怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪日記vol.111 魔女の一撃

2019年05月19日 13時38分45秒 | 怪日記
こんにちは、別水軒です。
またしてもはじめるはじめる詐欺だと思われた皆さん。ご期待に沿えず申し訳ございません。世の中がご即位だ新時代だと大騒ぎな10連休中に、わたくしもごたぶんにもれずがっつり10日間お休みをいただきまして。とはいえほとんど家からも出なければ、家の中でも動かない、な生活を送る中、本ブログの再開宣言を威勢よくぶちあげていたのですが。10連休後にこれまた世の皆様と同様に全世界に呪いをかけたくなるほど憂鬱なココロもちで職場に出かけて行ったところ、ハックシュンなくしゃみの瞬間、絵にかいたような魔女の一撃を腰に食らってしまったのであります。

魔女の一撃、すなわち。ぎっくり腰であります。

さっそく西洋の言葉を使ってみましたけれども。皆さんもテキトーにググっていただいたら出てくると思います。魔女の一撃とはもともとドイツ語「Hexenschuss」からきた言葉であって、それが英語でも直訳された形でwitch's shotとかshot by a witchなどと言われますよ、とあります。日本語では「一撃」、なんて訳され方をしているので、達磨落としみたいに木づちで円柱をスコーンと叩き抜き飛ばされたような痛みを知っているそこのアナタは、私と同様、木槌を持った魔女がフルスイングで人の腰を叩きぬきやがったイメージを持たれたかもしれません。が、中世から続く「魔女の一撃」は下の絵(Johann Zainer『Druck um』c.1490)にございますように、魔女の矢に撃ちぬかれるかたちが正解(英語でも「shoot(撃つ)」であって「hammer(叩く)」ではありませんネ)。これなら一撃というより「一矢」じゃねぇかと思いますがそれはさておき。


(※ 画像はWikipedia Commons掲載のパブリックドメインのものです)

しかし、ぎっくり腰というのはいつ頃からあるんでしょうね。主に年齢や運動不足(急に体を動かすなど)が原因と言われますが、こちらの15世紀の絵の中で魔女の餌食になってる方は見た目お若そうですよねぇ。この方の場合は運動不足(個人的にはぎっくり腰の原因には過度なストレスもあると思います)だとして、運動不足になりがちな職業や都市型生活者が現われるまでは、なんとなく、歴史的には上流階級/有閑階級特有の症状だったのだろうなぁとか。なんか昔、貴族の日記を読んでて、ぎっくり腰になってる人がいたような、霞がかった記憶があるようなないような…夢で見ただけかもしれませんが。

ちなみにですが、英語圏の人たちにぎっくり腰のことを「いやぁ昨日は魔女の一撃を食らっちゃってねぇ」なんて言っても、経験上、通じる確率のほうが低いような気がするのでお含みおきください。一番つたわる言い方は、My back got strainedですね。そして、ぎっくり腰と聞くと謎に笑っちゃったり、なんかもうそれですべてが許されちゃうような雰囲気になるあたりは洋の東西は問わない感じですのでご安心ください。

別水軒はここ数年は1年に1~2回ペースで魔女の的になっているんですけれども、比較的接近した日程で数をこなしておりますと逆に治し方もよくわかってくるものであります。というわけで、べっすぃさんの知恵袋ということで、以下ご参考まで。
1) 最初の2日間は炎症期なのでとにかく冷やすこと
 (これは行きつけの整骨院の方にも同じことを言われます、絶対あっためるな、風呂も入るなと←いや入れませんけどね、痛くて。)
2) 整骨院などで、プロの方に周囲の筋肉をほぐしてもらうこと。
3)動けるようになってきたら、可能な範囲で下半身のストレッチにはげむこと。足の裏の筋(椅子に片足ずつ乗せるのがおすすめのポーズ)、足の前の付け根の筋のほか、足の内股の筋が重要です(←ここが固い人は腰をやりやすい)。
4) 朝の起き抜けは、足を三角にたてて右と左に何度か体をひねってから起き上がるのをクセにすること。
5)なんだかんだで、鍼治療がいちばん治りが早い気がします、っというのは個人的な感想です。

というわけで、復帰第一弾は、こんなはずじゃなかった怪日記でごまかしてしまいました。長時間いすに座れない生活を送っておりましたのですが、おかげさまでこのとおり、日々座ってられる時間の記録を順調に更新しております!

