ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

引越しのためしばらく島を離れます

2010-01-15 06:22:58 | Weblog
 自宅転居のため、生活が落ち着くまでの間、ブログの更新を行いません。引越し作業に集中するためこの間のコメント、トラックバック等は休止させていただきます。2月なかばをめどにまた再開する予定でおります。その節にはまたよろしくお願いいたします。

ちりとてちん2(これももう100回!・声に出して読みたい傑作選100)

2010-01-13 11:54:50 | Weblog
「15の春を泣かせない」。京都府の蜷川元知事の遺した名言です。骨子もいま、高校入試の勉強をがんばっております。わが子ながらえらいものだと思います。あたくしは、高校入試の勉強などした記憶がございません。中学の時は勉強がよくできる部類だったので慢心していたのが、N高に入ると回りはそんな子たちばかり。あっという間に落ちこぼれてしまいました。骨子のようにまじめに勉強しておればといまさらながら後悔する次第です。

 あたくしにとって高校の授業は異星人の言語を聞かされているようななものでございました。何もわからない。地理の時間に「ヘカタイオス」という人が出てまいりますと、「屁堅井雄」などと教科書に落書きをして遊んでおりました。なにやら暴走族のようでございますな。生物の時間にはデヒドロゲナーゼというのが出てまいりました。グルジアの柔道家でございましょうか。ゴルジ体というのは仮面ライダーの敵役の名前みたいだなあと思ったものでございます。

 それでも、世界史と古文には自信がございました。あれは、高校2年生の1学期の中間試験。古文の試験に、こんな問題が出たのをよく覚えております。「春すぎて 夏来にけらし しらたえの」。この下の句を補い、あわせて解釈だか鑑賞だかをしろという問題でございました。私は自信満々でこう書いたのでございます。「アケメネス朝 天の香具山」。正解はもちろん、「衣ほすてふ 天の香具山」。同じ時期に世界史で古代オリエントをやっておりましたので、「アケメネス朝」と「衣ほすてふ(ちょう)」が混線したのでございます。

 「春がすぎて、夏が来たようだなあ。香具山では、ペルシアの軍隊が白旗をあげて、降伏しているというよ」。これは完璧な答案だと自分で感動したものでございます。家に帰って母に今度の古文のテストはきっと100点だというと、母は冷ややかに「大本営発表!」と申します。え、結果はどうだったか。「海ゆかば」。おあとがよろしいようで。

エリクソンの人生

2010-01-10 10:02:42 | Weblog
エリクソンで卒論を書いた学生がいたので、いろいろとエリクソンについて考えてみる機会をもてた。彼の本当の父親は誰なのか、永くわからなかった。20世紀に入る頃に生きた女性として、本当に奔放生き方を貫いた人だったのだろう。養父のホンブルガー氏は堅実なプチブルで、息子に堅実な生き方をすることを望んでいた。ちなみに彼の生まれた時の名前は、エリック・ホンブルガーである。

 しかしエリックは、大学には進まなかった。30を過ぎるまで画家になると称してウィーンでぶらぶらしていた。いまでいえば「夢追いフリーター」か「ニート」と呼ばれていたであろう。父親より官能的で奔放な母親に似ていたのだと思う。

 30近くになってアンナ・フロイトに見出され、臨床カウンセラーの道に進む。当時、子どもと遊ぶことのできる男性が稀だったことと、彼の絵の才能にアンナが着目したようだ。アンナの研究所で修行をしていた頃、英仏への第一次大戦の戦費の召還を猶予する「フーバーモラトリアム」が発令された。嗚呼俺は人生の「支払い猶予期間を永く過ごしたのだな」というこのときの彼の感慨が、有名な「モラトリアム」ということばを生んだ。

 彼は、このころジョアと結婚している。アンナフロイトと袂を分かち、アメリカに亡命する。ジョアンは、彼の母親に似た知的ではあるが、官能的で情熱的な女性だった。冷酷なアンナを毛嫌いしていた。

 アンナにジョアン。エリックの前には、常に母親的人物があらわれる。彼はマザコン男だった。そして彼は同時に度し難い怠け者でもあったようだ。30過ぎるまでぶらぶらしていたことはその証である。そしてアメリカにわたってバークレーに職を得た時も、昼には家に帰ってシェスタを楽しんでいたようだ。身なりも生活時間もでたらめでだらしない彼を「調教」し、立派な社会人にしたのはひとえにジョアンの功績である。

プラハに行け!

