都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧 白石パン店

2024-04-15 | 中央区  
旧 白石パン店
所在地:中央区 月島2-3-10
構造・階数:木・2
建設年:戦前
解体年:2005(平成17)
Photo 1996.5.25

 月島2丁目、朝潮運河に近い通り沿いにあった銅板張り看板建築。
 下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事によれば、戦後の1950年頃の火災保険特殊地図には「白石パン店」と記されているという。ただ、1970年代以降の住宅地図ではパン屋という記載はない。パン屋さんだったのは戦後しばらくの間だけだったようだ。

 1995年にこの写真を撮って以降は訪れていない。2006年の住宅地図では既に建物がなくなっており、2010年撮影のGoogleストリートビュー画像では駐車場になっていて、その状態が最新の2022年9月の画像まで続いている。

 なお、写真左端の銅板張り看板建築町屋は、2022年9月時点のストリートビュー画像にも写っている。

楽々、他/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #看板建築 #銅板張り看板建築 
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五軒長屋

2024-04-12 | 中央区  
月島1丁目の五軒長屋
所在地:中央区 月島1-4-4〜5
構造・階数:木・2
建設年:戦前
解体年:1997〜98(平成9〜10)
Photo 1996.5.25

 下記、「ぼくの近代建築コレクション」では、七軒長屋として掲載されているもの。
 写真左端を見ると、南側の二軒との間に隙間がある。その南側二軒は一体の出桁造り町屋。一方、本写真のものは、銅板張りでファサードデザインも共通の五軒。このうち南端の一軒だけ棟がわずかに高いのがちょっと不思議だが、構造的には恐らく一体の五軒だったようだ。

 1990年代までは月島にもこのような長屋がいくつかあったが、90年代後半からマンションが増え、その後、高層化も進んだためこのような街並みはほぼなくなった。

 ここも写真の少し後に解体されて12階建てマンションになった。その後、それも壊されて、2015年には53階建ての超高層マンションが完成している。その際、月島1-4と1-5の街区が統合されたため、現在、月島1-4街区はない。

七軒長屋/月島1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #看板建築 #銅板張り看板建築 
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須田商店・石川家

2024-04-09 | 中央区  
須田商店・石川家
所在地:中央区 築地3-4-7
構造・階数:木・2
建設年:大正末期?
解体年:2018(平成30)
Photo 2006.4.7

 東京メトロ日比谷線 築地駅の東側出口のそば、新大橋通りからひとつ東南に入ったところの角地にあった銅板張り看板建築。
 下記、中央区のサイトの解説文にもあるように、看板建築ではあるが瓦屋根が見えているタイプのもの。建物を囲うように「看板」を立ててビルのようにした、というわけではなく、木造瓦葺の2階屋を簡易防火を意図して銅板張りにしたものだったようだ。

 築地会隈は明石町の聖路加国際病院に近く、戦災を免れたため、戦前の銅板張り看板建築が多く残っているが、さすがに最近は数が少なくなってきている。


 Photo 2013.10.14

 銅板張りなのは通りに面している側のみ。

中央区ホームページ/須田商店・石川家
【×】須田商店・石川家 - ずぼら堂懐古録

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フレッシュフルーツ水作、理容サン

2024-04-06 | 中央区  
フレッシュフルーツ水作(水作果実店)/理容サン
所在地:中央区 築地2-10-8
構造・階数:木・3
建設年:戦前
解体年:フレッシュフルーツ水作:2013(平成25)
    理容サン:2006〜09(平成18〜21)
Photo 2001.4.22

 新大橋通りの角にあった果物店と理髪店。関東大震災後、戦前期に建てられた木造3階建てで背が高い店舗が並んでいた。

 水作果実店の方はトタン張りで、看板建築と言ってよいかどうか微妙な建物。理容サンは一部銅板張りのギャンブレル屋根平入りだった。


 Photo 2006.4.7

 建てられてから80〜90年が経った頃に2棟とも解体。跡地は最近まで更地になっていたが、Googleストリートビュー画像によれば、昨年秋にはなんらかの建物の建設が始まっているようだ。
 水作果実店左奥の銅板張り看板建築の福市だんごも同時期に解体された。界隈には数軒の古い商店建築が建ち並んでいたが、やはり徐々に減少している。

水作果物店/築地2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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新富1丁目のモルタル看板建築群

2024-04-03 | 中央区  
トミー・リーアル・アドバイザー、Y邸、中央金属
所在地:中央区 新富1-4-3
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:手前2棟は1998〜2000(平成10〜12)
   :中央金属は2016〜17(平成28〜29)
Photo 1995.6.20

 新富町1−4の北東角から南方向に撮ったもの。下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事の2枚目写真とほぼ同じ向きで、私の方はその約1年後のもの。
 角からトミー・リーアル・アドバイザー、その隣がY邸、その奥は新光貨物株式会社のビル、その奥が中央金属(2F)。新光貨物株式会社は5F建てだが、その他は木造2階のモルタル看板建築だった。

 角地のモルタル看板建築は、1973年の住宅地図ではコーヒーマンダリン、その後、1980年代以降はトミー・リーアル・アドバイザーという会社だったが、1998〜2000年の時期に解体された。またY邸も角地の建物と同時期に解体され、その後、両者の跡地はまとめられて7階建てのビルが建てられている。


 Butterfly Stroke Inc.(旧 中央金属) Photo 2013.10.13

 一方、奥に写っている中央金属の方は、Googleストリートビューの画像を見ると、2000年代後半にはきれいに改装され、Ruffy Tuffy Inc.という小規模事務所になっており、2010年代にはButterfly Stroke Inc.になっていた。また、いつ頃からかは分からないが、この頃には外壁がツタで覆われていた。
 しかし2016〜17年頃に解体され、その後はコインパーキング、現在はホテルになっている。

 1990年代頃までは都心でも看板建築が建ち並ぶ街並みがそこそこあったが、その後次第にそれらは建て替えられ、現在はやはりかなり少なくなっている。

トミー・リーアル・アドバイザー/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#看板建築  #モルタル看板建築  #街並み 中央区 
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