次回はたぶん、エゲレス国はロンドンの、Ghost Clubに潜入した際のルポを書きたいと思いますー。

人生いろいろ

2019年05月05日 17時51分55秒 | 怪日記
皆さま、お久しぶりでございます。
なんとかれこれ6年ぶりになるのでございましょうか、恥ずかしながら帰ってまいりました、別水軒です。

記録だけでなくしきたりも労働環境もなんもかも全部古いものを残しますが何か、という、20世紀に迷い込んだかのような職場に5年もおりますと、お化けセンサーもずいぶんなまってしまってさぁどうしよう、という感じではございますが。
このたび、再び人生の分かれ道に立つことになり、往時の「テケトー力」を取り戻すためにも、そして閉ぢこもりがちな生活をなんとかoutdoorgieな感じに切り替えていくためにも、軽くリハビリをかねて筆をとりました次第です。

かれこれ5年前になってしまった洋行の思ひ出などもおりまぜつつ、つらつらと筆を進めてまいりたいと存じます。
どうぞよろしくお願いいたしまする。







怪評vol.59 はじめに、言葉ありき

2013年06月22日 22時56分25秒 | 怪評
目下、極西の国・エゲレスという連合王国はスコットランドという、北国におります。よって夏至の本日は日没が午後10時7分、その上太陽が沈んでも暗くなりきらないとかなんとも珍妙な。こちらの知人が2~3日で1分、日の出日の入りの時間が変わるんだとか言っていたけれども、これほど落ち着きなく季節が移り変わる中で暮らしていると、逆に日本人の繊細さはそのわずかな移ろいによる変化を知ろうとする心意気によって生まれたのではないかと思ってしまう。だってこんだけ雑に変化すると、気にしなくったって変わっていくのがわかりますからNE!!

気候も文化も人間の種類も違うこの国に来てかれこれ2年になるわけでありますが。それなりに慣れたり慣れなかったり、そのこと自体もたいして気にならなくなったりな日々。怪道を再開するにあたって、ハテ何からはじめようかしらんと思いましたが。10日ほど前になんとなく見ていたBBC (エゲレス国のNHKでござる)の歴史ドキュメンタリーがちょっとほほうな感じでしたので、そちらの感想めいたものからウォームアップと参りたいと存じます。

さてさて、そのドキュメント。タイトルは、「The Most dangerous man in Tudor England: William Tyndale」。その男、最も危険につき――と題されたこの番組が特集したのは、イギリスはチューダー朝に生きたウィリアム・ティンダル(1494~1536)という名の・・・聖職者であり宗教学者でもあった一人のイギリス人。彼は、宗教改革の草創期、聖書がいまだラテン語で書かれ読まれることが当然であり、それを「口語」である各国語に翻訳することが死刑につながる重罪だったという時代、聖書の英語翻訳に挑んだ人物として知られる人です。

現在ではごく普通に各国語に翻訳されている聖書。そのことが当時なぜに重罪であったのかの説明をここでするともうしょっぱなからどんだけ書くねんなことになりかねないので、その辺はラテン語がトップ・ハイエラルキーの人々と聖職者にしかわからない言葉であったことからなんとなく想像してくださいということで。怪道におなじみの皆さまはどちらかというとジャポンの文化に親しんでらっしゃる方が多いかと存じますので、簡単にこの時代の基礎知識から。チューダー朝というのはヴァージン・クィーンの呼び名で知られるエリザベス1世のおじいちゃん、ヘンリー7世からはじまる王朝で、エリザベスのお父上であるヘンリー8世がご自身のプライベートな問題からローマ・カトリックの傘下を離れてオラが教会を作ったとかこの頃に王国の絶対王政化が進んだとか、シェイクスピアとゆう文芸の天才が出てとか、政治・経済・文化、様々な分野でイベントてんこもりだった時代であります。

さてこのティンダルという人は、ヘンリー8世が即位するかしないかの頃にこの世に生をうけた方で、番組は、そんな時代のキリスト教と、キリスト教における聖書、そしてその言葉の関係を、大変ドラマチックに描くものであったわけです。庶民による聖書についての知的理解を「言葉」がいかにはばんでいたか、権力者がなぜ「言葉」の独占によって庶民の聖書へのアクセスをはばもうとしたのか。そして16世紀前半のイギリスで、それがどのように解き放たれていくのか。言うてもテレビ番組ですから、見てきたんかい(爆)と思わず突っ込みたくなるような表現も散見されますけれども、単純に使命に命をかけた一人の人間の話と見てもよし、イングランドにおける宗教改革を「言葉」という切り口からみたものとしてもよしという、様々な角度から楽しめるものでした。