2010-01-07 16:52:01 | Weblog
 よねまるさん。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします(前のエントリーのコメントを参照のこと)。ところであんたあ、なんちゅうせこいことを言いんさるだあ。N高で講演するっちゃあなあ、望みが低いわいな。プラハに行きんさい。プラハに。あんたももの書く人なだけえ、ノーベル賞狙わないけん。

 村上春樹もノーベル賞が欲しいだけえ、プラハで講演しとるが。「卵と壁」ちゃあな何のことだわからへん。ベルリンの壁に卵を落として夏に目玉焼きを作ったちゃあなことだらあか。そういやあ、よねまるさん。あんたあ『1Q84』読みんさったか。なんだあ骨子の連れで本好きなもんは、みんな読んどるみたいだで。若いもんにゃあ、面白いみたいだなあ。

 でも「アイキュー84」だと思っとるもんもおるげで、骨子も驚いとったわ。「アイキュー84」でも意味はとおるわな(笑)。でもあの小説に出てくるもんは、みんな利口げなことをいようるけえ、もっと「アイキュー」は高かろうけど。ヤナチェクがあの小説で有名になったなあ。「パンナコッタ」ちったっけ。あれはイタリアのパンかいなあ。でもヤナチェクを持ち出すあたりが、チェコを意識しとるわ。やっぱりノーベル賞が欲しいだが。あのもんも。

 プラハでオバマが演説して、ノーベル賞とったけえなあ。村上も切歯扼腕しとろうやあ。「核廃絶」ちゃあなあ、言うだけなら誰でもいうわ。わしでも言うで。「核のない世界を!」。だけえわしにもノーベル賞をごせい!!田中さんがノーベル賞とった時に、幼稚園に通よおった太郎が「びんちゃんノーベル賞とったことある」っていようったけど、あの佐藤栄作だってもらったぐらいだけえ。わしもよねまるさんももらえるわいな。核の密約がばれた時に佐藤栄作を選んだノルウエーの委員会が何だって弁解したかよねまるさん知っとるでや。「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」。

山陰地方の事件に思う(日本海新聞コラム「潮流」・12月29日掲載分)

2010-01-04 07:49:11 | Weblog
日本では、1990年代から20年近くも不況が続いています。そしてリーマンショック後の日本経済は、主要国のなかでもっとも大きな落ち込みを示しています。景気回復の兆すらみえません。これを反映して日本の自殺者数は1998年以降、3万人を超えています。だが日本社会が荒廃の極みにあるわけではありません。メディアによって大きく取り上げられるセンセーショナルな事件はいくつもありましたが、日本は世界の主要国のなかで例外的に犯罪の少ない国です。日本の治安のよさは諸外国の羨望の的となっています。

 しかし、昔に比べて治安が悪くなったと感じておられる方も多いのではないでしょうか。凶悪犯罪が起きるたびに繰り返されるメディアの過剰報道もその一因ですが、一概にこれを幻想だと言い切ることもできません。かつては、凶悪事件が起きる空間も時間も限定されていました。たとえば大都市の夜の繁華街といったように。しかし、いまでは昼間の閑静な住宅街でも凶悪事件が起きることは珍しくありません。犯罪とは無縁だと言い切れる時間と空間がなくなってしまった。このことが、人々の「体感治安」を悪化させています。

 山陰地方はこれまで、凶悪な事件とは無縁な、のどかな地域だと考えられてきました。私が子どもの頃の鳥取市では、外出する時に鍵をかける家庭は稀であったと記憶しています。ところがこの秋、島根県の浜田市では女子大生が何者かに惨殺され、鳥取市ではある女性の周辺で何人もの男性が不審死をとげていることがわかりました。ちょうど同じ頃、千葉県で一人暮らしの女子大生が殺され、東京では鳥取のものと酷似した女性がらみの事件が起こっています。こうしたことで山陰地方が、東京と肩を並べるのは悲しいことです。

