の行為は矛盾撞着したものとなろう。自己・自我による首尾一貫した道徳基準がないから当然である。
 では、そのような外在集団的道徳主義において、主体の様態はどのようなものなのか。
 思うに、この外在集団的道徳主義とは、実は、利己主義ではないだろうか。
 つまり、外在集団的道徳を打算すると考えられるので、主体は、利己的だと思う。狡さである。
 では、この外在集団的道徳主義の打算・利己主義の主体は何だろうか。
 私はそれを(日本)父権自我とこれまで呼んできたが、しかしながら、自我は本来、同一主義的であり、それなりに、内在的なのであるから、自我と呼ぶのは問題があるのである。
 なんと呼んだらいいのだろうか。
 集団我、集合我とは言えそうである。
 だから、これまで使用した日本父権自我は、日本父権集団我、日本父権集合我と呼び直すことになる。
 今はここで留める。

追記:日本父権集団自我でもいいだろう。(付記:思うに、外的自我と呼んだ方がより哲学的である。だから、日本父権外的自我である。)

追記2:日本人が視覚に優れ、聴覚が弱いのは、内部・内面・内界認識が欠落する外在・外部主義だからだろう。
 美術・デザイン等は優れているが、音楽は貧弱である。
 音楽は、別格大本山の美空ひばりを除くと、誰をあげられるのか。テレサテンは中国人。夏川リミは沖縄人。
 都はるみ、弘田美枝子、等々。
 音楽は内部認識というか内部感知がないと、理解できないものなのである。
 しかし、内的陰陽調和が音楽ならば、美術は、外的陰陽調和と言えそうである。ただし、その外部には、内的陰陽調和が秘められていると思われるが。

追記3:日本父権集団我を浮き彫りにしていると考えられるのは、森鴎外の『阿部一族』の柄本又七郎である。
 これについては、何度も既述した。以下参照。

1.
近代日本人の二重人格性:集団的父権的自我主義|Resurrection ...
ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11311974862.html
2012年7月26日 ... 今回の選挙にて自民独裁体制の実現を許すと、近未来の日本では、年金生活者や社会
的弱者が地獄を見るの · 麻生財務相:消費増税は予定通り実施と · 参院選:脱 .... 結局、
「近代」的日本人は個がない:森鴎外『阿部一族』の柄本又七郎が .
2.
外的義と内的義 - なんでも哲学する - Jugem
sophiology.jugem.jp/?eid=223


* キャッシュ
2013年1月31日 ... 先に、日本の父権的集団主義について述べた。そこには、内在的個の ... 何度も言うと、
森鴎外の『阿部一族』の柄本又七郎の人格にこれが見い出せる。) 思うに、日本人の
伝統的倫理・道徳を形成したのは、仏教等の宗教の働きがあるだろう。
3.
+1凸i*+1凹i=+1:半封建/半近代的自我の日本人:唯物論的であり ...
d.hatena.ne.jp/antares/20101025


* キャッシュ
2010年10月25日... 義は義である。」:森鴎外『阿部一族』の柄本又七郎 ... 以前も指摘したが、これが、「
近代」日本人の類型になっているように思う。 .... 私は先に、日本の父権文化はユダヤ教
ではないかと言ったが、それは、まったく間違いだろう。ユダヤ教が ...
4.
一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新 ...
protophilosophy.noblog.net/blog/d/11274182.writeback


* キャッシュ
2011年11月14日 ... 8)これで止めるが、日本人は民族伝統の母権的個の原理に覚醒する必要がある。これ
こそ、日本が世界に誇る ... 未分化の半自我・半隷従的原理であり、森鴎外『阿部一族』
の柄本又七郎の心性に表出していると思う。そこには、西洋近代の ...
5. [PDF]
鴎外における共同体と個 - 広島大学 学術情報リポジトリ
ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN00065309/kbs_27_1.pdf


* 類似ページ
日本文化の本質だろ、. 忠義や孝行の道徳 (日本の共同体原理) と、 西洋文化の本質
たる 「自 ... つり」 方は、 巧妙で、 相手次第で父権を表立てずに、 却大約と母性も利. 用
する。 ..... まず、 「阿部一族」 の構成を、 私は 「雪崩型プロ ット」 と名づけて. みたい。
..... とかく疑問の多い柄本又七郎の義と情の解決の仕方は、 決して 一 人. で情義を
兼備 ...
6.
「第四象限」ブログ - はてなキーワード - はてなブログ
hatenablog.com/k/keywordblog/第四象限?next...


