イカサマの宇宙

Splendido Universo di Ikasama

おおブルータスよ・・・!!

2012-12-12 22:04:51 | イタリア
すっかりこのブログの存在を忘れておりましたが、最近、あっと驚くようなことがありましたので、ちょっと書いてみることにいたします。

イタリアの人は、往々にして、

かなりおおざっぱ な人たちであるわけですが、

例えば、ある印刷物の校正を私がして、イタリア人が印刷工であるなどというホラー小説並みのことが起きた場合にですよ、

Aの部分の校正をする → イタリア人にわたす → 校正の反映されたものが返却される

Aは修正されているが、以前には問題のなかったBの部分がなぜか、誤植になっている。
↓   
Bを校正する → イタリア人にわたす → 校正の反映が返却される

Bは修正されているが、以前には問題のなかったCとDの部分が、なぜか、誤植になっている。


ということがですね、「私、悪い夢を見ているのじゃないですよね?」と自問したくなるようなことが起きるわけです。

いやいや、悪気はない、らしいんですけどね。

でも、イタリア人って、

総体的に、仕事に対するモラルが日本人よりも、相当低いような気が。

いやいや、それとも、

私が共に働くことになってしまった一部のイタリア人(みんな揃って自信過剰)が、非常に特殊なだけかもしれない。。。

そうだ、イタリア人の中にも、私の友達のように真剣に働く人だっているじゃないですか。

(非常に少数派とはいえ)

ま、そんなことを考える今日この頃なのでありますが。

ところで、

つい最近、イタリアのある本をぺらぺらとめくっていると、

最後のページに、

ひたすら単語がアルファベット順に二列に並べられたページ

がありました。


「・・・単語集かしら?」

でもいったい何のために?

・・・と、そこには、


INDICE LESSICALE(語彙索引)


の言葉が!!! 


「ご、ごいさくいん・・・!?」


数字がない!

ページ数が、ありません・・・!!


いやー・・・びっくり。

でもこれって、なんだかデジャヴー感もあるような気がします、はい。

ブルータスよ、おまえもか・・・。

私は何だか裏切られたような気分ですよ。

おしゃれ老人力

2012-04-23 16:02:57 | イタリア
というわけで、サリッチャとお寿司食べて大枚をはたいた後、
長らく沈黙しておりましたこのブログでありますが、
最近のイカサマは、ゆえあって「モーダ」のギャラクシーの中に
巻き込まれて、毎日、「プラダが…」、「アルマーニが…」と
うわごとのようにつぶやいているのでございます。

(イタリア語で文学の論文を書く作業が
何万光年の彼方へ消え去っているような…気が…イカン…)

それでインターネットでもファッション関係の調べものをするようになり、
イタリアのおしゃれさに毎日やられっぱなしなのですが、
中でも、迫力満点なのは、ファッション業界の長老たちです。
もう、何がすごいって、
年齢も最高だけど、おしゃれも最高!
なのですよ。

例えば、フォンターナ姉妹という、イタリアのコシノ三姉妹のような、
イタリアのオートクチュール業界で一世を風靡した人たちがいて、
このうちの一人、
ミコル・フォンターナさまはまだ生きているのですが(今年で御年99歳です)、
去年、テレビに出演してインタビューに答えたときの画像が
こちら↓


三連パール!
緑色の全面キラキラスーツ!!
そして、髪は、右前の髪だけ白に染め抜き!!!

あまりの素敵さに倒れそうです。

ちなみに、この時の映像をご覧になりたい方はこちらをどうぞ…。↓
Micol Fontanaのインタビュー

ミコル・フォンターナの凄さにも相当参っていたのですが、
今日、もう一人、今度はおじいさんも見つけてしまいました。
それは、ミラノのファッション界のドン、ベッペ・モデネーゼさま(1927年生)。
2010年の写真ですが、これまた素敵すぎです。



…赤い!



…若い!


 
…ナナメ45度!


