まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

春雨じゃ

2024年04月24日 | Weblog

濡れて行こう、だっけ。

そんな言葉が残っているのは、たぶん、どこかのドラマの中からの、だろうな。

テレビ隆盛を極めていた頃か。

それとも、映画か、または前世代の芝居小屋かなんかからの剽窃だったのか。

電車の中でよく言われる、最近はみんなスマホを眺めている、なんての。

たしかに、当方もX見たり動画を見たり、だから人様のことは言えない体たらくだけど。

それ見てて思ったのは、それぞれがそれぞれの世界に入っているんだよね、きっと、と。

人の数だけの世界があることをまざまざと見せつけられているわけだ。

当たり前と言えば当たり前なのだけれど、そんなことも気が付かずに、ということでもあったのかも。

なんて朝、夕方には、高校の後輩のお通夜だ。

僕の親しい友達がテニス部でそこの後輩でもあり、よく呑みもした。

そんな御仁が今頃黄泉路の入り口あたりで右往左往なのか、まだ、そちら側へ行きつつあることを自覚せず、か。

臨死体験じゃなく死そのものを体験真っ最中だ。

このところ、自分よりも年若い御仁がこの世を去っていく。

となると、それなりの人生観、人の世のある姿などなどに思いが至るわけだ。

それはそれで深みのある人格誕生というものでもあるのかも、ってことだな。

なにせ、縦軸の経験が増えるわけだから、深さがマスのも宜なるかな、だ。

横軸に関しても、それに影響を受け、ということだろうけどね。

ともかく、春雨じゃ濡れてまいろうか。

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ハルジオンというのだけれど

2024年04月22日 | Weblog

地の神さまへのお参りの後、足元に見つけた。

いつものアプリでは、表題のような回答ですが。

そのものの名前をつけることで安心する、ってのが、こちら側に起こっていることではあるけれど。

あちら側の世界では、どうなっているのかな。

名付けるということ、定着、固着させることってのがね。

野に咲く花のように、人間界でもこれからの季節、色づいてくるのかどうなのか。

着るものからしても。

ところで、どうやらこのところ、なんらかの変化が起こりつつあるような、そんな予感もしていて。

今までと同じようにことごとが進んでいくわけではなく、ちょっとした齟齬や大きく思えるズレやら。

そんなことを感じている今日この頃であります。

表題のハルジオン、思い返せば母や叔母などの会話の中に出てきていたかも、だな。

キク科だけど春に咲きます、とpicture thisには書いてある。

 枕もとに長命菊のさかりかな

と正岡子規の句も紹介されていた。

長命の語があるから、春咲くこの花ということなのかな。

さて、というわけで、旧暦3月14日に出かけるとします。

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キキョウカタバミ

2024年04月21日 | Weblog

今朝もまた身近なお花をアップします。

昨日アップしたサツキの下にこんな具合に咲いていた。

厳密に言えば、咲くのはこれから、ってところだけど。

ネット情報からしばしの平穏を保つためにの営為って事だな。

今朝の走りも、江尻埠頭から清水港という今までとは違うコースを選択。

これも、新たな場面を作り出そうという魂胆だ。

日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、の実践編ってところだ。

慣れ親しんだことごとへの、感謝はしつつの次なる展開。

新たな、新しい、という文字、左側は、木の上に立って遠くを見る、という象形文字とでも言えるか。

しかし、その右側にあるのは、斧。

切られて痛い、厳しい、というような意味だと白川静さんは書いている。

そういうわけです。

だからと言っていつもの習慣を変えることが悪いというわけでもなく、新たな選択をするときにはたとえば。

ひび割れも起こるかもしれない。

しかし、だから、そこから光が差し込む、という、例の、anthemの中の歌詞だ。

レナード・コーエンです。

今朝は少し頭の中を整理しつつの、キキョウカタバミのご紹介ブログです。

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5月が近づいているわけだ。

