ヘビメタさんが来りてヘヴィメタる

伝説の番組「ヘビメタさん」。
その意志を勝手に引き継ぎヘヴィメタルの布教に努めます。

少女アリス

2010-03-03 22:51:14 | 番外
沢渡朔の『少女アリス』を手に入れました。

ヴィクトリア朝時代の退廃的な雰囲気なのか、アリス自身の時々見せる少女でもなく、女でもない不安定な危なっかしさなのか……童話の世界に迷い込んでしまった気にさせてくれます。

そこに現実の人間が存在していたらアリスはいない。
アリスがいるその場所には現実は入り込んでこない。

子供の頃に想像した、誰もいない子供部屋ではおもちゃやぬいぐるみ達が起き出して遊び回っている……そんな世界を現出しており、アリスはその世界で自由奔放です。

これこそまさに決して重なる事の無い世界です。
子供達が子供部屋に戻って来ると、おもちゃやぬいぐるみ達は何事もなかったかのように元の位置にいるのです。

子供の頃に童話の世界に憧れた気持ちを再び感じることが出来ました。

快作

2009-09-10 00:21:23 | 入門
The Wildheartsの新作が先日出ました。

前作が今イチ個人的にピンとこなかったので、期待と不安が入り混じったまま今回のアルバムの購入に至りました。

今回のアルバム、とても出来が良いです。
確かに初期の頃の感じとはかなり趣を異にしていますが、でもThe Wildheartsです。

「THE WILDHEARTS MUST BE DESTROYED」のポップさと「THE WILDHEARTS 2007」のヘヴィさを融合して現在の音に仕立て上げたという感じですね。
タイトル曲である「Chutzpah」の最後の展開なんかは「2007」にも現れていた優しさとか救いが感じられるメロディが生きています。

今っぽい感じの曲の「The Jackson Whites」「Plastic Jebus」や、スコットが歌う「The Only One」、ポップさが健在の「You Are Proof That Not All Women Are Insane」「Mazel Tov Cocktail」、切ないメロディが素晴らしい「You Took The Sunshine From New York」「Zeen Requiem」といった曲も何回聴いても飽きが来ません。

10月のライブが楽しみです。
それでは・・・
ヘヴィーメタァァァル!



Talisman is Forever

2009-08-07 00:57:00 | 入門
マルセル・ヤコブが自殺してしまったとのこと。
少し前のことだったようですが、今日知りました。

Talismanは凄い好きなバンドでしたし、ビリー・シーン並みにベースを弾きこなすマルセル・ヤコブは好きなベーシストでもありました。

病を苦にしての自殺だということですが……

最後に2chのメタル板でジェフのコメントを訳してくれていた人がいたので、ここにも載せます。(ID:xObL1Zz90さん、訳をありがとうございます)

以下【R.I.P.】マルセルヤコブ自殺【TALISMAN】(http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/hrhm/1248237476/)より転載