いやいや御見それいたしました。
すごいです。イタリアのおしゃれ老人力。


イタリアのおしゃれ老人力を象徴するようなツーショット。
左:ワンダ・フェラガモ(1921年生まれ)、
右:ベッペ・モデネーゼ(1927年生まれ)。



(おわり)

イカサマアヤとサリッチャ、鮨屋に挑戦の巻

2012-02-13 22:40:42 | イカサマ
昔よくフィレンツェでつるんでいたイタリア人の友達サリッチャが今、東京に来ています。
通訳みたいな仕事らしい。
昨日の晩のことです。
夕食の準備をしようとしていたところ、そのサリッチャから
「今日しか会えないから会おう!!」と、突然電話がかかってきて、
あわてて会うことにしたのです。

「何食べたい?」
「スシ。」
「なにーーー!!!一財産かかるよ、スシなんか!」
と、言いながら、デパートの一番上にある高級すし店(品書きが・・・なかった・・・)へ行き、

ウニ(これは二回も食べた)、
あんきも、
のどぐろの炙ったやつ、
中トロ、
赤貝、
アオヤギ、
赤貝のヒモ、と食べて、

最後に

「エビ食べます?」

「はい、じゃあ、エビもお願いします。生ね」

と言ったら、

生のやつは、甘海老ではなく、

ボタンエビだった・・・。

どうりで、エビを注文した時に、

「はい!イキエビ入りますっ!」

ありがとうございましたー!!

と、お店の板前さん全員からお礼を言われてしまったわけである。

しかし、もちろん、ボタンエビの値段などつゆもしらぬイカサマアヤとサリッチャは、
食べに食べた。高級な魚をどんどん、気持ちよく食べたのである。


で、お支払いになって、

(以下の会話はすべてイタリア語でおこなわれた)。

アヤ 「あ、いい、いい、あたしおごるから!・・・・あっ!・・・・」


それは、目の回るような金額、
イカサマさんちの一か月の食費くらいの金額になっていたのである。


焦りまくるアヤとサリッチャ。

こ、こんな結末が我々を待ち受けていようとは、

2時間前には考えもつかなかったことである。


「ど、どうしよう!私、千円札しかもってない・・・!!」と、

突如として大量の千円札をごそごそ財布から取り出すサリッチャ。


いかん、相棒がパニックに陥っている・・・

こんなときは、年上のイカサマアヤが先輩としての落ち着きと威厳を示すことによって、

この場を収集しなくては・・・!



アヤ    「・・・いいから!

サリッチャ 「え!?・・・なにが!?」

アヤ    「ここは、わたしが、カードで払う。

サリッチャ 「え!ええー!そんなのだめっ!ダメよ!!!!!」

アヤ    「あんたは、半額、現金で私に払いなさい。
             ・・・そうすれば、ポイントがたまるから。」

サリッチャ 「・・・。」



というわけで、
人生の大先輩たるイカサマアヤの機転によって、
現金一万数千円しか持っていなかったサリッチャと現金七千五百円しかもっていなかったアヤは、
突如訪れた人生の大ピンチを乗り越え、
無事に、高級鮨店からの脱出に成功したのである。

その後、ショックでフラフラになった二人が、とてもここには書けないような罵詈雑言を
イタリア語でワーワーと言い合ったことは否定できないにしても、
その後、気を取り直して、
二年ぶりの再会を祝ってサリッチャの年季の入ったアイフォンで写真を撮ったところ、

そこには、あろうことか、

恐ろしいほど満面の笑みの二人がいたのであって、

これも、あの超・高級寿司の効果なのだと思えば、たまにはこんなことがあってもいいのかなあと思うのだった。

・・・しかし、サリッチャと一緒にいると、
いつも奇妙なこと、想像もつかないことに巻き込まれるような気がするんだが、
それって、どうしてだろうねえ、サリッチャ?