このティンダルという人はプロテスタントの中でもPresbyterian(長老派)の人だったのだろうと思われますが、言葉による知と信仰の独占を維持しようとするヘンリー8世とローマ法王双方から追われる身となりながらも、彼は聖書に書かれる言葉こそが神の言葉であり、その言葉によって人は救われるべきであるという信念のもと、「文字さえ読めれば農家の少年(plough boy)にも理解のできる聖書」を目指し、大陸へ渡ってその身を隠し続けながら英訳作業を続けることになります。

やがて、離婚問題とプロテスタントであったアン・ブーリンとの結婚、そして英国国教会成立といった変化の中でヘンリー8世側は態度を軟化させたんですが、結局のところ、ティンダルはローマ法王の追っ手に捕らえられ、ベルギーのアントワープで処刑されます。イングランドにおける英訳聖書普及を願ってやまなかったティンダルの夢は、かつて彼を処刑しようとすらしたヘンリー8世自らがパトロンとなった、The Great Bibleという形で実ります。翻訳者としてのティンダルの名前は「意図的に」(←はBBCの見解かしらん・笑) 削除されますが、Great Bibleはいまも世界で広く読まれるKing James’ Bible(1601年出版)へと引き継がれることになります。しかしながら近年の研究によりと、King Jamesの新約聖書のなんと80%に及ぶ部分がティンダルの訳であることがわかっているのだとか。(ちなみに残りの20%は、たとえばChurchとするべき箇所をCongregationであるとか、PriestとすべきところをElderであるという彼の長老派教会主義的翻訳の部分だったのではないかと思われマス。)

ドキュメントは、ティンダルの聖書が1音節の単語で構成されたイディオムをあえて多用することにより平易で親しみやすい訳文となっていること(=ティンダルがめざした、農家の少年plough boyにも理解のできる聖書ということ)、シェイクスピアをはじめとしたその後に続く英文学に大きな影響を与えていること、そしてこの聖書がいまだに英語圏の人々の口語と直接つながっていることを紹介して終わるわけですが。ティンダルさんが、plough boyにもわかるようにと多用したイディオムはしかし、なんと言ってもワタクシども外国人泣かせに他ならんwww。 Now and again とかはじめて言われた時、今ともう一度?ってどゆこと??と思ったら、sometimesとかoccasionallyのように、時々っという意味なんだとかね・・・これからわけのわからん言い回しを聞くたびに、おのれティンダルめwと歯ぎしりしそうですけどもww

・・・個人的にこのドキュメントをみてインスピレーションをいただいたのは、むしろ「ラテン語」が当時の社会で持っていた意味、の方だったりします。ローマ教会にとって聖書がなぜラテン語でなければならなかったのかは、もちろん知識の独占や体制の維持といった理由もあったかもしれないけれど、それはちょっと現代的解釈すぎるかなと思うわけで。ラテン語というのは当時ですらすでに「日常的」に話される言葉ではなく、対して英語やドイツ語というのは、「日常」に話されるいわゆる民衆語。だからこそ「神の言葉」を伝える言葉としてふさわしくないという認識が、まず基本としてあったわけでね。

西ローマ帝国の人々によって話されていたラテン語ですが、その崩壊後もラテン語は公式記録や公的文書には使用され続け、いわば権威や権力を象徴するものとなっていきます。また学問の領域での共通語としても使われていたのはご存知の通り。しかし、このティンダルとその聖書翻訳にあった「言葉」にかかわる激しい争いを通じて、ラテン語が彼らが住む世界では同時に神の言葉を運ぶ言葉でもあったということを非常におもしろい形で再認識させてもらったなと。ラテン語というものを介し、当時のヨーロッパ社会において権威や権力、学問がいかに「神」と結びつき、神のイメージを含むものであったか。だって、権力者の言葉として伝えられるものが神の言葉を伝える言葉と同じで、学問、すなわち世界を語るときの言葉が、神の言葉を伝える言葉と同じなんですよ。キリスト教が、そしてその神がいかに絶大な影響力をあたえていたかということのイメージがすごく湧いたなぁとしみじみ。

まぁ、それがわかってどうするのと言われれば、まだそれ以上に世界を広げられるほど西洋史の知識がないので、そりゃあもういつもどおりの自己満足ですよとしかお答えでけませんのですが(笑)。正しい教えを伝えることと聖典の翻訳というのはどこの宗教にとっても頭痛の種なのは変わりませんし、そういう意味で我が愛するお大師は、やっぱりエライ人だなぁとかwww まぁ、原典をそのまま伝えてるからといって、結局解釈において再び血で血を洗う殴り合いがはじまるわけですけれどもねw やはり、はじめに言葉ありきとはじめたヨハネさんはすごいww あれ、このヨハネさんって、自称「主に愛された弟子」のひと??