2024年04月20日 | Weblog

毎朝、このサツキと出会う。

車の脇腹で意識しながらのお出かけとなるんだよね。

その下の小さな花はなんていうのか。

picture thisのアプリに聞いてみる事にするか。

便利なものだね。

なんだけど、それがどう出るか、ってのも多少は気にしておくのも一手かも。

慣れちゃうとね、物事には答えがある、ってことに。

それはそれでやばい話でもあり、だ。

ところで今朝は、久しぶりに久能海岸を眺めながらの走り。

iPhoneを持ってなかったので写真には収められず、だった。

ところで、山笑う、は季語だったよね、たしか。

穀雨・初候の添え書きに書かれていて。

この季語は好きなんだよね。

そうだ、笑っちゃえばいいんだから、ほとんどのことが。

だから、わが人間も自然に見習い、ってなもんだ。

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紫蘭というらしい

2024年04月18日 | Weblog

出がけが明るくなって、と昨日も書いたけど、お花の色目が目につくんだな。

なので、iPhoneのシャッターを押したくなっちゃうわけだ。

そしてpicture thisというアプリにお伺いを立てる。

別名は紅蘭とも、なんて書いてある。

こんなことしながらの思惑は、もちろん、思惑なんてなくて単に感動、心を動かされるままに。

ではあるんだけど、ネット界隈からやってくる情報と呼ばれる、ニュースと呼ばれる、そんな世界からの。

しばしの解放を味わう、とでも表現しておくか。

それぞれの空気感の違い、世界の見方のズレなどなどに拘泥せず、の境地でいたいんだな、きっと。

という朝は、珈琲をお休みしました。

ルーティンを少し変えてみる朝、なんて具合だな。

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今朝は鮮やかな黄色から

2024年04月17日 | Weblog

庭に咲いていたたんぽぽ。

出口の角にはツツジも咲いている。

風景が色づき始める季節だ。

毎朝の地の神様への道は緑が覆い始め、かろうじて僕の歩くところだけが地面の色を少しだけ残している。

繋いで来てくださったすべての命の皆さまへ感謝を捧げ、という朝なんだよね。

そんな気になって、その文言を付け加え始めた。

すべてのもの・ことを単純に簡単にしていきたいのだけど、付加しちゃうんだな。

骨ストレッチにも股関節、足首まわし、NOBU体操、腎まわし、なんてのが加わり、だ。

これ、エゴ丸出しとも言えるな。

あれがいいこれがいい、と頭だけで考えてやってみるわけだ。

おいおい、カラダの方はどうなんだい、ってなもんだ。

そんなこんなの中のたんぽぽの鮮やかな黄です。

 

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果たして知るということはいいことなのか

2024年04月16日 | Weblog

だな。

知らぬが花、なんて言葉もあるよね。

そうだったんだ、人類の歴史ってのは、ということを知らぬ間にお花畑だけでもいいのかも。

なんて話だ。

お花畑といえば、父親が入院している病棟が、あちらへ行きかけた方々が多かったらしく。

そこの婦長さんがあんたまだ早いよ、と言われて帰ってきた話の数々を話してくれた。

ということを人伝てに聞いたんだったか。

そんなことがあったな。

そこはお花畑で、と。

今佳境にあるのかまだまだ続くぬかるみぞ、なのかはともかくの中東では。

砂漠なんだ、なんて話もあるよね。

臨死体験というんだったか。

東南アジアというのかポリネシアというのか、あのあたりでは、海なのかもな。

とふと思い立った。

というのも、海の向こうへ、みたいな話、あるでしょ、丸木舟でやってきたわが列島でも。

そこから母がやってきた故郷みたいなね。

臨死体験みたいなことの集積があって、それが伝承というのか、そんな類なのかもしれない。

なんてね。

無知の知ってのはいいことだ、なんて言説、風情あるでしょ。

知らないということを知るということは大事なんだ、っての。

それはそれでありだろうけど、その根底には、知りたい欲求ってのがあるんだろうから、しかし。

ってわけだ。

知らぬが仏、知らぬが花、ってのもあるかもな、というのが今朝の論題です。

ペドフェリアとか人身売買総額が薬物を上回っているとかパンデミック真実とかとかとか。

さて、虹を見に出かけるか。

 

