●映画「四月になれば彼女は」鑑賞。いい感じに原作と違っていて、良かった。
「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」という問いかけの答が2つ提示される。という解釈で合っているだろうか。主演/佐藤健、長澤まさみ、そして戻らない日々のアイコン森七菜。
以下、ネタバレありの感想なので注意してください。
●プロモーションでは、ウユニ塩湖やプラハの時計台など海外の美しい風景の映像が多かったから、そんな先入観だったけど、愛が冷めたふたりの部屋の描写とか、ちゃんと日常生活から見せてくれたから入り込みやすかった。
●原作の段階で響きまくった作品なので、きわめて個人的な視線でずっと観た。
自分の失敗人生に重なるところが多くてつらかった。せつなかった。しかも一番大事な最後だけ重ならないから、余計にせつない。出てくる東京の舞台も私の行動範囲が多く、なおさらだ。
向き合うべき時に向き合わず、追いかけるべきところで追いかけなかった、ダメな人生だったよ。その結果が今だ。
そうやって自分を重ねながら観るのが、この映画の正しい見方なんだと思う。そのために1億人の青春の記号・森七菜の登場を待って、この物語が映像化されたんだと思う。という意味のことを原作の川村元気さんもどこかで話していた。
そしてその最大公約数の初恋の幸福感や、甘酸っぱい記憶、痛み、後悔を全部引き受けて、前向きな力に変えてみせる森七菜の素晴らしさ。
●佐藤健は、10年前の大学生時代と、長澤まさみに出会った3年前と、今と、3つの時代を見事に演じ分けていた。
長澤まさみさんもいろんな複雑な感情を内面から表現して、俳優としての能力が高い。あの終盤のストーリーはまったく予想していなかった。
飲み屋のマスター仲野太賀の顔がふっくらしていたのは、佐藤健のコケた頬と対比させた表現(正反対の生き方)なのか、たまたまなのか。
●原作にはない春の父親という登場人物に、もう1エピソード欲しかった気もする。狂言回しの役になっているような。竹野内豊という、佐藤健と似た顔立ちの俳優を春の父親にしたのは意図的なものだろう。
原作にいた写真部の先輩がいなかったのは、青春の汚れのようなものを排除したかったからなのか。あるいは森七菜のピュアなイメージを尊重したのか。
●旅を終えた後の森七菜の撮影した写真が「見えないものを写した写真」になっている(たぶん)のは、小説にはできない映画ならではの表現だ。
●でも、音楽は全体的にあまり合ってなかったと思う。
「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」という問いかけの答が2つ提示される。という解釈で合っているだろうか。主演/佐藤健、長澤まさみ、そして戻らない日々のアイコン森七菜。
以下、ネタバレありの感想なので注意してください。
●プロモーションでは、ウユニ塩湖やプラハの時計台など海外の美しい風景の映像が多かったから、そんな先入観だったけど、愛が冷めたふたりの部屋の描写とか、ちゃんと日常生活から見せてくれたから入り込みやすかった。
●原作の段階で響きまくった作品なので、きわめて個人的な視線でずっと観た。
自分の失敗人生に重なるところが多くてつらかった。せつなかった。しかも一番大事な最後だけ重ならないから、余計にせつない。出てくる東京の舞台も私の行動範囲が多く、なおさらだ。
向き合うべき時に向き合わず、追いかけるべきところで追いかけなかった、ダメな人生だったよ。その結果が今だ。
そうやって自分を重ねながら観るのが、この映画の正しい見方なんだと思う。そのために1億人の青春の記号・森七菜の登場を待って、この物語が映像化されたんだと思う。という意味のことを原作の川村元気さんもどこかで話していた。
そしてその最大公約数の初恋の幸福感や、甘酸っぱい記憶、痛み、後悔を全部引き受けて、前向きな力に変えてみせる森七菜の素晴らしさ。
●佐藤健は、10年前の大学生時代と、長澤まさみに出会った3年前と、今と、3つの時代を見事に演じ分けていた。
長澤まさみさんもいろんな複雑な感情を内面から表現して、俳優としての能力が高い。あの終盤のストーリーはまったく予想していなかった。
飲み屋のマスター仲野太賀の顔がふっくらしていたのは、佐藤健のコケた頬と対比させた表現(正反対の生き方)なのか、たまたまなのか。
●原作にはない春の父親という登場人物に、もう1エピソード欲しかった気もする。狂言回しの役になっているような。竹野内豊という、佐藤健と似た顔立ちの俳優を春の父親にしたのは意図的なものだろう。
原作にいた写真部の先輩がいなかったのは、青春の汚れのようなものを排除したかったからなのか。あるいは森七菜のピュアなイメージを尊重したのか。
●旅を終えた後の森七菜の撮影した写真が「見えないものを写した写真」になっている(たぶん)のは、小説にはできない映画ならではの表現だ。
●でも、音楽は全体的にあまり合ってなかったと思う。