『私の人生の中で最も打ちのめされるニュースを聞いてから24時間足らず、今こうして(PCの前に)座っています。
このような重大な喪失を経験した人がいるなら、こんなにも親しい人物を失ったことによる苦痛や空虚さを表す言葉などないことをわかっていただけると思います。
Talismanの音楽をここ数時間聴き続け、やっと何か書かなければという気になりました。
きっとセラピーの一種として書くことが必要なのでしょう…それが私の仕事なのです…何かを書くということが。
自分や他人の曲であれアイディアであれ、それにつける歌詞を書くことが。
ブログを書くつもりはありませんが、私の胸のつかえを下ろすために必要なことを頭が考えているうち、
それは世界の皆さんと共有すべきものなのではないかと思いました。
私の親友、マルセル・ヤコブについて私が何を考え、何を感じているのか関心がある皆さんと。
もう一人、その死が私の心を砕いてしまった、私に音楽的な影響を与えた人物がいますが、
二人が同じイニシャルだというのは奇妙な偶然です。
二人のMJが一月足らずのうちに失われてしまったのです。
マルセルについてのニュースを受け取って最初の数時間は、私たちに親しい人たちに知らせることに費やされました。
彼らにはインターネットで、あるいは狭い音楽業界の中を、噂話が燎原の火のように広まる前に、知らされてしかるべき人たちです。
私がその仕事を任されました。マルセルに音楽的に一番近い関係だったというだけでなく、
特にここ数年、あるいはここ数日とさえいっていいかもしれませんが、個人的にも一番親しかったからです。
それが済んで、徐々に実感がわいてきました。
マルセルは何年も健康問題と戦ってきました。それは私たち同様、医者も困惑してしまうようなものでした。
数年前、背中の広範な痛みが発端でした。
座ったり歩いたりといったとても単純なことをするのに耐えられないほどの苦痛に苛まれるのです。
もちろん、ベースをもったりツアーに出たりといったことは問題外でした。
彼は少しずつ克服しているように見えました。
しかし、他の事――無気力感や、ただ立っているだけなのに平衡感覚がなくなり、
突然気絶するのではないかという感覚――が彼をおそい始めたのです。
彼は、個人的な苦悩に対して同情を買おうとして、うめいたりわめいたりすることは決してありませんでした。
ですからほとんどの人は彼がそんなことを経験しているとは思いもしなかったのです。
けれども、マルセルは最後の年月をそうして過ごしてきたのです。
まるで、痛みに苦しんでいたり、死にかけていたりする犬が隠れ場所を探し、
病気が治るか死んでしまうかするまで一人きりでいるように。
彼は閉じこもりがちに、受動的になり、友人から見ると何か隠者のようになってしまいました。
家族だけが、いつもそうであったように、彼の力になりました。でも彼は自分の苦境が他人の重荷になるのを望まなかったのです。
私がこのことをはじめて知ったのは2005年の末、
数名の人たちが、彼はなにをしてるのか、話はしているのかといったことを聞いてきたときでした。
その人たちは何かがおかしいと心配しており、
私はキャリアを追求するための諸々に追われていたため彼とはあまり連絡をとっていなかったのですが、自分から会いに行かねばと思いました。
結局私たちは彼が耐えていた全てのものごとについて長時間話し合うことになりましたが、
バンドをスタジオへと復帰させ、彼が一番うまくやれることを思うままやらせる
ことが彼を元気づける唯一のことだとわかりました。
それは新しいTalismanの音楽を作り上げることでした!
私たちは今に至るまでのベストなアルバムのうちの一枚、『7』(7枚目のスタジオアルバムとして適切なタイトル)を作り上げ、
私は友人が、一瞬の間だけかもしれないとしても、甦るのを目撃しました。
次の段階はステージに戻ることだと思いましたが、彼は自分の体が持ちこたえられないのではないかと心配し、リスクをおかすことを望みませんでした。
タイミングというのはあるもので、私はアルバムのミックスの数週間後(2006年)にはJourneyに加入し、
私がプロモーションを助ける時間をとれるようになり、アルバムを発売する意義があると最終的に判断できるまで、リリースは遅れました。
経済的な問題を含め、個人的な事件が彼につきまとっていたとはいえ、彼はその頃には肉体的に回復しつつあるようでした。
私はJourneyとしての活動で経済的に安定していたし、彼なら私よりうまく使ってくれると思い、
私の分のTalismanに関わるアドバンス(注:印税などの前払い金)を彼に進呈しました。
私たちは2007年にフェアウェルツアーをアナウンスしました。これ以上ないほどぴったりな宣言になってしまいました。
これが文字通りの意味(Farewell=お別れ)になるだなんて。
今思えば、うまく調整や計画をして、ファンにとって本当の「さよなら」になるように、主要なラインアップのメンバー全員を呼べばよかった。
マルセルは何年も前、同じようにして私を救ってくれています。
その時、私には音楽に冒険的な関心をもっているだけだったり、金儲けをしようとしているだけの奴ではない、兄弟がいるということがわかりました。
1991年、私は離婚し、経済的に困窮していました。
私はまだこの業界では若僧で、当時は私のためにドアが開放されることは必ずしもありませんでした。
