Welcome to Hanoi and Ulaanbaatar !

ベトナム・ハノイ市そしてモンゴル・ウランバートル市での仕事、生活、文化、人々について綴ります。

4月11日、1ヶ月経ってハノイへ。

2011-04-12 22:21:25 | Weblog
ちょうど1ヶ月前にウランバートルで大震災と大津波のニュースを見たことが、遠い昔のように感じます。
直接の被災者ではなく、かつ3・11に日本にいなくて大きな揺れを感じたわけでもないこの私でさえ、色々と驚き、悲しみ、憤りを感じているのですから、日本全体が同じような思いを共有しているといっても大げさではないかもしれません。

2週間の日本帰国を経て、4・11にハノイ入りしました。
搭乗時刻の20分前に成田空港で大きな余震を感じて、すっかりフライトが遅れるか延期になるだろうと思っていたら、あっという間に安全点検が終わり、定刻通りに出発。
映像で見た仙台空港や茨城空港の被災状況を考えると、成田空港は頑丈だなあと思ったけれど、そうではなく、震度4と6弱の違いが相当大きいのでしょうね。

都市計画やまちづくりでは「安全・安心」「防災」が大事なキーワードではあったし、阪神大震災の時も注目を浴びたわけですが、十数年経って改めてこのような未曾有の被害を突きつけられると、都市計画って何なんだろう?と改めて痛感します。
医者のように直接命を救えるわけでも、消防隊のように直接被害を食い止めるわけでもなく、十年先、百年先を見据える仕事。
子供の未来をつくる仕事といえばかっこいいけれど、このような状況で夢を語ることも出来ず、自分の力の無さを痛感する日々です。

文章が散漫になってしまいましたが、学生時代に阪神大震災の映像を見てショックを受けながらも都市計画の道を目指した自分にとって、今回の東日本大震災が、これからの自分をどう変えていくのか、変わっていけるのか、自分自身ゆっくり見つめ直したいと思ってます。

今回のハノイ滞在は5月末まで、またまた長期戦です。



3月19日、モンゴルの土地とゲルを。

2011-03-19 12:01:17 | Weblog
ウランバートルでも連日震災と原発の報道が続いていて、日本にいるモンゴル人は家族から呼び戻されて緊急帰国をしたりしているようです。

NHKもUSTREAMやラジオジャパンなどでインターネットを通じたストリーミング放送をしばらく許可していたようですが、今朝からとうとうつながらなくなりました。
幸いウランバートルのアパートではNHKワールドプレミアムが見られるので困らないけれど、ハノイではNHKが映らないし、困ったものです。
情報ばかりにおぼれるのもよくないけれど、やはり日本語が耳に入らない不安感というのは海外にいると強く感じてしまいますね。

この一週間、仕事関係でモンゴル人にお会いするたびにお見舞いと応援の言葉を頂いています。
聞くところによると、震災当日のモンゴルのニュースでは、被災した日本人にモンゴルに避難してもらって、無償で土地を提供しよう、という話題が出ていたそうです。

ここウランバートルは世界で最も極寒の首都。暖かくなってきたとはいえ、まだ零下一ケタ。
ただし中心部のアパート地区はセントラルヒーティングがつながっていて暖かいし、ゲル地区はインフラがつながっていないけれど、各世帯が石炭で暖をとっていて、ゲルの中はとても暖かいです。

アパート地区の方が水や暖房設備、交通利便性の点からは贅沢な生活を享受できている一方、アパートの構造が老朽化していたり、もともと耐震設計になっていないことが大きな問題になっています。
一方のゲル地区はインフラの問題はあれど、ゲルは非常に簡易なつくりの折り畳み構造で、夏は天蓋を明ければ涼しく、冬はフェルトをかぶせて暖かく、おそらく倒壊しても大きな事故にはならないはず。




伝統的なゲルは、このような災害時にも優れた構造だと言えると思います。外からみるとそれほど大きくありませんが、通常のサイズだったら10人程度は生活可能。


インターネットで検索してみたところ、ツイッターで「ゲルを仮設住宅にしてはどうか」といったつぶやきはみられますが、実態は無いようです。
今回の震災でもモンゴル政府は毛布を送って下さったようですが、ゲルは無かった様子。
阪神大震災でもいくつか送られたようですが、結局組み立てる人がおらず、雨で濡れて腐敗してしまった…という記事を見つけました。
運搬にはトラックや馬がいるけれど、組み立ては全て手作業で、数人で1時間程度とのこと。