ロンドン話が中断中・・・

2012-01-31 22:46:17 | ロンドン
ロンドンの食べ物のお話をしていたのですが、
すっかり中断してしまいました。
というのも、大学の授業もさることながら、
イタリア語で論文を書いていたからなのであります。

しかし、イタリア語で書くということは、タイヘンなことですねえ…。
母語だと、こうやって、何にも考えなくてもサラサラと書けてしまうけれども、
外国語で論理的にギリギリと詰めていくというのは、結構、難しい。
しかも、その弊害で、

イタリア語で論文を書いているときには、当然といえば当然のことながら、
どうやらイタリア語で思考しているらしく、
その結果として、いきなり話そうと思っても、
日本語が出てこない。

かといって、
イタリア語が上手になるというわけではなく、
・・・ひたすらストレスがたまるのであった。
Quasi quasi scrivo anche in italiano ormai...


           強いスコットランド人になるための必需食品。
           これを食べれば、こんなリアル・マッチョになれる!
            ↓
           

イギリスはおいしい・・・のか?(2)

2011-12-25 16:17:37 | ロンドン
で、実際にイギリスで私が何を食べたかというと、
たとえば、

    
    羊肉のパイとマッシュポテト、グレイビーソース添え

まあ…初めて食べる分には全然わるくない。
というより、おなかがすいていれば、おいしく感じられるものです。
マッシュポテトにはチェダーチーズが混ぜてあるし、
パイはサクサクで、中の煮込まれたラム肉は柔らかく……悪くない。
上にかかっている、茶色いあんのようなものは、グレイビーソースという
英国ならではの、伝統的なソースであって、

このグレイビーソースがかかっているか、いないか

ということがどうも大事なことのようです。
つまり、グレイビーソースがかかっているか、いないか、
それはそのまま、

この料理がイギリス料理になるか、ならないか

の分かれ目のようなものになっている。

このどっしりとした、つややかで、味のあるような、ないような
しかし、これがあるからこそ、パイもマッシュもおいしく食べられる、
ミステリアスな茶色い液体
これがまあ、イギリス料理のユニオンジャックというわけらしい。


イギリスはおいしい・・・のか?

2011-12-25 15:50:02 | ロンドン
     

「イギリスへ行く」といって
一番心配なことは、食べ物ではないだろうか。

これは実際にイギリスに行ったことのある人に聞いてみるほかあるまい。
オックスフォードに語学留学したことがあるという後輩に尋ねてみると、
衝撃的な返事が返ってきたのである。

「イギリス?…まずいですよ。
 わたし、一か月で3キロ痩せました。
 ごはんがまずくて、食べられないんです。」

な、なんと…。
食べ盛りの女子大生が、一か月で三キロも痩せてしまう食事とは…。


さ、さぶかった・・・

2011-12-24 19:34:06 | ロンドン

ロンドン・リバティ百貨店の素敵な装飾

確かに、去年のヨーロッパの冬は尋常ではなかった。
しかし、今年だって、十分寒かったのです。ヨーロッパは!
ヨーロッパは、寒い。毎年、寒い。夏も、寒い。冬は、もっと寒い。
冬にアルプス山脈を越えちゃ、いかん!
もうこれは、家訓にしておかなければ…。

ところで、今年は、イタリア統一150周年の記念の年でもあるのですが、
実は、こっそりと、研究対象の作家の生誕150周年でもありました。
で、その記念会議が、作家の誕生日12月17日に、
イギリス、オックスフォード大学で開催されたのです。

というわけで、イカサマは、
「パリよりも20倍くらい恐ろしい場所」
と呼ばれているロンドンに乗り込んだのであります。

…ところで、私って、英語しゃべれたんだっけ?

パレ・デ・サヴール

2011-10-10 21:36:55 | ボルドー
少しずつ涼しくなってきたせいか、
ボルドー「パレ・デ・サヴール」のタルトが懐かしく思い出される今日この頃。
おフランスなタルトたちをご覧ください。
ちなみに、下の写真のお皿は、いわゆる日本の小さなケーキ皿ではありません。
日本では食事を盛る大きさのお皿です。
そして、フォークも、デザート用の小さなフォークではなく、
普通の大きさのフォークです。