当然、私はまだ貧乏ミュージシャンの一員でした。
マルセルがLAにいる友人たちに会いに来ました。単なる付き合い上の訪問です。
Talismanのデビューアルバムが出て一年後のことです。
スウェーデンツアーは成し遂げましたが、何か起こりかけているのではないかという大きな期待から
私はEyesというバンドに留まっていました(そのバンドでもマルセルはベースを弾いていました)。
私はマルセルと同席し、自分がどれほど絶望的な状況にいるのか説明しました。
次のステップに移るための金もなく、そもそも何が次のステップなのかもわからない、と。
それから私たちは何時間もツアーやアルバムの思い出話にふけり、ついに私はこう言いました。
『俺たちでもう少し何かできるんじゃないか』。
彼は、ファーストアルバムは一度限りのプロジェクトで、私には続ける気はないと思っていたので、驚いていました。
私がどれだけ真剣か彼に納得させると、彼は電話していいか尋ねました。
…2分後には彼はニューアルバムの確約を取りつけ(それはGenesisアルバムとして完成しました)、
私たちのよい友人であるワーナー・チャペル音楽出版のハンス・デズモンドからの音楽出版に関するアドバンスを私に確保してくれたのです。
彼は指をパチンと鳴らしただけでこれを実現し、私を元気づけ、
バンドの――来年の2010年には20周年を迎えていたはずのバンドの――未来への針路を定めたのです。
自分自身のためだけでなく、このバンドや私たちのパートナーシップを愛してくれた人たちにとっても興味深い内容にするためには、
書き続ける前にもっとよく思い出さなければなりませんね。
マルセルと私が最初に出会ったのは1984年で、
イングヴェイ・マルムスティーンがちょうど(当時としては)最新のRising Forceを実現させるメンバーを集めている時でした。
彼と私はこれ以上ないほど違う人種でした。
実のところ、私たちは主に音楽的な相違から、あまり仲良くならなかったのです。
当時、マルセルは自分の音楽的な高潔さを共有しない人物に敬意を払うのに困難を覚えていました。
わかりやすくいえば、『ゴミを聴いてる奴はゴミ(笑)』というわけです。
私はMotley CrueやRatt、Prince、Iron Maidenが好きで、
彼はThin Lizzy、Deep Purple、Rainbowやその他のもっとクラシックなロックが好きだったので、私たちはすぐ衝突しました。
当然われわれには音楽的な共通点は「いくらかは」あったのですが、性格の面でも当時は反りが合いませんでした。
私はただのナイーブな、若い、血がのぼりやすいアメリカ人で、
自分の属する世界の以外の文化や経験に対する理解はありませんでした。
彼は典型的な頑固なヨーロッパ人で、アメリカでのものごとの進め方に対してただひたすら批判的でした。
…もちろん、年月がたつにつれ私たちは二人とも、どちらの世界にも存在する自分のためになることを学び、吸収し、受け入れるようになりました。
私は1985年にイングヴェイの元を去りました(1987年に二度目の脱退をすることになるのですが)。
マルセルは1986年に突然脱退し、スウェーデンに戻り、Europeを離れた後ソロ・キャリアに着手したジョン・ノーラムと一緒に活動を始めました。
99年(訳注:89年の間違い?)にマルセルから数年ぶりに連絡がありました。
私たちは相変わらずそれほど親しくはありませんでしたが、
彼はノーラムと袂を分かったので、製作中の『Guitars On Fire』というソロ・アルバムで歌ってほしいと私に連絡をすることになったのです。
彼はもともとノーラムのバンドにいたヨラン・エドマン(後にイングヴェイのバンドに加入)に歌を頼んでいたのですが、
ヨランは、自分はノーラムと活動を続けていきたいので、マルセルのところで「バイト」することで彼を怒らせたくない、と言ったのです。
それで私の名前が浮上したわけです。
彼に声をかけてもらったことは嬉しく、彼が私に歌ってほしがっていることはクールだと思いました。
しかし私はEyesの独占契約にがんじがらめになっており、このアルバムに参加するのは不可能でした。
Eyesに関わる問題を要約すると、(Eyesとしての)契約を得るためには、金銭的なアドバンスなし(レコード会社がスタジオを所有していたのでそれは使えましたが)、
出版権も放棄するという代償を払わねばならなかったのです。その条件で契約するほか選択肢はなかったのです。
だから私は無一文で、妻と当時2歳の子供がいたので収入のチャンスを求めていました。
私は(Eyesの所属していた)レーベルに、このアルバムに参加したいと懇願しました。
旧友との一度限りのプロジェクトで、ストックホルムの小さなレーベルだし、
スウェーデン国内だけで数百枚しか売れないようなアルバムなんだ(から、参加することを許可してほしい)と。
当初は彼らは拒絶しましたが、私は自分は無給で頑張っていて、彼らが援助してくれない以上、
他に請求金を払う方法はありえないということを思い出させると、やっと許可が出ました。
あとはご存知のとおりです。
Guitars On FireはTalismanに発展し、20年にわたって続く新たなパートナーシップが生まれ、マルセルは私の親友の一人となったのです。以上!

