都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

人形町交差点の角地モルタル建築

2024-05-06 | 中央区  
左から、喫茶RON・ナカジマパッケージ・みどりや靴店
所在地:中央区 日本橋人形町1-19-5
構造・階数:木・2
建設年:関東大震災〜戦前期
解体年:2020〜21(令和2〜3)
備考 :Photo 1996.10.6

 人形町交差点に面して建っていたモルタル看板建築。3軒ほどの店が入っていたが、構造的にはひとまとまりの建物だったようだ。下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事によれば、矢島洋品店として建てられたものだったそうだ。建設時期は関東大震災以降、昭和戦前期だろうか。
 同記事の写真には1983年撮影のものがあるが、この頃には歩道上にアーケードがあったことが分かる。Wikipediaによれば、アーケードはこの翌年の1984年に撤去されたそうで、同記事中の1991年の写真には確かにアーケードはない。

 写真の1996年時点では左から喫茶RON、ナカジマパッケージ、みどりや靴店。日曜だったのでこの日は店がみんな閉まっていた。

 中央上部にメダイヨンがあり、軒先のデザインも共通なので、当初はRONもナカジマパッケージも右側のみどりや靴店のようなファサードで、窓も縦長のものだったのではないだろうか。


 Photo 2014.5.4

 みどりや靴店は2000年代までは営業していたようだが、この2枚目写真の頃には既に廃業(もしくは移転?)していたらしく、2階壁面には日本和装と不動産の広告が掲出されていた。


 Photo 2014.5.4

 また、ナカジマパッケージは靴とバッグの修理などをする店になっていて、これが建物全体の消失直前まで続いていた。


 Photo 2014.5.6

 最初の矢島洋品店は、そもそもは馬具商として1780(天明元)年に創業し、その後、両替商、唐物屋を経て、大正期の地図には矢島洋傘帽子店と記されているお店。そして喫茶RONはその矢島洋品店が1965(昭和40)年に商売替えしたものだったそうだ。
 喫茶RONは2018(平成30)年秋に閉店。その後も建物全体はしばらく残っていたが、2020年頃に解体され、10階建てのビルが2023年に完成している。

ロン、みどりや靴店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #看板建築  #モルタル看板建築 
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旅館 鴻生館

2024-05-03 | 中央区  
旅館 鴻生館
所在地:中央区 日本橋人形町1-16-1
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前
解体年:2007(平成19)
備考 :2007頃廃業
Photo 1995.11.18

 人形町の表通りのひとつ裏側の道に面していた旅館。木造モルタル看板建築で屋根裏3Fもあったようだ。モルタル看板建築だが、2階ベランダの手摺や軒先のデザインは和風。
 いつも見ている下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事には、旅館経営者の親族がコメントを付けているが、創業年や建物の建設年についてはコメントしていないためその詳細は不明。

 左隣の銅板張り看板建築は中島米店(日本橋人形町1-16-2)で、明治中期に創業したというお店。鴻生館と同じ頃に廃業したが、Googleストリートビューによればこちらの建物は2022年9月時点でまだ残っている。

鴻生館、中島米店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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2024年4月 記事一覧

2024-04-30 | 記事一覧 

04/03 新富1丁目のモルタル看板建築群
04/06 フレッシュフルーツ水作・理容サン
04/09 須田商店・石川家
04/12 月島1丁目の五軒長屋
04/15 旧 白石パン店
04/18 月島2丁目、清澄通り沿いの看板建築群
04/21 Coffee Shop Cotto、旧日比野運輸
04/24 永楽屋
04/27 旧イクタツ/ArchitectS Office
04/30 三田商店

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三田商店 東京支店

2024-04-30 | 中央区  
三田商店東京支店
所在地:中央区 日本橋小網町17
構造・階数:RC・2+R
設計 :葛西萬司
建設年:1930(昭和5)
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 このビルの裏側にはかつては東堀留川があった。戦前の地図では日本橋川から北に入り込んだ船溜まり状の水路になっている。そしてこの建物も水路からの荷揚げを想定して建てられたものだったようだ。東堀留川は戦後の1949(昭和24)年までに、戦時中の空襲で焼失した家屋などの瓦礫で埋められたそうで、その後は水辺の建物ではなくなっていた。

 下記、中央区サイトの記事によれば、この建物は辰野金吾と建築事務所を運営していたことで知られる葛西萬司という人が設計したものだそうだ。当初は水平庇をまわした初期インターナショナルスタイルの建物だったという。モダニズム系の建物なので装飾はほぼない。最上階のパラペットが少し出っ張っているところと、左右対称でほぼシンメトリーだったことぐらい。それなので逆に昔風な感じには見えず、小規模ながらモダンな感じであり続ける建物だった。

三田商店東京支店/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション
中央区ホームページ/株式会社三田商店東京支店
三田商店東京支店 東京都中央区日本橋小網町 - 墳丘からの眺め
三田商店東京支店 | 新・レトロ建築写真帖

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ArchitectS Office/旧イクタツ

2024-04-27 | 中央区  
ArchitectS Office
所在地:中央区 日本橋小網町16-16
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)頃
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 かつての東掘留川沿いに面して建てられていた建物。

 下記リンク先の記事によると、最初はワコールの前身の和江商事が倉庫(兼事務所?)として建てたものだったそうだ。川沿いだったので荷揚げ設備もあったという。

 戦後、建物裏の川は戦災で生じた瓦礫の処分のため埋められたが、建物はその後もいくつかのオフィス兼倉庫として利用されていたようだ。写真の時期は建築家の方がリフォームして設計事務所兼ギャラリーカフェとして利用していた。

 外観は装飾もほとんどない地味な建物。それぞれの窓の下に四角い凹みがデザインされているのと、屋上のパラペットにも穴が開けられているあたりが数少ない特徴。またそのパラペットはわずかに外に開いていて、外壁の雨だれ汚れを低減するデザインだったようだ。この他、撮影時は全体が白っぽく塗られていたが、1階はタイル張りで、2、3階はモルタル塗装だった。

 この後、2022年に解体され、少し前に解体された南側の建物(写真左手前)の敷地と合わせて新しいビルが建てられた。
 中央区のサイトには平成23年から3ヶ年にわたって行われた近代建築調査によって調査された建物について記したページがあるが、そこに掲載されている約90の建物のうち25軒ほどは現在までの期間に解体・消失しており、残っているのは約7割になっている。

中央区ホームページ/中央区近代建築物調査
中央区ホームページ/ArchitectS Office
川がない橋が秘めた東京の履歴│47号 つなぐ橋:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
イクタツ(現・ArchitectS Office)/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション

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