 浜田市の事件で女子大生の遺体は、広島県と島根県の県境付近の山中に放置されていました。地方で起きる凶悪事件では多くのばあい、クルマが大きな役割を果たしています。県境を超えて犯人が移動することが多く、それが事件の捜査を困難なものにしていきます。浜田市の事件の舞台も、島根広島の両県にまたがっているようです。近年メディアが発達し、クルマが普及することで、地方に住む人たちの生活の利便性は飛躍的に高まっています。しかしそのことが地方の人たちの「体感治安」の悪化を招いていることも否めません。

 私は鳥取市に帰省するたびごとに、寂しさを感じています。景気の悪化によって鳥取の街から年々活気が失われていることが、その大きな理由です。そしてかつてのような濃密な人間関係が失われているとも感じています。林立するマンションは、鳥取市でも生活の個人化が進んでいることの象徴のようにみえます。情報や移動手段の利便性だけではなく、生活様式においても大都市と地方との差は縮まっています。「体感治安」の悪化は、地方の人々が都会的な自由を享受することの代償としてもたらされたものなのかもしれません。

ちりとてちん(あけおめことよろ2010・声に出して読みたい傑作選99)

2010-01-01 10:44:23 | Weblog
あけましておめでとうございます。「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」。50を過ぎると身にしみる一首でございますなあ。百年足らずでこの世をおさらばするのが人間の定め。これはあまりにも短すぎると感じないでもございません。しかし、どうなんでございしょうか。人の一生が、地質年代を超えて続くとなると、これは何とももうっとうしくはございませんか。

 新聞に、「鳥取市の「野の花診療所」で、世界最高齢者の男性が亡くなった。この男性の死亡で先カンブリア期生まれの人はいなくなった」という記事が載っていたりするわけでございます。このおじいさん、何歳まで生きたんでございましょうか。何十億歳?そんなお齢の方と話をするのは、さすがの徳永進先生でも大変だったのではないかと拝察いたします。

 「降る雪や ジュラ紀は 遠くなりにけり」。外では雪が降っている。熱帯性の植物が繁茂して、巨大な恐竜が地上を闊歩していたジュラ紀は、遠い昔になってしまったことだよなあ…。この句の作者は、子どもの頃、恐竜と相撲をとって身体を鍛えたのでございましょうねえ。「新生代生まれの奴らには気骨というものがない」と悲憤慷慨しておられたのでございましょう。

 当然この世界には、本物の氷河期生まれの方がいらっしゃいます。どんなに若くても1万歳。それでもここでは、若者(!)のくくりです。不遇な人生を強いられたこの世代の一人の男性が書いた「巨大隕石でぶっ飛ばしたい」という論文が話題になりました。かつて恐竜を駆逐し、地球上の生態系をリセットしたとされる巨大隕石の地球への落下が再び起こることを熱望する論文です。

 この「巨大隕石待望論」は年長世代の左翼から、強い批判を受けます。「お前は若いからあの時の苦しみを知らない!」。「氷河期世代だけが隕石落下の恩恵を受けるなどと思うなよ!!」。ところでこの左翼の方々は何紀のお生まれなのでしょうか。何?左翼には未来がない。もう沈没してしまっている。だから、デボン(ドボン)紀。おあとがよろしいようで。

佐々木賢他著「商品化された教育 先生も生徒も困っている」 青土社(本のメルマガ12月25日号掲載分)

2009-12-29 07:23:56 | Weblog
 教育とは、人を育てる営みです。ものを作って売るビジネスとは本来相容れ
ないもののはずです。しかし近年では教育もまた、ビジネスの論理に飲み込
まれてしまいました。

教育のビジネス=商品化は、世界的な趨勢といえます。アメリカとイギリス
が先頭を走り、日本がその後を追う展開がみられます。著者の一人佐々木賢
さんは、長年定時制高校の先生を務めた方です。近年は新自由主義的な教育
改革を批判する論陣を張っておられます。本書は英米の新聞記事を素材とし
て、教育の商品化の実態を紹介したユニークな仕事です。

 教育がビジネスになれば、すべてを会計のことば(アカウンタビリティ)
で語らなければなりません。学校経営でも、子どもの学習到達度でも、すべ
てを数値化して公表することが求められます。当然その数値は年々改善され
なければならないのです。