このような甚大な被害のなか、安易に提案できることではありませんが、中長期的にでも、モンゴルのゲルの仮設住宅利用やゲルの仮設構造をベースとした新たな仮設住宅の提案などがあったらいいのではないかと思った次第。
組み立て方法の簡素化と湿気への対応が課題かと思われます。

日本の震災復興とインフラ支援が喫緊の課題のなか、これから国際協力の分野もいろいろと政策や体制が変わってくるはず。
とはいえ途上国への技術支援は続くでしょうし、このような状況だからこそ、人道面と技術面において、多国間とのgive&takeが出来るといいのではと感じます。

3月14日、地球の家族からのお見舞いと支援。

2011-03-15 07:29:46 | Weblog
3月11日の未曾有の大地震と津波から数日経ちましたが、まだ救助を待つ人々がたくさんいらっしゃることと思います。ウランバートルよりお見舞い申し上げます。

不幸中の幸い、身内や知人に直接の被災者はいませんでしたが、仙台の親戚宅は危うく津波を逃れたとのこと。

大好きな東北地方がこのようなことになってしまい、本当にショックですが、何より人命第一に、救助と復興にあたって欲しいと思います。

ベトナム、モンゴル、アメリカ、ニュージーランドからもお見舞いのメールをたくさん頂きました。ありがとうございます。
今滞在しているモンゴルから日本へのメッセージをお伝えしたく、長いですがいくつか紹介します。

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■ウランバートル市土地局からのお見舞いの訪問
プロジェクトのカウンターパートの一つであり、日本への研修生や留学生も多く居る部局です。昨日、局長と2名のスタッフがプロジェクトオフィスを訪問して、お見舞いの言葉を頂きました。
「今回の被害は日本だけではなく地球レベルの災害です。同じ地球の家族として、我々も出来る限りの支援をさせて頂きたい。」
との言葉を頂き、土地局職員の1日分の給与、そして特に親しいスタッフからは1人100$ずつ義援金を集めてくださいました。

■ローカルスタッフからのお見舞いの贈り物
モンゴルのローカルスタッフから、カシミアのセーターを日本人スタッフ一人一人に頂きました。東北地方で寒さで震えている被災者に届けて欲しいとの思いです。
仙台で診療所を営む親戚に届けて、被災した患者さんに渡して頂こうと考えています。


■東北地方太平洋沖地震にかかるモンゴル国内での報道

発生直後から12日にかけての主な内容を、通訳がまとめてくれました。

・全体的にモンゴル人が大変な時から一番の支援者だった日本へ、私たちができる限り支援するということ。日本にいるモンゴル人をどうにか無事に返してきたいという2つのことに集中している。
・TVで常時報道され、モンゴル人の間でも、特に日本在住モンゴル人の家族の間で混乱が起こっている。
・原子炉爆発で放射漏れ等との誤報もされた。
・経済への影響などについても報道されている。
・金曜日の日本からの定期便が(成田での規制のため)空席で帰ってきたが、土曜日(12日)20:45に成田発となる。
・12日19:30時に在モンゴル日本大使館前に被災者追悼式をBANJIG.NETメンバーが開催。
・支援寄付口座開設(日本関連のNGO、朝青龍などが提案)国民に寄付を呼び掛けている。
・色々な機関や企業から1日の給料分を寄付するという声も。
・Unitel,Mobicom携帯会社が日本への国際電話を期間限定無料に。

内閣緊急会議後の首相宣言 (12日19時ごろ)
・百万ドルの支援、2500枚のブランケットを送る予定。
・支援額増加について検討中。
・救助部隊を送る方針で検討中。これに向けての調査を外務省・道路交通建設都市開発省に命令。
・内閣内で24時間作動の情報チームが作られた。
・宮城、岩手、福島、茨城県在住の103人(日本全土にモンゴル人約5000人)のモンゴル人をモンゴル航空が無料で運ぶ。

その他の反響
モンゴル国民は、モンゴルで大災害が起きた場合のモンゴル政府の対応や災害対策等への不安を露わにしている。日本は常に起こりうる災害への対策を怠らないため被害を最小限に抑えることができるが、モンゴルの今の体制では救助活動が遅れ、国民も混乱し被害が深刻化する可能性がある。また、日本政府の迅速な対応、国民の冷静さもモンゴル人は学ぶべきだという声もある。