では、どうぞ。


「パレ・デ・サヴール」ご自慢の「タルト・オ・シトロン」。
一日に少なくとも二度は焼かれているらしいこのタルト。
この日の大きさは、これでもかなり控えめ。




「ベリーのタルト」
ケーキとお皿の色がコーディネイトされているところに、おフランスの底ぢからを感じてしまいます。



       
         カフェもなかなか。

フランスの人はイギリスに憧れてるところもあるらしく、
このティーサロンも、食器などはみんな英国調で統一されていました。
しかし、提供されているのは、みんな安心のフランス菓子。
「おいしいサロン・ド・テには、やっぱり、おいしいタルト・オ・シトロンがなくっちゃね。」
ということなんでしょうか。

「パレ・デ・サヴール」に関する記事。 
      ↓
魅惑のティールーム
魅惑のティールーム(つづき)

トリエステ日記(2)Aria strana

2011-08-10 23:29:12 | トリエステ
ウンベルト・サバというトリエステの詩人がトリエステのことを以下のように詠っている。

      

「トリエステ」

私は町をずっと横切り、
そして坂を上った
最初は人も多いが、その先はまばらで
突き当たりに低い石垣がある
その片隅に一人で腰掛ける
すると、石垣が終わるところで
町も終わるように見える

トリエステには気難しい美しさがある
もし好きになるとしても
粗野で飢えた少年のようだ
青い目をして 花を贈るには
大きすぎる手をしている
嫉妬深い
愛のようだ
この坂から、全ての教会、全ての道が
見える。それは人であふれる海岸へ
あるいは丘の上へと続いている。
石ころだらけの頂上には最後の一軒が
しがみつくように建っている。
あらゆるものの周りで
異国の風、苦しみを運ぶ風が吹く
故郷の風である。
私の町はどこも活気に満ちているが
悩み深い、内気な私のための
片隅がある。

この最後の部分、「異国の風が」と訳したところは、
実は“un'aria strana”、「奇妙な風が」と訳すべきところであった。
しかし、「奇妙な」と「異国の」が掛け合わされているのではないかと思って
(というのも、トリエステはもともとはイタリア国内の町ではなく、
オーストリア帝国が作った人工の都市であったから)、
「異国の」と訳して悦に入っていたのだが、

昨日、一晩中、
台風かと思われるものすごい風が、ゴーゴーと
恐ろしいうなり声をあげながら吹きまくったのである。

トリエステでは、冬になると時速100キロにもなるという北風「ボーラ」が
ゴーゴー吹いて、子どもや羊なんかは風に倒されることもあるというし、
ボーラが吹いた次の日の朝は
ゴミ箱がお猪口になった傘でいっぱいになり、
凍った坂道の途中に住んでいる人は外に出られなくなる
という町なのだが、

昨日の風は、トリエステ人をして

「夏なのにボーラが来ちゃったかと思っちゃったわよー」

と言わしめるほどの、強風だった。

“un'aria strana”は、
「異国の風」なんていうオシャレなものじゃなかった。
ただの、本当に「変な風」だったのだ・・・。

トリエステでは今日もヘンテコな強風がブンブン吹いて、
道行く人の髪の毛を逆立てているのであります。

(おわり)

トリエステ日記(1)Claudio Magris

2011-08-09 19:55:55 | トリエステ
坂の町トリエステ。

      

須賀敦子『トリエステの坂道』で有名な、イタリアの端にある、あの町である。
ヴェネツィアから高速道路をどんどこ走ってくる。
標識に謎のスラヴ文字が混在し始めたら、トリエステが近いしるしである。
迷っていると、イタリアの外に出てしまうから要注意である。
まだイタリアなのかもよくわからないこの国境の町は、それでいながら、イタリア文学の名だたる(ということにしておこう)作家を輩出した町でもある。

しかし、日本にはトリエステの作家たちの資料が少ない。
というか、全然ない。
というわけで、トリエステで資料収集をすることにしたのである。
が、出発の前日になってトリエステ市立図書館のOPACを調べていると、なんと、今回もっともほしかった研究書が、トリエステにはないことが判明したのである。
イカサマアヤはかなり慌てた。
まずい。
トリエステから手ぶらで帰るわけにはいかない!