今年、2009年まで早送りしましょう。私は友人が05年より悪くはないとしても、同じぐらいの苦境にあることを知りました。
またもや(05年の時と同様)私にはわかっていたのです。
彼をこの穴蔵から連れ出すただ一つの方法は、新しいTalismanのアルバムを作る時がやって来た、
と彼に言うことであり、そのため私は彼に会いに行く必要があると。
私は完成させたばかりの新しいW.E.T.プロジェクトのビデオを撮影していたのですが、
まず、それに出演してくれないかと頼みました。
バンド名の「T」はTalismanからとっているので、「私たちの」バンド代表として彼が私と一緒に出演することは道理にかなうことでした。
それを足がかりに、私は(Talismanの)ニューアルバムを作るべきだと彼を説得しました。
8月から製作に入り、2010年の初春にリリースする予定でした。
今となっては、あのビデオに一緒に出演してもらえてよかったと思っています。彼がベースを持ち、プレイしている最後の姿です。
ビデオ撮影期間中に、バンドの第3のメンバー、もう一人の長期在籍メンバーであるジェイミー・ボーガーと会う日を設け、
私の最近のソロ・バンドのギタリストのホルヘ・サラン(注:読みは間違っているかも)をこの新生Talismanのメンバーとして迎えることに合意するだけでなく、
(アルバム製作の)タイミングについても話し合いました。
7月中旬、スタートに少し遅れが生じましたが、彼が亡くなる前夜、私はその遅れをどうやって取り戻すか、
そしてどうやって前進していくか、彼と話したのです。
…予算について話し合うため、数日中には彼から連絡を受けることになっていました。
その代わりに、私の友人がただ諦めてしまったという連絡を受け、打ちのめされてしまったのです。
死の前夜に私と話したとき、昔と変わらず、彼に自棄的な様子はありませんでした。
…彼は苦痛という仮面の背後にこれ以上なく上手に隠れていたのです。
私たちは冗談を言いさえしました。
その一つは「自分たちがどんなに昔と変わってしまったか」についてのお馴染みのギャグでした。
歳をとり、向こう見ずなガキだった頃と同じようにはものごとが進んでいかない、といったことに関する冗談です。
彼の指がうまく動かなくなっていることを私は知っていました。
プレイヤーとしての彼は細部にこだわる質であり、そのことは彼の自信に本当に大きな打撃を与えたのです。
ミュージシャンとして、私たちは常に過去より進歩していたいと思いますが、
かつてと同じぐらいうまくやることさえできないと考えただけで、私たちの自我は叩きのめされてしまうのです。こういったことを今、実感します。
マルセルは私たちのために新しいマテリアルを作っていたのですが、
過去にプレイし、曲を書いていた水準に達することができなくなったという現実が彼を襲ったのだと考えざるを得ません。
彼が望んでいたのは音楽をプレイし、曲を作り、どこかでステージに立つことでしたが、
彼の指と肉体は彼に見切りをつけてしまったのです。
私たちは一緒に新しいアイデアを仕上げる予定だったのですが、
かつて1994年に『Humanimal』アルバムを作っていたときと同じような仕方で、
新しいアイデアを(彼から)聞くことはもうありません。
来週は、友人とともに仕事をするためにスウェーデンに行くのではなく、
彼を葬るためにそこに行くことになるのですから。
私はまだ「クリスマス・リスト(注:クリスマスに欲しいプレゼントを書いておくリストのこと)」を持っています。
ただそれは、次から次へと私を打ちのめす感情のクリスマス・リストです。
今後しばらくの間、私につきまとい続けることがわかっている、あまりに多くの「もしこうしていたら…」や「どうして…」や「なぜ…」。
私や彼と親しい人たちによるサポートや愛情に加え、一つ大きな助けになることは、世界中のファンからの本当に沢山の追悼の言葉です。
もしマルセルが知ってさえいれば、この24時間で彼の音楽と演奏を愛した人たちからどれほどのことがもたらされたのか、
彼が知ることさえできたなら、彼は生にしがみついていられたに違いありません。私はそう強く信じています。
多くの励ましを下さった皆さん全員に感謝しています。彼の家族、友人たち、ファンたちのためにも、強くあろうと思います。
このささやかなブログは私が書きうること、私が感じていることの氷山の一角に過ぎません。
しかし、これを書くことは、今後ずっとそうしようと思っているやり方で彼のことを記憶にとどめる助けになってくれました。
強い信念を抱き、私が知っている誰とも違う音楽的能力をもち、自分が望む一つのこと――ベースをプレイすること――への情熱を燃やした男のことを。
誰も――誰一人として、です――彼が私の目の前でプレイしたようにはプレイできません。
彼は曲の中での、あるいはバンドの中での、ベースの扱い方を再発明したのです。
彼はプレイしたあらゆる曲に、サウンドで署名を残しました。
彼のスタイルは今後数世紀にわたって影響を残すでしょう。
彼は自分がそんなにも人を触発する人物であるとは知らなかったのですが、
私は自分の今後の人生で彼の影響を見ることを楽しみにしています。
また、私たちが永遠に楽しめるように彼が残してくれたものを見守り続けていくことを楽しみにしています。
私は長年、多くのインタビューで、マルセルと私が生きている限りTalismanは存続し続けると言ってきました。
…こんな状況でバンドの終焉を迎えるとは思ってもみませんでした。
この文章を締めくくろうという時になって、涙があふれ出してきました。
書けば書くほど、彼が逝ってしまったことが実感されてきたようです。
しかし、どの曲の、どの本の、どの歌詞の終わりもそうであるように、
締めくくりというのは暗転を予感させるものです。