* キャッシュ
父権的自我が資本主義と連続する:父権的自我の資本主義的被洗脳:新 .... 1凸i*+1
凹i=+1:半封建/半近代的自我の日本人:唯物論的であり、精神界が欠損している 先
に以下の感想を述べた。 「情けは情け、義は義である。」:森鴎外『阿部一族』の柄本又
七郎 http://ameblo.jp/renshi/entry-10686451402.html 結局、この柄本又七郎の「.
7.
論理的/郵便的 - 不連続的差異論とは何ぞや? - Seesaa ブログ
antares2.seesaa.net/article/1531359.html


* キャッシュ
2005年1月9日 ... また、先に私は、父権制/資本主義の積極・能動性を肯定した。だから、不連続的 ...
今日の日本語の衰えとは、芸術の衰えと関係しよう。音楽の悲惨、 .... 森鴎外の『阿部
一族』はそのような人間・柄本又七郎を描いている。西欧の個人主義の ...
8.
不連続的差異論とデリダ哲学:論理的/郵便的、etc - philosophical ...
blog.goo.ne.jp/.../e/5d6370212aca09a85fa5628ac5468653


* キャッシュ
2005年1月9日 ... また、先に私は、父権制/資本主義の積極・能動性を肯定した。だから、不連続的 ...
今日の日本語の衰えとは、芸術の衰えと関係しよう。音楽の悲惨、 .... 森鴎外の『阿部
一族』はそのような人間・柄本又七郎を描いている。西欧の個人主義の ...

気の教養?:心身相互成形課程:ポスト・デカルト心身二元論:氣識理性=氣的身体理性の発見

2013-10-13 00:46:36 | 無双陰陽原理/トランス・サイエンス
人間というのは、難しい存在である。
 生活しないといけないし、また、健康維持に気を付けないといけないし、また、心を涵養・陶冶しないといけない。
 生活、身体、心の三位一体が必要なのである。
 しかし、近代主義は近代的自我主義(利己主義)であり、物質主義(唯物論)であり、また、資本主義経済が支配するために、この三位一体の構築はきわめて困難になっているのである。せいぜい、どれかに偏るであろう。
 また、統括的原理がないことが原因でそうなるとも言えるのである。
 私は、近代主義を哲学的に作ったデカルトの心身二元論に元凶があると考えている。心(思惟)と身体・物質(延長)の二元論である。(正確に言うと、デカルトは両者の結節点を松果体に求めたのだ。この問題は今はおいておく。デカルト『情念論』を解読する | Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ http://www.philosophyguides.org/decoding-of-descartes-passions/)
 しかし、今や、太陰氣学によって、いわば、内臓心(内臓魂)を介して、心と身体が繋がっていることは明らかであるし、今日の科学の発達からこれは了解されることである。
 問題は、何が両者を繋いでいるのかということである。
 これは、太陰氣学では、氣であると明快に答えるのである。
 あるいは、氣的意識である。そう、いわば、氣識である。
 氣識が心と身体を繋いでいるのである。私が氣的身体理性と呼んだものはこの氣識の理性のことである。
 さて、近代主義はこの氣識がないために、自我中心主義に偏り、自己において、社会において、問題が生じさせるのである。わかりやすく言えば、病態を内外に成形するのである。
 氣識理性とは陰陽調和理性である(知性と呼ばないのは、知性だけだと、頭脳に偏り、共感性や倫理が疎かになるからである)。
 氣識理性(氣的身体理性)は、プラトン的な真善美の核に存するものである。そして、それは、最近の知見から、植物的生命をベースにすることが了解されたのである(飯山一郎氏の不食主義はその極北である飯山一郎さん
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-34.html)。
(思うに、プラトンとはなんという人かと思う。今日を予見していたのか? プラトン哲学は植物生命的哲学、そう、氣的哲学だと思う。これについて、いつか検討したい。)
 この氣識理性の展開によって、心身バランス、そして、社会的調和への成形がなされると考えられるのである。
 そう、デカルト心身二元論は否定・破壊・悪魔の原理だと考えられる。(シュタイナーで言えば、悪魔アーリマンの原理ということになろう。)
 とまれ、氣識理性を中核におくことで、近代主義は超克されるであろう。
 それは、植物的生命原理の世界の構築を意味するのである。やや言葉足らずであるが、今日は疲れているので、ここで留めたい。