王様の「秘密の参謀本部」

田端到&ビンゴ本郷の実験創作プロジェクト

体操全日本と大哺乳類展

2024-04-18 13:49:39 | Weblog
●そういえば国立科学博物館の「大哺乳類展3」の感想を別の場所に書きますと言ったきり、お知らせしてなかった。興味ある人がどのくらいいるかわからないが、リンクを貼っておきます。

大哺乳類展で鯨偶蹄目を学ぶ

 違う種なのに似たような形態に進化していく収斂進化や、クジラとカバが近縁の鯨偶蹄目の話題など。ウマの話もあります。

●体操の全日本選手権。放送を録画しておき、あとから早送りで見た。
 女子は現役選手よりも、コーチとしてちらりと映る笹田夏実さんや、畠田瞳さんに目が行ってしまい、こうなるともう観戦者としては失格だ。現役の選手に興味が向かない。
 男子は橋本大輝の完璧さに恐れ入ったのと、北園丈琉くんがどうしちゃったのかが気になる。5、6年前は「将来のエースは北園。ここに橋本あたりが絡んでくれれば」という見方が主流だったと思うが、どこからこうなったのか。

●今は週に1本くらい映画館で映画を見て、そのついでにデパ地下へ寄ってうまいものを買い込むというのが、生活習慣になってきた。隠居おじいちゃんだ。
 映画って、たまにしか見ないほうが感想を書きたくなるね。毎週見てると、いちいち感想を書く作業、言語化する行為にまだるっこしさを感じてしまう。あとから思い返して考察をしなくても、その映画を見た時間を楽しんだことで完結すればいいじゃん、みたいな気持ちになってくる。

●競馬の話題。外枠の勝浦騎手に遠慮して、ほれ好位を取っちゃえよとみんな押さえてお膳立てしているのに、主役はなぜか中団の外で待機してしてしまい、流れはスローペース。4角でもふくらみながら大外に回し、その頃には逃げ馬がセーフティリード。ようやく追い込むも2着まで。
 勝浦騎手らしい引退レースだった。お疲れ様。
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GTOとアイアンクロー

2024-04-12 20:37:27 | エンタメ
●反町隆史の「GTOリバイバル」をあとからTverで鑑賞。
 クドカン脚本の「不適切にもほどがある」でも思ったけど、こうやって昭和カムバック、昭和の価値観よもう一度!みたいな流れは今のテレビのトレンドで、歓迎したい。

 ただ、単純に「昭和よ戻ってこい!」では世間に受け入れられないから、それをいかに令和の価値観と混ぜ合わせながら着地させるかに、みんな苦心・苦労している。そんなドラマだった。
 岡崎紗絵さんがこんなにいい女優さんだとは、これまで認識していなかった。

●フリッツ・フォン・エリック一家を描いた伝記映画「アイアンクロー」鑑賞。
 昭和のプロレス好きのおっさんがホイホイされる映画。短い感想はXにポスト済みなので、こちらにはちょっとネタバレありの感想を。これから見る人は注意してください。




●映画「アイアンクロー」、染みた。次々と家族に悲劇が起こり、呪いとまで言われたプロレスラー、フリッツ・フォン・エリック一家を描いた作品。

 昔はこういう悪しき家父長制度の象徴のような父親が当たり前だった。男は強くあれ。男は強くなれば夢は叶う、一番をめざせ、と。
 でも、男だって泣いていい。男は涙を見せちゃいけないなんて虚勢ばかり張っていると、余計に悲しい出来事が起きてしまう。そのことにやっとラストで長男が気付く。

「アイアンクロー」のタイトルが意味深い。必殺技の名前というより、父親のアイアンクローこそが息子たちに食い込む爪であり、それが呪いの正体だ。 
 ハリー・レイス、ブルーザー・ブロディ、テリー・ゴディら、往年の名レスラーたちの再現度が高い。リック・フレアーはどうなんだ、似てるのか、あれは!? 

 あらためてフリッツ・フォン・エリックの経歴を調べたら、プロレスラーとしてはナチス・ギミックの悪役設定だったと、初めて知った。そうか、あれはナチスなのか。

●映画館で流れた予告編。清原果耶さんの出演する『青春18×2 君へと続く道』と、『碁盤斬り』が続けて流れた。相変わらず売れっ子だ。ジャンヌ・ダルクより前の撮影だろう。
 草彅剛との共演は初めてかな?