君がいなくなって寂しいよ、俺の「共犯者」、マルセル!

ジェフ』

Give Me A Signを聴きながら酒とともに夜をふかします。
マルセル、素晴らしい音楽をありがとう!

社交を愛するからでなく、孤独が恐ろしいからである。

2009-08-05 22:24:02 | 入門
Sentenced「The Cold White Light」……
こんなものを創られては……

全体を覆うのは哀愁というよりは絶望感ですね。
ただ曲調は重く引き摺るような感じではなくアップテンポな曲もあり、メロディも陰鬱さだけがあるわけではないのに、この圧倒的な絶望感といったら。

力強くも悲しいサビのメロディ、そしていよいよ神懸かってきたギターソロで締めくくられる「Cross My Heart And Hope To Die」から寂寞感漂う名曲「No One There」まで捨て曲なし。文句なしの名盤です。

人生は回転木馬

2009-03-11 21:40:33 | 番外
人生とは回転木馬のようなものですね。
降りるまで同じところをグルグルと回る。
上に行ったり、下に行ったり。

繰り返しの中に存在するハレの場。
その一瞬に大騒ぎをするけれども、終わってしまえば前より大きな寂寥感を覚えます。
そして、また同じところを回り出す。
ハレの場は一瞬ということは理解しているのだけど、そこに目を瞑って、その後に訪れる喪失感や倦怠感の前にただただ立ち尽くす。
そして、また同じところを回る。

人生とは実に簡単な事ですね。
そして木馬を降りれば自動的に回転から逃れる事ができるのです。

だから、ああ、幻だろう

2009-02-26 23:02:19 | 入門
なんだかもうね・・・
買ってからほぼこれしか聴いていません、BUCK-TICKのMemento Mori。
一枚の絵に魅入られてその前から動けないように、他の曲を聴こうとしても結局このアルバムを聴いてしまいます。

このアルバムに詰まっている楽曲達には、全てに対する暖かい眼差し、優しさが確かに存在しています。
昔の絶望とか真っ暗な世界観も好きですが、その暗い部分を引き摺りながらも救いのメッセージがある今の曲の方が好きです。

「元気だせよ」とか「恋をしよう」といったような能天気な前向きなメッセージではないですが、夜の底にいるのに優しいメッセージが溢れている曲で救われる人も世の中にはいるわけです。

憎しみや愛情、悲しみや喜びといった両価的な感情を全て飲み込んで、それに対して能動的には働きかけずただ優しく見守ってくれているような、そんな作品です。
前のエントリでも書きましたが世界が美しく見えて勘違いをしてしまいそうです。

それでは・・・
ヘヴィーメタァァァル!

恋い焦がれ 待ちきれずに狂い咲き

2009-02-24 22:52:13 | 入門
先月、人間椅子のベスト盤が出ました。
今回の目玉は、「陰獣」「猟奇が街にやって来る」の新録、歌詞付きの「鉄格子黙示録」、1st収録曲のリマスターといった所ですよね。

初期の曲の素晴らしさは既に語り尽くされていますので、何も言わずに聴いてもらって結構です。
個人的には「心の火事」を入れて欲しかったですが、アレは一番最初のベストに入っているからしょうがないのか。

和嶋慎治も初期の曲を録り直して、いままでやってきた事がぶれていないことを再確認出来た、といった旨の発言をしていましたし、新曲の「狂ひ咲き」もなかなかの力作で、今年中に出るという新作も期待出来そうです。

新曲の曲名の狂い咲きの意味を調べたら・・・
(1)初冬の小春日和の頃、時節外れに花が咲くこと。また、その花。返り咲き。[季]冬。
(2)盛りを過ぎたものが、ある時期だけ勢いを盛り返すこと。
・・・(2)の意味にだけはなって欲しくないですが、人間椅子はまだまだ盛りは過ぎてはいないですよね。
老いてなお盛んなり、という言葉を体現していってほしいです。

20周年記念ということでのベスト盤だったわけですが、人間椅子とBUCK-TICKってデビュー時期だけみればほぼ同期なんですね・・・
なんか奇妙な感覚を覚えますね。

それでは・・・
ヘヴィーメタァァァル!