というわけで、第1回目はこのへんで。言い訳しておきますがw、こちらに来るまでは日本にしか興味のなかった別水軒でありますから、多分↑↑もてめぇそんなことも知らなかったのかというような内容なんじゃないかしらと、思われ(汗)。よって、本日からはじまる、題して「英国怪道をゆく(仮)」は、御一新後にはじめて海外に参りましたっと言うおさむれぇ様のような別水軒が、ひとつずつこの国を理解しようとするよちよち歩きの記録とお受け止めくださればこれ幸いです。

帰ってきた別水軒

2013年06月21日 19時09分41秒 | その他

帰ってきた別水軒、とこれまた平凡ではありますが!!


はずかしながら、帰ってまいりました!!!!!


2年以上もほっぽらかして、どこでなにをしていやがったかと申しますと、宣言どおりジャポンをはなれ、そしてなんかダブリンとか言うてた気がしないでもないんですけども、そのへんは宣言どおりとはいかず、そのお隣の旧世界帝国の北の方に、いまだ不時着中であります。

そんなわけで、帰ってきたというのはこの怪道に戻ってきたというだけで、日本に戻ってきたというわけではございませんのですよ、あしからず。

そしてはずかしながら、と言いつつ、生きて本土には帰らないとか思っていたわけではなく、普通に3ヶ月ほどしたらジャポンに帰還する予定です、あしからず。

しかし帰ってきた別水軒は、帰ってきた某M78星雲の宇宙人とは違いまして、中身はおんなし別水軒のままです。えぇ、特にたいして成長もしておりません、あしからず。

2年以上もほっぽらかして、さぞかしアクセス数もコモドドラゴンなみにせっせと地を這っているかと思いきや、なんだか毎日70名様ほどがご訪問くださっているようで。妖怪手品の本の方とかB級スポット案内の方とかのおかげですね。こんなブログをご紹介いただいてしまって、なんかすみませんというか、ありがとうございますというか...ひたすら恐惶恐惶、頓首頓首。

というわけで、ジャポンを遠く離れましても、あいもかわらずふらふらと、あやかし怪道をあるいております別水軒です。

なんとなくバタバタと忙しい日々を送っていたりもしますので、これまでと変わらず、不定期更新間違いなしです。よって、お気の向いたときにでも、ふらりとお立ち寄りくださればこれにまさる幸せはございません。

今後とも、どうぞよろしゅう、おたのもうしますー。


別水軒 拝

怪評vol.58 ボーンキッカーズ―考古学調査班(1)

2011年03月08日 22時20分02秒 | 怪評
えー、先月中旬に受験いたしました英語能力試験でございますが、無事、大学からの要求基準をクリアいたしましてございます。あとはどっちの大学にしましょうかな段階にきましたですョ。いよいよですネ!というわけで、そろそろまともな・・・と言うかただの日記じゃないヤツを書かねばと思い。本日は近頃アテクシが好んで視聴しておりますAXNミステリチャンネルより、「ボーンキッカーズBonekickers 考古学調査班」をご紹介いたしますル。

2008年頃のBBC制作なんだそうです。ストーリィはウェセックス大学の考古学調査隊クルー4人が出土遺物をきっかけに様々な歴史の謎を追う話。それだけだとただのドキュメンタリ番組になってしまうので、無駄に秘密組織だの殺人事件だの冒険アクションだのなエッセンスが盛り込まれるという、ある意味インディアナ・ジョーンズ先生以来の「正統派」考古学系エンターテイメントといえます。ただの発掘調査がアドベンチャになるのは、とにもかくにも出土遺物がいわくつきなせいなんですが。