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二足のチンパンジー

2024-04-06 13:43:55 | 競馬
 gooブログのエディターが新しくなったから使え使えとうるさいので、試しに書いてみる。画像が貼りやすくなったみたいだ。

 と思ったのに、これ、写真貼りながら、文字を書けないの? テキストを全部書いた後に、写真を入れたい場所に移ってそこに貼る形式? 画像を先に貼ったら、もうそこから先へ行けないやん。文字の大きさの変更も使いにくくて面倒くさい。

 ガイドを読んでないからわからないけど、gooのやることが正解だった試しがない。国立科学博物館の大哺乳類展が面白かったから、そのレポートを書こうと思ったのに、やっぱり写真を貼りやすいほうの媒体で書こう。

 下の画像はヒト科の展示。真ん中の二本足で立っているのはチンパンジーなんだけど、チンプの骨格標本が二足立ちというのはチャレンジングな展示ではないだろうか。そうでもないのかな?


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三体と、あのちゃん

2024-03-30 22:57:16 | エンタメ
●NETFLIX版の「三体」を見始めた。原作はだいぶ前に買ったけど読めてない派なので、こちらを先に見ることにした。
 科学者が次々に謎の自殺を遂げるというサスペンスから入っているから、宇宙物理がわからなくても引き込まれる。中国の文化大革命もどうつながっていくのか。

●「情熱大陸」の写真家の回を見て思った。今、プロのカメラマンの能力というのは、PCでの画像加工技術を含めた能力を求められているのか。

●横浜で島袋寛子さんのライヴ鑑賞。変わらずにギフテッドな歌声と、自由すぎるグダグダな進行が楽しかった。 
 選曲は「ココドール」からジャズやポップスのカバーが中心で、オリジナルは少なめ。バート・バカラックの「アルフィー」と、ジョージ・ベンソンの「Just the two of us」が良かった。

 ついでに山下公園の桜も見てこようと思ったら、あいにくの雨に桜もまだ咲いておらず、ハンマーヘッド近辺の海と船だけ見て、中華街で食事してきた。

●エマ・ストーンの『哀れなるものたち』。日本版をリメイクするなら、あのちゃん主演を提案したい。
 成熟した身体と、学習前の脳を持ち、閉じ込められていた環境から解き放たれて外の世界へ飛び出し、自由奔放に振る舞いながら学習・成長してゆく物語は、あのちゃんにピッタリではないか。
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「四月になれば彼女は」ネタバレ感想

2024-03-22 19:34:00 | エンタメ
●映画「四月になれば彼女は」鑑賞。いい感じに原作と違っていて、良かった。

「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」という問いかけの答が2つ提示される。という解釈で合っているだろうか。
 主演/佐藤健、長澤まさみ、そして戻らない日々のアイコン森七菜。

 以下、ネタバレありの感想なので注意してください。




●プロモーションでは、ウユニ塩湖やプラハの時計台など海外の美しい風景の映像が多かったから、そんな先入観だったけど、愛が冷めたふたりの部屋の描写とか、ちゃんと日常生活から見せてくれたから入り込みやすかった。

●原作の段階で響きまくった作品なので、きわめて個人的な視線でずっと観た。
 自分の失敗人生に重なるところが多くてつらかった。せつなかった。しかも一番大事な最後だけ重ならないから、余計にせつない。出てくる東京の舞台も私の行動範囲が多く、なおさらだ。
 向き合うべき時に向き合わず、追いかけるべきところで追いかけなかった、ダメな人生だったよ。その結果が今だ。

 そうやって自分を重ねながら観るのが、この映画の正しい見方なんだと思う。そのために1億人の青春の記号・森七菜の登場を待って、この物語が映像化されたんだと思う。という意味のことを原作の川村元気さんもどこかで話していた。
 その最大公約数の初恋の幸福感や、甘酸っぱい記憶、痛み、後悔を全部引き受けて、前向きな力に変えてみせる森七菜の素晴らしさ。

●佐藤健は、10年前の大学生時代と、長澤まさみに出会った3年前と、今と、3つの時代を見事に演じ分けていた。
 長澤まさみも、こじらせ女性の複雑な感情を内面から表現して、俳優としての能力が高い。人の感想を読むと、あのキャラが一番理解できなかったという声をたくさん見かけるが、私の周りにはよくいた女性だ。でも、あの終盤のストーリーは予想していなかった。
 飲み屋のマスター仲野太賀の顔がふっくらしていたのは、佐藤健のコケた頬と対比させた表現(正反対の生き方)なのか、たまたまなのか。

●原作にはない春の父親という登場人物に、もう1エピソード欲しかった気もする。狂言回しの役になっているような。竹野内豊という、佐藤健と似た顔立ちの俳優を春の父親にしたのは意図的なものだろう。

 原作にいた写真部の先輩がいなかったのは、青春の汚れのようなものを排除したかったからなのか。あるいは森七菜のピュアなイメージを尊重したのか。

●旅を終えた後の森七菜の撮影した写真が「見えないものを写した写真」になっているのは、小説にはできない映画ならではの表現だ。

●でも、音楽は全体的にあまり合ってなかったと思う。

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