イギリスでも日本と同様、全国一斉の学力テストが行われているようです。
テストの出来不出来が予算配分等その学校の処遇をきめてしまいます。です
から学校は、テストの点を上げるために血眼になります。大人の都合で点取
り競争に追い立てられるのです。まさに理不尽の極み。

 日米英の3カ国は主要国中、教育予算の対GDP比率が低い国として知られ
ています。国がお金を出さないのだから、教師の給与はどんどんと削られて
いきます。しかも、子どもの荒れや「モンスターペアレンツ」の存在もいま
や世界的な現象なので、先生たちの負担は増える一方です。

労働党政権が行った新自由主義的な教育改革の結果、イギリスで教師は、お
よそ人気のない職種になってしまいました。ブレア前首相が議会での演説で
同国の重要課題は、「教育、教育、そして教育」であると叫んだことを思え
ば何とも皮肉な話です。

 学歴インフレが起こり、高卒が欠損学歴になってしまいました。しかも高
校大学の学費がほぼ無償の大陸ヨーロッパ諸国に比べて英米日の学費は高額
です。低い階層に生まれた子どもたちは、大学に行けない。正規雇用の仕事
に就く機会を最初から奪われしまうことになります。

その結果この3つの国の階層の移動率は、主要国のなかでも低い部類になっ
てしまいました。一生懸命勉強をしてもまともな仕事に就けないのだから、
子どもたちは勉学の意欲がわきません。かくして教師の仕事は、ますます大
変なものになっていきます。

 教育の商品化を推し進めた結果、子どもの学力は低下し、教師は疲弊し、
学校は荒廃してしまった。著者たちは、新自由主義的教育改革路線の破綻を
宣言しています。強い説得力を感じますが、残念ながら「出口なし」の読後
感しか残りませんでした。

本当に希望はないのでしょうか。日本の少年犯罪はとても少ない。「ヨーロッ
パの10分の1、アメリカの100分の1」(本書)程度です。文教行政は
英米と変わらぬ愚かな方向を目指しながら、子どもの荒れは世界でもっとも
小さい。これは日本の親と教師の努力の賜物だと思います。

ナルシシズムの時代

2009-12-26 00:00:00 | Weblog
 クリストファー・ラッシュは、エゴチストとナルシシストという興味深い区分をたてている。エゴチストは、は自己の拡大を目指す人たちで、金銭や地位や権力に執着する。他方、ナルシシストの名は、水面に映った自分の姿にみとれて水仙になったギリシャ神話の美少年に由来すしている。ナルシシストが執着するのは、外在する対象ではなく自己の幻影である。

 エゴチストは「尊大な自我」の持ち主だが、ナルシシストは「小さな自我」(ミニマルセルフ)であるとラッシュは言う。幻想の繭にくるまることによって、巨大な世界から卑小な自己を守ろうとするのが、ナルシシストだ。現代人の多くは、ラッシュによればナルシシストである。

 田中角栄はまさにエゴチストであった。金と権力にあくなき執着を示した。巨大な御殿を築き、ロッキード事件で失脚した後も死ぬまで「闇将軍」として君臨して、政界を支配したのである。外在的な対象に執着し、自我の拡大を目指すというエゴチストの定義に角栄は見事に合致する。

 ナルシシストの大成功者は小泉純一郎だ。彼のワンフレーズ・ポリティクスは、一世を風靡した。05年の総選挙では、「小泉劇場」の座長を見事に演じ、自民党を歴史的大勝に導いたのである。小泉は角栄のような巨大な御殿を築くことはなかった。「4代目」を指名するとあっさり引退してしまった。彼が求めたものは、「かっこいい指導者」という自己の幻影だった。郵政民営化も、靖国参拝もそれを得るためになされたのである。

 「豪腕」小沢一郎は、いまどき珍しいエゴチストである。水面下に潜んでいる時、彼は凄まじい指導力と調整力とを発揮する。しかし彼が表に出ると、バッシングの嵐が巻き起こる。それは彼の存在の反時代性によるものだと思う。ナルシシズムの時代の真正エゴチスト。多くの日本人にとって小沢は、いまに生きる恐竜のように映っているに違いない。