舞台となる街はイギリス西部の町バース(Bath)で、ドラマを監修してるのが近郊にあるブリストル大学の考古学科の教授らしい。Bathは名前からもおわかりのようにヨーロッパ屈指の温泉地でありまして、お風呂をbathというのはこのBathが起源という俗説もあるようですが、温泉があるから地名がBathになったというだけの、いうたら伊予国温泉郡みたいな地名になります。

ちなみにウェセックス大学というのは架空の大学なんですけども、このウェセックスの名はバース一帯の地域の古名になりまして、「サクソン系の人が住んでる西の地域」ぐらいの意味と思わはるとよろしい。かつてブリテン島でローマ人による支配が終わった5世紀前半頃から、サクソン人やらバイキングなデーン人やらの勢力がもうぐっちゃぐちゃに乱立した時期がありまして、これを七王国時代とかいうみたいですがなんかファンタジーな感じになるので使いたくないw(別水軒は夢見るヲトメが抱きがちなかの国に対するイメージを徹底的にひっぺがえしてやりたくッて仕方がないわけですグフフフフ)。で、このウェセックスの名を冠する勢力がとりあえずどうにかこうにかブリテン島を統一するんですな。ここの家は後のノルマン・コンクェストの原因をつくったりそんなこんなで滅んだりで、11世紀には地名そのものが地上から消えてしまうんですけども、サクソン人による初めての統一をなした国の名としてエゲレスの人々にとって格別な思いがあるらしい、・・・というのはただのウンチクですが何か。

で、バースにはバース大学という国立大があり(理系や社会学に強い大学として有名だったりしマス)、おそらくウェセックス大学のモデルであろう大学なんですが、実際のバース大学に考古学科はありませんw まぁないからやりたい放題できるんでしょうけどw 別水軒的にイギリスで考古学っていうとなんとなくダラム大学っていう印象があったんだけども(ハリポタのロケ地になったりモリアーティ教授の出身校だったりで有名なとこ)、そのせいか4人のクルーのうちの新人君のヴィヴはダラム出身だったりします。

えー、相変わらず前置きが長くなりましたのでそろそろ本題へw タイトルがなんで「ボーンキッカーズ」なのかはようわかりませんw 毎回必ず人骨が発掘されるんでwその辺なんすかね、それとも「考古学者」を意味するスラングだったりするんでしょうかw エゲレスの歴史ミステリということで、かの国の人がいかな歴史的事件を伝説の俎上にのせるを好むのかが知りたいというのと、世界の考古学において最先端といえばもう日本かイギリスかってとこですし、フィクションとはいえ雰囲気ぐらいはわかるじゃろぅな気分で見始めたのがアレだったんですけども。その、栄えある第1回目をかざったのが十字軍ネタであります。

バース市街地のとある建築予定地で13世紀末頃(だったかなw)のイスラム系コインが見つかった。考古学的調査が必要となったため、大学の考古学チームが現場に呼ばれ、発掘がはじまる。まもなく一体の人骨が発掘され、鎖帷子に付着するくずれかけた白地の布にX線をあてると、あらわれたのは赤い十字架――テンプルの騎士の着衣だった。その後トレンチの一角から、一片の朽ちかけた角材と思しきものが見つかる。放射性元素による年代測定が行われた結果、その木材はパレスチナ地方に生息する樹木であり、伐採時期は約紀元20年前後。そこには、血液反応の残る鉄釘が残留していた―ー。

聖遺物キタコレ―――(゜∀゜)!!!!! テンプル騎士団がフランス王フィリップ4世により異端の嫌疑をかけられ一斉検挙された1307年10月13日前後、各地のテンプル騎士団が各々の蔵する聖遺物を秘密裏に運び去ったという伝説は往々にして残っているわけですけども、調査区が当時の騎士団の移動経路上にあり、何事かがこの地で起こった可能性がある・・・!って純粋に考古ミステリとしておもしろかったのはここまでで、ここからはもう、いわゆる「プギャーw」的(by-KR老師)なオモシロさに突入していくわけなんですけどもw