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二日間のご無沙汰でした。

2024年04月15日 | Weblog

って、その昔、玉置ひろしさんが毎週日曜日に言っていた言葉をパクってみた表題。

あれは、一週間のご無沙汰でした、だったな。

素人のど自慢とかいうNHKの番組。

まだまだNHKが信じられていた、というか、信仰に近いくらいの情報発信の頃かな。

もちろん今でもそんな信仰は流布しているけれど。

虹始めて見る、の第15候が昨日から。

清明の末候とある。

清明なんての、あるんだね、初めて知ったな。

もうこの七十二候は3年目になるのに。

わがベランダ菜園に社員さんが手を入れてくれる準備が進み、果たしてどうなりますやら、って感じです。

ヒヨドリたちもみかんには飽きて次なる餌場へ、という季節でもあるし。

今朝はスズメだけがやってきている。

さて、虹を見に出かけるとするか。

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基調講演なんだって。

2024年04月12日 | Weblog

今晩、富士宮での総会の中での30分間。

初めての体験です。

なんとも語呂が硬いというのか、、格式ばってるというのか。

とか、言えないけどね。

ま、そんなわけで、この歳になっての初めてのお使い状態ってわけだ。

外では、カワラヒワが、ヒヨドリが、スズメが、ハトが、状態だ。

どうもね、スズメに似ていてスズメじゃない小鳥も混じっていそうな気がするんだよね。

カワラヒワ以外にも。

それを見つけるのが楽しみの一つになりつつあるな。

なにせ、こちら、中西悟堂さんを目指しているんだから。

かの御仁、街を歩いていると、肩とかに自然と小鳥たちがやってきた、なんて逸話が残っているんだよね。

日本野鳥の会の初代会長さん、という方ね。

となると、平和の象徴だ。

世界から争いはなくなる、ってなもんだけど。

かたや、ご当地日本列島では、岸田2.0首相なのかどうか知らないけど、同じくバイデン2.0大統領と同じ車に乗って、なんて写真がネットで流れていたな。

よくわかりません。

知らないということを知ることが無知の知というんだっけ。

その精神を発揮していないと、おどろおどろしい世界へ紛れ込んじゃいそうだ。

そんな時には、小鳥くんたちの習性を見習うことだな。

知ったかぶりしない、とね。

ま、そんなわけで旧ひな祭り(3月3日)の翌日へ出かけることにします。

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自己肯定感とか承認欲求とか。

2024年04月11日 | Weblog

もともと、表題のような言葉は医学用語なのかね。

昔は精神病といったか、今では、なんていうのか。

ずっと以前、そんな病院の補習の仕事をしたことがあったな。

庇の上に乗っていたら、おい、兄さん、久しぶりだな。

なんてどこかの、それこと、あにさんから声をかけられたっけ。

さしずめ、シャブ中のどこぞの組の人か。

もちろん、こちらは知らぬ存ぜぬの方だった。

とか、中へ入ると、鍵をかけられた部屋には、ボーッと何も考えていないという風情の集団が歩いていたり。

なんだか、別世界のような。

後年、そこの院長先生と飲む機会があったんだけど、その先生、カウンセリングでもしすぎたのか。

僕らと思考方法が違っているような、罹患しちゃっているんじゃない、なんて感想だったな。

医師会の中でも序列があって、精神科が一番上、なんて話もその頃聞いたな。

今朝もカワラヒワがスズメくんたちに混じって啄んでいる。

俺も、あんたんとこの市民権、取るわ、なんてことになるんだろうか、1万年も経てば。

みかん担当のヒヨドリとメジロは来ないな。

イソヒヨドリもだ。

彼らは別の餌場を見つけるのか、山深くに帰るのか、わかりません。

 

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