その時、天から啓示が降ってきたのである。

トリエステに行く前に、ヴェネツィアを通る。

ヴェネツィアには、
かのインディー・ジョーンズも通ったという、

国立マルチャーナ図書館

があるじゃあないですか。

そうだ、マルチャーナ図書館に寄ってコピー大作戦だ。

しかし、事はそう簡単にはいかなかったのである。

「水上バス一本でサン・マルコ広場に行ける」という言葉に騙されて水上バスに乗ったら、ヴェネツィアの島という島をめぐる超低速の観光バスあであって、サン・マルコはもう目の前なのに、いつまでたってもサン・マルコに着かないのである。空港からサン・マルコにたどり着くのになんと1時間もかかって、たどり着いた時にはもう息も絶え絶えである。

さらに、ヴェネツィア観光のメッカ、サン・マルコ広場で人ごみをかき分けて図書館に参上するのがどんなに大変なことであったか、また、用事が終わった後に昼ごはんを食べようと思い、一昨年見つけた美味しいレストランを探しているうちに道に迷い、日射病になりかかったこととか、その後、図書館で無事に用事を果たし、駅まで歩いていこうとしたところ、また迷ったこととか、とにかく観光客が多すぎて(←自分もだ!)、ぶらぶら歩きの人々の間を歩くのがどんなに辛いことであったかとか、またさらに、駅に着くとトリエステ行きの電車が出発しそうになっていたので、慌てて切符を買ったら、間違えてTriesteじゃなくて、Trevisoに行く切符を買ってしまったこととか、その後、切符に印をつけようとしたら、ヴェネツィア駅の機械が全部(!)壊れていたこととか、パニックになりながら電車に飛び乗ったところ、なんとそれはトリエステに直通ではなくてウーディネ経由の電車であって、そのまま乗っていったらウーディネに連れて行ってしまわれるところであり、すぐに次のヴェネツィア・メストレ駅で降りなければならなかったこととか、

ま、そういったことはここには書くまい。

確かなことは、夜のとばりが下りるトリエステにたどり着いたときには、

相当のヨレヨレであった

ということである。
次の日、ヨレヨレのままで市立図書館に行った後、
イカサマアヤは文字通り、「倒れて」いた。

しかも、暑かった。
パリでは10月くらいの寒さで震えていたというのに、
イタリアの暑さはどうだ。

しかし、奇跡は次の日に起きたのだ。
サバがかつて持っていた古書店の横にある本屋のショウウィンドウを除いていたところ、
なんと、
あろうことか、

トリエステの図書館にはない
探していたあの本が、

マルチャーナ図書館で汗だくになって探したあの本が、

売っているではないか!!!

ノー!!

さらに、その本屋の書棚を漁っていると、研究対象の小説の欲しいと思っていたエディションがあったのである。

ノーーー!!!

もちろん購入するしかない!!

本屋の袋を手にホクホク顔で
ラザレット・ヴェッキオ通り(サバが「三つの道」という詩の中で詠んだあの通り)にある宿に戻って、建物の扉を開けようと鍵をガチャガチャしていたところ、左手から歩いてくるコワイ顔をしたイタリア人がいる。

あれ?

この顔は、、、どこかで見覚えがありますよ?・・・

は!

まさか!

そんなことが!!!!!!!!!!!

なんと、
イタリアが次にノーベル文学賞を取るならこの人と言われている、
日本ではトリエステおたくしか知らない、

クラウディオ・マグリス

その人が、書類カバンを脇に抱えて、ラッザレット・ヴェッキオ通りを歩いていたのである。。。

サ、サイン?
(ウンベルト・サバの論文集にマグリスのサインをもらってどうする!)


握手?
(握手してどうする!)

「マグリスのファンです」、と言う?
(『ドナウ川』も『ミクロコスモス』も全部読んだわけではないのに?)

うぬぬぬ・・・これはどうしたことか・・・・

と、迷っているうちに、

トリエステの伝説の知識人クラウディオ・マグリス先生は、
深刻な顔をして、イカサマアヤの前を通り過ぎてゆかれたのであった。

(おわり)