■モンゴル人日蒙通訳からのメール
東北関東大震災の情報はモンゴルで広く報道されています。モンゴルの人々はCNN、BBC、NHKなどから常時情報を受けています。
モンゴル政府は100万ドルの無償援助を提供することを決めたそうです。又モンゴル軍の300人の部隊、モンゴル危機管理センターの30人の救出部隊を派遣することになったそうです。
又、モンゴルの政府機関、民間、団体、普通の住民の中で援助のための物資・御金を集める運動が行われています。御金を幾つかの口座を開いて集めています。
最後に再び、一日も早く復旧できるように御祈り申し上げます。

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マスコミでも報道されていることですが、このような大被害に遭いながらも、被災者が冷静で混乱が起きることなく、助け合っていることは、他の国々にとって賞賛に値するとのこと。

政治的にも経済的にも落ち込む一方の日本で、日本で誇れることは何なのかあまり実感することなく、海外で仕事をしている私ですが、今回のことで、日本の強さと誇りを感じてもいます。

今回の震災とその後の対応は、全世界が注目し、支援の手をさしのべてくれています。
政治や事業者単位ではまだまだ落ち着かない状況が続いていますが、被災者一人一人、日本人一人一人が誇りと勇気をもって助け合って生きていく姿が、被災国日本が世界に伝えられるメッセージなのかなと感じています。

改めて、応援してくれている地球の家族の皆様に感謝しつつ、私も自分なりに出来ることを考えていきたいと思います。

2月27日、あったかウランバートル。

2011-02-27 11:58:07 | Weblog
だいぶブログ更新をご無沙汰してしまいましたが、初旬よりウランバートルに来ています。

モンゴルにも「ツァガンツァル」という旧正月があるのですが、都会っ子にとっては、親族や友人の訪問ラッシュが結構めんどくさいらしく、最近のウランバートルの若者はあまり特別なことをせずに家でのんびり過ごすようです。
このあたりは、テト旧正月が一年で最大のイベント、家族第一主義のベトナムとは大きな違いかな。

12月から1月はかなり寒かったと聞いていたのですが、到着してみると、建物内は暖かいし、完全防備していれば外に10分程度?は居られるくらい。
気温は最低気温マイナス30度、最高気温マイナス10度くらいです。
いつもは抜けるような青空が多いのですが、このところ雪が多くて、今朝も曇ってます。雪が増えているのは春が近づいている証拠かな。


ちなみに旭川市ご出身の専門家によると、気温は旭川とウランバートルであまり変わらないけど、体感温度は旭川の方がよっぽど寒いとのこと。
やはり湿気を含んだ空気は冷たく感じますね。
私もハノイとウランバートルでこの冬どちらが寒かったかというと、ハノイの方が凍えてました…。

モンゴルで大相撲の八百長事件が話題になっているかというと、あまり会話には出て来ません。ただ一言、「もしモンゴル人が八百長に関わっているとしても、自分では絶対に言わないだろうね」とのこと。
日本人は正直すぎる国民性と思われてるのかなあ。

こちらウランバートルの話題はあまり無いのですが、身近なところでおめでたい話題が2つ続いたので、ご報告。

その1:日本で建築を勉強しているモンゴル人留学生の知人が、卒業制作で優秀作品賞をとって、大学を代表して、JIAの卒業設計コンクールへの応募が決まったそうです。おめでとうございます!ぜひ入賞を目指して頑張ってください。

その2:こちらは速報で、本人情報では無いのですが、私の従妹がアメリカで結婚することが決まったとのこと。こちらもおめでとうございます!!私と同い年の黒人男性とのこと。これで私の義従弟は外国人3人となりました。

帰国は3月末。
あと1ヶ月の滞在、ウランバートルの初春を待ちながら頑張ります。

2月3日、新年の福は内、ベトナムファミリーと。

2011-02-03 21:10:06 | Weblog
今日の日本は節分、ベトナムはテト(Tet)旧正月元旦。
ちなみにモンゴルではツァガンツァルといいます。

毎年恒例のテト家庭訪問調査…もとい、家庭訪問のご挨拶。
秘書のGiang邸と、ローカルコンサルタントのVinhさん邸にお邪魔しました。

テトのご馳走、相変わらずとても美味しいです。


ちびっ子達が大きくなってやんちゃ盛り。
もと秘書のVanと、去年生まれた第二子のThao Nguyenちゃん(女の子)。Highlandという意味らしい。
おじいちゃんが「モンコー、モンコー」と連発しているので何かと思ったら、なぜかかぶっている帽子がモンゴル風だったわけです。


隣りに住む、秘書のHai邸にもお邪魔しました。
息子の海男君ことHai君も可愛い盛り。
お父さんの小さいときにそっくりとのことで、人はよさそうだけど、イケ○ン風というわけにはいかないかな?


