四谷十三雄の作品2点

2020-11-23 | 日記

 

この四谷十三雄作品は、彼の作品が見たいという方のリクエストがありましたので、久し振りのブログですが、ここに掲載します。
2012年 (1月8日) に、このブログで四谷十三雄 (1938‐1963) の作品を紹介しましたが、これを見られた方のリクエストです。仕舞いこんでいた作品を先ほど2点ばかり探し当てたものです。他にも何点か所蔵していて、こちらの方は未だ見つけていませんから、また後日、整理しながらの捜索(?)をして見たいと思います。
僕が四谷の作品を知ったのは洲之内徹が『芸術新潮』という新潮社発行の雑誌に「気まぐれ美術館」というエッセイを連載されていて、やはり僕は、そのバックナンバーで知ったのでした。記憶ですが、四谷の初めての個展の案内状が出来上がって、彼はそれを受け取っての帰路の時かに、車に轢かれ命を絶ったということでした。かわいそうな十三雄君!
右の絵は、燃え上がるような彼の彼自身の未来を指向する意気込みを象徴しているように思えて、僕はこの絵を見た時、静かに心が震えたことを、今も思い出します。

 


読書

2020-03-21 | 日記

         

『芸術新潮』3月号の特集は「美人画」であった。買うつもりはなかったが、店頭で見ていると、この絵が掲載されていて、僕の知らなかった画家だった。昭和11年作の日本画で『読書』という画題である。画家は中村大三郎(1898-1947)という京都画壇の画家である。見ていると引き込まれてしまっていて、最近はこの雑誌はあまり買ってなくて、しかしどうしようもなくて、小さく掲載されているこの絵のことを知りたくて買うことになったのだった。この平面的画面が一種の知的静謐感を漂わせている。大判の赤い表紙の本は何だろう、画集のようでもあって、しかし、画面の落ち着きのあるトーンを、表紙のこの赤色が女性の隠された「情」を現わしてもいるかのように、口紅の色と共に一枚の画面を、エキサイティングにすることもある。時に読書は、表面性の静かさとはパラドキシカルにも、一個の内面的アヴァンチュールをもたらすこともある。読書の喜びもまたここにある。昭和11年であろうが令和2年であろうが、過去も現代も、読書の楽しみと喜びは不変である。

 


昼の月と「箕輪の心中」

2020-03-07 | 日記

          

今日は快晴になったが、まだ肌寒い。いつもの年では、3月とはいいながらもまだ雪が多く残っているそういう季節なのであるから、肌寒いのは当たり前なのだった。でも、もう村の風景は雪を置いてはいないから、いつもの春と勘違いをするのは、そういうことなのだった。外は寒いが、こういう天気のいい日は家の中はほどよい暖かさである。ストーヴに火を入れないでも今日は暖かくて、本を読んだりするのには、もってこいである。縁側で今日は、埃まみれの古い革カバンを磨いた。骨董屋さんからついでに貰ったもので、やはりいいものは磨くと、やはりいい味を出してくれる。
と、いう訳で(どういう訳でか?)磨き終わって、外に出てみると間近の桑代山の山頂には、透明な月が満月を少し欠いて、快晴の青い空に浮かんでいるのだった。弥生の空であった。

写真は旺文社文庫版の『岡本綺堂情話集 箕輪の心中』(昭和53年刊)である。今では、もうこの旺文社文庫は出ていないから、ちょっと貴重本になっている。何かのついでに知ったのだったが、この「箕輪心中」は実は江戸時代にあった実話に基づいた小説である。主人公は旗本である藤枝外記(1758-1785)という。彼は、名家の武士であり妻子ある身にして、吉原遊女綾衣と相愛になり、のち、心中したという。外記27歳、綾衣19歳だったというのだ。(関係無いけど、良寛も1758年生まれであり、喜多川歌麿は1753年生まれ?という。なぜかここに書いておきたいと思った) この心中事件は江戸の町に評判になった、という。綺堂のこの本では、外記と綾衣の心中に至る「道行」が読める。綺堂は書いている。

外記は腹を切っていた。綾衣は喉を突いていた。男も女も書置きらしいものは一通も残していなかった。多くの場合、書置きというたぐいのものは、この世に未練のある者が亡き後をかんがえて愚痴を書き残すか、あるいはこの世に罪のある者が詫び状がわりに書いて行くのであるが、二人はこの世に未練はなかった。また懺悔するような罪もないと信じていた。褒めようが笑おうが、それは世間の人の心まかせで、二人の心は二人だけが知っていればいいと思っていたらしい。

誰にも二人の心の内は分からない。分からないが、「二人だけが知っていればいい」のであろう。綺堂が最後に書いたように、「思っていたらしい」というのは、誰にも二人の世界は分からないからである。分からないから、人は物語を綴るのである。

 


『たけくらべ』

2020-02-24 | 日記

          

          

樋口一葉著『たけくらべ』(大正七年11月23日 博文館発行) 真筆版(一葉の筆文字)の表紙。下は本の中扉に掲載されている鏑木清方(1878-1972)の画。この本は昭和47年発行のその復刻版である。装丁は誰かは記載がないが、素敵なデザインである。そしてこのオリジナルの発行された11月23日は、一葉 (1872-1896) の享年僅か24歳で逝ったその日である。

どうもパソコンの調子が悪くて、後はどうも書けないです……。このブログのタイトルを最初「いい女」としていたが、書いたのが全部消えてしまった!同じ文は再現できそうもなくて、すみません、です。また気を取り直した時にでも書きましょう。ジュ スイ ショボン。

 


真冬の守門岳

2020-01-26 | 日記

                   

今日もいい天気になった。写真は、今日の午後3時頃の守門岳を望む。冬の真っ最中だというのに、守門の頂上付近だけが白くなっているが、他の山肌には胡麻塩のように樹々が点々と黒く、如何に雪が少ないかが分かる。里には、雪の気配すらない1月26日の日曜日の午後である。
今日は天気に誘われて、少し車を走らせてランチに行って来たその帰りのロケーションなのである。雪がないと、毎日の暮らしはとても楽であることを実感するのだが …… 。      

帰宅して、炬燵に入って『荷風全集 第15巻』( 岩波書店 昭和47年第二刷発行 ) を開く。昨夜からの続きで「為永春水」の項を読む。昨夜はあともう少しで、この項を読み終わりそうだったが、突然の睡魔には勝てなかったからであった。この巻では森鴎外の他に、大田南畝や大沼沈山などについての文章を集めているが、それにしてもこの荷風の文章は、漢文や僕にとって未知の漢字が多々登場してくるから、スラスラ読めなかったのである。漢和辞典を引き引き、遅々として読み進めないのであったから、それでやっと今日、「春水」を読み終えた。ここで荷風の文章を引用したいのだが、今夜も睡魔が襲ってきた … 。