おいでなさるのがイギリス社会からのムスリム排斥を狙うキリスト教原理団体で、そやつらが現場の土地を買収、遺物を引き渡せと。ムスリムの青年をかんなり残酷な形で殺害したりする相手ですから素直になれないのはわかるんですけども、4人の骨蹴人は普通に抵抗し、遺物ごと逃走しはりますw 我ァが見つけた遺物は報告書にして論文も書きたい気持はわからんでもないのでまぁ見逃してあげますとですね。見つかったのが角材のはじっこということで、今度は十字架本体の行方をおいはじめますね。そしてさらには宝の在り処を書いた秘密の文書の奪い合いにまで発展しマス。ここまでくるとそれはもうかなり考古学者の仕事じゃない気はしますけど、まぁ勢いってあるよねと百歩以上譲ってあげますとね。たどり着いた先は地元でハト小屋に使われている12世紀頃の円形の小屋。・・・イギリスの歴史ミステリ好きはこの時期の円形の建物=テンプルの礼拝堂と思うらしいッスネ。それはさておき、床の石版はずしてロープでおりたら、ななななんと!地下には東京ドーム半個ぐらいの巨大空間が出現。しかもそこには!


大量の十字架!!!!


飯噴物、ていうのはこういうことをいうんですよね。数あるうちからいっこを選べ、なノリはこれまたインディアナ・ジョーンズ先生の系譜でしょうかw あの角材はここへ運ばれる途中だったのだと、テンプルさん達が「聖遺物」と伝わる十字架を片っ端から集めたんだろうと、これほどようけ集まったのは「どれがほんものかわからなかったからね・・・」と。・・・ハァ(°Д°)? それで納得?納得するのかそれで?!テレビの前で開いた口をどうふさごうかと悩む私を尻目に、そこへクリスチャネテーの原理団体親分もたどりつきます。

ほほぅこれはすごいね、じゃあどう保存するか相談しましょうかって話になるのがまっとうな考古学者と教育的宗教者だと思うんですよ。なのになんでロープに吊られながら松明持って、きったはったのバトルをしてるんでしょうねこの人たちは。挙句の果てには考古学者、ヤツらに奪われてはならない的に・・・十字架燃やすし、全部(゜д゜;)。オマエラは轟轟戦隊かサージェス財団英国支部か。プレシャス確保でけてへん分もっと悪いやないかアホンダラめ。聖遺物かどうかはおいておいても、とりあえず遺跡の破壊はよくないですよねーと思いますた。

興味深いところもそれなりにあったですよ。イギリスの考古学は日本のそれが歴史系学科に強く接続しているのとは違って比較的自然科学系寄りな学問である面が強いと聞いたことがございますわけですけども、研究室と思しき場所では、学生さん達が遺物についての成分解析からレクチャーを受けてたりですね。こういうことは日本ではまずないです、だいたい遺物いじってても実測図書いてる感じですから。

あとおもしろいのは現場の様子ですね。日本では開発に伴う調査というのがほとんどなので、調査する範囲は「工事によって掘削される部分」てことになるんですけど、ドラマの現場は、広い敷地のど真ん中に幅1.5mほどの細長ーい溝が掘られてるんですね。で、溝に沿って一列に人が入って、とりあえずざっくざっくとほってくの。なんで他の場所は掘らないの、建物の基礎工事部分がそんな範囲だけってキクラデス・フォーム(ハンス・コパーの方)な建物でも作るつもり?とか思ってたら、ヴィヴの神憑り的予言で見つかるテンプル騎士の骨方向へトレンチのばしたら十字架が完成したのですネ。そんでかいw

で、そんなざっくざっくと掘って遺物が出るとどうするかというとビニール袋にぽいっといれちゃうだけなんです(日本だったら「表採」扱いになって価値はガタ落ちデスョw)。だから十字架片が出たときも、よいこらポーンな感じでとりあげちゃうわけ。・・・日本ではまぁちょっとありえないですよね、まずは面ごとに遺構を検出して、さらに各遺構ごとに出土品をとりあげて遺物に位置情報をリンクさせる――つまり何が出てきたか、だけでなく何がどの時代のどこから出てきたかまでを記録しますわけで。まぁいうてもドラマですから、どこまで忠実に再現されてるのかは不明ですが、だってほら、天下のブリストル大学が監修したんですよねぇとかイヂワル言ってみたりしてwww なんにしても、考古系でミステリにしようと思ったら、結局トレジャーハントな展開にしかできないのね君らは、と嘆息。

逆に!現場の雰囲気をそのままに、考古学をミステリとして昇華させた考古学エンターティメント作品はただ一つ、化野燐サンの『葬神記』(角川文庫)だけ!3月25日頃発売だそうですので、どうぞ皆さま、よろしくま☆!

葬神記 考古探偵一法師全の慧眼 (角川文庫) [ 化野燐 ]

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