Vinhさん邸にお邪魔したら、Vinhさん(写真後ろ右から2番目、御年74歳)のお兄様ご夫妻がいらっしゃっていました。
なんともご立派な風格の男性、さすがvinhさんのお兄様だわ(写真右下、御年75歳)。
ベトナムの高齢者は矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃいます。


今回の滞在中は本当に寒かったのだけど、今日のテト元旦はとても温かく心地よい日和でした。
こうして今年も私のベトナム家族は円満で穏やかな正月を迎えました。

さて、今夜の便で帰国します。

1月30日、ジャパンブルーにベトナムレッド。

2011-01-31 08:17:33 | Weblog
日曜日未明、とはいえベトナムは2時間の時差があるので、土曜の22時からアパートでアジアカップ決勝観戦。
最新VIERAで、不鮮明な画面をにらみつつ(電波のせい)、2時間応援しました。
そのかいあって優勝しましたねー。ザックジャパン、おめでとうございます。

観客席は結構青色で埋まっていましたね。
Star Sportsチャンネルで観たのですが、解説者が「日本人の応援団はいつもnoisyですね」だって…。うるさくないサッカーの観客なんているのかな??

何せ素人なのであまりコメントは控えますが、今年は年明けから箱根駅伝、そしてアジアカップと、スポーツに燃えた(萌えた?)新春の幕開けでした。

さてところかわって、こちらハノイは旧正月前の週末。
久しぶりに旧正月を歩いてみようと足を踏み出したのはいいのですが…。

案の定、ものすごい混雑でした。
人気の梅干し店にはひとだかり。


こちらベトナムは一面の赤、赤、赤、です。
ちなみにいちごは中部の高原地帯ダラットから来ているものか、もしくは中国輸入?


人気のお店に二人でバイクで乗り付けて、一人が車道上でバイクを停車して待っているるのが渋滞の大きな原因なのだけど、そもそもお店側が、商品を歩道に積み上げてるのが悪いですね。


おっと、小さな坊やも客寄せ中?
ではなく、単にお母さんを待っているだけでした。
この山積みのシャツ類は、もちろん売り物です…。


そんなわけで、旧正月元旦の2月3日に向けて街は賑わってます。
Chuc Mung Nam Moi !!

1月23日、旧正月前、最近の動き。

2011-01-23 18:16:47 | Weblog
2月3日の旧正月元旦を前にベトナム人は忙しい日々を送っていますが、日本人の私もひたすら仕事してます。写真でご紹介します。

↓ハノイホテルのロビー。中国系のホテルだからと思うけれど、旧正月の飾り付けがやたらきらびやかです(ちなみにこの円卓はぐるぐる回っています)。


↓開発の進むシプトラニュータウン。こちらはインドネシア系のニュータウン開発。タンロン空港から市内に入る途中にこのロココ調?のゲートが怪しくライトアップされています。


↓「世界の車○から」を彷彿とさせる、ザーラム駅での荷積みの一コマ。


↓ザーラムバスターミナルで遭遇した公開裁判。ベトナム行ったり来たり生活を始めて10年くらい経ちますが、初めて見ました…あまり見たくないですね、こういうのは。


↓これが今いるところの風景。ハノイから1.5時間離れたハイズォン市に来ています。ホテルの部屋からお堀を見下ろしたところ。ハノイを離れると一気に静かな地方都市になります。


↓今夜の宿は一泊180,000VND(750円!)のゲストハウス。この値段でこれだけ清潔なところにお目にかかれて何とも嬉しい限り。


相変わらず寒いですが、旧正月を前に熱気を帯びてきたベトナムからの報告でした。

1月16日、寒いハノイより。

2011-01-16 07:49:03 | Weblog
新年のブログ更新がだいぶ遅れましたが、2011年もよろしくお願いします。
いま投稿ボタンを押したら、このブログ開設日から昨日(1/15)で2000日目でした。
なんと6年以上続けてるんですね、びっくり。まあ最近は更新頻度もだいぶ少ないのですが。

14日からハノイに来ています。
30年ぶりの寒さとのことで、しんしんと冷え切ってます。
毎冬このブログに書くことですが、冬はウランバートルが最も暖かく、次に東京、最も寒いのはハノイ。
気温ではもちろん真逆ですが、体感温度や室内の快適性を考えると、ハノイの冬は本当につらいのです。
外ではダウンを着て、アパートではオイルヒーターと暖房と湯たんぽを使ってます。

これは地方省の中心部での写真。
ハノイでは格段に四人乗りバイクは減りましたが(法律ではもちろん二人乗りまで、ヘルメット着用が原則)、少し田舎に行くとまだまだいるようです。