取り乱します

2009-02-21 20:35:10 | 入門
この興奮をどうすれば良いのか・・・

17作目にして、このクオリティ。
デビュー22年目にして、このテンション。

素晴らしすぎる!!!こいつらは一体どうなってんだぁー
『狂った太陽』とか『darker than darkness』とか『COSMOS』とか軽く凌駕してしまっている。
『13階は月光』『天使のリボルバー』そして今回の『memento mori』。
ここ数作の勢いはもの凄い!
特にmemento moriは全作品の中でも最高の出来と思えるほど。

ロックのダイナミズムも失われていないし、BUCK-TICK独特のPOP性、そして詩。
櫻井敦司は一時期は英語を使用せず日本語のみの詩を書いていましたが、今は英語まじりで独自の世界観のある詩を書いてますね。
年を重ねてこういう歌詞を色っぽく、かっこよく歌えるようになったんでしょうね。

なんかBUCK-TICKの曲を聴いていると世界が美しく見えてきて困ってしまいます。

とにかく聴いて欲しいアルバムです。
これを聴いてダメならBUCK-TICKは合わないという事になりますでしょう。

BUCK-TICKを聴いてて良かった・・・
こんな風に格好良く年を取りたいもんです。

それでは・・・
ヘヴィーメタァァァル!

時の澱が降り積もり

2009-02-20 22:10:27 | 入門
Guns N'RosesのChinese Democracyです。
実は去年発売になったすぐ後に買ったのですが、この時期に記事を書いていると・・・

このアルバム、私は待ちに待った・・・とは言えませんね。「あ、出るんだ」といった感じです、最初にリリースされるというニュースを見た時は。
そして当初買うつもりもなかったんですが、リリース後のレビューとか読んでいると結構良さそうだったので、購入した次第です。

第一印象は結構良いじゃないか!というものでした。
バックの演奏は昔のハードロック然としたサウンドの頃とは全くもって印象を異にしていますが、Axelの声が乗ると何故かGunsに聴こえてしまいます。
そしてメロディもかなり良いものが多いので満足感はあります。
それにUse Your Illusionの頃にも同じ様な匂いを持った曲はあったような気がしますし。

ハードロックではありませんが、良質な音楽であることは間違いないでしょう。
ただ個人的にはもっと躍動感のある曲が多くても良かったんじゃないかなぁと感じました。

それでは・・・
ヘヴィーメタァァァル!

浴室シリーズ

2009-02-19 00:32:12 | 番外
私がまだ学生の頃、国立近代美術館で観た一連の小作品のシリーズに心を奪われました。
それは河原温の浴室シリーズです。

正確に敷き詰められているタイルの浴室を俯瞰で眺め、その浴室にはバラバラにされ部品化された体を紙と鉛筆のみで描画している一群の作品は、ひんやりとした雰囲気を持っており、また個室の閉鎖性、四肢をバラバラにする猟奇、そして作品が進んで行くにつれて歪んでいく空間などが私の心をつかんだのです。
この作品の底にうっすらと流れる怖さに恐怖を覚えながらも惹かれてしまう。
中村宏の初期・中期の作品を観た時も同じ様な感覚を覚えました。

河原温の浴室シリーズを観ていると椎名林檎の2ndアルバム「勝訴ストリップ」収録の「浴室」という曲がどうしても頭に浮かんできてしまいます。
タイトルが同じだけではなく、この曲を聴いていると浴室シリーズを観た時のようなひんやり感、そして猟奇を感じることが出来るのです。
この曲を聴いていると内臓をむき出しにされて浴槽に溶けていきそうなそんな気分になるのです。

2つの作品に対して恐怖への憧れみたいなものを私は抱いているんだと思います。
その恐怖によって心臓を貫かれても良いと思えるくらいです。

それでは・・・
ヘヴィーメタァァァル!