遊びの国

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半生の集大成

2017年11月08日 05時00分27秒 | 2017年の記録
なんらかの理由で、生き生きとした生の実感がないため、補償として虚構(読書やアニメ)に関心が強かったし、思春期以降の文学、宗教、哲学もそれぞれのアプローチで、この実感の無さ、違和感をどう埋めていくか、という理由が一番根底にあったと思う。

特に哲学には不健康なくらいにコミットしてしまい、妄想に近い命題に囚われてかなりの労力と時間を無駄にしてしまった。

それらも何十年もの時を経て最近ようやく手放せた。

また、この生の実感の無さと共通の原因が、発達障害的な傾向を強めていたし、当然そこから派生するネガティブな結果の遠因でもあることになる。

おそらく回避性人格障害に近い問題が、人間関係や進路選択で働いていて、問題がどんどんこじれていった。

二十代過ぎくらいから、手探りであの手この手で目の前の問題を解決していくうちに、だんだんとこの根本にある生の実感の無さとそこから派生する問題を遡っていった感じがある。

詳述はしないが、熱中したことの「全て」にはこの実感の無さかそこから派生する問題の解決が必ず関わってる。つまり無自覚なライフテーマそのものだ。

おそらく生の実感の無さの原因がさまざまななことの遠因になってるが、この原因を取り除いとしても即全てがよくなることはなく、むしろそこからどれだけ失った人生での経験を圧縮して取り戻せるかが重要だろう。

つまりは全て今現在が問題なので、あまり起源や過去にだけ執着してはいけないと思っている。