こちらはハノイ旧市街の夜のホコテンの写真。
2月3日のテト旧正月を前に、週末の旧市街は昼も夜も大混雑です。


ローカルに有名な餅米屋(Xoi、ソイ)の外観が少しおしゃれになっていました。


寒さに耐えつつ、2月4日の帰国まで頑張ります。

12月29日、今年一年振り返り。

2010-12-29 22:15:02 | Weblog
24日にウランバートルから帰国しました。
毎回のことですが、何がどう忙しかったのかと聞かれるとうまく説明出来ないのですが、とにかくあっという間に過ぎてしまいました。
帰国前のウランバートルの気温はマイナス20~30℃前後だったので、日本もクリスマス頃に急に冷え込んだとはいえ、へっちゃら…と言いたいところだけど、やっぱり北風は冷たいですね。

さて今年はどんな一年だったかなあ。
何より、ウランバートルで新しいプロジェクトが始まって、再びモンゴルの地を踏めたことが一番のニュースでした。

特に今回滞在中、何人かのビッグなモンゴル人に会ったのでご紹介。

その1:
先日ウランバートルで参加したパーティーでダグワドルジ氏、すなわち朝○龍に会いました。白ブチ眼鏡に短髪のスーツ姿で、すぐには気づかなかった。
「トクトーイ!」(乾杯!)と私が声をかけたら、「どこの国の人?」と聞かれてしまった。いま思い返すと、日本語、英語、モンゴル語、どの言語で話したのか、記憶が定かではないのですが、たぶん日本語だったかと…。
さすが元横綱、独特のオーラがありました。今後はモンゴル国民のために活躍してくれることでしょう。(写真は都合により一部ぼかしてます)


その2:
クロスカントリーのオリンピック選手。うー、名前を失念。ソチオリンピックにもたぶん出場するかと。顔をしっかり覚えるためにもブログにアップしました。右が現役の選手、左はコーチで、札幌オリンピックに出場したようです(たぶん)。


その3:
秘書の息子のアナンド、5歳。以前このブログに写真を載せたことがあると思うけれど、久しぶりに会ったらだいぶ大きくなっていました。日本の玩具をプレゼントしたのだけど、一所懸命けん玉や独楽回しにチャレンジしてくれました。


さて、またベトナムとモンゴルの往復生活(その間に日本には戻っていますが)が始まったわけです。
こうやって違う国を同時に見られること、しかもどちらも比較的治安がよく、親日的であることはとても恵まれていると思います。

地をしっかりと耕すベトナムと、地を颯爽と駆けるモンゴル、私も地に足をつけて来年もがんばりたいと思います。
今年も一年ご愛読頂きありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

11月30日、冬の宮殿にて。

2010-12-12 01:07:45 | Weblog
だいぶ更新が遅れましたが、11月の話題。

ウランバートル市役所のカウンターパートのご招待を受けて、「冬の宮殿」でランチ会。
以前大統領官邸でランチをした記事を載せましたが、市中心部から少し離れた山裾にある大統領官邸は別名「夏の宮殿」。

モンゴルの遊牧民は元来、「サマーゲル」と「ウィンターゲル」を持っていて、季節に応じて住み処を分けていたとか。場所も違うし、ゲルの構造も冬場はフェルト付きの暖かいものに。
大統領ともなると当然「ゲル」ではなく「宮殿」になるわけです。

冬の宮殿は都心のど真ん中、よく飲みに行くアイリッシュパブの斜め向かいにありました。
中に入ると立派な階段が。さすがにヨーロッパのお城ほどではないけれど、モンゴルにしては豪華さと貫禄があります。(写真は2階から1階エントランスを見下ろしたもの)


ランチはフレンチモンゴルのフルコース。
この写真、なんだか分かりますか?


羊の内臓で肉とスープを包んだもの。たぶん胃袋かな。

じーっと見るとちょっとギョッとしますが、ものは試しです。
ちゃんとウェイトレスさんが切ってくれました。(ちなみに奥に写っているのは、土地局のSandui局長。日本語も結構話せる局長クラスNo.1?のイケメンさんです。)


具はこんな感じ。
食べてみるとかなり美味しくてびっくり。羊の苦手な私でも全部食べられました。
新鮮な羊肉は臭みも少なくて食べやすいです。


この冬の宮殿の建物はゲストハウスになっているらしく、「然るべき紹介」があれば宿泊可能とのこと。
とはいえ、あまりに敷居が高くてぐっすり眠れないだろうなあ…。