クレタ人の逆理

2009-12-23 00:00:00 | Weblog
 今年TBSテレビが、「官僚たちの夏」という城山三郎さんの小説をドラマ化して放映していました。このドラマのなかで、佐藤浩一らが演じた当時の通産官僚たちは、アメリカの市場開放要求に頑強な抵抗を示しています。官僚たちが「国益」を第一義に行動していた時代へのオマージュとして、この小説を城山さん書きました。日本の官僚は有能かつ清廉だから、天下りのような弊害があったとしても、腐敗し、堕落した政治家などより信用できる。80年代あたりまではまだそう考えられていたのです。

 時代は変わりました。官僚は悪いことばかりして信用できない。だから「政治家主導」だ。民主党の指導者たちは声高にそう叫んでいます。転機となったのは90年代です。官僚たちが「ノーパンしゃぶしゃぶ」店で接待を受けたり、厚生事務次官のマダムが夫の地位を利用した「おねだり」をしていた事実が発覚した時代です。

 そしてこの時代に日本の経済成長路線が破綻したことも、官僚の権威失墜の一因となりました。城山三郎の描いた通産官僚たちは、強力な「行政指導」によって日本の製造業の国際競争力を高め、経済成長路線に大きく寄与していきました。官僚たちは、経済成長マシーンを作動させる達人です。しかし90年代には、このマシーンが作動する余地はなくなっていたのですから、辣腕のふるいようもありません。利権にむらがる醜悪な姿ばかりがクローズアップされていきます。

 首相の「故人献金」問題などをみていても、とても政治家が清廉であるとは思えません。「政治家主導」は、官僚の権威失墜のドサクサにつけこんだ、火事場泥棒という印象をもちます。そして片山前鳥取県知事が、さかんに「官僚はうそつきで信用できない」と言っているのをみると不思議な気持ちになります。この人ももとは官僚だったはずです。官僚がうそつきならば片山氏だって…。まるで「クレタ人の逆理」です。

明日の記憶(みたかった。白川静のイナバウアー・声に出して読みたい傑作選98)

2009-12-20 10:19:59 | Weblog
あれは骨髄移植の治療が終わって退院した直後のことだったか。大学病院で診察が終わって会計の順番をまっていた時のことである。こんなアナウンスがあったのでびっくりした。「はらさん、はらせつこさん、4番の窓口へどうぞ」。おお、あの絶世の美女が!と思って4番の窓口の方をみると、そこに向かっていたのはごく普通の農家のおばあさんという感じの人だった。きっとこの「せつこ」さんは、偶然「はら」という家に嫁にいったためにかの大女優と同姓同名になったのだと思う。

 昨年の3月頃、太郎が腕を骨折した。ドッジボールで転んだのだ。整形外科で順番をまっていると、「あらかわさん。あらかわしずかさん」という呼び出しがあった。待合室がどよめいて、荒川静さんは、恥ずかしそうに診察室に入っていった。普通の若いOL風の人だった。トリノオリンピックで荒川選手が金メダルをとった直後のことである。この1年前までなら彼女の名前が呼ばれても何の反応も起きなかっただろう。そしてあと1,2年もすれば「あらかわしずか」が何者か、覚えている人はほとんどいなくなっていることだろう。

よるとしなみで記憶力がものすごく減退している。学生さんの名前がなかなか覚えられない。ぼくの3年生のゼミに「わかおあやこ」さんという学生がいる。こんな印象的な学生さんの名前でさえなかなか出てこないのだ。末期的である。ある時、苦労してようやく下の名前だけを思い出し、「あ、あやこ…」と言ったところで力つきてしまった。これではキモいおやじである。

 これにこりて「往年の大女優と同じ名前のわかおあやこさん、往年の大女優と同じ名前のわかおあやこさん」と自分の頭のなかで何度も彼女の名前を反芻し、記憶に焼き付ける努力をした。次のゼミの時間がきた。わかおさんがレポーターの日だ。あれだけ頑張って彼女の名前を覚えたのである。今日は大丈夫だ。ぼくは自信をもってこういった。「では、『やまもとふじこ』さん。報告をお願いします」。